上海市街の南西、宜山路と桂林路が交差するあたりに、小規模なショッピングモールを備えたビジネスビルがある。その2階には、なかなかの広さのカードゲームショップがあるのだが、じつはこの店は上海で、もしかすると中国でもっとも『マジック:ザ・ギャザリング』が盛んなショップなのだという。
店の名はCardMaster。Shaoさんという気のいい店主が営むこの店で催される勝負は、公式に大会として認められており……と書いていると、この記事は「ボードゲームの話かな?」となるところだが、さにあらず。
この店、じつは土曜の晩になると、上海中から集まってくる人々がいる。上海に在住する日本人たちの趣味の集まり、“上海ゲーム部”だ。彼らはK氏という人物を中心に、ボードゲーム、カードゲーム、ビデオゲームに始まり、サバイバルゲームやアニメ鑑賞会など、気ままに異国の地でオタクコンテンツに興ずる人々の集まりなのだ。
今回は彼らを代表するK氏に、部の活動を訊ねるとともに、ゲームプレイヤーとして見た中国という国の現状や、中国の若者たちの日本のコンテンツ観、そして趣味の株式を通して見た中国のゲーム市場の恐るべき傾向など、かなりさまざまな話を伺った。
「いまの若者は日本のコンテンツが好き」、「もう反日運動は起こらない」、「当局が裏で糸を引いて、中華ハードがやってくる」。興味深いこれらの話が飛び出た取材は、もちろん土曜の夜、人々がゲームに興じる喧噪の中で行われた。この取材にも、今回の一連の上海取材記同様、作家の赤野工作氏(@KgPravda)が同席している。
ショッピングモールでゾンビゲーム!?─上海ゲーム部とは
──上海で日本人が集まって、夜な夜なゲームに勤しんでいるという情報を聞きつけ、中国ゲーム事情の一環として、本日はお伺いしました。その認識で合っていますか?(笑)。
K氏:
だいたい(笑)。我々は“上海ゲーム部”と言いまして、もともとゲーム好きな人たちを集め、ゲームはもちろん、アニメの鑑賞会や、ときには日本のアイドルが上海に遊びにきたときの窓口などをしています。
──アイドルの窓口ですか。
K氏:
ええ。いままでも「仮面女子」や「ゆるめるモ!」の皆さん、椎名ひかりさんなど、ウチでイベントをしています。ChinaJoy【※】などに参加するときにウチに来ていただき、音響などもすべて自分たちで用意して、ドイツのボードゲームをいっしょに遊んだりですとか、握手会などファンとの交流をしていただいたりしました。
※ChinaJoy
毎年7月末に中国・上海にて開催される、同国最大級のゲーム見本市。初回は2004年1月に北京で開催され、PlayStation 2や、任天堂が開発し、中国限定で発売したハード“神游机”などが展示された。2017年7月開催で15回目を迎え、世界30ヵ国以上から参加、来場者30万人超の、世界的にも規模感の大きな催しとなっている。
──で、基本はゲームなどをやられていると。
K氏:
基本はブログの毎週更新と、土曜日ごとにリアルでみんなで集まっていろいろなイベントをしています。たとえば、血糊を使ってリアルでゾンビゲームをやろうと。
──ゾンビゲーム?
K氏:
拠点にしているこのビルは、夜は誰もいなくなるので、全体を舞台に使うんです。全員白いTシャツを着て鬼ごっこをするんですね。
血糊が付いたらゾンビとなって、ゾンビマスクをかぶって、非ゾンビのメンバーをゾンビっぽくフラフラと追い詰めるという。
──それは楽しそう! 参加者はほとんど日本人なんでしょうか?
K氏:
ほとんど日本の方です。
──ちなみにKさん以外に、この部を回している方は、何人いらっしゃるんですか?
K氏:
4人程度ですね。たとえばHPにあるイラストを描いたりする人、HPをデザインする人、ブランド戦略のマークを作ったりする人、そして私という感じです。
じつは、その4人のうちふたりはもう帰国しています。それでも繋がっているんですね。ひとりは最近、家庭ができてなかなか活動が難しそうですね。
私も家庭があり、子どももいますが、あまりに熱心に活動しているので、「この人はおかしい人なんだ」と思われているフシが……(笑)。
──(笑)。ほかの都市に上海ゲーム部のような集まりってあるんでしょうか?
K氏:
中国をはじめ、アメリカも調べてみたんですが、ここまで大規模に日本人がゲームのために集まっているものはないみたいですね。
──(赤野)僕もロンドンにいた時期がありましたが、日本人で集まって何かやるということすら聞いたことがありませんでした。だからおそらく、上海の皆さんはそれだけゲームに執着があるかバイタリティーがあるかどちらかだと思います。
K氏:
いやいや、メンバーに恵まれたという感じですね。設立時にいっしょにいてくださった方々が、たとえばインターネットの会社の社長さんだったり、こっちで起業されてHP製作をしているプロの方だったりでして。
彼はすごい売れっ子なんですが、「仲間だから」と、日本のゲーム文化を広めるためにタダでHPを作ってくださったんです。
──環境に恵まれて、こんな奇跡みたいな場所が花開いたと。
K氏:
ホントそんな感じですよね。
──そういう恵まれた環境を手に入れた一方で、日本人としてのやりづらさはあったりしないのでしょうか? たとえば日本から持ち込んだ特殊なものを税関に通すときに問題が起きたりなど。
K氏:
もちろんあります。でもゲーム関係については、もう長いこと中国でずっとやっているので、こういうときは誰を頼ればいいだとか、だいたいわかっているんですよね。ゲームのコミュニティって、けっこう強いんですよ。
──いわゆる当局との付き合いかたですか?
K氏:
一介の日本人なので、当局に対してのアプローチなどは無理ですよ。たとえば店が3つあったとして、こういうものを手に入れたいときはどの店の人にお願いするとスムーズか、などですね。
──そういうところで上海歴の長さがモノを言うと。
どのように日本人が集まったか
──そもそも皆さんはどういう経緯で集まったのでしょう? 上海ゲーム部の起源は?
K氏:
もともとは『モンスターハンター3G』(カプコン・2011)のプレイが目的でした。当初はインターネット越しの対戦ができず、「日本人どうしで集まって遊ばない?」と人を集めていたんですね。
結果、このショップCardMasterのオーナーであるShaoさんも含め、いろいろなゲーム好きがけっこうな規模で集まったんです。それなら「ちょっと中国で流行りのゲームもしましょうか」となったとき、中国で流行っていたのが『三国杀』というカードゲーム。これを日本人にも広めようと、すべて日本語化したんですね。
──『三国杀』は今回の上海漫遊でも何度も話題に上ります。どなたが翻訳したんですか?
K氏:
私がしました。カードすべてを日本語化したものを作ってみんなで遊んだところ、これがけっこう上海の日本人のあいだでヒットしまして……。「だったらドイツのゲームなんかもやってみよう」と、ドイツで年間ゲーム大賞を獲っているものをすべて集めたりしながら、毎週ボードゲームを楽しんでいました。
そういう活動を我々のHPに掲載していたところ、「参加したい!」と言って人がさらに集まったんですね。
いまは上海でもほとんどのゲームハードが買えますし、ソフトもダウンロードで購入できますので、ボードゲームもカードゲームもテレビゲームも境界なく楽しんでいるという次第です。
──そうしたゲーム以外にも先ほどのゾンビゲームのような活動をされているんですね。
K氏:
大きく分けると「アクティ」と呼んでいる、たとえばスポーツをしたり、街をひとつ使って鬼ごっこしたり、メンバーでバーベキュー大会をしたりなどの活動がまずあります。それから“アニメ一夜一話”と名付けてアニメをみんなで観たりする活動もあります。
日本ではだいたい年間に220くらいのアニメが作られているんですが、ウチのメンバーはみんなオタクなので、百何十人といるチャットルームの中で、「今期はあれがいい」、「いやこれがいい」という話になるんです。そうすると誰も観ていないアニメって出てくるんですよね……たとえばBLものとか。それを毎期、3ヵ月ごとに10本集めて1話だけ連続で鑑賞するんです。
──1話だけを観る会。
K氏:
そうです。するとお宝が見つかるときがあるんですね。
──観るとおもしろいものってありますよね。ちなみに部員は何人いるのでしょう?
K氏:
いま270数人います。
──年齢の幅や男女比は?
K氏:
下は5歳の子からいます。というのも、上海キッズという活動もやっていまして、上海にいる子どもたちに年間大賞を獲ったような子ども用のゲームの遊びかたを教えたりもしているんです。
上は60前くらいの方までですね。男女は、たぶん5分の1くらいが女性じゃないですかね。
──運営の資金などはどうされているんですか?
K氏:
Shaoさんのお店のために場所代として、ひとり1回50元いただいていますが、正直いまのご時世、それでもShaoさんにかなり無理していただいているという感じです。部としては無料でやっています。
──採算が取れるようなものではないんですね。
ゲームの集まる街「上海」
──踏み込んだ話で恐縮ですが、Kさんはおいくつなんでしょう?
K氏:
私はいま41歳です。
──ということはファミコンが出たタイミング(1983年)で小学校1~2年生?
K氏:
そうです。私の年代というのはボードゲーム、たとえば『人生ゲーム』(タカラ(当時)・1968)や『おばけ屋敷ゲーム』(バンダイ・1980)【※1】などをいっぱい遊んだところにゲーム&ウオッチ(1980)【※2】が登場して、団地の廊下とかでみんなでずっと遊んでいた世代です。
それからファミコン(1983)が現れて、『スーパーマリオブラザーズ 』(1985)、『ドラゴンクエスト』(1986)が出て……という流れなんで、形を問わずずっとゲームで遊び続けている世代なんですよね。
※2 ゲーム&ウオッチ
1980年に第1弾が任天堂から発売された、LSI制御の携帯型液晶ゲームシリーズ。ハードごとに決まった内容のゲームと時計機能を有していた。初年の1980年には『ボール』、『フラッグマン』、『バーミン』、『ファイア』、『ジャッジ』が登場。翌81年には画面がワイドになったシリーズ、82年には十字ボタンを初採用した『ドンキーコング』を含む2画面のマルチスクリーンシリーズなど、以降もさまざまなシリーズが登場し、ファミコンの隆盛とクロスしながら80年代を彩った。
──ほぼ同世代なので状況がたいへんよくわかります(笑)。上海へはいつごろいらして、何年ほどいるんでしょうか?
K氏:
1994~95年に上海に留学して、華東師範大学というところを卒業し、日本に帰って就職し、早々に中国担当となりました。东莞(トンガン)にもいた時期もあるので、上海自体はたぶん十数年ですね。
──来られた当時は上海にこういう環境はありましたか?
K氏:
ありませんでしたね。日本人自体は多かったんですけど、ゲームのヒエラルキー【※】が非常に低い時代でしたので。
※ゲームのヒエラルキー
ここでは、さまざまな趣味やホビーのなかにあって、ビデオゲームを含むゲームの一般的な認知度や好感度が低かったことを「ゲームのヒエラルキーが低い」という言葉で表現している。
──それは中国国内での趣味としてのヒエラルキーということですか?
K氏:
中国国内の日本人の中でもそうですし、日本もまだまだ「大人がやるのは……」という見られかたでしたよね。とくにわざわざ上海まで来ている方は、皆さんビジネス目的なので、なかなかそういう場所にはオタク趣味は入り込めませんよね。
それでも趣味の小さなサークルがいっぱいあったのですが、その一方で、ゲームだけに留まらないエンターテイメントのコンテンツを統合的に楽しめるところがなかったんですね。そこで自分たちが好きに遊べる場が欲しかったので、上海ゲーム部を作ったという感じです。
──在上海の、ほかの国のゲーム好きの方々との交流はあるんでしょうか?
K氏:
ドイツのボードゲームが好きな中国の方たちも、ここへたまにいらっしゃいます。『マジック:ザ・ギャザリング』【※】は、ここCardMasterが上海でいちばん大きな店なので、みんな集まるんです。
──アメリカ人にだってゲームが好きな人はいっぱいいるわけですが、でも彼らのそういうサークルは上海にはないわけで。海外にいてもそういう部を作るバイタリティがスゴいですね。
K氏:
いやー、日本を離れたからといってゲームを嫌いになるわけじゃないので(笑)。ゲーマーとしてのモチベーションの高さは、たぶん日本人は世界的にも高いと思いますね。
──海外でやりたいゲームをがまんする方向じゃなくて、貪欲に遊ぶ方向に進むということがすばらしいです。
K氏:
みんな貪欲ですよね(笑)。いまは、部員の中でもVRが加熱していて、互いに勧め合っているところです。中国ではPlayStation VR(以下、PS VR)が、いま猛烈にプッシュされていまして、部内でももう10人くらいが買って楽しんでいます。