「美しい青春物語を、より魅力的に描くには?」
そんな命題に対して、「目を覆いたくなるような丹念なグロ描写」という強烈な飛び道具を持ち出し、あろうことか本当にめちゃくちゃ魅力的に仕上げてのけた作品が、『花束を君に贈ろう-Kinsenka-』(以下、『花束を君に贈ろう』)です。
上記のような爽やかなオープニングムービーからは想像もつかないような、残酷で強烈なグロシーンが、本作には複数存在します。グロ耐性ゼロの筆者はプレイ中に思わず「これのどこが爽やかな青春物語なんだよ!」と悲鳴をあげてしまいました。
ですが、筆者の指は震えながらもクリックを止めず、筆者の目は慄きながらもゲーム画面から離れませんでした。ひとえに、本作がハチャメチャに面白かったからです。グロに耐性のない人間が、そのグロを差し引いてもなお、読み進めてしまうほどに、本作のストーリーが魅力的だったからです。
むしろ、強烈なグロテスク描写があるからこそ、本作の感動的なシーンはより一層その輝きを増しました。プレイしていて思わず涙腺が緩んでしまった箇所もあります。
そんな本作は、『いろとりどりのセカイ』や『さくら、もゆ。』等のPCゲームを手掛けた漆原雪人氏による5年ぶりの新作となる、ストーリーが分岐しないタイプのビジュアルノベルです。
2025年5月にPCへ向けてダウンロード販売を開始したほか、2026年4月30日にはPCパッケージ版およびNintendo Switch版の発売が予定されています。ちなみに、グロ描写のあまりの強烈さゆえ、CEROの指定は「Z」となっています。
ビジュアルノベルという、プレイヤーを物語の世界に引きずり込んで没入させるかが重要なゲームジャンルにおいて、本作のストーリーは、その力強さを遺憾なく発揮しており、その根底にはグロシーンも重要な役割を果たしているのだと、プレイすればわかります。
『花束を君に贈ろう』のグロは、不要なグロではなく、必要なグロ。
そう断言できる理由を、お話していきたいと思います。
※この記事は『花束を君に贈ろう-Kinsenka-』の魅力をもっと知ってもらいたいブシロードさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
「やりすぎだろ!」と目を覆いたくなるようなグロ描写で、なぜか際立つ感動シーン。これは……涙……?
リード文で触れたように、やりすぎとしか思えないグロ描写がたびたび出てくる『花束を君に贈ろう』。
このようなゲームがあることも知らないレベルでグロ表現を避けながら日々を生きている筆者としては、本作のグロシーンには、正直、何度か心が折れそうになりました。
しかし、それでもプレイする手を止めることなく話を読み続けることができた理由は、ひとえにストーリーが面白かったからに他なりません。
その面白さは、グロシーンのキツさを余裕で超えるレベルです。
あまりにも丁寧なグロ描写っぷりが衝撃的すぎて、冒頭で触れざるを得ませんでしたが、実はグロ描写は『花束を君に贈ろう』全体で見ると、ほんの一部にしか過ぎません。
「爽やかで感動を与えてくれる青春ストーリー」を掲げているように、本作の物語は、間違いなくプレイヤーに感動をもたらしてくれるのです。
本作のストーリーの面白さの根底にあるのは、ともすれば「唐突すぎる」とすら思えてしまうほど激しい、シーンごとの振り幅の大きさではないかと思います。
なんとこのゲーム、グロシーンを見終えた数分後に感動シーンに突入していることもあったりします。
「お前、俺をどういう気持ちにさせたいんだよ!」と動揺してしまうほどのギャップの大きさには、プレイしていて常に驚かされてばかりですが、この振り幅のおかげで、感動シーンがより切なく胸にしみわたるんですよね。
いささか過激な手法ではありますが、グロテスクな描写が、感動シーンへの前フリとして使われているとも言えます。
そんな、『花束を君に贈ろう』のストーリーの振り幅の大きさを見ることができるのは、物語の山場となるシーンだけではありません。その助走は、プレイを始めた直後にはすでに始まっています。
本作のいちばん最初のシーンは、レトロな香りが残るアパートで繰り広げられる、メインキャラクターたちの日常風景です。
賑やかな食卓を囲むのは、今にも「やれやれ」と言いだしそうな雰囲気の主人公、その右手側から、いかにもわがままそうな少女、ノリが軽そうなギャル、クールでトゲのある少女、自分が世界一かわいいと言ってはばからない男の娘、ギャンブル狂いのお姉さん……。
そんな微笑ましい光景を眺めながら、「なるほど。このゲームは、個性的な美男美女に囲まれて共同生活をしながら恋愛をしていくタイプの、甘酸っぱくて爽やかな青春物語なんだな~」などと呑気に構えていると……
その次の瞬間に目に飛び込んできたのは、主人公 “橘才(たちばな さい)” が、ひとりの女子高生を殺害するシーンでした。振れ幅がデカすぎる……! さっきまでの平和な共同生活はどこいっちゃったのぉ!?
筆者が直前の日常パートで「無個性な主人公」として認識していた彼は、大切な妹に近づき害をなす人間を手にかけ続ける連続殺人犯だったという衝撃的な展開。
しかも、自分が殺した女子高生の身体を解体して彼女が飼っている大型犬に食べさせようとしたり、「君は、生まれてきて幸せだったのかな?」と亡骸に語りかけたりするタイプのやべーヤツです。
そして、グロテスクなシーンが終わると、物語は何事もなかったかのように日常シーンへと移り変わり、このギャップが再び私の心を揺さぶります。
ところどころにえげつない描写が挟みこまれることで、事件が一切起こらない “平穏” な日常がより貴重で愛おしい存在のように感じられますし、何気ないシーンでさえもグロ描写が心のどこかで残響していて、そのシーンには相応しくない「恐怖」の感情が呼び起されるのです。
この時間だけが、この幸せな時間だけが、このままずっと永遠に続いてくれていたらいいのに……。そう願いつつも、筆者は本作がそうならなかったことを知っていますし、これからも展開にも残酷な場面が含まれることを必然的に覚悟してしまいます。
本作のグロシーンは、感動的なシーンだけでなく日常シーンに対しても強烈な前フリ、助走として機能しているのです。
ストーリー分岐のないビジュアルノベルだからこそ、ただひたすらに物語へと没頭できる。グロ、青春、そして謎が物語を強烈に牽引し、読み進める手が止まらない
また、本作の特徴のひとつとして、ゲーム中に表示される選択肢がなく、“ストーリーが分岐しない” タイプのビジュアルノベルだという点が挙げられます。
そもそもビジュアルノベルは、プレイヤーの介入の余地が少ないゲームジャンル。
物語を読み進める過程がゲームプレイの大部分を占めるため、ストーリーの面白さがゲーム全体の印象に直結しやすいように感じます。
選択肢によってストーリーが分岐するタイプのビジュアルノベルの場合、選択の違いによる物語の変化を楽しむことができますが、ストーリーが分岐しないタイプでは、その楽しさが最初から排除されている分、より一層ストーリーのクオリティの高さが求められるというわけですね。
つまり、プレイヤーの思考や意思が挟みこまれる余地がない「分岐なし」のビジュアルノベルでは、「どこまでプレイヤーをゲームの世界に引き込めるか」が最重要ということになります。
物語の世界にプレイヤーを引き込むという点において、本作は大成功していると言っていいでしょう。
『花束を君に贈ろう』をプレイしている間、面白い小説を読んでいるときにやってくる「早く続きが読みたいけど、読み終えたくはない」という最高の状態が常に続いていて、本作のストーリーの強さをこれでもかというほど感じさせられました。
なお、本作はかなりのボリュームがあるタイトルでもあり、第一章を読み終えるだけでも5時間以上はかかったのですが、筆者は途中で休みもいれず、章の初めから終わりまで一気に読み進めてしまいました。
5時間という、長編映画で言えば数本分にもなる長さのお話を集中力も切らさずノンストップで読破できたのは、一見「やりすぎ」とも思えるほどのメリハリをつけたストーリー展開が大きな理由だと思います。
これまでの話と少しかぶるところもありますが、長い旅路の間には、グロ描写・感動シーン・日常パート・主人公が恋を語るシーンなどの様々な場面が存在しているため、感情もジェットコースターのように移り変わっていきます。
この感情の起伏こそが物語への没入を生んでいて、ゲームを通じて得られる感情の動きには、グロテスクなシーンも重要な要素として深く関わっているのです。
そして、『花束を君に贈ろう』の魅力としてもうひとつ加えておきたいのが、感動的なストーリーの上に、さらにミステリー要素が乗っかってくるということ。
本作をプレイしていると、「これってどういうことなんだ?」「このキャラのこの発言は、どういう意図なんだ?」と、気になる箇所が目白押しです。
怒涛のストーリー展開により、プレイヤーに明かされることなく記憶の片隅に押し流されていってしまう数々の謎たちが、思いがけないところで回収され「えっ、アレってそういうことだったの!?」と衝撃を与えてくれるのも、ゲームに没頭できる要因になっていると言えます。












