KOJIMA PRODUCTIONSは1月28日(木)、NYGame Awardsでレジェンド賞を受賞した小島秀夫氏のインタビューに、日本語字幕をつけて公開した。小島氏の発言は日本語だが、インタビュワーがどんな質問をしていたかがわかりやすくなっている。
レジェンド賞を受賞した小島氏は自身はまだレジェンドになっておらず、この賞をバネにレジェンドになれるようこれからも頑張りたいと語っている。
インタビュー最初の質問は「最初に作ったゲームから学んだことは?」というものだ。
一般的に小島氏が最初に関わったゲームはコナミの『夢大陸アドベンチャー』だと言われているが、あくまでアイデアをサポートしただけだと氏は返答。氏が深く関わり初めて世に出た作品は『メタルギア』だが、その前にあるゲームの企画に関わっていたのだという。
残念ながら発売されることなくキャンセルとなったが、氏はそのプロジェクトでゲーム作りのいろはと「チームで作る」ことを学んだ。その経験を活かして開発されたのが『メタルギア』だ。
小島氏がビデオゲーム作りに映画やアートなどからインスピレーションを受けていることは有名だが、子供の頃に楽しんだアナログな遊びを通して「自分たちで工夫してルールを作って遊んだ」ことも影響を与えているだろうと述懐している。
発売から1年が経った『DEATH STRANDING』は、「好き嫌いの分かれるゲームだった」と振り返った。好きな人からは熱狂的な支持を受けていることもうれしく思っているという。
古巣のコナミから独立後、KOJIMA PRODUCTIONSの立ち上げとゲーム作りを同時進行したことについて「良くできたな」と満足げだ。
『DEATH STRANDING』の企画はしばらく前だったが、その時から世界の分断を感じていたという。発売以降は新型コロナウイルスやブレグジット、米大統領選など、世界の分断がまだ続いているが、平和な世の中が来ることを願っていると語っている。
今まで発売されたゲーム機のなかで、もっともビデオゲーム製作が楽しかったものは?という質問には、「どれも楽しかった」としつつ、初代PlayStationを挙げている。初代PlayStationは『Metal Gear Solid』が発売されたハードだ。
それまでは2Dだったビデオゲームが、ポリゴンになって開発者どころかユーザーまでカメラを動かせるというのが「夢のような話」だったという。できることが一気に拡がったことで、ミュージシャンのようなそれまでゲームとは関わらなかった業種の人々がやってきたことも同様に挙げている。
ほかにも、「ケ・セラ・セラ」(なるようになる)という生き方を教えてくれた母親との思い出、「ゲームとほかの体験をつなげてほしい」とゲーム業界を目指す若者へのメッセージを送っている。
ライター/古嶋誉幸