2022年3月31日、歴史ある出版社がゲーム事業へと進出するニュースが報じられた。
その出版社の名は集英社。言わずと知れた『週刊少年ジャンプ』で知られ、『ONE PIECE』に『僕のヒーローアカデミア』など、数多くのヒット作を出し続けている、世界に名だたる大手出版社だ。2020年3月、新規事業開発部を新設。翌2021年にはインディーゲームクリエイターを支援する大規模プロジェクト『集英社ゲームクリエイターズCAMP』の始動も発表した。
そんな集英社が2022年2月、より本格的なゲーム事業への進出を目指した新会社「株式会社集英社ゲームズ」を設立。ゲーム開発者支援、ゲーム開発に積極的に挑戦していくことになった。
「あの集英社がゲーム会社を立ち上げる!?」と、非常に衝撃的なこのニュース。文面だけで捉えると、「今まで他のゲーム会社より発売されていた『DRAGON BALL』に『ONE PIECE』、『NARUTO-ナルト-』といった人気漫画作品のゲームも集英社ゲームズから発売されるように?」……と考えてしまうかもしれない。ところが、実際は全くそうではなく、“新しい作品”の誕生に重きを置いていくという。
「集英社ゲームズ」が今後目指していくもの、またどのような流れを経て会社設立へと至ったのか。電ファミ編集部はこのたび、キーマンである集英社ゲームズ取締役の高橋雅奈氏と執行役員の森通治氏、同じく執行役員の山本正美氏の3名に話を伺った。
記事では、近年の『鬼滅の刃』を始めとするヒット作が相次いでいる裏にあるジャンプ特有の強みや、それをゲーム事業にどのように活かしていくのかについても迫っている。
不思議な縁が繋がっていったエピソードや、ヒット作連発の裏に隠された集英社全体のスタンス、ゲーム事業全体にかける思いと新会社が何を目指しているのかなど、さまざまなお話が飛び出したその模様をお届けしよう。
「自由に何やってもいいよ」から始まった新規事業開発部と、そこからのゲーム会社設立
──本日はよろしくお願いいたします。今回、集英社さんがゲーム会社を設立されるということで、集英社さんという出版社がゲームに対してどのように向き合っていくのか、その辺りを深掘りしていけるといいなと思っています。
まず最初にですが、そもそも集英社さんがゲームに向き合おうことなった流れや経緯のお話を関係者の皆様の自己紹介も並行しつつ、お聞かせ願えればと思います。
高橋雅奈氏(以下、高橋氏):
はい、高橋雅奈と申します。僕は集英社に入社して30年以上、ずっと転職することもなく居続けています。社歴をお話しますと、最初は『別冊マーガレット』で、少女漫画の編集者を5年ほどやっていました。
その頃はファミコンからスーパーファミコンへと移り変わる時代だったのですが、ちょうど集英社内で「ゲームの雑誌を創刊した方がいいのでは?」という意見があり、『Vジャンプ』が創刊されました。
もともと、『ドラゴンクエスト』のキャラクターイラストを鳥山明先生が描かれているのもあり、集英社はゲーム業界に関わりやすい状況にあったのもひとつの背景になっていますね。
ただ、一番の理由は「ゲーム攻略本は儲かる」なんですけどね(笑)。当時はゲーム攻略本がバカ売れしていまして、出せば数十万部みたいな時代だったんです。それでゲーム攻略本を作るための雑誌と言いますか、雑誌の記事をそのまま攻略本にすることはないですけど、ゲーム会社の皆さんとの関係を構築できるとか、そのようなメリットが雑誌にはあるだろうということで始まりました。その『Vジャンプ』の創刊で私が呼ばれまして、3~4年ほど関わりました。
──『Vジャンプ』の創刊からですか。じゃあ、ゲーム業界との関わりも深いのですね。
高橋氏:
『Vジャンプ』を離れてからは『週刊少年ジャンプ』に移って、少年漫画の編集者を10年くらいやりました。その後は文芸編集者を2年ほどやったのですが、より文芸の本を売るために「映像化をしよう、それを積極的に進める部署を作ろう」と言って部署を作り、4年ぐらいやりました。
「映像化ばかりやっていちゃダメだ」と言われ、海外出版推進も同時にやったりしてましたね。そこからライツ事業部に異動してライセンスの仕事をしていました。
ライツの後は「デジタル事業部」に所属しつつ、始めは僕ひとりで新規事業を考えていたのですが、半年ほどで新規事業開発「室」を作りました。そして2年前に「部」へと昇格して今に至ります。
もともと、新規事業開発室はデジタル事業部の中にあったのですが、特に何をやるかは決めていなかったんです。とはいえ、当然ですけどアニメやゲームなど、出版の周辺事業に目が向くんですね。いきなり喫茶店をやろう、ワイン会社を作ろうとかにはならない(笑)。
その辺りで何か新しいことを、ということになりまして、過去に『Vジャンプ』というゲーム雑誌に関わったこともあって、ゲーム関連のビジネスをやりたいなと思いつつ、いろんなゲーム会社さんとゲーム事業に関して意見交換していました。
それをどんどん進めていく内に今回、集英社ゲームズに出向する森(通治氏)が異動してきまして、何だかゲームをやりたそう(笑)なので、「じゃあ、やろう」という話になりました。その森の人脈から今回、山本さんを始めとするゲーム業界の方々にお声がけをさせていただき、現在の体制が出来上がってきた、という感じです。
──そのデジタル事業部というのは、アプリの開発もやる部署ということでしょうか?
高橋氏:
『少年ジャンプ+』とは部署が違います。最初は『ジャンプランド』みたいなWebサービスがありましたね。元は電子書籍とかではなく、デジタル的な商品やサービスを作るセクションだったと思います。のちに電子コミック、電子書籍が流行り出して、そちらにシフトしていきました。今は主なビジネスが電子書籍になった感じですね。
その中に新規事業開発室はあったのですが、初めは本当に「何をやってもいい」と言われていたんです。ですが、なかなかできないんですよ。さっきも言いましたけど、ワイン会社や喫茶店を作ろう!とはならないですし(笑)。僕個人に特別な技術や深い興味、人脈があれば別でしょうけどそんなものはなかったもので。
──なるほど……。とはいえ、集英社さんはある意味、ゲームとは一定の距離感を保っていたように思っていたんですよね。自分たちで開発するとか、パブリッシングまで担当することはないのがこれまでの前提だったと思うんです。
パートナーであるバンダイナムコエンターテインメントさん、スクウェア・エニックスさんとの関係性もあるじゃないですか。その上で「自社でもゲームを出すことに踏み込む」という判断に至ったことにすごく興味がありまして、一体何が背景にあったのかをお聞かせ願えればと思います。
高橋氏:
そちらにシフトした方がいいと思った大きなきっかけはスマートフォン(スマホ)です。これ、誰も公の場で話していないのが不思議なのですが……スマホの登場で出版は大きく変わったんです。
具体的には“ハンディな娯楽”というものが置き換わったんです。それこそ、昔は本というのはハンディな娯楽を楽しめるほぼ唯一のものだったんです。もちろん、音楽プレイヤーみたいなものもありましたけど、少し違うと言いますか、本はそのハンディな娯楽という点においてものすごく優れていたんです。
それがスマホに取って代わられてしまった。そして、気付いたらスマホの中に本も入ってしまった。そのスマホの中の娯楽とは何かと言うと、アニメに動画、ゲームといった出版物と比較するとコンテンツとしてリッチなものなわけです。おまけに無料で楽しめるものも多い。
普通に考えれば、ユーザーはリッチなコンテンツに行くものですから、「このまま黙っていたら、本は娯楽の対象から外れかねない」という危機感を抱いたんです。出版がゼロになることはないと思いますけど、先々は相当に厳しいだろうと。
──たしかに、本を紙でなくスマホで読む機会はかなり増えてきたと思います。しかしスマホに入ってしまうと、動画やゲームなどと同じ立場に並べられてしまうわけですね。
高橋氏:
そうなんです。それで自分たちも事業としてリッチなコンテンツの方に関わっておけば、集英社の未来も変わっていくのではないか、と。漫画のゲーム化っていっぱいありますけど、漫画とゲームって、基本的には全然性質の異なる商品なんです。
なので、取り組んでみないと分からないことがあるでしょうから、早めに動いた方がいいだろうと思ったんです。もちろんこれまでのパートナーの方々、バンダイナムコさんとかは今回の集英社ゲームズを作るという話を聞いた時、かなりドキッとされたようですけどね。
ただ、ライセンスのビジネスを壊す気はなく、協業のスタイルでご一緒していきましょうと説明もし、ご理解いただいています。おまけにバンダイナムコさんはプロで、こちらはド素人なんですよ。始めて間もないですし……先輩のゲーム会社さんにはいろいろと教えていただこうと思っています。
同時に少し変わった手法で「集英社ゲームクリエイターズCAMP」みたいな取り組みも始めましたけど、こういった取り組みもゲーム会社さんは過去に実施されているんですよね。山本さんも以前、ソニーでやられていましたし。
ただ、「我々がやるからにはゲーム業界ちょっと変わるかも?」という気持ちはあります。
──その「我々がやるからにはちょっと変わるかも?」というのはどういうことなのでしょうか。森さんと山本さんにもお話をお聞かせ願えればと思います。
森通治氏(以下、森氏):
はい、新規事業開発部の森と申します。
集英社ゲームズでは執行役員として頑張ります。よろしくお願いいたします。
私はもともとAppleの日本法人でキャリアをスタートしました。主にビジネスアライアンス、企業と企業同士を繋げ、製品を売っていくというビジネスを7年ぐらいしてきましたね。また、入社当時はAppleがiPhoneを出す前でしたので、会社が一気に大きくなっていくことや、スマートフォンが世の中の物事を変えていく場面のちょうどど真ん中にもいました。
それで30歳の時にですが、集英社へ転職しました。元から日本のコンテンツをデジタルの領域に広げていくことに興味を抱いていて、集英社のデジタル分野の採用があったことから応募させていただき、ご縁があって入社したという経緯です。
そこでデジタル事業部に所属しまして、5年間ぐらい漫画アプリや電子書籍関連の仕事をしてきました。まだ転職したての頃はアプリも電子書籍も発展途上の段階にありましたので、そこでも一気に大きくなる瞬間に立ち会えましたね。少年ジャンプ50周年の企画を担当したり、『少年ジャンプ+』の宣伝施策の提案などに関わりました。
──おお、『少年ジャンプ+』にも関わってらっしゃったんですね。あそこのネットでの話題の仕掛け方はメディアとしても注目させていただいております。
森氏:
ジャンプ+は編集部が中心の取り組みで、あくまでもお手伝いです。電子書籍もマンガアプリも自分が市場を伸ばしたわけではなく、たまたま自分が居た所が一気に大きくなるところだっただけなんです(笑)。その意味でも運に恵まれていると思っています。
新規事業開発部には、ちょうど会社として立ち上がったタイミング、3年前の2月に異動しました。青天の霹靂(へきれき)ではないですが、いきなり異動で新規事業と言われましたので、「おお、何をしよう?」みたいな感じでしたね。
元からデジタル事業部でも新しいことをしてきましたので、そのようなものを期待されていたとは思うのですが、何をやればいいのかは全然、見当も付かなかったんですね。今もちょうどこれまでやってきたゲーム事業以外のことが芽吹いてきている感じです。
ただ、やっぱり私個人としてはゲームにすごい可能性を感じていまして、集英社としてゲーム事業が立ち上げられないかというのはずっと模索してきました。
そもそも自分がゲーマーだから、というのもあります。多分、集英社でも上位に入るぐらいではと自負しているんですが、元からゲームが好きで、漫画とゲームと共に育ってきました。なので、ゲームにはすごく思い入れがあるんです。
実は転職時にもゲーム会社への転職を考えたぐらいでして。Appleのラスト2年間に社会人大学院にも通っているのですが、その時の修士論文のテーマもゲーム業界のビジネスモデル、プラットフォーム構造の研究で。
なので、ゲームという仕事にひとつチャレンジしてみたい、その市場で新規事業をやりたい、というふうに手をあげさせていただきまして、これまでやって来た形になります。
──ゲーム関係で修士論文まで書かれたのですか! しかも働きながらというのはすごいですね。
森氏:
当時は、転職するからにはゲーム市場を誰よりも詳しくなろうと思ってました(笑)。ただ、集英社でのゲーム事業の立ち上げは何をやればいいか分からないところから始まっていますから、最初の1年は本当に右往左往していました。まだコロナもありませんでしたから、「E3(Electronic Entertainment Expo)」や「gamescom」といった海外のゲームイベントの多くに足を運んだり、アジアのeスポーツイベントを観に行ったり、ひたすら海外で見聞を広めることをしつつ、協業の会社さんと企画を練りながらプロジェクトを進めていましたね。
大手の会社さんからも声をかけられたんですが、有名な漫画家さんにイラストを描いて世界観を作っていただいて一緒に作る、というような打診をかなり受けました。2桁単位で受けていたでしょうか。
ただ、有名な作家さんほど連載が忙しかったり、編集部と相談して「やっぱり厳しいです」という結果になったり、ライセンスの関係で実現困難になるなど、何も立ち上がらずに終わるというのが1年間ぐらいは続いていましたね。
それで今、ご一緒させていただいている中心メンバーのひとりで、DeNAの小島さんという方がいるのですが、お会いしてからいろんな企画をバンバン出してくれていたんですね。
ゲーム企画の持ち込みのようで面白かったんですけど、「これ結局、どうすればいいんですか?」みたいな会話になりまして。その話の中で小島さんが昔、『PlayStation C.A.M.P!』という取り組みをやっていて、そのメンバーのひとりだったことが分かったんです。それで、当時の『PlayStation C.A.M.P!』でやったことは自分の中の経験になっていて、尖ったゲームを作りたいんだ、という話で盛り上がりまして。
実はちょうどその裏側で僕自身、『少年ジャンプ+』とずっと一緒に『Google Play Indie Games Festival』に協賛させていただいていたんです。初回から協賛をして、インディーゲームのクリエイターさんとの協業みたいなのもコツコツやっていたのですが、僕らはゲーム作りのプロではないですから、支援といっても分からないことが多くあって悩みを抱えていたんです。
それで、小島さんにその話を投げかけてみたら「山本さんに会いませんか?」と。
そこから繋いでいただきまして、今からちょうど2年前辺りから『集英社ゲームクリエイターズCAMP』の前身に当たる企画が動き始めました。それがすごく可能性がありそうだと感じまして。そもそも、集英社は作家の発掘というのに長年向き合い続けているんですね。
その意味からも『集英社ゲームクリエイターズCAMP』の企画は適していますし、後に山本さんとお会いしたことでいい感じに形がまとまってきまして、それで複合的に集英社もクリエイター投資型のゲーム事業ができるのではというのが見えてきて、経営層に判断いただき、現在の形に至っています。
長くなりましたが、まさに紆余曲折あった感じですね。
──“ゲーム以外のこと”というのは具体的にはどういったことだったのでしょうか?
森氏:
色々とやっています。ちょうど先日にデビューしましたが、avexさんと音楽原作キャラクターを作ったり、AIでキャラクターを喋らせ、実際に対話もできてコミュニケーションが図れる取り組みをしたりとか。あとはファンクラブのビジネスを立ち上げることもしましたね。本当に新規事業というものをいろいろやってきた感じです。
もちろん、潰れた案件もあります。当時私が立ち上げた15個ぐらいの企画のうち、今は4~5個の企画が世に出て立ち上がっている状況ですね。苦労も多くありました。
──高橋さんのお話でもそのような匂いがありましたが、新規事業開発部というのは「何かやるぞ」と決めて設立したわけではなく、本当にやることも特に決まらないまま人がとりあえず集められ、集められた人も何をやるか分からないまま「さあ、どうしよう?」という形での始まりだったんですね。
高橋氏:
まあ、それに近いですね(笑)。僕がデジタル事業部に移って新規事業担当になり、最初にやったのはいろんな人と会って話すことと、そして会社を作ることでした。僕ひとりでは何もできないわけでして。
どこか一緒にやれそうな会社とくっつき、ジョイントベンチャーを作ってそこからさらに企画を練ろうと考えていたんですよ。それでいろいろな会社にお声がけしたんですけど、一番反応が良かったのがDeNAさんだったんです。
DeNAさんとは「集英社DeNAプロジェクツ」という会社を作りました。その会社も、何をやるための会社と決めていないんですよ。あくまで「企画会社」、企画を作るための会社として作ったんです。
その時はエンタメに拘らず、タクシー事業でもヘルスケア事業でも、なんでも新企画としてやってしまおうと思っていました。向こうには広範囲の事業経験がありますからね。
でも、いろいろ詰めていくとやっぱりエンタメになっちゃうんですよ(笑)。そんな感じで割と自由な立ち位置から始まっています。森には、無理にカテゴリを絞って新規事業をやらせる必要もないので、「自由に何やってもいいよ」というスタンスでしたね。
──そこまで自由度の高い始まり方も珍しい気がしますよ(笑)。
森氏:
まあ、現場は辛いですけどね……。
一同:
(爆笑)。
森氏:
今では笑い話ですけど、当時は本当に悩んでいました。「何やればいいの!?」という感じですよ(笑)。
不思議なご縁から繋がって本格始動した『集英社ゲームクリエイターズCAMP』
──最初の頃のメンバーは何人ぐらいだったんですか?
森氏:
3人です。しかも皆、専任なんです。新規事業ではだいたい兼任から始まる会社が多いと聞きますけど、そうじゃないというのは非常に面白い人員配置だったと思いますね。
──よくあるのですと、部署横断のようなチームができ、「みんな片手間でやりつつ、リーダーが誰か分からない」というのはありがちでしたけど、最初から専任でフリーハンドでやらせるという感じだったのですね。
高橋氏:
そうですね。せっかくの新規事業じゃないですか。いろいろと検討したいじゃないですか。海外で見聞を広めながら(笑)。先ほど森も言っていましたが、僕も海外のゲームイベントにはかなり足を運びました。昔、『Vジャンプ』の頃も『E3』、『CES(Consumer Electronics Show)』といったイベントにはよく行ってました。
確か25年ぐらい前ですね。よくその流れで海外へ行っては……ゴルフをしていました(笑)。
一同:
(爆笑)。
高橋氏:
あと、そういうところには当然ゲーム会社の人も行くんですよ。『Vジャンプ』とか『週刊少年ジャンプ』で漫画ばかりやっていたわけではなく、漫画に関わる流れでアニメ、ゲームに携わる人とお会いすることがすごく多かったんです。
それで、新規事業の検討の際もアニメ、ゲーム関連の人たちと話をすることになっちゃったんです。結果、ゲーム、アニメなどのリッチなコンテンツの方向で事業を考える、ということになりました。
──じゃあ、そのような流れで「山本さんにお会いしませんか?」という話になって、最初にそれが自分の元へと来た時って山本さん側としてはどのような感じだったのでしょうか?
山本正美氏(以下、山本氏):
これがですね……先ほど森さんからも名前が出ましたが、今、DeNAさんにいる小島くんというのが、僕が2000年にソニー・コンピュータエンタテインメント(SCE)に入社したときからの間柄なんです。
小島くんはSCEに入社して、1回退職した後、まったく別の業界で仕事をされていました。その頃、僕は『ゲームやろうぜ!2006』と『PlayStation C.A.M.P!』という、二度のクリエイターオーディションで募ったクリエイターとゲーム制作をしていた時で、プロデューサーとしてプロジェクトを回す人が足りなくなることがありまして。
それで自分でオリジナルの企画を考えられて、チームも仕切れる人を誰か呼びたいとなり、「そういえば、小島くんって今、何しているのだろう?」と連絡してみたところ、もう一度ゲーム業界に戻る気があるのでという話をされ、戻ってきてもらいました。
それから数年後、今のソニー・インタラクティブエンタテインメント(SIE)になった頃に辞められ、DeNAさんに移られたんです。
それで一昨年でしたかね……ある日、小島くんから連絡が入りまして、「今、集英社さんと面白いことをやろうと思うのですけど、1回森さんと会ってくれませんか?」という話があったんです。その時に『集英社ゲームクリエイターズCAMP』というのをやろうと考えていると。
ただ、CAMPという名前が被っているので、山本さんに一応、了解を貰っておかなければ……という感じで呼ばれたんです。けど、『CAMP』の商標って僕のものじゃありませんし、どうこうするものでもないんですよね(笑)。
でも、「面白そうじゃないですか!」という感じに話が盛り上がりまして。ちょうどその頃は、僕が所属していたSIE JAPAN Studioの動向にもいろいろあった時期で、僕も次の立ち位置を考えるなかで独立も視野に入れていたタイミングだったんです。それをお話した時に「じゃあ一緒にやりませんか?」という流れになったというのが今回の入り口ですね。
──SIEを辞める前に来た話だったのですか?
山本氏:
はい、まさに辞める数か月前でした。
──じゃあ、割とSIEを辞められてからは集英社さんとの事業を割とガッツリやられていたと……?
山本氏:
退職したのが2021年の2月で、3月に自分の会社を立ち上げたんですが、そこから主な業務は『集英社ゲームクリエイターズCAMP』の仕事を主軸にやらせていただいている感じですね。
森氏:
「辞められるなら是非手伝ってください!」と伝えたのを覚えていますね。
──まさにご縁と言いますか、タイミングがすごく良かった感じですね。
山本氏:
いや、もうご縁ですね……! 本当にたまたまでした。
──その『集英社ゲームクリエイターズCAMP』ができて、山本さんが関わっているらしいというのは耳にしていたんですが、「外部のアドバイザーみたいな関わり方なのかな?」と思っていたんですよね。
山本氏:
折角、フリーになりましたので、いろんな仕事の中のひとつとして思っていたのですが、実際に関わってみて、『ゲームやろうぜ!』や文字通り『PlayStation C.A.M.P!』に取り組みが似ているというのがありまして。それなら経験値として持っている部分を活かせるなと思い、自分からのめり込んでいきましたね。
他にも『ONI(仮称)』というインディーで進めているタイトルを見始めていたのですが、そこにも偶然の出来事がありまして。これを作られている葉山賢英くんというクリエイターが『PlayStation C.A.M.P!』で合格したクリエイターだったんですね。
彼は『PlayStation C.A.M.P!』卒業後にミストウォーカーさんに所属され、『テラバトル』とか『FANTASIAN(ファンタジアン)』のUIアーティストとして活動されていたのですが、それとは別に個人でもゲームを作っていて、それが『ONI』だったんです。
ただ、『ONI』はアクションゲームで、葉山くん自身にはその制作ノウハウがなかったんです。それで「プランナーの方を紹介いただけませんか?」という相談がありまして。その話がまさに小島くんのCAMPの話と同じタイミングで、「面白そうだから紹介できるし、プロデュースの視点で僕が参画できる余地があるなら入らせてよ」と話したんです。
それで最初の企画会議の時に「これ、誰がお金を出してくれているの?」「スポンサー決まっているの?」という話題になったらですね、「実は森さんという方が……」と。それで「ええっ!?」となりまして(笑)。
そのまま「今度、CAMPというのを一緒にやりませんかとのお誘いを受けているんだけど……」と話したら、「そうなんですか!」という流れになり、結果的に2方向から今回の企画に取り組む形になったんです。
──なんと、そのような順番だったのですか……! 普通に山本さんから声をかけて始まった、というふうに見えていました。
山本氏:
逆ですね。葉山くんから誘いを受け、『ONI』に関わり始めた直後にCAMPの運営も、という流れでした。
森氏:
本当にたまたまなんですよね。先ほど話した大型案件のプロジェクトのプレゼンテーション資料を作るというのが僕らの部署でありまして、パワーポイントで素人が作っても格好悪いし、ゲームっぽいデザインの資料にしたいなと思って、たまたま小島さんに相談したところ、デザイナーとして葉山さんを紹介いただいたんです。
それで「ちょっと大手の会社さんを口説きたいんで、格好よく仕上げてください」とお願いしてアルバイトな感じで受けていただき、終わって「ありがとうございました」という流れで「実は僕、ゲーム作っているんですよ~」という話になりまして(笑)。
その後、小島さんと一緒にご飯を食べに行った時に『ONI』の前身である企画を見せてもらいまして、「これ、メッチャいいじゃないですか!」と盛り上がって、「けどこれ、どうするんですか?」と聞いたら「スポンサーを探しているんです」と。
そこから「今、僕らもCAMPの企画が固まってきたので一緒にやりませんか」と口説いたのが実はきっかけだったりします。なので本当に不思議なご縁がいっぱい繋がった、という形でしたね。
──すごいですね……。チームがあって予算が決まり、その中でプロジェクトを探してみたらパラレルにいろんなものが組み合わさっていくというのが本当に運に恵まれていると言いますか。
森氏:
そうなんです(笑)。僕、なんだか運がいいんですよね。成長前のAppleに入社したのもそうですし、集英社でもこのようなことが起きましたし。
山本氏:
本当に呼び込んでいますよね。
──山本さんもSIEの時は内部のスタジオというより、外部のクリエイターさんのスタジオとゲームを作られてきたことが今の流れに繋がっているということを感じさせられますね。
山本氏:
そうですね。SIEには2000年に入社して、2021年に退社しましたが、後半は外部制作の部長として『みんなのGOLF』シリーズに携わったり、『SOUL SACRIFICE(ソウル・サクリファイス)』で元カプコンの稲船敬二さん、『俺の屍を越えてゆけ2』で桝田省治さん、そして『Bloodborne(ブラッドボーン)』ではフロム・ソフトウェアの宮崎英高さんという、国内の大御所のクリエイターさんたちとたくさんお仕事させていただきました。
あと、平さんにも一度、現場に来ていただいたことがあったと思いますけど『Unityインターハイ』、昨年から名称が変わった『Unityユースクリエイターカップ』にも8年ほど審査員をやらせていただいています。
今回のCAMPのアドバイザーもそうですが、自分の見える範囲の中で企画をこうした方がいいのでは、という経験が役立つのなら、若い人たちと何かゲームを作ることをやりたいなということを考えていたタイミングでもありましたので、今回、集英社ゲームズができた時には若い才能に投資するみたいなところも狙っていきたい、というのはすごく思いますね。
独立への踏ん切りを付けたクリエイターが続出
──当時の『PlayStation C.A.M.P!』……『ゲームやろうぜ!』が開催された初代PlayStationの頃というのは、ゲームの媒体がROMカセットからCDになり、映像が2Dから3Dになるという新しいプラットフォームとフォーマットが確立されつつある時で、新しい才能を発掘しなければという文脈でやられていたものではないですか。それがここに来て、集英社さんや他の出版社さんも含め、新しいゲームのクリエイターを発掘し、押し上げて行こうという機運が高まってきているんですよね。
その当時と今の空気って、何か違いとか山本さんから見てあったりするのでしょうか?
山本氏:
僕が『ゲームやろうぜ!』を2005年にリブートした頃というのは、ちょうどPlayStation 3が発売されるタイミング、要はPlayStation Storeが立ち上がるタイミングとほぼ同じだったんですね。
その新しいプラットフォームやインフラが立ち上がる時というのは人材流動性と言いますか、例えば別業種で仕事をされていた人がゲームの仕事をしてみようかなと興味喚起されるタイミングでもありまして。そんな在野にいるいいものを持っているクリエイターさんたちが企画を立ち上げ始めたり、デジタル(ダウンロード)でゲームコンテンツが売れるようになる環境が整いつつあった頃と今では、状況的にはそれなりに似ている印象が実感としてありますね。
『Unity』や『Unreal Engine』といったミドルウェアを自由にダウンロードでき、誰でもゲームが作れ、販売できる環境が整っている辺りがそうですね。
──逆に今ならではの現象とかありますか?
山本氏:
「ビルドが送られてくる」というのは特有の現象だと思いますね。過去の『ゲームやろうぜ!』や『PlayStation C.A.M.P!』で応募して挙がってくる企画だと、実際に触れるビルドなんてほんの数本しかなかったんです。
ですが、今はミドルウェアを自由にダウンロードできることから数が増えまして。結果的に玉石混交感が増すということではあるのですが、「いきなり触れるもので勝負できる」というのは明らかに状況として違うというのはありますね。
もう「企画書の茶封筒を開け、それを読む」みたいな時代ではないぞ、という(笑)。
──(笑)。ちなみに森さんにお伺いするのですが、『集英社ゲームクリエイターズCAMP』の現在の登録者数とか、今起きていることとかをお聞かせ願えればと思うのですが、今、どういった状況なのでしょうか。
森氏:
CAMP自体は、登録者数が4000人を超えている状況です。これが多いのか少ないのかはまだ分からないのですが、日本国内で同人やインディーゲームなどに携わっている方々が1万人から1万数千人はいらっしゃる規模感を予想しているので、まあまあ多い数ではないかと思います。
今、世の中的にはどんどん増えるトレンドがあると言いますか、先日にもアトラスの目黒将司さんが独立されるニュースがありましたが、あのような流れが続けば、これからさらに増えていくのかなと思っています。
CAMPのプロジェクトに関しては、ものすごく上手く行っているのかというとまだ課題はあるかと思っています。まだいろいろと至らない部分が多いので、満足度で言いますと30%ぐらいの感覚ですね。逆に言えば、70%ぐらいはやらなきゃいけないことがたくさんあるなという手応えもあります。
その中でいいことが起きているのかと言いますと、「自分のゲーム作っていいんだ!」みたいな雰囲気がだんだんと濃くなってきていることを感じますね。「会社を辞めて独立してチャレンジしたいと思っています!」という声が増えているという、業界を盛り上げるムーブメントが起きている流れが生まれつつあるように思っています。
実際に今回、コンテストなどですごくたくさんの応募をいただいているのですけど、本当に「会社辞めて独立してやっていきます!」みたいな方々がけっこういらっしゃるんですよ。きっかけを伺ってみたら、僕らの活動を見て「踏ん切りがついた」と、回答いただけたことがありまして。
「一緒にゲームを作る人材探しの面でもいい人と出会えました」とか、一歩進むきっかけがいくつか生まれていることもすごく良かったと思っています。あと、この業界で誰に相談するのか、と言ったら「集英社だよ」みたいな空気も出始めているようで、そこは有り難い限りですね。
──若干ですけど、『集英社ゲームクリエイターズCAMP』はSNSの役割を担いつつもあるではないですか。そこに対して何か働きかけるというのは、集英社さんの方でも何か考えられていたりとかはするのでしょうか? たとえばマッチングの機会を設けます、とか。
森氏:
基本的にそれはもっとやっていきたいのですが、まだやれていないというのが実情ですね。というのも、マッチング機能自体が運用し始めてから半年しか経過していないもので、どのようなことが起きるのかが掴み切れていないんです。
それに、こちらが仕向けてしまうと、責任を取ることにもなるのですが、そこはまだ我々の体制的に担えないのもありまして。なので、今はまだ場所を用意しました、後は皆さんで1回ちょっとやってみてくださいという感じですね。
ただ、コミュニティマネージャーをひとり置いているのですが、その方がすごく頑張ってくださっていて、「リアルイベントをやりたい」という提案もいただいています。
ただ、リアルイベントはまだコロナのこともあって難しいというのがあります。本心としては、それこそ「BitSummit」とは少し違う感じのマッチングイベントができれば面白いだろうなとは思っているんですけどね。
そのような課題があるというのは常に意識しています。