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「新宿ED」って、本当は浜崎あゆみと歌合戦する予定だった?『ドラッグ オン ドラグーン』に救われた中学生がゲーム業界に入り、ヨコオタロウから「ゲーム作り」を教わるまで

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掴めるようで、全然掴めない。結局「ヨコオタロウの作家性」とは何なのか

──ちょっと話題から逸れてしまうのですが、「ヨコオさんが何を考えてものづくりをしているのか」ということには興味があります。これまでも何度かインタビューさせていただいていますが、正直まだ掴み切れていないところがあって。

ヨコオ氏:
 いや、だいぶ話してる気がしますよ? もう何回電ファミさんに出てるかわからないですけど、過去ログを漁って読み返したほうがいいんじゃないですか?(笑)

林氏:
 でも、僕もいち読者として「ヨコオさんは掴みどころのない方だな」とは思っていました。「飄々とされている」と言うか……。

ヨコオ氏:
 え、そうですか?
 そんなことないけどな。一貫してる気がしてますよ。

 それこそ「モテないことがストレス」も何度も言っていますし、シナリオの書き方などはいろいろな講演でも話しています。

──先ほどの「まずお客様のことを考える」など、ヨコオさんはいわゆる「作家性」とは真逆の視点のお話をされることが多いと思います。ただ、結果的にできあがるタイトルは、やはりヨコオさんの味が強いものですよね。だからこそ、「作家性がありながらも広く売れるもの」になっているのではないかと感じています。

ヨコオ氏:
 まぁ、広く売れたのは『ニーア オートマタ』が最初で最後みたいなところはありますよ。

 そもそも、「作家性」なんてものは誰でもあるんです。みんな「作家性」自体は持っているけど、それを表に出すためのテクニックと予算とチームがいないから、それができてないのだと思います。

 チームビルド、技術的な裏打ち、工数管理……そういったことをちゃんとやれば、ほっといても作家性は出てくるんじゃないの? 逆に、作家性が出てこないことなんてあり得るのか? ……というのが、僕の考えですね。

 じゃあ、その結果出てくる「ヨコオタロウの作家性」が何かというのは、自分ではよくわからないんですけど……それでも内側から出る「性癖」的なものはあるんじゃないですかね。ひとつ言えるとすれば、僕は「色」があまり好きじゃないので、ちょっと彩度が低めなゲームを作りがちです。そういうところなのかな。

『ドラッグ オン ドラグーン』に救われた中学生がゲーム業界に入り、ヨコオタロウから「ゲーム作り」を教わるまで_013
© SQUARE ENIX CO., LTD. All Rights Reserved.

ヨコオ氏:
 でも、冷静に考えてみると「ヨコオタロウの作家性」がなんなのかは自分でも本当によくわからないですね。それこそ林さんやスクエニのシナリオ班の人たちに教える時は、とにかく「わかりやすさ」について説明します。お客様が遊ぶ前提でゲームを作るからこそ、「わかるように」するべきです。

 たとえば「サブクエスト」に関しても途中でほったらかした上で、また戻ってきて再開した時、プレイヤー的には「忘れてる」ことが多いんです。そんな離脱の可能性がある時には、「あそこにいるキャラに頼まれたこのアイテムを持ってきたよ」と概略としてわかるような情報をNPCに言わせたりします。

 それ以外にも、「全体のコンセプトをどう伝えるか、どうお客様に理解していただくか」という話はよくします。つまり、ヨコオタロウの作家性は「わかってもらえないことへの恐怖」が根源にあるのかもしれないですね。この「わかりやすくする」ことを最近ずっと若手に話してて……「わかりやすさ」に関しては、若干キチガイじみてるかもしれないですね(笑)。

──『DOD』について話されていた「ドラクエとFFの差別化」も至極真っ当だと感じるのですが、それを実践して実際に市場で効果が出るか・作家性を持たせたうえでやり切れるかは難しい問題です。ヨコオさんのクリエイターとしての腕は、そこを「やり切ってしまう」ところだと思うんですよね。

ヨコオ氏:
 まず、僕は「自分の作家性を出したいか」というと、そうではないんです。

 そして、たとえば『ドラッグオンドラグーン』のようなダークなものを作って、もう一度「ドラッグオンドラグーンみたいなダークなものを作りましょう」という話が出た時に、「それをお客様が新鮮な気持ちで遊べるか?」と考えると、まぁそうじゃないですよね。

 なにか新しく作る意味があったり、そこで感情が動いたりしないとダメなんです。だから、その「新しく作る意味ってなんだろう?」ということを、毎回試行錯誤して作っている感じがします。もし僕に作家性があるとしたら、「前回作ったものを一度自己否定して、違うものを作ろうとする」やり方そのものにクセがあるんじゃないかと思います。

林氏:
 ……これは僕の持論でしかないのですが、ヨコオさんの作品に共通して感じているのは「一見残酷すぎたり露悪的な印象があるようで、現実で辛い思いをしている人間が触れた時に安らぎを感じる」ということです。要は、切り取り方がいい意味で「ドライ」なのかなと。

 「こういう嫌なことがあるよね、辛いよね」というテーマを投げかけつつも、それ以上に何か是であったり、悪であったりを描かない……。つまり、必要以上に華美な意見がないんです。だからこそ、自分の心の浸透圧がその作品と同じになって、呼吸しやすくなる。

 そこの「やさしい冷たさ」みたいなものが、ヨコオさんの作家性だと思って受け止めていました。

ヨコオ氏:
 あぁ、それは割とあるかもしれません。自分自身も作っていて「これは本当の意味で残酷な表現ではないな」とは感じています。そして、それはお客様にも求められていないだろうと。

 これを、自分の中では「ファッション鬱」と呼んでいるんですけど(笑)。

 要は、「もうちょっとライトに暗さを楽しめる程度の表現」に留める必要はあると思うんです。僕の作品で描かれているものより気持ち悪いものや怖いものは世の中にいっぱいあるんですが、そこまでは行きません。「実際に起きたら嫌だけど、ゲームの中だとなんとなく飲み込める残酷さ」くらいには抑えたいなと思います。

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──やはり『ニーア オートマタ』は、これまでヨコオさんが作られたタイトルの中でも「ヨコオ味」がより広まったタイトルだとは思います。それは「お客様にヨコオ製のタイトルをより広く届けよう」という意識があった結果として、あのセールスを記録したのでしょうか?

ヨコオ氏:
 『ドラッグオンドラグーン』や『ニーア』シリーズもそうなのですが、僕は基本的に「そのチームのやれる範囲のことを、やっている」という意識で作っています。そこで『ドラッグオンドラグーン』から『ニーア』の間に、よりスケールやレンジを広げる意識があったかというと、それはゼロです。

 僕の中でゲームを作るのって、「サーカス」に近いんですよね。その場その場でお客様に楽しんでいただくことが最も重要で、「自分の作品を作って、それをずっと残していきたい」とは考えたことがないです。だって、その場に来てくれたお客様が、次に戻ってくるかどうかはわからないじゃないですか。

 たとえば、『ニーア オートマタ』は「『ニーア レプリカント』を遊んでいない人でも楽しめる」ことが大前提となっていました。『レプリカント』を遊んでくれた人には、ちょっと嬉しいことが混ざっているくらいです。「前作がわからないなら楽しめない」ようにするのは、やっぱり違うよねと。

 ……で、「どうやったら売れるか?」というと、それはもうシンプルに「プラチナゲームズさんとアクションRPGを作って、スクエニでパブリッシャーをしてもらう」ことだと思いますけど(笑)。

──いちプレイヤーの視点からすると、ヨコオさんのタイトルは「システムに感情を持たせる」のが上手いと感じています。『DOD』の新宿音ゲー、『レプリカント』のデータを消す演出、『オートマタ』のエンドロール……。やっぱり「人に話したくなる」部分が大きい気がします。

ヨコオ氏:
 「面白い話を書こう」と考えた時、わざわざゲームでやろうとする必要ってないんです。面白い話を書きたいのであれば、小説や映画などの「ストーリーテリングに最適化されているメディア」の方が圧倒的に向いているんですよね。

 そして、ゲームは開発上の縛りが多すぎてお話を面白く作るのがすごく難しいんです。だから、なんとかシステムと関連させて「ゲームのストーリー」として意味を持たせてあげないと、そもそも「面白い」と思いづらい。

 『レプリカント』のデータを消す演出【※4】については、当時の「実況動画」の存在が大きいですね。当時はYouTubeやニコニコ動画で「ゲーム実況」が出始めたばかりで、それに対して「動画だけ見て満足するのはどうなの?」と憤っている業界の人がたくさんいました。

 でも、実況動画の流れそのものはテクノロジーの進化だから止められません。そんな中、「逆に僕らクリエイターのアドバンテージはどこにある?」と考えた時、やはりそれは「どうやってインタラクションに価値を見出すか」だと思いました。

 要は、「人のセーブデータが消えているのと、自分のデータが消える」のでは、全く意味が違いますよね。『レプリカント』でああいう演出をしたのは、それが大きいです。……これ、年寄りの話ばっかりでよくないですね(笑)。

※4「ニーア レプリカントのデータ消滅演出」
先ほどの『DOD』同様、『ニーア レプリカント』にもいくつかのEDが存在している。その内の「Dエンド」と呼ばれるエンディングにて、「プレイヤーのセーブデータそのものを削除することでエンディングを閲覧できる」という衝撃的な条件が提示される。

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ヨコオさんの言ってること、本当ですか……?

林氏:
 これまで何度か話題に出ていますが、正直僕もヨコオさんの「作家性を出さずに、ロジカルに組み立てる」手法のお話は内心懐疑的でした……(笑)。

 ヨコオさん自身は作家性を意識されていないかもしれませんが、やはり外部から見ると「ヨコオ味」がするんです。ヨコオさん自身が認識されていない処理プロセスのどこかに「ヨコオフィルター」があって、そこを通して出てくるものが「ヨコオ味」をつけているような気がします。

ヨコオ氏:
 じゃあ、やっぱり僕自身の意識してないところに作家性があるんでしょうね。というか、それは僕自身も思っていることです。要は、「前の作品と違うものを作ろう」と思っても、プレイヤーには「似てる」と言われるんですよ。

 そこで「何が似てるのか」は自分ではよくわからないんですけど……もしかしたら「許容できないこと」がそうさせているのかもしれません。自分が面白くないと感じたり、「これは意味がない」と思うことは許容できない。そうなると、やっぱり手口が似てくるというか。

 それが作家性……逆を言えば「芸風が少ない」ことなのだと思います。
 ある意味、反省点でもありますね。本当は毎回違うものを作りたいので。

林氏:
 根底のエッセンスは同じですが「毎回必ず違うテイストの作品を作られる」という点は、ひとりのファンとして啓蒙されていましたよ。だから、なんて言うんでしょうね、ヨコオさんの作品は「ガチャガチャ」に近い感覚で、次はどんなテイストなんだろうかと楽しみにしています(笑)。

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ヨコオ氏:
 でも、僕の希望としては「最終的にクリエイターは表から消えてしまえ!」と思っています。製品だけが残って、クリエイターがいない世界がいつか僕は来てほしいです。だから、「ヨコオタロウという名のガチャガチャ」というより、もう少しプロダクトっぽい世界が来ると嬉しいんですよね。

林氏:
 それは「フィクションを大切にしたい」ということですか?

ヨコオ氏:
 いや、「別にクリエイターは面白くないから」ですね(笑)。

 クリエイター自身が面白いのであれば、クリエイターのしゃべったことを本にすればいいだけです。でも、そうじゃないからゲームを作っているのであって。要は、「作品に面白くないものを混ぜない方がいい」というのが根本にあるんです。

 たとえば、「監督の作家性」を前提とした文脈で映画を見る人がいますよね。たしかにそれもひとつの商品性ですけど、僕は「それは作品そのものの価値ではない」と思います。それがあんまり好きじゃないんですよね。

林氏:
 でも、少なくとも僕は「ヨコオさんが作られるからなんでも好きになろう」という気持ちでは遊んでいませんよ。触れた結果、好きになっているだけで。だから、ヨコオさんの名前が出ることによって作品を穿った目で見ることはないですし……。プレイヤーだってしっかり「作品は作品、人は人」と区別した上で遊ばれる方もいますよ。

──ただ、一方で最近は、「作家の文脈」を伴って消費されるコンテンツも多い気がします。直近で公開された『君たちはどう生きるか』辺りも、まさにその例ですよね。

ヨコオ氏:
 そういう作家の生き様とセットになっている作品も当然あるんですが、自分の人生を振り返ってみると……「それを予期して自分の振る舞いをデザインしていなかった」んですよね。つまり、作家の文脈にセットしようとしても、自分の人生が全く機能しないという……。

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──それで言うと、若くしてディレクターになっている林さんは、いつかその「作家の文脈を伴った作品」を実現する可能性はあると思います。

ヨコオ氏:
 「林 風肖」というブランドを作るってことですよね?

 林さんはシャツにぜんぜん毛玉がついてないから、少なくともそれが「人生のデザインがうまくいっている証」だと思います(笑)。

林氏:
 すごい基準(笑)。でも、うーん……難しいですね。作れるのであれば作りたいですけど、「ブランドを作りたい」と思っている自分はすごく嫌いです。この二律背反がなかなか難しいです。

 「自分の作品を作る」ことに時間をかけるのには罪悪感を感じませんが、「自分を見せるために作品を作るか」というと、それはやっぱり苦手です。ゲームを作るために生きているので、その逆の「生きるためにゲームを使う」手段はあまり考えたくないですね。

 それで言うと、最近、友だちのクリエイターが言っていた「俺は一生ゲリラ戦するから!」という言葉は、すごく痺れましたね。「一生、ゲリラ戦」。僕もそういうマインドで、ゲームを作り続けたいです。

──ゲリラ戦も、勝てば革命軍ですけどね。

林氏:
 そう、そうなんですよ。ゲリラ戦で勝ちたいんです。
 そこで勝って革命を起こした後、つぎの戦地に行ってまたゲリラ戦をするという。

──ヨコオさんの作品は、まさにその「ゲリラ戦から革命軍」の流れのような気がします。

ヨコオ氏:
 「ゲリラ戦」の話題から少し逸れますが、個人的に最近思っていることがあります。

 ソーシャルゲームを作ってて、よくわからないんですよ。

 なぜソシャゲがこういうシステムで、なぜみんなガチャを引くのか……それが根本的によくわかっていません。だから、僕が携わったソシャゲのゲームの基礎設計や構造は、基本的には開発会社さんにお任せしています。僕はデザインラインやシナリオの見せ方だけを監修しています。最近、そういう仕事が多いです。

 そしてスマホの新作を発表すると、ファンの人からは「ヨコオはソシャゲばっか作ってないで、コンシューマーを作れ」と言われるんです。それを言われる度に、「よし、ソシャゲを作ろう」という気持ちがすごく湧いてきます。

一同:
 (笑)。

ヨコオ氏:
 でも、ゲームって元々そういうものだった気がするんですよ。メディアとしてアウトローというか。社会的にあんまり認められてないけど、好きだからやってるような。

 その「アウトロー感」を、なんだか最近ソシャゲに感じています。それに寄り添いたいんですよね。だけど、ソシャゲを何本か出していくうちにファンの方から「ソシャゲ待ってるよ!」と言われたら、もうやる気はなくなりますけど(笑)
 
 これが最近の僕の「ゲリラ戦」ですね。冷静に考えてみたら、「どうしてこれを作っているのかわからないまま、作っている」ってすごいですね。53歳にもなって!

 多分、実際に関わっている若いスタッフさんは「ソシャゲ」を理解しているんです。運営方法とか、キャラの出し方とか……。でも、僕は何回やってもよくわかっていません。

『ドラッグ オン ドラグーン』に救われた中学生がゲーム業界に入り、ヨコオタロウから「ゲーム作り」を教わるまで_018
公式サイトより

──いろいろなクリエイターさんからお話を聞いていると、真剣に作れば作るほど「出しきってしまう」部分は大きいと思います。でも、ファンの方からもう一度同じ味を求められることもあったりしますよね。その「同じ味を求められること」を、ヨコオさんと林さんはどう感じているのでしょうか?

林氏:
 僕の場合、「僕のような人間に期待してくれる」こと自体は嬉しいです。でも、アウトプットに関してはやはり毎回新しいものをやっていきたいので、その声にがんじがらめにはされないようにしています。

ヨコオ氏:
 僕は、「僕みたいな人間に期待するのは間違ってる」とひたすら言い続けてますけど。

 いやぁ、もう本当にクソ人間なので……。いつかどこかでこの内面のクソさが開陳されて、ゲーム業界から引きずり降ろされるんだろうなと思っています。あ、ちゃんとこれを言っていたことを記事に残しておいてください。「ヨコオは自分で上手くやっていけるなんて思ってなかったぞ!」って(笑)。

──わかりました(笑)。

ヨコオ氏:
 もう年寄りなので、「人生であと何本作れるか」という話になることもあるんですけど……その度に「あと何本もクソも、これで終わりでいいじゃん!」と言っています。もう若手もいっぱいいるし、僕らはそんな才能があるわけじゃないし、時間も時間だし……。そろそろ退場のタイミングなんじゃないですかね。

 「あと何本か」と言われたら、毎回「あと1本作ってこれで終わり」と思っています。もう残りの人生は、林さんが何かしらのタイトルを立ち上げた時に「監修」という名目で幾ばくかのお金をもらえるのであれば、それで細々と生活していけたらいいなと。

林氏:
 ぜひよろしくお願いします(笑)。

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林氏:
 ヨコオさんが最初の1本として『DOD』を作り上げられた時って、どんな気持ちだったんですか?

ヨコオ氏:
 「これで終わっていい」と思っていました。実際、それがあったから『ドラッグオンドラグーン2』ではディレクターを代わってもらいました。やっぱりオタク的に、「ゲームを作って、ディレクションする」ことは夢のひとつだったんです。

 だから、『ドラッグオンドラグーン』を作りきれた時は「自分の思い描くものを実現できたなら、もう俺のオタク人生十分でしょう!」みたいな気持ちでしたね(笑)。

 「ここからもっと良いものを作ろう」とかは、一切思わなかったですね。

──では、『ニーア オートマタ』にやり切った感覚はあまりなかったりするのでしょうか?

ヨコオ氏:
 全然ないですね。「『オートマタ』が」というより、初代『ドラッグオンドラグーン』以降の全部の作品がそうです。だから、発売される瞬間は、一生懸命スタッフの前で「いやぁ、なんとかなったね」という嘘をつき続けています(笑)。

 僕のゲームは開発中も通しで綺麗に遊べることがないので、「実際に通しで遊んだ時、プレイヤーはどう思うのか」がわからないんです。そこが不明なまま、勘で作ってる部分が結構あります。シナリオもそうなんですが、毎回「完成までどんな話かわからない」と言われ続けたまま、世に出ています。

 そして、自分自身が最後までどんな話かわからないまま世に出ちゃってるものもあって……。でもお客様も優しいから、どんな話かわからなくても想像で埋めてくださったりします。ちょっと最近調子に乗って、その「想像の補完」に頼るようになってる気がします(笑)。

一同:
 (笑)。

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スクウェア・エニックス公式サイトより

今の時代、「コンシューマーでゲームを作る意味」はどこにある

ヨコオ氏:
 僕が『ドラッグオンドラグーン』を作ったのはさっき話した「マーケット的な隙間」が大きかったんですけど、逆に林さんはフリューで『クライマキナ/CRYMACHINA』のようなタイトルを作る上で、「暗いゲームを作る意味」をどんな風に捉えてるんですか?

林氏:
 そこは「僕自身が暗い作品を作りたい」というより、やはり「フリューの予算規模感」の側面が大きかったですね。散々名前の挙がっているスクエニさんに比べて、やはり弊社は著しく予算が少ないです。

 そして、その予算の足りない状態で四角四面な王道作品を作ったとしても、他のメーカーのタイトルとは絶対に勝負ができません。

 であれば、やはりニッチだったり、本流から逸れたものを好む方に届くような作品を作った方が意義があると思います。そこから作ったのが『CRYSTAR -クライスタ-』と『クライマキナ/CRYMACHINA』です。

ヨコオ氏:
 その「暗い話が今の本流であるかどうか」は、結構面白い部分だと思っています。そもそも、今はFFですら暗い話を推し出したアプローチになってきていますよね。

 なんとなくですけど、『魔法少女まどか☆マギカ』が出た辺りから、一気に「暗い話」がメインストリームに来たような感覚があるんです。そこから「欅坂46」みたいな暗さをウリにしたアイドルが出てきて……。だからもう『まどマギ』と「欅坂」を見た瞬間に、「オレの時代は終わった」と思いました。

 「隙間で生きてたオレのフィールドがメインになっちゃったら、もう生きていけないじゃん!!」と絶望した記憶があるんですけど……(笑)。

一同:
 (笑)。

林氏:
 正直、「暗い話」はもう普通に本流に来ていると思います。

 ただ、『CRYSTAR -クライスタ-』の頃にコンシューマーゲームでそういうアプローチをしていたタイトルは小説や漫画に比べるとまだまだ少なかったので、「割合的にはニッチかな?」と思っていました。でも、世の中のエンタメ全般で考えるともうそんなことは全くないですよね。

ヨコオ氏:
 徐々に増えているのか、本流になってきているのか、それとも全体数が増えた上でぐしゃぐしゃになって、単純に選び放題になってるのか……。ダークな部分をウリにしていたり、人間の内面に迫るような作品がすごく増えてきていますよね。正直、「もう何を作ったらいいのかわからない時代」に突入しています。

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公式サイトより

──「ニッチなものを作る」点では、今はコンシューマーだけでなく「インディー(個人製作)」という分野がありますよね。そんな中でもコンシューマーでニッチなものを作ろうとしている林さんの中で、「コンシューマーで戦うことの意義」は明確にあったりするのでしょうか?

林氏:
 コンシューマーという言葉を「サラリーマンとして家庭用ゲーム機用の商品をつくる」という定義にした場合、コンシューマーで戦う意義は……ハッキリ言ってしまえば、そんなにないと思います。

 そもそも、今はコンシューマーとインディーの境界そのものが曖昧ですよね。そうなってくると、あとは「資本力のあるところで作るか」「全部独立で作るか」の二択だと思います。

 まず、前者の「会社で作る」メリットは「個人の資本力を超えたお金を自由に使える」ことだと思います。むしろ、それだけなのかなと。いろいろな制約も増えますし。そして、後者の「独立で作る」メリットは、「時間や働き方も含めた自由度が増す」ことです。ただ、その一方で予算は減ります。

 ……正直、今はもう「どっちも取れる」時代だと思います。そして、僕自身としては単純に「今ある選択肢の一つとして、フリューのお金を借りてコンシューマーゲームを出していきたい」というだけです。割とここはシンプルな考え方ですね。

 ちなみに、ヨコオさんは「コンシューマーへのこだわり」は強かったりするんでしょうか?

ヨコオ氏:
 いや、別に僕もこだわりはないですね。
 ソーシャルゲームもたくさん作っていますし。

 ただ、コンシューマーとソシャゲではやっぱりメディアが違うので、「何が違うのかを意識」するようにはしています。

林氏:
 「お客様の楽しみ方が違う」ということですか?

ヨコオ氏:
 うーん……ちょっと下ネタになっちゃって申し訳ないんですけど、「ポルノ映画を劇場に見に行く」のと「アダルトビデオを普通に家で見る」のとでは、全然意味が違うじゃないですか。映画館みたいなものだと思うんです。コンシューマーって。

 コンシューマーは他と比べると明らかにハードルも高いうえに、作るのもめんどくさいです。ただ、「変なブランド」みたいなものはあるんです。コンシューマーもソシャゲも見ているものは結局一緒なんですが、その中でよくわからない「ブランドの幻想」がずっと生き残っている。そして、コンシューマーにはその「ブランドの幻想を満足させる何か」が必要なのだと思います。

 これは、割と「ゲームを買う動機」に近いのかもしれないです。僕はNintendo Switchのゲームをよく買うんですけど、なぜ買うかというと「Switch単体で動かせるから」です。PS4やPS5は、まずテレビに繋ぐ必要がありますよね。で、将来「PS8」とかが出てきたらもう家庭のPS5はとっくにテレビには繋いでないわけです。そしてPS5のゲームを遊びたくなったら、また出してこなきゃいけない。

 だけど、Switchはそれ単体で電源を入れれば動きます。だから……その将来のためにSwitchのゲームを買っています(笑)。そういうところに「コンシューマーの幻想」があるなと。「ゲーム単体」を所有するというより、「そのゲームが、ゲーム機と共にある」という気持ちがどこかにあるんです。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
ライター
転生したらスポンジだった件
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