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『ポケモンGO』を語ることが、社会を語ることよりも重要になる!?  “ゲームを語る”ことの難しさと、これからの「ゲーム批評」の話をしよう

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ゲーム批評史<1980年代後半~1990年代前半>:ゲームを再生産するフィードバックのための批評

――1980年代中盤のファミコン登場時って、たとえば『スーパーマリオブラザーズ』のような作品に、有名な批評はあるのでしょうか? 

中川氏:
 単体タイトルへの掘り下げた批評として中沢新一さんの『ゼビウス』論のようなものはちょっと思い浮かびませんが、石原恒和さんが編纂を指揮した『テレビゲーム〜電子遊戯大全』【※】という伝説的な豪華本が、この時代に出ていますね。
 これは当時までの時点のゲームやコンピュータテクノロジーの歴史を紹介しつつ、その社会文化的な価値に関する浅田彰や野々村文宏などの論考などを集積した本で、ゲーム批評史では最重要資料の一つです。

※テレビゲーム〜電視遊戯大全
1988年、テレビゲーム・ミュージアム・プロジェクト編、UPU刊。ゲームにまつわるコンピューター技術、重要タイトル、開発者のそれぞれに対する事典的な記述で誌面を3分割してハイパーカード的な構造を採用するなど、造本面でも挑戦的な出版となっており、超プレミア本となっている。

 ただ、これは先ほど話した1980年代前半のニューアカ的なムードの最後っ屁のようなところがあって、むしろ前時代的な感性の集大成でした。この本以降は、ゲームを一般的な文化批評とか社会評論の脈絡で捉えるまとまった批評はあまり見られなくなっていった印象です。ファミコンブームを経てゲームが「普通の娯楽産業」として定着すると、ゲームというものの社会現象的なインパクトが一段落してしまったからでしょうね。

 そうなると、ファミコンの時代におけるゲーム批評は、作品そのものを深く掘り下げるというよりも、まずはバイヤーズガイドとして、自分がいかに損をしないかというニーズのほうが大くなっていくわけです。なにしろゲームは映画や小説ほど、安価な体験ではないですから。

――当時のゲームの価格は、とても高いですからね(笑)。では、そうしたバイヤーズガイドとしてのゲーム批評の源流は、週刊『少年ジャンプ』に掲載された堀井雄二さんの「ファミコン神拳」【※】でしょうか。

※ ファミコン神拳
1985年〜1988年に週刊『少年ジャンプ』で連載されていたゲーム企画コーナー。ウラワザやゲームテクニックの記事に加えて、堀井雄二氏(ゆう帝)をはじめとするライター陣によるゲームレビュー「あたた !! 採点拳 !!」も掲載されていた。
画像は『週刊少年ジャンプ秘録! ! ファミコン神拳! ! ! 』(2016・ホーム社)

中川氏:
 そうですね。それが『ファミ通』のクロスレビューにつながっていって、「こういうものこそがビデオゲームにおける批評である」という言い方になり、それが1990年代以降も続いていったのではないのかと思います。

――言ってしまえば、アーケードで萌芽していた中沢さんや田尻さんの洗練された文化批評が、ファミコンの登場で一気に「で、“当たり”のゲームはどれ?」という身も蓋もない要求に押し流された、という感じでしょうか。しかも、1980年代後半から90年代にかけてゲーム批評は、RPGの最盛期だったということもあって、物語メディアとしての批評にかなり偏ってきますよね。

中川氏:
 そうですね。
 ただ、ゲームの批評が「ゲームで語られた物語」への批評になってしまうということへの批判的な見方は、1990年代を通じてずっとありました。

 やはり、身体的、感覚的なゲーム体験を語る言葉と、物語としてのゲームを語る言葉が、2つの原理的立場みたいな感じでずっと争っていた感じはあるんですよ。ちょうど1990年代には対戦格闘ゲームが出てきたので、コンテンツとしての楽しみ方の違いみたいなものが、ユーザーの間で分かれていったのも一つある気がしますけどね。

『ストリートファイターⅡ』(1991・カプコン) ※画像はWiiUバーチャルコンソール版です。(任天堂ホームページより)
『ストリートファイターⅡ』(1991・カプコン)
※画像はWiiUバーチャルコンソール版です。(任天堂ホームページより)

 その現象が非常によく可視化されていたのが、『ゲーメスト』【※】なんじゃないですか。
 あの雑誌の投稿ページで、従来のアニメや漫画のファンに近いタイプの層は、対戦格闘ゲームをキャラクターコンテンツとして捉えていて、二次創作イラストをガンガン投稿していたりする。その一方で、あくまで徹底的に攻略の美学を追求する層もいるんですね。

 ゲームを語る観点が純ゲーム的な方向と、物語的あるいはキャラクターコンテンツ的なものに意識が分かれていって、それが対戦格闘ゲームという1つのジャンルの上で共存しているという状況が、90年代初頭に前面化した印象があります。

※ ゲーメスト
1986年〜1999年に新声社から発行されていた、アーケードゲーム専門誌。日本全国のゲームセンターからのハイスコア集計や、対戦格闘ゲームの攻略記事が高い人気を集めた。またアーケードゲームに関するイラストや漫画の投稿コーナーは、ここからプロとなる人材も輩出した。

――で、たぶん次に起きたのが、『ファイナルファンタジー』をはじめとするRPGの物語化がどんどんと進んでいった果てに、ゲームそのものよりも、そこで描かれる物語に対する語りが増えていく現象ですね。

中川氏:
 それがはっきりと「批評」という意識を持ったムーブメントになったのが、1994年の『ゲーム批評』【※】の創刊だったんじゃないかと思います。

 『ゲーム批評』のメインコンテンツであるゲームソフトレビュー自体の性格は、内容こそ詳細化していますが、目的意識の点ではファミコン時代からある攻略雑誌のバイヤーズガイド的な視点とさほど大きな違いはないんですよ。ただ、メーカーの顔色をうかがわず、ユーザーの本音として、個々のゲームコンテンツの良し悪しを中立公正にジャッジメントすべきだというポリシーが立てられていて、そういう使命感が「批評」を正面から打ち出す命名によって自己強化されていたというわけです。

※ ゲーム批評
1994年〜2006年にマイクロマガジン社から発行されていたゲーム雑誌。ゲーム批評と取材企画に特化した内容が特徴で、ゲーム関連企業からの広告を受け付けないことにより、公正中立な誌面作りを行うというスタンスを採っていた。

――状況が少しねじれていますよね。ただ、少なくとも中沢新一さんのような文章をゲーム批評の本分とするなら、今の話を聞くと「あれれ?」という感じはありますよね。

中川氏:
 まあ本分かどうかは読み手の需要意識次第なのでともかく、1980年代には人文学的な批評が成立していたことを鑑みると、読み物としてはいささか素朴な次元に後退していた感はありますかね。
 ただ、彼らの批評は、確かにコアなゲームファンの心性を偏りはあれども代弁したものだったし、実際のゲーム開発に影響を及ぼした面もあると思います。
 例えば『ゲーム批評』の論調は創刊当初から『FF』シリーズに対して批判的で、シリーズ全体の一本道的な性格が叩かれたり、『FFVI』の群像劇的なシナリオが散漫で完成度が低いとクソミソに貶したりするレビューが相当ありました。

『ファイナルファンタジーVI』(1994・スクウェア(現スクウェア・エニックス)) 画像はファイナルファンタジーポータルサイトより
『ファイナルファンタジーVI』(1994・スクウェア(現スクウェア・エニックス))
画像はファイナルファンタジーポータルサイトより

 で、スクウェアはその次の『FFVII』では、こうした批判に見事に応えるように、主人公の視点をはっきりさせたり、一本道のシナリオをむしろインタラクティブな体験の中で逆手に取るような作劇が取られたりと、シナリオの完成度を大きく高めてきたんですよ。

『ファイナルファンタジーVII』(1997・スクウェア(現スクウェア・エニックス)) 画像はファイナルファンタジーポータルサイトより
『ファイナルファンタジーVII』(1997・スクウェア(現スクウェア・エニックス))
画像はファイナルファンタジーポータルサイトより

 こうしたプロダクトの完成度を高めるためのダメ出し的な意味で、『ゲーム批評』的な批評は意外に機能していたように思います。
 実際、特にアメリカにおける批評って、そういうものじゃないですか。ハリウッド映画のシステムの中で、シナリオの工学的な出来を評価するメソッドが確立されていて、そのフィードバックで売れるコンテンツを作っていくというルートがありますよね。
 たぶん、日本の『ゲーム批評』が目指したのも、そういったシステムだったと思うんですよ。

――その意味では、『ゲーム批評』は役割を果たしていた、と。

中川氏:
 コンピュータゲームが複雑化してきて、作り手と受け手が分化せざるを得なくなってきた時に、フィードバッカーとしての批評が必要になったのはあると思うんです。
 受け手として作り手が次により良いものを作るために、ストーリーの納得度をチェックしたり、ゲームシステムのここが“作業”になってしまって、つまらないと指摘したり、とかですね。
 別の言い方をすれば、リリース前にデバッガーやテストプレイヤーがチェックしきれなかったような品質検証をリリース後に行って、次のプロダクトの改善につなげていくような役割ですよね。

 このあたり、朝ドラ『とと姉ちゃん』のモデルにもなりましたが、高度経済成長期で粗悪品の多かった時代に消費者目線で生活用品をチェックした『暮しの手帖』の「商品テスト」に近い役割だったのかもしれません。まだゲームジャンルの高度成長が続いていて、海のものとも山のものともつかないものも市場に現れる時代だったからこそ、表面化したタイプの言説だったんでしょうね、今にして思えば。

――そうですし、今となっては2chスレとかまとめサイトが担っている機能ですね。まとめさせてもらうと、1990年代においての批評は、かつての田尻智さんや堀井雄二さんのような「自分が作るための言葉」から、あくまで受け手の立場で「どこがつまらなかったか」などを詳細にレポートする言葉に変化しだした、という感じでしょうか。

中川氏:
 はい。
 ただ、個人的には『ゲーム批評』的な、あるいは「商品テスト」的な意味での「批評」にもまた、当時から強い不足感を抱いてました。そうしたプロダクトとしての良し悪しを評価してゲーム業界の再生産を促すためのフィードバックではなくて、もう少し大きな文脈でのフィードバックを促すためのゲーム批評がありうるんじゃないか、と。

 それはゲーム作品や遊んだ人たちの体験を、いかにして社会とか文化全体の中に位置づけるかというレベルでのフィードバックです。

 今回僕がまとめた『現代ゲーム全史』はこの立場から書いているわけですが、ゲームを社会全体の中に位置づけるタイプの批評は、もうすこし先の時代にならないと日の目を見られなかったのです。

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