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『ドラゴンクエスト』36周年で思うこと──保守性と革新性を両立させる離れ業は、堀井雄二が高度な批評性を持っているから

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 1986年の5月27日に『ドラゴンクエスト』が発売され、今年で36年という月日が経とうとしている。

 当時小学生だった自分も40を過ぎたいい大人になったわけだが、未だに『ドラゴンクエスト』の新作を楽しみにし続けているとは正直思わなかったし、まだ現在発売されている最新作のナンバリングが『XI』であるという事実を当時の自分に伝えられたとしたら、どんな顔をするだろうか。

『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S』
(画像はSteam『ドラゴンクエストXI 過ぎ去りし時を求めて S』より)

 今更改めて説明するまでもなく『ドラゴンクエスト』と言えば日本にRPGというゲームジャンルを普及、定着させた最大の功労者であり、現代においても最も日本で人気のあるゲームシリーズのひとつである。このゲームシリーズをそんな風に説明することはそれほどむずかしいことではない。誰もがとっくに知ってることだろう。

 しかし、当時のゲームユーザーに『ドラゴンクエスト』がどのような存在として映ったのかを説明することは難しい。特に当時10歳にも満たない自分の目にこのゲームがどのような存在として映ったのかとなればなおさらだ。

 なぜ難しいのかといえばそれは当時の自分がRPGというゲームジャンル自体を全く知らなかったからである。だから、『ドラゴンクエスト』というゲームを初めて知った時の印象は、当時既にPCなどでRPGを既に遊び、あらかじめ知っていた層とそうでない層で大きく異なる。

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(画像:編集部撮影)

 率直に言ってしまえば、当時の私にとって『ドラゴンクエスト』というゲームはよくわからないゲームだった。上から見下ろす視点で、中心に自分が操作するのであろうキャラクターがおり、それを上下左右へと操作するのだろうということはまだわかる。しかし、別の画面では自分ではなく、襲い掛かってくる敵キャラクターの姿が映し出され、その画面にはさまざまな文字情報が表示され、さらにそこで表示されるHPやMP、果てはEXPといった言葉の意味や、画面で起きていることなどわからないことだらけだった。それでも鳥山明の絵柄だと明確にわかる敵キャラクターのビジュアルには強い興味を惹かれたが、それ以上にわからないことが多すぎたのである。

 そのころの私がおもに遊んでいたゲームといえば、『スーパーマリオブラザーズ』『ゼビウス』のような、ボタンを押せばとりあえずなにかしらの反応が返ってくるアクションやシューティングが主だった。そんな自分にとって、ゲームの中で文字で表示されるコマンドを選択して入力するRPGというゲームジャンルは、極めて難解で複雑なものとして映ったのだ。

 普通ここまで初見で理解できないゲームを率先して遊ぼうとは思わない。だが結果として私は『ドラゴンクエスト』シリーズにめちゃくちゃハマっていくことになる。なぜ当初抱いていた悪い印象を超えてこのゲームで遊ぼうと思えたのか。それはゲームを制作している作り手の側も、このRPGというゲームジャンルが相当に難解でちょっとしたことでユーザーが振り落とされてしまうということを重々理解したうえで、ゲームを作り、そして作り手自らが情報発信をしていたからである。

文/hamatsu

週刊少年ジャンプで連載された「ファミコン神拳」とRPGへのチュートリアルとしてのロト三部作

 『ドラゴンクエスト』というゲームの成り立ちを考える上で欠かせないのが当時黄金時代に突入し人気絶頂を迎えようとしていた『週刊少年ジャンプ』(以下、少年ジャンプ)の存在だ。なぜゲーム雑誌ですらない少年ジャンプが『ドラゴンクエスト』と切っても切れない関係にあったのかと言えば、それはメインの制作者である堀井雄二が当時少年ジャンプで不定期でゲーム記事を連載していたからである。その連載の名を「ファミコン神拳」という。

 当時最高の発行部数を誇る雑誌で、作り手自身が発売前のゲーム画面や、発売してからの攻略情報を意図的に掲載することができたということが、『ドラゴンクエスト』という当時のユーザー(自分)にとってはまだまだ馴染みのないRPGの魅力を伝道していく上で非常に大きな役目を果たしていたであろうことは想像に難くない。

 当時の記事を振り返ってみると、全体マップやゲームの進行に必須の重要アイテム、最終ダンジョンのマップなどかなり踏み込んだ攻略情報をゲーム専門誌ではない筈のジャンプ誌上に掲載していることに驚かされる。『ドラゴンクエストⅡ』の発売直後の記事に至っては、スムーズに攻略するための推奨レベルまで丁寧に掲載しているほどである。

 『ドラゴンクエスト』が日本のゲームの歴史上においても特異な立ち位置にあると私が考える理由は、それはこのゲームの作り手達がゲームを作ってそれをただユーザーに売るだけではなく、そのゲームがどのように面白くて、どう遊ぶとうまくいくのかを作り手自らの手で、当時最大発行部数を誇る雑誌メディアである少年ジャンプ誌上でのプレゼンテーションをRPGがどのようなゲームなのかすらほとんど知らないユーザーに向けて継続的に行い、丁寧に丁寧にゲームを途中で投げ出さないようにサポートし続けたという点にある。

 『ドラゴンクエスト』の初期三部作までの構成は実に見事だ。1作目ではプレイヤーが操作するのは主人公ひとりのみに絞り、とにもかくにもRPGというゲームジャンルの骨格に触れてもらったうえで、2作目では複数人数でのパーティを組んだ冒険や船という移動手段を登場させ、一端の最終作である3作目では昼から夜へと移り変わる時間帯の概念や、仲間の転職などといったよりRPG的な要素を追加するという3部作全体がRPGというゲームジャンルへのチュートリアルであるかのような構成となっている。

 『ドラゴンクエスト』が当時PCで人気だった『ウルティマ』『ウィザードリィ』といった海外のRPGタイトルにインスパイアされ、それらの良いとこどりをする形で作られたタイトルであるということは有名な話だが、堀井雄二という人が非常にクレバーなのは、それらの作品から感じ取った面白さをただただ模倣し、自身のRPGへの愛情をダダ洩れにするような形で表現するのではなく、適切に取捨選択を行ったうえで自作を制作したという点にある。

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(画像はUltima I: The First Age of Darkness – Wikipediaより)
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(画像はWizardry: Proving Grounds of the Mad Overlord – Wikipediaより)

 彼はおそらく、自身の同好の士に好かれるようなコアなゲームではなく、『ドラゴンクエスト』というゲームを、RPGというゲームがいかに面白いものなのかということをより多くの人に「紹介」するためのものとして作ったのではないだろうか。そしてその目論見はキャラクターデザインに鳥山明、音楽にすぎやまこういちという、当時考えうる最強の布陣と共に世に送り出され、大成功を収めた。 

 特に、『ドラゴンクエストⅢ』は『スーパーマリオブラザーズ』以来の社会現象を巻き起こすほどの時代を代表する一作となった。RPGを「紹介」するためのプロジェクトとしての『ドラゴンクエスト』はここでひとつの大団円を迎えたといっていいだろう。

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(画像:編集部撮影)

 しかし、『ドラゴンクエスト』シリーズはここで終わらない。最近でこそ風潮が変わりつつあるが、1980年代当時の少年ジャンプで人気のある連載漫画がそう簡単に終われないように、『ドラゴンクエスト』にもまだ当然のようにさらなる次回作を待望する空気もまた高まっていったのである。

「魔王と勇者の物語」の解体と再構築

 初期三部作を大ヒットさせ、勇者ロトの伝説をあまりに見事に完結させた時点でこのプロジェクトは間違いなくゲームの歴史に残る偉業を成し遂げたと言っていいだろう。しかし、『ドラゴンクエスト』の歴史はここでは終わらない。

 私が堀井雄二という人が本当に非凡な才能を持ったゲームクリエイターだと思うのは、『ドラゴンクエスト』の初期3部作において確立した「魔王と勇者の物語」を自ら解体し、再構築するということに挑み、成功させてしまうというとんでもないことをやり遂げるクリエイターだからである。

 

 勇者ロトの伝説を巡る初期三部作に続く、天空三作品と呼ばれるシリーズ。ナンバリングタイトルの4作目、5作目、6作目で語られるこの物語は、「魔王と勇者の解体と再構築」というものに挑んだ三部作だと私は考えている。

 ロト三部作の大ヒットによってRPGというゲームジャンルは決して珍しいものではなくなり、一部の好事家だけが遊ぶものではなくなった。そして多くのユーザーにはRPGに対する共通理解が生まれると同時に、ある種のRPGならではの「お約束」みたいなものが見え始めるようになる。

 たとえばそれはHPが0になると死ぬのは理解できるが、死ぬ一歩手前に相当するHP1にも関わらず平常時と変わらぬ全力の攻撃が出来るとはどういうことなのかという疑問であったり、魔王はなぜわざわざ勇者が魔王を倒せるようになるほど成長してしまうのを悠長に待ち続けて最後はまんまとやられてしまうのかみたいな、ちょっと意地の悪い疑問を抱いてしまったりするといったことである。この手の疑問について、当時のゲームを熱心に遊ぶ子供であれば一度くらいは友達と議論を交わしたことがあるのではないかと思う。私はめちゃくちゃそういう話をしてた。
 
 「勇者と魔王の解体と再構築」なんて言ってしまうとなにやら小難しく複雑なことをやろうとしているのかと思ってしまうかもしれないが、『ドラゴンクエスト』が天空三作品でやっていることとは、この手のユーザーが意地悪な突っ込み目線の疑問に作り手の側からのアンサーを返していくということなのである。

 だから『ドラゴンクエストⅣ 導かれし者たち』(以下、『DQⅣ』)のピサロという敵キャラクターは主人公である勇者が生活する村をいきなり急襲し、勇者を仕留めるまであと一歩というところまで迫る、恐るべき活躍を見せてしまうのだ。ここで襲撃が成功していたらこのゲームはこの時点で魔族側の完全勝利で終わっていただろう。本当に惜しい……。

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(画像は編集部撮影)

 ちなみに『ドラクエⅣ』が発売される前年の1989年には少年ジャンプ誌上で『ドラゴンクエスト』の世界観をもとにした漫画である『ドラゴンクエスト ダイの大冒険』(以下、『ダイの大冒険』)の連載が始まっている。現在においても少年漫画史上に残る名作として評価が高いこの漫画においても、連載が始まってすぐに魔王(本当は魔軍司令)がまだ成長途上の主人公を急襲するという展開が描かれていたりする。おそらく偶然の一致なのではないかと思うのだけど、作り手の側も少なからずなんで魔王は玉座に鎮座するばかりで自分から動かないのかっていう疑問を持っていたし、それをお約束として甘んじてしまうのは退屈だと感じていたのではないかと思う。

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(画像はドラゴンクエスト ダイの大冒険 アニメ公式サイトより)

 話を『DQⅣ』に戻そう。魔族の側からすれば勇者の登場とは、人間側における魔王の復活に相当する圧倒的な脅威である。そしてそれを先手を打って潰そうと自らが動くピサロというキャラクターは率直にいってとても賢い有能なキャラクターである。『DQⅣ』は複数のキャラクターを主人公としてオムニバス形式でドラマを描くシリーズでもかなり特異な物語構造を持った一作なのだが、章ごとに異なるキャラクターのそれぞれの物語を進めるなかで出会うのが、勇者の登場を未然に防ごうと暗躍するピサロの足跡だったりするのである。

 『DQⅣ』のサブタイトルは「導かれし者たち」だが、この物語の中で「導かれた」のは誰かと言えばそれは、主人公である勇者であり、ライアンでありアリーナでありトルネコでありといったそれぞれの章のそれぞれの主人公たちである。ではこの本来であれば縁もゆかりもなく、生まれも育ちも年齢も身分も時には種族すらバラバラのキャラクター達を「導いた」のは誰か?

 それはまだまだ未熟な勇者の村をいきなり襲うという仕事の出来過ぎる魔族こと、ピサロだ。

 『DQⅣ』とは、RPGのお約束に逆らうかのように勇者が成長する前に先手を打ってその芽を摘もうとするピサロというキャラクターがその優秀さ故に、魔王を倒してしまうほどの対抗勢力を「導いて」しまうという非常に皮肉な悲劇の物語を描いたゲームなのである。だから本作をプレイしてしまうと誰もがピサロというキャラクターになんらかの感情移入をしてしまうし、多くのプレイヤーは彼が嫌いにはなれないのである。劇中で最も懸命の努力をしているのは間違いなく彼なのだから。

 『DQⅣ』とは、この「努力が報われない魔族側の悲劇」とでも呼べるであろう物語を描くことを通して、過去作においてはただただ人間側を脅かす脅威としてのみ存在していた「魔王」の相対化を行っている。「魔王」とは世界に脅威をもたらす絶対的な「悪」とはこの時点で言い切れなくなってしまっているのだ。

 天空三作品における「魔王と勇者の解体と再構築」はこれだけではない。続く5作目『ドラゴンクエストⅤ 天空の花嫁』では主人公は勇者ではなくなり、勇者の親になることで、いくら勇者だからって年端もいかない子どもを戦闘の最前線に駆り出すのってどうなのっていう勇者の保護者目線が体験出来てしまうし、さらに『ドラゴンクエストⅥ 幻の大地』においては、ついに勇者は誰でも転職可能な職業のひとつになってしまう。魔王もまた複数の魔王が存在するという「勇者と魔王」の絶対性、唯一無二性が失われた世界が描かれる。

『ドラゴンクエストV 天空の花嫁』
(画像:編集部撮影)
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(画像:編集部撮影)

 そしてこれら天空三作品が本当にすごいなと私が思うのは、このようなかつて確立した「勇者と魔王の物語」をこれまでとは異なる視点、異なる価値観で描くことで従来とは大きく変わった印象を受けるような根本的な変更を加えながら、ゲームの遊び味自体はずっと変わらず『ドラゴンクエスト』の味を維持し続けた点にある。これまで通り、序盤でやくそうやどくけしそうを買って、スライムと戦い、お金を貯めて買った武器(はがねのつるぎだったりブーメランだったり)を装備して強くなった自分に心躍らせるというゲーム体験部分は変わらない味をキープし、基本的には魔王に相当するであろうラスボスを倒すことを目標に冒険を続けるという基本構造を維持しながら、そこから受ける印象や感触は大きく異なったものになるように手を加えるというあまりに洗練された鮮やかな手腕がそこにはある。

 なぜ『ドラゴンクエスト』はそのような保守性と革新性を両立させるかのような離れ業をやってのけられるのだろう。それは堀井雄二という人が高度な批評性を持っている人だからではないかと私は考えている。批評というものは昨今のネットではとかく嫌われがちなものだが、『ウィザードリィ』や『ウルティマ』の良いとこどりをするためには、それらの悪いところもまた適切に認識する必要がある。そして、かつての自分が成し遂げた成果を解体し、再構築するために必要なのもそれらを丁寧かつ冷徹に腑分けできる批評眼が絶対に必要だ。彼が「ファミコン神拳」という連載をしていたのは、たまたま『ドラゴンクエスト』を作った人がゲームの記事を書いていたということではなく、当時もっとも競争の激しかった「週刊少年ジャンプ」誌上でも高い人気を獲得出来てしまうほどの筆力と確かな批評眼を持ったライターだったからこそ、『ドラゴンクエスト』が作れたのである。

 天空三作品が発売されて以降、『ドラゴンクエスト』シリーズの本編作品は新作が発売される間隔がかなり大きく空くようになった。なぜ『ドラゴンクエスト』の本編作品はなかなか発売されないようになったのだろう。それは、ここまで述べてきたように、基本のシステムや遊び味に大きく変更を加えず、だがそこで描かれる主題や描き方は作品ごとに大きく変化を加える『ドラゴンクエスト』というゲームは我々が想定する以上に作るのが大変なのではないだろうか。

 どちらかと言えば初期三部作や天空三作品が比較的ハイペースでリリースされたことのほうが奇跡的なことであり、我々にとっては幸福なことだったのだと思う。

『ドラゴンクエスト』に学びたい

 『ドラゴンクエスト』というIPが誕生し、36年という長きにわたって多くのユーザーを楽しませ、愛され続けてきたということは本当に素晴らしいことだ。まだまだ生まれて間もないゲームというジャンルにも厚みのある歴史が醸成されようとしている事実をしみじみと実感させられる。

 常に変わらない遊び味でありながら、根底の部分においては常に新しいチャレンジを行い、結果的には常に新鮮なゲーム体験を提供してきたこのシリーズは今後もその姿勢を変えることはないだろうし、その高い志を失わない限りこれからも高い人気を維持し続けることだろう。私もひとりのゲーマーとして今後もナンバリングの新作や派生タイトルの発売を楽しみにしようと思う。

 しかし、一応ゲームの作り手の端くれでもある私はこのようなことも思う。『ドラゴンクエスト』がその立ち上げにおいて、あまりに巧みにジャンプや他のメディアを越境しながら、まだまだ馴染みの薄かったゲームジャンルであるRPGを国民的なヒット作にまで育てあげたように、新しい時代の『ドラゴンクエスト』は生まれないのだろうかと。

 今回、改めて自分の個人的な記憶から『ドラゴンクエスト』の成り立ちを振り返ってみたのは、このゲームが如何に巧みにメディアとしてふるまい、何も知らない田舎の子どもを見事に夢中にさせたのかを改めて考えてみたかったからである。大人の企みにまんまと踊らされたと言えば全くその通りなのだが、本当に得難く貴重な体験を幼少期にさせてもらったことには感謝の気持ちしかない。作り手としてはまだまだ足元にも及ばないものの私なりの『ドラゴンクエスト』を作れるように今後も頑張ろうと思うばかりである。

 あらためて『ドラゴンクエスト』シリーズ36周年おめでとうございます。

 

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ライター
某ゲーム会社勤務のゲーム開発者。ブログ、「枯れた知識の水平思考」「色々水平思考」の執筆者。 ゲームというメディアにしかなしえない「面白さ」について日々考えてます。
Twitter:@hamatsu

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