「レトロゲーム」という言葉の由来を探る──「回顧・懐古」から「レトロ」へ、そして「オールドゲーム」から「レトロゲーム」へ

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 2016年の「ニンテンドークラシックミニ ファミリーコンピュータ」を嚆矢とする「ミニ」シリーズがゲームメーカー各社から次々と発表され、「レトロゲーム」は今やゲーマーのみならず、一般的にもすっかりお馴染みとなりました。
 今回はいつからこの「レトロゲーム」という言葉が使われるようになったか、そして復刻やリメイクによって、いつから往年のゲームが「レトロゲーム」と呼ばれるようになったのかを探っていきます。

 調査員は、そのリサーチ能力とレトロゲーム知識に定評のあるタイニーP。日本のホビーパソコンの歴史について詳しく、ニコニコ界隈で活躍している人物です。
 今回もその技量をいかんなく発揮し、「レトロゲーム」のみならず、その略称「レゲー」の由来までも調査してくれました。(編集部)

文/タイニーP


『ゲームセンターCX』で「レトロゲーム」は大きく広まった

 今回のテーマは「レトロゲーム」だ。2016年から翌年にかけ登場した、任天堂の「ニンテンドークラシックミニ」シリーズが、テレビなど大手マスコミでも取り上げられて大きな話題を呼んだのは、記憶に新しい。
 そしてこれに触発されて登場した「プレイステーションクラシック」や「メガドライブミニ」に加え、来春には「PCエンジンミニ」の発売も控えるなど、レトロゲームに関するニュースは引きも切らない。

(画像はニンテンドークラシックミニシリーズ|任天堂より)

 振り返れば1990年代後半には、1995年登場の『ナムコミュージアム』を皮切りに、アーケードゲーム大手を中心とする各社が、過去の作品をオムニバス形式でまとめた復刻移植ソフトの発売に続々と乗り出した。
 また、「日本初の中古ゲーム専門誌」とうたった『ユーズド・ゲームズ』の創刊は1996年だ。とはいえ、『スーパーマリオ』『ドラクエ』『FF』などの超人気タイトルの復刻・リメイクを除けば、レトロゲームの話題はなかなかマニアの域を出にくいものだった。

 そんな壁を打ち破り、レトロゲームの支持層を大きく拡大したのが、2003年放送開始のテレビ番組『ゲームセンターCX』と、そのメインパーソナリティの有野課長こと有野晋哉氏であることにはまず疑いがない。

 さらに2000年代中盤からは、ニコニコ動画などでの実況プレイ(ゲーム実況)の隆盛、携帯電話アプリとしての名作ゲームのリメイク、家庭用ゲーム機での過去作品の配信サービスの本格化などによって、より気軽にレトロゲームに触れられる環境がさまざまに形成されてきた。
 また近年では、インディー作品を中心に、レトロゲーム的な画面やサウンドを盛り込んだ、いわゆる「8ビット風」・「16ビット風」のゲームが話題を集めることも珍しくない。

 このように、レトロゲームとその周辺領域はますます拡大している。そしてこの連載「ゲームが変えた日本語」にしても、ゲームにまつわる言葉の歴史を探っているだけに、これまで取り上げてきたゲームのほとんどがレトロゲームの範疇に入るものだ。
 ではそもそも、日本でビデオゲームが「レトロゲーム」と呼ばれるようになったのはいつのことなのか? そしてそのころ「レトロゲーム」とは、どんなゲームを指していたのだろうか

「回顧」・「懐古」から「レトロ」へ

 『広辞苑』を確認してみると、「レトロ」が採録されたのは1991年発行の第四版。つまり平成に入ってからということになる。
 フランス語に由来する旨の記載もあるが、そもそもは「後ろ」を意味するラテン語「retro」から来ており、これがフランス語や英語では「後方に」・「逆」・「さかのぼる」といった意味の接頭辞になったらしい。

 一方『現代用語の基礎知識』では、現在で言う「レトロ」の源流となる言葉が最初に採録されたのは1975年版のようだ。「レトロスペクティブ・ファッション」がそれで、以下のように解説されている。

「回顧的なファッションという意味。(中略)74年パリ・コレクションのファッション・テーマ。30年代を中心として20年代から50年代の過去の時代のエレガンスや女らしさをもりこんだファッション。」

 大宅壮一文庫のデータベースで確認してみても、1974年には、映画やファッションで1930年代ブームが起きていることを報じている週刊誌がある。また同年には「レトロ」という言葉を見出しに入れた雑誌記事【※】も登場していることがわかる。

※「バロン吉元の「柔侠伝」がなぜもてる?若者は“レトロ”(郷愁)の時代に向かう」(『サンデー毎日』1974年10月27日号)

 しかしこのころも含め、1980年代序盤にかけては、「懐古」・「リバイバル」・「オールディーズ」といった表現のほうが優勢だった。1980年代に入る前後から、『ポパイ』などの若者向け情報誌で懐古趣味の記事が徐々に広まってゆくが、やはり「懐かし」・「懐古」などの表現が主で、『現代用語の基礎知識』でも、1980年版を最後に「レトロスペクティブ・ファッション」の項目は消えてしまった【※】
 懐古の意味での「レトロ」という言葉は、日本ではいったん死語になりかけていたようだ。

※1983年版から数回、別項目の解説文の中に「74年ごろ流行したレトロスペクティブ(懐古調)・ファッション」という記述があるのが確認できる。

 しかし1980年代が中盤に入ると、「レトロ」は復活を遂げる。どうやらこれは、1984年ごろから目立ちだした懐古調の広告・CMが、広告業界で「レトロ広告」、「レトロCM」と呼ばれ、ブームとして週刊誌などでも報じられたためのようだ。

 たとえばこの1984年春に発売された清涼菓子「白仁丹」のCMは、ビートたけしを起用したコミカルな内容ながら、「スーしませう。」といったキャッチコピー、大正時代をイメージした演出なども含め、レトロCMの代表のひとつとされた【※】
 これを契機に、「レトロ」という言葉が徐々に「懐古」を押しのけて日本に広まっていったわけだ。

※田島祥子「レトロ旋風は果たして一過性の現象なのか?」(『商業界』1984年8月号)など

ビデオゲームで「懐古」をブームにした『アルカノイド』

 一方1984年といえば、日本のビデオゲームは、家庭用ゲーム機ではファミコンやセガのSG-1000などが登場してまだ1年ほど。アーケードやパソコンのゲームにしても、日進月歩の進化を続けていた時期で、「懐古」とはかなりの距離があった【※】

※このころの家庭用ゲーム機ソフトのラインナップには、稼働開始から数年経ったアーケードゲームの移植も多く含まれるが、家庭でアーケードゲームの移植を遊べるという体験自体に新鮮さがあった時期であり、懐古を売りにしていたわけではない。

 それが大きく変わったのは、1986年夏に登場したタイトーのアーケードゲーム『アルカノイド』のヒットによってだろう。

 アタリの『ブレイクアウト』を元に、日本では1977年ごろから喫茶店などにテーブル筐体が広まって話題を呼んだ、いわゆる「ブロックくずし」のリメイクだ。当時を知る社会人のみならず、若年層までをも巻き込む人気ぶりにより、アーケードゲームを中心に「リメイクブーム」がわき上がった。

 実はタイトーは、1984年ごろ、イタリアのミッドコイン社によるブロックくずしのリメイク『ウォールクラッシュ』を日本で稼働させている。
 しかしこれは、当時の目からも極めて貧弱なグラフィックやサウンドであり、『ログイン』『マイコンBASICマガジン』など、ビデオゲーム好きの青少年が当時情報源にしていた雑誌で華々しく取り上げられるようなことはなかった【※】

※業界紙『ゲームマシン』での新製品紹介記事の掲載も確認できていないので、試験的な稼働にとどまった可能性もある。

 逆に言えば、新作にふさわしい洗練されたグラフィックとサウンドを備えるという基本をしっかり踏まえたのが、『アルカノイド』が『ウォールクラッシュ』と根本的に異なる点だ。
 さらに、「狙ったところに球を当てられない」というもどかしさを緩和したり、爽快感を倍加させたりする“かゆい所に手が届く”パワーアップ要素と、徐々にではあるが容赦なく球のスピードが上がるスリルも付け加えられている。これらを、「初心者にもとっつきやすく、簡単そうに見えてなかなか難しい」という『ブレイクアウト』の長所を壊さずにまとめ上げたのが、『アルカノイド』だったというわけだ。

『アルカノイド』ヒットの時代背景

 ただし『アルカノイド』のヒットの要因を考える際には、このほかに、時代的な背景も無視できない。ここで参考になるのが、少々のちの話ではあるが、『現代用語の基礎知識』1989年版で「レトロ・ブーム」の項目を解説した、心理学者の岸田秀氏による以下の文章だ。

「(略)もし、とくに今レトロがブームになっているとすれば、それは、進歩史観が崩れて未来に理想を抱くことができなくなっており、また、わが国がかつて憧れていた欧米諸国にいろいろな点で追いつき、ある点では追い越したため、外国を理想化してめざすこともはやらなくなり、過去にしか目を向けるところがなくなったからであろう。」

 この説明は、もちろんビデオゲームについて書かれたものではないが、『アルカノイド』が登場するまでの1986年前半のゲームセンターの状況と照らし合わせると、符合する点がある。

 前年の1985年2月には、風営法(現在の風適法)が改正施行。ゲームセンターが新たにその規制対象に入って営業が許可制となり、さらに午前0時以降の深夜営業が原則禁止されるという大変動が業界を揺るがしていた。
 そんな中、ゲームセンターの客層を大きく広げイメージ刷新を後押ししたのが、同年後半に登場したセガの『ハングオン』『スペースハリアー』の大型筐体ゲーム2作だった。

(画像はハングオン | 株式会社セガ・インタラクティブより)
(画像はスペースハリアー | 株式会社セガ・インタラクティブより)

 のちに「体感ゲーム」と呼ばれるようになる、このセガの大型筐体は、1986年にも引き続き大ヒットを記録している。その一方、テーブル型など標準的な筐体向けのゲームでは、SNKの『怒』やテクノスジャパンの『熱血硬派くにおくん』といった、それまでよりも直接的な暴力性を表現した作品が人気を集めたものの、業界を強力にリードするようなヒット作には乏しかった【※1】
 しかも、日本にはない技術やセンスを見せつけてきたアメリカ製のアーケードゲームも、このころには、アタリの『ガントレット』【※2】がいくつかのフォロワーを生んだとはいえ、以前よりも存在感が薄くなっていた。

※1 後述の『ゲーメスト』誌では、1987年1月号に1986年のアーケードゲームのベスト作品を選ぶ「GAMEST OF THE YEAR」が掲載されている。翌年以降の「ゲーメスト大賞」と異なり、このときは編集部員(ライター)の合議のみによる選出だったが、最高賞にあたる金賞は該当作なしで、次点の銀賞が『アルカノイド』など4作品となっている。

※2 日本向けにはナムコが1986年初頭に発売した、最大4人同時プレイが可能なRPG風アクションゲーム。上下左右にスクロールする見下ろし型の画面のダンジョンを、多数のモンスターをなぎ倒しつつ進み出口を目指す。
 プレイヤーが操るキャラクターは攻撃力や足の速さ、魔法の威力などに個性がつけられており、多人数プレイではこれを踏まえた協力が重要になる。ゲーム中に新しいプレイヤーが参加できる仕組みも目新しかった。日本ではメガドライブに移植されたほか、アーケードではセガの『カルテット』やデータイーストの『ブレイウッド』、家庭用ゲーム機ではハドソンの『ダンジョンエクスプローラー』などに影響を及ぼしている。

 いくら大型筐体が人気でも、それだけでこのころのゲームセンターが成り立つわけではなかった。海外製のゲームも目標とはしづらくなる一方、パソコンで話題のRPGが、ファミコンでも新ジャンルとして注目を集め始めていた。
 では大型以外のアーケードのビデオゲームはどうなっていくのか? その方向性がプレイヤーたちを含む業界全体として見えにくくなっていたのが、この1986年前半の時期だったと言える。だからこそ、その打開策を10年近く前のゲームに求めつつも、しっかりと作り上げられた『アルカノイド』が業界を席巻したわけだ。

過去を振り返り始めたビデオゲーム雑誌

 ところで1986年の春には、アーケードゲームのマニアを主なターゲットにした雑誌『ゲーメスト』が隔月刊で創刊し、歴史に残る名作ビデオゲームを振り返るコーナーが連載された。またアーケードゲームの情報も人気を集めていたパソコン雑誌『マイコンBASICマガジン』では同年夏、見城こうじ氏による「VIDEO GAME GRAFFITI」が始まっている。
 これは、多くの店から撤去されてなかなか見かけなくなったアーケードゲームの“生き残り”情報を読者から募集し、その紹介を中心に構成するコーナーだった。これらの動きも、この1986年前半のゲームセンターの状況と呼応していたと考えていいだろう【※】

※なお、これらの動きの呼び水になった可能性があるものとして、『BASICマガジン』の別冊として1985年秋に発行された『オールアバウトナムコ』が挙げられる。400ページ以上にわたり、ナムコの歴代ビデオゲームの紹介や攻略、音楽や効果音の楽譜、いわゆるドット絵の図解などを掲載し、マニアの必携書となった。

 ただ、このふたつの連載の開始当初は、「レトロ」や「レトロゲーム」という表現は使われていなかった。代わりによく使われていたのは「オールドゲーム」で、実際『ゲーメスト』の連載は2回目以降「OLDゲーム」という題名になっている。
 これは、ゲームセンターで新作ゲームがしばしば「ニューゲーム」と呼ばれたことの裏返しとして出てきた表現だと考えられる。

 では、「レトロゲーム」という言葉が直接使われたのはいつごろのことなのか? 筆者が確認した中で早い例として挙げられるのが、パソコンゲーム誌『ログイン』の1987年6月号だ。
 アーケードゲームの話題を扱う「おめでたビデオゲーム倶楽部」に「レトロゲームの傾向と対策」との見出しが掲げられており、以下のように述べられている。

「去年ビデオゲーム界に彗星のように出現した超ヒットゲーム『アルカノイド』は、往年の名機『ブレイクアウト』(ブロック崩し)のリメイクだった。そして現在(いま)ゲーム界は昔人気のあったTVゲームを、最新の技術を結集した高性能ハードウエアでリメイクして再現するレトロ趣味が流行になっている。」

『ログイン』1987年6月号より

 さらにこの号では、MSXの話題を扱う「MSX通信」が別冊化した「MSX tsushin SPECIAL ISSUE 2」が付録になっているが、この中には、1983年末のMSX登場から1年前後の間に発売されたゲームソフトを取り上げた、「RETRO-MSX」と題するコーナーが設けられている。
 これはのちに姉妹誌にあたる『MSXマガジン』でもたびたび掲載されており、なかなかの人気を集めたものと考えられる。

『ログイン』1987年6月号付録「MSX tsushin SPECIAL ISSUE 2」より

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