見ていて辛過ぎるから、もう見たくない。
それなのに……
先が気になって仕方ない!
例年を超える猛暑が続く令和5年の夏。とんでもないアニメが現れた。
タイトルは「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」。
たった今、9話の視聴を終え、半ば放心状態になっている。
アニメを見ていて、ここまで共感できる辛さは過去にどれだけあっただろうか。
特に後半パートの残り数分で起こった伏線回収は、特に辛過ぎる。「マジか…」とこぼす以外何も浮かばなかった。
本当に物語を通じて、グサグサと刺してくるものだから本当にキツい。
こんな時間にこんな気持ちにさせないでくれ…という感情をどこかにぶつけるべく、急遽筆を取った。
この作品、とにかく鬱い。話が暗くて重い。
タイトルにキラキラしているイメージのある「バンドリ!」冠を持ちながら、1話から9話まで幸せで明るい雰囲気などほぼなし。ドロドロの話のみが展開され続けている。
ギスギス、ドロドロした雰囲気。そこで描かれるのは、キャラクターの「痛み」だ。
中でも、筆者が一番共感(というか、心えぐられる)するのが、千早愛音(ちはや あのん)というキャラクターである。
「明るく振る舞っているが、自分のことしか考えず、努力も極力したくない」そんな現代人のメタファーを詰め込んだような、この千早の立ち振る舞いを見ているとこんな気持ちを抱いてしまった。
逃げること、環境を変えることは本当に正しい選択なのだろうか。
自己顕示欲の塊のような自分とどう向き合っていけばいいのか。
そうした自分の中にあった悩みや課題感を突きつけられる。
それが、「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」を見ていて、最初に心に引っかかった点だった。
また、同作には物語を動かす上での分かりやすい「逆境」が存在しない。
登場人物たちのバラバラの感情とこれから向かう道すら見えず、もがき続ける苦悩の描写が描かれ続けている。
見ていると、自分の欠けている何かを突きつけられるような感覚にすらなる。
しかし、不思議とそんな物語に惹き込まれてしまう。これからどうなるのかとヒヤヒヤしながら、視聴を止められない。
繊細かつ丁寧に描かれるキャラクターの心理描写。共感性のある苦悩。そして、現代の人間関係や生き方に訴えかけてくるメッセージ性。
その全てのクオリティが高く、筆舌しがたいほどの魅力に溢れている。
本稿では、そんな「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」を視聴していて感じたコミュニケーションの描き方と、千早愛音の生き方について感じたことを、僕のフィルターを通して綴ってみた。
未視聴の方のために物語冒頭を除く具体的なネタバレは避けて執筆したので、安心して読み進めて欲しい。
文/川野優希
私は……バンド、楽しいって思ったこと一度もない
まずは、YouTubeで公開されている第一話の冒頭映像を見て欲しい。
じめじめとした嫌な雨。映像も彩度が低く、暗い雰囲気。明らかに壊れかけの人間関係が描かれている。
「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」の冒頭は、「バンドを辞めたい」と申し出るメンバーが、ずぶ濡れの状態で現れるところからはじまる。
状況を確認しつつ、引き止めようとする者。その発言に反抗する者。状況を受け止められない者がいる中で、ギターの女の子がこんな言葉をこぼす。
「私は……バンド、楽しいって思ったこと一度もない」
「バンドを抜けたい」という言葉以上にこの言葉もキツい。
学生によるバンド活動は学業でも部活でも、バイトでもない。「バンド」という言葉や「音楽」の引力に惹かれて、自然と集まったメンバーには、これまでの友だちや知り合いともちょっと違う人間関係が生まれる。
ある意味で、特別な存在になる。
そんな特別な仲間から「一度も楽しいと思ったことがない」と言われたとするならば、言葉に詰まる。かなり心にグサッと来る。
特別な関係。信頼している人からこんな「これまでの時間」を否定されるような事を言われたら……。これはもう学生という立場を超えて、大人になったとしても、心が大きく傷つく。
他人やある程度距離を置いている人じゃない。大切である程度の時間を共有していたことが想像される仲間から「ネガティブな意味で、本当はこう思っていた」と言われる時ほど堪えるものはない。相当心が沈むのは間違いない。
こんな超絶鬱展開から物語が始まるのが、「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」なのだ。
フィクションの世界では、とりわけ優しい世界が描かれることが多い。
仲間と共に課題を乗り越えたり、協力し合ったり。壁にぶつかるたびに、物事がいい方向に進んでいく。
現実はそんなに甘くはない。
ただ、フィクションくらいはそんな世界観に浸りたくなるのが、人の性であり、そのためにエンターテインメントは存在すると言ってもいい。
そうしたフィクションにも関わらず、「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」は現実よりもリアルに人間関係の複雑さを描く。
こんなに物事って上手く運ばないのか、と。
メンバーそれぞれが悩みや課題を抱えていて、それをバンドを通じて解決していく。そんな物語なのは間違いない(はず)なのだが、とにかくバンドメンバーの人間関係が上手くいかない。
例えるのであれば、日本の昼ドラや韓流ドラマに近いイメージ。
ドロドロした物語は沢山あるが、ここまでドロドロしてて、明るい話がほぼ無い作品は久しぶりに見た。苦労してばかり。それなのに、惹き込まれてしまうのはなぜなのか。
僕は、これまで色々なエンタメ作品を見てきた中で、人が人の興味を引き付ける重要な要素の一つが「誰かの苦労」であると思っている。
そのため、いわゆる王道的なサクセスストーリーでも、第一話で主人公の苦労や挫折などが描かれることが多い。
だが、「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」はそれとは異なる角度で感情をぶつけてくる。
主人公は5人+α、主役は1人
本作の主役はボーカルの高松燈(たかまつともり)。だが、主人公はバンドメンバーの5人(あるいはもう一人)。
前述した通り、以前のバンドが解散した少し後から物語はスタートする。
新バンドの結成や初ライブ。いわゆる定番のストーリーが展開されていくわけだが、その中身がこれまでの作品と一線を画す。
本作の醍醐味は、物語の進行に応じて、視点が移り変わり、時間軸を遡り、印象的なシーンの裏側が描かれ続ける点にある。
あの時、このキャラクターはどんな気持ちだったのか。それが幾多の視点が描かれ続けるのである。また、ストーリーが進むに連れて心情が分かった後で見直すと、確かに目が笑ってないように見えるなど、ニクい演出が連発されている。
これが本当に面白い。
視点を変えて、繰り返し、繰り返し描くことで浮き上がってくるのは人と人の間にある見えない感情だ。
また、バンドメンバーのコミュニケーションも感慨深い。
そもそも人は1人ひとり違う価値観を持って生きている。生きているが、ここまでバラバラなのも珍しい。
5人の特徴はこんな感じ。
・普段は全く自己主張しない
・そもそも全く話を聞かない
・自分が目立つことしか考えてない
・まとめ役のようで、自分のことしか考えていない
・常に喧嘩腰で対人関係を、全て決めつけから入る
そんなメンバーが集まったものだから当然、会話が上手く噛み合わないケースの方が多い(序盤なんて返事が舌打ちだったこともある)。バンド内で何かを決める時ですら、ほぼ進まない。
前述した通り、学生による学校の垣根を超えたバンド活動は学業でも部活でも、バイトでもない。そのため、価値観や思想が全く異なることは不思議ではなかったりする。
実際はすれ違って、当たり前なのだ。
また、ちょっとメタな視点で見てみると、100%とはいかないまでも、自分に当てはまる要素を持ったメンバーが必ずいると思う。
ディスコミュニケーションの在り方として、「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」を見てみると、学ぶことが多分に出てくる。そんな人のネガティブな部分に寄り添ってくるのが本作の特徴なのだ。
ここからは登場人物の一人をフォーカスしてみたい。
「明るく振る舞っているが、自分のことしか考えず、努力も極力したくない」そんな現代人のメタファーを詰め込んだようなキャラクター・千早愛音(ちはや あのん)である。
コミュ強であり、自己顕示欲の塊。一方で、努力嫌い。現代人のメタファーを詰め込んだようなキャラ・千早愛音
公式ホームページを見ると、千早愛音はこう説明されている。
羽丘女子学園の高校1年生。成績優秀でコミュ力と行動力があり、中学時代はクラスの人気者で、生徒会長も務めていた。ミーハーな性格で流行っているものに手を出しがち。
作品を見ていると、確かに行動力はあり、コミュニケーション能力も高い。
ただ、本編を見ていると彼女に対する印象は大きく変わってくる。
とにかく自分のことを中心に考えている。いや、明らかに自分のことしか考えていない。
そして、見ていて感じることなのだが、とにかく軽い。苦労に対する免疫がない。面倒くさいことからは極力逃げて、楽な方、自分が得意なところで勝負しようとする。
必要以上の努力をするのであれば、環境を変えてしまう。リセットしてやり直せばいいと思っている。
さらに自己顕示欲もヤバい。演奏以外のところ(バンド名や立ち位置)で、とにかく主張し続ける。ほぼギターを弾けないのに、ギター&ボーカルは自分だと言い張る。
目立ちたがりなのに、実力不足。それなのに練習嫌い。これが、千早愛音に抱いた僕の最初の印象だ。
確かにこう並べてみると、どうしようもない人物に映る。
だが、僕は彼女に痛いほど共感してしまった。
耳と目が痛い。心にズッシリくる。
その生き方が分かる…と自分ごとのように納得してしまう。
筆者の話になってしまい恐縮だが、ちょっと昔話をさせて欲しい。
僕はこれまで数え切れないほど環境を変えてきた。
社会に出てから、転職回数は7回。フリーになってからメインのクライアントも数社変わっている。
そんなキャリアの自分だからか、非常に千早愛音のキャラクター性がブッ刺さってしまった。
ここは頑張って踏ん張るところ。ここはもう環境を変えてしまった方がいいと思うところ。
そんな見えない線が自分の中にあるのだ。
恐らく一般よりも頑張る、踏ん張る、耐えるボーダーラインが低めに設定されていると思う。
この見えない線を超えてしまったと感じる要因の一つに人間関係がある。
正確には、自分の主観なので、本当のところどうなのかは分からない。
ただ、「自分が必要とされていない」。
そう感じてしまうと、スッと自分の中で何かが消える感覚があるのだ。
声にならない声で「あぁ…」と呟いてしまう。
「もう俺、必要ないんでしょ?」と思ってしまう。
この場に居なくてもいいや。次の環境でまた上手いことやろう、と頭を切り替える。
この価値観が生まれたキッカケは、学生時代に受けたイジメが原因で当時通っていた学校を転校したことだろう。
イジメに立ち向かい、解決の道を探るのではなく、環境を変えることで解決を目指した。そして、それに成功した。
辛くて、耐えられないことがあれば、環境を変えてしまえばいい。
実際、この方法は有用で、助かった側面も多分にある。ただ、環境を変えたら変えたで、また別の悩みが存在することも知ってしまった。
一方で、マイナスの環境よりも、ゼロの環境から作り直した方が全然楽なことを知ってしまった。
ゼロからなりたい自分を取り繕うことで、環境を変えることで、成功する体験を覚えてしまった。
その結果、大人になっても想定以上の何かが起こった時は、自分からその組織や人から離れたり、距離を置く癖がついてしまった。
勿論、逃げること、環境を変えることが悪いことだとは思っていない。
ただ、一つの環境で何かに打ち込んだり、踏ん張っている人を見るとどうしようもない気持ちになる時がある。端的に言って、うらやましく思う。
自分は何て弱いんだ、と。
なんで、もっと強くなれないのか、と。
自己顕示欲の塊なのだが、根っこのところで自分に自信がないのも、きっとそういう部分に理由があるような気がする。
被害者意識が抜けない影響で、常に他人から認められたいと思ってしまう。
また、どこかでなりたい自分を演じているところがあり、芝居がかっているせいか、距離感調整が上手くできないのだ。
──と、少し自分語りが長くなってしまったが、こうした経験があったこともあって、千早愛音のキャラや生き方がブッ刺さってしまったのだ。
本作は、そんな自分にある種の納得感を与えてくれた。
作中にこんなセリフがあった。
「行き止まりになっても、ちゃんと道を探して、進もうとしている」
環境を変えること。
それは、前に進もうとしているということ。
この言葉はずっと僕の中にあったトゲを抜いてくれた気がする。
学歴もない、職務経歴書も綺麗じゃない。それでもいいんだって。
僕の場合は千早愛音だったが、あなたが「BanG Dream! It’s MyGO!!!!!」を見た時にも強く共感するキャラクターが居るはずだ。
そう感じさせるリアルさが本作にはある。