電ファミニコゲームマガジン(連載当時はニコニコゲームマガジン)にて、昨年8月14日から全4話で連載されて話題を呼んだ、RPGツクールのホラーゲーム『殺戮の天使』。
今回紹介するのは、そんな『殺戮の天使』の7月30日発売の小説『殺戮の天使 – until death do them part – 』の冒頭部分。文芸を中心に活躍する作家・木爾チレン氏を迎えて、ゲームの独特の世界を言葉で再現しています。
※ 以下、Web記事の見え方に最適化するために、小説本文に行間の空白を入れております。
殺戮の天使
– until death do them part –
木爾チレン(原案・真田まこと、絵・negiyan)
世界はいつも、薄らと青い。
それはきっと、この青い目のせいで、そう見えているのだと思う。
(お父さんとお母さん、今日も、仲良しだね)
家にいるとき、お父さんとお母さんは一日中、解けないくらいに強く、手と手を繋ぎ合ってソファに座っている。そこから、まるで人形になってしまったみたいに動かない。
私はその幸せな光景を、部屋の入り口からじっと眺めていた。
「ほら、レイもこっちにおいで」
お母さんが微笑みながら、私の名前を呼ぶ。
お父さんの目は黒く、お母さんの目は青い。だからこの目の色は、お母さんから遺伝したもの。でもお母さんの目と私の目は、少し違う。お母さんの目は、雨水の目薬を点したみたいに濁っている。
いつからお母さんの目は、あんなに汚くなったのかな……。思い出せない。
「うん」
私は、その汚く濁った目をじっと見つめながら小さくうなずき、ふたりの元へ駆け寄って行った。だけど、どれだけ走っても、部屋の入り口から少しも進むことができない。
(どうして……?)
息を切らしながら、私はその場にうずくまった。絶望という文字が、心に溜まっていく。
「レイ、どうしたんだ」
ずっと同じ体勢でソファに座ったままのお父さんが、聴いたことのないような優しい声で言う。
「そっちに、行けない」
お父さんの、黒いボタンみたいな目を見つめながら、私はそう返事をした。
その、瞬間だった。
突然くらくらして、何かに塗りつぶされていくように、頭の中が、真っ白になっていくのがわかった。
リン――……リン――……。
(何だろう……?)
どこかで、鈴の音が鳴っている。
水の中で鳴っているような、鈴の音が――……。
▼△
滲んだような鈴の音が、鼓膜の奥で鳴り響く。
目の奥がしびれるような感覚になって、ふっと目を醒ますと、レイは椅子に座っていた。硬い感触の、白い椅子。目の前には、もう一脚、同じ椅子が向かい合うように置いてある。
そこはレイの知らない場所だった。何もない、カウンセリングルームのような無機質な空間。吐いた息が見えそうなほど、冷たい空気が漂っている。
(ここは、どこ……?)
不可思議に思いながら、レイは椅子から立ち上がり辺りを見回した。
「……」
けれど頭の中が真っ白になったあの瞬間から、記憶喪失になってしまったみたいに、何も思い出せない。でも、この世界が現実だということはわかった。だって夢の中とは違って、どこへでも、自分の思う通りに動くことができる。
(さっきは、夢を見ていたんだ……)
レイは小さくため息を吐いたあと、この世界が現実だということ以外は何もわからないまま、吸い寄せられるように窓辺に歩み寄り、大きな窓の外を見つめた。
(……青い、満月)
窓の向こう側には、異様なほどに青い光を放つ月が浮かび上がっている。だけどその月は、大きさも、色も輝きも……、まるでスクリーンに映っているみたいに不自然だった。
(なんだか本物じゃないみたい……)
それに青い月なんて、滅多に見られる現象じゃない――……。
いつかそう、先生が言った。
(先、生……?)
――先生って、誰……? 誰、だっただろう。よく思い出せない。
レイの目蓋の裏には、ぼんやりと、真っ白な白衣を着ていたような後ろ姿だけが浮かぶ。
(……お医者、さん?)
そしてその瞬間、消えかかっていた脳みその細胞が蘇るみたいにはっとして、
「そうだ……、私は、病院に来ていた」
思わず声が漏れた。
(確かここは、診察室だった……)
――だけど私は、病気なんかじゃなかった……。だって、どこも痛い部分なんてない。なのにどうして病院に来たんだろう。
「っ……」
そのときまた突然、夢から醒めたときと同じように、激しい眩暈がレイを襲った。
(気持ち悪い……)
――ほら、レイもこっちにおいで。
思わずうずくまり、目をつむると、夢で聴いたお母さんの声が耳のなかに木霊する。
「とにかく、お父さんとお母さんのところへ行こう……」
レイはその声に呼ばれるように、ふらふらとよろめきながら部屋を出た。
▼△
……――ここは、私の知ってる病院じゃない。
なぜ病院に来ていたのか思い出せない。だけどそれは直感的にわかった。
(眠っているうちに、違う階に移動させられたのかな……)
奥が見えないくらいまで、誰も歩いていない白いタイル地の廊下が続いている。レイはその、ため息も聞こえない不気味な廊下を、まだ少しふらつきながら歩いていった。すると少し進んだ所に、格子状の黒い扉を見つけた。扉にはカードを嵌め込む装置のようなものが埋め込まれている。
警戒しながらもそっと扉に手を掛けてみるが開かない。無理矢理開けようとすると、装置はピーピーと音を立てた。
(カードがいるのかな……)
格子状になっている扉の向こう側を覗き込むように、その隙間に目を凝らす。薄暗くてあまりよく確認できないが、エレベーターのようなものがあるのがぼんやりと見えた。
(はやく家に帰りたい……)
けれどレイはそう強く願いながら、神妙な目をして前を見据え、ぎゅっと唇を噛みしめる。唇は痛いくらいに乾燥していて、薬を飲んだ後みたいに頭がくらくらしていた。
(やっぱり、気分が悪い……)
万華鏡のなかに閉じこめられているみたいに視界がゆらめくなか、レイは再び廊下を進んでいった。
「あれ……壁に何か書いてある……」
しかしふと、その奇妙な文字の連なりが視界に入った瞬間、まるで金縛りにあったみたいに身体が動かなくなった。
“君はいったい誰で、何者か”
“自身で確かめてみるべきである”
“本来の姿か、望む姿か”
“天使か、生贄か”
“己を知れば門は開かれる”
「……?」
何かの呪文のような文章に、少しこわくなって、レイは少し後ずさりをする。
――天使か、生贄か。
(私は……)
――どちらでも、ない……?
無意識にそんな答えが浮かんだとき、文章が書かれた壁のすぐそばに、さっきの診察室と同じようなドアがあるのが目に入った。
その瞬間、レイは誰かに操作されているように、そのドアを開けていた。
▼△
そこは、さっきの診察室と同じような無機質な部屋だった。部屋の中央には、大きなコの字型のテーブルがあり、その上には白いコンピューターが置かれている。レイはそっとコンピューターに近づき、キーボードの上部にある電源ボタンを押した。
(電源はつかない……)
――壊れているのかな……?
小さく首をかしげたそのとき、ふっと天井のほうから誰かに見つめられているような気配がした。ゆっくり視線を上げると、天井には監視カメラのようなものが吊るされていて、カメラはレイを追いかけるように動いていた。
(嫌な予感がする……)
――はやく、エレベーターに乗って外に出よう……。
レイは扉を開けるためのカードがどこかに落ちていないか探すように、テーブルの周りを歩いた。
「透明な壁……」
入り口の向かい側の壁一面は、すり硝子でできている。
その壁を伝うように歩いていくと、壁の中央には女の子が立っていた。腰まで伸ばされたプラチナブロンド色の髪をした、小柄で華奢な女の子。
(表情がない……)
息を呑むとレイと同じように息を呑み、瞬きをすると同じように瞬きをする。
「……いつもの私」
それはまぎれもないレイ自身だった。
(この壁の部分だけ、鏡になっているんだ。でもどうして、すぐに自分だとわからなかったのかな……)
一時、自分の姿もわからなくなるほどに、いつの間にか記憶が失われていることに、少しこわさのようなものを感じて心がざわつく。
もう一度、自分の姿を確かめるように、レイはもう一歩、鏡に近づいてみる。その瞬間、カチッと、テーブルの上の電源が入っていなかったコンピューターが、勝手に立ち上がる音が聞こえた。
速足にコンピューターの前に向かうと、黒い液晶画面には、次から次へと、すごいスピードで不規則な英数字が、連なっては消えていく様子が映し出されていた。
(何かのプログラム……?)
じっと目を凝らしていると、突如、画面には白い文字が表示される。
――情報画面を開いています。
――データを記入します。
そして、文字に連動するように、コンピューターは淡々としゃべり始めた。
――質問にお答え下さい。
――あなたの名前は?
(名前……?)
「……レイ、……レイチェル・ガードナー」
レイは思い出したように答えた。
――年齢は?
「……十三」
――なぜ、ここにいるのですか?
「病院に来ていて……、気がついたらここに……」
――なぜ?
「……?」
――なぜ?
――なぜ?
「……」
(こわい……)
答える隙もないほどの無意味な連呼に、レイの顔は引きつる。
――なぜ?
――なぜ病院に?
(なぜ……病院に……)
なぜだかどきどきして、心臓が痛くなる。レイは呼吸を整えるように、小さく息を吐きながら、少しだけコンピューターの前から離れた。
(……殺人、事件……)
そのときふっと、断片的な記憶が、レイの脳裏に薄らと蘇る。だけどその記憶が正しい記憶なのかどうか、レイにはわからない。確かめる術もない。そもそも記憶の正しさなんて、疑ったこともなかった。
「……人が死ぬところ、――殺されるところを見たから。……目の前で……」
レイはあの夜、そのおぞましい光景を見たときと同じように、小さく目を見開き、言った。殺された人も、殺した人も、それはきっと知らない人だった。だって顔も思い出せない。ただ、男の人が、女の人に馬乗りになって包丁を突き刺していた姿だけが、はっきりと思い出せる。
「だから、カウンセリングに連れてこられた……」
言いながら、レイはふっと、カウンセリングを受けている自分を俯瞰的に見た。
診察室は、まるで天国みたいに真っ白な空間だった。目の前には、眼鏡を掛け、白衣を着たカウンセリングの先生が座っている。先生は、レイの、世界の終わりを映すような青い目を食い入るようにじっと見つめ、優しく微笑みかける。
――今後どうしたいですか?
その先生と同じように、コンピューターが訊く。
「……ここから出たい。お父さんとお母さんに会いたい」
レイははっとして顔を上げると、記憶のなかの家族を思い返しながら、独り言をつぶやくように答えた。
――記入終了。
――プレイスタート用のカードキーを配布します。
その文章を最後に、コンピューター画面はぷつりと音を立てて真っ暗になった。
(……?)
再び電源ボタンを押してみる。けれどもう動く気配はない。コンピューターの側面からはカードが出てきていた。
(きっと、あの扉を開けるためのカード……)
レイはコンピューターからカードを引き抜くと、逃げるように部屋を後にして扉のほうへ向かった。
▼△
扉に埋め込まれていた装置にカードを差し込むと、ブーブーブーという重低音とともに扉が開く。奥に進んでいくと、そこにはやはりエレベーターがあった。
レイは、上へあがる「▲」のボタンを押して、駆け込むようにエレベーターに乗り込んだ。そして一階へ向かおうと、エレベーターの操作ボタンに触れようとしたとき、今いる階を示すように、B7という表示が光っているのに気づいた。
(B7……? おかしい……。私がいたのは、こんな地下じゃなかった……)
――それにB6へ行くボタンしかない。さっきエレベーターを開けるときに押したボタンも「▼」は、なかったような気がする……。
そのとき、だった。コーンコーンコーンと、まるで教会の鐘のような音が鳴り、
――最下層の彼女は、生贄となりました。
――みなさま、各フロアにてご準備を。
――ここから先はプレイエリア。ゲートが開かれます。
抑揚のない機械音のような、ひび割れた女の声がエレベーターのなかに響き渡った。
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