唐突ですが、夏の青春のお話をさせてください。
もう季節は冬だというのに、こいつはいきなり何を言い出すんだと思われるでしょうが、したいと言ったらしたいのです。むしろこんな寒い時期だからこそ、夏の暑さや空の青さ、そして一夏の淡い恋が見たくなる。それが人の性分というものではないでしょうか。
なぜ冒頭からこんなに夏だの恋だの騒いでいるのかというと、私自身が”ある小説”に脳を灼かれてしまったからに他なりません。
『白昼夢の青写真』という作品を読んでしまったのです。
普段私が紹介するのはADVゲームですが、今回はADVゲームを原作としたノベライズ作品、つまり小説です。
原作は2020年にリリース【※】された美少女ADVであり、2022年にSteam版とNintendo Switch版がリリースされて以降、数多くの好評が寄せられ、一部では「新時代の名作」と呼ばれたりもしている作品です。私はまだ小説版を読んだだけですが、すでにその評価に頷かざるを得ないほど魅了されています。
※もとは18禁の美少女アドベンチャーゲーム。2022年に出たSteam版とNintendo Switch版は全年齢対象となっている。
この『白昼夢の青写真』の第一巻で描かれるのは、あまりにも綺麗な青春です。舞台は夏ということもあり、我々オタクが大好きな「夏×青春」という完璧な要素が全て詰まった作品でもあります。
さらに、元々が美少女ADVということもあり、キャラクターの可愛らしさも溢れています。本書の著者は原作でもシナリオを務めた緒乃ワサビ氏、挿絵はイラストレーターの霜降氏ですが、このふたりが造形するヒロインの姿がとにかく可愛らしい。
下に掲げる表紙絵は本書のヒロインである「すもも」というキャラクターの立ち絵ですが、もちろん私も彼女の可憐さに脳を灼かれたひとりです。すももちゃん可愛いよすももちゃん。

銀髪でスタイルのいい快活な女性で、表情もころころと変わり、作中でも見ていてとても楽しいキャラクターです。
お姉さんキャラと聞くと、おっとりとした性格の人物像を思い浮かべる人も多いでしょうが、彼女の場合はそうではなく、むしろ彼女は…………と語り始めると長くなるので、詳しくは後ほど語ることにしましょう。
さて、ここまで本書が夏と青春の爽やかなラブストーリーであることを語ってきましたが、実は本書につけられたジャンルはなんと「SF」なのです。その点について、少しばかり触れておきたいと思います。
まず、本書の原作であるゲームは全4編からなる長編ストーリーであり、この4編はそれぞれ独立した主人公と時代設定のもとで展開されるという構造をとっています(いわゆるオムニバス形式に近い)。
そのうえで、本書で展開される物語はどうやら原作ゲームでは第3編にあたる物語となっているようです。
本書をはじめとした、異なる物語(CASE)がどのように繋がっていくのか……。これについては実は壮大な「仕掛け」があり、作中で展開される様々な謎が繋がったとき、はじめて本書の内容が「SF」な理由が分かるという構造になっているのです。
そんな壮大な「SFミステリー」でもある本書ですが、残念ながら多大なネタバレとなってしまうため、その内容までは語れません。しかし、その巨大な物語の構造が“理解った”とき、思わず声が出てしまうほどの深い驚きに包まれたことだけはお伝えしておきます。
前口上はこのあたりにして、さっそく本書のキャラや物語の魅力について迫っていきましょう!
【注意】
※本稿には、小説『白昼夢の青写真』の一部ネタバレが含まれます。気になる方は、先に小説を読んでから記事に戻ってきてください!
※この記事は『白昼夢の青写真』をもっと知ってもらいたいKADOKAWAさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
アイデンティティを巡る少年少女のラブストーリー
まず、全体の構成を無視して本書の内容に限った話で言うと、この物語はいわゆるラブストーリーに分類されるはずです(元が美少女ADVなので、ある種当然かもしれません)。
物語は、主人公でありカメラマンを目指す高校生「飴井カンナ」と、ヒロイン「桃ノ内すもも」というふたりのキャラクターの、爽やかで淡い恋愛模様が全体を通して描かれます。
このふたり—―カンナとすもも—―はどちらも物語の主要キャラクターであり、なおかつどちらも物語のテーマを語る上で必要不可欠なキャラクターとなっています。
中でも特に強烈なキャラクター性を持っているのは「すもも」の方なのですが……彼女の話題は一旦脇に置いて、まずは主人公「カンナ」の造形と本作のテーマについて語りたいと思います(彼女の魅力は、あとでガッツリ語りますのでご心配なく)。
主人公カンナは、偉大なカメラマンであった亡き母の後を継ごうと志す男子高校生です。彼の目的は、母の遺したスケッチに描かれた「ある光景」をシャッターに収めること。物語の第一章は、彼がその「ある光景」を探す旅を画策するところから始まります。
その光景とは、「ハレー彗星の最接近」です。76年周期で地球に接近する彗星であり、次の最接近は2061年の7月と予想されていますが、本作の舞台はまさにこの2061年7月。カンナの目的は、ハレー彗星最接近の日に、母親のスケッチどおりの写真を取るべく、そのスケッチが指し示す場所を探すことです。
こう聞くとこのお話はある種の旅物語のように聞こえてきますが、少なくとも私はこの小説を旅物語ではなく、青春モノとして読みました。事実この小説において、主人公カンナが拠点としている自宅のガレージや学校から遠ざかるシーンは、全体の中でも極めて少ないのです。
いわば、この「ハレー彗星を巡る旅」は、具体的な距離の問題ではなく、むしろカンナ自身の精神的な成長や、物語全体を貫くテーマのモティーフとして機能しているように感じられます。
ではその物語全体を貫くテーマとは一体何か?私の見立てでは、それは思春期の少年少女の「アイデンティティ」を巡る問題です。
そしてこのテーマを語る上で重要な役割を果たすのが、もう一人の主人公、ヒロインの「すもも」の存在なのです。
「思春期のアイデンティティ」というテーマを聞いて「なーんだ」と思われる読者の方もおられるかもしれませんが、ここで早合点してしまうのはもったいないように思われます。
このテーマがあらゆる青春小説やジュブナイルで用いられるのは、それが普遍的かつ種々固有のメッセージを読者の私たちに届けてくれるからであり、ありきたりなようで実は私たちが一生をかけて考えねばならない問いが潜んでいるのです。
さて、こう前置きしておいて言うのもなんですが、この作品で「アイデンティティ」や「個性」というテーマがどのように扱われているかというと、見事に王道な扱われ方をしています。
まだ見つからぬ自分の個性さえ発見すれば、万事がというわけではないけど、とにかく上手くいく—―そういう純粋で透き通ったメッセージがこの作品全体に通底している気がします。無論、私自身はそれをつまらないとは思いません。思いませんが、多くの作品がそういった「教訓話」で終わってしまうのもまた事実です。
しかし、本書はそのようなありふれた展開に、すももという一人のキャラクターを投じることによって、物語全体をよりロマンチックに、そして考えさせられるものにしています。これについて語る前に、まずはすももの紹介を軽くしようと思います。
ヒロインの「桃ノ内すもも」は、カンナの通う学校にやってきた教育実習生の一人として登場します。つまり女子大生です。この物語は男子高校生と女子大生の年の差恋愛ドラマなのです。
彼女は教育実習の一環として不登校のカンナを学校へ連れ出すべく、カンナの自宅にまで押しかけてきます。そんな出会いから始まったふたりは、さまざまなやりとりを通して少しずつ距離を縮めていきます。
作中序盤の、教育実習生としてのすももは、こう言ってよければまったくのダメ教師であり、先輩教師からの評価もほとんどゼロの、パッとしない大人の一人に過ぎません。
しかし物語の序中盤で、すももがカンナに自分の本来の姿—―教師に似つかわしくないほどのメイクと派手な服装—―を見せたことから、少しずつ人間的な生気を取り戻してゆきます。
すももは始め、黒髪にスーツという地味な見た目で登場することになります。これは彼女なりの「教師モード」であり、おかっぱで眼鏡を掛けている姿は言わば彼女の「変装状態」です。
しかし、上記のシーンで彼女はその本当の姿を読者とカンナの前にさらけ出します。黒髪のおかっぱは実はウィッグであり、それを取っ払った彼女の髪は、夕陽の光を反射する美しい白髪に(黒と対照的な色に)なります。
さらに服装も、それまでの彼女のスタイルの良い身体を縛り付けていたスーツを脱ぎ去り、白とピンクの綺麗なブラウスとスカートに変貌します。彼女の本質は堅苦しい教師ではなく、おしゃれが大好きな明るい女の子だったのです。このイラストの表情からも、こちらの方が彼女にとって本来の姿であることが表現されています。
この「すももが本来の姿に”戻る”シーン」は、彼女のデザインがとても可愛らしいことも相まって、主人公であるカンナを始め、読んでいるこちらもドキリとする名シーンとなっています。私はここで彼女に心を持っていかれました。
無論、この視覚的変化が「地味で没個性的な大人の世界と、個性的で純真な少女の世界」という彼女の内面の映し鏡であることは間違いありません。
大人しく地味な教師像から、抑圧していたものを解放したときの輝く笑顔、この二面性が、すももというキャラクターの大きな魅力であり、読者からの人気を説明する理由でもあるのです。



