『刀剣乱舞-ONLINE-』で注目された刀“燭台切光忠”の輝きが蘇るまでを徳川ミュージアムに訊く──審神者が支えた3年間の軌跡とその裏側

 2015年1月に配信開始されたPCブラウザゲーム『刀剣乱舞-ONLINE-』(以下、『刀剣乱舞』)【※】が女性を中心に巨大なムーブメントを築き上げてから、4年めに突入しました。
 今では、ゲームという枠を超え、TVアニメ、舞台やミュージカルなどにも広がりをみせ人気はいまだ健在、女性向けゲーム市場を牽引し続けています。

※刀剣乱舞-ONLINE-……DMM GAMESとニトロプラスによる、2015年1月14日にサービスを開始したPCブラウザゲーム。2016年3月にはスマホアプリ版も開始され、現在好評配信中。歴史に名だたる日本刀が戦士の姿となり、彼らを「刀剣男士(ルビ:とうけんだんし)」と呼ぶ。歴史の修正を目論む敵“歴史修正主義者”と死闘を繰り広げていく。
(画像は刀剣乱舞(とうらぶ) – 公式 – DMM GAMESのスクリーンショット)

 この『刀剣乱舞』大ブームによって、これまでニッチな世界だった“刀剣業界”が激変しました。ゲームの影響で刀剣そのものにまで興味をもった“審神者(さにわ)【※】と呼ばれるゲームファンの女性たちが、各地の刀剣展に出没。

※審神者(さにわ)
『刀剣乱舞』における審神者はプレイヤーを指す(歴史用語とは異なる)。拠点となる本丸で彼らを主として束ねている。プレイヤーの数だけ審神者がいるとされており、アニメや舞台も“とある本丸”の話として描かれている。

 刀剣鑑賞のため全国を飛び回り、クラウドファンディングで刀剣再現や保存にまで尽力するなど、以前に電ファミでもお伝えしたとおりです。

『刀剣乱舞』ファンがこの3年間で巻き起こした覇業を振り返る。107万円の公式Blu-Rayに約70件の申し込み、刀1本の展示で経済効果が4億円、幻の日本刀復元に4500万円を調達!

 今回の記事では、とある刀剣に注目。その名は“燭台切光忠(しょくだいきりみつただ)”ゲーム内でも人気のあるキャラクターですが、元ネタとなった刀剣はこの3年間で驚愕の展開を迎えていたのです。

徳川ミュージアム企画展 「刀 KATANA」で展示されている“燭台切光忠”。

 まさに「その時、歴史が動いた」……。誰もが予想もしなかった出来事の詳細と事実には、さまざまな噂や憶測がつきもの。そこで、燭台切光忠を所蔵する徳川ミュージアムへ取材し、関係者へのインタビューから、つぶさにお届けします。

聞き手・文/みかめゆきよみ
写真/武田真由子
構成/かなぺん


“現存しない”と思われていた、燭台切光忠の激動の3年

 はじめに刀剣“燭台切光忠”について概要をお話ししておきましょう。

 これまで刀剣ファンのあいだで燭台切光忠は「関東大震災で焼失した」と言われており、「現存しないのでは?」と囁かれていたものでした。ところが2015年4月、茨城県水戸市にある博物館、徳川ミュージアム【※】の公式ブログに、現存を示唆する記事が投稿されました。

(画像は『武庫刀纂』燭台切光忠「家康公と御三家展」みどころ紹介 その① | 徳川ミュージアムのブログ のスクリーンショット)

 焼失ではなく被災刀? もしかして……「ないと思われていた刀がある……!」この一報により、燭台切光忠を巡る怒涛の展開が始まりました。

※徳川ミュージアム ……茨城県水戸市にて、水戸徳川家13代当主徳川圀順が公益財団法人徳川ミュージアム(旧 財団法人水府明徳会)を1977年に開館。水戸徳川家のまとまった史料がみられる唯一の博物館となっている。

 2015年5月2日の徳川ミュージアムのブログにて、燭台切光忠と同様に被災した脇指が紹介され、「燭台切光忠の現状もお察しいただけるかと思います」との記載が。
 これにより審神者ちは燭台切光忠が“現存する”と確ならば実物を目にしたいと思い始めたのです。この日からネット上では被災刀公開の賛否が分かれました。

 そこで、同ミュージアムでは5月17日に限定で被災刀【※1】の燭台切光忠の展示が行われ、世界中で実施されている「博物館の日」の記念イベントとして5月18日に特別公開を決定。その日の特別公開では燭台切光忠の撮影が許可されました。こうして世の中に大きな動きが生まれていきました。
 刀剣プロジェクトの一つとして、原田一敏氏(当時 東京藝術大学大学院美術館副館長/教授)による被災刀の詳細調査を開始。審神者たちによる寄付が集まりはじめました。
 7月11日〜9月2日まで同ミュージアムで展示された後、同年10月10日から12月13日まで羽田空港のディスカバリーミュージアムの徳川ミュージアムの企画展で公開されました。

 さらに2016年、ミュージアムは“刀剣プロジェクト”【※2】を始動開始。水戸徳川家伝来の名刀“児手柏”(このてがしわ)【※3】とともに、往時の燭台切光忠の姿を蘇らせる再現作(写し)※4】を作刀する運びとなったのです。

※2 刀剣プロジェクト……刀剣プロジェクトは関東大震災で被災した水戸徳川家伝来の名刀“太刀児手柏”と“刀燭台切光忠”を現代の名匠が新たに制作、名刀を文化財として守り伝え、新たな刀剣の制作により伝統技術を受け継ぎ、共に伝統文化を学ぶ、徳川ミュージアムの活動。
(画像は刀剣プロジェクト » 公益財団法人 徳川ミュージアムより)

※1 被災刀
焼けた状態の刀。燭台切光忠は関東大震災の折に本所区(現・墨田区)の徳川侯爵家(小梅邸・現在の墨田公園))の蔵で被災した。

※3 児手柏
鎌倉時代に大和国の刀工・包永が製作した太刀。もともとは戦国武将の細川藤孝が所持しており、その後、家康に譲られた。関ヶ原合戦の際に家康が佩刀したと伝えられている。

※4 再現作(写し)
刀匠の経験と古文書等の資料に基づいて、形状や図柄などを模倣した作品のこと。なお、元になった刀のほうは本歌(本科)と呼ばれる。

 こうした動きの裏で、ミュージアムはどのようなことを考え、動いていたのか。そしてどのようにして“刀剣プロジェクト”は進められたのかを知るために、当事者である徳川ミュージアムの学芸事務担当の鶴巻氏、学芸員の渡邉氏を訪ねました。

 もし『刀剣乱舞-ONLINE-』がなかったら……燭台切光忠は脚光を浴びずに被災したまま蔵の中にあったのかもしれません。多くの人に「現存しない刀」と思われたまま……。それがいまや多くの人を魅了する刀として不動の人気を得ています。
 これはゲームがもたらした奇跡とも言えるでしょう。お話を伺うことで、その軌跡を追えればと思います。

燭台切光忠が水戸徳川家に来た経緯と、被災した理由

──まずは、どのようにして燭台切光忠が水戸藩にやってきたのか、教えてください。

鶴巻氏:
 水戸徳川家8代斉脩(なりのぶ)公がまとめさせた『武庫刀纂』(ぶことうさん)※1】によると、伊達政宗公【※2】“燭台切”の号【※3】の由来を伺い、徳川光圀公【※4】は燭台切光忠を所望したと伝えられています。
 政宗公は手放すのは惜しいと仰ったのですが、後日、水戸徳川家に譲られました。いずれにせよ、燭台切光忠は政宗公から水戸徳川家に送られた刀剣ということです。

※1 『武庫刀纂(ぶことうさん)』……太刀や脇指、短刀など水戸徳川家伝来の刀剣や拵を詳細に写生した図と伝来を記した剣帳。文政6年(1823)に完成 。

※2 伊達政宗公
仙台伊達家(いまの宮城県および岩手県の一部が領地)の初代藩主が伊達政宗。戦国武将としても有名。

※3 号
逸話や伝説から付けられたニックネームのようなもの。燭台切光忠の場合は、罪を犯した家臣を政宗が銅の燭台ごと斬ったという逸話が由来になっている。
※4 徳川光圀(みつくに)公……水戸徳川家2代当藩。ドラマ「水戸黄門」で広く親しまれる徳川家の家紋「葵紋」の入った印籠を掲げるシーンが有名。ちなみに「黄門」とは官位の権中納言を中国での呼び方。

──光圀公といえば、「この紋所が目に入らぬか!」でおなじみの黄門様ですよね。そもそも燭台切光忠が作られた経緯について、徳川ミュージアムには伝わっているのでしょうか。

渡邉氏:
 燭台切光忠は鎌倉時代のものです。伊達家以前の来歴は不明です。刀工の光忠【※】が作刀したうちのひと振りで、のちに政宗公が「燭台切」と名を与えたのです。
 あくまで説のひとつとして、織田信長公や豊臣秀吉公も所有された時期があったと言われていますが、その根拠は確かではありません。。

徳川ミュージアムの中庭にある光圀公の像。後ろには徳川家康の像が設置されている。
※光忠……鎌倉時代中期の備前国(現在の岡山県)の刀工。刀工の流派である長船派の祖といわれている。

 とはいえ、ひとつ興味深い話があります。信長公は光忠が作った刀を大変好み、多数持っていたと言われています。燭台切光忠は、もともと太刀【※1】だったのですが、磨上げ(すりあげ)【※2】して約2尺2寸(約83.6㎝)となりました。

太刀は大きな弓型の反りをしており、刃を下向きにして佩く。一方、打刀は刃を上向きにして腰に挿す。展示物を見るときは、刃の向きに注目するとわかりやすい。(燭台切光忠はもともと太刀であったが磨り上げをされ一回りサイズが小さくなっているため、打刀のように刃が上向きにして展示されている)
※1 太刀……日本刀の種類のひとつ。平安時代から鎌倉時代の武将たちに多く使われた刀。刃渡りが60cm以上と長く、馬上での使用を想定されている。
※2 磨上げ……長い刀身を所持者の好みに応じて短くすること。握る側である茎(なかご)を削る

 燭台切光忠の再現作を作られた刀匠の宮入法廣(みやいり・のりひろ)さんは、研究の結果、この「2尺2寸」という寸法は”信長好み”の長さと考えています。そこから考えたときに「信長公が所有し、太刀から刀に磨り上げた可能性が高い」とおっしゃっています。

── 一般的に燭台切光忠は関東大震災で焼けてしまい「ない」と思われていましたが、ミュージアムの認識はいかがでしたか?

鶴巻氏:
 じつは、燭台切光忠の所蔵を隠していたわけではなく、以前にも展示をしております。水戸徳川家では被災した名刀を家宝としていまだに受け継いでおります。現在はミュージアムで保管をしています。いくつかの書籍が誤った記述を広めましたが、隠してはおりません。話題にならなかっただけです。

──ええええっ!? そうなのですか? 

渡邉氏:
 はい。「燭台切光忠」は刀の蔵品台帳にも記されていますが、多くの問い合わせを受けてあらためて『武庫刀纂』に記された寸法や絵図で目釘穴【※】の照合をしました。

※目釘穴……柄(つか)と刀身を固定するために開ける穴。目釘穴に目釘を差して固定する。

 この目釘穴というものは刀ごとに特徴的で『武庫刀纂』の絵図と照らし合わせると伝来の刀剣はほぼ同定できます。また、当館研究員はもともと蔵の中できちんと場所を特定して保存されていたのではないか」と考えています。

──保管場所まできちんと管理されているほど重要な刀だったというわけですね。

渡邉氏:
 ええ。『刀剣乱舞-ONLINE-』の波及効果でお問い合わせがあって以降“初公開”というイメージがあるのですが、それ以前から存在自体は確認できていました。ただ美術品としての刀剣として、被災した刀に対する価値が高くなかったため、展示してもあまり注目されてこなかったというわけです。

──なるほど。“美術品としての刀剣”とプレイしている方がいたの見たときに価値が高くなかったわけですね、そもそも燭台切光忠はどんな焼けかただったのでしょう。

渡邉氏:
 関東大震災の火事のあと、保管されていた蔵を開けたときに、バックドラフト【※1】のような現象が起こり被災したのではないか、と推測されています。状態としては、鎺(はばき)【※2】が解けて刀身に癒着していますので、金の鎺をつけて白鞘【※3】に納めた状態で蔵にあったのかと思います。いまも刀、武器としての力強さを感じます。

※2 鎺(はばき)……刀身の手もとに付ける金具。刀身と鞘を固定する機能がある。

※1 バックドラフト
火災発生時に密閉された空間があると、そこに一酸化炭素が溜まり、開け放った瞬間に一酸化炭素と酸素が結び付いて化学反応を起こし、爆発する現象。

※3 白鞘
無加工の木材で作られた鞘。

『刀剣乱舞-ONLINE-』1年目。美術的価値を失った被災刀に、これほど反響があるとは想像だにしなかった

──では、ここから本題の燭台切光忠にまつわる3年間についてお訊きします。2015年1月14日に『刀剣乱舞-ONLINE-』のサービスが始まりました。すぐに燭台切光忠についての問い合わせがくるようになったと思うのですが、そのころの博物館の様子をお聞かせください。

鶴巻氏:
 じつは、当館のスタッフのひとりが『刀剣乱舞-ONLINE-』審神者だったそうです。その後、2月あたりからたくさんのお問い合わせをいただきまして、4月に館長に「水戸徳川家に伝来した燭台切光忠がゲームで人気になっていますが、あるのですか?」と訊ねたそうです。存在はわかっていたので、ゲームについて深く知るようになりました。

──こんなにも問い合わせが殺到することを想定されていたのでしょうか。

鶴巻氏:
 いえ、想定外でした。一振の刀がきっかけで、多くの方の注目集めて、とても驚きました。

──燭台切光忠に関する問い合わせを受け、実際に展示をされたころのミュージアムの様子はいかがでしたか?

鶴巻氏:
 2015年5月に当館で公開したのち、同年10月に羽田空港のディスカバリーミュージアム第19回企画展「徳川ミュージアム所蔵品精選 TOKUGAWA IEYASU 天下泰平の軌跡」で展示させていただきました。

2015年5月17日の限定公開で行われたミュージアムトーク。熱心に話を聞く参加者たち。
(画像はミュージアムトーク 武庫刀纂に描かれた水戸徳川家の名刀 を開催しました! | 徳川ミュージアムのブログ

──羽田空港の展示会では、光圀公の印籠を見ていた方が燭台切光忠を見に来る女性の多さに驚いている姿が印象的でした。

渡邉氏:
 展示を発表したときの反響は本当に大きかったですね。実物を目にして涙していらした方が印象的です。美術的価値は時代によって変化します。被災刀は従来の刀剣鑑賞において美術品としての価値を失いましたが、ファンの方々から隠されていた価値が見出され、ひとつの刀がここまで人の心を動かすのかと、我々も感動しました。

──ミュージアム宛のファンからの手紙を拝見させていただきました。燭台切光忠はファンからとても愛されているのだなと感じましたし、ミュージアムの方もファンをとても大切にしているのだと伝わってきました。
 手紙には海外からのものもいくつか見られましたが、いつから海外の方も訪れるようになったのでしょうか。

鶴巻氏:
 水戸の梅まつり【※】がきっかけで海外の方がお越しくださることが増えました。さまざまな国からきてくださっています。

※水戸の梅まつり
毎年2月中旬~3月下旬に行われる茨城県水戸市のお祭り。日本三名園のひとつとして知られる偕楽園や、日本最大級の藩校・弘道館などの名所が梅で彩られ、期間中はさまざまなイベントが催される。

──いちばん遠くはどこからでしょうか。

鶴巻氏:
 台湾はじめマレーシアやハワイのかたもいらっしゃいました。所蔵品のガイドアプリ音声案内を『刀剣乱舞-ONLINE-』で燭台切光忠を演じている声優の佐藤拓也さんにお願いしているのですが、海外のお客様も楽しそうに聴いてくださっているようです。

──公開初年の2015年は、5月に1日限りの展示をされたあと、7月から一般公開を始めていますが、その月の来場者がやはり多かったのでしょうか。

鶴巻氏:
 はい。お待たせしてしまい恐縮でしたが、駐車場まで、ご入館をお待ちいただく列ができました。

写しを作るプロジェクトが始動し、再現作に到った2~3年目

──燭台切光忠が好きな審神者たちが「燭台切光忠がある」と知って館にやってきたのが1年目。2年目には刀剣プロジェクトが始動しましたが、始動の経緯を教えてください。

鶴巻氏:
 刀剣プロジェクトは、2016年1月9日に立ち上げを発表し、2月から始動しました。内容は燭台切光忠と、家康公が関ヶ原の戦いで佩いた児手柏の二振りの再現作を制作し、名刀を文化財として守り伝え、伝統技術を受け継ぎ、共に伝統文化を学ぶというプロジェクトです。

渡邉氏:
 被災した刀を再刃【※】することも検討しましたが、リスクはゼロではありません。折れるかもしれないし、欠損するかもしれない。
 また水戸徳川家ではたとえ美術的な価値は失われても、その刀のもつ歴史的な価値は何ら変わらないという認識があります。そこで貴重な文化財を再現するという手段を選んだのです。

※ 再刃
刃がなくなったり焼けてしまった刀を再度焼き入れし、元に近い状態に戻すこと。

渡邉氏:
 また博物館が行う利点を活かし、刀匠にもご協力をいただいて、作刀の過程を公開したり、レクチャーを何度開催して、「文化財をともに学び、ともに受け継ぐ」というコンセプトのもと、皆さまにも体験し見守っていただきました。
 その一環として、刀剣を保管する箪笥も作らせていただきました。指物【※】という伝統工芸があります。昔は婚礼道具などで桐箪笥を作っていましたが、昨今では作る機会が少なくなってしまったそうです。
 今回、そうした職人の方々に箪笥を依頼させていただいたところ、「若者に大物を作らせる機会になる」ということで、たいへん喜ばれました。このように、職人の技術伝承の機会を作ることも「文化財の未来につながる契機を作りたい」というのが刀剣プロジェクトの目的のひとつでもあります。

※指物
板を差し合わせて箪笥や机などをつくる職人。

──ミュージアムの立場から、刀剣界や伝統文化について何ができるかを考えたわけですね。

渡邉氏:
 再現作の制作はもちろんのこと、それに関わる人や物や技術を知る、見る、未来へ伝えるというハブの役割、「博物館だからこそできること」にチャレンジしました。

──刀剣プロジェクトを発表したときはファンからの反響の声も大きかったのではないでしょうか。

鶴巻氏:
 大変な反響をいただきました。たくさんのご寄附もいただきプロジェクトがスタートしました。その後、当館で催したイベントに参加していただけたりしました。

──プロジェクトに賭ける思いが伝わってきます。実際の作業のご苦労も半端ではなさそうですが。

鶴巻氏:
 『武庫刀纂』に細かい絵図があるおかげで、むしろ刀匠がとても悩まれてしまったのです。何も記録のない刀の再現は制約がありませんが、光忠は正確な姿を絵図で今も見ることができます。
 水戸徳川家は刀だけでなく、何事も細かく記録し、残しています。それがあったからこそ燭台切光忠の再現作を作ることができたわけですが、ある意味細かく描かれすぎていると宮入刀匠はおっしゃっていました(苦笑)。

──詳細すぎるがゆえに、再現が逆に難しくなってしまったと。

鶴巻氏:
 はい。たとえば“映り”【※】の部分。燭台切光忠の特徴でもあり、波のように見えるのですが、その細かい再現が非常に難しかったとおっしゃっていました。

※映り
刀身の地肌に現れた紋様。鎌倉時代から室町時代の刀にみられる特徴だが江戸時代に一度絶えた。玉鋼では再現困難だと言われている。

渡邉氏:
 さらに、光忠がもともとは太刀であったことにもこだわられていました。もとのサイズを想像し、まず太刀の大きさで作り、それを磨り上げています。入刀匠が「燭台切光忠の経緯を辿なければ再現はできない」と仰って、そこまでこだわって作られたのです。

──それを知ってからですと、再現作の見かたが変わりますね。じっくりと作られた刀ですから、完成までに時間がかかったというわけですね。そのあいだ、ファンからの問い合わせなどあったことと思います。

鶴巻氏:
 宮入刀匠のご協力で、「初打式」からはじまり、再現作ができるまでの過程を公開、作刀の方法や材料の選定から「写り」の再現方法に至るまでをお話いただいた上で、作刀途中の刀に触れてみるなど多数のワークショップを開きました。「共に学ぶ」という刀剣プロジェクトならではの試みです。また多くのご寄附もいただき、さまざまな方に支えられているプロジェクトだと実感できる日々でした。

──その一方で、2年目からは『刀剣乱舞-ONLINE-』とのコラボイベントも行っていましたが、これが始まったのが2016年2月からとのこと。ちょうど刀剣プロジェクトが始まったころですね。どのようなコラボイベントを開催されたのでしょうか?

鶴巻氏:
 2016年は水戸市とやらせていただきました。「水戸の梅まつり×刀剣乱舞-ONLINE-×徳川ミュージアム『水戸の武』周遊イベント」というイベントになります。

 2017年からは、アニメ『刀剣乱舞-花丸-』とのコラボイベント『花丸遊印録』が開催。首都圏からJR常磐線沿線や、德川家ゆかりの水戸市内の文化施設などを周ると限定グッズがもらえる周遊イベントを行いました。さらに2018は水戸市内にあるカフェ5店舗で燭台切光忠をイメージしたメニューが展開されて、地域活性にも寄与できたと思います。

水戸市にあるPro Cafeで提供されていたコラボメニュー
(画像は刀剣プロジェクトコラボカフェのお知らせ③♪Pro cafe | 徳川ミュージアムのブログ

 外見のイメージから黒に金がメインを基調としたものが多かったと思います。どのお店も一生懸命考えてくださって。コーヒーなどの大人っぽいメニューが多かったように感じます。

──現在もミュージアムショップで燭台切光忠関連のグッズが多数販売されていますね。

鶴巻氏:
 ありがとうございます。全体的に落ち着いている感じに仕上がったかなと思っています。

燭台切光忠と徳川ミュージアムのこれから

──2年目でプロジェクトが立ち上がり、3年目でお披露目となったわけですが、そのときの気持ちをお聞かせください。

鶴巻氏:
 おもわず、泣いてしまいました……。燭台切光忠の横に、さまざまな経緯を経て誕生した再現作が並んでいる。そのことがもう感動的でしたね。
 多くの方の支えがあって、集大成としての公開ですから。初お披露目で涙を流したお客様の横で、私ももらい泣きしていました。この輝きを多くの方に知っていただきたいと思いました。

 これからは、経緯をご存知ではない方にも燭台切光忠にまつわるこれまでの出来事を知っていただけるよう模索していかなければと思います。

──ゲームのファンの方はプロジェクトのバックボーンを知っていますから、むしろ一般のお客さまにそのすばらしさを知ってもらいたいということですね。渡邉さんはいかがでしたか。

渡邉氏:
 本来の刀の用途としての力強さ、畏怖を感じましたね。「この感覚は何だろう?」と思うときがあります。被災刀からは感じませんでしたが、再現作からは感じるものがある。そこまで蘇ったという気持ちはありますね。

──実際に人を斬ってはいない再現作からそのような雰囲気を感じるのはとても不思議ですね。

渡邉氏:
 再現されるまでに積み上げてきたものからそう感じるのでしょうね。ある意味このプロジェクトも燭台切光忠の歴史であるわけですから、プロジェクトでの想いが再現作に込められたのかなと。そしてさらに未来に繋がっていけば、と思います。

──現在の展示を始めてからのお客さんの動向はどうでしょう。

鶴巻氏:
 特に『花丸遊印録』のコラボ期間中は、毎年ほんとうにたくさんの方々にご来場いただきました。年を追うごとにご入場者数が増えています。

──少し気になるのが、若い女性が来るようになって、これまで刀剣を愛されていたご年配の方からの反応はいかがでしたか。

鶴巻氏:
 いろいろなご意見があるとは思いますが、長年、刀剣観賞がご趣味というお客様がとても嬉しそうに「注目されるようになったんだね」と仰ってくださいました。好意的な印象をお持ちの方が多いと感じますね。
 マナーを守って見学されていて、さらには興味を持ってメモなどを取ってくださったりして。とてもありがたいですね。

渡邉氏:
 何より、皆さまが敬意を払ってご覧くださっているのが伝わりますね。刀だけでなく伝来の品々もじっくり見学してくださるのも非常に嬉しく思っています。

──いい広がりですね。ちなみに、本日お伺いしたとき、ショップの横に刀剣プロジェクトの貼り紙がありましたが、現在も募集中ということでしょうか。

鶴巻氏:
 引き続き寄附の募集を行っております。

──これからいただいた寄付金は、保存に役立てていくということですね。

鶴巻氏:
 はい。燭台切光忠のみならず、当館で所蔵している刀剣すべてを保存保護し、伝えていくことにも役立てさせていただいており、刀剣箪笥も含め、文化財を守り伝えるための支えにさせていただいております。

──継承していくことが大切ですね。ところで、徳川ミュージアムならではの展示のこだわりはありますか。

鶴巻氏:
 いままさにこだわりの展示を行っております! 身長160㎝くらいの身長の方を目安に刃文や写りが見やすいようなライティングをしています。

企画展 「刀 KATANA」の陳列様子。

 また、新たに立体展示ケースを導入しまして、そこに再現作を二振り展示しています(※2018年6月)。人がガラスに映り込みにくいので、展示物をより近くに感じると思います。

──最高のコンディションですね! これからも定期的な展示を行いつつ、燭台切光忠はここで歴史を刻んでいくのですね。

鶴巻氏:
 はい。これからもいろいろな企画を考えていく予定です。皆さまにずっとお楽しみいただけるようにと思っています。(了)


燭台切光忠が展示されている場へ……

 インタビューのあと、同館で開催中の企画展“刀 KATANA”に赴き、実際に展示されている焼刀の燭台切光忠と写しの燭台切光忠を鑑賞しました。

 企画展の展示室に入る前にまず目につくのはパネルとなった写真群。燭台切光忠の写しができ上がるまでの過程が見られます。

宮入刀匠を追い続けたカメラマンの木村氏の、燭台切光忠の再現作が生まれるまでの写真が多数飾られている。

 展示室に入ってまずチェックすべきポイントは、インタビュー中にもたびたび登場した「武庫刀纂」。取材時は、燭台切光忠について記されたページが開いた状態で展示されていました。いや、本当に配慮が細かい!(※2018年7月現在は展示されていません
 企画展示室の中は刀剣パラダイス! 企画展開催期間は徳川ミュージアムが所蔵する刀が数回の展示替えをしながら居並びます。一度と言わず、二度三度と足を運んで鑑賞したいものですね。

 さて、いよいよ燭台切光忠とのご対面です。我々が取材に訪れた5月下旬では、最新の展示ケースに再現作の燭台切光忠と児手柏が並んで展示されていました。特別展示の開催当初は、二振りの燭台切光忠が隣合わせに並んでいたそうです。

 まずは焼刀の燭台切光忠を鑑賞。想像よりもしっかりしており、磨けば確かに在りし日の姿を取り戻しそうな雰囲気があります。しかしそれによる損傷を考えると、このままがベストなのでしょう。今の状態も含めて、燭台切光忠の歴史なのですね。

 続いて再現作を鑑賞。こだわりのケースは確かに人の映り込みが少なく、クリアな状態で鑑賞することが可能です。
 ちなみに館内の写真撮影はOK(一作品につき一枚のみ、フラッシュはNG。人の映り込みを回避するためにやむを得ず角度を変え、「映り」や「刀文」がうまく撮れないというジレンマがありません!
 人が少ない時間に出かけて、少し引いて見比べてみてはいかがでしょうか? 反りの部分を目視するのは少し難しいですが、よ~く見ると再現作のほうがやや反りが深いように感じます。

在りし日の輝きをみせる燭台切光忠再現作。威風堂々とした佇まいを是非堪能してほしい。

 鶴巻氏に燭台切光忠の鑑賞ポイントを伺ったところ、「燭台切に関して言えば宮入刀匠が苦心の末 再現された”映り”です」とのこと。
 見比べると、児手柏はツヤっとしていて反射がまぶしい印象を受けました。「ひと振りひと振り違うことが面白いですし、刀を知らなくてもそういったところで楽しめると思います」と鶴巻氏。

 もうひとつの鑑賞ポイントは再現作の裏側。「銘(めい)【※】は刻まれていたのか?」という質問をしたところ、
 「燭台切光忠の樋(ひ)【※】は表裏で異なります。通常は磨り上げたときに刀のバランスを均等にします。宮入刀匠が押し型をとられたとき、光忠の「光」の字が浮かんで見えたとのこと。銘があるのではないか」、とおっしゃっていましたと渡邉氏。
 展示ケースは裏側に回って鑑賞することも可能(※2018年7月現在)なので、ぜひ再現作もご覧ください。

※銘(めい)
刀の茎(なかご)の部分に彫った刀工の名前。年月日が入ることもある。

※樋(ひ)
刀身の両面に彫られた細長い溝。軽量化や、溝に沿って血を伝わせる役目があると言われている。

 『刀剣乱舞-ONLINE-』が配信されてから4年目……。燭台切光忠というひと振りの刀が巻き起こした軌跡には、さまざまな人の想いが詰まっていることがインタビューからも伺えました。

 ただの“ブーム”に終わらず、歴史的にも文化的にも大きく刀剣業界が動くきっかけを作った『刀剣乱舞』。
 ゲーム好きから始まり、「刀剣が好き」、「刀剣は美しい」、「日本の伝統を守る意義」を見つめた審神者たちの3年間もまた、きっと刀剣業界の歴史に1ページを刻んだことでしょう。

徳川ミュージアム

住所:茨城県水戸市見川1-1215-1
開館時間:10時〜17時
休館日:月曜日(祝日の場合は開館、ただし2・3月は無休)、年末年始 ※変更となる場合あり
※企画展 「刀 KATANA」は水戸徳川ミュージアムにて2019年3月31日 まで開催予定です。

【プレゼントのおしらせ】


★燭台切光忠アイテムプレゼント★
徳川ミュージアム限定の燭台切光忠の等寸大写真つきパンフレットと押形マスキングテープのセットが、3名様に当たる!@denfaminicogameをフォロー&ツイートをRTで応募完了です。
当選者様にはDMでご連絡いたします。

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みかめゆきよみ
フリーランスでライティング、漫画、イラストなどで活動中。エンタメを通じて歴史の楽しさを伝えることがモットー。
著書に『ふぅ〜ん、真田丸』(実業之日本社) 『北条太平記』(桜雲社)
 
構成
コスプレ雑誌の編集部を経て、電ファミ初の女性スタッフとなった編集者。乙女ゲームと育成ゲームをこよなく愛し、BLゲームを嗜んでいる。2.5次元舞台の観劇とコスプレ撮影が趣味。アニメに影響されフィギュアスケートを習っている。
 
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