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“『バイオハザード』らしさ”とはなんなのか? 20年の時を経て甦った傑作、リメイク版『バイオ2』を通じて考える

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 初代PlayStationで1998年に発売されてから約20年の時を経た『バイオハザード2』。そのリメイク版として2019年1月25日に発売された『バイオハザード RE:2』が非常に高い評価を受けたことは、周知の事実だろう。

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 レビュー集積サイトMetacriticにおけるPS4版Xbox One版の平均評価は、両機種ともに91/100以上という高スコアをマーク。ユーザースコアもほぼ変わらず好意的だ。Metacriticでの評価だけを見れば、名作と名高いオリジナルの初代PlayStation版をも超える評価を得ている。

 これらのメディアとユーザー評価では、「グラフィックスの向上、システムの刷新がありながらも、『バイオハザード』らしさがしっかりと残っている」という論調が多く散見される。そこで目に付くのは、はたして本作で多くのプレイヤーが感じた“『バイオハザード』らしさ”、より正確に言えば『バイオハザード2』が示す初期の『バイオハザード』シリーズらしさは、そもそも本質的になにを指すのかという点だ。

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 初代が発売された1996年以降、『バイオハザード』シリーズは多くの作品を輩出してきたが、それぞれのタイトルは前作から微調整や変化を繰り返し、ときに大きな方向転換に望んできた。そのなかにはシリーズ作品が捨てたもの、あるいは重要なエレメントとして残した要素がある。『バイオハザード RE:2』を通じて、あらためて『バイオハザード』が構築した「ホラーゲーム」の行きついた先と、本作が単なるリメイクを越えた意図のもと生まれた可能性を探っていこう。

文/Nobuhiko Nakanishi
編集/ishigenn



「高難度」により増幅される恐怖心

 初代『バイオハザード』から『バイオハザード3』までと、いくつかのスピンオフで採用されてきた「固定アングル視点」の「ラジコン操作」は、初期シリーズの代名詞だった。シリーズ作品を初めてプレイした当時のプレイヤーの多くは、方向や位置関係が咄嗟に把握しづらいカメラ視点に戸惑い、キャラクターを壁に擦りつけるように歩かせた記憶が一度はあると思うが、ともかくこれらの仕様は一般的ではなく煩雑で、慣れが必要だったと言えよう。

 一方で、そのままならない視点と操作性の難度の高さが、ホラーゲームにおける恐怖心を増幅させるという力を持っていた側面もある。見えづらい固定カメラの外から予期できない形で突如としてゾンビに現れ、ゆっくり迫ってくるなかで自身のキャラクターを思いどおりに動かせず、最終的には自身の分身であるキャラクターが殺されてしまうという恐怖。

 現在では不快感に近いプレイしづらさを感じさせるであろうこれらの仕様は、当時発売された『バイオハザード2』のホラーの密度を一層増すことに成功していた。

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 だがリメイク版『バイオハザード2』では、そんな固定アングル視点やラジコン操作を切り捨てている。『バイオハザード4』以降の作品や初代『バイオハザード』のHDリマスター作などと同様に、今作では一般的なサード・パーソン・シューティング(TPS)の視点と操作が採用された。

 たしかに、ラジコン操作は現在のビデオゲームのメインストリームからはかけ離れたスタイルである。また、カメラをどこに向けても隅々まで見ることができる3D空間のグラフィックス描写も、現代の技術では容易になっている。ゆえにリメイク版『バイオハザード2』の変化は、さも時代の潮流に乗った当たり前のような変更だ。実際に「固定アングル視点とラジコン操作」を「TPS」へと変えたことで、リメイク版のゲームプレイはオリジナル版よりも非常に快適になっている。

 ただ、ここで重要なのは、開発のカプコンがこの操作性の変更によって生じた「難度の低下」を確かに認識しているだろうという点だ。快適さを上昇させアクションの幅を広げたことで、当然、オリジナル版が本来持っていた固定視点やラジコン操作による難度は下がることになる。つまり、当時のプレイヤーが感じていた『バイオハザード2』の「プレイヤーの思うようにままならない」という恐怖が損なわれる計算となる。

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 そしてカプコンは、『バイオハザード2』をただ単純に移植し現代のシステムに当てはめるのではなく、その難度の低下への対策をしっかりと取っている。

 たとえば、オリジナル版をプレイした多くのプレイヤーは、ゾンビの各部位を狙うことが可能になった一方で、以前よりもゾンビの体力が高くなり非常に硬くなったことに気づくだろう。「銃を構え続けることによって命中率が上がる」という前作のシステムは、「銃を構えてからレティクルが挟まるまでに意図的にタイムラグを発生させる」という仕様に置き換えられ、単純にTPSらしい銃撃アクションを付け加えたわけではないことに気づく。

 ほかにも、TPSにありがちなローリングのような回避行動は採用されていないし、走る速さは快適さを損なわないレベルでやや遅いと感じるレベルに設定されている。プレイヤーの行動に対するゾンビのレスポンスも非常によく、シリーズの常套テクニックであるゾンビの横をすり抜ける走法も容易には許されない。

 全体をとおして非常に遊びやすい現代的なゲームシステムを採用はしているものの、実はそれをしっかりと難易度とトレードオフするための細かい調整や仕組みが随所に見られる。

「サバイバル」と「ホラー」の立体的恐怖

 また、この高い難度は、本作が確立した「サバイバルホラー」になくてはならない要素でもある。

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 具体的に説明してみよう。今作でもプレイヤーは、ゾンビやそのほかのクリーチャーが徘徊する閉鎖空間のなかで謎を解いていく。たとえば、ふと、行く先にゾンビが現れた。戦いを挑むかどうか。苦戦して攻撃を受けてしまえば、回復アイテムを無駄に消耗してしまうかもしれない。だが、ゾンビを倒せばこのエリアは安全になるし、連なる部屋からは貴重なアイテムを回収できるかもしれない。

 不安定で危険な状態から脱したいという原始的な情動を持ちながら、ゲーム的なメリット・デメリットの計算の結果、プレイヤーは刹那の瞬間にもっとも合理的な判断で行動を選択しなければならない。物資の総量が明確に定まっているなかで、もしかしたら必要以上に失ってしまうかもしれないというプレッシャー。その感情と理性の狭間で、どの敵を倒すのか、あるいは倒せないのかといった決断を戦略的に下していく。

 そして、先に進めば困難が待ち受けているのは明白であるにもかかわらず、プレイヤーはその物資の戦略プランの遂行刹那の判断の緊張感を知らず知らずのうちに求める中毒患者となって突き進む。これこそが「サバイバルホラー」というジャンルにおける「サバイバルの本質的な部分」であり、恐怖に打ち勝つために前へ進むプレイヤーをけん引するゲーム的な面白さでもある。

 そして、「難度の高さ」が『バイオハザード2』らしさにとって非常に重要な要素なのは、物資がやたらと余るような難度でゾンビを容易に倒せてしまうのであれば、こういった思考は発生しえないからだ。

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 高難度によりもたらされるゾンビに倒されてしまうかもしれないという「恐怖」と、サバイバルにおける物資の足し算における「緊張」は、実は同一の心的作用ではない。しかしそれゆえに互いに補完しあい、時に増幅しあう。

 拳銃でゾンビの頭を撃とうとして外したとき、プレイヤーが焦燥しているのは、「このままではゾンビに襲われて攻撃を受けてしまう恐怖」のためなのか、「限られた物資を無駄にしてしまったという後悔」のためなのか、あるいはその双方か。そしてその焦燥の高まりは、銃撃を外し続けるといった誤操作や判断ミスという形でゲームプレイに影響を与え、そのシーンの難度に影響を与えることになる。さらなる弾丸の損失は、さらなる緊張感をも生む。

 このような場面に、『バイオハザード』が築いた「サバイバルホラー」における「恐怖」と「緊張」の関係が立体的に浮かび上がってくる。恐怖と緊張が複雑に絡み合ったときの「強烈な感情の振り幅」、そしてその根源であるゾンビや状況を打破できたときの「達成感」が、初期シリーズ、そして『バイオハザード2』の“らしさ”ではないだろうか。

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 そして『バイオハザード RE:2』はリメイク作品でありながら、『バイオハザード2』を基礎としつつ、その恐怖と緊張をプレイフィールとしてより上手く表現している。もっとも分かりやすいのが「タイラント」の存在だ。タイラントは旧作にも出現する敵ではあるが、本作ではプレイヤーをしつこく追い回す追跡者の役割を担っている。

 たとえば中盤、プレイヤーが警察署やゲームにも慣れ精神的に弛緩したときに、トリックスターとして彼は登場する。物音に反応してひたすらにプレイヤーを追いかけてくるその敵は、プレイヤーの想定の範囲外の行動を取る。本来は存在しない“誰もがそう思っていたゲームの約束”を容易く破る暴君は、時間をかけて整え落ち着きつつあったサバイバル環境に新たな緊張感を与える要素であり、その後のプレイをより油断できないものに思わせる“仕組み”だ。

 このように、ゲーム全体をシークエンスに分け、環境を劇的に変えることによって緊張感、恐怖心の低下を防ぐという方法は『バイオハザード7』でも使われていたもので、探索や緊張感の維持という意味で同作の演出方法をしっかりと引き継いだ上でさらにしっかりと根付かせている。

「サバイバルホラー」の再定義

 『バイオハザード』のナンバリング作品は、『1』から『3』がひとつの連作「ラクーンシティートリロジー」となっており、『4』を起点に大きな方向転換が図られた。よりアクション性を追及して物語のスケール感を増し、キャラクターを前面に打ち出したゲームデザインは、シリーズのブランドを広げる結果にはなったが、日常的にゾンビが存在する世界観、ステージクリア型の構成、アイテムドロップの採用により、「サバイバルホラー」としての内容とは少しかけ離れていった。

 『バイオハザード7』はピュアホラーへの回帰という意味で、現代のホラーゲームのマイルストーンを打ち立てたと言えるが、あまりにも大きな方向転換にシリーズファンの戸惑いもみられた。そこへきてこの『バイオハザード:RE2』は、リメイク作品でありながらも『1』から『3』のサバイバル感、『4』から『6』のアクション性、そして『7』のホラー演出を結節点にして高度に融合された「いいとこどりの到達点」だ。

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 それは、1998年に発売されたゲームが現代風にリファインされて現代に蘇った優秀なリメイク作品である。そして『バイオハザード』シリーズそのものが現代で進むべき方向性を明確に示唆するだけに留まらず、「サバイバルホラー」というゲームジャンル自体を「再定義」したとも言える。それは「サバイバルホラー」というジャンル自体が、実はまだまだ掘り尽くされていないという傍証であり、ジャンルの成熟の途上に新しい可能性があるということを強烈にアピールしている。

 多くのプレイヤーにこのリメイクが好意的に受け入れられているという事実は、単に昔を懐かしむプレイヤーの声だけと考えるべきではなく、新規を含む多くのプレイヤーの「サバイバルホラー」への需要の反映でもあると考えると、現象は腑に落ちる。20年の時を経て復活した『バイオハザード2』の高い完成度は、バイオハザード型「サバイバルホラー」というジャンルそのものの二度目の産声を高らかに響かせた。

ライター
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Nobuhiko Nakanishi
大学時代4年間で累計ゲーセン滞在時間がトリプルスコア程度学校滞在時間を上回っていた重度のゲーセンゲーマーでした。 喜ばしいことに今はCS中心にほぼどんなゲームでも美味しく味わえる大人に成長、特にプレイヤーの資質を試すような難易度の高いゲームが好物です。
編集
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ニュースから企画まで幅広く執筆予定の編集部デスク。ペーペーのフリーライター時代からゲーム情報サイト「AUTOMATON」の二代目編集長を経て電ファミニコゲーマーにたどり着く。「インディーとか洋ゲーばっかりやってるんでしょ?」とよく言われるが、和ゲーもソシャゲもレトロも楽しくたしなむ雑食派。
Twitter:@ishigenn

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