2024年3月10日。いのまたむつみ氏逝去の報は、多くのファンに衝撃を与えた。
いのまた氏は、アニメ『ブレンパワード』や『テイルズ オブ』シリーズのキャラクターデザインなどで知られるアニメーター・イラストレーターだ。

1980年代、高校生のころにアニメ業界でキャリアをスタートしたいのまた氏の、繊細でありながら一目で印象に残る独特な絵柄や色使いは数多くの人々を魅了してきた。アニメ業界や出版業界、もちろんゲーム業界の中にも、彼女のファンを公言する人は少なくない。弊誌・電ファミニコゲーマーの編集長であるTAITAIも、そんな氏の絵柄に魅了されたひとりである。
そこで電ファミでは、いのまた氏の追悼、そして恩返しのためにも、「いのまた氏を直接知る人々」「憧れ・影響を受けたクリエイター陣」「評論家・コラムニスト」による多角的なインタビュー、座談会、コラムなどを展開する特集を、緩やかにやっていきたいと思っている。
今回は、その特集を飾る第1弾として彼女のことを深く知る3名の関係者による座談会を企画した。

ひとり目は、『ファイブスター物語』(KADOKAWA刊)などで知られるデザイナー・漫画家の永野護氏。
永野氏は、『ブレンパワード』のデザイナーとしていのまた氏とタッグを組んだことで知られるが、ふたりは公私にわたる友人で、チームを組んで格闘ゲームの大会に参加するなど、お互いを「むっち(いのまた氏)」「クリス(永野氏)」という愛称で呼び合う仲だ。
ふたり目は、永野氏の妻で、声優の川村万梨阿氏。川村氏もいのまた氏とは夜な夜な長電話したり、ファックスを送り合ったりするような仲で、夫妻でそろっていのまた氏の家に遊びに行くなど、関係は深い。
そして3人目は、漫画家・イラストレーターの橋本正枝氏。いのまた氏とは高校時代からの友人で、永野氏からは「一緒に住んでいたようなもの」と言わしめるほどの仲。同時代を生きた盟友とも言える存在だ。
今回はそんなお三方にお集まりいただき、“夜な夜な送り合った” というプライベートな直筆イラストや当時の書籍とともに思い出を存分に語っていただいた。

多忙を極める当時のアニメ業界で激務をこなしつつ、メーカーから直接購入した格闘ゲームの筐体で夜な夜なゲームに没頭したり、ときには宿も決めずにイタリア旅行をしたり、プロレス観戦のためにアメリカに遠征したり。
付き合いの深い “戦友” だからこそ知っているド級の「いのまたむつみ伝説」の数々をうかがうことができた。
とにかく絵を描くことが好きで、好きなことには全力で向き合う行動力があり、奔放で、なおかつ周囲に愛される人物だった、いのまた氏の人柄をひも解いていく。
また、本稿にも登場する「いのまたむつみ画集MIA」は、現在販売中だ。本書内ではいのまた氏が好んだ「猫と少女」のオリジナルイラストを中心に、画集では初登場となる比較的新しい年代のオリジナルイラスト・版権イラストが収録されている。
聞き手/TAITAI、豊田恵吾
文/なからい
編集/柳本マリエ
カメラマン/松本祐亮
いのまた氏との出会いは? 香港旅行で目の当たりにした “パワフル” な第一印象
──本日はいのまた先生をよく知るみなさんにお集まりいただきました。生前のいのまた先生のお人柄など、パーソナルな部分も含めてぜひ語っていただければと思います。そもそものお話になりますが、みなさんはどういった経緯でいのまた先生とお知り合いになったのでしょうか?
橋本正枝氏(以下、橋本氏):
私はむっちゃんと通っている高校が同じだったので、そこからの付き合いですね。
その後、むっちゃんがアニメーターの仕事をするようになり、私も漫画家デビューが決まったあと『月刊ニュータイプ』【※】で連載することになったので、そこでも一緒でした。
※月刊ニュータイプ
KADOKAWA(当時は角川書店)から発行されているアニメ雑誌。
川村万梨阿氏(以下、川村氏):
私も『月刊ニュータイプ』でご挨拶したり、お話をしたのがきっかけですね。当時、『月刊ニュータイプ』のメンバーで香港旅行に行ったことがあって、そこで同じテーブルになったんですよ。
永野護氏(以下、永野氏):
そうそう、編集部から「香港に行くんだけどお前らも行くか」と誘われたんです。
川村氏:
出渕さん【※1】もいらしたよね。
橋本氏:
美樹本さん【※2】もいましたね。
※1 出渕裕
1958年生まれのメカニックデザイナー、キャラクターデザイナー、アニメ監督、イラストレーター、漫画家。『機動警察パトレイバー』のメカデザインや『宇宙戦艦ヤマト2199』の総監督などで知られる。
※2 美樹本晴彦
1959年生まれのイラストレーター、キャラクターデザイナー、漫画家。『超時空要塞マクロス』のキャラクターデザインで知られる。他にも『トップをねらえ!』、『甲鉄城のカバネリ』のキャラクター原案など。
──その香港旅行に橋本さんといのまた先生も参加されていたということですね。
川村氏:
はい。現地でおふたりがすごく仲良く盛り上がっていたんですよ。
「自由時間になにをしていたか」という話題になったのですが、私たちが有名な飲茶のお店に行ったという話をしたら、おふたりは裏通りのお店に行って骨董品を買ったらしくて。「すごー!」と思いました。
とにかくいつも楽しそうにされていて、ほかの人たちより100倍くらい旅行を楽しんでいるように見えました。「パワフルな作家の先生たちだな」というのが私の第一印象です。
永野氏:
旅行といえば、ふたりでホテルも決めずにイタリア旅行に行ったりもしていたよね。
──えっ、宿を決めずにですか!? 当時はスマホなどもないので、かなり大変だったのでは。
永野氏:
むっちの話によるとミラノのオペラ座に行ったとき、むっちが橋本先生の和装の着付けをしたらしくてさ。上へ下への大騒ぎだったって。
橋本氏:
うん、あのときはモテモテだったね。
永野氏:
それでむっちが「ひどいよ~、私なんてただの付き人だったよ~」とか言って、泣きながら話していたよね(笑)。
橋本氏:
あったあった。
川村氏:
ふたりともオペラがお好きで、オペラツアーのようなかたちで行かれたんですよね。そこで、私たち夫婦も「イタリアに行こう」という話になったんです。
「ユーレイルパスを使っていろいろな都市を訪ね歩くのがいいんじゃない?」と護くんに言ったら「イタリア語もできないのに、個人旅行なんかできるわけないだろう」と反論されてしまって。
それで、経験者の先生たちに聞いてみたら「えっ、ぜんぜん平気だったよ」と言うんです。
橋本氏:
私たちの話は参考にならないよ(笑)。
永野氏:
それを聞いて変な自信がついちゃって、「俺らもいけるじゃん、ホテルだけ決めて適当ツアーで行こう」みたいなね(笑)。
川村氏:
でも、おふたりは到着日だけでしたけど、ホテルも決めずに行かれたんですよね(笑)。
永野氏:
なんにしろ、あなたがたは豪快だったんですよ。いまの時代に「男らしい女らしい」というのは違うかもしれないけど、それは別にしても猛獣みたいだった。
橋本氏:
いやいや、繊細でしたよ(笑)。
一同:
(笑)。
川村氏:
私が嬉しかったのは、むっちまっち先生(いのまた氏と橋本氏)とは『空手バカ一代』【※1】みたいな昭和時代のマンガのお話を普通にできたことですね。あとは諸星大二郎先生【※2】のお話とか。
橋本氏:
あとは『王家の紋章』【※3】とかね。
※1『空手バカ一代』
梶原一騎原作の漫画。実在した空手家・大山倍達の半生を描く。
※2 諸星大二郎
1949年生まれの漫画家。民俗学やSF、神話などを題材にした作風で知られる。代表作に手塚賞入選の『生物都市』、『妖怪ハンター』『マッドメン』など。
※3『王家の紋章』
1976年から連載が続けられている、細川智栄子あんど芙〜みんによる日本の漫画作品。古代エジプトにタイムスリップした現代の少女をめぐる物語が繰り広げられる。
川村氏:
そうそうそう。
永野氏:
俺に言わせれば「バカばっか」ですよ(笑)。
川村氏:
普通の同年代の友だちに「眉毛剃り落としてバカの顔だ」【※】みたいな話をしてもわかってもらえずにポカーンとされてしまうんですけど、おふたりは笑ってくださるんです。「あっ、通じてる、嬉しい」「同じ時代を生きてるんだ」と思って。全部わかってくれるんです。
※「眉毛剃り落としてバカの顔だ」
『空手バカ一代』のモデルとなった空手家・大山倍達氏のエピソード。山籠もりの修行から逃げ出せないように、片方の眉毛を剃り落として人前に出られないようにした。
永野氏:
普通は「キャラクターデザインのいのまたむつみです」と挨拶をされたら「リスペクトしよう」という気持ちが湧くものじゃないですか。それがむっちに対してはまったくなかったね(笑)。「完全なバカ」って感じでした。
川村氏:
いやいやいや(笑)。「バカをやれる」という関係性だったかもしれませんね。
永野氏:
そういった感じで、当時は角川書店が主催のパーティなどで、年に数回会うような仲でしたね。
夜な夜なファックスで送り合ったプライベートな直筆イラストと振り返る当時の思い出
──そんな「年に数回会う仲」だった状況から『バーチャファイター』(以下、バーチャ)をきっかけに、一緒にゲームに明け暮れるようになったとうかがいました。いのまた先生はご自宅にアーケード筐体を設置するほどハマっていらしたそうですが。
永野氏:
そうそう。「すごいゲームだわ」と思って遊んでいたら、あるときむっちから急に「筐体買ったよ〜」と連絡があって。
橋本氏:
当時は筐体を買うのが流行っていたんですよ。
──「ゲーム筐体を買うことが流行る」ってなかなかないことですよね(笑)。
橋本氏:
むっちが筐体を買ったことを知ったクリスから、悔しさを書き連ねたファックスが届きましたね(笑)。
川村氏:
それも夜中の2時とかに(笑)。
──今日は実際にやり取りされたファックスをお持ちいただいたとのことで。

永野氏:
そうそうこれ。「裏切者っ、バーチャ来たんだって? いーなー、いーなー」「俺は昨日SPOT21【※】で5回対戦して、1回しか勝てんかった」「今日は渋谷で20回やって、1回しか勝ってん。弱い、弱すぎる」だって(笑)。
※SPOT21
新宿駅西口にかつて存在したゲームセンター「GAME SPOT21」のこと。『バーチャファイター』の聖地として知られる。2021年に閉店。
橋本氏:
当時はファックスでたくさんやり取りをしていたよね。
永野氏:
まだメールもない時代だから、夜中にファックスを送りまくってた。
──イラストを描いてお互いに送り合っていたとうかがいました。

永野氏:
いやいや、“送り合った” というか……。この人たち(いのまた氏と橋本氏)がいくらでも描いてくるんですよ。こっちが1枚送るあいだに20枚くらい送ってくるから、もうパワーがぜんぜん違うの(笑)。
川村氏:
本当に爆速でイラストが送られてくるんですよ(笑)。
永野氏:
俺は仕事以外では絵を描きたくないタイプだから、とにかくびっくりしました。
橋本氏:
絵を描くことが好きなんだよね。
永野氏:
「俺は仕事以外で絵は描きたくないのに……」とか言っていたら、ファックスがどんどん送られてくるわけですよ。こっちとしては文章で返すのがやっと(笑)。
橋本氏:
むっちゃんと別の友だちにもたくさんファックスを送っていたら、「もう送ってこないで」とファックスの電源を切られたこともありました(笑)。送ってない絵がまだ残ってるのに。
一同:
(爆笑)。
──いまでいうLINEくらいの感覚でファックスを送られていたんですね。
永野氏:
ったく、なにやってんだこれ……(笑)。
『バーチャ2』の筐体を購入をきっかけに、いのまた氏の自宅が「たまり場」に
──実際に筐体を購入されてからは、いのまた先生のご自宅が「バーチャプレイヤーのたまり場」のようになっていたとか。
永野氏:
そうですね。絶えず10人くらいの人がいて、合宿のような雰囲気でした。中には『バーチャ』の鉄人で『週刊ファミ通』のブンブン丸【※1】、新宿ジャッキー【※2】もいて「いまの技どうやったの?」という会話から、いきなりその場で攻略記事づくりが始まるんですよ(笑)。
「とりあえず来週の記事でレポートしよう」とか言ってるから「お前らここで記事作ってるのかよ」と思いましたよね(笑)。
そのうち七輪で火を焚いて肉を焼いたりして、そこにゲームをしていた連中が「腹減った~」と言いながら集まってくるわけですよ。もうやりたい放題でしたね(笑)。
橋本氏:
そうして3日も4日も徹夜するんですよ。
※1 ブンブン丸
元『週刊ファミ通』編集者の篠原元貴氏。『バーチャファイター』の強豪プレイヤーとして知られる。
※2 新宿ジャッキー
元『週刊ファミ通』編集者の羽田隆之氏。『バーチャファイター』の強豪プレイヤーとして知られる。
──みなさんで大会にも出られていたんですよね。
永野氏:
出ていましたね。ツインスター【※】の大会は上までいって、名前が張り出されたりもしました。
【※】ツインスタージオスセガ
新宿区神楽坂のゲームセンター。現在は「GiGO神楽坂」として営業中。
──みなさんの中で「大会に出よう」と誘っていたのは永野さんなのでしょうか?
永野氏:
いや、当時は全国大会に行く手前の段階に、ゲームセンター各店舗での大会があったじゃないですか。それぞれの店舗に誰を送り込むかというのを僕らが所属していた中目黒コミュニティの身内で話し合っていたんですよ。
「あそこのゲーセンは層が薄い」「町田のゲーセンはゲーメストの連中に任せよう」というふうに相談して、なるべく全員が全国大会に進出できるように作戦を練っていました。
だから、「力試しで大会に出てみようかな」という気軽なレベルの話ではなかったですね。
──選手層なども考慮に入れながら、勝ちやすい布陣を構築していったと。本気の力の入れようですね。
橋本氏:
みんな真剣だったもんね。
永野氏:
「お前らプロかよ」って感じだけどね(笑)。
──別のゲームになりますが、みなさんが『鉄拳3』の大会に出られたときのWebページがまだ残っているんですよ。

永野氏:
おお、ディレクターの原田くんもいますね。僕らって一般のゲームユーザーからしたら「ふざけんなよ」と言われるような立場にいましたから。「なんで開発者が隣にいるんだよ!」みたいな。
橋本氏:
『鉄拳』は、町田のゲームセンターにも行ったよね。
永野氏:
「アテナ杯【※】」にも出ましたよ。「中目黒軍」の代表として乗り込んで、何勝かしましたね。
※アテナ杯
「ゲームスポットアテナ町田店」で開催されていた格闘ゲーム大会。
川村氏:
荻窪とか、もう少し近所のゲームセンターにもみんなで行ったりしていましたよね。
永野氏:
むっちとも「荻窪でやろうぜ」とか言って、大会に出ていましたね。そのときは「新宿ジャッキー」を名乗っていた羽田さんも来たりして。
そうしたら、やたらと強い小学生がいて、それがちび太【※】でした。羽田さんと対戦してちび太が負けたんですよ。
※ちび太
『バーチャファイター』シリーズの強豪プレイヤー。10代前半から頭角をあらわし活動を続け、「バーチャ神」とも呼ばれている。
川村氏:
そうそう。まだ子どもだったから、お父さんに連れられて来てた。
永野氏:
それでちび太が「お兄ちゃんたちと対戦するにはどこに行ったらいいの」と言うから「新宿のSPOT21」と答えたんだけど、後日ちび太が本当に来て無双勝ちしてさ。懐かしい話だね。
──ちなみにいのまた先生は『バーチャ』以外のゲームはプレイされたのでしょうか。
橋本氏:
ええ、むっちは『バーチャ』以前からずっとゲームをしていました。とくに『ドンキーコング』や『ロックマン』が好きだったかな。
永野氏:
俺とむっちは『バーチャ』以外のゲームはあんまり嚙み合わないんだよ。