高橋名人×谷渕弘氏によるゲーム開発トークセッション
こちらを目当てに今回のイベントに訪れた人も多かったようだが、この日の17時から行われたのが、ゲームプレゼンターの高橋名人と株式会社コナミデジタルエンタテインメント エグゼクティブディレクターの谷渕弘氏による「ゲーム開発トークセッション」だ。まずは、それぞれの自己紹介からセッションがスタートした。
高橋名人が初めて入ったのは、ゲーム業界というよりもパソコン業界だった。1982年にハドソンに入社したのだが、当時はパソコンのソフトを作って販売するだけだったのだが、1983年にファミコンのベーシックを作らないかという依頼がシャープ経由できた。それを作ったことがきっかけで、ハドソン自身がゲーム業界に参入することになった。
その当時、ゲーム業界に入るという話をすると、様々なソフトハウスから「え? おもちゃにいっちゃうの?」と反応される時代だったという。しかし、ファミコンで『ロードランナー』などが大ヒットすると、それを見て続々とゲーム業界に参入し始めた。そんな時代に行われていた「第1回全国ファミコンキャラバン大会」のイベントで「名人」の称号を確立し、現在まで高橋名人と呼ばれている。
一方の谷渕弘氏は、1994年にプログラマーとして入社。そこから『パワプロ野球』制作チームに配属され、25年以上野球ゲームを作り続けてきた。無茶振りされやすいタイプのためいろいろなゲームを作ってきたそうだが、2021年に新設された開発部門の「Labo」では、エグゼクティブディレクターに就任。「なんでもやっていいから、すごいものを作って欲しい」というざっくりとした指令を受けて、日夜ゲーム作りに頭を使っているそうだ。
KONAMIがスポンサーを務める「集英社ゲームクリエイターズCAMP」では、KONAMIタイトルを題材とした初のゲーム企画・開発コンテストが開催されている。80タイトルが対象になっているのだが、その中で高橋名人が上げた思い出に残るタイトルは『プーヤン』だ。1985年に行われた「第1回全国ファミコンキャラバン大会」で鳥取大会に行っているときに、当時のハドソンの社長が「今こんなの作ってるんだよ」といって持ってきたのがファミコン版の『プーヤン』だった。
『プーヤン』は1982年にKONAMIから発売されたアーケードゲームだが、その当時『ロードランナー』や『ボンバーマン』を作ったハドソンの天才プログラマー・中本伸一氏が、わずか2ヵ月ほどでファミコンに移植した作品だったそうだ。その鳥取で社長からゲームのカートリッジを渡され、「お前、明日の大会で、見せてみろよ」といわれ、まったく遊んだこともないゲームであったにもかかわらず、そこで初のお披露目が行われたという。
当時のファミコンソフトは16キロバイトほどのメモリー容量しか使えなかったのだが、ゲームの背景は真っ黒だったため、アーケード版からの移植といってもそれほどメモリーは使用しなかった。これは『ロードランナー』も同様だ。音も単調なため、さほどメモリーは使用しない。そうやって省略されているところも多かったため、移植もしやすかったのだ。
また、その当時はアーケードゲームをファミコンに移植するという動きも多かった。任天堂の『マリオブラザーズ』もそのうちの1本だが、アーケード版とは異なる部分もあるもののイメージはそのままファミコンに持ってきている。また、それがあったからこそ、ファミコンが売れたのだと高橋名人は語る。
アーケードゲームはトップクォリティで、それがファミコンさえあればお金を使わずに家で遊べるというのもいいところだった。また、当時の子供たちはPTAからゲームセンターに行ってはいけないともいわれていた時代でもあった。そうしたこともあり、アーケードで見ていたゲームが早くファミコンにならないかなと思っていたという谷渕氏。しかし、ファミコン版の『グラディウス』でレーザーが切れたときはちょっとショックだったそうだ。
そのファミコン版『グラディウス』の凄さを力説していたのは、高橋名人だ。スプライトをうまく活用しているため、動画に撮影してひとコマずつ再生してもすべてのオブジェクトが写っているシーンは絶対に撮れない。どこかのスプライトがかけているのだ。
谷渕氏は、入社後に『グラディウス』のアーケード版と家庭用版を作ったクリエイターと話をしたことがあるそうだが、家庭用版のクリエイターは、アーケード版に負けるかという思いで技術を詰め込んで作っていたのだという。その当時から、そうした天才プログラマーがいっぱいいたのだ。
ゲーム大会は時間も計算してすべて手作りで行っていた
おふたりの自己紹介と雑談が一段落付いたところで、「高橋名人の携わってきたゲームへの想い」というテーマで、トークが繰り広げられた。「このゲームを売りたい。楽しい」というところからスタートしたのではなく、これが売れないと会社が潰れるというところが最初だったと語る高橋名人。どうせならば、この面白さをみんなに伝えたいという想いがあたった。
当時のハドソンには宣伝部のトップがいて、その下に3人ほどの社員がいた。その中のひとりだった高橋名人が、ゲームがうまそうだということからファミコン担当に選ばれている。今ならば、芸人にお願いしてゲームをプレイしてもらい宣伝してもらうという手法が一番手っ取り早い。しかし、当時はそんな金銭的余裕もなかったため、自分たちでやるしかなかったのだ。
高橋名人として人気が出て良かったのは、各テレビ番組に呼ばれたときに10分~15分のコーナーがもらえたところだという。その時間は、1本のタイトルのみで対応することができる。メーカーは30秒や15秒という枠を買ってCMを入れるのだが、15分も時間がもらえると30秒のCM30本分もの宣伝ができるようなものだ。そうしてテレビに出ていたことから、親戚などからは「出演料すごいでしょ?」と言われたそうだが、実際はCM30本分であったため、ただで出演して宣伝させてもらっていたのである。
『スターフォース』や『スターソルジャー』で大会を行うときも、台本作りも含めてすべて手作りだった。予選と決勝はどうするのか。どれぐらいの時間になったら人数をさばくことができるのか、というところから始まる。3分ではちょっと長すぎる。そこで1面終了の時間を計測すると、だいたい1分40秒ほどであったため、2分に決定した。入れ替えの時間も含めて3分で、10台並べて同時に行うと250名なら25回。これなら決勝も含めて2時間弱で終わるという組み方をしていったそうだ。
今回の「集英社ゲームクリエイターズCAMP」のタイトルには含まれていないが、『高橋名人の冒険島』のようなタイトルでゲーム大会をやらなければいけないこともあった。しかし、アクションゲームはアイテムの数が決まっているので点数が決まっている。2分で実施してもほぼ同じ点数になってしまうため、大会を実施するのはなかなか難しいのだ。
たとえば、シューティングゲームであっても『R-Type』のようなゲームだと、敵が出現する数が決まっているため、スコアが100点ほどしか違いが出ない。こうしたゲームはあまり大会には向きではないため、2分や5分という想定で点数がいろいろと変動するようなゲームを作ってくれたほうが、これからのeスポーツには向いていると、未来のクリエイターたちに向かって話しかけていた。
ゲームの見せ方という点に関しては、派手なほうが受けられるとは思うものの、高橋名人が少し違うなと思ったのは弾幕系のゲームだという。世の中のプレイヤーは、必ずしもゲームがうまい人ばかりではない。むしろ、うまい人は1割~2割程度だ。残りの8割は、初心者やそこまでゲームがうまくない人たちである。
その人たちが、弾幕系ゲームの画面を見た瞬間、「俺には無理だ」と諦めてしまう。派手でありながら、ゲームを売るためには遊ぶ要素は入れていく必要がある。楽しめるユーザーが少ないと先細りしてしまうため、できれば裾野は広げたほうがいいため、その逆のことはやらないほうがいいのではないかと高橋名人は力説する。
演劇の経験からパワプロのサクセスモードが生まれた
続いて、「ゲーム企画の考え方」をテーマにトークが行われた。そもそも、ゲームの企画はどのように作っているのだろうか。谷渕氏の場合は、ゲームや物事を作ることは、自分の人生や体験を切り売りするものだと考えている。
少年時代は、理系でよくいるステレオタイプなゲーム好きだったという谷渕氏。そこから、大学に入ったときに演劇を始めることになった。役者で演じて脚本を書き、演出を行うという経験が、後々役に立ったという。役者で演じるのは、人前で恥ずかしいことをすることでもある。これにより羞恥心がなくなり、どしどし何でもできるようになった。また、役者は他人になりきるため、自分ではない人物がどう考えるのかという視点が持てる。
脚本には、起承転結の以外にも流れがある。人間の心がどのように動くのか考えながら、物語の順番を入れ替えるのだ。そうすることで、心の揺れ幅が変わり、それによって感動や笑いが生まれる。同じネタであっても、物語を置く場所によって全然違ったものになるのである。
演出は、多くの役者に指示を与える立場だ。役者はひとりひと役で一生懸命演じるが、主役ばかりを大切にしてしまうとほかの役者がすぐにすねてしまう。そのため全員平等に、この人たちはひとりの人格を持って物語構成していると考えることで、ひとつの物語にたいしてAというキャラクターとBというキャラクターの見方も全然変わってくる。奥が深く、それによりひとつの成立した世界を作り出すことができるのだ。
そうした貴重な経験を経て、プログラマーとしてKONAMIに入社した谷渕氏。そこで野球ゲームを担当して欲しいといわれた。野球自体は普通に好きだったが、作りたかったゲームはシューティングやRPGだったという。しかし、とりあえず野球ゲームを作ろうとなったときに、演劇をやっていた経験から野球のことを知るために本を読み始めた。それまで試合でしか見たことがなかった野球選手に、人間関係やドラマがあることを知り、それをゲームにしたいと考えたそうだ。そうして生まれたのが、『実況パワフルプロ野球』の「サクセス」モードである。
スポーツゲームには、それまでアクションやシミュレーションしかなかったのだが、物語やキャラクター性が高い作品がどんどん登場するようになってきた。世の中に受け入れられることで、物語やゲームシステムを変えることで、様々なゲームが登場した。現在人気の高い、馬を使った女の子たちが登場するゲームがあるが、あれは、サクセスモードが発展した形でもあったため、売れて良かったなと思う反面、「作ったのはKONAMIじゃないんかい!」というくやしい思いもあったそうだ。
谷渕氏は、ゲームの企画はAというものとBというものをつなぎ合わせて、まったく新しいCというものを作り出すことだと考えている。この新しくて楽しいというところがポイントで、それはいい企画という意味だ。AとBは数を持っておく必要がある。そのAとBの増やし方は、ライフネット生命保険創業者で立命館アジア太平洋大学学長を務めている出口治明氏の「人生を豊かにするには、人と本と旅を大切にしなさい」という言葉が腑に落ちるという。
人の人生は、それぞれでまったく異なる。さらに、強みも持っている。人の話を聞くと刺激も受けるし、新しいネタも思いつく。そのため、谷渕氏はいろいろな人に出会いいろいろな話を聞きたいと考えている。人の話を聞くときにやってはいけないのは、すぐに否定することである。そのため、とりあえず全部の話を聞くことを心がけているそうだ。
『大乱闘スマッシュブラザーズ』シリーズを作った桜井政博氏の著書に書かれているものに、「否定する人のひとり勝ち法則」がある。物事を新しく作ろうとすると、他人から否定される。それがうまくいかないと、「ほれみたことか」と罵られ、うまくいけば「うまくいって良かったね」と言われる。100人に聞いて100人がいいということはないため、自分がいいと思って企画を進めるときは反対意見が来ても突っぱねたほうがいいのだ。
出口氏のいう「人・本・旅」は、すべて自分の中にはない、外側からの刺激を受けるものだ。それにより、AとBという企画がどんどん溜まっていくのである。では、それを繋げて新しいCはどうやって作るのだろうか?
人の脳は、寝ている間に情報が整理される。台湾のデジタル担当政務委員大臣であるオードリー・タン氏は、日々の悩みをすべて頭の中に入れて寝るのだという。それが起きたときに整理されて、答えが出てくるのだ。谷渕氏も、何十年もベッドの脇にメモやスマホを置いておき、目が覚めたら書くようにしている。それを見返したときに、面白いものが生まれることもあれば何を書いているのかさっぱりわからないこともあるそうだが、物事が解決していくため、それを積み重ねていくことで面白いゲームができるという。
高橋名人が実況を務める『スーパースターソルジャー』のミニゲーム大会も実施!
このセッションの最後に行われたのは、『スーパースターソルジャー』を使ったミニゲーム大会だ。参加者の中から希望者3名をジャンケンで選び、『スーパースターソルジャー』2分間モードに挑戦。最も高いスコアを出した人に、高橋名人のサイン入り『PCエンジンmini』がプレゼントされるというものだ。
本作は第6回のキャラバンでも使用されたゲームだが、高橋名人によると、当時の平均スコアは45万から最大でも55万点ほどだったという。ある技を使うことで得点が伸びるが、普通にプレイすると40万前後だそうだ。
挑戦者の前に、高橋名人が腕前を披露。右手を怪我しているということもあり、「連射パッドはないの?」といっていた高橋名人だったが、実況で細かいポイントを紹介しながら悠々とプレイしていた。先ほどの「ある技」だが、こちらはボスを倒すと同時に自分も弾に当たってやられることで、少し戻って得点を稼ぐことができるというものだ。そうした技を活用すると、50万点まで伸ばすことができるのである。というわけで、高橋名人は31万5400点という得点をたたき出していた。
続いて、女性2名、男性1名が『スーパースターソルジャー』に挑戦。その結果、優勝したのは唯一の男性挑戦者の飛脚氏だった。ミニゲーム大会終了後、その場で高橋名人が『PCエンジンmini』にサインを書き込み、優勝者にプレゼントされた。
イベント自体はこの後も少し行われていたが、トークセッション自体は終わりということで、最後に高橋名人と谷渕氏よりメッセージが語られた。
高橋名人:
昨年からコロナの影響で、全世界が大変な目にあっています。ただ、ゲーム業界は唯一伸びている業界でもあります。引きこもり需要がないとしても、皆さんに夢を与えるというところが僕はこのゲーム業界の素晴らしいところだと思います。皆さんは確実に、これから未来のゲーム業界を培ってくれるスタッフのひとりになることができるわけですから、未来を見ながら頑張っていただければなと思います。
谷渕氏:
ここにいる方もゲームを作っているということで、私と同志だと思っています。ゲームを作ることは悩むこともあるし、嬉しいこともありますが、皆さんのオリジナルな唯一世界にひとつだけしかないゲームを作っていただけると、私はユーザーとして楽しみたいと思っています。
これにてトークセッションはお開きとなったが、その後もサインを求める高橋名人のファンに対して、「ツーショットは撮らなくていいの?」と気さくに声をかけてファンサービスをしていた。コンテストへの応募は、来年1月6日まで受付中だ。まだまだ時間はあるので、我こそはという人はぜひこの機会に挑戦してみてほしい。