世界の奥深さは、「あえて決めていないこと」から?
──事前に、『ダンジョン飯』は「説明する部分」と「説明しない部分」をハッキリ意識した上で描かれているとお聞きしたのですが、そこを詳しくお聞きしてもよろしいでしょうか?
九井氏:
色々なファンタジー小説やゲームに触れてきて、「気持ちが挫ける瞬間」は、「横文字の連発」なのかなと思いました。「〇〇の〇〇の〇〇」といった時に、カタカナが3つ以上出ると読み飛ばされる確率が高くなる。
だから、なるべく町の名前も「隣町」と言い換えたり、回想で登場するキャラもフルネームではなく「おじさん」と言い換えたりして、説明をしなくても読者がわかるようにしています。
『ダンジョン飯』の戦闘中に使われる魔法なども、「絵で見たらどんな魔法かわかる」くらいの描写にしています。
──『ダンジョン飯』の「あえて設定を固めていない部分」は、他に挙げるとしたらどういった点になるのでしょう?
九井氏:
「数字」と「言語」はなるべく触りたくない設定の筆頭です。たとえば、「〇月生まれ」という誕生月を決めるだけで、まず「この世界には月がある」ことが確定します。さらにそこから、「じゃあ重力もあるんだ」ということまで決まってしまいます。
もっと言うと、「誕生日」の概念があるだけで、「1年」という括りがあり、その世界が365日周期であることが決まります。全部が全部、ちょっと引っかかるところになってしまうんですよね。
でも逆に、詳細に設定を決めて「この国の通貨は1ゴールドで5円分」といった形にしてしまうと、読者には負担をかけるようになってしまう。作品を読んでいる時に、いちいち読者の頭の中で「1ゴールド=5円」に変換することを強いてしまいます。そこは、できる限り「読みやすさ優先」で描いていますね。
ただ、本当の意味で「ファンタジー」をやるなら、その世界の暦やメートル法にあたる何かを作ったほうが世界に入り込めるので、そこの塩梅は難しいですよね……。
──その「あえて説明をしない」というスタイル自体が、かなりすごいものだと思います。
広井氏:
そこは、『ダンジョン飯』がふざけたタイトル名なのも確実にあると思っています。
読者にとっての「マインドセット」が少し違うというか……一番最初の時点で、「この作品はそんなに難しいことは言ってこないはず」という認識を持たせられているんじゃないでしょうか。
九井氏:
あと、「キャラクターの名前」も、ちょっと考えながらつける部分でしたね。
たとえば、『ウィザードリィ』の主人公キャラには、最初から「戦士」や「魔法使い」という職業に対応した名前がつけられています。『ダンジョン飯』の「センシ」はそこから取っていて……「あそこの人を活躍させたいな」と思ったところから命名しました。
だから、センシの海外版の名前は「Fighter」にしてもらいたかったのですが、海外の読者さんが「どういうこと……!?」と感じてしまいそうだったので、私の頭の中に留めておきました。
──『ダンジョン飯』のキャラ名は、割と3~4文字くらいでいい感じに収まっていますよね。
九井氏:
名前が長くなると、フキダシに収まらなくなるんですよね……。
大体ふきだし内の一行は7〜8文字くらいまでが読みやすいと言われています。
だから、「チルチャック」とかはすごい長くて……本当は「チル」という略称をもっと使えるだろうと思って命名したところもあるのですが、あまり上手くいかず結果的にはずっと「チルチャック」と呼んでいました。私としても、「長いなぁ」と思いながら描いていました(笑)。
一同:
(笑)。
九井氏:
とにかく、「4文字くらいが助かるかな」という漫画的な都合は結構ありますね。
──ちなみに、『ダンジョン飯』のキャラ名にはなにかしらの命名法則があったりするのでしょうか?
九井氏:
緻密にはないのですが、「作中の設定」と「自分が楽しむだけのメタ的な設定」があったりします。
たとえば、シュローのパーティは「そういうプレイヤーがつけた名前」なんですよね。『ウィザードリィ』のようなゲームをする時に、「紅茶縛り」で名前をつけたりする人がいるじゃないですか。そういう感じで、メタ的にはシュローパーティは植物縛りで命名したプレイヤーが遊んでいるイメージです。
しかも、プレイヤーは女の子が好きだからパーティメンバーも女の子ばっかりとか、そういう……(笑)。
広井氏:
えっ、それ知らなかったけど!
九井氏:
……という自分だけのお楽しみもありつつ、「女性中心でパーティーを組んでいるのはなぜか」「なぜ名前に共通点があるのか」といった疑問から、キャラ作りができることもある。
ただ、この辺の設定も作中で発表したところでお話が面白くなるわけでもないので、あくまで「自分の中だけの設定」ですね。
──その「あえて出していない設定」というのは、具体例を挙げるとどういったものになるのでしょうか?
広井氏:
私が「エルフの国をもうちょっと具体的に描いてほしい」と言った時に、九井さんと「それは描きすぎている」という話になったのは未だに覚えていますね。
それこそドワーフの国は割と描写されていたので、個人的にはもうちょっと出してもいいんじゃないかと思ったんですが……。
九井氏:
そこを描いちゃうと、読者の想像力を狭めるような気がしたんですよね。
「なにかがありそうに見えるライン」というものが確実にあって、読者の想像力に任せた方がいい部分に関しては、あえて「描かない」という選択肢を取ることが多いです。
あとこちらが、「読み流していいよ」というつもりで出した設定も、読者は結構憶えようと頑張ってくれるので……。
すべての始まりは、「鼻からそばを食べる」漫画
──少し話が戻りますが、九井先生と広井さんの出会いはどういった形だったのでしょうか?
広井氏:
こちらからスカウトした形だったと思います。
九井さんがPixivに載せていた短編を見て、直接「マンガ描きませんか?」というメールを送りました。たしか、「鼻からそばを食べる」という4コマ漫画がすごく面白かったんですよね。鼻からそばを食べて、「イタタ」と痛がる内容の漫画で……それを見た時の「うわ、痛そう」と感じる画力に惹かれたのだと思います(笑)。
そして声をかけたところから、今に至ります。
九井氏:
えっ、そうだったんですか……?
『進学天使』【※4】とかじゃないんですか。
広井氏:
違いますよ!
鼻からそばを食べる漫画は『進学天使』より前でした。ちなみにその漫画は『ラクガキ本』に載せる予定だったのですが、九井さんに「これ掲載していいですか?」と聞いたら、すごく嫌がられたという……。
九井氏:
いや、別にいいですけど……それ他の人にはそんなに面白くないと思いますよ。
一同:
(笑)。
広井氏:
でも、それがもう10年以上前の話ですからね……。
──ちなみに、九井先生に出版社から声がかかったのは広井さんが初めてだったのでしょうか?
九井氏:
その前に、イースト・プレスの編集さんが声をかけてくれていました。元々趣味で描いたファンタジー漫画を個人サイトで発表していました。それをまとめて同人誌にしてコミティアに出たところ、「この長編漫画を単行本にしてみませんか?」と声をかけていただいたんです。
ただ、その編集さんがいろいろな人に聞いて回ったところ、「これは売りづらいだろう」という話になったらしく……その話はなくなりました。代わりに、同時期に発表していた短編漫画を「短編集」として発売することになりました。それがイースト・プレスさんから出ている『竜の学校は山の上 九井諒子作品集』ですね。
それ以外にもいくつかご連絡をいただいたりしていたのですが、今でもお付き合いがあるのは広井さんとイースト・プレスの編集さんのおふたりですね。
──短編やWebマンガを描いていた頃から商業で連載を始めるにあたって、なにか「連載作品の描き方」などは勉強されたりしたのでしょうか?
九井氏:
漫画の描き方はほぼすべて、広井さんとハルタの編集者さん・作家さんたちから学びました。
コマ割りの善し悪しが全然わからなくて、連載中頃あたりまでは毎回、ネームを1コマ1コマ並び替えたり、「ここにこんなコマを置くな」と説教されたりして。
あと他の作家さんの生原稿などを見せて貰って、感動したりもしました。印刷で見ても綺麗なんですけど、実物はもっと迫力あるんですよね。漫画の絵がうまいってこういうことか〜って。
思ったより、全然完結しなかった
──「連載」でいうと、さきほど「当初は5巻くらいで終わらせるつもりだった」というお話が出ていましたよね。九井先生の中では、『ダンジョン飯』は想定より長く続いた形なのでしょうか?
九井氏:
まず「連載」の感覚がよくわからなかったので、「何ページでどのくらいの話を進められるのか」も把握していませんでした。だから、当初は「5年くらいで、5巻でうまく話を完結させられる」と思っていました。
でも、ぜんぜん完結しませんでした。
いやぁ、大変なんだなぁ……って(笑)。
広井氏:
正直最初に「5巻」と言っていた時は内心「(ウソだろ……?)」と思ってましたよ。口では言わなかったですけど(笑)。
──正直読者としても4~5巻のレッドドラゴン戦付近で「あれ?そろそろ終わりそう……?」とは感じていました。
九井氏:
当初の段階から、「折り返しでレッドドラゴンを倒す」のを目標にしていました。でも、5巻想定だったのに、4巻でレッドドラゴンと戦っている。そこで「あれ?終わってないじゃん」と思い、段々と気が遠くなりました。
もう、10巻くらいになると、描いても描いても終わらないような気持ちになりました。別に引き伸ばしたいわけではなかったのですが、どれだけ描いても全然終わりませんでした。
広井氏:
編集から見ても、10巻あたりから九井さんはすごく焦られていましたね。
──長期に渡った『ダンジョン飯』の連載を終えてみて、なにか心境の変化などはありましたか?
九井氏:
やっぱり、「このくらいの規模の話を描くなら、10年かかる」という経験を得られたのが大きいですね。そしてこの先の寿命と、あと何作描けるかを考えると……気が遠くなりますね。
広井氏:
もう、常に気が遠くなってるじゃないですか……。
──九井先生の頭の中には「描きたい作品」がまだあったりするのでしょうか?
九井氏:
そんなにはないです。でも、漫画を描くのが好きなので、いっぱい描きたいなとは思っています。また10巻続けられる体力があるのかどうかもわからないですけど、漫画家という仕事をなんとか続けていきたいですね。
でも、たぶん……次はそこまで売れないんじゃないかな……。
広井氏:
やめて! そんなこと言わないで!!
一同:
(笑)。
九井氏:
その点でいうと、『ダンジョン飯』は売れてくれたので、イメージしていたものを最後まで描ききれました。今度は、逆の「売れなかった場合」を想定して、もっと短くまとめることも考えた方がいいと思っています。
そこが、次の新しい課題ですかね。
──次回作への期待もそうですが、九井先生はなにか「プレッシャー」を感じられたりはするのでしょうか?
九井氏:
私の場合、初めて出した短編集が割と評判がよかったんです。初めて描いた漫画にしては、という程度ですけど。
それはそれで安心したのですが、同時に「次回作も評判が右肩上がりになるのが理想だけど、絶対に波はある」と感じました。もし、次の評判がダメだった時に腐らずに描けるのかどうか……まさに「自分との戦い」が始まったばかりなんだと自覚して、1冊目の時にゾッとしましたね。