(この記事は小説のように書かれていますが、SEGAよりリリースされたスマホゲーム「シン・クロニクル」のプレイ日記です)
※この記事は『シン・クロニクル』の魅力をもっと知ってもらいたいセガさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
水墨画で描いたかのような灰色の雲が重苦しく空を覆い、辺りの湿気が徐々に増してきて、すぐにでも激しい雨がやって来そうな気配が漂っていた。
古びた木製のベンチが2つ、アスファルトの上に並べられている。その置き方は無造作だ。軒から突き出した骨組みに黄土色のシートが被せられ、ベンチを覆うように広がっていた。その簡易的な屋根がなんとも心許なく思えた。
「雨かな、雪かな」
向かい側のベンチに座る中年男性は独り言のようなトーンで呟いている。二人っきりの場面で突如として独り言を喋られるとまあまあ怖い。それでも気にしない素振りでスマホの画面を凝視した。
「雨かな、雪かな?」
男はさらに独り言を続ける。今度は語尾を上げて呟いていた。おそらく「この空模様は何かが降るのだろう、雨かな、もしかしたら雪かな」ということが言いたいのだろう。本格的な冬のピークは越えたものの、まだまだ朝晩が冷え込む季節だ。けれども、さすがに雪はないだろうと聞き流し、スマホの画面を眺めていた。
「ねえ、聞いている? 雨かな、雪かな?」
男は上半身を少しこちらに突き出して再度、質問を投げつけてきた。どうやら独り言ではなく話しかけていたらしい。視線をスマホから離し、男のほうに移す。あまりに馴れ馴れしいトーンに遠い知り合いかとも考えたが、妙にニコニコとした顔は知らないものだった。たまにいる妙に馴れ馴れしい人だろう。
男の服装は上下グレーのスウェット、ボサボサ頭、マスクからはみ出した下顎には無精ヒゲが見える。無視することも考えたが、そのいでたちからして明らかに近所に住む男だと思った。同じく近所に住む自分としても、ここで冷たい態度を取るのは得策ではない。いつご近所さんとして関わりができるのか分からないからだ。
「さすがに雪じゃないと思いますよ。雨じゃないですかね」
「そっかあ、雨かあ、なあんだ。つまんないな」
男は心底がっかりした表情を見せた。
これで会話は終わったと、また視線をスマホに戻す。灰色の雲からゴロゴロと音が聞こえ、遠くから聞こえる踏切の音と重なってリズムを作っているように聴こえた。
「何を頼んだの?」
また男が身を乗り出して話しかけてきた。あまりに馴れ馴れしすぎる。どうやら男は驚くほどに暇らしい。明らかに持て余す時間を潰そうとしているに違いない。
「えっとまあ、唐揚げ弁当ですけど」
僕の返答に男は満面の笑みからさらに満面となった笑顔を見せた。
「やっぱそうだよね、この店の唐揚げは別格だからね」
男の言う通りだった。この店の唐揚げは絶品だ。街はずれ、駅からも遠い場所でひっそりと営業する小さな弁当屋で、店舗は今にも崩れそうなほどにボロボロだ。それでも、とにかく美味い弁当を激安価格で出す店と評判で、昼時ともなると地域の人でごった返す人気店だ。なかでも唐揚げが絶品で、来店する客のほとんどが唐揚げ弁当を目当てにしていると言っても良いくらいだ。
「でも、まだまだ時間かかりそうだよねえ」
「これから揚げるって言っていましたよ。たぶんけっこうかかりますよ」
「それでも待つしかないんだよなあ」
男はうっとりとした表情を見せてそう言った。
小さな店は何組かの客が来るとすぐにいっぱいになってしまう。そういったときは店舗の横にある駐車スペースに簡易的に設けられた待機所で待つことになる。このご時世、あまり店内で密になっては困ると急いで設置された待機所だ。木製のベンチに簡易的な屋根、赤色のビールケースも椅子代わりに置かれていた。ただし、あまりに簡易的なのでここに座る人は少なく、ほとんどの人が店の前で待機していた。
「さっきからすごく熱心にスマホを見ているけど、ゲーム?」
相変わらず男は馴れ馴れしく話しかけてくる。おそらくではあるけど、男はスマホを家に忘れたのではないだろうか。それとも近所に弁当を買いに行くだけだからと置いてきたのかもしれない。それによって待ち時間を潰す手段を失ってしまい、こうして話しかけているのではないだろうか。
「あ、はい、スマホゲームです」
「へえ、好きなんだ、スマホゲーム」
男は矢継ぎ早に言葉を繋げた。
「いえ、そこまで好きってわけではないんですけど、リリースされたばかりの新しいゲームをプレイしてプレイ日記を書いて欲しいって言われているんですよ。こう見えてもネットでちょこちょこ文章を書いたりしているんで」
即座に否定する。自分で言っておいて初めて意識したが、そういえば、そこまで熱中してスマホゲームに興じた経験がない。
「へえー」
男は乗り出した身をさらに乗り出して近づいてきた。興味津々らしい。
「いやね、俺はスマホゲームむちゃくちゃ好きなんよ。今日は弁当を買うだけだからってスマホを置いてきちゃってさ、本当に失敗したよ。待ち時間にスマホゲームがないと暇でしょうがないよ」
予想した通りだった。明らかに暇つぶし目的で話しかけている。男はいい具合に暇が潰せたぞと思っているのだろう、畳みかけるように質問を投げつけてきた。
「なんてゲームなの?」
スマホの画面を見せながら答える。
「シン・クロニクルというゲームです」
「やったことないなあ」
まぁそうだろう。このゲームは3月23日に正式リリースとなったばかりのゲームだ。
『シン・クロニクル』は、2,500万ダウンロードを突破したスマートフォンRPG『チェインクロニクル』シリーズの後継作です。ロールプレイングゲーム本来の楽しさや、自分が冒険をしている、という感覚や体験はそのままに、まったく新しい世界や物語、ゲームシステムを楽しめます。
本作のコンセプトは「運命は自ら決める。選ぶチャンスは一度きり」。
各章のクライマックスで運命を決める究極の二択を迫られ、その決断がその後の壮大なストーリーに影響していきます。ともに歩んだ仲間たちから誰が生き残り、誰が死ぬのか。
プレイヤーの選択で、自分だけの物語が紡がれていきます。
「絵が奇麗だね。どう、面白い? 面白いなら俺もやってみるよ」
男はニヤリと笑った。
「面白いと思いますよ。思った以上にストーリーがしっかりしていて引き込まれます」
長いことスマホRPGってやつをやっていなかったので、僕の中でのスマホRPGに関する認識はかなり古いままになっていた。
「スマホRPGってストーリーもそこまで強くなくて、ただガチャで強いキャラ引いて、先に進んでいきミッションを達成するみたいなイメージがあったんですけど、これはけっこうしっかりしたストーリーがあるんですね。正直に言うとかなり引き込まれます」
僕の説明に男はうんうんと頷いている。よほど気になるのか、かなりの勢いで言葉をかぶせてきた。
「どんな話か教えてよ。さわりだけでもいいからさ」
店の方を一瞥する。弁当の出来上がりが気がかりだけれども、こうして男に布教するのもいいのかもしれない。
「いいですよ」
もう一度、店の方を確認し、男に向き直ってゆっくりとストーリーを話し出した。
「そこは滅びが約束された世界なんです……」
滅びが約束された世界に“奈落”と呼ばれる大きな穴が存在していた。
その奈落からは無限に「黒の軍勢」と呼ばれる魔物が這い出してきて、地上の人間を脅かし続けていた。
人類は奈落を囲むようにして巨大な壁を築き、これを防いだ。この大障壁を守る騎士たちは境界騎士と呼ばれていた。
奈落の底から瘴気が立ち上がり、無数の黒の軍勢が押し寄せる大侵攻“蝕”。幾度となく繰り返されてきた蝕。物語はその蝕から始まる。新米の境界騎士であった主人公も防衛にあたり壁上で激戦を行う。
「なかなかいいじゃん」
男は右手の人差し指をピンと立てながらそう言った。
「でまあ、その蝕での激戦でいろいろありましてね、主人公は仲間を失ったり出逢ったりして、境界騎士団の探査騎士隊長として奈落の底、深淵を目指すことになるんです」
「へえ」
「ただ、この奈落がですね、めちゃくちゃ深くて13の界層に分かれているんです。この奈落を目指すってのが本当に大変そうで長い冒険を予感させるんですね」
「なるほどね。どんどん追加コンテンツで界層を追加したり、脇の穴を見つけたりとかしていけばいくらでもコンテンツを延命していけるな」
男はスマホゲームのシステム面にまで言及しだしてきた。やはりよほどスマホゲームが好きなのだろう。精通している。そして腕組みをしながら感想を述べる。
「しかしまあ、奈落を目指すってなんか変わっているな。普通さ、奈落って目指さないだろ。不幸だとかどん底だとか、そういった状態を奈落の底って表現するけど、そこは目指さない。奈落って、気づいたらその状態にいるもんだ」
男はそう言って、飄々とした表情から一瞬だけ重く、深刻な表情を見せた。
「確かにそうですね。奈落、目指さないですね。でも……」
男の指摘に、あるエピソードを思い出した。かつて奈落を目指した男の話だ。
「いますよ、奈落を目指したやつ」
空を覆っていた灰色の雲がゆっくりと蠢いたように感じた。
※この記事は『シン・クロニクル』の魅力をもっと伝えたいセガさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
序章 奈落近辺
高校生だった頃、“奈落”を目指す男がいた。
当時、わが高校では特定の科目において習熟度別のクラス編成を実施していた。単純に言ってしまうと、その科目が得意で優秀な人だけでクラスを編成して高度な授業を行い、どちらかといえばその科目が苦手で点数が取れない人でクラスを編成して基礎的な授業を行うというものだった。このクラス編成は定期テストの度にやり直され、結果によってクラスが上がったり下がったりすることになっていた。
もっとも優秀な最上級のクラスは「天上」と呼ばれ、そこに在籍することが一種のステータスであり憧れの対象でもあり、逆に、もっとも下のクラスは「奈落」と呼ばれ、蔑まれる対象でもあった。
「決めた、おれ、奈落を目指すよ!」
友人の山岡はそう言った。この世のあらゆる奈落とは一番下の不幸な状態を表現したものだ。目指すものではない。もがきもがいてどうしようもなくなった末に落下していく場所だ。そんな「奈落を目指す」という新概念の登場に驚きを隠せなかった。
山岡には好きな女の子がいた。その女の子とは同じ学年だけどクラスが違い、全く接点がない状態であることに悩んでいた。そこで習熟度別のクラス編成である。ここで彼女と同じクラスになれば、その科目の授業時間だけとはいえ、彼女と同じ教室で授業を受けられる。もしかしたらそのうち接点もでき、仲良くなることだってできるかもしれない。そんな狙いがあった。
山岡の狙いとしてはこうだ。彼女は真面目な感じだけれどもそこまで優秀というわけでもなさそう、つまり天上クラスまではいかない、中間層のクラスになるだろうと予想していた。それだとだいたい山岡の実力と同じくらいだ。下手したら何の苦労もなく同じクラスになれるぞとほくそ笑んでいた。
最初のテストが終わりクラス編成が発表された。蓋を開けてみると、やはり山岡は通常クラスだった。通常クラスの中でも上中下と3つのランクがあるのだけど、中の中、どまんなかもいいところの平均的クラスだった。山岡の狙い通りだ。けれども、彼女は違った。
どうやら奈落クラスだったようだ。あまり勉強が得意ではないようだ。
ちなみに僕も山岡と同じく中の中クラスだった。とにかく、山岡の狙いは脆くも崩れ去り、彼女と同じクラスになることは叶わなかったのだ。
「彼女のために奈落クラスを目指す、それが恋ってものだろ」
山岡はそれでも諦めず、そう宣言した。バカなやつだと思った。それでも山岡の眼はまっすぐ、なんらかの輝かしい未来を見据えているように思えた。こうして奈落を目指す男が誕生したのである。
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一層、雨雲が濃くなったように感じた。今にも雨が降り出しそうで、店の方はやや慌ただしい。今にも弁当ができたと呼ばれそうな雰囲気だった。
「とまあ、こんな感じで同級生の山岡が奈落を目指していたんです。いるんですよ、いや、いたんですよ、奈落を目指す男は」
僕がそう説明すると、男は納得した表情を見せた。
「なるほどねえ」
男は小さく頷いて言葉を続けた。
「ところでさ、このシン・クロニクルってゲームの『クロニクル』ってなに?」
男は根本的なところから質問してきた。ゲーム自体にかなり興味を持ってくれているようだ。
クロニクルとは年代記という意味だ。出来事や事件を年ごとに記した歴史書のことで、早い話、過去の色々なことが記されている書物だと思えばいい。
このゲームにおいても「クロニクル」と呼ばれる不思議な書物が登場する。物語の冒頭で主人公が奈落に落ちてしまった際に手に入れた書物だ。
このクロニクルは不思議な力を持っており、持ち主の死の未来を幻視という形で見せることができる。主人公は奈落にて黒の軍勢に襲われ、仲間が死んでしまう地獄の光景を幻視する。そう遠くない未来に訪れるであろう不幸な死だ。
死の未来へと続くキーワードがクロニクルに記載される。ここでは「未熟な騎士隊」という単語が死へと続く言葉となる。これをそのままにしてその時を迎えると幻視どおりの死の未来を迎えることになるわけだ。
敵と戦いながら奈落を進んでいくと、その選択肢やバトルの結果によって仲間との絆が深まっていく。その深まった絆が死の運命を書き換える。
死の言葉だった「未熟な騎士隊」という言葉が
バシューン!
ドワ───ン!
「騎士の教え」という言葉に書き換わる。このように、このゲームでは冒険を通じてクロニクルに記された死の言葉を書き換えていき、死の未来を回避しつつ、奈落の深淵を目指す必要がある。
「なるほどねえ、クロニクルがそういう形で関わってくるのね。よくできてるねえ」
男はうんうんと頷いた。
僕は僕で、そろそろ弁当ができるんじゃないかと気になりだし、男にも気づいてもらえるよう、大げさに店の方を覗う仕草を見せた。正直に言うと、この会話を早く切り上げたかったのだ。
「それで、山岡君の続きはどうなったの? 奈落を目指した山岡君」
僕の気持ちを見透かしたかのように、男は話の続きを要求してきた。ここまで直球で言われたら諦めるしかない。まだ弁当もできそうにないのだから、もうしばらく話を続けることにした。
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「彼女のために奈落クラスを目指す、それが恋ってものだろ」
そう言い放った山岡のことをバカな奴だと思ったし、少しだけ軽蔑した。
学校の成績という小さなことかもしれないけど、それは自分の進路、はては人生を変えてしまうことになる。好きな女の子と同じクラスに頑張って成績を上げるなら分かる。向上心だ。けれども好きな女の子のために成績を落とす、これはダメだと思ったのだ。
「そっか、奈落クラスを目指すか」
しかし、そういうことはやめろ、などと強く言うこともできず、ただお茶を濁すことしかできなかった。
ここで少し考えてみよう。単純に奈落クラスに落ちると言ってもそう簡単なことではないのだ。テストを白紙で出したりとか、故意に0点を取ったりすれば可能だろうけど、それはかなり難しい。山岡の父親が死ぬほど怖い人なのだ。僕らの仲間内で「鬼と天狗を殺したことがある人」と冗談めかして噂されるくらい、外見も内面も怖い人だった。手を抜いてわざと0点など取ろうものなら、烈火のごとく怒られるだろう。殺されてもおかしくない。まさしく“わざと0点”は死の未来を迎える死の単語というわけだ。
ボワン
ボワンボワンボワン
別に奈落クラスに落ちたからと怒られるわけではない。努力したし頑張った、全力を出した。それでも力及ばず、奈落クラスに落ちた、という事実が必要なのである。
「でもそれってずいぶんと難しくない?」
山岡の狙いは難易度が高いことが予想された。
この習熟度別のクラス編成は、定期テストの度にクラス変更が起こるものの、それは極端に起こらないように設計されていた。上のクラスになればなれるほど大きな基礎点ボーナスみたいなものが付与されるのだ。
これはよくよく考えれば当たり前の制度で、例えば天上クラスではかなり高度な内容を行っているので定期テストの内容も高度となり、難易度も上がる。逆に奈落クラスでは基礎的な内容になるのでテストの難易度も下がる。異なる難易度のテストなのにそれで優劣をつけてクラス編成を行ってはなにがなにやら分からない。結果として、上のクラスには大幅な基礎点が与えられるのだ。
この基礎点は天上クラスにおいてはかなりのものになり、僕らが所属する中の中クラスでもいくらかはあった。それを振り切り、さらに中の下クラスを飛び越して奈落クラスに落ちることはかなり難しい。
「0点だとか極端なことは死の予感がするからできない。全力を出してそれでも力及ばず奈落クラスに落ちる、これは難しいんじゃないか。基礎点がある以上、よほどのことが起きない限り落ちないと思う」
僕の指摘に山岡はニヤリと笑った。
「俺には秘策がある」
どんな秘策があるのか、いくら問い詰めても定期テストの当時まで秘密だと教えてくれなかった。
「秘策……」
それはなんだかとっても嫌な予感がするものだった。
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灰色の空がいっそう重みを増しているように感じた。まだ弁当は出来上がっていないようだ。呼ばれる気配がない。
男は興味深げに聞き入っていた。
「続きが気になるな……山岡の秘策、そして奈落クラスに行けたのか」
駐車場側に面した店舗の小窓がガラッと勢い良く開いた。待合所で待つ客を呼ぶための窓らしい。
「72番の方!」
「やべ、俺だ」
男は即座に反応し、手元の札を確認して呟く。どうやら弁当が出来上がったらしい。
「ちょっと待っててな! すぐ戻ってくるからな」
念を押すようにそう言うと、小走りで店へと向かっていった。
しばらくして、弁当の袋を携えてまたもや小走りに駆け寄ってきた。少しだけ息を弾ませて向かい側のベンチに座った。
「さあ、話してくれ。山岡の秘策がどうなったのか」
男にとっては、もう弁当の出来上がりを待つ必要もないし、暇を潰す必要もない。とっとと弁当を持って帰って食べれば済む話だ。それなのに男は話を聞きたいという。
「それでですね、ついに最初の定期テストを迎えたわけなんです」
僕は男の行動がなんだか面白くて、笑みを浮かべながら続きを話し始めた。
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定期テストにおいても、その科目だけは習熟度別に分けられたクラスで行われていた。つまり、その時間だけ教室移動が生じていた。僕らの所属する中の中クラスに移動しながら山岡と話をする。
「そろそろ秘策ってやつを教えてよ」
全力を出しながら、それでいて力が及ばずに奈落クラスへと落ちる秘策。大幅に履かせられる下駄をぶち破って圧倒的に奈落に落ちる秘策だ。
僕の問いかけに対し、山岡は黙って正面を見据え、ポツリと言った。
「……混乱」
「はあ?」
山岡の言葉は廊下に溢れていた他の生徒の喧騒にまぎれよく聞こえなかった。
「混乱」
それを察したのか、今度ははっきりした口調で言い放った。うん、はっきり言われても聞き取れても意味が分からない。なにいっているんだ、こいつ。
全く伝わっていないことを悟ったのか、山岡は詳細に説明を始めた。
「混乱するしかないと思うんだよ。テスト直前にイレギュラーなことが起こって混乱する。そんな異常な心理状態でテストを受ければ実力を発揮できない。親父にだって、こういうことが起こって混乱したんだって言い訳できる」
ちょっとよくわからない理論だ。それでも山岡はしきりに混乱が必要だという。もうこの状態がちょっとした混乱だった。
「それでその混乱するような何かはあるのかい。異常な心理状態になるイレギュラーなことが起こるのかい?」
「…………」
僕の言葉に山岡は押し黙ってしまった。
いよいよ教室に着いたとき、それまで僕の少し前を歩いていた山岡が急に立ち止まりこちらを振り返った。
「おまえ告白してくれ」
ぜんぜん意味が分からなかった。もう彼女と同じクラスになるのは諦めて告白しようというのか。それも勇気が出ないから代わりに告白してきてくれということだろうか。
「誰にだよ」
少し笑いながら軽いトーンで返す。
「俺に」
「は?」
意味が分からなかった。
山岡いわく、混乱しながらテストを受けるには絶対に起こらないような何かが起こらなければならないらしい。自分の中で絶対に起こらないこと、それは僕からの告白だったらしい。たしかに絶対に起こらないことだけど、どういう飛躍の仕方をしたらそういう思考になるんだ。なに喰って育ったらこんな思考に行き着くんだ。
「何で俺が、嫌だよ」
考える間もなく即座に拒否した。何が悲しくて山岡に愛の告白をしなければならないのか。
「頼むよ、もうそれしかないんだ。混乱と混沌を俺に与えてくれ!」
山岡の懇願もよくわからない感じになってきた。
「とにかく一生のお願いだから! 俺を助けると思って!」
こんなものに一生のお願いを使うのかと思いつつ、そこまで言うのならと渋々ながら承諾することにした。
「お、お前のこと……す、好きだよ……」
なんで俺は大切なテスト前に山岡に告白をしているんだ。
「ありがとな、めっちゃうれしいわ。でもお前とは付き合えない。やっぱ友達としか見られないわ」
友達としか見られない、それは僕もそうなのだけど、こうして心のない告白をさせられて、おまけにしっかりと断られるとこれまでに味わったことないような屈辱的な気分が高まってくる。
「ありがとな、めっちゃ混乱したわ」
当の山岡はめちゃくちゃ満面の笑みでそう言い残し、自分の席へと移動していった。
「山岡に告白させられて……断られた……?」
よくわからない感情と屈辱的な感情、圧倒的に混乱しながらテストを受けていたのは僕だった。
テストが終了すると、山岡はかなりの成果をあげられたと言わんばかりの笑顔で近づいてきて、戦果を報告した。
「けっこう混乱して受けられたわ、いけたと思う。混乱して落ち着いてテストを受けられなかった理由も話せば親父だってわかってくれると思う」
こいつは僕に告白されたと父親に説明するつもりなのだろうか、というのは置いといて、山岡は満足そうだった。僕は変わらずよくわからない屈辱感を胸に抱えていた。
「ぜんぜんできなかった~」
山岡の好きなあの子が、友達と話しながら廊下を歩いていた。その横顔を見つめる山岡はどこか真剣で、決意めいた表情をしていた。奈落へと到達する、バカみたいなことだけどここまでやりきる山岡はまあまあすごいやつなのかも、そう思った。
しばらくして、クラス編成が発表される日になった。テスト返却と同時に、次に行くクラスが書かれた紙が渡されることになっていた。
テスト返却が終わると、すぐに山岡が駆け寄ってきた。
「テストの点は49点、混乱して受けた成果が出てるわ。怖くてまだクラス編成の紙を見てないのだけど、これなら奈落に行けると思う」
山岡の右手には小さく折りたたまれたプリントがあった。クラス編成が書かれたプリントだ。
「一緒に見てくれ」
ドキドキしながら紙をめくる山岡。その表情には期待と不安が入り混じっているように見えた。
「ままよ!」
山岡の祈りが小さくこだました。
「中の中」
そこには中の中クラスの名前が刻まれていた。現状維持だ。やはり基礎点の壁は厚い。山岡の願いは叶えられなかったのだ。
「まあ、今回は仕方ないけど、次回に頑張ればいい」
落胆する山岡を励ますように言葉を紡ぐ。誤解なきように念を押しておくが、山岡は頑張ってクラスを上げるのではなく、頑張ってクラスを下げることを目指している。
「どれだけ混乱して受けてもなかなかクラスが落ちないんだな」
さらに励ましの言葉を続ける。
「やはり基礎点が強いんだな。よほどのことがないと中の下に落ちるのも難しい。その先の奈落はもっと難しいぞ」
本当になかなか落ちない。逆に言えば上がることも難しいということだろう。そうそうクラスが変わることはなさそうだ。そう実感しながら軽い気持ちで自分のクラスが書かれた紙をめくる。そこで衝撃的な事実が待っていた。
「奈落」
一番下である奈落のクラス名が眩い光を放ちながら威風堂々と鎮座しておられた。
「なんか代わりに俺が奈落に落ちたんだけど」
よほどのことがないと中の下に落ちるのも難しい。その先の奈落はもっと難しいぞ、2秒前に自分が口にしたセリフが頭の中をリフレインする。
「いや、ほら屈辱感とか色々な感情が入り混じって混乱してテストを受けたから」
そう言い訳する僕の頭の中を「どれだけ混乱して受けてもなかなかクラスが落ちないんだな」と4秒前に自分が放ったセリフがリフレインした。ちなみに僕の点数は28点だった。そりゃ落ちるわ。
「やったー!」
僕の動揺をよそに、山岡は大喜びした。僕が奈落になったことで山岡が落ちる必要がなくなったからだ。僕が彼女と仲良くなり、それから山岡との仲を取り持てばいいじゃないかという思考のようだ。
「いくら混乱したからっていっても落ちたら親父に殺される可能性があった。だから落ちる必要がなくなって本当によかった!」
神様に祈るポーズを見せて大喜びする山岡。こうして山岡の死の未来は回避されたのだった。
ヂュワンヂュワンヂュワン
バシーン
死の未来は回避されました。
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「まさかそっちが奈落に行くことになるとはねえ」
男はいつの間にか弁当を開けていて、真剣に話を聞きながら唐揚げを食べ始めていた。この店の唐揚げ特有のニンニクのにおいが周囲に広がり、僕の胃袋を刺激する。
店の方を見ると、あれだけ混みあっていた店内も落ち着いてきたようで店の前で待つ客も少なくなっていた。並んでいる人たちの顔ぶれが僕より後に来た人ばかりになっているのでそろそろ僕の弁当が出来上がるのだろう。もうすぐ呼ばれるに違いない。
僕が立ち上がろうとすると男は割り箸をもったままの右手でそれを制した。
「まだ続きがあるんだろ、奈落に落ちてからの話」
どうやらその先の話を聞かせろということらしい。
「いやー、僕の弁当、そろそろ出来そうなので」
ただ弁当を買いに来ただけでこんなに話をすることになるとは思わなかった。なにより、とんでもないレベルでお腹がすいている。
「ここで食べていけばいいじゃん。食べながら続きを話せば」
男はしつこく追いすがる。残念ながら食べることと続きを話すことは両立しない。食べながら喋ることが難しいからだ。
それでも男は諦めない。食べていきなよ、続きを話していきなよと、あの日、告白してくれと懇願した山岡みたいな状態になっていた。
「この奈落の話はもともと僕がプレイしているシン・クロニクルから始まりましたよね。実はこのゲーム、界層ごとに話が終わるんですよ。それで次の界層のストーリーの予告が流れるんです。これがけっこうテンション上がって早く続きをやりたいってなるんです」
次回、第1界層 辺獄の森。
なんか新しいキャラが出てきて色々なことが起こりそうな予告でドキドキする。めちゃくちゃいい演出だなこれ。
「これに沿って僕の話も次回予告をすると“奈落へと落ちた僕、そこで待ち受ける濃厚なキャラたち、そして山岡が恋する彼女との急接近、誤解、嫉妬、死の予感、様々な思惑が交錯する中で僕がとった決断とは”って感じです。続きは第1界層ってことでまたここで出会えたらでどうでしょうか」
「ひっぱるねえ」
男のセリフと同時に、店から呼び出しがかかった。
「89番の方―」
僕の番号だ。
「僕の弁当できたみたいなんで、これで。またここで会いましょう」
そう言って店へと向かう。男はひときわ大きな塊となっていた唐揚げを頬張りながら小さく手を振った。
序章 奈落周辺 おわり
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