「音ゲー」の企画の発端は丸山氏から?
――あと、やはりPS初期と言えば、「音ゲー」の登場もありましたね。でも、『パラッパラッパー』【※】みたいな音楽ソフトって、もう家庭用ゲーム機では最近見かけない印象があります。
川上氏:
見かけないよね。でも、SMEから無理矢理に連れて来られた80人は、音楽のゲームでも企画しないと、やってられない気分だったんじゃないですか。
丸山氏:
いやいや、あの音楽ソフトたちは俺が立てた企画だよ。
川上氏:
本当ですか!
――音ゲーを仕掛けたのが、丸山さんということですか?
丸山氏:
そう、やりたかったんだよ。だって、当時は任天堂がいて、セガがいたわけ。こっちはアーケードのナムコはあるけど、ソニーっぽいゲームが何もないんだよ。そこで、俺はソニーっぽいものとして、音楽系のゲームを作ろうと思ったの。
川上氏:
いやあ当時、とても画期的なゲームでしたよね。でも、その後に作品が続かなかったのは、もしかして丸山さんが引退してしまったからですか?
丸山氏:
いやあ、どうだろう。でも、一生懸命にこっちで「作ってくれ」と言わないと、あんまり作ってもらえないジャンルではあったな。だから、俺が頼んだものしか作られなかったのはある。その意味では、水口哲也くん【※1】の『Rez』【※】は、珍しく俺が頼んだものではなかったから、もう俺は凄く嬉しくて、感動しちゃったな。
※1 水口哲也
1965年生まれのゲームクリエイター。音楽や映像を共感覚的に融合させる作風を持ち味としている。代表作に『セガラリー』『スペースチャンネル5』『Rez』『ルミネス』『Child of eden』など。2016年にPS VR向けソフト『Rez Infinite』をリリースした。
――今、ああいう作品を作るように動いてくれる、丸山さんの弟子みたいな人たちは……。
丸山氏:
今はもう社内のソニー・ミュージックの流れは消えちゃってるよ。だって、ソニー・ミュージックの連中はみんな、最初はゲームの仕事なんて嫌がってて、「俺たちは音楽が好きで入ったのに、なんでゲームなんてやらなきゃいけないんだ」と文句を言ってたくらいなんだから。だから、しばらくして成果が出たら、みんな自分が大好きな音楽の世界に戻っちゃったんだね。
――なるほど。本当に、あの一瞬にだけ家庭用ゲーム機で成立したジャンルだったというか。ちなみに、『パラッパラッパー』みたいな作品の内容については、丸山さんが何か具体的なお願いをしたのですか?
丸山氏:
いや、具体的なところは松浦くん【※】が勝手に考えてくれた。俺は「音楽で何か考えてくれよ」と言っただけ。そんなの、俺はクリエイターじゃないんだから、アイディアなんて何にもないよ。
※松浦雅也
1961年生まれのミュージシャン、ゲームデザイナー、プロデューサー。打ち込み音楽の先駆け的男女ユニットPSY・Sで1985年にデビュー。その後、『パラッパラッパー』のゲーム音楽や、黒沢清の映画『スウィートホーム』(1989)の音楽監督、ソニーが発売したペットロボット「AIBO」のサウンドなど幅広く活躍している。
川上氏:
僕、松浦さんに初めて会ったのが、着メロサイト【※1】で『パラッパラッパー』の着ボイス【※2】をやってるときだったんですよ。そうしたら、ミーティングのときに、スティーブン・ピンカーの『言語を生みだす本能』だとか、ロジャー・ペンローズの『皇帝の新しい心』だとかを薦めてきて、こういうのを読んでいないと仕事は一緒にできないと言うんですよ(笑)。すげえ面白いことを言ってくるなと思って読んだんです。本も実際に面白かったんですけど。
※1 着信メロディ
携帯電話に着信があった合図に鳴るメロディーのコンテンツ。携帯電話に予め登録されてる電子音を使って音楽を再現したもの。
※2 着信ボイス
携帯電話の着信音に設定することを目的とした音声コンテンツ。主に芸能人の声や効果音などが使われる。
――ええ、すごい。理系と文系の境界領域の名著ですよね。
丸山氏:
なんだい、そりゃ(苦笑)。
川上氏:
ソニーの周辺には本当に知的な文化があるなあと思ったんです。そういう「ソニー的」な魂の文化圏にエンタメのSMEやSCEも含まれているんだとびっくりして憧れたんですよ。
丸山氏:
そりゃ、きっと松浦は人を選んでるんだぜ。その本が読めるかどうかで、自分が一緒に語るに足る人間かを判断してるんだろ。だって、俺には「この本を読んでくれ」とさえ言わないもん、アイツ(笑)。そんな片鱗すら見せたことがない。そういう男なんだよね。
川上氏:
ええ、そうなんですか。てっきり、ソニーの中心にはそういう話を語り合う集団がいるのかと……。
丸山氏:
いねえよ、そんなの。バカばっかりだよ。
一同:
(笑)
――なるほど。でも、そういう文化系的センスに強いクリエイターが、次々に登場してきたのもPS時代でしたね。
川上氏:
でも、スター的なゲームクリエイターの登場って、本当に会社のプロモーションの都合だった面も大きいんでしょうね。実際、その後にゲーム業界では、スタークリエイターがどんどん独立していったけど、「あれ、この人が本当に作っていたんだろうか……」というようなこともありますよね。
一同:
(笑)
丸山氏:
それは、あるね。中には「本人は自分が作ってるつもりだった」なんてのもあって、ちょっとおかしいよね(笑)。
川上氏:
結局、ゲーム制作って共同作業ですからね。それに、個人の才能に紐づけられがちなミュージシャンでさえ、やっぱり本当に一人で作ってるわけじゃないでしょう。
丸山氏:
そりゃ、そうだよ。俺の最初の仕事は太田裕美【※1】の宣伝担当だったんだけど、あれは作詞家の松本隆【※2】が彼女の魅力を上手く引き出したんだよね。なにせ、彼は太田のために百何十曲という、アルバム十何枚分の歌詞を書いているんだよ。
※太田裕美
1955年生まれのシンガーソングライター。「雨だれ/白い季節」でデビュー。代表曲に「木綿のハンカチーフ」「赤いハイヒール」「さらばシベリア鉄道」など。
※松本隆
1949年生まれの作詞家・音楽プロデューサー。ロックバンド・はっぴいえんどの元ドラマー。太田裕美、近藤真彦、松田聖子、薬師丸ひろ子、KinKi Kidsなどのアーティストの歌詞を手がけ、作詞は2100曲以上にのぼり、オリコンでTOP10入りした楽曲は130曲を超す。アニメ『マクロスF』の挿入歌「星間飛行」の歌詞なども手がけている。
だから、太田裕美からしたら、松本隆は大恩人。ところが、松本隆の「作詞家生活ウン周年」みたいなイベントのときに、太田裕美が挨拶したんだけど、それが凄かったのよ。壇上で「松本さんの歌詞のお陰で、今の私がいます。……でもね、私が歌ってあげなかったら、あなたはここまで来れなかった!」と言っちゃった。
――わあ。
川上氏:
会場はどうなったんですか。
丸山氏:
そんなもん、みんな大笑いで、一同で大拍手だよ(笑)。だって、そこにいた全員、この業界の仕事ってのは、そういうもんだと知ってるからさ。俺も「いいこと言うじゃねえか」って思ったよ。まあ、松本さん本人だけは苦笑いしてたけどね。
川上氏:
でも、そうなりますよね。実は、名前が出るか出ないかまで含めて、役割分担ですもんね。
音楽業界からの”いじめ”がニコ動を生んだ!?
川上氏:
ところで、その後に丸山さんが「着メロ業界」を潰した話【※】も、当事者として聞いておきたいんですよね。ええ、潰された側としては。
※「着メロ業界」を潰した話
着メロは携帯電話に予め登録されてる電子音を使っていたのに対して、着うたはレコード会社の原盤音源を使用していた。そのため、着うたは音源を保有するレコード会社や芸能事務所などに楽曲使用の権利があった。この点を利用して、後述のように、音楽業界全体は着メロ業界側からの権利の取引に一向に応じなかった。
――ええええ、いい感じで進んできたのに、その話をするんですか。
丸山氏:
はっはっは。潰したも何も、あんなのは時代の流れでしょ。だって、着メロの次に着うた【※】に行くのは当然だろ。
※着うた
携帯電話に着信があった合図に鳴る歌のコンテンツ。携帯電話に予め登録されてる電子音を使う着メロに対して、着うたは、レコード会社の原盤音源を携帯で扱えるファイルにした音源となる。そのため、着うたは音源を保有するレコード会社や芸能事務所などにも楽曲使用料を支払う必要があった。
川上氏:
ああ、時代の流れですか(笑)。つまり、時代の流れだったから「しょうがない」と、着メロ業界を着うたで潰した、と。
一同:
(笑)
川上氏:
だって、権利も全く売ってくれなかったじゃないですか。収益の70%を分配するという着メロとは桁違いのロイヤリティを提示されて、でもしょうがないから、それで構わないと言っても、それでも売ってくれない。音楽業界があんなに統制が取れていたのは……やはり丸山さんが声がけを始められたんですか?
丸山氏:
いやいや、阿吽の呼吸でみんなで「ハイ、やーめ」となる体質はあるんだよ。だいたい、俺はレーベルゲート【※1】には関わってるけど、レコチョク【※2】は知らないよ。そんなの、ドワンゴこそエイベックス【※3】に近いんだから、直に聞けば良いだろう。
※1 株式会社レーベルゲート
株式会社ソニー・ミュージックエンタテインメントが中核となり、音楽業界各社が出資の下で2000年に設立された日本の企業。ファイル共有ソフトなどによる著作権侵害を抑止し、音楽業界全体の損害を減少することを目的として活動を行っている。
※2 株式会社レコチョク
2001年に設立された日本のIT関連企業。また同名の有料音楽配信サイトのこと。社名は「レコード会社直営」に由来し、その名の通り国内主要レコード会社の共同出資による企業であり、国内最大級の音楽ダウンロードサービスと聴き放題サービスを展開した。
※3 エイベックス・グループ
1988年に創立した、エイベックス・グループ・ホールディングス株式会社を持株会社とした日本の企業グループ。
川上氏:
いやあ、もちろん、それこそトップの経営者の人たちからも話は聞いているんですけど、いまいち本当のところが分からないんですよ。
丸山氏:
だってさ、メーカーの著作権課はつるんでるからな。トップ同士のつるみよりも、著作権課のつるみの方が強いもん。音楽出版のときに、「この曲をお前のところに貸してやるから、お前のあの曲を俺のところに貸せ」みたいなディールを、現場でやるからそうなるんだよな。
で、経営者も著作権の知識があるわけじゃないから、法務の連中に言われるままだよね。「ダメです」と言われたら、「そうか」と引っ込んじゃうんだよ。
川上氏:
ただ、僕がちょっと感じてるのは、着メロ業界を代表して「着うた」の権利交渉をしていた会社のフェイスが、どうも嫌われてた気がするんですよ。
丸山氏:
うん。それはありうるな。
川上氏:
たぶん、着メロ業界というかIT業界の連中って、音楽業界のひとたちからみたら、絶対に生意気に見えたはずだし。そうこうしているうちに、auがお金を出してくれて、大成功してしまったもんだから、レコード会社がみんな乗っかっていった。別に強固に着メロ業界を排除しようとする戦略が最初からあったわけじゃないようにも思えます。
丸山氏:
でもさ、ディールが自分に返ってきて儲かれば良いという理屈も、本来はあるじゃない。結局、川上さんたちがどうも儲けているらしいということへのジェラシーがあったと思うよ。
川上氏:
まあ結局、僕らもお陰でニコニコ動画を作らざる得なかったんで、良かったのかもしれないですけどね。
丸山氏:
そうだよなあ。その中で生き残ってるんだから、偉いよね。
音楽の歴史はもう終わる
川上氏:
しかし、今の音楽業界には、昔ほどの元気がなくなったように見えます。僕が着メロをやってたときは、何かにつけ凄みがありましたからね。でも今、Appleに対して音楽業界が何か抵抗しているかというと、何もやってないに等しいですよね。
丸山氏:
何もやってないね。そもそも、今の音楽業界には何も目標がないもん。もうレコード会社は終わるんだと思うよ。
川上氏:
確かに、配信のプラットフォームの中心を海外に取られてしまったのはありますよね。ガラケーの時代にはレーベルモバイル【※】が市場を席巻していたんですが、スマホになって、それが崩れました。
※レーベルモバイル株式会社
株式会社レコチョクの旧名。
丸山氏:
ああ、いや……そんな問題じゃない。そもそも、もう世界的に若い人が買ってまでして音楽を聞かなくなっちゃっている。俺はここに凄く悲観的でね、“音楽だけ”という表現そのものが終わりを迎えるんだと思ってる。もう、純粋な意味での新しい音楽は出てこないんだろうな、と。
――それって、だいぶ話が大きいというか、日本の市場がどうこうという話ではないんですね。
丸山氏:
だって、もう若い子でCDプレーヤーを持ってる子なんていないだろ。彼らはネットでダウンロードした曲をスマホで聴くんだけど、そこには画面があるんだよ。とすれば、コンテンツの形としては映像がある方が自然になる。でも、それは純粋な意味での音楽とは違うものだから。
川上氏:
つまり、音楽に取って代わるものとして、スマホの映像になるということですか?
丸山氏:
結局、流行るソフトはハードによって定義されるからね。むしろ映像を活かすためのBGMのような立場に、音楽はなっていくんだと思うな。
まあ、VRもあり得るんだけど、ハードが手に入るかどうかだね。やっぱり一番手近にあるイクイップメント(機器)に合わせたソフトが流行るわけよ。だって、ほとんどの時間、俺たちは手近なイクイップメントのハードを使うんだから。
――なるほど。そうなると、スマホでしょうし、動画になるでしょうね。
丸山氏:
そうだろうね。あと、昔に比べて楽曲の起承転結も、ハッキリしなくなってきたよな。全体的に断片的になっていて、終わりも始まりも明確じゃない。これもコンピュータの時代の特徴なんだと思うね。
もちろん、それでも古い音楽は「昔にあったそういうもの」として、聴かれ続けるとは思うよ。でも、新しい音楽は、どうなるか。そういうものとは違ってくるだろうな。
川上氏:
実際、動画サイトでは「音楽PV」としての音楽になり出してますよね。
――日本のニコニコ動画であれば、人気のボーカロイド作家は絵師や動画師とコラボするのが当たり前になってますし、海外でもYouTubeで人気のDJのSkrillex【※】だとかなんて、毎回もう新曲の発表というより、「新作動画」の発表に近い出し方ですよね。
※Skrillex
1988年生まれのアメリカ合衆国のエレクトロミュージシャン、DJ、シンガーソングライター。2011年の第54回グラミー賞で5つの部門にノミネートされ、3つの部門でグラミー賞を受賞した。
川上氏:
うーん、でも音楽の聴き方は変わってると思うんですけど、長いあいだ音楽を聴いてきた人間の習性は変わらないはずなんですよ。だから、どこかに落としどころはあると思うんです。例えば、耳だけで成立するのも実は利点になるはずで、仕事をしているときに聴けるじゃないですか。
丸山氏:
そりゃ、あなたは耳だけで音楽を聴くことを知っている世代だから……今のスマホで育ってきた子供たちは、また違ってくるはずだよ。正直なところ、僕はもの凄い悲観的なんだよ、やっぱり音楽は終わったな、と思ってる。
――でも、少し聞いてみたいんですが、別にスマホ以前にもメディアの変化はあったわけですよね。それこそ、「映像」そのものはテレビの時代からあるわけじゃないですか。
丸山氏:
もちろん。そもそも、ラジオやレコードは「音」だけだったのが、テレビが登場したときに、音楽がテレビの画面に引っ張られているんだよ。
――ということは、もう20世紀の半ばには起きていることなのでは……。
丸山氏:
だから、俺はそういう時代の中を過ごしてきたんだよ。当時、ラジオでアメリカのポップスが流行ってたんだけど、テレビは「映像」だからレコードを回して音楽流すだけじゃ成立しないんだね。そこで苦肉の策で、ザ・ピーナッツ【※1】や中尾ミエ【※2】みたいなカバー歌手をテレビに出して歌わせたら、そっちの人気が出ちゃった。それを扱ってたのが当時の渡辺プロダクション【※3】ね。
※1 ザ・ピーナッツ
姉・伊藤エミと、妹・伊藤ユミによる双子の女性デュオ。「可愛い花」でデビュー。代表曲に「恋のバカンス」「恋のフーガ」「モスラの歌」など。人気バラエティー番組『シャボン玉ホリデー』のメイン司会なども務める。日本国外でも活躍し、和製ポップスを世界に広める功績を担った。
※2 中尾ミエ
1946年生まれの女性歌手。16歳にしてリリースした、コニー・フランシスのカバー曲「可愛いベイビー」が大ヒット。また、園まり・伊東ゆかりらとスパーク3人娘を結成し、ザ・ピーナッツの後継として一時代を築いた。
※3 株式会社渡辺プロダクション
芸能事務所など12社1財団を統括する持株会社。ハナ肇とクレージーキャッツ、ザ・ピーナッツ、ザ・ドリフターズなどのタレントを抱えていたため、1960〜1970年代にかけては「渡辺プロなくしては歌番組やバラエティ番組は作れない」と言われるほどの独占状態を呈していた。
――カバー歌手の登場って、そういう経緯があったんですか。楽曲の作者よりも、目の前で歌う人の人気が出てしまうのは、現代の「歌い手」みたいですね。
丸山氏:
当時も結局、どの歌手が歌うかでヒットする曲も決まったしね。ちなみに、このカバー曲のテレビ番組を始めたのが、当時フジテレビにいた、すぎやまこういちさん【※】なんだよ。
※すぎやまこういち
1931年生まれの作曲家で、「ドラゴンクエスト」の作曲家として知られる。日本作編曲家協会(JCAA)常任理事、日本音楽著作権協会(JASRAC)評議員を務める。フジテレビに入社後、ディレクターとして、ラジオのヒットパレード番組をテレビに移植した形になる『ザ・ヒットパレード』を企画。開局間もなかった後発テレビ局のフジテレビでは賄えないスケール感の番組であったが、渡辺プロダクションが制作費を肩代わりすることにより実現。その後のフジテレビの音楽番組史の基礎を築いた。
――そんな経緯が……PVなんて出てくる前から、音楽と映像の結びつきは強かったんですね。
丸山氏:
アイドル歌手の登場も「映像」があったからだよね。だって、昔は歌手なんておじさんとおばさんばかりだったのよ。それが、テレビが出てきて、まず若い演歌歌手が映像に対応してきた。それが橋幸夫や舟木一夫みたいな“アイドル歌手”の先駆けだね。まあ、今は彼らもおじさんになってるから、なかなか実感が湧かないかもしれないけど(笑)。でも、舟木一夫なんて高校生なのにテレビで歌っていたからね。歌手の年代があの瞬間に、ワッと下がったのよ。
川上氏:
確かに、声だけなら、もっと上手い歌手がいたはずですね。まさに、「映像」があったからなんでしょうね。
丸山氏:
俺は、「映像」によって音楽が変わっていく姿をずっと見てきたんだ。でも、その「映像」の機材がどんどん小さくなって、ここまで使いやすくなってしまうと、どうも「映像」がないと、どうにもならない気がするね。
――この話って、こう説明されてしまうと当たり前のような気もしてくるのですが、これを20世紀のTV文化からの地続きで語ってくれる人はいなかった気がします。
川上氏:
そういえば、宮崎駿さんがアニメの将来に対して、もの凄く悲観的なんですよ。彼は「いつかアニメは終わる」と本気で思っているんですね。むしろ、「よく今まで持ったな」とさえ思っている。悲観的というよりはすごく冷静に見ているといえるのもしれません。
――宮崎駿さんは、日本のアニメーションが商業として成立していく過程を全て見た人だから……。
川上氏:
そう。宮崎さんにとってはアニメのビジネスなんて、自明で成り立つものではない。なんだか昔からの歴史を知っている人の方が、ある業界が終わることを自然に受け入れている気がしますね。そして逆に、僕らのように、音楽もアニメも当たり前にあった世代は、それが消滅するのなんて想像さえできない。音楽に至っては、その歴史の絶頂期しか知らないですからね。