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触れたら誰もが無傷ではいられないゲーム『NEEDY GIRL OVERDOSE』。だがそのゲームは、救われなかった(しかし救われるべきだった)心の古傷を救うのかもしれない

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 『NEEDY GIRL OVERDOSE』──本作は、「マルチ破滅エンディングアドベンチャーゲーム」である。無限の承認欲求を満たしたい主人公・あめちゃんは、プレイヤーがどんな選択を取ろうとも、基本的にはさまざまな破滅に向かって突き進んでゆく。
 つまり、このゲームは構造だけ見れば「自己中構ってちゃんメンヘラ女の破滅を眺めるだけのゲーム」に見える。

 しかしもちろん、明らかに異様な雰囲気を発する本作が“それだけ”のゲームであるはずがない。
 本作はそうやってあめちゃんの破滅を「他人事のエンタメ」だと思っている人間を針のむしろに引きずりこむ。あめちゃんに共感する人の古傷を抉り、オタクの心を傷つけ、プレイする人全員が「絶対に無傷ではいられない」タイトルだ。

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 それもナイフのように鋭利な刃を突きつけるのではなく、針や茨のようにチクチクとプレイヤーの心を傷つける。あめちゃんのようなめんどくさい女の子であれば(あるいはそうであったならば、関係したことがあるならば)間違いなく経験したことのある、あまりにリアルで痛々しいムーブやめんどくさくてしんどいLINEのやりとりが、かつて10代だった自分が負った古傷を刺激する。

 本作が表現する「痛み」への解像度の高さは、本物だ。思わず「ウッッ」とえづいてしまうほどのリアルな表現の数々は、共感性羞恥などという言葉だけでは括ることができない。

 しかし一方で、本作はそんなふうに我々の古傷を抉りながらも、その傷の救済を志すゲームでもある。
 あめちゃんは配信者として「超絶最かわてんしちゃん」に変身し、「おまえらのすべてを赦してやる!救済してあげる!!!」と宣言する。

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 なぜまだその古傷が痛むのか。答えは簡単で、その傷は未だに癒えていないからだ。あなたはもうその傷のことを忘れているかもしれないけど、その傷は救われるべきだったんだよ。だから、わたしが救ってあげる。
 
 彼女が語る「救済」とは、このような意味に思える。実際このゲームをプレイしていると、あまりに思い通りに動いてくれないあめちゃんにストレスを感じつつも、いつの間にか彼女を応援し、そして彼女に救済されたいとすら思えてくる。
 『NEEDY GIRL OVERDOSE』は、そんな不思議で危険な魅力があるタイトルだ。

文/anymo
編集/実存


※本稿には『NEEDY GIRL OVERDOSE』に関するネタバレが一部含まれています。あらかじめご注意ください。

精神的にシビアなパラメータ管理

 本作は1日が朝・夕方・夜の3つのターンに分かれており、それぞれの時間にどの行動を起こすかを選択、その結果がフォロワー/ストレス/好感度/やみ度の4つのパラメーターとあめちゃんのPoketter(ゲーム中でのTwitter)でのつぶやきに反映される。

 行動によってはゲーム実況や陰謀論、やみ配信、えっちな配信といった配信ネタを獲得することができるほか、フォロワーを増やすことができる「配信」は夜にのみ選択が可能だ。目標は30日目までにフォロワー100万人を目指すことだが、それ以上にあめちゃんのケア兼パラメータの管理を継続することの難易度が高い。

 あめちゃんは配信でチヤホヤされたいにもかかわらず、配信自体には多大なストレスを感じており、配信をするたびにストレスのパラメーターが大きく上昇し、ケアをしなければあっという間に上限値に達する。「30日目までに100万人」の目標を達成するためには連続配信ボーナスによる増幅がなければほぼ不可能なので、夜は配信して朝と夕方でそのストレスを発散する、というのがセオリーとなるだろう。

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 しかし、「コミュニケーション」や「おでかけ」といったデメリットのない行動によって下がるストレスは焼け石に水程度だ。配信の度に溜まっていくストレスの方が圧倒的に大きく、そんなんじゃあめちゃんは満たされない

 ではどのようにあめちゃんの精神をケアしていくかというと「おくすり」を飲む、または「えっちなこと」の2択になる。「おくすり」は大きくストレスを下げてくれる代わりにやみ度が上昇、「えっちなこと」はストレスとやみ度の両方が大きく下がるものの、好感度が大きく上昇してしまう。

 後者に関しては「いいことづくめじゃないか」と思うかもしれないが、あめちゃんの持つ人格を考えたとき、度を超えた好意がどのような方向に進んでいくかは、想像に容易いだろう。

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 「おでかけ」と「おくすり」によって低減するストレスの数値の違いを目の当たりにしたとき、筆者はたいへん苦しくなった。
 根本的な原因を解決するための精神的なコストを支払うより経過をすっ飛ばした即物的な愛情や快楽で目の前の辛さをぼやかすことしかできなかったときの自分を思い出したからだ。そうでもしないと、人の形を保つことすら辛かったのである。

 さらにこの好感度を下げるための行動「であい」も存在している。「ピ」がいながらどうでもいい異性と食事に行っているのはあめちゃんなのに、なぜかこちらの好感度が下がるのは少々不条理だが、我々「ピ」があめちゃんを寂しくさせたのが悪いのだから仕方がない。

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「痛い」ことへの解像度の高さ

 こうしてプレイヤーはあめちゃんのケアを念頭に置いて行動を選択していくわけだが、ゲーム中ひっきりなしに飛んでくるあめちゃんのJINE(ゲーム中でのLINE)は、とにかく本当に心から「しんどっ」と思うほどにめんどくさい。
 しかもチュートリアルでも「未読無視は人のすることではありません」とアナウンスされる通り、あまりに彼女からのメッセージを無視し続けるとエンディングに突入してしまい、ゲームは終了する。

 ゆえに都度返信する必要があるのだが、何度送信しても即レスが返ってくることにくわえて、その内容はただ連絡をとっていることを目的とする、意義のないうっすいコミュニケーションが大半を占める。そのため、ゲーム後半はJINEの通知音が鳴るだけでかなりのストレスを感じる。
 Twitterのつぶやきのような、一方的に発信するだけのユーモアと返答のスタンプ、たまに悲痛な承認欲求が見え隠れする、双方の感情の釣り合いが一切取れていないやりとりはまさに「リアル」だ。

 たまに会話の中で選択肢が提示されるが、これもただ褒めればいいわけでもなく正解がわかりにくい。配信のアドバイスを求められて「視聴者からの質問を集めるとか」と無難に返せば「オタクの質問なんか集めたくね〜〜〜」と配信を投げ出され、「みんなわたしのどこがすきなのかな」と聞かれ「全部」と励ませば「気休めはいらない」とばかりに悲観されてしまう。

 鬱病の人に「がんばれ」が禁句なのは今となっては大きく広まった知識だが、「みんなわたしのどこがすきなのかな」に「全部」が禁句なのは聞いていない。「かけてほしい言葉から少しでもズレていたときの逆ギレ」にはあまりに身に覚えがあるし、「しんどっ」と思う度に過去の自分を傷つけているようで、若干具合が悪くなった。
 ちなみに、この質問への正解は「顔」である。なぜそれが正解なのか、その理由がすぐにわかる方はこのゲームに向いている。いますぐプレイするべきだ。

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↑このときの正解(ストレスが1下がる)は、「そうだよ」

 多分彼女の理屈は、「こんな私を選んだのは「ピ」なのだから、私は脳直で言葉をぶつけていいし、あなたは私のケアをするべき」というものだろう。交際している男女の関係性として正しいとは思えないが、あめちゃんは至って本気だし、その歪さに自分で気づく日はもう少しか、かなり先だ。

 本作におけるあめちゃんのしんどさの表現のリアルさは、とにかく手が込んでいる。たとえば「あっ間違えた」と言って電話をわざと1コールだけ鳴らしてみたり(絶対に間違えてない。100%言い切れる)、ストレス値がマックスになると「ピが切ってみてよ」と自分の手首を切るよう迫ってくる。

 Poketterでは、うっかり未読するたびに「ピ!未読するな!!」と空リプをされたり、「嫌いな女配信者の放送荒らしにいくか!」と要らぬ攻撃性を見せてこちらを不安にさせたり、「えっちなこと」の直後にはそのことをいちいちつぶやく。この何でもかんでも裏垢に書くという行動も思わず悲鳴が出るほどにリアルだ。

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 自分だけで感情を処理することができず、「ピ」かフォロワーの誰かと共有してしまう。こうした細かなディティールから、あめちゃんは自他の境界がかなり曖昧になっていることがわかる。自分のことを「メンヘラ」と自虐したことがある方なら、きっと誰もがこの克明な描写の数々に胸を痛めるだろう。

 これらのあめちゃんの不安定さのどれもが小さなトゲのように、チクチクとプレイヤーの居心地を悪くし、嫌な焦燥感とともに、常に自分を正当化しないといけないような気持ちにさせてくる。
 本作は痛みをともなう作品だが、大きな刃を振りかざすシーンは多くない。いつ爆発するかわからないあめちゃんのケアをしながらフォロワーを伸ばしていくプレイは、下に針が敷き詰められた茨の綱渡りのような感覚がある。進むのも下がるのも痛いが、落ちればもっと痛いのだ。

 救われていなかった古傷を救う

 あめちゃんが取ってしまう「痛い」言動の根本には、承認欲求や他人にこう見られたいという願望がある。それは、心の欠けてしまった部分を何かで修復しようとしたゆえの行動だ。あめちゃんが「ピ」をも巻き込んで破滅へと突き進んでいく姿には、筆者をふくめて古傷を抉られ、共感するユーザーがたくさんいるだろう。

 置き去りにされた古傷は、まだ救われていないからこそ今でも痛むのだ。かつて負った傷を見ないふりをしてきた人間ほど、本作をプレイしながらあめちゃんの姿に過去の自分を見出し、フラッシュバックに苦しむことになる。あめちゃんは、ゲームの中の「自己中構ってちゃんメンヘラ女」というキャラクターでありながら、我々の古傷でもあるのだ。

 しかし、そんな現在進行系で傷を負い続けるあめちゃんは、配信者「超絶最かわてんしちゃん」としては他人を救済する天使として振る舞う。
 ゲームの中で、彼女は「つらくてつらくて仕方がないときは、ちゃんと他人に助けを求めるんだよ。それは「弱さ」じゃなくて「勇気」なんだから」「あなたが私を信じる限り、どこにいてもあなたを見つけてあげる」といった救済の言葉を自分のファン(オタク)に投げかけ、実際にオタクを救っていく。
 その様子は、まさに過去の自分を受け入れて前に進むステップ──すなわち、古傷を認め、それを癒やすことであるようにも思える。

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 あの頃の我々と同じ、痛くて承認欲求がイカれてるあめちゃんが、誰かの救済となることで承認欲求を満たしながら人を助けることができる。それによって我々の古傷もまた救済され、「昇天」するのだ。

「健常」になることがゴールではない

 この「救済」というテーマに関連して、このゲームが非常に示唆的なのは「健常になればいいわけでもない」という点だ。あめちゃんのやみ度が0になるとそのままエンディングに突入し、ゲームの続行が不可能になってしまう。しかも、このエンディングは他のものと比べてブツっと途切れるようなあっけないものだ。

 なぜ「やみ度」がゼロになるとゲームオーバーになってしまうのか。それは、あめちゃんのキャラクターとしてのアイデンティティである「やみ」(闇/病み)を失ってしまうことを表しているからだろう。
 つまり、あめちゃんがあめちゃんでなくなってしまってはいけないのである。このゲームでは、ステータスが0か100に達すると強制的に迎えるエンディングがいくつかある。

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 すなわち、本作はそのゲームシステムからして、「ピ」としてあめちゃんを極端な方向に向かわせず、「しんどい部分ともほどほどにやっていく」というスタンスを目標としているのだ。
 「何事もほどほどに」と口で言うのは簡単だが、それを実際に行動に移すのは難しい。それはおそらくひたすら地道で地味な作業の繰り返しで、たとえて言うなら「毎日、健康のために30分の運動をする」ようなことだからだ。
 本作は、その「ほどほどにする」ことの難しさを「ステータス管理」というゲーム性によって見事に表現していると言えるだろう。

 「やみ」は正すべき間違いではなく、健常になることがゴールではない。ここで目指されているのは、自分のしんどさを受け入れて、それを踏まえたうえで波を穏やかに保っていく「寛解」なのである。それはただ達成すればいいわけではない。その後も一生自分を理解しながら、保ち続けなければならないものだ。
 だからこそ、彼女に必要なのは、そして彼女が他人に与えるものは「治療」ではなく「救済」なのだろう。

けっして本気にしない人なんていない

 本作をプレイする前に、次のような警告が表示される。

登場する人物も名称も、ぜーんぶ架空のモノだからけっして本気にしないでね
(中略)
現実とネットとゲームの区別がつかない方は、いますぐ回線切って健やかに生きてね

 この言葉はよくある警告ではない。
 あめちゃんの人格の細かなディティールに共感したり、好意を抱いて彼女を救いたいと思っても、我々では用意されていない結末に導くことはできない。だからこそ何度もループしてトゥルーエンドを探すし、彼女のすべてを知りたくて隠し要素を必死に探す。

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 「とにかく顔がいい」に説得力を持たせるグラフィックのかわいらしさ、世界観と統一されたBGM、21個ものエンディング、膨大な数のテキスト。周到に練り込まれたゲームとしての完成度の高さは疑いようもなく、本作が素晴らしい作品であることは間違いない。
 しかし同時に、私は本作を「絶対プレイしてくれ!」と強く言うことはできない

 なぜなら、本作を「けっして本気にしない人」こそ、プレイするうちに「あめちゃんを救いたい」と感じてしまい、あめちゃんの迎える結末に何度も打ちのめされるからだ。本作は「マルチ破滅エンディングアドベンチャーゲーム」であり、形の違う彼女の破滅を何度も目の当たりにすることになる。もしかしたら、針では済まない傷を負ってしまうかもしれない。
 逆に動画や配信だけ観て、あめちゃんを「自己中構ってちゃんメンヘラ女w」と言っている人には強く強くオススメする。貴公は針に刺されるべきだ

 あめちゃんは「超絶最かわてんしちゃん」を自称する。
 彼女はゲームの中にいるから、我々が彼女に与えられるのはクリックするだけの0と1のデータにすぎない。しかし、彼女はここまでに心を揺さぶる、リアルな現実の体験を与えてくれる。その点で、彼女は本当に天使なのかもしれない。

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ライター
ベヨネッタとロリポップチェーンソーでゲームに目覚めました。 3D酔いと戦いつつゲームをする傍ら、学生をしています。
Twitter:@d0ntcry4nym0re
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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