90年代初頭のアートディンクの存在感
1993年、アートディンク【※】に入社して3年目にチャンスが巡ってきた。ソニーが新しいゲームハードで、任天堂が圧倒的なシェアを占めていた据え置きゲーム機市場にうって出るという。
※アートディンク
1986年に設立のゲーム開発・販売会社。「A列車で行こう」シリーズ、「アクアノートの休日」シリーズなどが代表的な作品。本連載の著者、飯田和敏氏が在籍していた。
アートディンクはPCゲームで高く評価されていた『A列車で行こう』(以下、『A列車』)【※】に3Dの車窓モードを搭載し、発売することを決めていた。このシリーズは高い評価と多くのファンがいる人気シリーズで、成功はほぼ間違いないと目されていた。
※A列車で行こう
都市開発、鉄道運営、会社経営の3要素を併せ持つ、都市開発鉄道会社経営シミュレーションゲーム。1985年12月にPC版が発売されて以来、25年以上もの間多くのファンの方々に愛され続けている、ロングセラータイトル。ここでは、1994年12月に発売されたPlayStation版『A列車で行こうIV エヴォリューション』について言及している。
そこで『A列車』と並行して、もう一つ新規タイトルを開発するということが、僕が所属していた部署で検討されていた。
90年代初頭、PCゲームシーンにおけるアートディンクの存在感は大きかった。「A列車で行こう」シリーズを柱に、新しい切り口のシミュレーションゲームを次々と発表していた。
ロボットのプログラミングをして爆弾処理に挑戦する『ハウメニロボット』【※1】。高校野球をテーマにした『栄冠は君に』【※2】。大航海時代に船団を派遣し世界地図を作っていく『アトラス』【※3】。スペースコロニーのエネルギー循環を整備しながら移植民を増やしていく『トキオ~東京第24区~』【※4】など。
※1 ハウメニロボット
1987年11月にPC用ソフトとして発売された、自己学習型ロボットシミュレーション。ファンタスティックな鏡の国に、時限爆弾が仕掛けられた。崩壊の危機が迫る鏡の国を救うべく、ロボットは動き出す…。プレイヤーが教えた行動パターンを記憶したロボットは、その後、さまざまな状況に合わせて自ら行動をシミュレートする。
※2 栄冠は君に
1990年7月にPC用ソフトとして発売された、高校野球部育成シミュレーション。プレイヤーは高校野球部の監督となって采配を振るい、総勢3990を数える全出場校の頂点を目指す。1999年8月にはPlayStation版『栄冠は君に4』が発売。
※3 アトラス
1991年8月、PC用ソフトとして発売された新世界発見シミュレーション。大航海時代ヨーロッパ中心の視点から、世界に関する情報を集めて世界地図の完成を目指す。このシリーズの初のPlayStation版は『ネオアトラス』で、1998年2月に発売された。
思いつくまま列挙するだけで、ワクワクする気持ちが蘇る。どの作品も挑戦的かつ名作だけれど、特に『トキオ~東京第24区~』は日射時間のコントロールが少子化対策に関係するなどのシャレたディテールが詰め込まれていてキュートなゲームだった。
※4 トキオ~東京第24区~
1992年12月にPC用ソフトとして発売された、国家行政シミュレーション。スペースコロニーにできた東京都第24番目の区「トキオ区」の区長となったプレイヤーは、区を発展させるべく、さまざまな行政を推し進めていくことになる。
“社内の気風”と“PSのマインド”で通った企画
この時の僕はアートディンクの社員でありながらファンでもあった。先んじて新作をプレイすることができたのも嬉しかったし、部署やプロジェクトの垣根を超えて、こうしたゲームの制作者たちと近しい距離感で日々接していた。
白紙に打たれたアイディアのおぼろげな点描が、やがて骨格を持ち、肉付いて、最後はふさわしい衣装をまとって世に放たれていく。
PCに向かって淡々と作業に打ち込む静かな日々。ただ節目節目には小さな達成感があり、その積み重ねがやがて大きな実を結ぶという高揚感は、一度味わうとやみつきになる。
これは、ゲーム制作ならではの喜びかもしれない。
この頃、アートディンクには「ゲームになりそうもないものをゲームにしよう」というムードがあり、チームごとに日々、おもしろいアイディアを競い合っていた。『アクアノートの休日』の企画が通ったのは、当時の社内の気風によるところが大きいだろう。
【田中圭一連載】「今の異端が未来のスタンダードになる」亡き友・飯野賢治から飯田和敏が受け取ったバトン【若ゲのいたり:『アクアノートの休日』】
それに加え「すべてのゲームが集まる」というPlayStationのマインド。「これゲームなの?」という作品のリリースも発表されていた。
マーク・ロスコ【※】的なゲームを作ることは挑戦ではあったけれど、いい風が吹いていた。
PlayStationの最大の特徴である3D空間で、静かに海底を散策する“だけ”のゲームを作る。ここまではスムーズに決まった。「作ろう作ろう」と主張していた僕が自然にディレクターを担当することになって、さらに「ゴールとルールが存在しない」とコンセプトを過激な方面に強化した。
これにはさすがに、心配の声もあがる。
モダンアートの先端に「ゲーム」を配置する挑戦
僕はロスコの絵画からの影響を説明した。薄ぼんやりとした空間の中で人は一生懸命目を凝らし、あるいは視覚以外の感覚で「何か」を見てしまうことがある。
それは、人が持っている「想像力」によるものだ。このゲームは、その力に訴えかけるものにしよう。そのためにゲーム的なストレスは極力抑えたい。
『アクアノートの休日』では大きな紙にコーヒーをこぼして、できたシミをスキャナーで取り込んで海底のマップの元とした。納得出来る「偶然」が立ち現れるまで、何度も何度もコーヒーをこぼした(口に含んで吐き出したわけではないのでご安心ください)。
なぜ、絵の具や染料ではなくコーヒーだったのか。理由は単純で、いつもそれを飲んでいてテーブルの隅にあったからだ。
自分の体内に入っていくはずの飲料が、本来の用途から離れゲームのマップに転じていくことに意味を感じていた。現実世界と仮想世界の接続がどうしても必要だったのだ。
マックス・エルンスト【※1】、サルバドール・ダリ【※2】、マン・レイ【※3】といったシュルレアリスム【※4】の画家たちの事も意識していた。
※1 マックス・エルンスト
1891〜1976年。ドイツ人画家・彫刻家。ダダイスム(後述)を経てシュルレアリスムに至った。代表作は『セレベスの象』など。
※2 シュルレアリスム
日本語で「超現実主義」と訳されている、芸術の形態、主張の一つ。フランスの詩人アンドレ・ブルトン(1896〜1966年)が提唱した思想活動で、シュルレアリスムの芸術家をシュルレアリストと呼ぶ。
※3 マン・レイ
1890〜1976年。アメリカ合衆国の画家、彫刻家、写真家。ダダイストまたはシュルレアリストとして有名。
彼らはデカルコマニー(立体物の凹凸をキャンバスに転写する)、オートマチズム(憑依、睡眠、夢、無意識の作用で作品を構築する)、コラージュ(性質が異なる印刷物や写真を組み合わせて新しいイメージを作る)などの手法を駆使し、現実世界に押しつぶされそうになっている人間たちの想像力による精神的跳躍を促した。
現代の日本では不思議な感じがするものを「シュールだねー」というふうに使われるが、その語源の「シュルレアリズム」は若干ニュアンスが異なる。
直訳すると「超現実主義」。人間の想像力を解放することで現実を変革していく芸術運動だ。1924年にフランスの詩人アンドレ・ブルトン【※】が発した「シュールリアリズム宣言」から、この運動ははじまったとされている。
「現実VS虚構」というテーマにおいて、モダンアートの重要なムーブメント「レディメイド」【※1】、「ダダ」【※2】、「シュルレアリスム」、「ポップアート」【※3】は1つの線で繋がっている。
僕は、その先端にゲームを配置しようと考えていた。
※1 レディメイド
芸術作品として展示された既製品を指す。1915年、フランス生まれの美術家マルセル・デュシャン(1887〜1968年)が、自らの大量生産された既製品を用いた一連のオブジェ作品を「レディメイド」と名付けた。
※2 ダダ
既成の秩序や常識に対する、否定、攻撃、破壊といった思想を大きな特徴とする、1910年代半ばに起こった芸術思想・芸術運動のこと。ダダイスムとも呼ばれる。第一次世界大戦に対する抵抗や、それによってもたらされた虚無を根底に持っている。
※3 ポップアート
雑誌や広告、漫画、報道写真などを媒体に、大量生産・大量消費社会を表現する現代美術の芸術運動の一つ。イギリスでアメリカ大衆文化の影響のもとに誕生した。ロイ・リキテンスタイン(1923〜1997年)やアンディ・ウォーホル(1928〜1987年)などの作家が有名。
“野心作”が受け入れられた喜び
それにしても、ゲームのおもしろさの質をプレイヤーの想像力に委ねるということは、かなりの冒険ではあった。
「およそ100年にわたるダダ以降の芸術の文脈を押さえているから大丈夫!」――いやー、それはそれだ。ゲームはゲームだし、会社のリソースで作らせてもらっているのだ。これでコケたら次はない。
強気と弱気が秒単位で入れ替わりながら『アクアノートの休日』は完成した。
【飯田和敏連載】あの日、宮本茂の講評が美大生だった僕に与えた衝撃…『アクアノートの休日』を形成したクリエイター達。「若ゲ」前日譚を語ろう
予想以上の反響があった。「オレすげー」感はまったくなく、この野心作を気前よく受け入れてくれた当時のゲームファンの懐のひろさに、ただひたすら感謝していた。
ただひとつだけ。
『ポケットモンスター』を発売したばかりの田尻智さん【※】が著書『新ゲームデザイン-TVゲーム制作のための発想法』で3Dゲームの可能性を示す作品として、『ジャンピングフラッシュ』とともに『アクアノートの休日』を取り上げてくれたことは、この道に生きる者の勲章のひとつとして常にぶら下げている。
挫けそうな時、それを握りしめると勇気が出るんだ。
【あわせて読みたい】
【田中圭一連載】「今の異端が未来のスタンダードになる」亡き友・飯野賢治から飯田和敏が受け取ったバトン【若ゲのいたり:『アクアノートの休日』】飯田和敏氏と『アクアノートの休日』開発エピソードは、田中圭一先生の連載『若ゲのいたり〜ゲームクリエイターの青春〜』にも登場しました。飯田氏とゲームクリエイター・飯野賢治氏の、ゲーム開発に明け暮れた熱き青春譚もあわせてお楽しみください。