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今の漫画編集者は“編集権を放棄”している!? 鳥嶋和彦氏×霜月たかなか×筆谷芳行『同人誌 vs 商業誌』白熱のトークバトルから見えてきた漫画業界の過去・現在・未来

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 台風7号が接近する中、見事な真夏日となった2023年8月12日。コミックマーケット100回突破を記念し、『同人誌 vs 商業誌 ~壇上に出会いを求めるのはまちがっているだろうか〜』と題したトークショーが東京ビッグサイトで開催された。

 登壇者は、『週刊少年ジャンプ』の編集者として『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』などを担当し、電ファミの記事にたびたび登場しているDr.マシリトこと鳥嶋和彦氏。そんな鳥嶋氏が最強の漫画術を伝授する書籍『Dr.マシリト 最強漫画術』のライターを担当したコミックマーケット初代代表・霜月たかなか氏。そして、コミックマーケット準備会共同代表にして、現在『ドリフターズ』を担当する漫画編集者・フデタニンこと筆谷芳行氏の3名だ。

今の漫画編集者は“編集権を放棄”している!? 鳥嶋和彦氏×霜月たかなか×筆谷芳行『同人誌 vs 商業誌』白熱のトークバトルから見_001

 商業誌と同人誌の関係性はなかなか根深いものがあるだろう。二次創作による著作権の問題がたびたび話題になる一方で、今や同人誌を描いていたアマチュア漫画家を商業誌を描くプロ漫画家へスカウトする出版社は後を絶たない。

 本トークショーでは、商業誌を代表する鳥嶋氏、同人誌を代表する霜月氏、商業誌と同人誌の中立的な立場である筆谷氏が、それぞれの視点で同人誌と商業誌、さらにはアマチュア漫画家とプロ漫画家の“因縁の関係”について語り尽くした。

 以前、特別講義『Dr.マシリトと語る21世紀のMANGA戦略』では、「コミケにいる人たちはぜんぶダメ」と話していた鳥嶋氏。本トークショーでも同じ話題が飛び出すわけだが、霜月氏、筆谷氏は反撃することができるのか。真夏の暑さに負けないトークバトルがここに開幕━━!

今の漫画編集者は“編集権を放棄”している!? 鳥嶋和彦氏×霜月たかなか×筆谷芳行『同人誌 vs 商業誌』白熱のトークバトルから見_002

文/阿部裕華
編集/TAITAI


「すべて個人の見解で、何かを代表するものではございません」

 東京ビッグサイトのレセプションホール半面で開催された本トークショー。開演時間には、おそらくコミケという戦場で戦いを終えた猛者たちで300を超える席がほとんど埋まっていた。そんななか、最初に登壇したのは某出版社(建前上、いちおう伏せてるらしい?)で『Dr.マシリト 最強漫画術』の編集を担当した齋藤氏。

 注意事項に加え、「本日の内容はすべて個人の見解ですので、何かを代表するものではございません」と強く念を押し、早速会場の笑いを誘った。場の空気が温まったところで、サラッと会場内へ入ってくる鳥嶋氏、霜月氏、筆谷氏に会場から大きな拍手が送られる。

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 ここでまずは登壇者の自己紹介へ。

鳥嶋和彦氏(以下、鳥嶋):
 初めまして。この本(『Dr.マシリト 最強漫画術』)の著者、Dr.マシリトこと鳥嶋和彦です。去年の11月末に47年間のサラリーマン生活を終えまして、今は漫画編集者をフリーでやらせていただいています。ということで、今日は自由に発言したいと思いますので、よろしくお願いします(笑)。

齋藤氏(以下、齋藤):
 (鳥嶋さんの自己紹介の補足)皆さんご存知かと思いますが、ジャンプの編集長を務め、鳥山明先生、桂正和先生、稲田浩司先生らを発掘し、人気漫画家に育て上げた敏腕(?)編集者です。

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霜月たかなか氏(以下、霜月):
 鳥嶋さんが集英社に入社したのが1976年ということですが、奇しくも前年の1975年に日本で初の同人誌即売会「コミックマーケット」を仲間と共に立ち上げ、たまたま初代代表に就任しました。そこから第12回まで代表を務め、その後はフリーライターとしてマンガやアニメ関係の本をつくらせていただいています。『Dr.マシリト 最強漫画術』でもちょっとだけ手伝わせていただきました。今回、ゲストにおふたりをお招きして、いろいろとお話をうかがいつつ、コミケの歴史と重ねて商業誌と同人誌の関係いろいろお話できたらと思っています。よろしくお願いします。

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筆谷芳行氏(以下、筆谷):
 今日、皆さんがいらっしゃっているコミックマーケットの3代目共同代表をやっております、筆谷です。前代表の米澤(嘉博)から代表を引き継いで、市川(孝一)と安田(かほる)と共に、17年……30回ちょいコミケを開催しています。昨今、『黒子のバスケ』事件やコロナ禍などいろんなことがあって、言い方は悪いですけど毎回違うコミケットを楽しみながら繋げていっています。

 今回のトークショーのタイトルが『同人誌 vs 商業誌』ということで、商業誌の代表に鳥嶋さんがいらっしゃって、同人誌の代表にコミケの初代代表と僕が座っていることになっているのですが、僕は体の半分以上が商業誌の人間なので。どっちつかずの意見が出るかもしれませんが、最初に注意があったように個人の見解ということで許してください(笑)。

 鳥嶋さんは僕が読者だった小学生の時から好きなマンガをたくさんつくっていた大先輩でもありますし、恩人でもありますので、プロレスをやっていくにしても、手心を加えて一緒にやっていければいいかなと思います(笑)。

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会場一同:
 (笑)。

筆谷:
 ちなみに、僕が本業の方でずっと担当している平野耕太先生の『ドリフターズ(7巻)』が一昨日(2023年8月10日)発売されました。いろんな書店で1位を取り続けると編集として嬉しいんですよ。今回のコミケでも何を着ていこうかなと考えて、設営日から開催日まで『ドリフターズ』のアロハを着て過ごしていこうと思っています。商業誌も同人誌も、自分の本を読んで動く人がいるのは変わらない。そういう気持ちで漫画の世界を楽しませてもらっております!

 自己紹介に加え、ちゃっかり『ドリフターズ』最新刊の宣伝をした筆谷氏に対抗し、負けじと『Dr.マシリト 最強漫画術』の宣伝をする齋藤氏へ再び会場から笑いが巻き起こるなか、ついに本題へ。

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ジャンプ編集部は、コミケでいち早く作家をスカウトしていた!?

 霜月氏が用意したトークテーマにより、本試合(トークショー)は進んでいくことに。第1試合のテーマは、「プロ漫画家とアマチュア漫画家」

 手始めに、「プロ漫画家を目指す人たち=アマチュア漫画家」という定義から「同人作家=アマチュア漫画家」という定義への移り変わり。それに付随した「コミックマーケット開催の歴史」について、コミックマーケット初代代表の霜月氏から語られた。

霜月:
 戦後、プロになりたくて漫画を描いているアマチュア漫画家が、「お互いに切磋琢磨してプロ漫画家になろうじゃないか」と集まり、日本各地にサークルができたんです。当時は今と違ってインターネットがないので、個々のサークルで創作してプロを目指す世界。その後『COM』『ガロ』など、マイナーだけれど同人の育成に力を入れる雑誌が出てきた。雑誌の最後の方には文通欄があり、どこでどんなサークル活動をしているかという情報が掲載され始めるわけです。雑誌を通して、「自分たち以外にこんな創作サークルがあるんだ」とサークル同士が電話や手紙で連絡を取り合う。そうやってアマチュア漫画家によるサークル活動がだんだんと活発になっていくんですよ。とはいえ、この時点でもサークル活動は「プロ漫画家になるため」が前提でした。

 ところが、1960〜70年代にかけて、プロになるための創作活動とは別に、「プロになるためだけではなく好きで描き続けたっていいじゃないか」という意識が芽生えてくる。その段階で、アマチュア漫画家がいわゆる同人作家というものになります。しかし、同人作家が現れても、同人作品も掲載していた『COM』が休刊してしまった。自己表現として漫画を描く場がなくなるだけでなく、プロ漫画家を目指して出版社に漫画を持って行っても編集者に認められない人が、漫画を発表する機会も消えてしまう人もいます。僕らとしては、「商業誌に載る前に消えていった漫画を読みたい」という意識もありました。そこで、漫画の評論をする同人サークルをつくった時に、「『COM』に代わり、自己表現として漫画を描く人たちの交流の場」として、1975年にコミックマーケットを始めました。第1回目の参加者は700人ほど。すごく小規模な開催でした。そこから、「自分も漫画を描いてみよう」という人たちが増え、大規模になっていきます。

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 コミックマーケットの規模が拡大していく一方で、出版社と同人即売会の関係性はどんなものだったのだろうか。霜月氏曰く「出版社にとってコミックマーケットは目にも入らないくらいの扱いだった」という。そんな関係性が一変したのは、1980年半ば。知る人ぞ知る、『キャプテン翼』の二次創作ブームだ。二次創作の同人誌が即売会のメインになってきた時、著作権の関係から当然出版社は同人誌へ目を向けざるを得なくなる。

 「(商業誌が同人誌に対して)良い印象を抱いていたわけではありませんが、そこで関わりが生まれて現在に至るわけです」と霜月氏。ということで、ここから試合がスタート。霜月氏は鳥嶋氏へ「商業誌はどういう風に同人誌を見ていたのか」というパンチを繰り出した。

霜月:
 商業誌の代表格である『週刊少年ジャンプ』の鳥嶋さんは、昔から同人誌をどう見ていたのかをうかがいたくて、今回ゲストにお招きしました。1980年代に『週刊少年ジャンプ』では先駆けて、同人誌を特集したことも含めて、最初の議論とさせてください。

鳥嶋:
 僕は会社に入るまでほとんど漫画を読んだことはなくて、週刊少年ジャンプの存在すら知らずに編集部へ配属された人間です。なので、漫画を知らない人が同人誌を知っているはずがない。ただ、ジャンプ編集部のなかには早稲田の漫研出身の人が数名いて、そういう人たちは縦の繋がりで同人誌のことを知っていたみたいです。ただ、当時のジャンプ編集部の雰囲気はものすごく悪かったんですね(笑)。体育会系で、漫研から来ている人のことを「あ、漫研ね。彼らはちゃんと本を読んできているの?」という感じで、大事にしている人はいなくて。だから、同人誌のイメージも決していいものではなかった。

 また、『COM』や『ガロ』に関しても、僕は「手塚治虫さんの『火の鳥』が載っている『COM』」という認識しかなく。時々雑誌を見て、読者欄に「同人誌やっています」「交流しましょう」というコメントがあったことは記憶に残ってはいるのですが、ちゃんと覚えていないんですよね。

 そんななか、堀井雄二さんと知り合い、世のなかの面白そうな事象を読者に情報として届けるために、いろんなところへ取材をしに行くようになりました。例えば、「シーラカンスを食べよう」とかね。その一環で、「コミケには漫画に詳しい人たちがたくさん集まっている」という情報が入ってきたので、取材をしました(注:1983年9月19日号)。

 その後、『キャプテン翼』の二次創作がたくさん出始めたと。当時、ジャンプアニメを劇場で試写会して読者に見せるイベントがあったのですが、そこで衝撃的な体験をしまして。アニメ『キャプテン翼』の上映会を見に来た人が、一人ひとりのキャラクターに声をかけると。今ではそういう上映会がたくさんありますが、その時は衝撃を受けました。「これはすごいよ」という話を聞いて興味半分に会場へ行ったら、アニメの主人公……翼くんに声をかけるのは分かるけど、翼くんより岬くんやほかのキャラクターに声をかけている。そして、上映会に参加していたのは、9割女性ファンだったんです。こういう現象に詳しい人から話を聞くと、「鳥嶋さん、それはショタコンというんですよ」と。ショタコンというのは、僕が数少ない知っている漫画『鉄人28号』の正太郎くんから来ている“正太郎コンプレックス”だと知りました。そこで、短パンを履いている少年を女性は好きなんだと(笑)。

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一同:
 あははは(笑)。

齋藤:
 ざっくりした表現ですね(笑)。

鳥嶋:
 堀井さんは漫研出身で、漫画原作もやっていて、コミケに興味があるというので取材に行きました。ちょうど米澤嘉博さんが担当で非常に親切にしていただきまして、コミケの歴史をちゃんと取材したんですよ。歴代の保存しているコミケに出展された見本誌を見たり、前日の設営も取材をしたり。当日の朝は待機列から見て回りました。ジャンプではあまり地味な誌面構成をするわけにはいかないので、たしかカメラマンを2名手配して、『うる星やつら』のラムちゃんや『キャッツアイ』のコスプレをたくさん撮りました。カメラマンの趣味で露出度の高い写真が多く、少年誌なので使えなかったのですが(笑)。

 1970年代後半に、『月刊OUT』というアニメーションのいろんなパロディを扱って面白がる商業誌が始まり、読者ページを担当していたさくまあきらさんと知り合いました。それがジャンプの漫画家以外の人、堀井さんや土井孝幸さんを含めた“OUT人脈”のもとになったんですけども、ちょうどそういう流れのなかでコミケの取材をしたんです。

 米澤さんに悪かったのは、米澤さんに頼まれてジャンプの広告をコミケのカタログに載せたんですよね。そしたら、米澤さんは「商業誌に魂を売った」と相当非難をされまして。悪かったなと思ったことを非常に覚えています。そういうことがあって、しばらくコミケからは遠ざかっていました。

筆谷:
 その頃は、本が置いてあるサークルスペースを歩かれたと思うのですが、「プロとして声をかけてみたいな」「うち(ジャンプ)に持ってきて一緒にやってみたいな」というサークルの書き手さんは見つけましたか?

鳥嶋:
 実は見つけました。僕の名刺を配りまくりました。

一同:
 へえ……!

鳥嶋:
 誌面でも同人誌を読者にプレゼントするので、取材をしつつ40〜50冊はいろんな同人誌を選んで買いました。そこから(商業)作家さんの可能性があると思った人、3人くらいに声をかけまして。実は3人と打ち合わせを始めました。それなりに描ける人を選んで打ち合わせをしたのですが、大変申し訳ないけど全くダメでした。同人で上手い人は自分なりのプライド、「自分を持ちながら伝えたい、描きたい」という気持ちはあるのですが、商業誌は一人でも多くの人に届けることが前提です。なので、持ってきた作品は基本的に直しをしないとジャンプへは載りません。

 特にジャンプは、サンデー、マガジンと比べると読者の年齢層が低いので「小中学生にストレートに伝わるものではないとマズい」という思いを編集者として持っていたんです。加えて、僕のキャラクターもあり、厳しくダメ出しをするので、上手くコミュニケーションができなくて。“(同人作家=)直しができない人たち”というイメージが残っています。今ならもうちょっと賢く付き合えるとは思うのですが(笑)。後から振り返って、ちょうどその頃に高橋留美子さんの持ち込みを見逃しているので、今となってはある種の作家特性との相性の問題かなと思っていますけどね。

齋藤:
 すごいですね。今のジャンプよりもコミケとジャンプが近かったのかも。鳥嶋さんだけが近かったのかもしれないですが(笑)、そんな時代があったんですね。

鳥嶋:
 コミケの取材に行って面白かったのは、ジャンプって読者が編集部に見学に来れるんですよね。見学に来た読者を新入社員が案内して、原稿を見せていたんですね。読者獲得のためであり、生の読者を知るための一つの場として使っていました。そういう意味で、普段ジャンプへ見学に来ている読者とは違う、もうちょっと大人、もっと幅の広い人たちが、コミケの会場で自分たちなりの活動をしていた。(読者にも)いろんなバリエーションがあって、非常に面白かったですね。

 また、商業誌は一人でも多くの人に届けるという仕事の意識を持ってやっていたのですが、コミケは「たった一人でもいいから自分の思っていることを伝えたい」「遊びの延長で漫画を描いたから見てくれる人、反応してくれる人がほしい」、そんな場なんだなと思いました。

霜月:
 まさしくそのとおりで、読者の最大多数に受ける作品だけという商業誌に対して、漫画には非常に幅広い表現領域があり、同人誌のようにたったひとりの読者のための作品もある。1から100まで全部自分の描きたいように描いた、知らない人が読んだらイタズラ描きにしか見えない作品でも、「これが俺の描きたい全部なんだ!」というものを形にして見てもらう。 多くの人たちには無視されるかもしれないけど、一人でも読者がいればコミュニケーションとしては成立するのではないかと思ったんです。商業誌とは対極のところからスタートしようというのが、自分たちがコミケを始めた動機でした。

 そういう意味でも、当時は商業誌を意識するしない以前に、カッコつけて言うならば(商業誌は)眼中になかったと。自分たちの読みたい、描きたいものを表現して、読ませてもらって、お互いに交流する場を作ろうと始まっているわけなので。

筆谷:
 僕は昭和63年(1988年)から商業誌で編集者を始めているのですが、即売会の会場でプロの漫画編集者がサークルの方に声をかけるのって僕としては嫌なんですよ。もしそれでプロ漫画家になってしまったら、その人の面白い同人誌が読めなくなるじゃないですか(笑)。

一同:
 (笑)。

筆谷:
 商業誌で読めるに越したことはないですけど、同人誌で描いていた漫画と商業誌で描く漫画ってたぶん違うんですよね。簡単に言うと、キャラクターの商業誌とその人の世界観がどっぷり入っている同人誌は違うので。僕は同人誌の描き手さんが好きなので、その人の本が減ってしまう、もしくはサークル参加しなくなっちゃうのがすごく嫌です。

 また、晴海で開催していたころ、「縁がある漫画編集者が声をかけてきている」と聞いた時は、「声をかけてプロへ引っ張るなら、最後まで責任を持って育ててもらいたい」と思っていました。でも、即売会で同人作家さんをスカウトする編集者にはいるんですよ…「あいつらすぐに逃げるんだよね」「夏と冬の同人誌の原稿の〆切があると、そっちを優先しちゃうんだよ」と言って育てない人が。しまいには「代わりはいくらでもいる」「ダメなら次のやつに声をかければいいや」と言うんですよ。その言葉がものすごく残っています。もちろん、作家さんやサークルさんからすると、プロの漫画編集者から声をかけられたら「目をかけてもらえて嬉しい」と。だけど、編集者から見ると「代わりはいくらでもいる」と。

 たぶん、今日のコミケ会場で何十人、何百人と漫画編集者が名刺を配っていると思います。特に最近は電子書籍系の編集者さんがたくさん名刺を配っていて、本当にこの人の同人誌を読んでいるのか、好きなのかと。「分からなくても売れているから、たくさん連絡先が交換できれば、それだけチャンスが広がるだろう。それでいいや」と思っている商業誌の編集者がいると僕は思います。鳥嶋さんの本(『Dr.マシリト 最強漫画術』)にも書いてありますけど、「漫画編集者は信頼できる仲間(作家さん)と一蓮托生、一心同体になれ」と。でも、そこまでいかない編集者も結構いるんですよ。

 僕は、同人誌と商業誌のハイブリッドで来ちゃっているので、同人誌を中心に活動する作家の気持ちが分かるんですよね。アニメや漫画で育った漫画ファンの編集者が21世紀になってから増えてきて、そういう編集者たちがサークルの描き手さんと一緒に夢を見ていければいいだろうと思うのですが、どうですかね。

鳥嶋:
 最後まで責任をもって面倒を見ない、イージーな編集者の一人でした(笑)。だから、「こういう人たちとは合わないんだな」と思い、二度とスカウトはしなかったです。僕は、「漫画で飯を食っていきたい」と思っている人だけと付き合うようになって、最後まで責任をもってマンツーマンでやると切り替えていきました。そこは早く反省してよかったと思います。

 商業誌と同人誌の話に戻ると、同時期に漫画誌全体でウケる漫画、ヒットする漫画、読者が反応する漫画が、ある時期から変わり始めるんですよね。僕が時代の流れを感じたのは、チャンピオンの『マカロニほうれん荘』とジャンプの『すすめ!!パイレーツ』というギャグ漫画。商業誌でパロディを扱う漫画が出てきて、非常に反響が高いと知った。僕自身も読んでみたら面白かったんですよね。

 なので、鳥山さんが『ドクタースランプ』を描いてきた時に、連載できるんじゃないかと思った。商業誌もある部分では閉じていたけど、読者の思考の流れによって、何がウケるか、反響があるかが変わり始めた時期はその辺にあるんじゃないかと思います。

筆谷:
 そうですね。70年代~80年代頭の少年漫画誌は「ジャンプ」「マガジン」「サンデー」「チャンピオン」「キング」。80年代手前あたりでは、「ヤングジャンプ」「ヤングマガジン」「ビッグコミック」系があったけど、漫画雑誌自体そんなになかったんですよ。

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 それがだんだんと「アフタヌーン」とか増えてきた。漫画・アニメファンが中心になっている読者が多い漫画雑誌「ヤングキングアワーズ」「ビーム」「IKKI」など、いろんな作家さんを吸収できるだけの商業誌のパイが広がった。そういうところから、稀にメジャーな大ヒット作品が生まれる。

 でも、100万人の読者は掴めないけれど5000人、1万人、3万人の熱い読者を掴める作品がどんどん出てきて、そういうところに同人誌で活動している作家さんが1歩踏み出して、より多くの読者をつかむ作品を作って広げてきました。メジャーが正しいのは商業誌で絶対的なものですけど、マイナーも正しいと僕はずっと思っています。

鳥嶋:
 ちょうどその頃、「ぱふ」とかで漫画に関する評論、ある程度詳しい読者のコメントが集まっていましたね。自分がジャンプで担当している漫画、新人の読み切りなのに読んでくれている事例が出たり。あるいは「ファンロード」のように作品の応援イラストが載るような雑誌があったりして。ジャンプは読者の存在を、ハガキのアンケートデータで数字を含めて見ていましたけど、(「ぱふ」「ファンロード」など)商業誌的な雑誌で個人の意見や評論的なもの、応援のメッセージが載ったのを見て、編集部員として「これは時代なんだな」と感じましたね。

筆谷:
 ジャンプのアンケート至上主義、僕も間違ってはいないと思うんです。ひとつは“作り手の目線を広げる”のもあるんですよ。東京で生まれ育って、東京の会社に入っていると、東京じゃない地方のことは分からないですよね。でも、アンケートハガキを整理していると、日本中から集まってきているので、いろんなところに自分の読者がいるとわかる。そこから読者の立場で生活を考えてみるとか。80年代、90年代には高校を卒業して大学に行く人もいるけれど、高卒で就職する人も多かった。そういう人たちの娯楽は、ヤングマガジンとか。漫画ファンが喜ぶ王道のジャンプもあれば、ヤングマガジンの『ビー・バップ・ハイスクール』『工業哀歌バレーボーイズ』のような漫画もある。

 でも、コミケがこれだけデカくても、初版100万超えるツッパリ系マンガのファン同人誌ってあんまりないんですよね。コミックス(の累計発行部数)一千万部超えてても、二次創作同人誌は一冊もない。いや、あったらごめんなさい(笑)。

一同:
 (笑)。

筆谷:
 それが、アンケートをやっていると、いろんな考え方の人たちがいるとわかる。それを新入社員の時に勉強するのが、アンケートハガキの1番のメリットだと思うんですよ。今はハガキなんて来ないし、ネット投票がありますけど、ともかくハガキとかネットで投票するのは、先に行っている尖った人。フラットな意見ではなくなっちゃいますけどね。それはTwitterも同じで、全部正しいわけでもなく、Twitterをやっている人の意見というだけなんですよね。

鳥嶋:
 今は、(読者の意見にも)いろんな受け取り方がありますけど、未だにジャンプもハガキにこだわっているのは筆谷さんが言うようなところに通じると思います。いろんな意見が入るなかで、どれを自分のアンテナにするかはみんな考えなきゃいけないですね。

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ライター
「ゲームの面白い記事読んでみない?」 あなたの時間を奪う、読み応えたっぷりの記事をお届け! 電ファミニコゲーマーは、最先端のハイクオリティゲームメディアです。

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