ジブリ鈴木敏夫Pに訊く編集者の極意──「いまのメディアから何も起きないのは、何かを起こしたくない人が作っているから」

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 宮崎駿作品をはじめとする、数々の名作アニメを生み出してきたスタジオジブリ。その語源であるイタリア語“GHIBLI”と同じ由来によって名付けられた雑誌がある。そのスタジオジブリによって2003年に創刊され、現在も刊行を続けている月刊誌「熱風(GHIBLI)」だ。

(画像はスタジオジブリ出版部| 小冊子『熱風』2018年2月号の特集は「潮田登久子 ロング・インタビュー 本を撮る」です。より)

 この「熱風」は、スタジオジブリ関連書コーナーを常設している書店での店頭配布と、定期購読によってのみ入手可能な無料配布の冊子だ(定期購読は事務経費のための購読料が必要)。

 ……こう紹介すると、ジブリの関連情報を伝えるパンフレット的なものが想像されるが、さにあらず。確かに「熱風」には、そうした特集やアニメに関する記事が掲載されることもある。
 しかしそれ以外の、憲法改正や人口減少といった政治的社会的な問題、エコカーや人工知能をはじめとする最新テクノロジーについての論議、さらには“コンビニ”や“ヤンキー”といったユニークな切り口のテーマまで、多種多様な特集が中心となって誌面が構成されているのだ。
 それは冊子のキャッチに「スタジオジブリの好奇心」と銘打たれているとおり。

 これらの記事に登場する人々も、宮崎駿氏や高畑勲氏といったジブリに縁のある人々だけではない。現・外務大臣の河野太郎氏や、新国立競技場のデザインを担当した建築家の隈研吾氏、『ONE PIECE』作者の尾田栄一郎氏や映画評論家の町山智浩氏など、硬軟取り混ぜた著名人が毎号のように居並んでいる。

 ここで湧き上がるのは、「この熱気に満ちた雑誌は、いったいなんなのか」という疑問だ。この雑誌のありようを探ることで、活字メディアとネットメディアの未来が見えてくるのではないか。そう考えたのは、以前の記事でも語っているとおりだ。

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 そこで今回は、スタジオジブリのプロデューサーにして「熱風」の発行人でもある鈴木敏夫氏を訪問。さらに「熱風」の初代編集長で現・編集人である田居因氏と、現・編集長の額田久徳氏にも併せて話を伺った。また今回の取材には、ドワンゴのエグゼクティブ・プロデューサーで、「熱風」の寄稿者のひとりでもある吉川圭三も同席している。

 ちなみに、あえて説明をしておくならば、「熱風」の仕掛け人である鈴木氏は、いまでこそスタジオジブリの“顔”として広く認知されているが、そもそもは徳間書店で「月刊アニメージュ」の創刊に携わり、二代目編集長を務めた人物。

 つまり今回の取材は、ベテラン編集者に「メディアとは何か? 編集とは何か?」を訊くというものでもある。
 取材中に“取材のまとめかたの善し悪し”を聞いてしまうなど恐ろしい展開にもなり、そこでは映画プロデューサーの顔とはまた違う、雑誌編集者としての鈴木氏を見ることができた。

取材/TAITAI
文/伊藤誠之介TAITAI
構成/小山太輔


左から順に額田久徳氏鈴木敏夫氏田居因氏

宮崎駿が看破した「熱風」の本質は──鈴木氏の“道楽”

TAITAI:
 今回の取材の主旨を軽く説明しますと、僕はゲーム雑誌やゲーム情報サイトの編集者を長らくやっていまして、そのあいだ「編集者ができることってなんだろう?」ということを考えているんです。それをこれだけ熱量のある雑誌を作られている大先輩にお伺いできればと思いまして。

鈴木敏夫(以下、鈴木)氏:
 編集者ができること?

TAITAI:
 ええ。鈴木さんはもともと、徳間書店で「アニメージュ」の編集長を務めるなかで宮崎駿さんと知り合われ、映画を仕掛けたりなど、いろいろな取り組みをされてきた方ですよね。

 そういう経歴に加え、この「熱風」では、アニメスタジオながら雑誌を立ち上げて展開するということをやっている。“アニメスタジオが編集部を持って雑誌を作る”というのはあまり聞かない話ですし、しかもその雑誌の質が非常に高い。「この雑誌はいったい、何なんだろう?」と思ったんですね。

鈴木氏:
 ああ、それは宮崎駿【※】がひと言で看破しましたよ。

TAITAI:
 宮崎さん! どんなひと言だったんでしょう?

鈴木氏:
 じつは「熱風」を始めるときに、宮さんに断りを入れていなかったんです。そうしたら宮さんが怒ってやって来たんですよ。「こんなの作ってないで、ちゃんと仕事やってよ」と(笑)。

 僕がそれを無視していたら、数ヵ月ぐらい経ってから彼が「わかったよ!」って言いに来たんです。

TAITAI:
 へえ?

鈴木氏:
 「わかったよ! 熱風は鈴木さんの道楽なんだろ?」って。

一同:
 (笑)。

鈴木氏:
 「俺(宮崎氏)もいろいろな道楽があるから、それと同じだね」と言うから、「まあ、そんなもんですね」と(笑)。

 それで彼の認知を得られて、ときどき彼も誌面に登場するようになったんです。それまではね、「なんでこんな余計なことをやってんだ!」と本当に怒っていたんですよ。道楽なんです。

※宮崎駿……1941年東京生まれのアニメーター、映画監督、漫画家。アニメーターとして東映動画(東映アニメーション)でキャリアをスタートし、1960年代半ばの『太陽の王子 ホルスの大冒険』などで実績を積んでいく。いくつかの社を経て、1978年の『未来少年コナン』で初監督。1979年に『ルパン三世 カリオストロの城』で映画監督デビュー。この時期に宮崎氏は鈴木氏と遭遇。1982年より「アニメージュ」誌上にて漫画『風の谷のナウシカ』を連載開始し、1984年には劇場映画として公開する。翌1985年にスタジオジブリが設立されると移籍し、以降『天空の城ラピュタ』(1986年)、『となりのトトロ』(1988年)、『魔女の宅急便』(1989年)、『紅の豚』(1992年)、『もののけ姫』(1997年)といまなお愛される作品群を監督。この時期をはじめに何度となく引退を宣言、撤回をくり返しながら、『千と千尋の神隠し』(2001年)、『ハウルの動く城』(2004年)、『崖の上のポニョ』(2008年)、『風立ちぬ』(2013年)を監督し、日本のみならず世界から数々の賞を受賞している。
Image by Thomas Schulz detengase @ Flickr. Licensed under the terms of cc-by-2.0.)

TAITAI:
 (笑)。そういう逆風を受けてまで鈴木さんが「熱風」を立ち上げた意図は、いったいどこにあったんでしょうか? 2003年から始まっていますね。

鈴木氏:
 そうなんだ。じゃあもう15年ぐらいやっているんですね。
 まず建前を言うとね、「いろいろな単行本を作ろう」というのが出版の本義じゃないですか。でもいきなり単行本を作ろうとしても、なかなか実現しない。

 だったら「雑誌を作ってその中で連載をやれば、それが単行本になるよね」という考えです。でも本当は、雑誌をやってみたかったんです。それだけです。

 人がいた、というのも大きいですよね。田居さんが初代の編集長、その後に額田君という人も現れて。そうやって人にも恵まれている。それで気がついたら15年経っていると。

TAITAI:
 「熱風」は、もとからアニメの仕事とは、まったくリンクさせていなかったんですか? それともある程度リンクさせようというイメージがあって、編集をしていたんでしょうか?

 今日同席している吉川から聞いたのですが、たとえば鈴木さんが宮崎さんに伝えたいことがあると、「熱風」で記事を作って、それを宮崎さんが読む、というようなお話もあるそうですが。

鈴木氏:
 それもある。それもあるけれど、とにかく定期刊行物を作りたかったんです。そこで言いたいことがあったらたまには発言してみたい。それが理由ですよね。

 僕は糸井重里【※1】という人にずいぶんお世話になっているんですけれど、この「熱風」を始めたときにね、彼が「この手があったか」とメールをくれたんですよ。彼は僕が紙で始めたことに驚いたんです。彼はそのときにはもう「ほぼ日刊イトイ新聞」【※2】を始めていたので。

※2 ほぼ日刊イトイ新聞……「ほぼ日」の略称で知られる糸井重里井氏が主宰するWebサイト。1998年6月6日創刊。著名人へのインタビューや対談、独自の取材コラムといった豊富なコンテンツに加え、“ほぼ日手帳”をはじめとするオリジナル商品の販売も行っている。
(画像はほぼ日刊イトイ新聞のスクリーンショット)

※1 糸井重里
1948年群馬県生まれ。コピーライターとして広告の世界で活躍するほか、数々の著作や「MOTHER」シリーズなどのゲーム制作でも知られる。『となりのトトロ』、『魔女の宅急便』などスタジオジブリ作品のキャッチコピーの多くを糸井氏が手がけている。

TAITAI:
 インターネットではなく、あえて紙媒体で雑誌を作ることに、糸井さんは驚いたわけですね。

鈴木氏:
 でも僕は、あえて紙でだとか、そんなことを考えていたわけじゃなくてね。

 僕らの世代だと、その昔は総合雑誌というものがあったんですよ。「文藝春秋」や「中央公論」などの、大人が読む総合誌。それに昔から興味があって。

 なんで興味があったかというと、じつはこれは僕の人生とも関わってくる話になります。というのも、僕は『風の谷のナウシカ』から始めて、ちょうど『魔女の宅急便』のころまでかな? 「アニメージュ」を作りながら映画も作るという、二股をかけていたんです。

TAITAI:
 雑誌と映画の二股ですね。

鈴木氏:
 そう、二足の草鞋。

 昔、「多羅尾伴内」【※】という有名な映画シリーズがありましたが、その多羅尾伴内のように、あるときは映画のプロデューサー、あるときは雑誌の編集長の草鞋を履いていたわけです。

※1 多羅尾伴内……「七つの顔の男」と呼ばれる私立探偵の多羅尾伴内が、変装を駆使して七変化。事件を解決していく映画シリーズ。1946年から1960年にかけて片岡千恵蔵が主演した一連の作品がよく知られている。クライマックスで「あるときは○○、またあるときは~」と、多羅尾伴内が自身の変装を説明する決めゼリフが有名。
(画像はWikipedia|多羅尾伴内より)

 すると、たとえば宮さんと、監督とプロデューサーとして対立することがあるわけです。ところがもうひとつの顔を持っていると、今度は編集長として彼に接することもできる。その二足の草鞋が、僕にとってはものすごく居心地がよくて、「これをずっとやっていけたら」と思っていたんですよ。

 そんなときに徳間書店に総合雑誌を始める話が持ち上がり、「その編集長をやれ」と言われたんです。当時は雑誌を作ってもなかなか売れない時代になっていたけれど、僕のやっていた「アニメージュ」という雑誌が、運もよかったんでしょう、おかげさまで売れていた。それで「お前がやれば、なんとかなるんじゃないか」と。

 その話がある一方で、じつは宮さんからね、「鈴木さん、そろそろ二足の草鞋を止めて、ジブリに専従しろ」と言われたんです。

 その日のことはいまだによく覚えています。宮さんが目の前で、徳間康快【※】に電話をしちゃう。あの人(宮崎氏)は端的明瞭な人だから、余計な前置きがないんですよ。
 「もしもし。社長ですか。鈴木さんをください」って(笑)。

※徳間康快
1921年神奈川県生まれ。読売新聞の記者などを経て、1954年に「アサヒ芸能新聞」の経営を引き受ける。1961年に徳間書店を設立し、2000年に逝去するまで社長として活躍し続けた。1974年には映画会社の大映を徳間グループの傘下に収めたほか、1985年にスタジオジブリを設立するなど、映画業界にも多大な業績を残している。

吉川圭三(以下、吉川):
 そりゃスゴい電話だ(笑)。

鈴木氏:
 それで僕はね、「困ったなあ」と思ったんですよ。なぜなら総合雑誌の話に興味があったんです。

 最終的には二者択一、どっちかを選ばなきゃいけない。そこで結局ジブリを選ぶんだけれど、選んだ理由はスタッフの問題があったから。「雑誌をやる」とひとりで言ったってね、いろいろな人の協力を得なけりゃいけない。そういうときに徳間で社内を見回すと、総合雑誌を作れる人材がいなかったんですよ。

 一方で、アニメーションのほうはすでにスタッフがいるでしょ。「だったらやっぱりこっちかなあ」と思ってね、それでジブリを選ぶんです。

 でも以来、僕の中に総合雑誌をやれなかったということがくすぶっていたんですね。それをやろうなんて、ジブリのみんなの前で言ったことなんかなかったけれど、でもその思いが「熱風」に繋がっていくんですよね。

原発やリクルート事件の特集を「アニメージュ」に掲載

鈴木氏:
 「アニメージュ」を作っていて、それはそれで面白かった一方で、「中高生のための政治雑誌を作ったら面白いかな」なんて思っていたんですよ。
 その案を「広告ナシで」って会社に提出したことがあるんですが、そうしたら怒られちゃってね。「広告収入のない雑誌があるか!」とかなんとか言われて。

 だから「熱風」は、いまも広告のない雑誌なんですよ。それはあのときに考えたスタイル。広告がないと自由に物が言える。それが本来、雑誌のあるべき姿だと思っているんです。

 それで始めて最初のうちは、そんなに過激なことは言うつもりがなかったんですけれど、やっているうちになんか言いたくなってしまった(笑)。

吉川:
 ははは(笑)。

鈴木氏:
 だからテーマや思いのような「熱風」のもとになるものは、すでに「アニメージュ」の中にあったんですよね。たとえば、消費税って導入前の名前は何というんでしたっけ?

額田久徳(以下、額田)氏:
 売上税ですね。

鈴木氏:
 そうそう。その売上税の特集を「アニメージュ」で組んだんです。その号で読者の人気記事アンケートを取ったらね、なんと売上税特集が第3位だった(笑)。

一同:
 へぇ~。

鈴木氏:
 それから、まだ誰もやっていないときに原発特集を「アニメージュ」でやってみたこともある。「子ども雑誌だから誰も気がつかないだろう」と思っていたんだけれど、中には気がついた人がいて(笑)。
 徳間の当時の専務だった山下(辰巳氏)という人に呼び出され、「こういう政治的な問題には首を突っ込むな!」とかなんとか言われてね。

 でも、これは結果をしゃべると自慢話になっちゃうんですけれど、なんとその号は一瞬で売り切れたんですよ。これには驚くんですよね。

吉川:
 アニメ誌で政治的な原発の話をして、しかも好評だったと。

鈴木氏:
 ええ。さらに「アニメージュ」の原発特集の直後に、小学館の「週刊ポスト」が原発特集をしたところ、これがまた売れたんです。
 それで僕は山下にまた呼び出され、「原発記事って売れるんだなあ。お前、もう一回やれよ」と言われた。もう本当にいい加減(笑)。

一同:
 (笑)。

鈴木氏:
 僕は機先を制するのは好きなんだけれど、一回やったことをまたなぞるのは、あまり好きじゃないんですよ。それで原発記事は辞めちゃったんですけれど。

 何が言いたいかというと、昔からそういうネタに興味があったんです。80年代の終わりにリクルート事件【※】ってあったでしょ? あれは中央政界、つまり東京で起きた事件なのに、記事のスタートは(朝日新聞の)川崎支局からなんですよ。
 「なんで東京の事件なのに、川崎から記事が出たんだ?」って、僕はそういうことに興味を持つんです。それで記事を書いた記者と、記事にOKを出したデスクに会いたくなって、特集を「アニメージュ」でやったんです。

※リクルート事件
1985~86年にかけて、政財界の有力者にリクルートコスモス社の未公開株が譲渡されたことが、贈賄罪に問われた事件。神奈川県川崎市の助役への譲渡が1988年に報道されたのをきっかけに、事件は中央政界にまで波及。1989年には捜査終結を受けて当時の竹下内閣が総辞職するという、一大政治スキャンダルにまで発展した。

TAITAI:
 リクルート事件を取材した人たちの特集なんですか!?

鈴木氏:
 そう。発端となった記事を書いた記者が原稿を書いてくれて。面白かったですよねえ。そういうことに興味があったんですよね。

 そうして当時は、「子ども雑誌って本当にいろいろできる」という自信を持っていたんですよ。原発だけはうまくいかなかったけれど(笑)。

TAITAI:
 そういう自負があった一方で、映画プロデューサーとしての顔が本格的になっていくんですね。

鈴木氏:
 だからでしょうかね、その残滓がやっぱりあるんですね。「熱風」を作るときにも、ついそういうものを持ち込みたくなる。

「宮崎駿に聞けば、どうせロクでもないことを言うはずと考えた」

鈴木氏:
 「熱風」を始めたのには、もうひとつの理由があってね。

 映画ってだいたい1年間は準備期間で、実際の製作にそこから2年かかるんですよ。そうすると結果が出るのは3年後でしょ? ひとつにかかる期間が長いんですよね。
 その点、月刊誌ならひと月に1回、いろいろな反応があるから。それがよかった。

TAITAI:
 反応というのは、読者から何かリアクションがあるわけですか?

鈴木氏:
 僕の知り合いに雑誌を送っているんですけれど、やっぱり反応がすごくあるんですよ。「今月は面白い」とかね。

額田氏:
 「熱風」って部数が少ないわりには、鈴木さんの人脈がスゴいので、いろいろな業界のキーパーソンが読んでいるんですよ。

鈴木氏:
 名前を出しちゃうとアレだけれど、本当にいろいろな人が真面目に読んでくれていて。

TAITAI:
 「熱風」編集部のおふたりは、鈴木さんから「雑誌を作ろう」という話が最初にあったとき、どういうやりとりをされたのでしょう?

田居因(以下、田居)氏:
 突然だったので、とにかくまず驚きましたよね。「えっ、この人数で作るの?」って。

 私はもともと単行本を作りたくて、先ほどのような「連載をまとめて単行本を作ることができる」という話も鈴木さんからあったので、それは「そのとおりだな」と思いました。

 空手のままで作家さんに会いに行っても、単行本なんてやっぱりなかなか実現しません。「雑誌というメディアを持っていれば、それがラクに実現できるな」ということは思いましたね。

TAITAI:
 「熱風」の編集者やライターは、どう手配をするんでしょう?

田居氏:
 編集はジブリの内部の者だけです。長いインタビューなどのときには、ライターの方にもご一緒していただきますけど、基本的には内部で作っています。

TAITAI:
 「熱風」編集部員というのは、いまこの場においでいただいた皆さん以外にいらっしゃるんですか?

田居氏:
 私たち以外は、ふたりですね。

額田氏:
 でもそのふたりは、スタジオジブリの出版部として携わっているので、「熱風」の専任ではないんです。

TAITAI:
 すると実質3人なんですね。では「熱風」として取材をするときに、鈴木さんはどれぐらい立ち会っているんでしょう? また「熱風」の記事を作るにあたって、鈴木さんの方向修正が入ることってけっこうあるんでしょうか?

鈴木氏:
 いや、ぜんぜんやらないです。参加は企画を出すときだけですよ。修正も一切しない。だって事前に読まないもの。僕はあくまでも雑誌ができて読んだ後で言うんです。

TAITAI:
 すると企画会議みたいなものはあるということですね。

田居氏:
 メインの特集を決めるときは、鈴木さんに入っていただいてますね。

鈴木氏:
 本当は口を出すつもりはなかったんですけれど、途中からそうなっちゃったんですよね。やってみると手応えがあるじゃないですか。そうすると「やっぱり面白いなあ」と思って。

 もちろん、僕の意見をあんまり強要するのはよくないので、田居さんや額田君と相談しながら、「こういうテーマはどうなの?」って進めています。

田居氏:
 携わるみんなから出て来た企画を持ち寄って挙げるんですけど、鈴木さんには、おおかた否定されるよね……。

額田氏:
 だいたいダメですね……。

鈴木氏:
 そうかなあ。

額田氏:
 鈴木さんは基本、野次馬なんですよね。

鈴木氏:
 そう。それはそのとおりですね。

額田氏:
 僕も「熱風」の企画を考えるときに、鈴木さんの考えかたや反応などを、いちおう予想するんです。でもこれが見事に当たらないわけですよ。野次馬なので、ぜんぜん法則性がないんです(笑)。

TAITAI:
 (笑)。企画が通るときと通らないときの、傾向の違いすらない感じですか?

額田氏:
 それも分析したうえで企画を提案するんですけど、見事に通らない。却って「こんなのダメだろう」と思って提案したものが、「面白いんじゃない?」と言われたりして(笑)。

鈴木氏:
 なにそれ? たとえば。

額田氏:
 ヤンキー特集(2012年11号)もそうですね。
 僕が提案したテーマではありませんが、「ヤンキーなんて「熱風」には合わないだろう」と思っていたら、「これいいねえ」って。

(画像はスタジオジブリ出版部| 小冊子『熱風』2012年11号の特集は「ヤンキー」より)

TAITAI:
 鈴木さんがヤンキー特集に「いいね」と言った理由は?

鈴木氏:
 だってテーマの許容範囲が広がるでしょ。それは雑誌にとっていいことですよ。いろいろなものを扱えばいいんです。「これをやらなきゃいけない」というのはつまらないですよね。

額田氏:
 ほかにも鈴木さんは先見の明がスゴくて。たとえば「PCがなくなる日」という特集を数年前(2013年1号)にやったんですけど、そのときはまだテーマを聞いても「えっ?」という感じだったんです。
 でもいま見回すと、若い人はみんなスマホばかりで、パソコンなんか持っていませんよね。

 あとは、ウェアラブル端末もけっこう早くに特集したんです(「コンピュータはウェアラブルに、そしてインプラントへ」2014年10号)。いまごろになってようやくウェアラブル端末で健康を管理する人が増え始めています。

鈴木氏:
 たとえば「iPad」の特集(2010年7号)なんかね、ああいうのは「やろう」とうるさく言いましたね。iPadが出るときって、大騒ぎだったじゃないですか。NHKまでAppleの宣伝まがいの状態になっていて、「厭だなあ」と思った。
 そこで宮崎駿にiPadについて訊けばね、どうせロクでもないことを言うだろうなと。そういうことを考えるんですよ(笑)。

TAITAI:
 (笑)。

額田氏:
 意外な特集ということで言えば、『ヱヴァンゲリヲン』の特集(「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」2012年12号)の企画を挙げたとき、まさか鈴木さんが面白がるとは思わなかったんです。
 庵野(秀明)さんは宮崎さんや鈴木さんとも親しい方ですが、別の方向から見れば、アニメーションを制作するライバル会社とも考えられるわけです。

(画像はスタジオジブリ出版部| 小冊子『熱風』2012年12号の特集は「ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q」より)

鈴木氏:
 え、そんなことを考えてたんだ!?

額田氏:
 はい(笑)。でももともと「熱風」ではアニメーションの記事はあまりやりませんよね。

鈴木氏:
 いやあ、本当はやったほうがいいと思うんだけれどね、少しは(笑)。

TAITAI:
 それ以上に気になることがいろいろあると(笑)。

鈴木氏:
 なんか匂いがするとね、「わーって」向かっちゃうんですよ。

TAITAI:
 その「匂い」というのは何でしょう? 説明や言語化ができるものなんですか?

鈴木氏:
 気配ですよね。これはある人に教えてもらったんだけれど、「気配(けはい)」って言葉はすごく面白くてね、訓読みすれば同じ言葉が「きくばり」になる。
 僕ね、気配りはダメだと思うんですよ。気を配ったあげくできあがるものなんてロクなもんじゃない。気配りするんじゃなくて気配を感じろと思うんです。

TAITAI:
 ふうむ。幅広い人脈と、野次馬と言われた気質が、自然に気配を感じるアンテナを立てさせている感じなんですかね。

雑誌を使って、世間を騒がす火種を作りたい

TAITAI:
 「熱風」を拝読していると、鈴木さんがメディアをこう、ツールとして使っている気がするんです。

鈴木氏:
 なんですか、それ!? そういうことを考えないですよ、僕は。

TAITAI:
 たとえば自分が興味を持ったものや人に対して、メディアという建前があれば、取材と称して会いに行けるじゃないですか。

鈴木氏:
 それはメディアのいちばんいけないところだと思うんです。名刺一枚で誰にでも会えるなんて、それは嘘。「熱風」を通じて、ある人に会いたいなんて僕は思わないもの。それはつまらないですよ。

TAITAI:
 では鈴木さんが興味を持たれた方がいて、接点がないときはどういうアプローチをされるんですか?

田居氏:
 鈴木さんは、あまりそうやって動いたりはしませんね。“自然に会う機会を待つ”という感じでしょうか。

吉川:
 鈴木さんがたとえば何かの本を読んで「次はこの人にインタビューしようよ」と決めているのかなと思っていたら、想像していたのとはちょっと違うんですね。

鈴木氏:
 逆なんですよ。自分の知っている人に出てもらっているんです。読む人に伝えたいことがあるなら、出ている相手を知っていなきゃいけないと僕は思うんですけれどね。
 今月(2018年1号)の「熱風」で、斉藤惇【※】さんに出てもらっていますけれど、この人も僕の昔からの知り合いなんです。つまり自分の知り合いを広く紹介しているという(笑)。

※斉藤惇……1939年熊本県生まれ。野村證券に35年間勤務し、常務、専務、副社長を歴任。同社を退職後、産業再生機構の社長や東京証券取引所グループの初代代表執行役社長などを経て、2017年に第14代日本野球機構コミッショナーに就任した。『熱風』2018年1号(画像)には、「これからの日本の進む道」と題された、氏へのロングインタビューが掲載されている。
(画像はスタジオジブリ出版部| 小冊子『熱風』2018年1月号の特集は「斉藤 惇 ロング・インタビュー これからの日本の進む道」です。より)

吉川:
 そうなんですか。突然この人が登場して、でも読むとスゴく面白かったから、驚いていたんです。

鈴木氏:
 この人がズバッと物を言うことは知っていたんだけれど、これまで公にあまり発言していないから「もったいない」と思っていたんですよ。

 自分が雑誌を作っていていちばん厭だったのは、「人のしたことを追いかける」ということです。世間で流行っていることが半年後にしか載らない。「なんで遅いんだろう」って。
 「もっと生情報がほしい。なるたけいま起きていることを扱いたい。それどころか先取りしたい」。でも追いかけるのはメディアの宿命でしょ? それで厭になったんです。だから映画を作るほうに回ったというのはあったんですよね。

TAITAI:
 その「追いかける」というのは、たとえばいまで言うと、WebサイトがPVを集めるために世間の話題に乗っかるのが厭というようなお話ですか?

鈴木氏:
 「アニメージュ」を作っているときからそうなんだけれど、“人気作を追いかける”というのをやりたくなかったんですよ。だって面倒くさいんだもの。

 最初のうちこそ「『宇宙戦艦ヤマト』がどうした」なんて記事をやっていたんですけれど、ある日、人気作を追いかけているのが莫迦莫迦しくなったんですよ。
 それで編集会議で「編集部で人気作を作ろう」って言ったんです。編集部で人気作を作っちゃえば、それを特集すればいいわけでしょ? それで本当に人気が出たら、楽じゃないですか。

 その第一弾が『機動戦士ガンダム』なんですよ。(1979年当時は)『ガンダム』の資料が編集部に来るのが遅かったんですよね。届くともう校了日なんですよ。
 そんなとき、それを逆手に取って校了紙で記事を急遽作り直すんです。これは若かったからできたんでしょうね。その結果として何が起きるかというと、競合誌の中でいちばん大きく『ガンダム』を扱えるんだよね。

 それで「「アニメージュ」だけが特別大きな扱いをしてくれた」と、富野喜幸(現・由悠季氏)という人と接点が持てるようになり、長くお付き合いすることになる。
 そのときに僕が腹の中で思っていたのは、「『ガンダム』を人気作にしよう」と言うことです。そうすれば毎月ね、いろいろな企画を考えなくて済むから(笑)。

一同:
 (笑)。

鈴木氏:
 それがエスカレートして、ジブリになっちゃうんですよ。自分のところでアニメを作れば、それを特集すればいいんだから、もっと楽だって。

一同:
 (笑)。

鈴木氏:
 そうやって、“追いかける”ということに対して僕はものスゴく抵抗があったんですよ。自分で7、8年「アニメージュ」を作ってみてね、「つまんないなあ。騒ぎは雑誌のほうから起こしたい」と思っていたんです。

TAITAI:
 一世を風靡する作品が現れるとかもそうですし、何かのコンテンツの人気に火が点くとかもそうですけど、昔は雑誌から何かが起こることが、結構あったと思うんです。
 ですが、「いまのメディアと呼ばれるものには、そういう力がなくなっているのかな」と感じるところがあって。

鈴木氏:
 それはそういう人たちがメディアを作っているからでしょ(笑)。

TAITAI:
 むむ。なるほど。

鈴木氏:
 『風の谷のナウシカ』を作ったときもね、ヒントがあるんですよ。「雑誌から映画を作ろう」というのは、もともと「カイエ・デュ・シネマ」【※】という映画雑誌がフランスにあったんですよ。この雑誌が中心になって起きたのが……。

※カイエ・デュ・シネマ……1951年に創刊され、2018年現在も刊行が続けられているフランスの映画雑誌。同誌に批評家として寄稿していたジャン=リュック・ゴダール、フランソワ・トリュフォー、クロード・シャブロルといった人物たちは、やがてみずから映画を監督するようになり、1950年代後半から1960年代にかけて“ヌーヴェルヴァーグ”と呼ばれる新たな映画運動の波を生み出していく。
(画像はCahiers du Cinéma|Février 2018 – n°741より)

吉川:
 ヌーヴェルヴァーグだ。

鈴木氏:
 そう、ヌーヴェルヴァーグというものが誕生しているんです。それをやってみたかったんですよ。「アニメージュ」から『ナウシカ』を作ったのは、言ってみれば僕のオリジナルじゃなくて真似なんです。
 それはたまさかね、それができるところに僕がいたというのが要因で。だから「最近、雑誌から何かが起きない」というのであれば、それは何かを起こしたくない人が雑誌を作っているからですよ。

 僕の先輩で尾形(英夫氏)【※】という人がいて、その人が「雑誌ってのはな、世間を騒がすものなんだからな」って教えてくれたことがあるんです。それですよ。だから騒がしたいんですよ。世間を騒がす火種を作る。じつを言うと映画だってそう。

※尾形英夫
1933年宮城県生まれ。徳間書店に入社後、「アサヒ芸能」編集部や「テレビランド」編集長を経て、1978年に創刊された「月刊アニメージュ」の初代編集長に就任した。2007年に逝去。

TAITAI:
 その感覚は、取材のときの感覚とはまたちょっと違うものですよね。取材は起きたことに対して行くものですが、鈴木さんが仰っているのは、起きる前の「起こそう」ですから。

鈴木氏:
 でもね、取材の中でも火種は本当は起こせるんですよ。その人が問わず語りに口にした部分を拡大して、それで「バン!」と見せちゃうとかね。

 アニメーションに即して言うと、たとえば『ガンダム』を映画にしようという企画を「アニメージュ」でやったんです。これなんかはね、富野さんとしゃべりながら思いついた。
 後日、その企画を富野さんのところへ持って行ったら、彼が気に入って「ガンダム「映画」構成案第1稿」【※】という特集になったんです。それが載った号は3日で売り切れましたよね。

 そうやって、なんていうのかな、取材する側とされる側とのコミュニケーションが記事の成否にはやっぱり大きく影響しますよね。
 それは「世間に対して物を言う」、「世間を騒がす」というのが、雑誌の第一のテーマだから。だからそれはやりたくなりますよね。

※ガンダム「映画」構成案第1稿
『機動戦士ガンダム』TVシリーズ放送終了直後の1980年2月10日に発売された、「月刊アニメージュ」1980年3月号に掲載された特集記事。富野総監督の「個人的願望」と断ったうえで、TVシリーズの内容を映画4本、10時間30分の内容に再構成するという案が語られている。当該号は驚異的な売り上げを記録し、定期刊行雑誌としては異例の重版が行われた。ちなみに「ガンダム」三部作の映画化が正式発表されたのは、この特集の8ヵ月後のこと。

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