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奥深い任天堂の歴史を⾒て感じられるリノベーションホテル「丸福樓」が京都・鍵屋町でオープン。挑戦を続ける歴史と原点へ触れられる併設の特別ライブラリーも公開

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 任天堂を創業した⼭内家は3月29日(火)、京都・鍵屋町にある任天堂の旧本社社屋をリノベーションしたホテル「丸福樓(まるふくろう)」の開業および、創業理念を表現したライブラリー「dNa(でぃーえぬえー)」の公開を記念する施設の内覧会およびオープンセレモニーを実施した。

任天堂旧本社のリノベーションホテル「丸福樓」が京都・鍵屋町でオープン_001

 発表によると、丸福樓は1930年代に竣⼯された任天堂の旧本社社屋を現存のまま残した「既存棟」と、一部を解体修復したのち新たな建物を増築した「新築棟」で構成されている。トランプのマークにちなんだ4つのエリアはそれぞれ異なる雰囲気を持ちながらも、当時の姿を残した造形物や建築家・安藤忠雄⽒によるこだわりを散りばめており、⼭内家が伝えたい創業からの想いを肌で感じられる設計になっているという。

 開業にあたって山内家代表の⼭内克仁氏は、任天堂の起源や使命、そして⽗・⼭内溥氏の功績へ触れつつ「ゲストには、建物の外観・内観や名残から、今も任天堂から感じられる細部にこだわったモノ作りの⽂化を感じていただけるかと思う。丸福樓が京都の新たなシンボルとして⼈々が集い、歴史や未来に思いを馳せ、語らい豊かな時を過ごす場所となることを願っている」と挨拶を述べた。

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創業家の⼭内万丈氏

 丸福樓の宿泊費は大人2名/ひと部屋の利用で1泊1名あたり7万円台から(14万1330円)となっている。本記事の公開時点では10%オフの開業記念プランも用意されているため、興味があれば予約しておき、京都を楽しむついでに立ち寄ってみるとよいだろう。

プレスリリースの全文は以下のとおり。


【イベントレポート】
任天堂を創業した⼭内家が開設の想いとこだわりを語る
任天堂旧本社社屋ホテル『丸福樓(まるふくろう)』
施設内覧会&オープンセレモニー
「任天堂の歴史の奥深さを、⾒て、感じて、会話が⽣まれる場所」

任天堂を創業した⼭内家(Yamauchi-No.10 Family Office、⼭内財団、株式会社⼭内以下、⼭内家)は、2022 年 3 ⽉ 29 ⽇(⽕)に、京都・鍵屋町の任天堂旧本社社屋をリノベーションしたホテル『丸福樓(まるふくろう)』の開業、任天堂創業の理念を表現したライブラリー『dNa(でぃーえぬえー)』の公開を記念して、施設内覧会及びオープニングセレモニーを実施しました。
『丸福樓』内では挑戦を続けた任天堂の歴史とその原点に触れられる特別ライブラリーも同時にオープンし、「挑戦」を⼤切にする先代のスピリットを感じられる場所として公開いたします。

宿泊・運営は株式会社 Plan・Do・See によるプロデュースのもと、既存の建物と世界的建築家・安藤忠雄⽒が設計監修した新しい建物が融合し、全 18 室のホテル『丸福樓(まるふくろう)』が誕⽣します。

■⼭内家代表 ⼭内克仁の挨拶

現在、世界中で愛される任天堂の原点は、この京都の地にあります。1889 年、私の先祖である⼭内房次郎は花札の⽣産販売を⼿掛ける⼭内房次郎商店を開業しました。ここ『丸福樓』は、初代房次郎から⼆代⽬積良へとバトンが渡される過程で建築され、1930 年から 1950 年ごろまで⼭内任天堂・株式会社丸福の本社や拠点として使⽤されていました。

私の⽗⼭内溥は、任天堂の中興の祖と呼ばれ、任天堂をゲーム業界の雄へと押し上げた⼈物です。その過程には、とてつもなく孤独で、ハングリーで、苦しい挑戦と試⾏錯誤の時間がありました。
⽗は、22 歳で会社を継ぎ、50 歳を過ぎてゲームビジネスが花開くまで、先の⾒えない暗く⻑いトンネルを歩みました。明⽇を⽣き残るために、信じて歩むしかなかったと。

この場所は、⻑らく倉庫として使われ、⼀般の⽅の⽬に触れることはありませんでした。そんな場所が Plan・Do・See さんの⼒を借りて、ホテル『丸福樓』として⽣まれ変わります。ゲストとしてお越しいただける⽅には、元の建物の名残・建物の外観・内観から、今も任天堂から感じられる、細部にこだわるモノ作りの⽂化を感じていただけるかと思います。

この場所は、初代・⼆代⽬・三代⽬である⽗や⽗の仲間たち、そして任天堂の挑戦の時間を⾒守ってきた場所です。その歴史に思いを馳せていただきたいとの思いを込めて開業の発表をいたしました。
歴史を刻んできたこの建物【ハードウェア】を、今後 100 年、さらに先の未来へ受け継いでいき、任天堂の創業・発展の精神【ソフトウェア】を伝え続けることこそ、私たちの使命だと感じております。

開業に際して、旧本社に新たな息吹をもたらしてくださった安藤忠雄先⽣、Plan・Do・See の皆様に⼼より感謝申し上げます。また、⻑年この地にたたずんだ旧本社を町の景⾊として受け⼊れて下さった地域の皆様にも、この場をお借りして感謝申し上げます。
『丸福樓』が京都の新たなシンボルとして、⼈々が集い、歴史や未来に思いを馳せ、語らい豊かな時を過ごす場所となることを願っております。

『丸福樓』の開業にあたり、現任天堂社⻑の古川俊太郎⽒、京都市⾨川市⻑からもコメントを頂きました。

■任天堂株式会社 代表取締役社⻑古川俊太郎⽒ 祝辞

『丸福樓』が冠する「丸福」とは、1889 年に花札の製造・販売で創業し、法⼈として 1947 年に設⽴された私ども任天堂株式会社の最初の社名です。設⽴後、任天堂は 1950 年から 59 年までの間、後に『丸福樓』となる建物を本店として使⽤していました。
任天堂の当時の主⼒商品は、花札やかるたでした。それらの品質を⽰す印として、「丸福」の印が使⽤され、その名残は現在の当社商品にも残っています。

任天堂は創業より⼀貫して「娯楽」を扱う企業です。娯楽は時代の移り変わりによって、需要が著しく変化し、それによって任天堂も⾃らを柔軟に変化させてきました。『丸福樓』には、そうした変遷を描いた任天堂の、歴史が刻まれています。

そして、今回『丸福樓』は、当時の社屋の姿を残し、素晴らしいホテルとして⽣まれ変わりました。任天堂が時代と共に変化したように、社屋だった建物もホテルへと変化しますが、皆様が『丸福樓』で過ごされる時間が、当時の娯楽と時代の移ろいを感じていただける機会となることを楽しみにしております。

■京都市 ⾨川市⻑ コメント

京都から世界へ。任天堂の挑戦の記憶が刻まれた旧本社社屋を活⽤した,魅⼒的なホテルとライブラリーが誕⽣。⼭内さんのように古くから京都にお住まいの⽅が京都を愛し,地域に貢献してくださっていることを,⼤変嬉しく思います。また,⼭内財団様からの「⾼瀬川再⽣プロジェクト」への多⼤な御⽀援のお申し出に感謝いたします。魅⼒あふれる京都のまちを共々に創ってまいりましょう。

■安藤忠雄⽒ コメント

「今、京都は地球上でも数少ない 1000 年都市といえます。その歴史の中で、ここ京都から任天堂さんは世界に向けて発信してこられました。この建物からは「過去から未来へ」という感じを強く受けます。だからこそ、この建物を可能な限り残したい。100 年程前に作られたこの建物を、さらに 50 年、100 年と持続させたいのです。だからこそ、変に⼿を加え過ぎないよう意識しました。⼭内財団様から⽀援いただいた⾼瀬川、そして京都を美しく。そして、古いものを⼤切にして、未来を紡ぐ街にしたい。そんな思いで設計させていただきました。」とコメントしました。

▽『丸福樓(まるふくろう)』施設内覧

内覧会では、任天堂創業の理念を表現し、任天堂の創業地から新しいアイデアが⽣まれていくエクスクルーシブなサロン施設である『Libraly dNa』が紹介されました。

■⼭内万丈が語る、Library dNa への想い
この建物は元々⼭内家の所有でありましたが、任天堂さんの倉庫として使われたのち、⻑く⽇の⽬を⾒ることはありませんでした。⼭内家としてもこのままにしておくのは忍びなく、どうにか活かせないかと⻑年考えておりました。

この場所は未公開の場所であったにも関わらず、世界各国から任天堂のファンの⽅々が記念に訪れて下さるシンボリックな場所です。側⾯の窓格⼦には、ファンの⽅々の落書きが記されており、その落書きを通して皆様の愛を感じておりました。
そんな場所であるならばこそ、この度、公開したいと考えました。また同時に、この場所が世代を超えて愛される場所となるよう、何度も議論を重ねた結果、ホテルとして開業する案が採⽤されました。

ここを訪れる⼈にとって、⼀番の価値となるのは、「任天堂の⾜跡に思いを馳せられること」であると考えています。現在、世界中で親しまれる任天堂も、⽣まれたその⽇から輝かしい栄光を⼿にしていた訳ではありません。その⾜跡を想像し、勇気をもらい、⾃分の⾎と⾁に変えることが出来るのだと信じています。

■各エリアご紹介
『丸福樓』は、1930 年代竣⼯の南北に連なる三棟の RC 造の任天堂旧本社社屋(「既存棟」)と、その⼀部を解体修復し、さらに新しく建物を増築した「新築棟」から成り⽴っています。スペード棟、ハート棟、ダイヤ棟、クローバー棟といったそれぞれのエリアは異なる雰囲気を有しながらも、当時の姿を残したままの貴重な造形物や、建築家・安藤忠雄⽒のこだわりが散りばめられており、それらが融和することで⼭内家の伝えたい任天堂創業からの想いを肌で感じられる設計となっています。

ハート棟の客室は、かつて⼭内家が実際に居住していた区画でもあり、当時の息遣いが残った温かみのある雰囲気となっています。ここには、任天堂作品を思わせるような⽂様が壁⾯に施された客室があります。和室併設の客室は、その当時の姿をほとんどそのままに残し、梁や柱、装飾からは当時の雰囲気をひしひしと感じられます。また、廊下や階段では装飾として、旧本社時代の当時のままのステンドグラスがあしらわれています。

クローバー棟は、昭和 5 年竣⼯で、『丸福樓』で最初に完成した建物です。当時のテクノロジーをありのままに感じられるエレベーターを始め、壁⾯には花札やカルタを⽤いた装飾が⾒られます。さらに、3 階の踊り場からは、外壁に設置された、旧本社社屋の象徴ともいえる「任天堂」の 3 ⽂字を⾒ることができます。
ダイヤモンド棟は、安藤⽒の設計によりシンプルでスタイリッシュに演出され、随所に安藤⽒らしさが散りばめられています。新築棟と既存棟のどちらにもまたがる唯⼀の客室もご覧になれます。

■『丸福樓』施設概要

名称:丸福樓(まるふくろう)
WEB サイト:https://marufukuro.com
Instagram:https://www.instagram.com/kyoto.marufukuro/

■⼭内家概要
1889 年、初代の⼭内房治郎が花札・かるたの製造や販売をする会社として「⼭内房次郎商店」を創業。 1947 年には任天堂の前⾝である「丸福株式会社」を設⽴。3代⽬社⻑⼭内溥が保有した株を、⼭内克仁、⼭内万丈を含む 4 ⼈が相続。
現在は、⼭内克仁が代表を務める⼭内財団、株式会社⼭内、⼭内万丈による Yamauchi-No.10 Family Office(URL:https://y-n10.com/)の 3 社を総称して⼭内家とする。

■Plan・Do・See 会社概要
設⽴:1993 年 4 ⽉
本社所在地:東京都千代⽥区丸の内 2 丁⽬ 1−1 明治安⽥⽣命ビル 10F
代表者:代表取締役野⽥豊加
事業内容:ホテル・レストラン・バンケットの運営
URL:https://plandosee.co.jp/


ライター
2019年11月に電ファミへ加入。小学生の時に『ラグナロクオンライン』に出会ったことがきっかけでオンラインゲームにのめり込む。コミュニケーション手段としてのゲームを追い続けている。好きなゲームは『アクトレイザー』『新・世界樹の迷宮2』『GTFO』など。
Twitter:@fuyunoyozakura

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