海外メディアnintendolifeで、上村雅之氏のインタビューが掲載された。上村氏は任天堂で、ファミコンとスーパーファミコンの開発責任者を務めた「ファミコンの生みの親」ともいうべき人物だ。
このインタビューは2月26日にイギリスで開催された国立ビデオゲーム博物館の上村氏の講演に合わせて収録されたもので、「国内版と海外版のファミリーコンピュータで形状が異なる理由」や、「コントローラとテレビの接続のワイヤレス化するアイディアがあった」といった話が記載されている。
インタビューではファミコンを開発するときの課題や、アメリカでの成功をどう受け止めていたかなどが上村氏の口から語られている。記事は海外の視点らしく、海外版ファミコンであるNES(Nintendo Entertainment System)についての記述が多く見られる。
たとえばファミコンのカセットの日米のサイズの違いだ。NESのカセットは日本のファミコンに比べて少し大きいが、この理由は湿度にあるという。日本では湿度が高いため静電気があまり起きないが、アメリカ、特にテキサスのような場所だと、静電気が発生し、子どもが接続部に触れるとショートする可能性があった。
そのため安全性を考慮して、海外版は接続口に触れられない、奥深くにコネクタを配置する設計にしたという。日本のカセットに関しては、当時、日本で大人気だった音楽カセットテープの大きさを意識したサイズだと上村氏は語っている。
またファミコンで開発する上で、まわりからリクエストされたのはコントローラーとテレビ接続のワイヤレス化だったという。特にテレビ接続のワイヤレスは、エポック社のテレビテニスが実現していたので、ファミコンでもやりたかったがコストの問題で実現しなかったとのこと。コントローラーは当初、ジョイスティックを想定して開発していたが、子どもが踏んづけて壊れるおそれがあるため、ゲーム&ウォッチのパッドタイプの十字キーを採用したそうだ。
上村氏は、ユーザーが現在でもファミコンで遊んでいることに聞かれて、重要なのソフトだといい、(そのソフトがこれほど長らく遊ばれていることは)本当に驚きだと語っている。最後に上村氏は「ゲーム機の誕生と開発を任されたことを誇りに思います」とインタビューを締めている。まだまだ紹介していない部分があるので、実際のインタビューを参照してみて欲しい。
ここで語られたことは、2013年に発売された上村氏の著作『ファミコンとその時代 テレビゲームの誕生』など、ファミコンの歴史関連の本で書かれたことも含まれている、とはいえ、まだまだ周知されていない歴史の1ページだといえるだろう。現在、上村氏は76歳。立命館大学の教授、同大学ゲーム研究センター長を務めており、ビデオゲームの学術的研究、歴史の当事者として精力的に活動をしている。
ライター/福山幸司