“RPGアツマール”は、2016年11月24日に公開され、『RPGツクール』で自作されたさまざまなゲームが無料で楽しめるサイト。すでにラインアップは300本に迫り、好評稼働中だ。そのサイトの公開を記念して、作り手など界隈から“濃い人”を見定めて話を聞き、「こんな濃い人が跋扈しているのが“RPGアツマール”なんだ」と認識するのがこのインタビュー企画だ。
今回、編集部がターゲットしたのは、『ハーツオブアイアンII』をモチーフにしたプレイ実況動画、『第二次世界大戦の主役は我々だ』などで知られる実況者、グルッペン・フューラー氏だ。“○○の主役は我々だ”と名付けられた一連の実況動画を、通称“我々(我々だ)”と呼ばれる組織を率いてつぎつぎとリリース。さらに“チャンネルの主役は我々だ!”というニコニコチャンネル、そして“RPGアツマール”では思想シミュレートRPG『異世界の主役は我々だ!』を公開している。氏に、そのエキセントリックな思想の根底にあるもの、愛してやまない『ハーツオブアイアン』AAR wiki、ゆっくり動画などの話を尋ね、コミュニティーの人々の心を捉えて離さないものを探る。総統が見てきた景色とは?
取材・文/電ファミニコゲーマー編集部
総統は先天的に歴史に興味を持ったようです
──そもそも、なぜグルッペンさんは歴史に興味を持ったのでしょう。
グルッペン・フューラー(以下、グルッペン):
それは先天的な問題ですね。物心がついたころには、なぜか興味や関心を持っておりました。
──(笑)。最初に触れた歴史モノのコンテンツは何だったんでしょう?
グルッペン:
歴史マンガと呼ばれるものは、“マンガ版 世界の歴史”のようなものに始まり、小学生の時分にとりあえずほとんど読みましたね。それが最初の記憶です。そこで歴史上の国家や人間をキャラクター化することに興味を持ったんでしょう。
──すでに現在に繋がる萌芽があると。その当時、ご自分のヒーローだった歴史上の人物などはいましたか?
グルッペン:
ああ……普通の人が嫌いで、どうしてもダークサイドの人間が好きでしたね。言うとたいへんなことになりますが、アドルフ・ヒトラー【※1】とヨシフ・スターリン【※2】です。彼らがヒーローと言いますか、関心の対象でした。そこから始まり、歴史全体に興味を持ったわけです。
(画像はWikipediaより)
(画像はWikipediaより)
──歴史に関心を持ったグルッペン少年は、どんなタイミングでネットに触れ、コンテンツ制作に勤しむようになるのでしょう?
グルッペン:
最初はアバロンヒル社の『サードライヒ』【※1】や『ロシアンキャンペーン』【※2】というボードゲームにハマったんです。歴史でくり広げられた戦争を、自分が指導者となって指揮できるのが楽しくて楽しくて。ただし小学生なので、読むのがたいへんでした。
(画像はWikipediaより)
(画像はboardgamegeek.comより)
──小学生にはかなり難しそうですね。きっかけがボードゲームということは、遊び相手がいたわけですよね?
グルッペン:
最初は親戚や親が相手ですね。
──なるほど、自然発生的な理由がわかりました(笑)。別のウォーゲームには触れていたのでしょうか?
グルッペン:
あとは『バルジ大作戦』【※】なども遊んでいましたが、基本的には『サードライヒ』一辺倒でしたね。あまり言うと年齢がバレますが、学生時代に、リメイクした『サードライヒ』が発売されたというので手に入れたら、日本語の解説紙が多少は付いていたのですが、これがほぼ英語。残りをすべて翻訳しつつ、頑張って読みましたな。
(画像は国際通信社・ジャパンウォーゲームクラシックス公式サイトより)
──そこまでの情熱を傾けたと。その情熱で友だちを引きずり込んでいたわけですね。
グルッペン:
ええ、学生のころから、そういう繋がりの友人ができ、同好会のような形で遊んでいました。
──そのボードゲームが契機になってインターネットに触れるんでしょうか。
グルッペン:
まずそのボードゲームを再現したようなPC用ゲームが登場するんです。それが『ハーツオブアイアン』【※1】(以下、『HoI』)。ですがこの作品は非常におもしろそうなのに、菊タブー【※2】に反した描写などがあったらしく、日本語版がついぞ発売されなかったんです。だから情報がネットからしか手に入らなかった。そのネットというのが『ハーツオブアイアン』のAAR wiki【※3】だったと。そこでは“ゲームの進行に従って仮想戦記を書く”という遊びが流行っていたんです。
(画像はpaladoxplaza.comより)
※2 菊タブー……菊は皇室の象徴。戦前の不敬罪が刑法から削除され、言論が自由化された以降も、天皇や皇室に対する批判や諧謔などに、暴力も含めて抑圧はかかった。これを忌避し、自主規制をかけている禁忌状態。
※3 AAR Wiki……AARはafter action reportの略。歴史シミュレーションゲームなどにおいてプレイをログ化したレポート。それらをまとめたwikiを指す。
──テーブルゲームトークRPGでいうところのリプレイに近いものですね。
グルッペン:
ええ。そこでまず“『HoI I』AAR wiki”を読むのにハマりましたね。しばらくすると『HoI II』が発売され、これがコアな人気を博し、”『HoI II』AAR wiki”が作られるんですが、ここに本当に天才たちが集まったんです。「絶対に小説家か何かをやっているだろ」というくらい、名作を書く連中が集まって活況を呈し、そこで私はそれらをひたすら読み込み続けるという(笑)。いまもそのwikiはありますね(HoI II AAR DIVISION)。1000本くらいのAARがありますが、ほぼすべて読みましたね。
──1000本! 当時、『HoI II』AAR wikiにどういった作品があったのか代表的なものを教えていただけますか?
グルッペン:
まず『大英帝国騒乱記』という超名作がありまして、これは……ジョージ6世【※】という、実在する第二次世界大戦中の英国王が、じつは悪いヤツで世界征服を企むという架空の話なんです。この国王のセリフ回し、そして彼が抱く本当の目的が狂気じみていておもしろいんですよ(笑)。
(画像はWikipediaより)
──中二感ありますねぇ(笑)。
グルッペン:
あとは同じ作者の『大ルーマニア攻防記』も名作ですね。当時のルーマニアの国土には多様な民族がいましたが、民族自決を逆手に取られ、ソ連やドイツなど周辺諸国に国土を奪われていたんですよね。これを復活させることを目的にしたプレイのAARです。『HoI II』では何かというと各国の閣僚が白黒写真で登場するんですが、この白黒写真を切り抜いてAAR内に貼り付けて会話をさせていた。これが非常におもしろかったんですね。
──最近のWebメディアにあるスタイルですね。
グルッペン:
まさしくそれの閣僚バージョンです。これが2005~2007年ごろに流行り始め、この手法によって、国を運営している政府内部にも葛藤があるなど、人間関係を基にした会話劇ができるようになったんですよ。これで仮想戦記性をかなり出せるようになったんですね。それが巧みだったのが先ほどの2作品なんです。
──これらの作品からそのスタイルが一般化していくんですね。
グルッペン:
その前からもあった形なので、どこが始まりかは特定しにくいですね。閣僚に喋らせるスタイルのAARの中で、物語性があっておもしろかったもののうち、もっとも私の心に残っているのが『大英帝国騒乱記』だったのかなと。
──閣僚の会話とは、具体的にはどんな雰囲気なのでしょう?
グルッペン:
かなりデフォルメされていて、国のトップに閣僚がいろいろ提案するんですね。「こうしたらどうでしょう?」という提案に、トップが「いや、それはドイツが怖いから止めよう」など、やりとりされるわけです。戦闘や外交の結果を見て、そこから妄想で物語を作っていきます。
──プレイのログだけではなくなっている感じですね。AARでは、そうした創作を盛り込んだものと純粋なプレイログでは、どちらが一般的だったんでしょうか?
グルッペン:
単純なプレイログのほうが数はありましたが、本当に小説レベルの話を書く人たちがいたので、創作が入ったもののほうがページビューは多かったですね。
──文化としては、やる夫系【※】の歴史語りに近いと感じましたが、読んでいる人や書いている人はその界隈に近い人たちなんですかね?
グルッペン:
ああ、酷似していますね。当時は、私もそのへんをウロウロしていました。完全にカブっているかは判りませんが……まあ、似たような匂いはしていましたね。
──ニコニコ動画の始まりが2006年末です。『HoI』のAARを楽しんでいた人たちは、ニコニコ黎明期に始まる『iM@S架空戦記』【※】を楽しんでいた人たちにも近いものがありそうですが、グルッペンさんは『IM@S架空戦記』はご覧になっていましたか?
グルッペン:
『iM@S架空戦記』には、まったく興味がありませんでしたね。『東方』【※】は観ていたかな? 当時、私は気にしていませんでしたが、いま見ると『HoI II』AAR wikiにも『iM@S架空戦記』はいろいろ影響を与えていたかもしれません。しかし、『HoI II』プレイヤーには萌え文化に対して興味のない人、もしくは敵対的な人が多かったので、『HoI II』AAR wikiではかなり拒絶されていましたね。それゆえに独自の文化が保存されたんですが(笑)。
──なるほど(笑)。そうした『HoI』シリーズのAARの最盛期はいつごろなんでしょうか?
グルッペン:
私の個人的な感覚としては、2008年くらいだと思います。『HoI III』が2009年ごろ発売されますが、皆、そちらには移行しなかったんですよ。2016年になって『HoI IV』が発売されたんですが、それまで『HoI II』界隈に、けっこう人が残っていましたね。
──そのあいだ『HoI』ファンの皆さんは、ほかの歴史シミュレーションも楽しんでいたんでしょうか?
グルッペン:
『ヨーロッパ・ユニバーサリス』【※1】や『シヴィライゼーション』【※2】なども楽しんでいたようですが、第二次世界大戦というコンテンツがやっぱりおもしろくて、あまりほかのゲームにプレイヤーが引き抜かれた感じはありませんね。
──グルッペンさんもずっと『HoI II』を楽しまれていたと。そして動画を作り始めたのはいつごろからでしょうか。
グルッペン:
2010年からですね。そこに到った理由は、じつは2009~2010年ごろに私もAARを書いたからなんです。
──おお、読み専からついに(笑)。
グルッペン:
ええ。私はwikiも2ちゃんねるも、あまり書き込まない主義を徹していたんですが、ついに衝動に駆られて(笑)。ところが当時は『HoI II』AAR wiki自体が、じつはもう衰退していてたんですね。これに危機を感じた2009~2010年ごろ、同時に私はニコニコ動画に、なかでも“ゆっくり動画”【※1】にハマっていたわけです。ちょっと自虐的かつ練り込まれた雰囲気や文化的なものがAARと似ていたんですよ。ゆっくり動画が登場したのはニコニコのほぼ最初からですよね。『魔界村』【※2】のころから観ています。観ていたのは、やっぱりゲームが多かったですね。『マインクラフト』、『バイオハザード』、『おっさんの大冒険』【※3】……代表的なものはすべて観ていますね。ですので、ゆっくりとAAR wikiの両方の界隈にいる状態でしたね。
(画像はニコニコ大百科(仮)より)
※2『魔界村』……“ゆっくり村”。超魔界村をゆっくり実況したプレイ動画。ニコニコ初期の大人気シリーズ。
※3『おっさんの大冒険』……『The Elder Scrolls IV: Oblivion』をゆっくり実況した動画。2009年にアップされ、パート1の再生数は278万超。
グルッペン:──ニコニコではゲームプレイの実況や解説を観つつ、そのうちに自分でもやってみよう、となったと。
そうです。『HoI II』AAR wikiのような史実の人間を使った動画が、ゆっくりを使ってならできると思い、2010年に投稿したのが、この邪悪な……。
──『同志スターリンの笑ってはいけない世界革命日誌』ですね(笑)。20万回再生されています。冒頭で「『HoI II』AAR wikiを支援」と表示されますね。
グルッペン:
往時はほぼ毎日のように新作が投稿されていたそのwikiも、当時は週に1本も投稿されないという惨状でした。ボードゲームなどで集まった知り合いの集団で、それに対する支援として始めたというわけです。
──ボードゲームということは、“我々だ”の皆さんは、もともと実際に知り合いだったんですね?
グルッペン:
趣味だけで微妙に繋がっていた実際の知り合いが多いです。ボードゲームで集まった知り合いも混ざっていたり、オフラインやオンライン、友人の友人など……といった感じで、わけのわからない繋がりかたをした面々が集まりました。最初は皆けっこう遠い関係性でしたが、これを奇貨に親しくなりましたね。
──その好評を経て、2011年9月に代表作となる『第二次世界大戦の主役は我々だ』を発表されます。これがマルチプレイの『HoI II』動画ですよね。
グルッペン:
『第二次世界大戦の主役は我々だ』は、初めから「ナチスドイツでかなり本気の動画を作ろう」と考えまして、力を入れて作ったら、ご好評をいただいたと。
──動画を観た人々からはどんな反応がありましたか?
グルッペン:
反応は……とくに何もなかったですよ。人気はありましたが、私自身は表に出るような人間でもありませんし。そのせいかわかりませんが、このあとAAR wikiがふたたび活気を取り戻し始めたようです。皮肉なことに、当時の私はもうそれほどAAR wikiを見ていませんでしたが……。
──活況を呈したんですね!
グルッペン:
ニコニコ動画は人口が多かったので、第二次ブームといいますか、また活性化しましたね。AAR wikiでいわゆる名作とされ、伸びていた作品群でPVが2~3万だった当時に、私が10万、20万再生の動画を作ったので、流入はあったんじゃないかなと個人的には思っております。まあ、自意識過剰なのかもしれませんが。
──それまでAAR wikiを見ていなかった人が、動画を観て関心を持ったはずですよ。
グルッペン:
あとは『第二次世界大戦の主役は我々だ』は、第二次世界大戦自体を知らない人に向けて作ったものだったので、単純に興味を持つ人も生まれたんだと思います。かなり噛み砕いたので、この動画を入門編として、たぶん一気に界隈に流入したのではないでしょうかね。