ジャンプ編集部で知った”普通”の世界
――それにしても、先ほどから聞いていると、「ジャンプ編集部」の話であったり、広告代理店的な発想での手法であったりと、どうも古くからあるマスメディア的な発想がかなり色濃くゲームに持ち込まれていたように思うんです。
桝田氏:
そりゃそうだよね。だって、ほんの数年前までゲーム業界なんて、なかったんだもん。
さくま氏:
僕も堀井くんも、元々はライターや編集者ですから、そういう発想はありますよ。雑誌を作るときに校了ってあるでしょう。あの進行管理は「台割」というものを使って行うのですが、ああいう納期の管理の仕方も、実はかなり出版社の経験が大きかったですね。
――おそらく、日本のゲーム作家の系統樹を描いたときに、堀井雄二―さくまあきら―桝田省治のような水脈というのは、実は任天堂のゲームが宮本茂からどう引き継がれていったかに匹敵するくらいの、非常に大きな流れにあるように思うんです。
桝田氏:
まあ、僕はさくまさんの弟子筋ではありますよね。テストプレイのときに、さくまさんから門前の小僧状態で教わったことが、たくさんありますから。当時は「面白くないゲームのほうが学ぶことが多い」と、よく二人でプレイしていましたね。
――お二人でどんなゲームをプレイしていたんですか?
さくま氏:
主にPC-9801(※)のゲームとファミコンですよね。当時は『信長の野望』なんかをやってましたね。
※PC-9801
90年代に大きく人気を博したパーソナルコンピュータ。主にビジネス向けをターゲットとしていたが、商用ゲームやフリーゲームが多数登場した。
桝田氏:
一度、ひどい『信長の野望』をやらされた覚えがあるんですよ。なんか、キーボードの端っこのボタンをトットットッと押すと、さくまさんの国の兵隊がボボボボって増えるんですよ。
さくま氏:
時効だと思うから言うけど、あれは堀井くんが改造したやつで、僕が彼にひどいめに遭わされたから、今度は桝田くんにやり返したんだよね(笑)。当時はゲームに、マトモなプロテクトなんて掛けられてなかったんです。
――『信長の野望 ver.堀井雄二』があったんですね(笑)。ちなみに、桝田さんにとって、さくまさんから学んだことで印象深いことはありますか?
桝田氏:
うーん、ちょっと誤解を招く言い方かもしれないけど、「バカの愛し方」かな(笑)?
やっぱり、さっきも言ったけど、さくまさんは「普通の人」のことを本当によく知っているんですよ。ゲームなんて上手くないし、少なくともゲームを楽しんでいる間くらいは、難しいことなんて覚えたくないし、考えたくもない。そういう人間は、世の中にはたくさんいるんです。その存在を頭で理解したと思うのは簡単なことだよ。でも、さくまさんは、ジャンプの読者ページで毎週毎週、みかん箱に何箱とあるような――それこそ何千万通もの「普通」の子どもたちの葉書に向きあって、それを肌で体感してきたんだよ。
僕も最初に彼らの葉書を見せてもらったときには、びっくりしたんですよ。だって、ジャンプの葉書コーナーに乗せてほしいのに、ペンで書いてこないことだけでも驚くのに、消しゴムすら使わないんだから。彼らは、指でこすって消すんですよ。そして、JBS放送局のJを「し」と書いてたりね。
さくま氏:
「頭がイイ人」には、彼らの気持ちがわからないんですよ。
あの子たちは、説明書を読まないとできないようじゃ、ダメなんです。だから、読まなくても進められるものを作りました。サイコロを振って矢印の方向に進めばプレイできるのも、それが理由です。『桃鉄』を作るときには、考えるのが苦手な子でも遊べて、でも戦略がある人はもっと上手くプレイできるというバランスで作るんです。とにかく、僕は説明書とか攻略本を買わなきゃいけないものにして、彼らが遊べない作品にはしたくないんですね。
桝田氏:
『桃鉄』のマップ上で、青森のところでりんごが笑ってたりするでしょ。 あれは、さくまさんが「日本地図だったら、誰でも知っているはずだ」という、自分の中の常識が否定された瞬間に入れたと言ってましたよね。青森といえば本州の一番北にあるなんて、誰でも日本人なら知っていると思うけど、そんなのは大間違いなんだよね。でも、「たくさんリンゴが笑ってるのは、青森」なら、何度か遊べば覚えられるわけで。
さくま氏:
以前に、”どんちゃん”にアメリカの地図を書かせてみたんです。ロサンゼルスの位置などを入れさせてみたのだけど、全く書けない。それどころか、日本地図も書けない。彼の描いた日本地図には、名古屋県が存在していて、房総半島は存在していませんでした。でも別に、そういう人は珍しくないんですよ。先日も、福井県が九州より遠いと言いだした人に会いましたし。
桝田氏:
そうかもなあ。僕も昨日、大手ニュースサイトで、「金沢県についに新幹線」って書いてるのを見たよ。
一同:
(笑)
――当時のジャンプのお仕事から持ち帰られたものは、大きいんですね。
さくま氏:
やはり600万部という場所で、ああいう仕事ができたのは大きかったですね。
ジャンプより前に担当していた『月刊OUT』という雑誌の投稿ページでは、もっとダークな部分やアダルトな部分も入れていたんですね。でも、ジャンプのあの欄を担当したことで、”王道”から外れない発想というものを身につけたように思いますね。
――その辺の”王道”っぽさって、言葉にするとどういうものになりますか。
さくま氏:
まず大事なのは、「派手に・元気に・明るく」なんです。やっぱり普通の人にウケるのは、それです。そして、「難しくするな」ですね。例えば、桂正和さんの漫画に『超機動員ヴァンダー』という漫画があったのですが、あまり人気が出なかったんですね。で、子どもたちに聞いて調べてみると、「ヴ」が読めないから入り込めないでいた。そもそも、漫画として楽しむ以前の問題だったんです。
――なるほど。
さくま氏:
あと、彼らは「下ネタ」が大好き(笑)。でも、それも「うんち」と「おなら」まで。女の子系の下ネタはダメなんですよ。だから、『桃鉄』にも「うんちカード」や「おならカード」は取り入れています。あのカードの場合は、どこに飛んで行くかわからないところも、彼らが好きなところですね。それに、「ハズした悪意」もダメです。意地の悪さのようなものが出すぎてしまうと、本当に嫌われます。
――やるなら、キングボンビーくらいスコーンと突き抜けろ、と。
さくま氏:
そうです。もちろん、キングボンビーは彼らも大好きですね。あと、まさに”キングボンビー”みたいに、名前がストレートなのも大事なんですよ。「持ち金2倍マン」みたいな、もうそのまんまの名前のほうが、やっぱり覚えてもらえるんです。
どんちゃんの仰天エピソードが次々に
――ちなみに、そういう配慮って他にもあるんですか?
桝田氏:
まず、よく企画の説明なんかで「大事なことは3つまで」とか言うでしょ。でも、重要なのは、3つ目を言ったときには、彼らは最初の1つ目は忘れているということ(笑)。
昔、岩崎(※)が『凄ノ王伝説』というRPGのチューニングをやってるときに、さくまさんと僕と例の”どんちゃん”がたまたま札幌にいたから、どんちゃんにやらせたの。すると、町の入口で「北に行くと強い敵がいるから、まず南に行け」と言われるんだけど、町の奥で別の人から北の方の噂話を聞いちゃうんだね。そうすると、もうダメ。どんちゃんは、入口で言われたことなんて、すっかり忘れちゃうんです。それで、北に突っ込んでいっては、「あ、死んだ」となるのを3回くらい繰り返してるんです。
※岩崎啓眞
『イース』のPCエンジン版の移植などのに関わったゲームプログラマ。その後も、『天外魔境II』や『リンダキューブ』などのゲームに関わる。ゲーム雑誌でのライター活動も行う。
さくま氏:
メッセージは、小さくしなければダメです。普通のユーザーは覚えられないんです。そこを忘れると、どこまでも難しいゲームになっていって、間口が狭くなってしまうんです。
桝田氏:
彼らは「覚えられない」、「1度に1個しか考えられない」、そして「コンピュータはズルしていると信じている」。これを本当に理解している開発者って、どれだけいるんだろうね。
さくま氏:
「俺は好きな目が出せるんだ」という人も、別に珍しくないですよね。
桝田氏:
『ファイアーエムブレム』に、シーダという翼が生えた女性キャラがいるでしょう。あれ、移動距離が長いから使い方が難しいんだけど、どんちゃんにやらせると、もう一気に向こうまで飛んでくの(笑)。で、当然、仲間が追いつけないから、すぐに敵に囲まれて死んで、そうしたら速攻でリセットボタン。それで「運が悪かった」と言い訳をする。
いやいや戦術が間違ってるんだから……と思うんだけど、たまに敵の攻撃を避けたり、会心の一撃が出たりして、「よっしゃあ」と喜んでるんだよね。それを見たときに、これが「普通」の人のプレイなんだよな、と思ったよね。
あと、今でも覚えているのが、どんちゃんが『天外魔境』をやってるときに、新しい村に来たんだよ。だけど、「これは新しい村じゃない」とか言いだすわけ。「なんでだよ」と聞いたら、「だって新しい武器が売ってないから。そんなのは新しい村じゃない」(笑)。
――それは、もはや名言なんじゃないですか……(笑)?
桝田氏:
凄いでしょ。ゲームの本質を突いている。でも、そんなどんちゃんも子供できたらしいからね。もう彼が、お父さんなんだよ。びっくりするね。
さくま氏:
いまでも『桃鉄』をプレイすると、キングボンビーで手が震えてますよ。そして、やっぱり上手くはならないんですね(笑)。
”どんちゃん”は本当に素直な子だったんですよ。RPGのダンジョンで端まで行ったところで、トイレに駆け込んだことがあるんです。見に行ったら、汗で濡れちゃった手を一生懸命に拭いてるんですね。でもね、そういう子だからこそ、彼の意見は貴重なんです。
『桃鉄』は、僕がそういう色んなことを学んだ読者ページの子たちが手伝ってくれたゲームです。古い日本家屋を借りて、彼らと一緒に模造紙でサイコロを振りながら作ったんです。どんちゃんもそうだし、ハマちゃんもいましたね。浜崎達也くんという子で、現在は「.hack」やワンピースのノベライズをやっています。あとは、後の漫画家の小出拓くんとかね。
桝田氏:
ちなみに、その一軒家って、僕のいたI&Sが所有してた家だったんですよ。 隣の部屋では、後のポケモンの石原恒和さん(※)が、音符を狙いながらプレイする『オトッキー』というシューティングゲームを作ってたんだよね。I&Sは第一広告社とSPNというセゾングループの代理店が合併してできた会社で、Iは第一広告社の一で、SはSPNだったんです。石原さんは、合併したときにSPNの側から来たんですよ。
※石原恒和
株式会社ポケモン代表取締役社長。株式会社クリーチャーズ代表取締役会長。『ポケットモンスター』シリーズのプロデューサを務め、ポケモン関連ビジネスを手がける。
堀井雄二がゲーム制作を奨めた理由とは
――少し、さくまさんがゲーム制作に向かった背景をお伺いしたいんです。さくまさんの実家はおもちゃ屋とお聞きましたが、ゲーム制作に影響がありましたか?
さくま氏:
やはり、結果的にはあったと思いますね。
子どもの頃から、野球ゲームをノートで作って、鉛筆を転がして打者がヒットかホームランかを決めたりして、遊んでいたんですよ。それが、サイコロの出目の出現確率みたいなのを体感で得ることに繋がりましたね。例えば、確率的には3割というと少なそうだけど、3割打者ってかなりの打率で打っている感覚があるじゃないですか。こういう感覚が確率の設定に役立つんです。
――数学的な確率の問題とは別に、リアルでの人間の確率についての体感値のようなものがあるわけですね。「3割」というのは、人間にとってはかなりの確率で起こっているようにみえるんだ、と。
さくま氏:
巨人の川相選手なんて、打率でいうと2割5分の打者だったから、プロ野球好きの感覚ではそんなに打っている人ではなかったんですね。でも、数字に直してみると、例えば2割5分の打者の成績と3割打者の成績って、実は0.25と0.3というたかだか0.05の差でしかないんです。こういう細かい数字の体感を持っているのは、やはり野球のおかげなんでしょうね。
――ゲーム制作という点では、堀井雄二さんとの出会いが大きかったのですか?
さくま氏:
堀井くんの作ったゲームは、僕はよくテストプレイをしたものですよ。『ポートピア連続殺人事件』をプレイさせられて、「文字入力なんて難しいから、選択肢にしなよ」と伝えたりね。
――あのゲームから、アドベンチャーゲームに選択肢を選んで進める発想が取り入れられたと聞いたのですが、それはさくまさんのテストプレイでの指摘だったんですね。
さくま氏:
そうですよ。あと、『ポートピア』の絵を見て「この絵はイマイチだなあ……僕が描こうか」と言ったら「すまんのう、わしが描いたんや」なんて言われました(笑)。堀井くんはあまり絵が上手じゃないんですよ。本当は漫画研究会の周辺でも一番漫画が上手かったくらいなんだけど、事故で描けなくなっちゃったんです。堀井くんがライターの道に進んだのは、それからだったんですね。
そんなある日、堀井くんがゲームについて「ワシが作れるなら、お前も作れるやろ」と言い出したんですよ。「分からないところがあれば、ワシが教えてやるから」と。それで、ついその気になって作ったのですが、実際に作ってみると、もう本当に苦労するんですよ。それで「大変だよ」と言ったら、堀井くんが「せやろ」と嬉しそうに言うんですよ。聞いたら、ゲーム制作があまりに大変だから、その苦労を分かちあえる仲間が欲しくて、僕をこの道に誘ったと言うんですよ(笑)。
一同:
(笑)
さくま氏:
ヒドい話ですよね(笑)。
ただ、堀井くんとは大学時代から、しょっちゅう一緒に遊んでいました。そもそも僕の実家は西武新宿線の上井草駅の横にあって、堀井くんの下宿もその沿線の都立家政という駅にあったの。同じ沿線にいたから、定期券で遊びに行きやすかったんですね。
――鉄道のゲームというのは堤義明さんからの影響ですし、本当に当時の西武鉄道が生んだゲームだったんですね(笑)。
さくま氏:
そう言われると、本当にそうだよね(笑)。
で、大学生の頃に、僕や堀井くんは30校くらいの漫画研究会の連合にいたんですよ。そこの貧乏な連中で、近所どうしで集まって、みんなで500円ずつ出しあって、カレーを作ったりしたものですよ。あの頃は、もうみんな本当に貧しくてね。そうそう、貧乏神の”えのっぴ”くんも、漫画研究会のつながりですよ。
――やはり榎本さん(※)は一番貧乏だったとか……。
※榎本一夫
有限会社バナナグローブスタジオ代表取締役。『ドラゴンクエスト』のロゴデザインなどを手がけた。『桃太郎電鉄』における貧乏神のモデル。
さくま氏:
いやいや、当時はみんな一律に貧乏ですよ(笑)。
桝田氏:
その後の話で言ったら、むしろ榎本さんは立派な数の社員を抱えた会社も作ったし、一番マトモな人ですよね。なんか、パーティーとかで会う人に、よく「ボンビーにはひどい目に遭わされました」と言われるらしいですけどね。
一同:
(笑)
さくま氏:
僕も「いつもひどい目に遭ってます」とか、よく言われると聞きました。なにせ、鳥山明さんも悔しがってたくらいですからね。
でも、既に榎本くんは当時、お勤めをしていたはずですよ。営業先で堀井くんに会ったという話を聞いた覚えがありますから。それで、彼が会社をやめるという話を聞いたから、取扱説明書やパッケージを頼むようになったんです。だって、初代ドラクエのロゴをデザインしたのは榎本くんですからね。
――……知りませんでした。
さくま氏:
ああ……昔はわりと有名な話だったけど、もう若い人は知らないよねえ。土居くん(※)もこのグループにいたし、慶応大学には『ポポロクロイス物語』の田森庸介くん(※※)もいたし、本当にお友達同士でその後も仕事をしていたんですよ。
というのも、僕たちがちょうど就職活動になった時期に、オイルショックが来てしまったんです。僕も、本当は親父が日産に勤めていたからそっちに入社したかったのだけど、ダブっていたのもあって上手く行かなかった。仕方なく、僕たちは自由業になり、ライターやカットを描いて生活していたんです。それで貧乏だったんですよ。
※土居孝幸
『桃太郎伝説』や桃太郎電鉄シリーズの作画やキャラクターデザインを務めたデザイナー。ジャンプ放送局にも登場した。
※※田森庸介
漫画家。児童向けの作品を多く手がける。代表作は、『ポポロクロイス物語』『死神マーヤ』など。
桝田氏:
広井王子さん(※)もさくまさんと同世代ですよね。彼も、やっぱり自由業になってしまったわけですからねえ。
※広井王子
漫画、アニメ、テレビゲームなどの原作を手掛けるマルチクリエイター。レッド・エンタテインメント顧問。代表作は『サクラ大戦』『魔神英雄伝ワタル』など。
――その漫画研究会仲間たちがオイルショックにぶつかったことで自由業になり、やがてゲーム業界に流れ込んでいくわけですね。
さくま氏:
ホントは漫画に行くのが自然だったはずなんだけど、なぜか漫画にも行かなかったんだよね。あの界隈だと、このあいだ昼ドラになった『幸せの時間』の国友やすゆきさん(※)くらいじゃないかなあ。あの作品は600万部くらい売れたらしいですね。
※国友やすゆき
漫画家。『幸せの時間』以外にも、累計500万部を超えた『JUNK BOY』や、緒形直人主演でドラマ化された『100億の男』などの人気作を手がけた。