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「Unity」普及の立役者・大前広樹が明かすUnity Japanを“卒業”する理由──テクノロジーの最先端からゲーム開発のインフラにまで発展した「Unity」を、今後も提供し続けるための組織改革は「自分が旅立つ」ことで完成する

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ゲーム開発者のみならず、ふだんからゲームに触れている人ならば、一度は「Unity」という単語を聞いたことがあるだろう。ゲーム開発を中心に広く用いられているゲームエンジンであり、大手ゲームメーカーの大作から個人制作のインディーゲームまで、多種多様な現場で活躍している。

今ではゲーム業界にとってなくてはならない存在になった「Unity」。その日本普及の立役者的存在が、ユニティ・テクノロジーズ・ジャパン(以下、Unity Japan)の立ち上げにも携わった大前広樹氏という人物だ。

大前氏はUnity Japan立ち上げ以前の2010年ごろから日本市場でUnityの普及活動に取り組み、2011年にはUnity Japanの設立にも携わってきた。そして2023年2月にはUnity Japanの代表取締役社長に就任するなど、まさにUnityを日本のゲーム業界へ広めたトップランナーのひとりである。

そんな大前氏だが、2024年2月にUnity Japanの代表取締役を退任。今後は顧問としてUnity Japanのアドバイザー的な立ち位置をとるものの、10年以上にわたってビジネス・技術の両面でリーダーシップをとってきた大前氏の離脱は、Unity Japanにとって小さくない変化と言えるだろう。

では、なぜ大前氏はこのタイミングでUnity Japanを“卒業する”決断を下したのか? そして大前氏が去った後のUnity Japanはどのように変化していくのか?

今回は大前氏のほか、今後のUnity Japanを率いていく上里田勝氏、高橋啓治郎氏、𥱋瀨洋平氏の計4名をお招きし、Unity Japanの展望や、小規模なベンチャーとしてはじまったUnity Japanの発展のストーリーなどをうかがった。

特に貴重なUnity Japan立ち上げ当初のエピソードなども語られているので、ぜひご一読いただきたい。

聞き手/TAITAI実存
編集/久田晴竹中プレジデント


大前氏がUnityを“卒業”するのは「自分が作りたいゲームを作る」ため

──2024年2月にUnity Japanの代表取締役を退任することを発表された大前さんですが、いつ頃からUnityに携わってこられたのでしょうか?

大前広樹氏(以下、大前氏):
13年前の2010年くらいからでしょうか。2011年8月にユニティ・テクノロジーズ・ジャパン(Unity Japan)を設立することになるのですが、その1年くらい前からUnityで仕事をし始めました。

基本はずっと現場監督的な立ち位置で、2023年2月から1年だけ社長職に就いていましたが、この1月末で辞めて、今は顧問という形でアドバイスおじさんをしています(笑)。

──(笑)。そもそものお話になりますが、大前さんがUnityを辞める理由というのはどういったものなんでしょうか?

大前氏:
もともと僕は「iPhoneでゲームを作りたい!」と思ってUnityを使っていたんです。

そのため、もともと働いていたフロム・ソフトウェアを辞めて会社を立ち上げたんですけど、そこではあんまりうまくいきませんでした。その後、いろいろあってUnityの中の人になって「Unityを普及する」活動に取り組むことになります。

そこから13年に渡って、ゲーム開発を縁の下で支える仕事をしていることになるのですが、自分のゲーム開発の現場に対する体験や所感がどんどん古いものになっていく感覚があって……これが辛かったんです。

「Unity」普及の立役者・大前広樹が明かすUnity Japanを“卒業”する理由とは?_001
(画像はFromSoftware | フロム・ソフトウェアより)

──その辛さというのは具体的にどのようなものなのでしょう。

大前氏:
Unityの中の人として開発者の方とお話をする際、開発者の方が僕の話を聞いてくれるのは、僕の感覚が彼らが実際にやっていることと、それほど遠くない話をしている……“地続き感”みたいなものがあったからだと思うんです。

でも、長年Unityで活動をしているなかで、実際に今ゲーム開発をやっている人たちと現場にいない自分との温度差が徐々に広がっているのを肌で感じてきて……。正直、ここ数年は「このままずっと続けていくのは難しい」と考えていました。

加えて、僕自身いつかは“ゲームを作る” ことに立ち返り「自分が作りたいゲームを作って世に出したい」と思っていたんですが、ちょっと前に「そろそろかな」という気持ちになったんです。

──なるほど。「そろそろかな」という気持ちになったのには何かきっかけがあったんでしょうか?

大前氏:
強く意識しはじめたのは、飯野賢治さん【※】が亡くなってからです。

今日この場にもいる𥱋瀨さんに紹介してもらって、飯野さんと初めて直接お目にかかる機会があったんです。でもその時の彼はすごく顔色が悪くて……。大丈夫なのかなと心配していたんですが、その後すぐに訃報が届いてすごくショックでした。

自分が「一緒に仕事をしたい」と思える人たちと仕事する機会を待ち続けてたら、その内にみんないなくなっちゃうかもしれない……。そう思うようになったのが大きいですね。

※飯野賢治氏:『Dの食卓』や『エネミー・ゼロ』で知られるゲームクリエイター。2013年に心不全のため、42歳で急逝した。

──今後の活動について、指針のようなものはあるんでしょうか?

大前氏
まずは会社を作ろうと考えています。「自社で資金調達を行い、自社でゲームを作って販売する」という一番の鬼畜ルートで、10人以下くらいの規模でやっていきたいなと思っています。

僕にはゲーム開発者としての目立った実績がないので、お金を出してくれる人を探そうとかおこがましいことを考える前に、とりあえず自分でいろいろやってみようと。

Unity Japanのコアメンバーが揃っての座談会

──Unityを卒業する大前さんの退任後にUnity Japanを率いていくのが、上里田さん、高橋さん、𥱋瀨さんのお三方というわけですね。Unity Japanではどのような役職に就いているのか、教えていただけますでしょうか。

上里田勝氏(以下、上里田氏):
上里田(あがりだ)勝と申します。Unity Japanは今年で丸5年になります。

「クライアンズパートナー」という営業チームでシニアマネージャーとして、ゲームエンターテイメント部門の営業部門の責任者をやっております。

高橋啓治郎氏(以下、高橋氏):
高橋啓治郎です。2012年の年始にUnity Japanを立ち上げた時のメンバーなので、もう12年になります。

立ち上げ当初は人数も少なかったので「なんでも屋さん」みたいな感じだったんですけど、今はアドボケイトという肩書になりました。ユーザーの皆さんとコミュニケーションを取ってUnityのことを紹介したり、上手な使いかたをお伝えする仕事をしています。

𥱋瀨洋平氏(以下、𥱋瀨氏):
𥱋瀨(やなせ)洋平です。私は2013年入社なので、11年目ですね。

元々はゲームデザイナーなんですけれども、Unityではアドボケイト【※】として、Unityを使ったコンテンツ制作や研究をされている方と一緒にものづくりをするなど、主にコミュニティ活動のお手伝いをさせていただいています。

※アドボケイト……ゲームジャム、スタジオ、カンファレンス、オンラインなどで Unity のリアルタイム 3D プラットフォームとツールのパワーと可能性を披露することで、ユーザーのスキルセットを高め、創造性を発揮する Unity の限りのない可能性について興味をかき立てる役割を担う。

「Unity」普及の立役者・大前広樹が明かすUnity Japanを“卒業”する理由とは?_002
(画像はUnity Unity 開発者とクリエイターの支援チームより)

──「大前さんが辞める」というお話を聞いたとき、みなさんの反応はどうだったんでしょう?

𥱋瀨氏:
正直、大前さんは「いつかUnityを辞める人だな」と思っていたので、こんなに長くいたのが意外なくらいです。逆に、ようやく大前さんがUnityを出ていけるようになったんだなって思いますね。

高橋氏:
どんどん大前さんが辞めにくい立場へと押し上げられていくのを見て、かわいそうだなってずっと思ってたので……(笑)。今回ようやく “卒業” できたのは、喜ばしいというか、我々も祝う気持ちで送り出してあげたい気持ちです。

大前氏:
ありがとうございます! 僕は在籍中、いかに高橋さんを辞めさせないかいろいろと頑張ってたけどね……(笑)。

上里田氏:
大前さんが辞めるにあたって、個人的にすごく残念なのが「大前さんと一緒に会社を回れなくなる」ことなんです。

大前さんの話はすごく面白くて、「あぁ、この人が喋るから皆さん信用してくださるんだろうな」というのをすごく感じていました。それがなくなってしまうのは非常に大きい損失というか、替えがきかない人材であると感じていて……今はそれをどう解決するか悩んでいますね。

大前氏:
それはすごく光栄です。でも「Unityを使うか否か」という自分の会社の将来に関わる選択については「サービスの価値や信頼」が大きいので、選ばれているのは僕のトークだけが理由ではないと思います。

──みなさんの話しぶりからすると、むしろ「今までいてくれたことの方がおかしい」と、快く送り出されている雰囲気が感じられます。

高橋氏:
大前さんはもともとクリエイター畑の人ですから、作る側に戻っていくのが自然だと僕は思っています。

𥱋瀨氏:
会社の立ち上げ時から所属していた伊藤周さんがUnityを去ったのも、大前さんとほぼ同じ理由でしたからね。

大前さんはUnityにいる間にもよくゲーム作っては見せてくれていたんですよ。

その時は「いつこのゲームを完成させてリリースするんだろう?」って思いながら見ていたんですけど、さすがにUnity Japanの社長をやっていたらそんな時間ないですよね。今後の大前さんが、どんなゲームを作っていくのかすごく楽しみです。

──正直なところ、今回の座談会はちょっと変わっているというか……。会社を辞める人を囲んで語らうというのも、なかなかないと思います。

大前氏:
そうですね、普通に考えたらなんだこれって感じですよね(笑)。

わずか数人でスタートしたUnity Japan、ただしメンバーは強者ぞろい

──それでは、ここからはUnity Japanがどういった形で立ち上がり、現在にいたるのかをお伺いしていきたいと思います。現在のUnity Japanの規模はどのくらいになるのでしょうか?

上里田氏:
全体ではだいたい100人ほどになります。

大前氏:
Unityのオフィスは世界中に数多くあって、海外のオフィスは「開発専門」「セールス専門」と、ひとつの分野を専門的にやってるところが多いんですけど……日本(Unity Japan)はほぼすべてを業務として行っています。そういう意味では、結構珍しいタイプのオフィスだと思います。

──そんな大所帯なUnity Japanですが、会社を立ち上げたときは何人くらいでのスタートだったんでしょうか。

大前氏:
いまここにいる高橋さんと僕、それに伊藤周さん【※】と田中洋平さん【※】豊田信夫さん【※】。この5人が立ち上げメンバーだったと思います。

※伊藤周氏
もともとはセガでアーケードゲームやモバイルゲームを開発し、Unity Japanの立ち上げに参画。2018年1月に独立して「おなかソフト」を起業、Unityコンサルタンティング業務を中心にさまざまな事業を展開している。

※田中洋平氏
Unity Japanのビジネスディベロップメントマネージャー。販売戦略の立案や新規事業企画に取り組む。

※豊田信夫氏
Unity Japanの代表取締役会長。元セガ・オブ・アメリカの副社長で、Unity Japanの立ち上げ時には代表に就任した。

──立ち上げ当時はまだ、小規模タイトルや中小スタジオに対してゲームエンジンそのものが普及してない時代だったと耳にしています。

大前氏:
そうですね。僕が立ち上げた時は、Unityを使っている中小スタジオはほとんど見られませんでした。たまにちょっと変わった人が使ってる程度で、会社として採用しているところはほとんどなかったと思います。

周りをパッと見てUnityを使っていたのは、『FF11』のメインプログラマーだった宮川さん【※】くらいじゃないかな。Unityのデイビット・ヘルガソン(Devid Helgason)【※】が初めて日本に来た2011年のCEDECで、彼とふたりで講演を実施したのを覚えています。宮川さんは今でもUnity使ってゲームを作ってくれているみたいですね。

※宮川義之氏
『聖剣伝説』シリーズや『ゼノギアス』や『クロノ・クロス』などにも携わる。

※デイビット・ヘルガソン氏
Unityの創業者のひとりにして初代CEO。

──Unityが来日した背景にはグローバル展開の意図があったかと思いますが、この時期には日本に限らず、色々な国で一気に展開していったんでしょうか?

大前氏:
日中韓は同時に展開したいとは考えていましたね。韓国は日本よりちょっと早い2011年の7月に立ち上がっていて、僕も立ち上げ記念のデベロッパーセミナーでプレゼンしました。

当時のUnityは、それぞれの国でUnityを任せられる人を探していて、日本ではミドルウェアの展開を代理店に頼もうと思っていたらしいんです。

それで、デイビットが初めて日本に来てCEDECに出演することになったんですが、もともと彼らと繋がりがあった僕はデイビットにお願いして、CEDECの前にUnityの勉強会にきてもらったんです。これが日本で初めて開かれたオフィシャルなUnityの勉強会でした。

その勉強会の後にお礼として一緒にご飯に行ったとき、デイビットに「Unityは日本でどうするんですか?」って聞いてみたんです。その場で彼は「どうするかまだ分からないけど、どうすればいいかは分かった気がする」ってニヤニヤしていて。

後日、CEDECの会期中にデイビットと一緒に来ていた、Unityのビジネスディレクターの方から「日本でUnityやらない?」って言われたんです。

──まさかのお誘いですね。その際にはどうお返事されたんでしょう?

大前氏:
実はその場では一度「嫌です」と断ったんです。ただ、紆余曲折あって「持ち帰って検討します」という煮え切らない返答で濁す形になりました。

当時は会社のパートナーとゲームを作っていて、そのゲームが世に出せなくなりそうで「どうしようか」と悩んでいた時期でした。誘われたことをそのパートナーに相談してみたら「やったらいいんじゃない?」って言われて「じゃあやるか!」と。

約半年で売り上げが12倍に。日本がUnityの重要マーケットに

──立ち上げ当時のUnity市場についてはどのような状況だったんでしょうか。

大前氏:
当時、日本でのUnity市場は本当になんにもない状態でした。それを気にしてくれていたゲームライターの佐藤カフジさんが翌年のGDC(Game Developers Conference)で、インタビューをしてくださったんです。

なのに、その時のデイビットの回答は「日本は全然重要なマーケットじゃないですけど、重要になったらいいですね」みたいな感じで(笑)。

そこからあちこちでプレゼンしていたら、2011年くらいには少しずつ興味を持ってくださる会社さんがでてきました。

──Unityに興味を持った方々はどのような悩みをお持ちだったんですか?

大前氏:
当時、流行していたスマホゲームの開発には、今まで使ってきたコンシューマーゲームのツールが使えませんでしたし、自社エンジンを作るのもスマホの更新の激しさとか、ハードの種類の多さを考えると難しいという問題があったんです。

ですので「今後のゲーム作りって、今のままで良いのか?」という悩みを抱えている人も少なくありませんでした。

僕もそういった問題は理解できる現場の人間だったので、相談に乗りながら渡り歩いていたら、約半年で売り上げが12倍くらいまで増えていたんです。2011年9月のCEDECでデイビットが国別のチャートを出したら日本が2位で、いつの間にか「重要なマーケット」になっていたんですよ。

そういうわけで、「さすがに日本に会社を作らないとまずいでしょう」と偉い人にプレゼンしていましたら、法人化しましょうという話になり、2011年9月に会社を立ち上げることになりました。

──「会社を設立して売上を伸ばそう」ではなく「売上が伸びすぎたから会社を設立する」というのは、面白い順番ですね。

大前氏:
その会社も最初は僕しかいなくて、次に豊田さんが加入しました。

さらにスタッフを増やさなくてはいけなかったんですが、当時はソーシャルゲームが大いに盛り上がっている時代でしたから、「普通に開発者を雇う金額じゃダメだ」となりまして。

そこで当時としては奮発した予算を握りしめ、ソニー・コンピューター・エンターテインメント(SCE)を辞めてフリーランスのコンサルタントとして活動されていた高橋さんのもとを訪れた……という流れです。

高橋氏:
あの当時の僕は、ニコニコ動画に動画を投稿していたんですが、どうやらその動画が大前さんの目に留まったと、後から聞きました。

大前氏:
そうなんですよ。「コインプッシャーを20分で作る」みたいな動画を投稿しているのを見て、「おぉ、この人すごいな」となりまして。

その後、年末に企画した交流会イベントで短時間のプレゼンテーションをお願いしたら快く引き受けてくださって「この人がいいな」となって採用を決めました。

──大前さん、豊田さん、高橋さん、ここで立ち上げメンバー5人のうち3人が揃ったわけですね。

大前氏:
当時さらに入ってもらったのが、セガが初めてUnityで一本通した大型タイトル『三国志コンクエスト』のメインプログラマーだった伊藤周さんです。

伊藤さんとはもともと友人だったんですが、当時はセガがあまりモバイルゲームに力を入れておらず「GREEやDeNAのようなモバイルゲームに全力を出しているところへ移った方が良いのかな」という気持ちになっていたらしいんです。そのタイミングで声をかけたら、「大前さんと一緒にやりたい」と言ってくれました。

そして、今は上里田さんの下についている田中洋平さん。元々は豊田さんと一緒に別の会社で働いていた方で、当時は僕のところに来る山のようなメールをさばいてもらうためにバイトとして入ってもらいました。

当時は、僕しか会社にいないのに、その僕ですらほとんど会社に出社せず時折くるメールを返信するだけのシュールな仕事場だったんですが、それでも「この会社が面白いから一緒にやってみたい」と言ってくれました。「正気か?」って3回くらい聞きましたけど(笑)。事の起こりはそういう感じでしたかね。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a
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美少女ゲームとアニメが好きです。「課金額は食費以下」が人生の目標。 本サイトではおもにインタビュー記事や特集記事の編集を担当。
Twitter:@takepresident
編集者
1998年生まれ。静岡大学情報学部にてプログラマーの道を志すも、FPSゲーム「Overwatch」に熱中するあまり中途退学。少年期に「アーマード・コア」「ドラッグ オン ドラグーン」などから受けた刺激を忘れられず、プログラミング言語から日本語にシフト。自分の言葉で真実の愛を語るべく奮闘中。「おもしろき こともなき世を おもしろく」するコンピューターゲームの力を信じている。道端のスズメに恋をする乙女。

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