著作権を取り巻く、同人誌と商業誌の関係性
三者(主に鳥嶋氏と筆谷氏の二者)一歩も譲らないトークバトルが繰り広げられるなか、あっという間に30分が経過。ここで、第2試合目のトークテーマへ。
商業媒体の増加や、同人誌発表の場の広がりなど時代の移り変わりにより生じた「同人作家とプロ漫画家の境界線の消失」だ。本題へ入る前に、まず霜月氏から「二次創作同人誌の著作権に対する出版社の対応」というジャブが放たれた。
霜月:
自分たちがコミケを始めたのは、商業誌とは違う世界をつくりたかったから。それがいつの間にか商業誌の人気作品のキャラクターを使って、自分たちが好きに描き変えてしまう二次創作が出てきた。それが一部だったから良かったのが、だんだん主流となって数が増えていく。そうして同人誌でしか読めない作品がどんどん減っていったこともあって、僕はコミックマーケットの代表を離れました。離れた後にいろいろ話を聞いてみると「今、コミケの二次創作がすごい」と。その時、もうライターとして商業誌で仕事をしていた自分が思ったのは「著作権はどうなっているんだ」ということでした。
同人即売会という名目であっても、堂々と商業誌のキャラクターを使った作品が流通しているわけですよね。日本ではコミケで二次創作が売られているので、不思議に思う人は少ないかもしれませんが、世界は違います。アメリカはちゃんと著作権があって、例えばアメコミのキャラクターで勝手に同人誌をつくったら大変なことになりますよ。そう考えると、日本の同人誌の著作権は非常に特殊だなという気がしています。出版社は、なぜそういう対応になったのかを、鳥嶋さんに伺ってみたいなと。
鳥嶋:
ここにいらっしゃる方はお分かりだと思いますが、出版社に著作権はありません。著作権を持っているのは、 原作の漫画家です。出版社はそれを委任されている。原稿料を払って雑誌に掲載をする、いわゆる原稿料のバーターです。また、出版権、優先使用権の誓約書を結んで単行本化したり、原作の権利の委託を受けて、アニメ化など二次利用の話が外から出てきた時に出版社が対応したりします。なので、著作権を100%持っているアメリカのマーベルとかとは違い、著作権に対する意識が希薄だったんですね。日本の出版社は「作品を預かっている」という意識なので、二次創作に関しても最初は「好きな人がいるんだね」「面白いことをやっているね」と思っていました。
ところが、だんだんとエッチなポルノ漫画のような二次創作同人誌が出始めると、原作者からのクレームが担当者レベルにも来て、「このまま放っておいていいの」という話が編集部に出ていたのを覚えています。ただ、それに対して何か考えてどうこうすることにはならないんですよね。なぜかというと、日々の作業が忙しくてほかにやることがたくさんあったから。出版社にライツのセクション(権利の管理部署)が立って機能するのはその数十年後、自分がつくっている漫画は消えていくもので運用する考え方は当時なかったんです。
でも、漫画が好きなスタッフが入ってくると、編集部の空気もだんだん変わってくるわけです。僕より年上の人間は「漫画をよく知らない」「読んだことがない」「出版社に入っても文字をやりたい」という使えない人間が漫画編集に配属される。僕を含めてね(笑)。
一同:
ハハハ(笑)。
鳥嶋:
だから、漫画を志望する人間が入ってきた段階で編集部の空気も変わってくるんですね。例えば、僕の後に編集長をバトンタッチした高橋俊昌という『幽☆遊☆白書』『BASTARD!!』『きまぐれオレンジ☆ロード』を担当した人間がいるのですが、彼のマインドはコミケ寄りだったんです。その彼と1回、半日くらい徹底的に「コミケは許容できるか」という議論をしたことがありました。彼の言い分としては、「鳥嶋さん、いろいろあるけれど、僕らの単行本、雑誌を含めて、いろんなものをお金を払って支えている人たちがここにいる人たちなんです。そこをインフラとしてちゃんと考えておかないと。著作権の問題だけで切ってもいいんですか?」と。一方僕は、0から1をつくる作家さんの現場作業の大変さや、二次創作で扱われる漫画がいかにごく一部の作品かをよく知っていた。だから、その苦労に対してイージーに乗っかって作品を出すのはいいのかと。
当時の僕が頭の中でずっと考えていたのは、できれば今のアメリカの出版社のように、許容条件を提示して、売上の一定のパーセンテージを取ること。出版社や作家へプールするようなことができればいいなと思っていましたけど、日々の忙しい流れのなか、社内で表立って動くことはできず、今に至っています。
筆谷:
ワンダーフェスティバル(ガレージキットイベント)では、出展社の方たちが権利を持っている出版社やメーカーへ「このガレージキットをつくっていいですか?」と聞くんですよ。開催ごとに書類を出してもらって、製作許諾の可否を審査する。もちろん版権使用料も払ってくれるので、この取り組みは本当に素晴らしいと思っています。でも、これを同人誌でやるとなるととんでもないことになるんですよ。8月の夏コミの場合、3月くらいに出展作品を全部決めなくちゃいけない。全部OKというわけにはいかないので、原作は全年齢なのにエッチになってしまった二次創作はたぶん全部ダメです。
それで、面白い同人誌は出るのかと。それなら、親や先生の目を盗んでの楽しみの方がいいかなと思っています。あと、僕は商業誌のある作品のアンソロジーをすべてOKにしたことがあるんですよ。そうすると本業に影響が出るんですよね。毎日、FAXで送られてくるプロット、ネーム、下絵、原稿、全部のチェックをやる。朝、出社すると50枚、100枚、200枚と毎日積まれているんですよ。これを毎日チェックするのはすごく大変でした。アニメになっている作品なら、アニメのプロデューサーも巻き込まれ……仕事を受けたからには全部やらなくちゃいけない。編集のルーチン仕事があるなかで、これはキツイと思いました。だからといって、「無許可でやっていいよ」とは言えないようなグレーゾーンがあるんですよね。
ジャンプだと、『キャプ翼』の時代からいいも悪いも含めてたくさんのアンソロジーが出ていたはず。それは鳥嶋さんがいた時代だと思うのですが、どんなふうに感じていましたか?
鳥嶋:
「あるな……」くらいですね。近所の書泉に同人誌コーナーができた時は「困ったな」と思いましたけど(笑)。
筆谷:
(笑)。神保町の書泉にも同人誌のコーナーがありましたからね。
鳥嶋:
ただ、こういう言い方をすると議論が終わってしまうのですが……慣れてきましたよね。
一同:
あはははは(笑)。
筆谷:
「慣れてくる」でいいと思うんですよね。
鳥嶋:
「そこにそういう形である」ということでいいのかなと。ただ、たしか任天堂の二次創作同人誌が警察沙汰になったでしょ。それには衝撃を受けました。さすがだなと。
筆谷:
(会場の皆さん)詳しくは調べてみてください(苦笑)。
鳥嶋:
この件は、任天堂の覚悟と企業のあり方だと感じました。そのニュースのしばらく前に、堀井さんと『ドラクエ』プロデューサーの千田(幸信)さんに頼んで、「ディスクシステムの取材をさせてほしい」と任天堂に言った途端に、広報の方から「ジャンプの『ファミコン神拳』のようなものを今後取り締まろうと思っている」と言われたことがあって。そこで任天堂の企業体から(著作権に対する覚悟を)感じていたので、「さすが任天堂。同人誌も同じ対象なんだ」とニュースを見て感じました。
筆谷:
商業アンソロジーは商業流通なので日本中の本屋さんに売られるんですよ。それが同人誌の世界をを知る入り口になった。それは否めない事実だと思うんですよ。『キャプ翼』あたりからスタートして、東京、大阪、福岡、名古屋あたりは二次創作を含めた大きな同人即売会があったんですけど、それ以外のところにも、『(聖闘士)星矢』のアンソロとかが書店にあるんですよね。車田正美のジャンプコミックスじゃない、しかも女性も読みやすい『星矢』が。アンソロジーの後ろのページには通信販売のコーナーがあって、たくさんの本(アンソロジー)がある。これを申し込んで同人誌の世界を知っていくのが、80年代〜90年代頭の大きな流れじゃないかな。そこから生まれた同人誌の描き手やプロの商業作家になった人がたくさんいるのが事実なんですよ。なので、同人誌と商業誌は一緒に育ってきたところもあると思っています。
霜月:
コミケ第1世代の僕の見方では、同人誌の一次創作が少数派になった段階で「商業誌に負けたな」と。商業誌をさらに盛り上げるための同人誌という流れができてしまった。僕らのような古い世代から見ると、同人誌だけでしか表現できない世界が消失したのはとても悲しかったです。
ただ、二次創作の同人誌を通して、オリジナル作品を描くプロの商業作家がたくさん生まれてもきた。よくよく考えてみると、小学生の時にみんな漫画を描くけれど、それはプロの漫画をマネして描くわけです。いきなりオリジナルを描くような小学生はいない。そういう意味で二次創作を、必ずしも否定するには当たらないなと。時代と共に世代そのものも変わってくるので、それは時代の流れとして認めざるを得ない。こちらの期待したのとは別の形で、二次創作の同人誌から僕も知らなかった世界が生まれている。肯定とは少し違うけれど、寛容せざるを得ないという感じですね。
お金をもらって仕事をした段階から“プロの漫画家”である
商業誌と同人誌の著作権の関係性について、想像以上にトークが盛り上がるお三方。「アンソロジーや同人誌からプロの商業作家になっていく人がたくさんいる」という筆谷氏の話から、テーマの本題である「同人作家とプロ漫画家の境界線の消失」に突入していく。
筆谷:
ジャンプを含めて商業誌で漫画を描くというのは1を100にするシステムだと思うんですよ。でも、漫画を描く楽しみをジャンプが教えることは難しいのではないかと思っています。その0を1にするのは、漫画好きが集まってサークルをつくったり、中学、高校、大学の漫研に入ったりして仲間をつくるところにある。二次創作でもなんでも、自分のつくった作品に対して分かち合える仲間をつくる。そこから「もっと上手くなろう」「これを仕事にしていきたいな」という人が現れてきた時に、商業誌の扉をたたいてきた人たちを編集者が導いてあげるのが僕の理想かなと。
ただ、このテーマにある「同人作家とプロ漫画家の境界線の消失」がこれまた難しくて。70年代、80年代くらいは、新人賞などの賞を獲って、受賞作の後に連載を持つことを「プロデビュー」と呼んでいた。それが今はかなりボーダレスになってきて、どこがプロなのか分からなくなってきた。ラノベの挿絵やキャラクターデザインを手掛ける、ものすごく有名な名の知れた方々のデビュー作や代表作ってなんだろうと考えた時、すぐに出てこない作家さんが多くなりました。それだけいろんな仕事で漫画的な表現をお金にするルートがたくさん増えてきたこと自体は、すごくいいことだと思います。
齋藤:
読者の方たちの想像するプロ漫画家は商業誌ですけど、お金を得ているという意味ではいろんな方がプロといえるかもしれませんね。とはいえ、プロ漫画家のイメージはやっぱり商業誌なのかなと。
鳥嶋:
それで言うと、漫画が好きで、漫画を描く楽しみを知って、プロを目指す作家が増えるとものすごく困るんですよ。
筆谷:
どの辺で困るんですか?
鳥嶋:
そういう人たちは、読者からお金をもらうことによって生活が成り立っているという意識が腹のなかに落ちていないんですよ。出版社の経済原則に従って、雑誌に載って、読者が払ってくれるお金があって、書店、流通のシステムを含め、印刷所が動いている事実が頭にない。自分が描きたいものが描けなくなり、直しを言われて読者の支持がなくなった時、何が始まるかというと“自己弁護”と“サボり”が始まります。
霜月:
すごく分かります……。
鳥嶋:
結果、編集部員が作家をコントロールできない事例が増え始めるんです。ちゃんと編集者が真んなかに立って、目の前の作家に対してきちんと「NO」を言ったり指導できたりする編集者だけならいいんですけど、感想レベルでしか意見が言えない編集者だと、作家をコントロールできなくなるんです。そうすると、サンデーやマガジンから始まり、チャンピオン、ジャンプと続いた週刊少年漫画誌によって大きくなった市場は、大きな経済効果を生んできたのに、立ち行かなくなり始める。
ここで悪いのは、雑誌で休載作家が増えていくことなんですね。誰かしら毎週描かない作家がいるじゃないですか。読者は、知らないまま好きな漫画が載っていない雑誌を買ったらものすごく怒るわけですよ。
一定レベルの品質のものを毎週ちゃんと届ける義務が、出版社の編集部の編集者にはある。なので、そのなかでプロとして仕事をしてほしいわけですよ。趣味で(漫画を)始めたとしてもね。お金をもらって仕事をした段階でプロなんです。当時からそう思ってます。この意識を作家として持てない人には、去ってほしい。いなくなってほしい。邪魔だから。「漫画を描いて食っていくことは、趣味じゃなくて仕事なんだ」という境目は、自分の担当作家にきちっと伝えてきました。
筆谷:
あえて同人誌側の意見として言うと、商業誌を休んでいる間に同人誌の原稿をやるのはNGだと思います。だけど、毎週毎月ちゃんと描けないのは、同人誌をやっているわけではなく、悩んでいるんですよね。鳥嶋さんのおっしゃる通り、悩んでいることが商業誌の作家としていいのかと思うことはありますけれど、そういう作家さんにも作品で読者に見せたい世界があって、実際にすごい世界をつくっている。そういうのを受け入れる雑誌、編集部、編集者の器の数が今の時代は増えてきた。なので、(それはそれで)いいんじゃないかなと。まあ、このアロハを着ている僕が言うのもなんですけど……(苦笑)。
鳥嶋:
多様性があること自体、僕は否定しません。だけど、「売れるからいい」ですべて済まされると困るんですよね。なんでもそうですけど、商業的なものはシステムのなかで運営されていて、必ずお金がやり取りされるものだと思います。そこに関しては、アンケートのシステムも含めて、原理原則フェアに運用されないといけない。商業誌がつくってきた、一定の品質を読者に届けないといけない。これに関しては、出版社サイドも悪いわけです。
休載の話を出しましたけど、これは本当の意味で編集者が作家に対面していないから起きる。原稿が遅い作家は筆が遅いわけじゃない。漫画を描くスピードはみんな一緒なんです。絵コンテ、話をつくることに迷って、完璧を競おうとするあまり、時間を忘れちゃう。これをちゃんとコントロールして、一緒に作業をしていくのが編集者の役割なんですよ。ところが昨今の編集者は、作家性を尊重するという“編集権の放棄”をやっている人間が多いので、一緒にちゃんとした作品をつくれないんですよ。それを同人誌から始まる作家性のどうこうや漫画を描く楽しみどうこうの話とごっちゃにして流してほしくないと思います。
筆谷:
いやもう……まことに耳が痛い……。おっしゃる通りなんですよね。
一同:
あっはっはっは。
齋藤:
この本(『Dr.マシリト 最強漫画術』)も作家さんに向いているようで、結局は「編集がダメだ」という編集者としての資質を問うている。そんな鳥嶋さんの思いが全部書いてあるので、後で読んでもらって、漫画業界全体を盛り上げてもらえればと思います(笑)。