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『ガンパレ』の企画書、ついに公開━初代PSの伝説的タイトルは、なぜ生まれたのか?そして『LOOP8』へ受け継がれたもの【ゲームの企画書】

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当時の『ガンパレ』の制作規模。アルファ独自の調整方法

──少し話が逸れましたが、『ガンパレ』のデータや骨組みはある程度完成してから、シナリオなどの調整に1年半ほどかかった……という認識で合っていますでしょうか?

芝村氏:
 そうですね。もっと言ってしまうと、1周目のチュートリアルを用意するのに半年ほどかかり、全体のストーリーを組むために1年ほどかかりました。合わせて1年半ぐらいはかかってるんじゃないかと思います。

 逆に、プログラムの制作は20ヶ月くらいで終わりました。やはりストーリー部分が足を引っ張ったというか……。今振り返ってみると、「当時の自分にもっと知識があればなぁ……」と思ってしまいます。

──その調整は芝村さんと何人かのプランナーで進めていた……という形なのでしょうか?

芝村氏:
 いえ、私ひとりでやっていました。最終調整……アルファ内では「マスターデータ出し」と言われていたのですが、マスターデータを出す人は最終的に責任者ひとりでチューニングするんです。

 シューティングゲームなども、最初から最後までひとりの人間が遊び、「これがマスターチューニングです」と提出するような形でしたね。無駄に船頭を多くして調整方針がバラバラにならないよう、最終的には「責任者ひとりの感性に任せる」というスタイルでした。

 ただまぁ……正直途中で責任者が交代してもおかしくはなかったので、私は「斬り殺されずに済んだ」という感じですかね(笑)。

──なるほど……(笑)。さすがに最新作の『LOOP8』ではその作り方は変わっていると思うのですが、実際はいかがでしょう?

芝村氏:
 『LOOP8』はもっと民主的になっています。
 いや……ちょっと言い方変えた方がいいですかね?(笑)

一同:
 (笑)。

芝村氏:
 多分「独りよがりな作り方ではない」という言い方が一番正確ですね。今だと開発段階でも社内で議論を重ねながら最終調整を進めますが、『ガンパレ』当時はそれがありませんでした。

 「ディレクターズカット版」というわけじゃないですけど……当時は「ひとりで切り盛りするのが良いでしょ」という考えでした。要は今で言うところの「LQA」【※8】が当時は機能しなかったんですね。この調整方法だとひとりで最終的な結論に辿り着けるんですが、やはり調整に時間がかかってしまいます。

 つまり、『ガンパレ』の開発で「ユーザーの声を聞くターン」「データを分析するターン」「そこで得たデータを再実装するターン」の3つのパートにわかれていたところを、『LOOP8』の場合はギュッとひとつにまとめた上でリアルタイムに確認できたおかげで、開発期間は比較的短縮できました。

※8「LQA(Linguistic Quality Assurance)」
日本語に訳すと「言語品質保証」。ゲームにおけるローカライズ作業などを指す言葉であるが、ここではその他クオリティなども含めた品質の調整を指している。

『ガンパレ』の企画書、ついに公開━初代PSの伝説的タイトルは、なぜ生まれたのか?【ゲームの企画書】_011
なんだかシレっと貼っていますが、こちらは『LOOP8』の企画書の一部です。この後も記事のあちこちに貼られているので、ぜひご覧あれ。

──1年半もひとりで調整を続けるのは、中々ない状況だと思います。今でこそインディーゲームなどがあったりしますが……その「ひとりで調整する」やり方の良かったところや、この手法だからこそ『ガンパレ』に込められたものなどはあるのでしょうか。

芝村氏:
 そうですね……少し本題から逸れてしまうかもしれませんが、「昔のような作り方」をすることのメリットって、「懐かしい」以外にあんまりないと思います(笑)。

 そもそもゲームはひとりで作るものではありませんし、最終的にいろいろな人が遊ぶことになるものです。だからこそ、多くの人のいろいろな意見を聞けた方が、当然有利なんですよね。

 ただ、もちろん作り手の作家性に強く惹かれる気持ちはよくわかります。その「作家性」こそをゲームに求める人もたくさんいらっしゃると思いますし、私自身もそういうゲームが大好きです。でも、そういったファンや作家性を抜きにして、シンプルに「どちらの作り方がゲームとしてクオリティが高くなるか?」と考えたら、当然みんなの意見を聞いた方が品質が良くなるに決まっています。

 たとえば、「シューティングゲームの調整」でこのひとりで調整する作り方の問題が発生したりします。私は『式神の城』【※9】というシューティングゲームを制作する中で気付いたんですが……「ひとりで調整を続けていると、調整する人間がどんどん上手くなってしまう」んですよね。

 毎日調整を続ける中で、知らない内に私自身のプレイスキルがどんどん上がっていたんです。そして調整中に「これは簡単すぎる。難易度を上げよう」と、かなり難易度を上げてしまいました。その結果として、気がついたら「誰も遊べないほど難しい難易度」になっていたんです(笑)。

※9「式神の城」
アルファ・システムが制作した強制縦スクロール方式のシューティングゲーム。『ガンパレ』や『絢爛舞踏祭』と同様に、「無名世界観」という世界観を共有している。

一同:
 (笑)。

芝村氏:
 『式神の城』の散々なロケテストのデータを見て、開発者一同「すいませんでした」と頭下げるしかなかったようなことがあって……(笑)。

 とにかく、ゲームの企画自体はひとりの人間から始まったとしても、最終的に「みんなのゲーム」になるような過程はどこかで入れなければいけません。それはどれだけ作り手の作家性を重視したゲームであろうと、同じことだと思います。

 もちろん『LOOP8』にも「芝村節、爆裂!」といった部分もあります。でも、それはそれとして「みんなが遊べるゲーム」にする必要はあります。それは当然のことです。ちゃんとやってます!

ユーザーとメディアの声がなければ、『ガンパレ』は誰にも知られることのない作品で終わっていた

芝村氏:
 ただ、こうして作り上げた『ガンパレ』は、やはり「この新しい提案商品を、どうやって売ればいいのか」という問題に直面していました。結論から言うと、自分たちの力だけで売ることはできなかったんです。新たな提案型商品として作ったのは良いものの、『ガンパレ』の魅力をお客様に伝えきることはできませんでした。

 結局どこに頼ったのかというと、当時の「電撃PlayStation」【※10】ですね。別に電撃さんも頼まれて『ガンパレ』を取り上げていたわけではないのですが、あの時に「このゲーム面白いじゃん!」と記事にしてくれたおかげで、『ガンパレ』は成功したのだと思います。

 電撃の彼らが『ガンパレ』の面白さを伝えてくれて、この作品は初めてゲームとして成立したと思います。「このゲームって、こうやって遊べばいいんだ」ということに気付いてくれた人たちが増えました。

 逆に、電撃さんが動いてくれなければ、『ガンパレ』はカルト製品で終わっていたと思います。それどころか、カルトにすらなれず、誰にも知られることのない作品になっていた可能性はありますね。

※10「電撃PlayStation」
主にPlayStationのゲームを中心に取り上げていたゲーム雑誌。2020年に雑誌の定期刊行を終了した。『ガンパレ』の売り上げに大きな影響を与えたと言われている。

──確かに『ガンパレ』と言えば電撃のイメージが強いです。コンプティークやログインなどで見たような、「TRPGのリプレイ記事」に近い面白さが電撃の『ガンパレ』記事にはあったと思います。

芝村氏:
 そうですね。結局、当時の我々では「ゲーム体験を提供する」ところまで宣伝することはできませんでした。ただ、電撃さんのようなゲームメディアは「体験を提供する」ことができたんです。

 掲載された「私のプレイ体験はこうでした」というリプレイ形式のものに読者が憧れを抱いたり、「自分がこのゲームをやったらどうなるんだろう?」と思える記事だったと思います。

 しかも、『ガンパレ』はそのリプレイ形式と非常に相性が良いゲームです。プレイする人によって感想が違い、プレイヤーそれぞれに違うストーリーが生まれる。だから、『ガンパレ』は「人の感想が楽しい」という側面で売れたタイトルでもあります。

 そういう意味だと、本当に電撃さまさまですよ。どんなゲームもそうだと思いますが、いろんな人たちの努力と、献身と、ちょっとした奇跡によって成立しているのだと思います。

『ガンパレ』の企画書、ついに公開━初代PSの伝説的タイトルは、なぜ生まれたのか?【ゲームの企画書】_012

──もう少しその当時の電撃とのやり取りを詳しくお聞きしたいのですが……実際、『ガンパレ』の発売後に何かしらの取り組みのようなものがあったりしたのでしょうか? それとも、電撃が独自で取り上げてくれたような形だったのでしょうか。

芝村氏:
 電撃さんが勝手に取り上げてくれたような形だったと思います。発売当初の『ガンパレ』は全然売れてないゲームだったんですが……なぜかそんな時にあそこまでプッシュしてくれました。電撃さんの紙面上における『ガンパレ』は、扱いだけなら完全に大作扱いでしたね(笑)。

 そこから、「電撃を読んで面白そうだと思ったけど、どこに行っても『ガンパレ』を買えない」ような事態に発展していきます。熊本のおもちゃ会社から直接アルファに電話がかかってきて、「なんで売ってないんだ!」「すいません……」という会話をしたのは、今でも覚えています。

 そして、当時のゲーム雑誌はバイヤーが買っていたものなんですよね。のちに電撃さんは自社からバイヤーズガイドまで出していましたけど、当時はそのバイヤーズガイドの代わりに電撃を読んで「このゲームはどのくらい仕入れるべきか」ということを判断していたと思います。

 そこで『ガンパレ』は「電撃でここまで扱いが大きいのであれば、仕入れてみよう」とバイヤーに判断してもらえたのではないかと。電撃さんの信用と信頼を前借りした『ガンパレ』が成功したことにより、電撃さんも『ガンパレ』も名を上げることができたのだと思います。

 本当に『ガンパレ』は電撃さんにフリーライドしたようなゲームなので、あそこには足を向けて寝られないです(笑)。

芝村氏が『ガンパレ』は行けると確信した瞬間。「SCEの品質管理部から来た連絡」が命運を分けた

──そもそもの根本的なところをお聞きしてしまうようで申し訳ないのですが……具体的に当時のアルファやSCEの中で、『ガンパレ』を「この商品なら売れる!」と判断したのはどのタイミングだったのでしょう?

芝村氏:
 いや、誰ひとりとして「これは売れる」と言っていた人間はいませんでした。逆に、私自身を含めた大多数から「自分は面白いと思うけど、これが売れるかどうかはわからない」と言われていました。

 そんな中で初めて「売れるかもしれない」と気付いたのは、当時のSCEの品質管理部の方から「少なくとも他の作品にはないプレイフィールがある」といったような連絡が来た時です。

 そして、当時の我々から見ると、品質管理部はある種の「敵」だったんです。

 なぜかというと、開発中のゲームが数日間のマスターチェックを通れば合格できるところを、必ずチェックの3日目辺りでバグを見つけてくるからです! しかも進行不可能のバグだったりする!(笑)

 ただ、そんな敵対関係のようなものがあったからこそ、SCEの品質管理部の方からそういう連絡が来た時に「おっ、これは敵も認めるすごいゲームなんじゃないか?」という確信を得ました。

 品質管理部からしたら「なんでこんなにバグが多いんだよ!」みたいなツッコミはあったと思うんですけど……その時に初めて「このゲームは売れるかもしれない」と思いました。品質管理部の方も『ガンパレ』に新しいゲームの可能性を感じていたのだと思います。

『ガンパレ』の企画書、ついに公開━初代PSの伝説的タイトルは、なぜ生まれたのか?【ゲームの企画書】_013

芝村氏:
 そこに加えて、「キャラクターがかわいい」という評価もいただいていました。「ののみがかわいい」「滝川が不憫でかわいい」といった声もありました。その辺りのキャラクター人気は狙い通りですね。

 それぞれの部分はしっかり正当に評価され、その上で「これらの要素がひとつのゲームとして合わさった時に、どうなるのか」というところの判断に時間がかかっていました。ただ、「クリアするまで面白いかどうかがわからない」という意見があった時は、さすがに私もキレそうになったんですが……(笑)。

 ですが、普通のユーザー目線から見ればそれは当然のことです。ゲームはクリアしてみなければ、総合的な面白さはわかりませんし、評価のしようもないですよね。

──そこの品質管理部のチェックを通過して、『ガンパレ』が発売される……という流れなのですね。

芝村氏:
 そんな感じです。

 テストプレイした全員から「自分は面白いと思うけど、世間一般の人にこれがウケるかどうかは全くわかりません」という反応があった中で、「でも、“自分は面白い”と感じている人がこれだけいるんだから、発売しちゃえばいいんじゃない?」という判断が下されたのが、実際の流れだったと思います。

 何かしらの確信を持って、「マーケティング的にこれは売れます!」と断言していた人は、多分いなかったんじゃないかな……。

 その発売前の『ガンパレ』に関して印象的だったのが、当時の営業の人が言い放った「このゲームはクーラーと同じなんですよね」という言葉です。つまり、「クーラーを使ったことがない人にクーラーを売るのが大変であるのと同じように、ここまで新しい提案型商品では知らない人に売るのは難しい」という意味です。さすがに、大手の営業の人は言うことが違いますよね。

──確かに、『ガンパレ』は典型的な「味が想像できないゲーム」だと思います。カレーを知っている人にカレー味の商品を売るのは簡単だけど、カレーを知らない人にその商品を売るのは難しい……みたいな。

芝村氏:
 人間は基本的に成功体験を模倣するようにできているので、「成功体験がないもの」にチャレンジさせるのは大変だと思います。唯一の成功体験として「ゲーム」という枠組みはあったんですが、「ただ“ゲーム”と言われても、もうちょっと詳しく……」ということをいろいろな営業の人に言われました。

 そう考えると、営業さんに『ガンパレ』を説明する時に「このゲームはこういうゲームです」と、わかりやすくお伝えするのが大変だった気がします。

『ガンパレ』の企画書、ついに公開━初代PSの伝説的タイトルは、なぜ生まれたのか?【ゲームの企画書】_014

──そうして『ガンパレ』が発売された後に、明確な手応えがあった瞬間や、ユーザーの熱を感じた瞬間などはあったのでしょうか?

芝村氏:
 その瞬間は明確にあって、「販売店の人の反応が良かった」ことです。

 当時のゲーム屋で働いていたバイトの人や雇われ店長は、ほとんどがゲーマーでした。なので、レアリティの高いゲームを自分で買って遊ぶんです。出荷本数がそこまで多くなかった初期の『ガンパレ』は、そんな当時のゲーム屋で働いていたゲーマーの人たちが買って遊んでいました。

 だから、最初期に『ガンパレ』を広めてくれた人たちは、広い意味でゲーム業界の一員である「ゲーム屋の店長さん」たちなんです。その人たちが「面白い!」と反応してくれて、そのお店にポップを作ってくれたり、追加分を仕入れたりしてくれていました。

──それは面白い話ですね……!

芝村氏:
 当時のレコード店のゲームコーナー担当の方なんかも、ゲームが大好きな人がやっていたりしました。その販売店で『ガンパレ』の草の根運動が生まれていた側面もあります。

 そして、その人たちはゲームの中古価格の決定にも深く寄与していたので、「このゲームは必ず売れるから、定価以上で買います」と判断してくれたり……。一番最初に『ガンパレ』の成功を支えてくれた人々は、間違いなく小売店の人たちですね。

 当時はそこまでインターネットも普及していませんでしたし、「お店のお兄ちゃんのおすすめゲーム」は本当におすすめで間違いなかったんです。そしてそんな風潮は、いつからか薄れてしまいました。現在の「小売店が弱くなった」という事実が、このエピソードから少しわかるんじゃないかと思います。
 
 その頃にゲーム屋の店長だった人と、今でも付き合いがあったりします。余談ではあるんですが、その方は雇われ店長だった頃に『ガンパレ』を遊び「ゲーム業界に入ろう!」と決意し、そこからセガに入り、ニトロプラスに入り、現在は私と一緒に仕事をしていたりします(笑)。

『ガンパレ』の企画書、ついに公開━初代PSの伝説的タイトルは、なぜ生まれたのか?【ゲームの企画書】_015

──当時の『ガンパレ』の盛り上がりやユーザーの熱がどう作られていったのかは、すごく興味があるところなんです。先ほども触れた電撃や、小売店の人たちがそれに寄与していた側面は間違いなくあると思うのですが……。インターネットでの盛り上がりなどもあったりしたのでしょうか?

芝村氏:
 ネットはめちゃくちゃ盛り上がっていたというか……アルファの公式掲示板はとにかく盛り上がっていました。特に宣伝の義務などもなく「自由にやっていいよ」と言われていたので、私がミニゲームを開いたりしていましたね(笑)。

 逆に、あれは「敵を作ってもいいマーケティング」の下で作られていた空気感だったので、今はもうできないと思います。

──「敵を作ってもいいマーケティング」とは、具体的にどういうことでしょう?

芝村氏:
 『ガンパレ』のように開発側がネットで活動すればするほど、「ネットを見ていない人たち」は疎外されてしまいます。ネットを見ている人と見ていない人で、情報格差ができてしまうんです。ネットを含めて遊んでいる人とは得られる情報の量も変わってしまいますし、一方ゲームだけを遊んでいる人はフラストレーションが溜まります。

 要は、「ネットを見ていない人を切り捨ててもいいの?」という話です。

 その情報量を平等にするのであれば、ちょっとした冊子などを使ってお茶を濁すのが妥当なマーケティングではあるんですが……『ガンパレ』はそういうことをせずにネット優先でマーケティングをしていました。だから、この方法は「敵を作ってもいいマーケティング」なのです。

 もちろん、現代であればインターネットを使ってマーケティングをするのは当たり前ですし、とっくに「敵を作る」ような方法ではありません。ただ、『ガンパレ』の当時はそうではなかった……という話ですね。

──当時のアルファの社内でも「ネットを重視したマーケティングをしましょう」といった議論や方針があったということなのでしょうか?

芝村氏:
 ありましたね。その方針を決定するまでに、アルファの社内でも喧々諤々の戦いがありました。まず、明らかにわかっていたことは「このゲームは提案型商品だから、徹底して情報を出すべき」ということです。

 こういうプレイ方法があります、ああいう遊び方があります、こんな楽しみ方があります……つまり、「ユーザーにそんな提案をし続けない限り、この商品は死んでしまう」ということが、チーム全体の共通認識としてわかっていました。だから、ある意味で「暴れる」ことができたんです。

 逆に、『ガンパレ』が黙っていても売れたり、何も説明しなくても面白さが理解できるような商品であれば、あんなに必死なマーケティングをしたりはしないと思います。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
ライター
転生したらスポンジだった件
Twitter:@yomooog
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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