『ガンパレ』の企画書、ついに登場。……なにこれ?
──さて、そろそろ本格的に企画書の話に入っていこうと思います。
まずこの企画書からなんですが……。
芝村氏:
いやぁ、恐ろしい表紙ですね!
ヤバい!!
一同:
(笑)。
芝村氏:
私はもう今回用意してきた資料にはほとんど目を通していないんです。
だって……自分の過去の作文なんて見たくないじゃないですか!
ちょっと過去の企画書をペラペラとめくっただけで、もうお腹いっぱいになりました。いろいろな甘酸っぱい思い出が、口から出そうになります。
──まずこの企画書なんですが……これってそもそもどういう用途で作った企画書なのでしょう? ちょっとゲーム雑誌っぽい感じですよね。
芝村氏:
これは当時の雑誌の構成をそのままパクって作った企画書ですね。
偉い人からの「人のリードタイムの限界は90秒だから、90秒でなんとなく面白そうだと思える企画書を作ってほしい」という強い要望に従って、この企画書は作られたはずです。とにかく「読みやすく、わかりやすく、こういうものを作っていると伝える」ための企画書です。
私へのインタビューなんかも載っていますが、これはおそらく「企画者はこのようなことを考えています」ということをわかりやすく表現するためにこの形式にしているのだと思います。ただ……この資料を偉い人に見せてみても、結局ダメでしたね。
「面白そうなのはわかるけど、もっと詳しいのを出してよ」みたいなことを言われて、「はい……来週までに作ります……」と(笑)。
──なるほど(笑)。ではこれは、完全に外向けの資料だったのですね。
芝村氏:
外向けというより、アルファ社内の会議である程度『ガンパレ』をどんなゲームにするかの方向性が固まった後に作られたものですね。イラストを書く人なども決まっていたので、ほぼ開発チームと一緒に作りあげた企画書です。
なんか……こうして今掘り返されると普通に恥ずかしいですね(笑)。
──この企画書にイメージとして『女神異聞録ペルソナ』のゲーム画像も掲載されていますが、『ガンパレ』のゲーム画面のすごいところは「情報量が少ないがゆえに、想像力をかき立てられる」点だと思います。キャラの顔グラがあり、2~3行くらいのテキストボックスがある。特に「ののみタイプ」【※11】が登場するところなんかは、あの唐突さと情報の余白があるからこそ、強烈な印象がありました。
芝村氏:
人間というものは、まず情報を補完する生き物ですからね。アニメーションや漫画でも、足りない情報を人間が勝手に想像で作り上げていくことで、映像が完成したりします。
そして、『ガンパレ』も「人間が補完して初めて完成するゲーム」です。ゲームのプログラムだけでは完成しておらず、人間がそれを遊ぶことで初めて製品として完成します。そもそも、ゲームというものは絵画と違って実際にプレイしなければ面白さがわからず、その価値も評価できません。ゲームは、人間ありきのものです。
そういった意味で、「人間の補完機能をいかに利用するか」ということは『ガンパレ』開発のひとつの主題でもありました。
※11「ののみタイプ」
『ガンパレ』をある程度進めると1日のみ登場するNPC、「ののみタイプ」。グラフィックは「東原ののみ」と全く同じだが、中身は全く違うキャラとなっており、さまざまな意味でインパクトが大きいイベントである。
──確かに、『ガンパレ』はかなりプレイヤー側が補完する必要のあるゲームだったと思います。
芝村氏:
『ウィザードリィ』【※12】なんかもまさにその例ですよね。ある種、『ガンパレ』は「ウィザードリィの面白さを自分なりに再現してみよう」と思って作り上げたゲームだったりします。
※12「ウィザードリィ」
1981年に1作目が発売された3DダンジョンRPG。後の『ドラゴンクエスト』や『ファイナルファンタジー』に大きな影響を及ぼした作品と言われている。主観視点で迷宮を探索するゲーム画面や、キャラクターの名前を自分でつけられるといったような「プレイヤーの想像(補完)」をかき立てられる作品でもある。
──その「プレイヤーの想像」をかき立てるために、キャラのセリフ回しひとつとっても配慮した部分などはたくさんあったりするのでしょうか?
芝村氏:
たくさんあります。この「プレイヤーが想像するようなセリフやシナリオは、どこまで書けばいいのか」という点はかなり気を遣いました。セリフやシナリオで情報を全て書いてしまうと、想像をしなくなります。だから、意図的に「欠落」を作る必要がありました。
ただ逆に、「欠落を作りすぎて、隙間が空きすぎてしまう」と面白くないんです。それは単なるチープで簡素なものです。つまり、「どのくらいの欠落が一番良いのか」「どれくらい隙間を空けると美しくなるのか」ということを意識しました。
既に一度完成したテキストを「これは要らない、これも要らない……」と穴開けにしていくような形でいろいろなものをカットしていき、最終的に今の『ガンパレ』が完成しています。
その「欠落」はちゃんと読めば9割ぐらいの人は想像がつき、残り1割の人はさらに面白いことを想像できる……それくらいの感覚で作りました。このやり方は、「そういう風にゲームを作ることが妥当であった」時代の名残でもあります。
でも、個人的には1から10まで全てを完璧に説明してしまうようなゲームはつまらないと思います。
──そのプレイヤーに想像してもらうための「面白い欠落と、単につまらない欠落」の線引きをどうするか、はとても面白いテーマだと思います。芝村さんの中では、具体的にそこの別れ目などはあったりするのでしょうか?
芝村氏:
やはり一番引っかかるのは、「自分は今、説明されている」と感じるかどうかだと思います。これは面白くない情報の出し方です。つまり、「何かに取り込まれているような説明をしない」ためにどうすればいいのか……という点が判断基準になっています。
逆に、その欠落が大きすぎてしまうと、いわゆる「電波」なゲームになってしまいます。前段や説明が一切なくなった結果として、「アナタは竜ですね」「はい……」というプレイヤーにとっては意味不明な会話が生まれる可能性もあります。要は、キャラが何を言っているのか全く理解できないゲームになります。
ただ、私の場合は「説明を省いた結果として電波に見えてしまっても、それは仕方がない」という方針でデザインすることが多いです。それよりも「説明されている」と感じさせない方が大事です。
──確かに、「説明されている」と感じた途端に冷めてしまうような感覚はあります。
芝村氏:
意図的にセリフの欠落を作り、「キャラが順番に話す」ということをしない……これが『ガンパレ』の想像力をかき立てるセリフを作り出せた理由です。
たとえば、何かしらの業界で働くことになった時に、その業界の聞いたことのない専門用語などを次々と聞くような場面があったりすると思います。でも、その業界で働き続けていたり、その単語を聞き続けていくうちに、徐々にその言葉の意味がわかったりします。そんな日常生活と同じように、『ガンパレ』の中ではキャラクターが当然のように専門用語を使っています。
『機動戦士ガンダム』では「ミノフスキークラフト」などの専門用語をキャラクターが当たり前のように使っていますが、視聴者も見ている内に段々とわかってきます。そして、その言葉の意味を理解できた時に、「あ、自分もこの業界に入ってきたんだ」と実感できるように作られています。
『ガンパレ』もそれと同じような構造で、用語解説は基本的に出さないし、作っていません。ただ、その言葉を使った日常会話が繰り広げられているので、プレイヤーは前後の文脈から「この言葉は、こういう意味なのではないか?」と想像したり推測できるようになっています。これを『ガンパレ』における情報や用語の基本構造にしていますね。
芝村氏:
なので、「段々と情報がエスカレートしていく」ということも基本的にはしていません。常に会話は時系列やしゃべる順番がバラバラになっていて、プレイヤーが突き詰めていくことで「こういう話なのか」と理解できるような形態にしてあります。
──たとえば善行委員長が急にクローンの話をし始めたり……プレイヤーの全く知らない情報を周知の事実であるかのようにキャラクターが語り始める『ガンパレ』のあの感覚は中々味わえないと思います。
芝村氏:
システム上ではクローンの話題は善行以外のキャラもしゃべっていたりすると思うんですが、プレイヤーの感覚的には「ある日突然みんながクローンの話をし始めるようになった気がする」と感じるのではないでしょうか。
『ガンパレ』はプレイヤーにとっての情報段階をそうなるように配置しているので、一度用語や情報が気になると、他のNPCにも話しかけ始めるように作っています。おそらくプレイヤーは「この変な用語は、他のキャラであれば意味を知っているのかもしれない」と感じた瞬間、初めて他のNPCに興味が湧くはずなんです。
その情報を追いかけていくと、少しずつ世界の真実に近付いていくような情報の構造を作っていますね。
──あの「自分の預かり知らぬところで、巨大な世界が動いている」ような感覚がすごく好きです。
芝村氏:
それこそ『ガンパレ』は熊本全域での戦力推移が描かれるような戦略級のシミュレーションが背景で動いているので、自分たちの生活とはひとつ上のレイヤーで大きなシミュレーションが描かれているのはやはり楽しいですよね。
「自分自身は世界の一部なのに、世界全体からの影響を受けない」のはやはり気持ち悪いんですよね。生きてる人間が受ける程度には世界からの影響があった方がいいですし、その方が健全なゲームプレイヤー観を作るのではないかと考えました。
──実際、『ガンパレ』は1周目と2周目のプレイでは全然体験が変わるじゃないですか。たとえば、ボソッと発した一言のセリフであったとしても、そのキャラクターに対する理解度によって全く印象が変わってきます。この「キャラクターを知らない状態から、知っている状態になる」ような過程はどのように埋められていったのでしょう?
芝村氏:
それは「キャラのセリフを書き直す」ということをしたからだと思います。小説で言えば、3冊分くらいはセリフを書き直しています。
まず最初に、セリフを書いている私自身に説明するための「説明付きのセリフ集」を第1項として上げました。そこから要らない情報をどんどん削っていきました。「この情報は重複しているから要らない」「この人の立場であればこんなことは言わない」とセリフを削り続けて、先ほどの「綺麗な欠落」を作り上げました。
逆に、一発目から「その世界の生きたセリフ」を書きたいのであれば、相当な高いセンスを持った人が書く必要があります。私はそのセンスがなかったので、愚直に情報を削っていくようなやり方でしたね。
──なるほど……やはり『ガンパレ』は情報やセリフのひとつひとつからセンスを感じるのが大きな魅力だと思っていましたが、かなり工程を踏んだ上で作られていたんですね。
芝村氏:
一発書きではあんな感じのシナリオにはならないと思います。あのシナリオやセリフを一発で書けたらそれはそれですごいとは思うのですが、ゲーム開発の場合は結局テストをした上で良いか悪いかを判断する必要がありますし、最終的にはあまり手間は変わらないかもしれません。
ゲーム開発で一番手間暇がかかるのは、実際の制作段階よりも、完成されたものをチェックした上で手直しをする工程です。そのチェック段階で制作者が一番こだわっていたものが消えてからが、ゲーム開発の本番ですね(笑)。
──特に、キャラの肉感……『ガンパレ』に登場するキャラクターたちの「あっ、こういうやつ学校にいた!」と思い出してしまうような補完のさせ方はすごいと思います。どこかに身近な感じがしました。
芝村氏:
『ガンパレ』の開発当時はいろいろな技術力が足りなかったので、それぞれのキャラクターにはモデルになった実在の人物がいたりします。……というか、当時の私の同級生たちをデータ化した上でカレル2に搭載したので、「こんな奴いたよね」という感覚はまさにおっしゃる通りだと思います。
つまり、本当にこういう人たちがいました。
ただ、『ガンパレ』が世に出た後に「私はこんな奴じゃない」と文句をつけてきた同級生がいたので、学校の恩師や当時の他の同級生にインタビューをした証言テープを送りつけて「いや、ゲームの通りだと思うよ」と言ったら……そのテープがバラバラになって帰ってきたことがあります(笑)。
──すごいエピソードですね……(笑)。あの中でも「芝村舞」はかなり強烈なキャラクターだと思うのですが、彼女にもモデルになった人物がいたりするのでしょうか?
芝村氏:
芝村舞は私のいとこがモデルです。
でも、「ちょっと武士っぽい感じがいいな」と思い、かなりの脚色は加えています(笑)。
──とはいえ、やはり普通のRPGと『ガンパレ』ではキャラ作りの工程から全然違うのではないかと感じています。実際、今作のキャラはどのような工程で作られていったのでしょう?
芝村氏:
キャラクターを作る上で一番重要なのは、マトリクス……簡単に言えば「表」を作ることです。
ゲームをプレイする人間にはいろいろな趣味があるので、その趣味を全部埋めていこうとすると、やはり「キャラの一覧表」があった方が助かります。背が高い子、背が低い子、少女枠、お姉さん枠……そういったキャラの枠と一覧表をまず作らなければいけません。
それに加えて、「その世界のどんな情報を持っていて、どんなことを言うのか」を決めておくことも重要です。もっと言うのであれば、それぞれのキャラの「立場」を埋めていく必要があります。
たとえば、芝村舞には「芝村家の一員」としての情報がある。壬生屋未央には「壬生屋の一族」としての情報がある。そして、そんな家柄とは関係ないひとりの人間としての情報もある。キャラにはそれぞれの立場があり、それぞれ言うことが違い、情報が被ったり被らなかったりする。このキャラクターひとりひとりの「立場」を埋めていく作業がありました。
『ガンパレ』ではそういった「立場から人を作る」という作り方をしていたので、そこは他のゲームのキャラ作りとは少し違うかもしれませんね。他にも、リアリティを出すために「ゲーム内には登場しないキャラの家系」をしっかり作ったりしていました。父親や母親を含めて、3代ぐらい前までの家族を作り、「それぞれの血筋からこんな影響を受けています」という設定を用意したりしていました。
今明かされる、当時のアルファの最重要機密「世界記述」とは?
──まだまだたくさん資料をいただいています(笑)。これは……一体何の企画書なのでしょう?
芝村氏:
いやぁ……すごいっすねこれ!(笑)
これは『ガンパレ』の最初期に作られた企画書だと思います。やはり『ガンパレ』は提案型商品なので、まず最初に「これは一体どんなゲームなのか?」という疑問が出てくると考えました。その「なぜ?」に答えるために用意したのが、この企画書です。
一応私は『ガンパレ』を制作する前からゲーム業界にいたので、周囲の人間も「芝村という人間は理解できるけど、芝村が作ろうとしているこのゲームはよくわからない」という反応を見せていました。その状況に対して『ガンパレ』自体をプレゼンするために作った企画書でもあります。
この企画書内に書いてある「ポストRPG」の箇所なんかは、まさにSCEから言われた通りに作ったところです。ある意味、「君たちがこういう風に作ってほしいという企画を投げてきたんだから、まさか落とすことはないよね?」という脅しを含めた企画書でもありますね……(笑)。
一同:
(笑)。
──この企画書内で聞いてみたいのが、やはりこの「世界記述」についてです。
ここの「そこで、ストーリーを記述するための『基』=世界を保持しておき、SLGのように記述、これを確率論的に動かします。(中略) このプレイヤーが行った、一連の行動の軌跡が本ゲームにおける“ストーリー”です。」という一文こそが『ガンパレ』の自動生成的なストーリーの根幹にあるものだと思います。芝村さんは、具体的にこの「世界記述」をどのように思いついたのでしょうか?
芝村氏:
これはひとつ「フリーシナリオシステム」という先行例があったところから、着想を得た部分です。まさに左のページに書かれている『ロマンシング・サガ』【※13】のことです。もちろん『ロマサガ』は斬新かつ面白いゲームなのですが、それが先行例となり、「フリーシナリオシステムの問題点」がよくわかりました。具体的には、「点と点を繋げただけでは、シナリオにならない」ということです。
つまり、点と点が開きすぎていると、プレイヤーがシナリオを脳内補完することができないんです。その問題に対して「プレイヤーが脳内補完できる程度にまで点と点を近づけることができれば、ストーリーを認知させられるのではないか」と考えたのが、「世界記述」の始まりです。先ほども触れた、「プレイヤーが段々とこの世界に興味を持つ」ような情報配置をするシナリオ設計に近い話ですね。
そこに加えて、プレイヤーがRPGを遊んだ時に「このシナリオに対して納得するかどうか」を決めるのは、「キャラやストーリーの流れに理論的な裏付けがある」という点だと考えました。つまり、ゲーム内に登場する全てのキャラクターの行動に理由があり、世界全体の動きに理由があるようにすれば、「フリーシナリオの問題点」を解決できると思ったんです。
そして最終的に辿り着いたのが、「一度ストーリーの基になるアーキテクトを作り出し、それをゲーム内にバラバラにしてばら撒くことによって、プレイヤーが脳内補完をしやすいような構造にする」という手法です。それをプレイした結果として、プレイヤーの軌跡や行動履歴が、ひとつのストーリーとして完成する。これが「世界記述」というシステムです。
※13「ロマサガとフリーシナリオ」
スクウェアから発売されたRPG『ロマンシング・サガ』。本作には「フリーシナリオ」というシステムが搭載されている。8人の主人公の中からひとりを選び、任意のタイミングでシナリオが進行していくストーリー設計となっており、ゲームクリアに至るまでの過程をプレイヤー自身が自由に形成できる。ほぼ「自由にRPGを遊べる」設計で、いわゆる「一本道のRPG」とは対極に位置するようなシステム。
──その「点と点が開きすぎている」という問題をもう少し詳しくお聞きしてもよいでしょうか? 具体的に『ガンパレ』はどのようにその問題点を補った……ということになるのでしょうか。
芝村氏:
「点と点が開きすぎている」というのは、つまりシナリオの間にある「ダンジョンを攻略するターン」「レベルを上げるターン」が長すぎてしまい、それぞれのシナリオが繋がってるように見えなくなってしまうんです。ストーリーの結節点から結節点までが遠すぎるということです。
これは『LOOP8』の開発の際にマーベラスさんにも説明したことなのですが、フリーシナリオと世界記述の違いは「島型のシナリオ構造」としてたとえることができます。ひとつの島があって、その島にはひとつのイベントがあります。この島があちこちに点在しているのが、「フリーシナリオ」という形式です。
ところがこの形式の場合、「プレイヤーが自由に動ける」というメリットはあるものの、予算や開発工程の問題で、ゲーム自体が簡素なものになってしまったり、結果的に変則的なプレイを招いてしまうことがあります。そして、その島(イベント)同士の間が開きすぎてしまうと、プレイヤーの目には「シナリオが存在しない」ように見えてしまうんです。
そしてこの問題を解決するのが、「列島型」というシナリオ構造です。つまり、島(イベント)を連続して並んでいるように見せることが重要です。ただ、この手法ではイベントを死ぬほど作る必要が出てきます。そうなると、莫大な予算がかかりだします。この予算とイベント工数の問題を解決する方法として、「世界記述」の説明に繋がってきます。
芝村氏:
具体的には、「なんでもない戦闘、なんでもない会話、なんでもないステータスデータ、これを全て繋がって見えるようにする」のが「世界記述」の根本です。イベントとイベントの間の通常会話すらも、ひとつのストーリーとして繋がっているように見せることができれば、プレイヤーが脳内でシナリオを補完しやすくなります。
つまり、AIを使ってゲームのそれぞれの要素を線形補間するのが「世界記述」です。島(イベント)の間を補完することによって、ひとつのゲームを綺麗な列島型のシナリオ構造にする……ということを説明しているのが、この「世界記述」のページですね。
たとえば、キャラクターの一般的なセリフでも、徐々にゲームを進めていく中で「あ、このセリフはこういう意味だったのか」「このセリフの背景でこんなことが起きていたのか」と気付けるようなシナリオ構造ということです。ひとつの会話ですら、ひとつの大きなストーリーの中に組み込まれているように設計します。
当時のフリーシナリオ形式の問題点が「イベントだけを使って、フリーシナリオを記述しようとする」という点でした。だから、イベント以外の通常会話や戦闘などの情報を使って、上手くプレイヤーのシナリオ補完機能を働かせるようにしたのが、『ガンパレ』の技術的なエポックメイキングな点だと思います。
──なるほど、それが「世界記述」の定義なのですね。確かに、パッと見ではフリーシナリオと同じように見えるようで、それぞれの言葉や定義がこの企画書内ですごくクリアに説明されています。
実際にこの企画書を見ていると……芝村さんの脳内では完成した『ガンパレ』のビジョンがものすごく明確に見えているような気がします。
芝村氏:
まぁ……それが企画書というものですよ(笑)。
やはり企画者の脳内に完成したビジョンが明瞭に見えていなければ、ゲームは作れないものだと思います。ものづくりをしたことがある人にならわかるかもしれませんが、「できる」と思ったらそれはできます。「できない」と思ったらできないです。『ガンパレ』を作る時にも、「『ガンパレ』はできる」と思ったからこそ完成しています。
企画書を書く時には、「できる」という確信を持って書き始めなければ、それはただの嘘になってしまいます。逆に、完成形のイメージがなければ企画を作るのは大変だと思います。企画を練りながら企画書を作る人ってあんまりいなくて、基本的には企画が固まってから企画書は書くものですよね。だから、私も普通の書き方に沿って、この企画書を作っています。
とはいえ、この企画書を見てあの『ガンパレ』ができあがることを想定していた人は、私以外には誰もいなかったので、今になってみると「申し訳ないことをしたなぁ……もうちょっと絵を増やせばよかったなぁ……」と思ったりします。
──うーん……まぁ、芝村さんが「普通」で収まっていいクリエイターかなのかどうかは一旦置いておきつつ……(笑)。やはり「世界記述」などの言葉ひとつとっても、この企画書からはセンスを感じます。この「世界記述」という表現はこれまで公の場に出たことがあるのでしょうか?
芝村氏:
出ていないと思います。そしてこれはある種、作り手のための言葉ですね。ゲーム内の専門的な固有名詞などではなく、ゲーム開発用の「ゲームを作るための言葉」です。
今だからこそ企画書を出しちゃっても問題ないとは思いますが、この「世界記述」という言葉が他のところに漏れてしまったら、『ガンパレ』と同じようなゲームは作れたかもしれないですよね。そのくらい、言葉には「世界を作る力」があります。
大げさに「世界記述」と言っても、ただの発想でしかありません。そして、その発想は好きなだけ真似をすることができます。だから、当時はなるべくそういった「ゲームを作るための言葉」はアルファの社内秘でした。出したとしても、SCEまでだったと思います。
とにかく、「言葉には力があるんですよ」というくらいには覚えておいていただければ。
──合わせて聞きたかったのが、この企画書内の「鍵は世界観」と書いてあるページです。
これまでの資料ではかなり理論的に企画の成り立ちが書かれていましたが、『ガンパレ』のメインコンセプトのひとつでもある「怪獣VS高校生(ロボット)」というシチュエーションは比較的ポロっと出てきている印象を受けます。この「怪獣VS高校生」というコンセプトは一体どこから出てきたのでしょう?
芝村氏:
この企画書の前に、社内でゲームのテーマをいくつかピックアップして、その中で選ばれたのが「怪獣VS高校生」というおバカなシチュエーションだったんです。
まぁ、そこから決まったというわけなんですが……ただ、当時は『新世紀エヴァンゲリオン』が放映される前だったので、この「怪獣VS高校生」というテーマにちっともリアリティがなかったんですよね。私自身も、「これはなんておバカなテーマなんだ……」と感じていました。
でも、そんな中『エヴァ』が大成功するのを見て「あぁ、あのテーマで間違ってなかったんだ……ソニーさんありがとう!」と思っていました(笑)。
──そうですよね!? 『エヴァ』のあとに『ガンパレ』が制作されていれば、このコンセプトにまだ納得はできるんですが、この企画書が書かれたのはおそらく『エヴァ』の放送前ですよね。なんというか……シンクロニシティというか……。
芝村氏:
私たちとしては「エヴァンゲリオンさん、道を切り開いてくれてありがとうございます!」という感じでしたね……(笑)。
でも逆に、『エヴァ』が出たあとだったからこそ苦しんだ場面もあります。プレイヤーからも「ロボットがダサいんですけど」「ゲーム内の怪獣が小さい」といった意見があったんですが、こちらとしては「こっちはポリゴンなんだから『エヴァ』と比べないでよ!無理無理!」と思っていました。
──そう考えるとすごい時代ですね……(笑)。
加えてお聞きしたいのが、同じページ内に書かれている「『ガンパレ』を制作するにあたり、“世界”の構築に最大限の企画労力を投入~」と書かれている部分です。ここ以外の企画書でも、「世界観に最大のリソースを投入する」といった旨の方針が何度も書かれているのですが、この「『ガンパレ』は世界観を頑張る」ということは大前提として決まっていたのでしょうか?
芝村氏:
ぶっちゃけた話をしてしまうと、『ガンパレ』の肝である「世界記述」を発展させた場合に最も重要になるのは、「世界観がどれだけ完成されているか」だと考えていました。逆に、「世界観さえしっかり決まっていれば、この作品は成功したも同然である」ということは理論的にわかっていました。
だからこそ、世界観をしっかり作ることは大前提として決めていました。「世界観は後付けで良い」と考えてゲームを作り始めるパターンもあるとは思いますが、この企画書及び『ガンパレ』では「世界観を最初に作ります」と宣言して、開発が始まっています。『ガンパレ』では特にそれを念押しする必要があったので、普通はこんな書き方はしないと思います。
──なるほど。「世界記述」が核の部分にあったからこそ、世界観が重要であると。
芝村氏:
たとえば、世界観があやふやだとキャラのセリフひとつとっても「洒落たセリフ」が作れないんです。なぜなら、その世界の確固たる背景がないからです。その場その場でカッコいいセリフを作ることができたとしても、後になって繋げてみると、ストーリーが繋がらなくなってしまいます。
1つのキャラクターの背骨があり、このセリフが表に出ている……世界観が固まっていないとそういったことができなくなり、キャラの魅力も下がります。そして、この「ストーリーが繋がっていない経験」を2~3回味わってしまうと、プレイヤーはもう考えるのをやめます。「あ、これはもうこういう作品なんだ」とレッテルを貼り、それ以上その作品に対して脳の労力を使わないようになります。
人間には「楽をしようとする回路」というものがあり、その回路内の「労力を使うべきかどうかを5秒で見切るをつける」という仕組みを働かせないようにする必要があります。つまり、「5秒に一度、プレイヤーに“これはストーリーが繋がっている”と確信を持たせる情報層」を作らなければいけません。
……とにかく、そういった「繋がっているストーリー」を成立させるために、大本となる世界観をしっかり作る必要がありました。今こうして「世界記述」がオープンになったから言える話ではありますが、『ガンパレ』以降に出たフォロワー作品たちがどれもあまりうまくいかなかったのは、この大本の世界観の重要さを把握できていなかったからだと思います。
──確かに、『ガンパレ』のシステムを模倣したところで根本の「世界記述」の仕組みと、それに付随する「世界観」の重要さを理解していなければ、同じように成功させるのは難しそうです。
芝村氏:
とにかく、企画というものは、企画技術の塊でもあります。だからこそ、そういった技術をいくつも折り込んだ上で作るのが企画書だと思います。
まぁ、20年も経てば書いた私自身が解説してしまっても全然いいとは思うんですが……当時のこの企画書は最高機密ですね。
おそらく、2004年から2005年くらいまでは本当に最高機密指定の文書でした。つくづく、アルファはよくこれを保存していたと思います。
──ちょっと興味本位でお聞きしてみたいのですが、『ガンパレ』のような「世界観を体験させるために作り切っている」作品は当時他にあったりしたのでしょうか? 芝村さんの目から見て前例となる作品などはあったとか……。
芝村氏:
当時ではないかもしれないんですが、映画原作のゲームはそういった体験に振り切っている作品が多いと思います。たとえば、海外の『スターウォーズ』のゲーム化作品なんかは、世界観を表現するためにものすごく頑張っている作品なのではないでしょうか。
さらに古いゲームを挙げるとすれば、『ゾーク』【※14】なんかがその例に当てはまると思います。『ゾーク』は完全なテキストアドベンチャーゲームなのですが、まさに「世界観こそが面白い」ことに重きを置いたゲームです。
そもそも、ゲームというものは「情報を食べる」娯楽だと思います。
そして、「どんな情報を食べるか?」と考えた時、「世界観」はかなり美味しい食材になり得るんです。その美味しい食材を美味しく食べてもらうための方法は、世界中のゲームクリエイターが考えていることだと思います。『ガンパレ』はその中のひとつの答えでもあります。
加えて、当時のアルファはプログラマーが強い会社だったので、ゲーム開発において「世界観」は後回しにされることが多かったんです。だからこそ、『ガンパレ』の企画書には「世界観が大事」ということを何回も書いています。「世界観を守るためには多少の回り道をしても仕方がない」とスタッフを納得させるために書いている節はありますね。
──う~む……大体のゲームの企画書には世界観も一緒に書かれていたりするものですが、やはりこの企画書はひと味違うというか……。
芝村氏:
いや、そこまで書かないと思いますよ?
──えっ、そうですか?
芝村氏:
いや、企画書に「世界観が大事」なんて書くのは素人だけです。
企画採用担当の方であればよくわかると思いますが、企画書に「世界観だけ」を書いて終わるような企画者はたくさんいます。基本的に、「世界観だけがたくさん書いてある企画書」を渡されればボツにすると思います。私が採用担当だった時は、いくつかそんな企画をボツにしました。
ゲームの企画書なのだから、まずゲームのシステムや、このゲームで何を表現したいのかを明確に書くべきです。
……と言っている芝村自身がこの企画書を書いています!
一同:
(笑)。
芝村氏:
この企画書を見せた時の周囲の反応は、まさに「お前は素人か!」という感じでしたね(笑)。
この企画書、独特すぎる。そもそもなぜこんな企画書なのか?
──続いてはこちらの企画書です。企画書名は「一次設計書」と書いてあるのですが……これはいつ頃の時系列で作られたものなのでしょう?
芝村氏:
この一次設計書は比較的後の方に作られたものだと思います。まだ本格的な開発は始まっていませんが、ちょうどさっきの「世界記述」に触れている企画書よりは後に作られたものですね。
というか……こんな一次設計書まで残されてたんですね……これこそ一番最初に燃やされてもおかしくなさそうなのに……(笑)。
ただ、この一次設計書で実際の『ガンパレ』に反映されているものは少ないと思います。理由としては非常に単純で、一次設計書から二次設計書を作り上げていく中で、無駄な仕様などはどんどん省いていくからです。そして最終設計書に到達するまでに、プログラマーやデザイナーの「これは実装に手間がかかりすぎます」といった意見を反映しつつ、ゲームの設計は絞られていきます。
その設計書を現実のものにするために頑張るのがゲーム開発でもあるのですが、この一次設計書は「まだ夢を語ることができたターン」とも言えますね……(笑)。
──この一次設計書でお聞きしたかったのが、「表面儀装に設けられた各種要求」についてです。ちょっと特殊な用語を使っていますが……まとめると「このゲームのそれぞれの要素を繋ぎ目なく完成させるのが、ワールドビルダーとしての芝村の仕事である」といったことが書かれています。
私はこの「カレル2、世界観、シナリオ」などのそれぞれの要素がちゃんと「繋がって」完成しているのが『ガンパレ』の最もすごい部分だと感じているのですが……この「繋ぎ目のなさ」はなぜ実現できたのでしょう?
芝村氏:
どんなゲームでもそうだとは思うのですが、ゲームは最終的に「全く違うものをひとつに見せないといけないもの」だと思います。戦闘画面、会話画面、イベント画面……それぞれの画面はバラバラなものであって、作っている人たちも当然バラバラです。
それらを最初に繋げた段階では、当然違和感があります。それをプレイヤーが違和感を感じないように寄せていくのが「表面儀装」です。今では「UI(ユーザーインターフェース)」といえば一言で終わってしまいますが、当時のゲーム開発は「UI」という言葉すらありませんでした。
──あぁ、「表面儀装」は「UI」のことだったんですね!
芝村氏:
ゲームシステムだけでなく、ゲーム全体の雰囲気なども含めて「表面儀装」と言いますね。これは船の建造から取った言葉です。そして、当時のアルファのゲームの企画書は大半が船の建造から取った言葉が使われています。建造、儀装、設計……そういった言葉が多いはずです。
──この企画書内で使われている言葉は芝村さんのセンスによるものが大きいのだと思っていましたが、当時のアルファ・システムの企画書の書き方がこんな感じだった……ということでしょうか?
芝村氏:
ものすごくわかりやすい言い方をすると、当時のアルファ内では「英語を安易に使うな!」という風潮があったんです。たとえば、うっかり企画書内で「UI」なんて書いたりすると、「UIってなんじゃ!」と怒られたり……(笑)。
私は「みんな普通に英語読めるんだから、英語でいいじゃん……」とは思っていたんですが、とにかく企画書内ではあまり英語を使ってはいけませんでした。
「ストラクチャー」という言葉が使えないから、「構造」と書き換えてみたはいいけど、全然意味がわからなかったり……企画書って、全ての用語を日本語にすると意味が全然伝わらないんですよ!
一同:
(笑)。
芝村氏:
この風潮、今考えるとおかしくてしょうがないですね……(笑)。
ただ、この「日本語を日本語で説明する」ことを徹底したおかげで、チーム内での意思疎通ができた面はあると思います。企画書の意味がわからない言葉を、そのままわからない言葉のまま解釈せず、開発チーム内でしっかり「これはどんな定義の言葉なんですか」というやり取りをしたからこそ、作品全体の統一感を作るのには役立っていた気がします。
──私はこの企画書の言葉遣い、カッコよくて大好きです(笑)。
「補完構造体」とか……。
芝村氏:
あぁ、ありがとうございます……。
当時は英語の辞書を片手に、泣きながら書いていましたが(笑)。
明治時代の人たちが英語を日本語にする時、血反吐を吐きながら元々存在しなかった日本語をなんとかでっち上げた……という話をどこかで聞いたことがあるのですが、まさかそれを平成の時代にやらされるとは思っておりませんでした。