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「Unity」普及の立役者・大前広樹が明かすUnity Japanを“卒業”する理由──テクノロジーの最先端からゲーム開発のインフラにまで発展した「Unity」を、今後も提供し続けるための組織改革は「自分が旅立つ」ことで完成する

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苛烈を極めたTGSのインディーズゲームフェス

──お話を聞いているだけで、いかに立ち上げ時から体制が整うまでは苦労の連続だったかというのが伝わってきます。

大前氏:
大変だったことと言えば、東京ゲームショウ(TGS)のインディーズゲームフェスとかもありましたね。

高橋氏:
ありました! あれは大変だった(笑)。

──どんどんでてきますね……。「インディーズゲームフェス」と言いますと、どういう経緯で引き受けることになったんでしょう?

大前氏:
「TGSでインディーのブースを初めて作るんだけど、どうすればいいか分からない」と相談されたのがきっかけでした。

話を聞いてみたら、インディーゲームを並べるだけの形をイメージしていて、「それじゃお客さん来ないんじゃない?」「うちで良ければ引き受けます」という流れで関わるようになったのですが……その内容で揉めて大変でした。

──内容で揉めたというのは?

大前氏:
僕らの案で、ゲーム実況者を初めてTGSに呼んだのですが、当時はまだゲーム会社がゲーム実況者をどう扱えばいいか迷っていた時期だったんです。

先ほどの「新しいスターを誕生させなきゃ」っていう話にもつながるんですが、僕は「新しいゲーム開発者の作品に注目して宣伝してくれるのはこういう人たちなんじゃないか」って思っていました。

だから、TGSにゲーム実況者を呼び、たくさんのお客さんが集まり賑やかに楽しんでくれたら、みんなが「面白そう!」って思ってくれるんじゃないかって。

それで、人気トップのゲーム実況者が参加するイベントをTGSで開催したんです。当時としては、良いイベントができたと思うんですが、開催までに至る道のりは、まぁ激烈でした。

──そのイベントというのはどのような企画だったんでしょう。

大前氏:
私たちとしては新しいスターを作りたいわけですから、当時の新進気鋭のインディーゲームを人気のゲーム実況者にステージで実況プレイして貰って面白さを知ってもらおう、というのがメインのコンテンツでした。その他にも、当時独立された稲船さんやコロプラの馬場さんなどみんなが良く知るスターの方に協力頂いて、インディーゲームの作家さん達とステージ上で対談を組ませて頂いたりとか、今考えても密度の濃いイベントだったと思います。

とはいえ、Unityとしては「Unityを使うとすぐにゲームが作れる」ことを知ってもらいたくて、「料理の鉄人」のオマージュで「ゲームの鉄人」という企画も重ねて実施しました。

60分で2本のゲームを作り、品評者に体験してもらい勝者を決めるという企画なんですが……ステージ進行の都合で60分が40分になってしまったんですよ。この内容で20分巻くのは無理ゲーじゃないですか(笑)。

𥱋瀨氏:
要は、20分でゲーム1本作りましたっていうことですよね。

大前氏:
そういうことです(笑)。高橋さんや小林さん、みんなの頑張りでなんとかなったんですけど……アレ、映像残ってないのかな。すごくおもしろかったですよ。

──高橋さんや𥱋瀨さんから見た、当時のドタバタエピソードって何かありますか?

𥱋瀨氏:
大前さんがお話されたようにいろいろありました……ただ、全員がかなり激烈に仕事をしていたので、「自分が大変だった」という感覚はなかったですね。

そんな中でとくに印象に残っているのが、ユニティちゃんの『Candy Rock Star』をリリースした時です。社内の人があんなにも集まってひとつのことをするのを初めて目にしました。

大前氏:
そうでしたね。あの時は全員野球でした。カメラワークは高橋さんに作ってもらって。

高橋氏:
そうですね、懐かしい。

𥱋瀨氏:
Unity Japanでは非常に珍しい取り組みでした。しかも、すごく短い期間で作ったんですよね。そのうえ、2014年にリリースしたデモが今でも使われてるというのも、すごいことだと思います。

大前氏:
最近になっても「踊らせてみた」とかありましたし。10年選手で使われてるデモコンテンツって中々ないですよね。

「無理に売らなくていい」Unityを使い倒し、納得してもらってから買ってもらう販売戦略

──少し話題が逸れるのですが、素朴な疑問としてUnityって企業対企業、BtoBの営業活動ってされているんでしょうか?

大前氏:
今も昔もしています。ただ、営業とは言っても、「相談に行く」というのに近いスタイルでしたね。

上里田氏:
そうですね。私がUnityに入る時に大前さんが仰った「無理に売らなくていい。一度、使い倒してもらったうえでお買い上げいただいたほうがいいんじゃないか」という言葉がすごく印象に残っています。

「Unityを好きになってもらってから使ってもらいたい」というのは今でも大事にしているところです。

大前氏:
改めて言うまでもないかもしれませんが、アプリケーションを作るのって大変なんです。

いろいろな問題があって、それに対していろいろなソリューション(解決手段)があるんですが、その人が抱える問題を解決できないものを購入するというのは、お金の無駄になってしまうじゃないですか。そして、解決できるかどうかは、ある程度時間をかけて試していかないとわからない部分というのが多いんです。

「営業があって会社が購入したものを使うことになったけど、なにも解決しない……」と現場の人が感じてしまったら、その後に適切なタイミングがあったとしても「あんなもの二度と使うか」という話になってしまうじゃないですか。

僕らは「Unityがいいものだ」と確信していました。Unityを使うことで解決できるのであれば、お金を払っていただけるわけですから、無理に押し売りは必要ないと思っていましたね。押し売りするのは疲れますし、誰も得しない話はやめようと。

──まさしく「営業」ではなく「相談」ですね。

大前氏:
それと、僕はフロム・ソフトウェアでミドルウェアの選定・購入担当をしていたんですが、営業の方だけがプレゼンに来て、値段の話をされても困っちゃうんですよね。

本当に聞きたいのは技術的な問題を解決できるかどうかなので、できればエンジニアの方に来てもらいたい。過去にそういう経験があったから、僕としては営業活動をする意味についてはあまりないと考えていたんです。

ですから、Unityではまずエンジニアの方にヒアリングするところから始めました。「どういう問題があるの?」「どういうことで困っているの?」「どういう風に思っているの?」と。

無理に売ろうとしていないため、使わないほうがいい機能があったら素直に伝えます。それが現場の人からは良い反応をいただけていたのかなと。困ったときの相談相手として頼っていただけるというか、そういう信頼関係のようなものはあったと思います。

──こういった方針は、当時大前さんが出してたんですか?

大前氏:
そうですね。でも、そこまで明示してお話してはいなかったかもしれません。

高橋さんも伊藤さんも現場の人ですし、僕もそうあろうとしていました。ですので、共通認識として「こういう感じがいいんじゃないのか」という話を飲み会のときにするくらいだったかと思います。

テクノロジーの最先端からゲーム開発のインフラにまで発展したUnity

──少し視点を変えまして、まだ上里田さんがUnity Japanに入っていらっしゃらない時期、Unityが普及しはじめたくらいのころに上里田さんが外から見たUnity Japanというのは、どういった印象だったのでしょうか?

上里田氏:
正直、入社前の段階では「Unityに対する会社としての印象」はとくにありませんでした。

ただ、入社後……ふと前の会社にいた時にしていたUnityとのやりとりを思い出すと、担当者に高橋さんの名前があったり、電話に出るのが大前さんだったりして、「おふたりがこんなに前線で直接やりとりをしていた」ことに対して驚いた記憶があります。

──大前さんや高橋さんが現場の業務も行っていたと。その時期はUnity Japanの規模はどの程度だったんですか?

大前氏:
恐らく2014年とか2015年の話ですよね。だとすると……30人はいなかったんじゃないかな。

𥱋瀨氏:
私は2013年の12月入社で、恐らく11人目だった記憶があります。

大前氏:
当時はとにかく採用に苦労していましたね……。

というのも、現場にお伺いして「ゲームエンジンを使う・使わない」という話をする際には、開発全体を見ているテクニカルディレクターやリードプログラマーの方とのやりとりになることが多いんです。

そのため、こちら側も同じ視点で受け答えができる人ではないと、本質的な会話にならないんです。ですので、いわゆる「強者(つわもの)」を集めようと思っていました。

──なるほど。「開発全体の視点で話ができる能力のある方」というのが採用の方針としてあったんですね。

大前氏:
はい。ただ、一方でそういう方々は「現場でゲームを作りたい人」が多いんです。ですから、Unity Japanで“縁の下の力持ち”的な仕事に興味を持っていただける方というのは少なくて……。

加えて、Unity Japanチームとの相性という壁も乗り越えないといけないので、採用にはかなり難儀していました。

「ひとりあたりの能力」という意味では効果がありましたが、なかなか規模の拡大が難しいモデルでした。サポートがうまく機能しない状態が続いてしまっていたのには、この採用方針が理由として大きかった思います。

今はもうそんなこともなくなり、少数精鋭にこだわる理由もなくなりました。この延長線上に、僕がUnityを離れる理由もあるんです。

──と、いいますと?

大前氏:
まず前提として、この数年間は会社として長く成立する「欧米式のシステム」への転換をずっと進めてきました。

じつは、Unity Japan立ち上げ時の2012年ごろにはここまで長く続く会社になるとは思ってもいなかったんです。

高橋さんを誘ったときにも「この会社は3年くらいでなくなると思うけど、来ない?」っていう話をしてたんですよ(笑)。𥱋瀨さんにも似たような話をしたような気がします

𥱋瀨氏:
「3年くらい……いや、3年もあるか分からないけど」と言われました(笑)。

大前氏:
そうそうそう(笑)。ですから、声をかけるのは「たとえ明日に会社がなくなったとしても自分の力で生きていける人」だけにしようと思っていました。

それが、2016年、2017年くらいには「あれ? この会社なくならないぞ?」と感じるようになっていって……。

──もしなくなってしまったら「ものすごく多くの人が困ってしまう会社」ですよね。

大前氏:
ありがたいことに、Unityの普及率もすごく上がって、非常に多くの会社にUnityを使っていただけるようになっていきました。

我々のポジションが「新進気鋭の新しいテクノロジー」という槍の先端みたいな尖ったところから、電力会社や水道会社のようなインフラのようなものに役割に変わってきていると感じたんです。

──確かに。「Unityはゲーム開発になくてはならない存在」と言って過言ではないほどに普及が進んでいます。

大前氏:
そうなってくると、「新しい機能がたくさん使えるようになる」ことよりも、「毎年しっかりと新しいOSに対応し、同じように使える開発環境が継続される」ことのほうが重要になってきます。

自然とサステナビリティ(持続可能性)に意識が向くようになりまして。以前の僕のやりかたは、個人に頼っているところが大きく、意識を変えなくてはいけないと思うようになりました。

10年、20年続く会社であるためには、会社としてのシステムも転換しなければ崩れてしまうだろうと。その転換が進めば進むほど、少数の強者たちが「八面六臂の活躍をしてなんとかする」というタイプの会社ではなくなっていくわけです。

そうなると当然、強者たちの中からも、新たに大活躍ができる荒野を求めて旅立っていく人が増えていって……。そして最終的に僕が旅立てるようになったら、会社としての転換は完了かなと想定していました。

今後も日本の独自性や文化を大事に提供を続けていく

──大前さんが辞められた後でも、そういった日本の独自性というか、文化みたいなものは引き継いでいく形になるんでしょうか。

𥱋瀨氏:
そうですね。「現地での活動は現地に合わせて」という方針ですし、日本の判断を尊重するとも言われています。

上里田氏:
営業活動として、数字を求められる部分はもちろんあるんですが、大前さんが社長在任中の1年間で海外と直接やりとりができるようになり、だいぶ本社にもこちらの主張をわかってもらえるようになってきたかなと思います。

どこまでできるかは分からないですけど、できるだけ日本の独自性や日本の意見を伝えていきたいと考えています。

大前氏:
みなさん僕のことを持ち上げてくれていますが、僕は大した仕事はしていませんので(笑)。みなさんが各々で勝ち取った成果だと思っています。

──今後も、これまでのUnity Japanスピリットみたいなものは引き継がれていくわけですね。

𥱋瀨氏:
と、思います。少なくとも私はそうやっていくつもりでいます。

上里田氏:
はい、出来る限り頑張ります。

──それではみなさんから大前さんへ、ひと言メッセージをお願いします。

上里田氏:
私は他のおふたりと比べて短い期間でしたけど、ありがとうございました。引き続きUnityを使ってください(笑)。

大前氏:
もちろんです!

𥱋瀨氏:
大前さんに「この会社3年くらいしかないかも」って言われて、5年くらいしたら大学の先生にでもなるかなぁと思いながらUnityに入ったんですけど、気づけば生まれて初めて10年以上同じ会社で働いているんですよね。

完全に「大前体制がツボにハマったな」とも思っていますが、Unityという会社には良いところがすごく沢山あって、ここを続けていきたい気持ちがあります。

大前さんがUnityを辞めたということは、「恐ろしくUnityに詳しいユーザー」がひとり、野に放たれたわけでもあります。新たにUnityの可能性を見せてくれる人が現れると楽しみに思っています。

高橋氏:
いや、何を言ったらいいのやら……。じつは、大前さんが社長になったときは、素直に「社長就任おめでとう」と言えなかったんです。「辞めにくい立場になって……Unityを辞めることは難しいんじゃないか」と内心思ってしまっていました。

ですので、今回はベストなタイミングで辞めることができたんじゃないでしょうか。まぁ、まだ顧問ということで少し身近な感じはありますけど……。

外部の人になっていくことで、Unityの改善すべき部分とかも見えてくるようになるんじゃないかなと思います(笑)。

大前氏:
逆に、そういう部分もよく知っているからこそ付き合いやすいと思う部分もありますね(笑)。

高橋氏:
とはいえ、中の人としての事情も知りつつ、外から見た時の感覚も分かっている人って、そんなに世の中にいるわけではないので。今後はUnityにとっても、非常に貴重な意見役になってくださると思います。

もう外の人なので、Unityの更なる成長というか……良い部分を良くして、悪い部分を直していくための糧になっていただければと思いますので、何でも遠慮せずに気兼ねなく言ってきてください(笑)。

大前氏:
ありがとうございます!(笑)

──最後に、大前さんから一言お願いします。

大前氏:
この13年間楽しかったですし、頼りになる仲間がこれからのUnityを支えてくれるおかげで、僕も安心して開発に乗り出せます。成果が上がれば、どこかで自慢したりとか、高橋さんみたいにコミュニティに還元したりとかしていきたいと思っていますので、むしろ今までよりも実のあるアウトプットが出るんじゃないかなと(笑)。

高橋さんから「Unity Editorが大好き」というお話がありましたけど、僕も本当に同じことを思っているんです。世に出なかったイノベーションもふくめ、Unity Editorの中で結構いろいろな事をやってきたんですよね。

一番最後にやったTCC【※】というプロジェクトも、ついこの前世に放たれましたし、こういったところを僕自身も活用しつつ、これからもUnity Editorの上で、「僕はこんな風にゲームを作りたいぜ」っていう自分なりのゲーム開発を、実験していきながら追及していきたいなと思っています。(了)

※正式名称は「Project_TCC」で、2024年2月14日に公開。キャラクターの制御システムなど備えたプロジェクトであり、コンポーネントを組み合わせることで複雑なキャラクター挙動を構築できる。


さて、今回の座談会では、Unity Japanの社長を辞し、顧問に就任される大前氏を中心に、Unity Japanの立ち上がりから現在までの道のり、そして今後のUnityに関するお話をうかがった。

ここ10年間における、日本でのUnityの普及スピードには目覚ましいものがあった。その背景に、大前氏を筆頭とするUnity Japanが取り組んできた、コミュニティに根ざした独自の営業方針と普及活動があることは間違いないだろう。

Unityが普及した結果、現在の日本ではインディーゲームの注目度が大きく高まり、業界内に新たな風が吹き始めている。Unityの普及とともに、この10年間で業界が大きく変化したことの表れとも言えそうだ。

そして大前氏は今後、Unity Japanの顧問を務めると同時に、いち開発者としてゲーム制作に取り組んでいく姿勢を示している。和気あいあいとして今回の座談会でも周囲から慕われる大前氏の人柄を垣間見ることができたが、そんな同氏がどのようなチームを作り、どんな作品を手がけるのか、引き続き注目していきたい。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a
サブデスク
美少女ゲームとアニメが好きです。「課金額は食費以下」が人生の目標。 本サイトではおもにインタビュー記事や特集記事の編集を担当。
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編集者
1998年生まれ。静岡大学情報学部にてプログラマーの道を志すも、FPSゲーム「Overwatch」に熱中するあまり中途退学。少年期に「アーマード・コア」「ドラッグ オン ドラグーン」などから受けた刺激を忘れられず、プログラミング言語から日本語にシフト。自分の言葉で真実の愛を語るべく奮闘中。「おもしろき こともなき世を おもしろく」するコンピューターゲームの力を信じている。道端のスズメに恋をする乙女。

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