ゲームの話を言語化することに使命感を燃やす、岩崎氏の開発者ならではの視点とは? 連載3回目となる今回は、前回からの続編となります。前回は、「銀の弾丸だった、RPGメカニクス」というテーマを考える前に、まずはコンピュータゲームを定義してみた岩崎氏。でも、そもそも“メカニクス”という言葉を、みなさん聞いたことがありますか?
過去の記事リンク:
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実は相性が悪かった「ゲーム」と「ホラー」~ホラーゲームが抱える問題点とは!?(寄稿:岩崎啓眞)
前回、コンピュータゲームを定義づけし、その特徴を洗い出していった結果、以下のような問題が発生することがわかった。
「コンピュータゲームは進行するにしたがって複雑化する。すなわち難易度が上がる特徴がある」
今回は、どうして「RPGメカニクス」というものが、この問題を解決する“銀の弾丸”だったのか? ということを書きたいと思う。だが、その前に「メカニクス」という概念について説明しておきたい。
メカニクスとはどういう概念なのか?
メカニクスの英語の綴りは“mechanics”。うまい訳語がないのだけど(機械工学なんてのが出てきたりする)、とりわけゲームで使われるメカニクスの意味としては、“working part of game”——すなわちコンピュータゲームの中でゲーム(プレイ)を構成する要素のことを指し、“rule(ルール)”の意味をもう少し具体的にして幅を広げた単語として使われる。
と書いても「ハ?」となるだろうから、かみ砕いて説明したい。
まずわかってもらわなければならないのが、ルールはいわばゲームの型紙だということ。つまり、ルールが適用されて、さまざまなものが出来上がってゲームになるということだ。
サッカーを例にとって考えてみよう。サッカーをプレイするためには、ルールを適用して正しいサイズのフィールドを作らないといけないし、ルールを適用して22名集めないといけないし、ルールを適用して足を使ってプレイし、ルールを適用して45分の前後半戦に分け、ルールを適用して点数を決め、ルールを適用してペナルティ戦が行われ、そしてルールを適用して勝敗を決定する……と、ともかくルールを適用する必要がある。
ここに重要なポイントがある。
ルールは適用されて意味を持つが、適用された結果はルールではない。それはルールが実体化した“なにか”なのだ。
上の例なら、サッカーフィールドはルールに従って作られている。では「サッカーフィールドそのものはルールですか?」というと「それは違うでしょう」ってコトになる。
サッカーフィールド自体はルールに基づいて(適用されて)作られているが、あくまでルールが「実体化したもの」だ。
同じように11名のチームそのものはルールではないし、前後半戦もルールではないし、足を使ってのプレイもルールによって制限された結果で、それ自体はルールではない。
そして、この話はコンピュータゲームにも当てはめられる。
サッカーのたとえを、そのままリアル系のサッカーゲームに当てはめて考えてみよう。
サッカーフィールドはサッカーのルールに基づいて作られているけれど、現実のサッカーフィールドがルールではないように、ゲームのサッカーフィールドもルールではない。
またペナルティ戦がゲームに存在するとして、ペナルティ戦はサッカーのルールだけど、「ペナルティ戦のルールが適用されて出来ているペナルティ戦のゲームパート」はルールではない。同じようにフリーキックだろうが、パスだろうが、スローインだろうが、それぞれサッカーのルールに基づいて作られてはいるけれど、出来上がっているものはゲームのパーツでしかない。
この、ルールを具体化して、ゲームの設計やパーツにしたものを“メカニクス”と呼ぶ、というのが欧米のコンピュータゲームデザインでの常識になっているわけだ。
ルールは破れるが、メカニクスは破れない
前回も例に使っている『スーパーマリオブラザーズ』で説明するなら、ダッシュのルールは「マリオはダッシュできる」である。そして、それが具体化したメカニクスは「Bボタンを押すと0.5秒で加速し、最高速度に到達する。ダッシュする方向はマリオの向いている方向。最高速度では1ブロックのスキ間を落ちずに駆け抜けることが出来る。またジャンプの距離と高さはダッシュの影響を受ける」とでもいうところになる。
ところでリアル系サッカーゲームから『スーパーマリオブラザーズ』に例を移したところで「ん?」となる読者の方も多いだろう。
「マリオはダッシュできる」ってのは、何に「ルールの型紙」が適用されているんですか? ということだ。
実は、ルールというものは現実をゲームにするために適用する型紙だけど、コンピュータゲームではそもそも適用するべき世界そのものがルールに従っていちからメカニクスとして作られる。
だから型紙=世界になってしまうので、ルールをゲームとして実装した瞬間に、それがメカニクスになってしまう。
つまり「そもそもコンピュータゲームの世界にはルールがない。なぜならルールは全てメカニクスになっている」ということになる。
これによって、コンピュータゲームの世界ではバグとチート以外ではルールを破ることができないという状況が出来上がる。なぜなら……
ルールがメカニクスとして実現される
=メカニクス(ルール)で許される範囲でしか動けない
=ルールを破ることは出来ない
からだ。
サッカーゲームの例に戻ると、プログラム的に(メカニクス的に)ハンドをしないように作れば、ハンドのルール=ハンドしたときのフリーキックのメカニクスは必要がないということになる。
じゃあ「メカニクスなんて言葉は使わず、全部ルールでいいんじゃないの?」という質問が出てくると思う。
なぜルールではなく、メカニクスを使うかというと、コンピュータゲームの中には、例えば「セレクトボタンを押すとメインメニューが出る」といったルールとは呼び難いものが大量にあるから。そして、それらもメカニクスだからだ。
つまりコンピュータゲームでは、ゲームのルールはメカニクスの一つで、メカニクスの方がよりコンピュータゲームのパーツをすべて言い表すことができる。
だからメカニクスという言葉(概念)が使われるわけだ。
またサッカーゲームの例で「ペナルティ戦メカニクス」は「キッカー/ゴールキーパーメカニクス」に分割できるように、一つのメカニクスはたいていさらに細かく分割出来る。
この大きなメカニクスを小さなメカニクスに分割して、実際のゲームメカニクスを設計するのはゲームデザイナーの仕事だけど「どこまで細かく分割して考えるか」は、ゲームデザイナーのポジションや会社のやり方で変わるものだ。このあたりになってくると、完全に作り手側の話になる。
というわけで、前回、コンピュータゲームはルールを知っていくパズルとして成り立っている、と書いたけれど実際のコンピュータゲームは「メカニクスの働きを理解することで解くパズル」という方が正しいことになる。
アーケードゲームの難易度の考え方とは?
ここまで説明して、ようやく本論に入れる。
前回の話を超簡単にまとめると
・コンピュータゲームの特徴は、メカニクス(ルール)を知らなくてもプレイできること
・メカニクスを知らなくてもプレイできて、メカニクスに詳しくなっていくのが(一人用)コンピュータゲームの最大の特徴
・そしてメカニクスを知っていくこと自体が「攻略」と言われる、主に一人用のコンピュータゲームの特徴になっている
・「メカニクスを知るのが攻略」ということ、すなわち「メカニクスを知るパズル」とみなすことができる
・コンピュータゲームは進行するにしたがって複雑化する、すなわち難易度が上がる特徴がある
と、こういうことだと説明した。
ゲームが進行するにしたがって難易度が上がるということは、つまり『スーパーマリオブラザーズ』のワールド8はワールド1より複雑で難しいということ。コンピュータゲームでは常識的な構造だ。
一つのメカニクスを覚えると、新しい次のメカニクスが登場することが多いコンピュータゲームでは、進むにしたがってゲームの中で使われるメカニクスが増えていく。それらのメカニクスを組み合わせると応用問題になるので、複雑化して難易度が上がる構造となっているのだ。
学習ドリルで基礎A→応用A、基礎B→応用B、応用AとBの組み合わせと複雑化しながら出題されるのと全く同じ。コンピュータゲームが公文式で有名な学習ドリルなどと同じ構造を持っているのかがよくわかる。
ゲームが進行するに従って(普通は)難易度が上がるというコンピュータゲームの特徴は、ゲームがゲームセンターにあるうちは、あまり大きな問題にならない……というより、むしろありがたい特性だった。
なぜなら、アーケード(ゲームセンター)におけるインカム(収入)は、“収入=1日にプレイされた回数×単価”だからだ。
プレイヤーがある局面をクリアするごとにゲームの難易度が上がると、すぐにゲームオーバーになる。するとプレイヤーは、またプレイしたいからお金を払う(インカムが上がる)というように働くので、このシステムだとお店側には大変に都合がいいのだ。
たくさんの収入を得たいゲームセンター側から見れば、もちろんお客さんが一日中筐体に張り付いてプレイしている方がよく、なおかつプレイ時間は短い方がいいことになる。
だから『スーパーリアル麻雀PIII』で100円入れたらCPU側が天和(テンホー)【※】を上がるのが、お店側にとって最も効率の良いインカムの稼ぎ方だとすると、『ゼビウス』のようにスコアが1000万点(正確には9,999,990点)になるまで延々とプレイされてしまうなんていうのは、ゲームセンター側からすると最悪ということになる。
※天和(テンホー)
麻雀の役のひとつ。簡単にいうと、天和は牌が配られた時点で役ができ上がっている状態のこと。
冗談のようにしか聞こえないかもしれないが『スーパーリアル麻雀PIII』では100円を入れてスタートボタンを押して、CPU側が親でゲームが始まり、そのまま天和で上がり、自分は一手もプレイできないということが本当にあったのだ。
僕も一度くらっているが、初めて聞いたのは、ライター仲間のさとちーってヤツが「100円入れて、天和ですよ。俺、スタートボタン押しただけで、一度もプレイしてねえよ!」って話をしたときだった。そのときは爆笑したのだけど、いやまあちょっとひどいんじゃね? と、今さらながら書いておきたい。
だからゲームセンター側の視点から見るとゴールするかリタイアで必ず終わる(プレイ時間が数分でほぼ固定されている)カーレースや、二人のうちの一人が3ラウンド以内で必ず負けて100円を消費してくれる格闘ゲームは大変に素晴らしいゲームだった。この手の「一定時間で必ずゲームセンターにお金が入ってくるゲーム」が主流になっていったのもしょうがないところだろう。
『ストリートファイターII』のブーム以降、格闘・対戦ゲームはゲームセンターの王様となった。それ以外のジャンルのゲームを見渡しても、大体のゲームは一周エンドが多く、昔のようにいつまでも遊んでいられるゲームがほぼないということについては、読者のみなさんも納得できるだろう。
と、余談もあったが、アーケードゲームは、極論すると一定時間ごとにプレイヤーにゲームオーバーになってもらってお金を払ってもらわないと商売にならなかったので、難易度が上がっていくシステムはとても都合がよかった、ということだ。
初期のファミコンゲームが抱えた問題とは?
ここでコンシューマーゲーム(家庭用ゲーム)の話になる。
コンシューマーゲームの歴史は、ものすごく簡単に言えば「ゲームセンターで遊べるあのゲームが家で遊べる」から始まったと書いて大きな間違いではないと思う(パソコンゲームは一切無視していることに注意)。
例えばファミコン発売時のローンチタイトルは全て当時のアーケードでの人気ゲーム『ドンキーコング』、『ドンキーコングJR.』、『ポパイ』なのだから、ファミコンがどういうウリで家庭に入りこもうとしていたのかよくわかろうというものだ。
また『麻雀』や学習ソフトがラインナップされていることで、当時の家庭用ゲームマシンには「麻雀が遊べるし、勉強もできるんですよ」という親への言い訳が用意されていたこともよくわかる。
読者の中には『ポパイ』を知らない人もいると思うので、説明しておくと1929年からアメコミ上にいるキャラクターで、70~80年代前半までは非常に有名だった。
そして任天堂が『ポパイ』のゲームを、最初にゲーム&ウォッチ(1981年)で、次にアーケード(1982年)でリリースしたのだけど、そのゲーム&ウォッチ版とアーケード版は全く別物だった。
このアーケード版の『ポパイ』がファミコンのリリース時に移植されて、ローンチタイトルとして登場するわけだ。
ゲームセンターのあのゲームが家で遊べるのがウリなのだから、数々のゲームがほぼそのまま移植された(容量の問題でカットされるステージなどもあったが)。そして、ファミコンブームに火がついてしばらくして、この“難易度がどんどん上がっていくシステム”は大きな問題を引き起こす。
そもそもアーケードゲームの難易度の上がり方というのは、先ほどのインカムの計算式でわかるとおり、簡単にまとめれば「N分以内にプレイヤーにゲームオーバーになってもらう」という考え方のもとに設計されている。そして、この難易度はプレイヤーの腕前の上達に従って、どんどん上昇していく。
この単純な難易度のシステムは、ゲームセンターに来た人にプレイしてもらう分にはあまり大きな問題にならなかったが、ご家庭では大きな問題になる。
第一に、プレイするたびに毎回チュートリアルとでもいうべき簡単なステージをプレイすることになる。
そして、これは仕方のないことなのだけど、当時はコンティニューという概念がほぼ存在していないので、プレイヤーはゲームオーバーになると、また最初から遊ぶはめになってしまう。
ここにフラストレーションの元がある。
うまくなったプレイヤーは、クリアできなかったところを早くやりたいわけだから、最初の退屈な面をプレイするのは苦痛以外の何物でもない。そしてようやくゲームオーバーになったところまでたどり着くと、またあっという間に残機を失ってゲームオーバー……。
この頃のゲームは、残機も最大で数機ぐらいしか貯まらない。数機しかいない残機で戦うことになるのだから、こりゃあ厳しい。
つまり、プレイタイムの大半を別に遊びたくもないステージで遊ぶというプレイになってしまい、ゲームセンターよりはるかにストレスを感じるという問題が起きたわけだ。
加えて、もう一つの問題があった。上記の状態を突破するためには、何度もプレイヤーが根気よく練習して、自分の実力を向上させてゲームをクリアするのが前提だ。
ゲームセンター側はその過程でお金をいただくのだからOKだけど、問題なのは、練習してもクリアできないプレイヤーがいることだ。
人間の能力にはバラつきがあり、恐ろしいことに『R-TYPE』の1面の最初のザコが放つ、最初の一発の弾に吸い込まれるように当たる天才ゲームプレイヤー・桝田省治氏【※】のような人物もいるのだ。
※桝田省治
ゲームクリエイターの桝田省治氏のこと。氏は『天外魔境II 卍MARU』や『俺の屍を越えてゆけ』をデザインし、直近では、『桃太郎電鉄』最新作の開発にも参加している。
こういったプレイヤーが、ご家庭にゲームセンターがやってきたノリのゲームをクリアできるのかといえば、その答えが「ノー」なのは明らかだ。
RPGメカニクスの超重要機能「クリア保証」とは?
ここに登場したのが「RPG(成長)メカニクス」だ。
このRPGメカニクスが、ここまでのゲームの常識である「解けなくなったらオワリ」を解決する究極兵器だった。
RPGメカニクスというものを徹底的に煮詰めると、以下の2ステップになる。
1. 回復可能なリソースと交換で、なんらかの成長のリソースを手に入れる
2. 成長リソースが一定の閾値(いきち=限界値)を超えると、プレイヤーが強化される。
と、たったこれだけのメカニクスなのだけど、ここまで抽象化して書くとわかりにくいので、『ドラクエ』を少しいじった、『ドラマネ』という仮想のゲームをつくって説明してみる。
『ドラクエ』では敵と会うとバトルになるわけだが、『ドラマネ』では仮に、敵と会ったとき「自分のHP」を支払うことで、いくばくかのお金と経験値をもらえるとする。そして自分のHPが相手の欲しいHPより少ないとき、最後に訪れた街に強制的に戻されるとしよう。
とすると、『ドラマネ』ではかくのごときプレイをすることになる。
1. 町で体力回復
2. 外に出て、モンスターと出会う。
3. 出会ったらHPを支払って金と経験値をもらう。経験値が一定を超えるとキャラクターが強化され、次の目標経験値が設定される。
4. HPが危なくなってきたら、街に戻ってHPを回復する。
『ドラクエ』と『ドラマネ』を比較したとき、3番のバトルシステムを除くとゲームプレイの核が全く変わらないことがわかるだろう。
つまり『ドラクエ』も『ドラマネ』も「HPを対価として経験値をもらい、レベルを上げて、自分を強化していくゲーム」と表現できることがわかる。
そしてHPとは、町や様々な手段で回復可能なプレイヤーの資源、すなわちリソースだ。
つまり「回復可能なリソース(HP)と交換で、なんらかの成長リソース(経験値)を手に入れている」ということになり、さきほどのRPGメカニクスの定義の1番「回復可能なリソースと交換で、なんらかの成長リソースを手に入れる」になる。
そして成長(強化)リソースを手に入れることで、プレイヤーが成長する(強くなる)というわけだ。
これによって、さっき書いた桝田さんが『R-TYPE』をクリアできない問題を解決することが出来るようになった。
なぜなら、例えば以下のような新しい『R-TYPE』を作ると考えればいいからだ。
・スクロールするだけで経験値が手に入る。敵を倒すとさらに手に入る。
・経験値が一定を超えるとHPが増え、だんだん弾に当たっても死ななくなっていく。
これなら桝田さんでも辛抱強くプレイすれば、いつかR-9(R-TYPEの自機)はあらゆる敵の攻撃に耐え抜けるようになり、ゲームをクリアできるだろう。
と、これがよく言われるRPGメカニクスの超重要な機能とされる「クリア保証」だ。そして、実はRPGメカニクスは、これだけではなく、ゲームをデザインする際に大変使える代物で、今のゲームデザインにおける銀の弾丸だった、という話を続けて書いていきたい……って、また結論までたどり着かなかったので、もう少々お付合いしてください。