テクノ封建制が生んだ恐ろしいディストピア——アイドル物かと思いきや、序盤から子供が死んでるんですけど……
Vstarのシナリオで一見平和そうな世界だが、本作の舞台設定は、いわゆるポストアポカリプスモノとポスト資本主義ディストピアが合わさった、極めて物騒なものだ。
舞台は先ほども述べたように、2055年の東京(今から29年後だ)。
そこでは大きな戦争の影響で都市・行政機能が完全に崩壊し、瓦礫の山と廃墟がどこまでも続く広大な「スラム」と、巨大な民間テック企業が支配する最先端都市「オルタ」の二つに分かれており、この二つの地域は巨大な円形の壁によって隔てられている。
壁の中の都市オルタでは、誰もがVision Eyeという義眼(あるいはゴーグル型デバイスやコンタクトレンズ型デバイス) を用いており、ARと現実が完全に一体化した半デジタル・半現実の世界を生きている。
一方、壁の外のスラムでは戦争の影響で文明が崩壊しかかっており、人々はバラックや廃墟を寝床としながら、貧しくその日暮らしをしている。
ゲームの序盤は、壁の外のスラムから始まる。煌びやかなゲームかと思って始めたのに、貧しく、不衛生で、どこまでも絶望しきった悲しいディストピアが目の前に広がっている。
その日を生きるために肉体労働に従事する奴隷のような労働者、憔悴しきった薬物中毒者たち、道端で餓死している人々……。読むだけで陰鬱な描写が続く。
そしてその最たる例が「子供の死」だ。
ゲーム最序盤のチャプター途中、主人公である「ミライ」と何回か絡む名前付きのサブキャラクター(幼女)が、スラムでかかった病気により亡くなってしまうのである(マジかよ)。
露骨にディストピア社会を題材としているとはいえ、まさかアイドルをテーマにした作品で子供が死ぬとは思わなかった。プレイ中、「このキービジュアルの子可愛い~~萌え~~」とか思って鼻の下を伸ばしていた筆者も、すっかり真顔である。
なぜ、今よりも発展している未来の東京がこのような姿になってしまったのか? ここからはちょっと真面目な話になるので、皆さんも真顔で読んでみてほしい。
2055年の東京がこのような有様になってしまったのは、先ほど少し述べた戦争のせいなのだが、問題はこれが「何のための戦争だったのか」ということである。未来の人々は一体何を得るために戦争をしたのか?
その答えは「サーバーリソース」である。土地でも、食糧でもない。では、そのサーバーリソースとはなんなのか? それは端的に言えば、ネットワーク空間における「支配権」、あるいは「占有率」のようなものだ。
このサーバーリソースは本作の物語で超が付くほど重要なキーワードだ。ミライとアイがVstar業界に乗り出す理由でもあり、本作のテーマにもがっつり関わってくる。これをちゃんと理解してもらうために、ちょっと長い説明を入れる。
この世界ではほとんどの資本が壁の中のビッグテックに集中している。Vision Eyeなどのテクノロジーが普及したことにより、人々は娯楽、コミュニケーション、情報、そして人間の認知機能である「視覚」そのものすら、一企業のテクノロジーに依存している状態である。
こうなると、もはやかつての資本主義の姿は見当たらない。人々は生活も、労働も、そして欲望、趣向、心といったものまでもが、オルタと言う一つのプラットフォームの中に閉じ込められてしまう。
技術やそれを介したサービスに依存しきった人間は、もうそれ無しでは生きていけない。その結果、オルタは巨大な企業であると同時に、人々を支配する領主となる。人々が、オルタと言う一つのプラットフォームの上でコントロールされてしまったのである。
そして、テクノロジーが民衆に完全に普及し、すべてがデジタルに、オンラインと接続された世界では、あらゆる商品・あらゆる情報が巨大なテック企業のサーバーリソース(領地)を介して流れる。
そしてそこで流れる富も全て、サーバーリソース(領地)の領主である企業(オルタ)のものとなる。かつて土地の広さが支配者の力を表していたように、未来ではサーバーリソースの広さが、企業の力を表す指標なのだ。作中で描かれる民衆とオルタの関係は、単なる資本の格差ではなく「領主」と「農奴」にも似た支配関係となっている。
経済学者のヤニス・バルファキス氏はこの「ビッグテックが資本主義を飛び出して、一つの支配階級となる」状態を「テクノ封建制」と呼んだ。
本作における「壁の中」の世界観はまさにこのテクノ封建制が最悪の形で発展した一つの未来予想図、バルファキス氏の言う「資本主義が変異して最終的に行き着いた姿」なのである。
中世の城壁のようにオルタを取り囲む巨大な壁は、まさに中世へと巻き戻った「テクノ封建制」社会の姿をありありと象徴しているのだ。
こうなると、人々はもはや現実の土地ではなく、サーバーリソースという新たな「領土」を巡って争い始める。そしてそれはついにデジタルを通り越して、血の流れる戦争となる……。作中で示されるこの土地とサーバーリソースの比喩は、デジタルと現実の価値が入れ替わった未来社会を極めて明快に示している。
現代社会を抉ったなんとも硬派な世界観が、壁の中と外に広がっているのである。
厳しい世界観と煌びやかなVstarのギャップがエグい。こんな世界で成り上がっていいのか!?
こうした社会派な一面をのぞかせる本作だが、あくまで本作のメインストーリーは「Vstarの話」だ。
なぜ???
考えてもみてほしい。序盤で幼女が一人死んでいるのである。本来ならミライとアイ共々そこから怒りの革命戦士となり、プロレタリアとしてこの社会に鉄槌を食らわせるという展開になってもおかしくないはずである。
というか、実際に作中でそういった目的を持つ「レジスタンス」も登場する。
物語中盤から活躍するヒロイン「マキ」は、憎きビッグテックが支配するこのテクノ封建制を打倒すべく、「サーバーリソースの開放」を謳って活動する若き美少女革命家である。
社会によって分断され破滅した家族の仇を討つべく奮闘する彼女は、壁の外から来た招かれざる客であるミライとアイにも接近するのだが、その場面はめちゃくちゃシリアスなのだ。
なのだが……アイにはそんなこと関係ないと言わんばかりに、その直後にはミライとアイのゆるーい掛け合いが挿入される。それどころか、Vstarとしてのサクセスストーリーを歩むというのは、要するに現存する理不尽に迎合し、その社会システムを容認していることに他ならないではないか?
この世界観で、やってることがVTuberの成長ストーリーって……なんで???
悪く言えばテーマがブレているとすら思えてしまう展開に、プレイ中の筆者はひどく混乱していた。しかし、「ディストピア×VTuber」というアイデアをこういう形で出力されると、むしろ「そのアイデア自体の面白さ」をこそ際立たせようという判断にも思えてくる。
近年VTuberやバーチャルアイドルをメインテーマに据える作品が話題となることも多いが、なるほど……こういう描き方もあるのだ。物語の発想はいつだって自由なのだと気づかされる。ツッコみどころが多いからこそ、勢いに圧倒される。これは唯一無二の体験と言っていいだろう。
社会派な舞台背景と、Vstarというギャップが生むドライブ感……これを楽しむシナリオなんだな。と納得してみせたのだが、いまにして考えれば、当時の筆者はただの“甘ちゃん”だったと言わざるを得ない。
終盤に差し掛かり、本作は単なるSFからセカイ系へと飛翔する。そして、まさにこの「ディストピア社会に迎合しているかのように見える」フラストレーションこそが、その飛翔を生み出す推進力となっていたのだ。
そして、セカイ系が始まる。バーチャルアイドルAI「アイ」ちゃんのお歌で世界がヤバイ!!
記事冒頭でもお伝えしたように、本作は最終的にVstarがディストピア社会をぶっ壊す。だが、本作のストーリーは悲惨な世界の描写をあくまでも背景やサブに抑え、メインはトップアイドルへと成り上がるサクセスストーリーを邁進していた。
一体全体どうやって、バーチャルアイドルが世界をぶっ壊すに至るのか?
※以降ネタバレ注意※
物語の終盤、Vstarとして徐々に人気を獲得していたAIのアイちゃんは、やがて大量のサーバーリソースを得て、記憶を取り戻すことにまで成功する。こうして全て元通り……ハッピーエンド、かと思いきや、本作はそこからとんでもない展開に突入することになる。
サーバーリソースを得てアイちゃんが取り戻した記憶とは、「自身の歌が世界中のサーバーをダウンさせる力を持っていること」と「かつて実際に世界規模のサーバーダウンを引き起こし、それがきっかけで戦争にまでなった」という、悲惨すぎるものだったのだ。
先ほど説明した通り、テクノ封建制の時代ではサーバーこそが人類の生命線。それをダウンさせるということは、実質的に人類社会を滅ぼすことと同義。ここで初めて、「社会を滅ぼす力をもっているVstar」というヤバすぎる設定が明かされる。
衝撃のネタ晴らしはここで終わらない。オルタの研究者であるミライの両親が生み出した超高性能のAGI(AIよりも凄い存在)のアイちゃんは、もともと人間とAGIの可能性を広げるための存在、そして絶望しきった人類に希望を与えるための存在として創られたものだった。
本編中、何度もアイがつぶやく「皆を笑顔に」という言葉も、全て始めからプログラムされていたものだ。
しかし、「歌によって戦争を引き起こした」という、あまりにも危険すぎる力ゆえに封印され、長い眠りについていたのだった。アイを封印した後も、アイに関わったものたちは皆悲惨な末路を辿り、AGIは危険な存在としてそれ以降「人類の敵」として扱われたことを知った。ミライとアイは、これからどうするべきかについて思いを巡らせる。
今まで二人で頑張ってきた目的……「Vstarとして、みんなを笑顔にするために歌う」という願いは、そのまま人類の滅亡に直結してしまうのである。
ここから本作のシナリオは、完全に「セカイ系のそれ」にシフトチェンジする。世界か、君か。自らの存在理由を全うするために歌おうとするアイと、それを追いかけるミライの姿は、2000年代のラノベ的展開を筆者に強く想起させた。
一見全くテイストの違う、ディストピア世界設定とVstarの成長物語がこのような形で合流し、トドメとばかりにセカイ系の味付けでプレイヤーへとたたきつけられるのだ。はっきり言って、本作のシナリオライターはどうかしている(誉め言葉)。
「セカイか、キミか」。ミライとアイの選択は如何に? ディストピア社会は、人類はどうなってしまうのか!? と気になる方は、一旦ここで読むのをやめて、ゲームをプレイしていただいてもいい。
いよいよここから、本作最大の「どんでん返し」に踏み込んでいこう。
※さらにネタバレ注意※
結局、アイは最終的に歌を歌い、世界は崩壊を始める。え? これでバッドエンド? と思った矢先、そこから始まるのが……。
まさかの、アイ編である。
ここまでのストーリーを、アイの視点から描き直すというとんでもない展開が始まる。ほぼループものである。
先ほどまでのセカイ系の香りはどこへやら。アイ編に突入した途端、本作は「AIと自由意志」という完全なSF展開に回帰する。実はこれまで感情豊かでコミカルな性格だと思われていたアイは全て偽り。本当は自我などない、冷たいAGIだったという仕掛けがここで明確に表現される。
ここまでくると、作品の衝撃は初読時の筆者の脳のキャパを完全に超えてしまっており、
もう分からん……何も分からん……どういうこと??????
と混乱しながら、激流に押し流される小枝のように猛然と続きを読み進めることしかできなかった。
アイ編のエピソードは、ここまで描いてきた数々の伏線を怒涛のごとく回収していく、非常にスピード感溢れるものになっている。
自我のないAI視点なので、モノローグもめちゃくちゃ無機質。「今までのやりとり、そんな感情で見てたんかい!」という、ある意味では回答編としての役割も果たしている。
アイ編を経て、作品がどういう結末を迎えるのかや、その結末の意味するところについては、あえて言及を避けたい。最終的にこの作品がどういうお話で、どういうテーマで始まったのかといった小利口な考えは、プレイ中の筆者の頭からは消え去ってしまっていた。そういうのを一々気にしてたら、このスピード感についていけないのだ。
どうか本作をプレイして、最初の方に描かれた社会派な一面とか、VTuberをパロった面白いかつ厳しい世界設定とか、そういうものを置き去りにしていくジェットコースターのようなスピード感に身をゆだね、エンディングへと流れ着いてほしい。筆者が望むのは、それだけだ。
『VIRTUAL GIRL @ WORLD’S END』の世界観・ストーリーを一言でまとめろと言われたら、多分誰しもが「無理」と言うだろう。というのもこのゲーム、あまりにもテーマや展開があっちこっちへ縦横無尽に伸びていく。
未来へ警鐘をならすかのようなテクノ封建制の世界観が提示されて、おもわずこちらも背筋が伸びた……かと思いきや、次のシーンではVTuber用語を交えたラノベ風コメディの掛け合いがあって笑顔に……と油断させておいて、芸能界の闇の部分、弱肉強食の厳しい一面が描写されまた真顔に……そしてとどめには怒涛のセカイ系展開と伏線回収、そしてAIの心を巡るハードなSF展開が飛び出してくる。
こんなアドベンチャーゲームは見たことが無い。
とにかく斬新なものを読みたい。他には絶対ない魅力が欲しいという方には、確実におススメできる作品である。
ぜひその眼で、この怒涛のごちゃまぜ感と温度差を味わってみてほしい。













