8月23日から25日の3日間にわたり「CEDEC 2023」が開催された。本稿では、基調講演の「シブサワ・コウのゲーム開発」についてレポートしていく。
本セッションには株式会社コーエーテクモホールディングスにてゼネラルプロデューサーを努めるシブサワ・コウ氏が登壇。同氏が最初に手がけた『シミュレーションウォーゲーム 川中島の合戦』(以下、『川中島の合戦』)は2021年に40周年を迎えているため、40年以上にわたる開発の歩みを振り返る内容となっている。
同社の強みは多方面でのIP展開だ。『ゼルダ無双 厄災の黙示録』や『ファイアーエムブレム 風花雪月』といったコラボレーションや共同開発をはじめ、飲食やアパレルなどとのタイアップなど、多方面にIPを展開していくことでひとつのタイトルに依存することなく安定した利益を得ることができているとのこと。
その好調ぶりは社員の初任給にも表れているようで、2023年から新卒の初任給が30万5000円となり業界トップクラスの待遇になっている。
しかし現在のように会社が成長するまで、ひと筋縄ではいかなかったようだ。
本セッションは、家業の染料工業薬品の卸問屋の立て直しに奔走するシブサワ氏を全面的に支えた妻・恵子氏が貯めていた “へそくり” のエピソードから語られることになる。
文/柳本マリエ
妻・恵子氏の “へそくり” で高額な「マイコン」を手に入れる
まず最初に語られたのは、シブサワ氏の経歴について。
本名は襟川陽一氏。「シブサワ・コウ」はプロデューサーとしての名義となる。
慶應義塾大学商学部を卒業後、商社に就職。しかし時代の流れにより父親が経営していた染料工業薬品の卸問屋が廃業してしまう。そのときシブサワ氏は「自分だったらもっとうまく経営できる」と感じたとのこと。そうして自らの貯金と親戚から借りた資金で「光栄」という会社を設立し、家業の立て直しを図る。
しかし、経営についての自信が過信だったということに気がつくまでに時間はかからなかったそうだ。経営は赤字が続き、軌道に乗ることはなかった。そこで松下幸之助氏や稲盛和夫氏など有名な経営者の本を読み漁る日が続く。
ところがあるとき、本を探すためいつものように本屋を訪れたところ、とある雑誌が目についたという。
それは「月刊マイコン」というパソコン雑誌だった。パラパラとページをめくっていくと「パソコン時代の到来」というようなことが書かれており、マイコンを使えば在庫管理や見積作成など社内の業務を効率化できることを知る。
しかし「夢のような箱がある」と思ったのもつかの間。マイコンはとても高価なもので、会社の経営がうまくいかずに本屋に通っていたシブサワ氏に買うことはできなかったそうだ。
もしここでこのままシブサワ氏がマイコンを手に入れることができなかったら『信長の野望』も『三國志』も『仁王』も生まれていなかっただろう。
ほどなくして、妻・恵子氏から誕生日プレゼントにマイコン「MZ-80C」が贈られたそうだ。なんとそのマイコンは恵子氏が貯めていた “へそくり” から購入したとのこと。
これまでシブサワ氏はプログラミングの経験はなかったものの、もともと数学が好きだったということもあり、マイコンを手に入れてからは在庫管理や見積作成など業務に必要なソフトを自ら組むようになる。しかしながら、いちばんの楽しみは仕事が終わったあとの夜中に「趣味でゲームを作ること」だったという。
当時は『スペースインベーダー』や『パックマン』などのアクションゲームが一世を風靡していた。ところがシブサワ氏は、囲碁や将棋といった思考ゲームが好きだったため頭で考えるシミュレーションゲーム『川中島の合戦』を作り、通信販売を行う。すると全国から現金書留が続々と届いたという。
シブサワ氏は需要の多さに驚くと同時に、ゲームを楽しんでくれた購入者からダイレクトにフィードバックをもらえることがなにより楽しかったそうだ。そして、期待に応えるために新しいゲームを作っていく。
ダイレクトな反応にやりがいを感じ、「仕事の醍醐味」というものをこのとき初めて味わったとのこと。この経験が転換点となり、「光栄」は「コーエー」としてゲーム開発専業になったという。
大ヒットゲーム『信長の野望』が誕生したのはそれから約2年後の1983年だった。
つぎの世代に「シブサワ・コウ」ブランドを紡いでいく
つづいて語られたのは、コーエーテクモの基本理念について。
コーエーテクモの精神は「創造と貢献」。
これは、『川中島の合戦』を作ったときの体験によるものだという。
自分が「遊びたい」と思うゲームが市場になかったから作って販売したところ、そこに新しいおもしろさを感じてくれる人がいたというその経験から、「新しいおもしろさを提供すること」が会社の存在意義になっている。それが理念として掲げている「創造と貢献」だ。
また、経営の基本方針は下記のとおりとなっている。
①最高のコンテンツの創発
②成長性と収益性の実現
③社員の福祉の向上
④新分野への挑戦
まずはゲーム会社として「期待に応える最高のコンテンツを生み出すこと」が前提となる。なぜ最高のコンテンツを生み出すかというと、会社を成長させて収益を得るため。なぜ収益が必要かというと、社員に対する福祉を充実させるため。なぜ福祉を充実させるかというと、新分野へ挑戦してもらうため。
上記①から④が繰り返されることで会社は成長を遂げるというわけだ。
冒頭でも触れたとおり、新卒の初任給が30万5000円という業界トップクラスの待遇となっている。
さらに新入社員の育成のため研修も豊富にあるとのこと。そのため、いきなり新人をディレクターやプロデューサーに抜てきすることもないという。
社内開発の仕組みは下記のとおりとなっている。
ゲームファン → 新入社員 → クリエイター → リーダー → ディレクター → プロデューサー → 役員
これは、「現場を経験していないと作業の感覚や予算の感覚がつかめないから」だという。たとえばバグが1000個発生したとき、現場経験がないとどれだけの労力がかかるか予測を立てることが難しい。「想像で考えること」と「自分で作業をした経験から考えること」では雲泥の差が出る。
このように新入社員を育てていくことで、つぎの世代に「シブサワ・コウ」ブランドを引き継いでいた。
コーエーテクモの強みは重層的な収益構造
続いて語られたのは、コーエーテクモのIP展開について。
多方面にIPを展開することによりひとつのタイトルに依存することなく安定した利益を得ることができているとのこと。大きく5つの展開に分かれている。
・プラットフォーム展開
・ジャンル展開
・コラボレーション展開
・ライセンス展開
・タイアップ展開
利益についてはコロナで一時的に落ちたものの、重層的な収益構造となっているため営業利益はすでに回復しているとのこと。利益が上がることで社内の設備投資や福祉などよりよい環境作りができるため、品質の向上につながっていく。
ここでいくつかのコラボレーションや協業の事例が紹介された。そういった展開において必ずあるのが、コラボ先・協業先に対する「リスペクト」だという。
最後は、シブサワ氏個人の信条が語られた。
①好きなことを一生懸命行う
②伸びていく業界で思いっきり仕事をする
③幸せな家庭を築く
好きなこと(ゲーム作り)を一生懸命行った結果として『川中島の合戦』に需要が集まり、ゲーム開発専業に転換し、『信長の野望』という大ヒットが生まれている。そこには妻・恵子氏の強力なサポートと、へそくりで買ってもらったマイコンがあってこそだったという。
こうして最後は恵子氏に対する感謝の言葉で締めくくられた。
以上が「シブサワ・コウのゲーム開発」の内容となっている。セッション中に繰り返し「妻がいなければ……」と恵子氏の話が出ていたことが印象的だった。恵子氏から贈られたマイコンのエピソードはファンの間では知られているが、初めて聞く人もいるのではないだろうか。
電ファミでは過去に襟川夫妻にインタビューを行っているため、興味のある方はぜひ読んでいただきたい。
恵子氏については「光栄」の設立から経理や人事、そしてクリエイターとしても大きな役割を担っていたためビジネスパートナーであることは間違いない。しかし最後にシブサワ氏から語られた言葉は「家庭」というプライベートなものだった。
コーエーテクモが社員に対してトップクラスの待遇を行う中枢はそこにあるのではないだろうか。社員個人がまず経済的に豊かになることで、新しい分野に挑戦する活力が生まれていく。
8月31日からサービス開始となる位置情報ゲーム『信長の野望 出陣』はまさに新分野への挑戦だろう。
シブサワ・コウ氏の言葉ひとつひとつにとても説得力のあるセッションだった。