「え?まだ『Arcane(アーケイン)』見てないの?」
そうキザったらしく聞きたくなるほど、『Arcane』がすごい。
『Arcane』はRiot Gamesの『リーグ・オブ・レジェンド』(以下、LoL)を原作とするアニメだ。11月7日にNetflixで限定配信されると、1億4000万人以上の世帯に視聴された『イカゲーム』から首位を奪った。
それだけではない。国際的な映像批評サイトRottenTomato(ゲーム業界のメタスコアみたいなもの)では100%、視聴者投票でも98%と、原作を知らない映画ファンすら傑作と皆口々に評価するのだ。
あの『DEATH STRANDING』の小島秀夫監督すら、「こりゃ、スゲぇえ!」と大興奮するほど。
「ARCANE」4話まで観た。こりゃ、スゲぇえ!素晴らしい!配信前に試写に誘われたのに断ってすいませんでした。静止画だと?、でも動いているのを観たら全然違った!スパイダーバース→ラブ、デス&ロボット「目撃者」→の系譜を継ぐリアルとアートの間にあるデジタル映像の到達点!アニメとCGの未来!! pic.twitter.com/sGxwg85XKu
— 小島秀夫 (@Kojima_Hideo) November 28, 2021
そんなわけで『Arcane』マジですごい。多分ゲーム原作の映像作品として、映像史もゲーム史も塗り替えたといっていいアニメだと思う。しかしながら、『Arcane』の反響のほとんどが映画ファンからで、特に国内ではゲーム原作作品にも関わらず、ゲーマーのコミュニティではあまり話題になってないようである。
おそらく、ゲーマーにとっては「『LoL』のアニメかぁ……『LoL』やったことないし、いいかな」と、自分の知らないゲームが原作になっていることが引っかかっているのではないか。実際、筆者も律儀なオタクとして、原作を知らない状態で見るのはなんだか惜しい気がして敬遠する気持ちは大いに共感できる。
しかし、そんな理由で『Arcane』を見ないのはめちゃくちゃもったいない。ほんともったいない。世界でこれだけ視聴され、かつ評価されるだけ、『Arcane』って本当すごい作品なので、ここは「ゲーマーだけど原作は未プレイだ」という方向けにこの作品がどうすごいのか、ちょっと説明させてほしい。
とりあえず、『LoL』が原作だってことは忘れてくれていい
さっそく『Arcane』の概要を説明しよう。本作はNetflix限定で配信される全9話のアニメシリーズで、原作はRiot Gamesの『リーグ・オブ・レジェンド』だ。
『LoL』はおそらく世界で最も遊ばれるオンラインゲームで、何とアクティブユーザーとして1ヶ月に1億人以上にプレイされているモンスタータイトルだ。その『LoL』でプレイヤーが扱えるチャンピオン、ヴァイとジンクスという姉妹、更にはジェイス、ケイトリンなどが『Arcane』の中心人物で、彼らが故郷とするスチームパンク調のハイテク都市・ピルトーヴァー地域と、その下層にあるゾウン地域が物語の舞台となる。
しかしこのように説明すると、興味を引くどころか「あぁ、自分は『LoL』をやってないから、いいや」と、むしろ避けられてしまうと思う。実際、『Arcane』を見ていない人の多くが、そもそも原作になったゲームを知らないという時点で、興味を失ってしまっているようなのだ。
ではあえて言おう。「とりあえず、『LoL』が原作だってことは忘れてくれていい。」
確かに『Arcane』の原作は『LoL』だし、『LoL』のキャラクターや設定が登場する……のだが、実はそれらはほんのごく一部で、『Arcane』に登場する人物、設定、キャラクター、ストーリーのほとんどがオリジナルだ。
大体、物語の大筋はヴァイとジンクス、ふたりの姉妹の絆が引き裂かれていくことにあるのだけど、そもそも「ふたりが姉妹だった」という点からして原作には記述がない。確かに原作でふたりは何か因縁があるように描写されるけど、「姉妹だった」という設定はほとんどファンの考察で、二次創作のファンアートに出てくる程度のものだった。
しかし、『Arcane』の1話のあらすじはこんな感じに語られる。姉のヴァイとパウダー……後にジンクスと呼ばれる妹は、貧しいゾウン地域で育ち、他の悪友たちと共にピルトーヴァーの富裕層の家に盗みに入った。
しかしそこには、発明家ジェイスが密かに持ち込んだ魔法(Arcane)を生む原石が持ち込まれ、それがジンクスのミスで大爆発。犯人逮捕のためピルトーヴァーの執行官たちはゾウンに侵入し、それによって一発触発の状態となる──。
このようにヴァイとジンクスが姉妹だったことが、驚くべき事実というより、あたり前田のクラッカーな設定として物語が始まるために、原作ファンほど楽しむどころか、むしろ面を喰らってしまう。
何なら、次の瞬間には原作には顔も出さなかったオリジナルキャラクターが姉妹の親代わりになっていて、しかも姉妹以上の重要人物だ判明するので、むしろ筆者などは「原作要素どこ……?」と迷子になった子どものように戸惑ってしまう始末だ。
だからもう、『LoL』が原作だってことは全く気にする必要はないし、むしろ『Arcane』は『LoL』ファンを「お客様扱い」する気もちゃんちゃらない。そう、だから『Arcane』はめちゃくちゃおもしろい。
これは『LoL』なんて名前も知らなくても十分楽しめるし、むしろ驚きの展開を新鮮に楽しめるという点で、「LoLエアプ勢」が羨ましいぐらいだ。
一応、物語の目線は、ヴァイとジンクスなど、原作に登場する「レジェンド」たちのを借りて語られる。しかし、彼らを取り巻くさまざまな家族・仲間・ライバル・あるいは予想だにしない関係性などから、無数にオリジナルキャラクターたちが続々と物語に参加し、レジェンドたち以上の存在感を発揮し始める……むしろ原作を知らなければ「誰が主人公なのか」さえわからない、混沌とした群像劇が展開されていくのが本当にすごい。
中でも筆者のお気に入りが、顔が半分焼け爛れた男、シルコだ。シルコは暗黒街のボスのような立場で、話術や陰謀など闇のカリスマとして多数の部下を従え、序章ではヴァイたち以上の圧倒的な強者として君臨する。
しかし物語が後半になると、ある出会いを契機に、無敵のヴィランから守るべきものについて苦悩するひとりの中年に回帰する。そんなシルコの内情を知りながら側に付き従う女傭兵のセヴィカとの主従関係もまたアツく、最後などずっとふたりの心情にばかり肩入れした程だった。
もちろん『Arcane』の魅力的なオリキャラはシルコだけではない。本作は主にピルトーヴァーとゾウン、富裕層と貧困層の対立を描く内容となっているが、どちらかに肩入れすることなく両者の陰謀や関係性がしっかり描かれる。
ピルトーヴァー側の議員と、彼らの下で働く執行官たちは、最初こそ金持ちのロクでなし……のように見えるが、中にはゾウン側の内情を理解したり、逆にピルトーヴァーを支配せしめんとする野心家も混ざっていたりする。
本作はゲーム原作でありながら、原作には登場すらしなかった「モブ」が物語の中心にいて、原作キャラクターこそむしろ彼らに振り回される立場にある。
これ、とんでもない挑戦ではないだろうか。
つまり、本作は原作から完全に独立した普遍的な物語を描くと同時に、原作を単なる「素材」とし、原作ファンへの「忖度」を一切せず、「自分たちがただ描きたいものを描く」という精神が、全編を通して満ちているのだ。ここにゲーム原作アニメでありながら映画業界で絶賛を受けた理由があるのではないかと思う。
(誤解のないよう付記すると、『Arcane』は忖度しないだけで原作への敬意と理解に満ち溢れた作品だ。第一話の29:00あたり、店主が鑑定しているアイテムをよく見てみよう。『LoL』プレイヤーでも知る人ぞ知るアイテム、「Heart of Gold」だ。)
劇場版作品にも劣らない圧倒的密度のフランス製アニメーション
ここまでは「『LoL』を知らなくても『Arcane』は絶対楽しめるし、何なら原作から独立しすぎていて原作ファンですら訳がわからない興奮で盛り上がったよ」という話をしてきたけど、もちろん大前提として『Arcane』がアニメとして圧巻のクオリティであることも伝えたい。
まず『Arcane』の美術。これがすごい。本作はフランスのFortiche Productionというスタジオが作っていることからもわかるように、バンド・デシネのような静・動のメリハリのある、くっきりとした独特のアニメーションが軸になる。
それだけなら、特にアニメ大国で目の肥えた日本人にとっては驚くこともないのだが、本作のアニメ、まず1フレームごとの情報量がとてつもない。
たとえば、第一話の冒頭。主人公たちが発明家ジェイスの家に盗みに入るシーンがすごい。そもそも、人間の家の中の様子って、住人の人間性や価値観がそのまま反映する上で情報量がすごく多いので描写が大変なモチーフだ。
でもこのシーンでは、家主であるジェイスのよくわからない発明品の数々や、黒板に書かれた計算式、食べかけのサンドウィッチ、本の一冊一冊まで、綿密に描写されている。
このように『Arcane』はピルトーヴァーとゾウンというフィクション、現実には絶対ないような道具をひとつずつ設定として想像し、それらを絵と動きでもってアニメの中に落とし込んでいる。これでもう、世界に対する没入感がすごまじいことになる。
たとえば、『千と千尋の神隠し』の冒頭で夫妻が食べる「妙にうまそうな謎の肉」みたいな、空想の産物がイキイキと動いて回るから、それらの設定を考えるだけで楽しいのだ。
もうひとつ、驚いたのが表情。日本のアニメだって負けてはいないのだが、『Arcane』に出てくる人間の表情がめちゃくちゃ細かく、美しい。とにかくたくさんの「大人」が出てきて、それぞれの陰謀が渦巻く世界なので、必然的に彼らは本音と建前を使い分けることになる。
その「建前」、嘘をついてる時、絶妙に嘘を隠し通せないような本人の癖まで再現していて、毎回一時停止して内にある「本音」を考えたくなってしまう。
アニメであるからには、戦闘シーンは欠かせないだろう。安心してほしい。『Arcane』は大人同士のゆったりとした会話、また自然や人工物の背景を長回しでふんだんに見せるなど、余裕のある贅沢なカットも多いが、多いときは1話につき何度も、ゴリッゴリのアクションシーンが挿入されている。
本作の戦闘の何がすごいかというと、「戦士たちの得物が全部違う」ことだ。ヴァイは拳、ジンクスはミニガン、ジェイスはハンマー、ケイトリンはライフル。他のキャラクターもそれぞれ獲物を持っていて、さながら異種格闘技戦のような戦闘ばかりで全くパターン化ができない。
しかも印象的なシーンには、MIYAVI、PVRIS、そしてImagine Dragonsなどの豪華アーティストによる楽曲まで挿入され、シーンをグッと盛り上げてくるのがニクい。(個人的に7話の「橋の上の戦い」がもう涙堪えるので精一杯で……!)
これはもう、アニメとゲームで作った次世代の『ゲースロ』だ
ここまで『Arcane』を褒めちぎっておいて何だけど、実は最初に3話だけ公開された時、筆者はそこまで興味が持てなかった。
というのも最初の3話はあくまでヴァイとジンクスの幼少期が中心のために動きが少なく、その割に登場人物はどんどん増えていくので理解が追いつかず、「確かにアニメの出来はいいけど、カタルシスが足りないなぁ」と感じるほど、少しスロースターター気味ではあったからだ。
けれど4話で一気に幼少期から青年期まで時代が進むと、物語の炉心が一気に温まる。これまでの力関係や均衡が文字通り音を立てて崩れ、平穏なピルトーヴァーに混乱と暴力が蔓延し始めるからだ。
そしてこの頃には、膨大な登場人物たち、そこに国家や組織まで絡んだそれぞれの野心がぶつかり合い、愛情と憎悪、義理と陰謀が絡み合う、重厚極まるドラマが怒涛のアニメーションと共に一気に広がっていく。
もうこの辺になると、本当にあっという間だった。というかもう、どこからどこまでが何話だったのかさえ認識できないほどの興奮が何時間も続いて、瞬きする間にはもう衝撃の結末を迎えていた。その興奮の熱は未だ冷めやまず、仕方ないので会う人会う人に「Arcaneおもしろいからマジで見てくれ!」と同じ熱病を拡散している始末だ。
一体この興奮は何なのだろう……。あくまで筆者の感想になるが、この体験は『ゲーム・オブ・スローンズ』(以下、『GoT』)に近いものを感じた。
あちらもジョージ・R・R・マーティンのファンタジー小説を原作にしながら、大胆なアレンジで独自の映像表現を突き詰め、全米、そして全世界にドラマの可能性を一変させた傑作だ。
序盤こそスロースターターだが、その膨大な伏線が一気に回収されていくカタルシス、また立場や善悪を限りなくフラットに衝突させるタフなドラマ、そして無論のこと、文句なしの映像美と演技力が光るところまで、『Arcane』と全く違うビジュアルでも本質的に通底している。
『Arcane』はまさに、ゲームとアニメの融合で作り出した次世代の『GoT』だ。10年以上の運営によって築かれた原作を引用しながら、そこに一切の忖度なく自分たちで膨大な情報と卓越したセンスによるアニメーションを再構築し、姉妹の絆を軸としたピルトーヴァーとゾウンの断絶を見事に描ききってみせた。それは今、全世界で最も視聴されるドラマとなり、更に映像の批評家とファンからの拍手喝采を浴びている。
ここまで読んでくれた方に、失礼ながら、いま一度問いたい。
「え?まだ『Arcane』見てないの?」