時間が過ぎても、
僕はまだ悩んでいる。
本当に、いいのか?
たった5人の同胞を、
自分たちで殺すなんて……
しなければ、もっと犠牲が
出るかもしれない。
出ないかもしれない。
でも、もし出たなら……
『死体の乙女』は、
最悪の状況でも、
次善(じぜん)を尽くすことを尊ぶ……
だからって……
「……もうすぐ、夜ですね。
天気が良かったせいか、
今日は多く進めました。
皆さんの沈黙と勤労に、
改めての感謝を。
ここで足を止め、
すべきことをしましょう」
「……ほんとうに、やるの?
ゴニヤはやっぱり、
えらびたくないわ……」
「気持ちは分かるぞ、ゴニヤ。
じゃが……理不尽も、
したくもない決断も、
時に要るのが人生でのう。
それで傷つき、磨かれた魂を、
『死体の乙女』は選ぶ。
踏ん張りどころじゃぞ」
「その通りです、ウルヴル。
悩み、迷い、
同胞を想うことを、
我らは誇りましょう」
「……能書きはいらない。
済ませよう。
日が落ちる前に」
ヨーズのいらだった、
しかし真摯な声に、
僕らは口を閉じ、
詠唱を待った。
「『ヴァルメイヤ、
我らを導く死体の乙女よ!
信心(しんじん)と結束をいま示します!
ご照覧あれ!』
血と肉と骨にかけて──
みっつ!
ふたつ!
ひとつ!」
掛け声に合わせて、
僕らは一斉に、指さした。
そして、言葉を失った。
ビョルカさんが指さしたのは、
ジジイ。
ゴニヤが指さしたのは、
ヨーズ。
ジジイとヨーズが
指さしたのは、
……僕だ。
「『死体の乙女』の名において、
ワシはフレイグを指名する。
言いたくもないがの……
今のワシらの中で、バケモノと
戦えるのは実質、小僧だけ。
ヨーズも斬り合いじゃ
小僧に敵わん。
ゆえ、敵が乗りうつるなら、
小僧じゃろう……」
……は?
何を、言い出すんだ?
別にいいんだ、
僕が選ばれること、
それ自体は。
なぜそんな、
言わなくていいことを──
「私、べつにない。確証とかは。
ただ。
選ばなきゃならないなら。
殺せるの、
この中では、フレイグだけ」
──待ってくれ、
待ってくれ、ヨーズ、
お前が僕を嫌ってるのは
知ってたけど、
本気で、
殺していいとまで
思ってたって?
だから、今選んだって?
何だよ、
何だよ、それは……!
「ふたりとも、おかしいわ!
どうしてそんなこというの!?」
「ゴニヤの言う通りです!
『儀』で我らのすべきは、
ただ、選ぶことのみ!
それ以外の言葉は不要です!
まして、そのような、
言い訳のめいたこと……!
これはヴァルメイヤへの
裏切りですよ!」
「……知らない。私は以上」
言って目を反らす、ヨーズ。
2人の雑な言葉は、
ノコギリのように
心を削っていった。
あえて口にされた、
僕への疑念が、
僕への嫌悪を、
露わにしたものに思えて。
「……乙女への裏切り、じゃと?
じゃあ聞くがのビョルカ。
何の理由も聞かされず、
ただ『犠』となるほうが、
納得いかんとは思わんか!
ワシなら思うぞ!
剣が折れたならなぜ折れたか、
ワシの腕か、使い方のせいか!
知らずには死に切れん!
全てを乙女の意志じゃとして、
いったい誰が救われる!」
「……まあ、分かる。
鍛冶も、猟も、
『なぜ』を考えなきゃ
やれない仕事。
みんなが嫌う、
『理(り)』ってやつ。
フレイグも、分かるはず」
……ああ、分かるよ。
『理』の追求は、
『死体の乙女』の信仰では
ある意味で避けられてる。
それは人を、際限ない追及と
攻撃へと駆り立てる。
刃と同じ。
振り回せば人を傷つける。
だから、使うなら僕や
レイズルさんの仕事、
そのはずだろ……
なぜそうやって、
僕に向けるんだよ……!
「わからない……
『理』はこわいものと
おそわったわ。
こんなやりかたで使って
ほんとうにいいのかしら……
こわいわ……ふたりとも!」
「落ち着きなさい、ゴニヤ。
確かに『理』は、我らでなく
ヴァルメイヤに委ねるべき。
しかし刃と同じく、
人を想う心があれば役に立つ
ものでもあります。
……分かりました。
あなたがた2人が
あくまで良心に基づいて
『理』を振るうと言うなら、
信じましょう」
「私は別に、『理』なんて……」
「しかし、それを他人に強いる
ことはできません。
私やゴニヤが、良心に従って
黙っておくこともまた──」
「──いや、だ、
明かして下さいよ、
ビョルカさんも、ゴニヤも、
でないと、
でないと僕は……」
「フレイグ!?」
「そうしないと!
みんな同じにしないと!
なんか……イヤなんだよ!
分かるでしょ!?」
苦し紛れに吐き出した言葉は
みにくかった。
恐ろしかったんだ。
僕への疑いだけが、
『理』という刃で
ギラついてるのが。
ゴニヤやビョルカさんの
疑いが、刃の有無も明かさずに
ただそこにあるのが。
『理』を避ける『村』。
僕はそれが不思議で、何なら
少し気に入らなかった。
でも、自分が食らって、
分かった。
これが『疑』だ。
『信』を失い、
際限なく人を疑う、
『理』が起こす災いだ……
いちど『理』を手にすれば、
こうなってしまうから、
『乙女に返す』のも
ひとつの知恵だったんだ。
「……皆の気持ちも分かる。
じゃが、ここはあえて、
『理』を手にとるべきと
ワシはあえて繰り返す。
ゆえに皆が、疑いの理由を
述べることにも賛成じゃ。
いずれそれを振り返って、
分かることもあろうからの。
ビョルカよ。
どうしてワシを指さした?」
「……ふう……
分かりました。フレイグまで
それを望むというのなら……
『理』で救いがあるか、
試すこととしましょう。
では、言います。
『儀』をすると決めてすぐ、
あなたはすぐ『理』に
走りましたね、ウルヴル。
職人としての心がそうさせた
とも思えましたが、少し、
奇妙に思えた。
それ以上のことはありません」
「ムウ……なるほどのう。
ゴニヤ、お前はどうじゃ」
「ゴニヤは……ゴニヤは……」
「……もしあなたが良心から
言いたいのであれば、
ヴァルメイヤへの責は
私が負います。
でも、いいのですよ、
無理をしなくても……」
「……ううん! 言うわ!
こどもだからって
あまえたくないから!
ゴニヤには、つよい理由なんて
ありはしないの。
ただ、ヨーズが……
さいきん、フレイグに、
なんだかつめたくて、
へんだから……」
ヨーズは顔を反らしたまま、
ただ、肩を小さくすくめた。
それだけ。無言だった。
「……そう。ありがとう。
では、フレイグ。
あなたの『理』を聞く番です」
「……僕は……」
狼(a)
「……僕が、
ヨーズを指さしたのには……
『理』なんて、ないです……
ただ、一人を選ばなきゃ
ならなかったから、
選んだだけで……」
それは9割本当で
1割は、真っ赤な嘘だった。
間違いなく、
僕は、イラ立っていた。
最近のヨーズの態度に。
誰も選びたくないけど、
誰も犯人だとか思わないけど、
選ばなきゃならないなら。
嫌なやつが、一人。
そう思って、
選んだんじゃなかったか……
「……」
いつの間にか下を向いていた。
顔を上げると、
ヨーズの視線が真っ直ぐに
僕をとらえていて、
心臓がちぢみ上がる。
『死んでいいのは僕だけ』
理由は分からない。
けど結局、お互いの不快感、
嫌いさで指さしたって点で、
僕らはそっくり同じなんだ。
だから、僕が恥じるべきは、
ヨーズに対してじゃない。
良心で選ばなかったこと、
それを隠したこと、
全ては『死体の乙女』に
対する罪だ。
それでも、
口にはできなかった。
「……分かりました、フレイグ。
それがあなたの本心なら、
信じることとしましょう。
それで、結果ですが。
こたび各々が指さされた数は、
フレイグ、2人。
ヨーズ、2人。
ウルヴル、1人。
となりました」
「ヴァリン・ホルンは
未(いま)だ成らず。
ただ一人を選ぶため、
決選の儀を行います。
フレイグとヨーズを除いた
3人により、
どちらか一人のみを選びます。
……では、早速の指名を……」
「ビョルカ!
ふたりの言い分をききたいわ!
ひとことだけでも!
でなきゃ、えらべないもの!!」
「ムウ……そうじゃの、
ワシもそれがええと思う」
「……だ、そうですが。
何かありますか、二人とも」
「ありません……」
「ない」
「そんな……
フレイグ! ヨーズ!」
「『ヴァルメイヤ、
我らを導く死体の乙女よ!
今一度、我ら同胞の……
信心(しんじん)と、結束を示します!
ご照覧あれ!』
血と肉と骨にかけて──
みっつ!
ふたつ!
ひとつ!」
──3人が、指さした相手は。
ジジイが、僕。
ゴニヤが、ヨーズ。
この二人は、
投票先を変えなかった。
そして、
さっきジジイに投票した
ビョルカさんが、
ヨーズに投票した。
『犠』になるのは、ヨーズだ。
「ヴァリン・ホルンは
ここに成りました。
日没。
ヴァルメイヤの刻限です。
間もなく、『犠』は
乙女へと捧げられる。
……ヨーズ、これを。
目隠しです」
ビョルカさんが、
ボロを千切った布切れを渡す。
それをゆっくりと受け取った
ヨーズは、
なぜか、僕を見ていて、
シークレットを見る(Tap)
(納得は、した。
恥や、いら立ちや、面倒で、
言葉を削って、削って。
それで、こうなった。
当たり前に、
あんたから死を受け取る。
それを受け入れられてるのが、
少しだけ、嬉しい。
おかしくて、ごめん。
あんたは、悲しいよな。
忘れて。
逃げ延びて。
幸せに、なってくれ。)
──フレイグ、
ごめん、と。
なぜか、
そんなことを言った。
一筋の涙を流して。
……すぐに顔を腕で
乱雑に拭うと、
ヨーズは目隠しをして、
小さく言った。
「おねがい」
それもきっと、
僕に向けられた言葉。
みんな僕を見ている。
僕を見て、
うなずいている。
幼いゴニヤさえ、
震える泣き顔で、
うなずいている。
これが、僕の役目。
……おかしくないか。
なぜ、僕らは、
こんなマネをしてるんだ。
そんな疑念も許されない役目。
祈りを捧げなきゃ、
祈りを、
「──ヨーズ、ごめん──」
──迷った挙句の、
誤った言葉、謝りの言葉──
裏腹に、手は、
嫌になるほど
なめらかに動いて、
剣を抜き、
振り払い、
幼なじみの女の子の、
命を奪った。
【ヨーズ死亡】
【1日目の日没を迎えた】【生存】
フレイグ、ウルヴル、
ゴニヤ、ビョルカ【死亡】
ヨーズ、レイズル
別離
その後、僕らは
レイズルさんと同じやり方──
血を大地にしみこませたのち、
土と石で塚(つか)とするやり方で、
死体の乙女への捧げものと、
ヨーズの弔いを済ませた。
とっくに日は落ちていた。
……思うところは
山ほどあるけど、
まずは野営の準備を
しなきゃならない。
そんな時、
またもウルヴルのジジイが、
妙なことを言いだす。
「ひとところに固まるのは、
しばらくよさんか?
『儀』によって許され、
清められたと思いたいのは
山々じゃ。
しかし、みんなバラけて
眠れば、もう少しばかり、
安心して眠れるじゃろう?」
「ウルヴル、あなたはまだ、
同胞を疑って……」
「……あえて言うが、
いま必要なのは
『正しく疑うこと』じゃ!
ええか?
ワシらは今夜、いや、
今後すべての夜、
ひとりたりとも『狼』に
やられるわけにいかん。
そのために手を尽くす!
それがヨーズへの弔いにも
なると思わんか、ビョルカ!」
「……し、しかし、
『儀』が済んでも禍根(かこん)を
引きずるのは……
我らのやり方とは、
違うのでは……」
「……我らのやり方。
巫女のやり方か。
お前がそれにこだわるのも
まあ分かるわい。
それならほれ、今はちょうど
凍越祭(とうえつさい)の時期じゃろ。
巫女さんらが山中で、
ひとり一個のテントで、
夜通し祈って過ごすんじゃろ。
オスコレイアに皆殺しに
されんように、離れ離れで」
……オスコレイアというのは、
『村』で言い伝えられる、
妖怪みたいなものだ。
冬の山を駆けまわって
人を殺す、恐ろしい怪物。
『死体の乙女』と敵対してる、
とか何とか。
要するに、寒さや獣の危険を
教えるための作り話さ、と
レイズルさんは言ってたっけ。
「オスコレイアをおそれるが故、
生まれた伝統じゃとすれば、
理由までは分からんが、
きっと先人の知恵がある。
従う意味はあるとワシは思う」
「……分かってくれんか、
ビョルカ。
ワシはもう、レイ坊やヨーズの
二の舞はごめんじゃ。
それに、何よりも、
ゴニヤを同じ目には
合わせたくはない……」
「ウルじい……!」
ゴニヤが涙ぐみ、
ジジイにすがりつく。
今日はジジイの雰囲気が
おかしかったから、
ようやく緊張が解けた、
って感じだ。
子供や若い者を思うゆえ、
あえて厳しく
『理』を振るった。
それで、ジジイの言動に
説明がつくか……?
一方でビョルカさんは、
難しい顔でうつむき、
考え込む。
これも、分からない。
『儀』の途中からずっと、
ビョルカさんは、
……その、なんというか……
「……ええ、分かりました。
『護符』はある程度離れても
効くようですから。
各々(おのおの)離れて、
休むこととしましょう」
ブレてる……ように見える……
ジジイの『理』が強硬(きょうこう)で、
心が動くのも正直、分かる。
でも本来ビョルカさんは、
そんなことでは揺るがない、
芯のある人のはずなのに。
……いや、駄目だ。
僕がビョルカさんを
信じないでどうする。
ビョルカさんが決めたなら、
従うだけだ。
そんなわけで、
昨晩とはうってかわって、
バラけて休むことになった。
決まったら、すぐだ。
特に準備も要らない。
各々、ベッドロールを抱え、
「気を付けてね」とか、
短い言葉とともに別れるだけ。
「これが、いちばんいいの……?
うたがいあって、
はなればなれが?
でも、『狼』のことを
ほんとうに気にするなら……
……わからないわ……
だれも、わからないのね……」
そんなことをブツブツ言って、
ゴニヤも去っていった。
僕も同じ気持ちだ。
これがいいのか悪いのか、
もう分からない。
でも、本当は、迷う資格なんて
ありはしない。
ヨーズを手にかけたのは僕だ。
それが誤りだったなんて、
絶対にあってはならないから。
雪がちらつき始めた。
日が落ちてから、
急激に気温が下がってる。
……夜半には、
吹雪になるかもしれない。
オスコレイアのお出まし、
ってわけだ。
『護符』を預かっている僕は、
あまりここを動かないほうが
いいんだろうけど……
誰かと少し話したい気もする。
……行ってみるか。
ジジイが去っていった方を
目指すことにした。
『儀』で僕を指名したこと
だけじゃなく、
正直、ここしばらくのジジイの
言動には疑問しかない。
それが少しでも解けるなら、
多少無理をしてもいい、
と思った。
ところが……参ったな。
まだ降り始めてすぐなのに、
みんなの足跡が消えている。
……しばらく歩いてみよう。
そう思ってうろついているが、
誰とも会える気配がない。
……戻ろうか……
そう思った時、
「うッ、うわあああァァァ!!
誰じゃ!! 何しに来た!!」
突然、大木の影から
叫び声がした。
思わず剣の柄(つか)を握ったけど、
なんだ、ジジイか……
「僕だけど」
「小僧かっ! 何しにき、
ハッ、こっ殺す気か!?
殺す気じゃな!?
『死体の乙女』よッ!
どうかこやつに
膿と血便の呪いをォオオ!!」
「最悪の呪い
かけてんじゃねえよ!
……はあ。
そんな調子だったら帰るよ。
せっかく腹割って
話そうと思ったのに」
「……か、帰るのか……?
いや、騙されんぞ……
そうやって油断させて
殺す気じゃろ!
どうかこやつに
水虫と脱毛の呪いをォオオ!!」
「マシになった……のか!?
いいよもう!
勝手にやってろバカ!!
……何をそんなに
慌ててんのか知らないけど、
雑に寝て風邪とか引くなよな。
ゴニヤが泣くから」
諦めて背を向ける。
……去り際、
強まっていく風に混じって、
ジジイの小さい声が
聞こえた……気がした。
「……すまん、フレイグ……
ワシは……その……
恐ろしいんじゃ……
死ぬのが……」
結局、それには応えずに、
僕はその場を後にして、
……元いたところまで
どうにか戻ってきたころには、
ジジイへの疑いは、
少し質が変わっていた。
ジジイは豪快な人だ。
『死体の乙女』をいただく
僕らの中でも、特に前向きに
『死』をとらえていたと思う。
大酒かっくらいながら、
『早く乙女に会いたいわ』とか
事あるごとに言ってたはず。
らしくない、のは確か。
だけど、深読みをすると……
『狼』が成り替わったから
人が変わった……という風には
思えなかった。
あんな形で弱みを見せる気は
あんまりしないから。
それよりも、急に死ぬのが
怖くなったんだとしたら?
職人らしい細かさやしつこさを
むやみに発揮してああなった、
と考えれば、なるほど、
おかしくない気はしてきた。
……じゃあなんで、
急に死ぬのが怖くなった?
本当のところは分からない。
けど、当たり前のことかも。
勇士でもない人が、いざ死を
目の前にして、怖くならない
はずがないのかも。
少なくとも、
ジジイを『狼』と疑う気持ちが
僕の中で萎えてしまったのは
確かだった。
……夜が更けていく。
風はどんどん強くなり、
吹雪と闇が視界を閉ざす。
僕も、休まないと。
僕らの死の雪渡りは、
明日も続くのだから……