近年、女性向けゲームはたいへんな盛り上がりを見せています。
とはいえ、女性向けゲームが身近でない方からすると「イケメンたちが女性を萌えさせているゲームでしょ?」と、女性向けゲームの種類をひとくくりに思っているかもしれません。
しかし、じつは女性向けゲームは大きく「乙女ゲーム」、「育成ゲーム」、「BLゲーム」の3つに分類され、これらは異なるジャンルのゲームと考えたほうがよいものなのです。
もちろん、これらの他にも女性をターゲットとしたゲームには、占いや着せ替えを楽しむゲームなど多々ありますが、今回は“女性ターゲット”にとどまらず“女性向けジャンル”を生み出し、牽引し続けている乙女ゲーム、育成ゲーム、BLゲームにおける、約20年の歴史とその分化や進化に触れ、振り返ってみたいと思います。
【女性向けゲームの主なジャンル】
乙女ゲーム
女性向け恋愛シミュレーションゲームのこと。女性の主人公(プレイヤー)が男性キャラクターたちと恋を楽しむもの。デートや結婚など、男女の恋愛にまつわるエピソードがあるのが特徴。キャラクターとの恋を楽しむ女性たちを“夢女子”、“夢子”と称する場合もある。育成ゲーム
プレイヤーがキャラクターを育て、成長ぶりを楽しむもの。ほぼ明確に恋愛模様は描かれない。プレイヤーキャラクターが女性のゲームが多いが、性別を限定していないものもある。BLゲーム
男と男の恋愛が描かれている。キャラクターどうしの恋愛模様をプレイヤーが第三者目線で見て楽しむもの(一部、プレイヤーが主人公になる作品もある)。年齢制限つきの作品が多い。BLが好きな女性たちを“腐女子”と呼ぶことが多い。
一般的なテレビゲームがボールの打ち合いから50年近くを経て、さまざまなジャンルに分化していったように、女性向けゲームも、ひとつの起点から約20年をかけて分かれていきました。
その間には、女性向けならではの進化も見られます。
そして、男性をはじめ女性向けゲームが身近でない方にも、女性向けゲームを理解いただければ幸いです。
必然のように、シミュレーションの老舗から生まれた“女性向け”というジャンル
1990年代半ばまで、いわゆるテレビゲームにはアクションゲームやシューティングゲームが多く、RPGなどに一定の女性ファン層がついていたものの、大きく見ればそれは男性市場でした。
しかし、1994年に光栄(現・コーエーテクモゲームス)がひとつの花を咲かせます。
花の名は、『アンジェリーク』【※】。この恋愛をシミュレートしたアドベンチャーゲームの発売によって、日本のゲーム業界に“女性向け”ジャンルが誕生しました。
これはおそらく、1990年代に入りPCゲームに端を発した男性向け恋愛シミュレーションゲームや恋愛アドベンチャーゲームの兆しを、いち早くキャッチしたものと思われますが、ほぼ同時期に男性向けの恋愛シミュレーションゲームとして有名な『ときめきメモリアル』があることを考えると、この着想は驚異的な早さです。
何よりこのゲームを企画発案したのが、現・株式会社コーエーテクモホールディングス代表取締役会長の襟川恵子【※1】氏だったことが重要です。
というのも、襟川氏の夫は日本のコンピューター用シミュレーションゲームの草分けと言える同社の『信長の野望』を制作したシブサワ・コウ【※2】氏。初めての女性向けゲーム、しかも恋愛をシミュレートしたゲームが同社から生まれたのは、ある意味必然だったと言えるでしょう。
襟川氏は、制作にあたって女性向けゲーム開発チーム“ルビーパーティー”を社内で立ち上げ、この『アンジェリーク』を皮切りに、いまも多くのファンから愛されている“ネオロマンス”【※3】シリーズの礎を築きました。
ちなみにこの『アンジェリーク』のシミュレーション部分はシブサワ氏が担当。ゲームとしての質の確かさも、末永く愛されている要因となったと言えるでしょう。
※1 襟川恵子
1949年生まれ。株式会社コーエーテクモホールディングス代表取締役会長。1971年多摩美術大学 美術学部デザイン科卒業。1978年に襟川陽一(シブサワ・コウ)と光栄を設立する。
※ 2 シブサワ・コウ
1950年生まれ。本名は襟川陽一。株式会社コーエーテクモゲームスの代表取締役会長。1978年に光栄を設立。1982年に歴史シミュレーションゲーム『川中島の合戦』が大ヒット。『信長の野望』、『三國志』、『決戦』などの名作を発表。シブサワ・コウはゲームプロデューサー名。
※3 ネオロマンス
コーエーテクモゲームスが女の子のために贈る女性向けゲームシリーズ。おもな当該シリーズは『アンジェリーク』、『遙かなる時空の中で』、『金色のコルダ』など。同社のゲームには、『信長の野望』や『三國志』の“歴史シミュレーションゲーム”や、『維新の嵐』の“リコエーションゲーム”など、パッケージにゲームのジャンルを表すひと言が書かれている。その流れでスーパーファミコン版の『アンジェリーク』が登場したとき、すでにパッケージに“ネオロマンスゲーム”と書かれている。
プレイヤーがヒロインとなり、イケメン男性キャラクターたちと恋愛が楽しめる『アンジェリーク』は、当時のゲームに触れていた女性たちに衝撃を与え、“女性が没頭できるゲームがある”と評判となり、たちまち大ブームを巻き起こしました。
また、ゲームの発売に合わせてオリジナルドラマCD『アンジェリーク ~光と闇のサクリア~』が発売となっています。
新ブランドのゲーム発売の翌日にドラマCDが用意されていたという展開にも驚きますが、そもそも同社はすでに『CDドラマコレクションズ 三國志』など、自社の作品世界を音で拡げる試みに以前から挑んでいることを知れば、このドラマCDも半ば必然だったと頷けるでしょう。
その後、キャラクターが自分の想いを歌うキャラクターソングCD『アンジェリーク FALLIN’ LOVE』が1996年に発売され、キャラクターソングは、これまでに150曲以上が発表されています。
いまでも女性向けゲームは、ドラマCDの発売やイベントでのドラマパート生上演など、ゲームとは違ったアナザーストーリーを楽しんだり、声優が歌うキャラクターソングを楽しむことがお約束となっています。
これらの習慣がすでに日本初の女性向けゲームの時点からあったということは、かなり衝撃的な事実ではないでしょうか。
こうして、光栄による女性向け恋愛ゲームは、『アンジェリーク』を筆頭に躍進し続けます。1998年に社名がコーエーとなってからは、2000年に『遙かなる時空の中で』【※1】、2003年に『金色のコルダ』【※2】が発売されました。
驚くべきは、この3つのシリーズはコーエーテクモゲームスとなった2018年のいまも、恒常的にシリーズが展開され続けている【※】ことです。
一度好きになったキャラクターは、プレイヤー自身が成長しても、ずっと好きでいるものです。女性たちのキャラクター愛は、シリーズを長期タイトル化するのに一役買っているのではないでしょうか。
※ シリーズが展開され続けている
同社の『信長の野望』シリーズが1983年から、『三國志』シリーズが1985年から展開され続けていることを考えると、ネオロマンスシリーズの魅力もさることながら、「シリーズの終了でファンを裏切ることのないように」という同社の姿勢が窺い知れる。
さらに今では当たり前となりましたが、声優が登場するオンリーイベントの先駆けとなったのも、ネオロマンスシリーズです。2000年の時点ですでに「アンジェリーク・メモワール2000」というイベントが、同社の所在地である横浜の国際的なコンベンションセンター、パシフィコ横浜で開催されています。
以降、ネオロマンスのイベントはパシフィコ横浜で開催されることが多いことから、パシフィコ横浜は“聖地”とファンたちから呼ばれ、愛され続けています。
このように長い歴史を築き上げたネオロマンスシリーズですが、当時初代『アンジェリーク』を楽しんだ女性たちは現在30〜40代前後。この20年で結婚や出産を迎えた女性たちも少なくありません。
いまでは“親子2世代”のネオロマンサー【※】も増え、イベントには親子での参加が多いのも特徴。これはほかの女性向けゲームシリーズには、なかなか見られない現象と言えるでしょう。
※ネオロマンサー
ネオロマンスシリーズが大好きなファンの総称。
最新技術を搭載してリアルさに踏み込んだ『Girl’s Side』が超絶ヒット
2000年前後になると、コーエーの一強時代から、各社が女性向けゲームを多数発売する時代に移ります。
1998年には富士通からPC用ソフトとして『Fantastic Fortune』が、イースリースタッフからプレイステシーョン用に『卒業M 〜生徒会長の華麗なる陰謀〜』が、2000年には富士通からPC用に『ファーストライブ』が発売されます。
このように盛り上がる市場に合わせて、ゲームを楽しむ女性をターゲットとした雑誌『B’s-LOG』(2002年/エンターブレイン(当時))や『電撃Girl’s Style』(2003年/アスキー・メディアワークス(当時))が創刊されたのもこのころ。
これらの雑誌は、ゲームのシステムを紹介したり攻略したりするだけに留まらず、描き下ろしのキャラクターイラストや声優インタビューを掲載し、“女性向けゲームの雑誌といったらコレ!”という確固たる地位を築き上げました。
女性向け恋愛シミュレーションゲームが“乙女ゲーム”という総称に落ち着いたのも、このころではないでしょうか。
この状況下の2002年には、女性たちに「おのれの“人生”そのもの」とまで言わしめた恋愛シミュレーションゲーム、『ときめきメモリアル Girl’s Side』【※】がコナミ(現・KONAMI)からプレイステーション2向けで発売されることになります。
このゲームで注目したいのは、まずセリフがすべてフルボイスだったこと。
それに加え、キャラクターがプレイヤーの名前を“ボイスつき”で呼んでくれるEVS2(エモーショナルボイスシステム2)が搭載されていたことも画期的でした。
これらのシステムにより、キャラクターと親しくなるにつれ、自分の呼ばれかたが、「苗字」から「あだ名」に、そして「名前呼び」へと変化。
「愛しの彼がマイネームを呼んでくれるなんて、ずっとボイスを流し続けたい!」とキャラクターへのゾッコン度は深まり、世の女性はメロメロになりました。
ボイス付きで呼んでもららえるため、名前登録画面では“本名”と“ハンドルネーム”どちらで登録すべきか……。女性たちは本気で悩みました。
プレイヤーにとって印象深かったのは、なんといっても『ときめきメモリアル Girl’s Side』は恋が成就するまでの道のりがハードなことでした。
『ときめきメモリアル』で蓄積された同社のノウハウが発揮されているのか、恋愛だけでなく、勉強はもちろんアルバイトやショッピングをしながら、自分の魅力をパラメーターとして管理。ときには、女性キャラの友達が恋のライバルになってしまうという超展開もありました。
彼に気に入られる女性を目指したにもかかわらず“フラれる”こともあり、恋が実った瞬間「彼との人生を手に入れた!」とファンは感涙したものです。
さらに、2010年にニンテンドーDSで発売されたシリーズ3作品目『ときめきメモリアル Girl’s Side 3rd Story』が2012年にPSPに移植された際、Live2Dシステムをいち早く導入します。
キャラクターが目パチ、口パクをすることに加え、自然な感じでヌルヌルと動くという表現方法。女性たちは「彼がそこにいる」と感動しました。
このように『ときめきメモリアル Girl’s Side』シリーズは、女性ファンをより取り込むには“甘いシナリオ”だけでなく、“最新のシステム”で演出するキャラクターの“リアルさ”が重要であることを知らしめたのです。
ファンたちから『GS』と呼ばれて愛されたこのゲームを手掛けたのは、ゲームプロデューサーの内田明理氏【※】。
内田氏が作り出すゲームの世界にハマった女性の多くは氏を「内P」と呼び慕い、以降、氏が携わるゲームのコアなファンとして、変わりゆく業界の荒波に飲み込まれながらも、まさに人生を捧げ続けていくことになるのですが……それはもう少し先のお話です。
※内田明理
1969年生まれのゲームデザイナー。2015年まではKONAMIで『ときめきメモリアル Girl’s Side』シリーズ、『ラブプラス』シリーズなどの開発に携わった。現在はユークスにてAR技術を用いたアーティストの“AR performer”をプロデュースしている。
BLゲームが百花繚乱『すきしょ!』『学ヘブ』、アダルト恋愛ゲーム、そしてフィーチャーフォン……
2000年代前半は、女性向けゲームの種類が多種多様に拡散した時期でもありました。
男性どうしの恋愛を描く歴史は1970年代に始まると言われ、「耽美」や「やおい」と呼ばれ、1990年代に入ってから「ボーイズラブ(BL)」という言葉が浸透。
2000年前後には、女性向けゲームの一角を“BLゲーム”が占めるようになりました。
商業的なBLゲーム初の作品と言われているのが、キングレコードより1999年にPC向けで発売された『BOY×BOY 私立光稜学院誠心寮』【※1】。全年齢対象の学園アドベンチャーゲームでした。
全寮制の男子高校が舞台となっており主人公が友人たちとスリリングな学園生活を楽しむストーリーでした。
翌2000年に、プラチナれーべるからPC向けで発売された『好きなものは好きだからしょうがない!! ~First Limit~』【※2】は、“プレイ対象18歳以上限定”(いわゆる18禁)というスタイルでBLファンたちに衝撃を与え、「すきしょ!」の愛称でブームを巻き起こします。
ドラマCD、コミックはもちろん、2005年にはBL作品として地上波初のアニメ化とメディアミックスに成功しました。
以降この“BLゲームは18禁PC向け”という流れは奔流を生み、2002年にSprayから『学園ヘヴン BOY’S LOVE SCRAMBLE!』【※1】、Alice Blueから『俺の下であがけ』【※2】、2005年にNitro+CHiRALから『咎狗の血』【※3】が発売され、“女性だって18禁のゲームをプレイする”ことが浸透していったのです。
さらには女性向けに、18禁の男女の恋愛を描くゲームも登場。2003年に美蕾-MIRAI-からPC用として『星の王女』【※】が発売され、アダルトシーンを含む男女の濃厚な恋愛を描くゲームとして、新境地を開拓していきました。
一方、女性向けモバイルコンテンツ事業に力を入れ始めていた会社ボルテージが、恋愛ドラマアプリ【※】の提供を2006年にNTTドコモ専用のiモードで開始し、『恋人はNO.1ホスト』を皮切りに配信。
このフィーチャーフォンによるゲームスタイルは、「ゲーム機がなくても楽しめる!」、「寝る前に軽く読める」と、これまで恋愛ゲームをプレイしていなかったライトユーザーの獲得に成功しました。
※恋愛ドラマアプリ
2006年にボルテージが配信を開始した、モバイルで楽しむ女性向け恋愛シミュレーションゲーム群のこと。「日常のときめき」を提供することをテーマに掲げており、これまでに90タイトル以上が配信されている。
こうして、女性向けゲームもプレイヤーの好みに添うように、さまざまなジャンルに分岐をし始めました。そしてプレイヤーが“作品を選べる”時代を本格的に迎え、この後さらに発展していきます。
『薄桜鬼』が乙女ゲームのメディア露出を加速化させて大躍進
次に女性向けゲームに起きた大きなムーブメントとして語られるべきは、SNSが隆盛した2010年前後です。2004年に始まったmixiがネット上にアクセス容易なコミュニティ文化を構築、2006年末に動画サービス「ニコニコ動画」が始まると替え歌やMAD動画が流行し、同年に始まったTwitterなどによって、全国各地のファンがインターネット上で気軽に交流できるようになりました。
そんな折、2008年にアイディアファクトリーグループの女性向けブランド“オトメイト”から、プレイステーション2で乙女向けのアドベンチャーゲーム、『薄桜鬼 ~新選組奇譚~』(以下『薄桜鬼』)【※】が満を持して登場しました。
これまでにも、歴史をモチーフとした乙女ゲームは多々発売されていましたが、『薄桜鬼』はとにかくシナリオがボリューミーなうえ、秀逸。幕末という乱世に翻弄されながらも、新選組の隊士たちが武士としての生きざまを貫きつつ、女性であるヒロイン(=プレイヤー)との恋愛に悩み、超常的な“力”と引き換えにすり減った命を賭して私を守ってくれる。当然、全女性が号泣し、彼らの愛にシビれました。
恋愛要素のほかに、心に突き刺さる重厚な歴史ロマンを感じさせたこの作品は、2010年に放映されたテレビアニメ版『薄桜鬼』をきっかけに、乙女ゲームを遊ばない男性にまでファン層を広げたものとして有名になりました。
2010年には舞台化。「大衆演劇界の天才」と呼ばれる俳優の早乙女太一【※】氏(以下、早乙女氏)を主演に据え、『薄桜鬼 新選組炎舞録』が上演されました。
早乙女氏の起用はゲーム業界以外からの注目も集め、『薄桜鬼』がテレビをはじめ、多くのマスメディアで取り上げられるきっかけとなり、“若い女性たちが乙女ゲームに夢中になっている”という文化を世に見せつけたのです。
※早乙女太一
大衆演劇集団“劇団 朱雀”二代目。2003年に北野武監督の映画『座頭市』に出演。2008年2月に16歳で新歌舞伎座史上最年少記録の初座長を務めた。「100年に1人の天才女形」との呼び声も。
さらに2012年からは、マーベラスによりミュージカル化され、“ミュージカル『薄桜鬼』斎藤一篇”が上演開始となり、以降はキャラクターごとの公演が定期化。
「薄ミュ」という愛称で親しまれました。
2018年4月には「新生」と銘打った新たなミュージカルとして上演されています。
ゲームやアニメの原作を舞台化する“2.5次元”の先駆者といえば、2003年から始まったミュージカル『テニスの王子様』です。ゲーム原作であれば2008年の『遙かなる時空の中で』の舞台などがありますが、この「薄ミュ」の大ヒットで、女性向けゲームは2.5次元化したらヒットの証拠と感じさせる流れを作っていきます。
実際、2018年のいまも、ヒット作品の舞台化はお決まりのパターンとなっています。
据え置き機から携帯ゲーム機へ。アイドルゲームの金字塔『うた☆プリ』発売
ここまでに登場したおもな女性向けゲームは、『ときめきメモリアル Girl’s Side』も『薄桜鬼』もそうですが、家庭用ゲーム機の据え置き機、とくに2000年代に入ってからはプレイスーション2を軸として発売されていました。
ところが2010年にニンテンドーDSの国内累計販売台数は3000万台、プレイステーション・ポータブル(PSP)は1500万台を突破します。「いつでも推しキャラと一緒にいたい」という乙女心や、非常にパーソナルな“恋愛”というテーマとの親和性が高かったこともあり、2010年ごろから乙女ゲームのハードは据え置きから携帯機へと移行していきます。
そんな2010年に登場したのが、ブロッコリーからPSPで発売された、アイドルブームの先駆者となるアドベンチャーゲーム『うたの☆プリンスさまっ♪』(以下『うた☆プリ』)【※】でした。
『うた☆プリ』はアドベンチャーゲームの中に定期試験と称したリズムゲームが搭載されており、友達とスコアを競い合い、やり込むプレイヤーが続出。
乙女ゲームファンの女性のみならず、音ゲーファンの女性もこぞってプレイすることとなりました。
しかも、これまで多数の乙女ゲームが発売されていましたが、意外なことに“アイドル”というテーマは、ないに等しい状況でした。
恋愛禁止の学校で愛する人ができ……彼が目指すのはアイドル。アイドルになったらこの恋はどうなるの? そんなハラハラした状況と甘いストーリーが女性たちの感情を狂おしくくすぐったのです。
さらに、『うた☆プリ』は2018年現在も続いている“アイドル育成ゲーム”のブームの流れを生み出しただけではなく、アイドルキャラといえば“この設定”という指針を作り上げたといっても過言ではありません。
【『うた☆プリ』が構築したアイドルキャラの基本設定】
●センター男子キャラは赤髪風のハツラツ系
●児童養護施設出身者がいる
●外国の王子がメンバー入り
●御曹司の跡取りが家の反対を押し切りアイドルへ
●フェミニストなモテ男
●病気を抱えている
●“背が低い(チビ)”が禁句のキャラがいる
●多重人格
●ちょっぴり野蛮
●過去の自分に“かなり”囚われている
●女装家
●実家が没落した元御曹司
●じつはロボット
●キャラクターごとに“テーマカラー”がある
これらのキャラクター設定は全て『うた☆プリ』の主要メンバーに採用されており、現在リリースされている多くのアイドルゲームのキャラクター属性に反映されているといえます。
2011年7月にはアニメ化。オリジナルストーリー『うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVE1000%』は、放映されると瞬く間に女性のあいだで大ブームに。
ブロッコリーは大ヒットを受け、2012年2月末の株主配当で「うたの☆プリンスさまっ♪記念配当」を実施。普通配当の1株当たり2円に加え、1株当たり1円50銭を上乗せしました。
この一報は、女性たちに“メーカーの株を購入し、作品を応援する手段がある”ことを自覚させたのです。
「メーカーの株を買うのは、投資というより応援。銀行に貯金するぐらいなら、株にしたほうが役立っている」と愛ゆえに株式投資を学ぶ女性が増えていくきっかけをも作りました。
もちろん、株の保有者はファンの女の子ばかりではありません。しかし、以降、ブロッコリーの株価は、アプリのリリースをはじめとした『うた☆プリ』の動向で大きく変動しています。
【ブロッコリーの株価(2010年6月〜2018年3月末)】
① ゲーム『うたの☆プリンスさまっ♪』発売(2010年6月24日)
② 記念配当のニュースが流れる(2012年1月11日)
③ ライブ『うたの☆プリン スさまっ♪ マジLOVELIVE1000%』開催(2012年1月15日)
④ ゲーム『うたの☆プリン スさまっ♪ All Star』発売(2013年3月7日)
⑤ アプリ『うた☆プリアイランド』Twitter開設(2013年12月1日)
⑥ アプリ『うた☆プリアイランド』iOS版配信(2014年6月26日)
⑦ アプリ『うた☆プリアイランド』配信一時中断(2014年7月1日)
⑧ アプリ『うた☆プリアイランド』配信再開(2014年12月30日)
⑨ アプリ『うた☆プリアイランド』サービス終了発表(2016年1月7日)
KLabとブロッコリーが業務提携に合意(2016年1月8日)
⑩ アプリ『うた☆プリアイランド』サービス終了(2016年3月31日)
⑪ アプリ『うたの☆プリンスさまっ♪ Shining Live』開発発表(2016年5月11日)
⑫ アプリ『うたの☆プリンスさまっ♪ Shining Live』Twitter開設(2017年6月23日)
⑬ アプリ『うたの☆プリンスさまっ♪ Shining Live』配信開始(2017年8月28日)
さらに『うた☆プリ』は、2012年に東京・五反田のゆうぽうとでライブ「うたの☆プリンスさまっ♪ マジLOVELIVE1000%」を開催し、次々と規模を拡大。2016年はさいたまスーパーアリーナ、2017年はメットライフドームといった会場を埋め尽くすほどファンの心を掴みました。
うたプリライブ5th余韻なう
— 上松範康ElementsGarden (@agematsu) January 17, 2016
改めて、うたプリは「人」に
恵まれているなあと。
こんなにありがたいことは
ないのです。
この約3万人×2daysの光達、
そしてチームうたプリのみんなが
次の創るエネルギーを
与えてくれる。 pic.twitter.com/FVSoroWpdj
応援している作品が人気になれば“ドーム公演が実現する”と身をもって体感した女性たち。この出来事はまさに、リアル世界でアーティストをドームに連れていくファンの気持ちと同じなのです。
『薄桜鬼』と『うた☆プリ』が立て続けに大ヒットしたことにより、2010年に女性向けゲームは一種の全盛期を迎え、女性向けのみを扱ったイベント“アニメイト ガールズフェスティバル”がこの年から毎秋に東京・池袋サンシャインシティで開催となります。来場者統計が初めてとられた2014年の参加者は約37000人でしたが、2017年には86000人以上が来場するまでに規模が拡大しています。
2010年ごろの女性向けゲームは、メディアミックス展開が急速に広がった時期でもあります。
コミカライズ、ノベライズ、CD化、アニメ化、舞台化、ライブ開催を含めた声優イベントに加え、ファッションブランドとのコラボ、2012年にはアニメイトが運営する「アニメイトカフェ」、アイディアファクトリーのブランドオトメイトによる「オトメイトカフェ」がオープン。
このような展開により、ムーブメントが大規模で多彩に広がっていくのが普遍化し始めました。
こうして女性向けゲームが多彩化し、普遍的な地位を獲得したその一方で、PigeoNation Inc.の『はーとふる彼氏 〜希望の学園と白い翼〜』(2011年)ではリアルな鳩との恋愛が楽しめるなど、一風変わった作品も登場し、支持を集めました。
これはネタをネタとして楽しみ、商品化できるだけの余裕が女性向けゲーム界隈に現れた、ひとつの証拠と言えるのかもしれません。
女性はPS Vitaに移行しなかった? スマホアプリの台頭
コンシューマーゲームが盛り上がりを見せる一方、スマートフォンによるアプリゲームが2008年以降じわじわと台頭し始めています。
2010年にはサイバードがGREEのプラットフォームでプレイできる『イケメン大奥◆恋の園 for GREE』、ボルテージが『恋人はキャプテン for GREE』、2013年にはサイバーエージェントがスマホでプレイが楽しめる『ボーイフレンド(仮)』を配信。
これらは、シナリオがマニアックすぎず手に取りやすいこと、複雑な操作を必要としないことなどから、これまでゲーム機で乙女ゲームを遊ぶ習慣のなかった働く女性や学生など、10代〜20代前半の若い層にゲームに触れるきっかけを作っていきました。
そして2013年、かつて『ときめきメモリアル Girl’s Side』を手掛けたゲームプロデューサー内田明理氏が、スマホアプリゲーム『ときめきレストラン☆☆☆』【※】(KONAMI/2014年にコーエーテクモゲームスに移管)を発表。
『ときめきメモリアル Girl’s Side』シリーズと同じ“はばたき市”が舞台となっており、設定がリンク。『GS』に人生を捧げていたプレイヤーたちからの熱烈な支持に加え、スマホアプリという手軽さから、新規の層に至るまで急速に普及しました。
※ときめきレストラン☆☆☆
2013年にKONAMIからリリースされた、女性向け恋愛シミュレーションゲーム。プレイヤーが経営するレストランには、隣にある芸能プロダクション“Prince Republic”に所属するアイドルたちが訪れる。レストランのレシピを増やしてお店を拡大しながら、アイドルたちとの恋愛が楽しめる。2014年8月7日より運営がコーエーテクモゲームスへ移管されている。
そんなおり、発売から10年目を迎えていたPSPが2014年6月で国内向けの出荷を完了させました。この出来事は、女性向けゲーム業界の風向きを大きく変化させます。
というのも、PSPの後継機としてPS Vitaが2011年の年末にすでに発売されていましたが、乙女ゲームプレイヤーたちの所持率が高くなかったのです。
なぜ、女性たちはPS Vitaを購入していなかったのでしょうか。
それは乙女ゲームは操作が単純だったからと推察されます。アドベンチャーゲームであれ、シミュレーションゲームであれ、物語を楽しむシナリオ部分はオートモードで進むため、基本的に操作が不要。
たまにシナリオを分岐させる選択がある程度だったため、そもそもゲーム機が高性能である必要がなかったのです。なかにはリズムゲームやバトルプレイが必要となるゲームもありましたが、たとえばシューティングゲームほどの難度のものはありませんでした。
PSPの出荷停止が発表されるより少し前の2014年3月。アイディアファクトリーのオトメイトは、2014年9月以降の新作を全てPS Vitaで発売すると発表。オトメイトタイトル “PlayStation Vita”展開のお知らせに関する特設サイトを作り、PS Vitaが“高画質と高音質”で“動作が快適”などの利点をファンに伝えました。
もちろん、PSPよりPS Vitaのほうが高画質で高性能であることは、ユーザーたちも理解していました。
ですが彼女たちが楽しみたいのは、シナリオを通じたキャラクターとの触れ合いが中心。スマホアプリが台頭しはじめるなか、高価なゲーム機に、あらためて購入するほどの魅力を見出せていなかったのだと思われます。
そして迎える2015年は、激動の1年となりました。