2024年は『8番出口』の年だった。
発売されたのは2023年11月29日なので、正確には去年のゲームだ。しかし、多くの配信者などによってプレイ動画が配信され、8番ライクと呼ばれるフォロワーが数多くリリースされるなど、『8番出口』に端を発するムーブメントが本格化したのは2024年だった。
「8番」シリーズの完結編とされている『8番出口』の続編、『8番のりば』も2024年5月31日にリリースされ、11月28日にはPS4、PS5、Nintendo Switch版もリリース。さらには『8番出口』と『8番のりば』が1セットになったパッケージ版も発売されるなど、年間を通して絶え間なく動きがあった。
さらに、主にゲーム開発者によって選出されるCEDEC AWARDS2024のゲームデザイン部門では優秀賞を獲得し、日本ゲーム大賞2024では、今年から設立されたブレイクスルー賞を受賞。ユーザーのみならず、ゲーム開発者からも厚く評価された2024年は、やはり『8番出口』そして「8番ライク」によって席巻された年と言っていいのではないだろうか。
なぜ『8番のりば』は大きな反響を呼び、そして多くのフォロワーを輩出し、今年を代表するタイトルになったのか。唐突にあらわれたにも関わらず、なぜ急速に多くのユーザーに浸透し、人気を得ることができたのか。そもそも『8番出口』はゲームとして何がすぐれていたのか、振り返って考えてみよう。
世界を断絶する「曲がり角」
周囲を壁で仕切られたまっすぐに続く通路を歩いているとき、目の前に直角の曲がり角が現れれば、ただそれだけのことで先の見通しはつかなくなる。
もし、その曲がり角の陰になにかが潜んでいたとしても、よほど注意をして用心していない限りはその存在に気づくことは難しい。
逆に考えれば、そこに直角の曲がり角があるだけで、人は対面から向かってくる他者の視線を遮断し「隠れる」ことが出来る。その機能性を最大限利用することで生まれたゲームこそが『メタルギア』であり、やがてそれは「スニークアクション」というゲームジャンルを形成する。
長い直線の通路の先の、向かって左に直角の曲がり角があり、そこを曲がるやいなやもう一度、今度は向かって右に直角の曲がり角がある、いわゆるクランク形状の通路。その通路を進むとき、たったの2回直角の角を左右に曲がるだけで、直前まで歩いていたはずの通路は、その視界から完全に消失する。
▲『8番出口』通路におけるクランク構造
一方通行の通路をただ前に向かって歩いているだけの筈なのに、自分の目に見える範囲においては、見事に世界は断絶される。
もしかしたら、自分のさっきまで歩いていた通路と、今歩いている通路は、別の世界なのかもしれない。たとえそのことを確かめるために振り返って戻ったとしても、その世界がさっきまでの世界と同じであるという保障などない。
ただただ移動し、周囲を見渡すだけという最低限のアクションと、二度曲がるだけのクランク形状の通路によって、速やかに視線を断絶させるレベルデザイン。これらにより、世界には亀裂が発生し、プレイヤーは異世界へと誘われる。
迷い込んだプレイヤーが出来ることは、目の前の世界に目を凝らして世界の異変を見つけること、そして異変が無ければ前進を、異変があれば後退を決断し、ただひたすらに通路を歩き続けることだけだ。
この基礎設計の見事さ、この時点において『8番出口』の成功はほぼ約束されたと言っていい。
この世界を「歩く」ことと「凝視する」という2つのアクションのみによってゲームが進行し、同じような通路を延々歩くされるという内容。これは、かつて小島プロダクションによって提示され、現在では入手することすら困難になってしまった幻のゲーム『P.T』にも通じるものがある。
同作と異なるのは、『8番出口』の特徴は多くのフォロワータイトルが発生したことだ。
次に考えたいのは『8番出口』の有する、圧倒的な親しみやすさ、波及性の高さについてである。なぜ『8番出口』はその特異なシチュエーションにも関わらず、多くのユーザーの関心を集め、多くのフォロワーを輩出するに至ったのだろうか。
地下鉄通路という「見慣れたダンジョン」
クランク形状の通路の連続によって見事に断絶された世界を、異変の有無に応じて前進か後退かを決めて「8番出口」というゴールを目指す。
この基礎設計も見事だが、それと同等、もしくはそれ以上に優れているのは、なんらかの巨大な「駅」の地下通路を舞台にしたという点ではないかと思う。
漫画家の諸星大二郎による『地下鉄を降りて』という作品がある。これは、東京駅から八重洲地下街を降りて、普段とは違う経路で目的地に向かおうとして主人公が、あまりに複雑な地下迷宮と化した地下街を進めども進めども、地上に出れなくなる様を描いた短編漫画である。
この不条理としか言いようのない状況を描きながら、読むと不思議と親近感を覚えてしまうのはなぜか。それは巨大な「駅」の、あまりに広大で一種の迷宮と化した地下通路に迷いこんで、どこに進めば良いか分からなくなってしまった経験が、筆者は一度ならず何度もあるからである。
つまり『8番出口』がその不条理かつ特異なシチュエーションにユーザーを放り込んでおきながら、どこかそこに親しみやすさというか、一種の既視感を覚えてしまう理由も、私が「地下鉄を降りて」に親近感を覚えてしまう根拠と同じだ。
『8番出口』のシチュエーションに既視感を覚えるのは、駅の地下通路をひたすらに歩かされることを、多くの人が経験しているからではないだろうか。
あまり巨大かつ複雑怪奇な形状から「ダンジョン」とも称されるターミナル駅や、駅と案内があったから入った筈なのに、延々と続く地下通路。
そういったロケーションで、ただただ歩かざるを得ない状況に追い込まれ、自分が進む先に‟本当に目的地が存在するのか”がよくわからなくなってくる不安感と不条理感。
これを端的に表現出来ているという点において、『8番出口』は天才的な漫画家である諸星大二郎の短編に匹敵する感覚を、ゲームを通して我々に与えてくれる。
どれだけ画期的なシステムや、良く練られたゲーム性があったとしても、そこにある種の親しみやすさがなければ多くのユーザーへ届けることは難しい。だが『8番出口』はシンプルかつ優れた基本システムと、そのシステムを親しみやすいものにする世界観の提示の両方に優れていた。これは本当にすごいことだ。
ゲーム全体のボリュームがそこまで多くないので、フォロワーを作る上でそのハードルが低かったという点も重要ではある。しかし、その前段である優れたシステムと親しみやすさを両立出来ていたということこそが、重要なのだと私は考える。
「出口」と「のりば」の違い
『8番出口』から半年程度のスパンで続編であり、「8番」シリーズの完結編と銘打たれた『8番のりば』がリリースされた。
「出口」と「のりば」の違いはどこにあるのか。
「異変の有無に応じて前進か後退かを決めるのみ」のシンプルな『8番出口』に対して、異変が起きると、それに対してなんらかの「解法」の提示が求められる『8番のりば』はより能動的な行動が求められるゲーム内容になっている。『ゼルダの伝説』の「祠」や「ダンジョン」のような感じと言えば伝わりやすいだろうか。
前作よりも「扉を開く」「椅子に座る」といったアクションが増えたとはいえ、基本的には「歩く」ことと「凝視」することの2つの移動操作によってゲームが展開するシンプルさ。
そして、たったそれだけのことでも充分に驚きと発見に満ちた世界。前作よりも若干ホラーテイストが強めになっているが、前作との関連性も含めて、『8番のりば』も非常に興味深い作品である。
2024年11月28日に、Swtich、PS4、PS5版もリリースされたので「気になってたけどまだやってない」という方にもオススメしたい。
8番シリーズに感じる「美しさ」
最後にもう一回言っておこう。2024年は『8番出口』の年だった。
基本的には移動と視線移動のみで前に進むか、振り返って戻るかというシンプルなゲームシステム。極めて不条理にも関わらず、その不条理さを含めて親近感を覚えるキャッチーな世界観。過剰すぎないボリューム感と500円を切る絶妙な値段設定。シリーズ2作目で完結する潔さ。シンプルにも程があるサムネイル画像。
私が『8番出口』に触れて感じるのは「美しさ」である。
それはゲームに含まれる部分部分の美しさということではなく、ゲーム内容、ゲームビジュアル、パッケージング、世の中への波及性、それら一つ一つが絡み合うことで生まれる、総合としての「美しさ」だ。
『8番のりば』でシリーズにサクッと幕を引く潔さもまた「美しい」。
後から「なんで2024年って、あんなにみんな異変を探して、色んな通路とか閉鎖空間をウロウロしてたんだろう」って首をかしげながら振り返るんじゃないだろうか。
そういった奇妙なムーブメントであったことを含めて、『8番出口』という入口を通じて、2024年は多くのゲームユーザーがおかしな異世界に誘われた年であったと思う。
多くのフォロワータイトル含めて、どれもサクッと遊べるタイトルばかりだ。年末年始に皆とわいわい遊ぶことにも適したタイトルなので、気軽に異世界に迷い込んでみては如何だろうか。