『バーチャファイター』との出会い
──ここからは『バーチャファイター』に捧げた日々についてより詳しく迫っていこうと思うのですが、もともとゲームセンターにはよく行かれていたんでしょうか。
永野氏:
それこそゲームセンターができる前に、喫茶店で『インベーダー』をやっていましたよ。当時はそんなにお金がなかったのに、喫茶店だからコーヒー代も必要で……辛かったなあ……。
ゲームセンターができてからは、脱衣麻雀やるか『グラディウス』やるかみたいな感じでしたね。それから『ストリートファイターII』(以下、『ストII』)が流行ったりしたけど、当時はとてもプレイできる雰囲気じゃなかった。
おまけにゲームシステムが当時からしても複雑だったじゃないですか。「昇竜拳コマンド? 何それ?」みたいな。
ブンブン丸氏:
いきなりプレイするには敷居の高さを感じましたよね。
いのまた氏:
練習しようにも、大勢のギャラリーのなかだと難しかったし、なにより下手くそで(笑)。だから特に対戦とかもほとんどしないで、よく落ちものゲーを遊んでいましたよ。
永野氏:
でも『バーチャ』を見て、さっき言ったような衝撃を受けて「なんじゃこれは?」と。とはいえ、やっぱり対戦がメインだったから、やりたいんだけど怖くてとても入れないという。
そんな気持ちを察してか、一緒にゲーセンに来ていた僕のアシスタントが、「ココ空けますから」と言って『バーチャ』の席を譲ってくれて。それでやりはじめたんだけど、そこではじめて「なんじゃこら!」と。
ブンブン丸氏:
ゲーセンに興味があっても空いている台がないとプレイできなかったですもんね。
永野氏:
そうそう。あと当時は、向かい合わせじゃなくて横並びも普通にあったしね。しかも『バーチャ2』になってからはツインスターとか巨大なモニターでさ。
ブンブン丸氏:
メガロ筐体ですよね。
※メガロ筐体
セガのアーケード筐体で正式名称はメガロ50。50インチモニター、向かい合わせではなく、横並びに1プレイヤー、2プレイヤーのレバー、ボタンが配置されていたため、相手と並んで対戦を行うのが特徴的。
永野氏:
そうそう。メガロだとふたりで対戦するのは横並びになるから、初心者にはまずとてもっていう(笑)。そのあとでアストロが置かれるようになったんだけど。それまでは……。
いのまた氏:
でも私、メガロ好きだったよ(笑)。なんか知らない人と……。
ブンブン丸氏:
「隣、いいですか?」みたいな感じですよね。
──ちなみに、ホームにしていたゲームセンターはどこだったんでしょうか?
永野氏:
最初は「ツイスター」だったんですけど、そのあと中目黒に行って。川村(万梨阿)(※声優:永野氏の妻)の事務所が中目黒で、「中目黒なら100円でできるよ」と言われて「えッ?」って。セガ系列はワンプレイ200円だったんで、仕事終わったら夜中の10時に中目黒に駆けつけてそこでずっとやっていましたよ。
待ち戦法に立ち向かった中目組
永野氏:
でも、他にもいろいろ行ったな……有名どころだと「ゲームスポット21」【※】。
※ゲームスポット21
新宿にあるゲームセンター。『バーチャファイター2』稼働時、有名プレイヤーが集まっていたことから、「対戦格闘ゲームの聖地」と呼ばれていた。
いのまた氏:
当時はまだ面識はなかったですけど、「スポット21」でファミ通組がいるなかに紛れ込んだりしていましたね。それでたまに勝つと、台の向こうからすごく怖い顔して覗かれるんですよ(笑)。
永野氏:
一本取ると「誰だ?」みたいな(笑)。
いのまた氏:
よそだったら私も睨み返すんですけど、「スポット21」だから「やべえ……怖い」と思って(笑)。
ブンブン丸氏:
文化ですよね(笑)。
永野氏:
当時のゲーセンってそういう感じだったよね。それこそ中目黒だと結構ヤバそうなやつも来ていて……。そうそう、もう本当に超ヤバそうなヤツらが徒党を組んでやってきたことがあってさ。あまりに俺にガン飛ばすから「なあに?」みたいなこと言ったら、一番ヤバそうなヤツが近づいてきて「永野先生ですか?」と。それでみんな頭を下げて「ファンです!」って(笑)。勘弁してくれって感じだったね。
一同:
(爆笑)
永野氏:
いやー懐かしいな。あの頃はよくみんなで遠征していたよね。渋谷のセンター街に、横浜、町田あたりを夜中に6人ぐらいで電車移動したりね。
──それはやはり、各ゲームセンター特有の空気感やそこにしかいないプレイヤーを求めて遠征されていたんですか?
ブンブン丸氏:
エリアによってプレイヤー層はわかれるんですよ。たとえば渋谷だと、当時はまだ危なげな雰囲気が抜けきってない頃の時代だったんで、よく喧嘩にもなったり。
いのまた氏:
プレイスタイルというか、ローカルルールが違ったりして。
永野氏:
だから大変だったよね。戦い方も地域によって違ってさ。最初は待ちの戦法が多かったから、ウチらはその戦法ばっかり使う店のやつらを、どうやって潰すかということをみんなで考えて。それで“一発でも攻撃が入ったら、もう相手に何もさせない”っていう戦法が生まれて、うちらのリーダー格だった中目黒ジャッキーが細かいしゃがみダッシュとか下パンを開発したりしてね。ジャッキーはめちゃめちゃ要領がよかったんですよね。
いのまた氏:
でも、ラウには負けるんだよね……(笑)。
ブンブン丸氏:
そういうキツい状況でもやり込んで何とかしようみたいなのがありましたからね。
永野氏:
当時はしゃがみ状態でいて、相手が攻撃を出したらパンとレバー離してガードして、そこからっていうさ。ガード下にふって二択を迫るとか。
ブンブン丸氏:
そういう技術ネタは広まる前に、「まず身内で試してから」という流れがありましたよね。
いのまた氏:
そういえば、何かの大会の予選に行ったら対戦相手がシュンプリ【※】で、「ちょっとこれ、どうすればいいかな」と思ったことがあって(笑)。
※シュンプリ
サラのテクニック。ターンスピンキックをガードで強制キャンセルし、一瞬で背後を向くことを指す。
シュンプリ後のターンロースピンキックと振り向きパンチサイドキックの2択は凶悪だった。
永野氏:
そういう場でやるとブーイング出なかった? 「おいおいおい」とか罵声を浴びせるような感じで。
いのまた氏:
なかったな……「みんな内心は思っているんだろうな」とは感じていたけど。しょうがないから離れたところでパンチとかしたら、うっかり寄ってきてくれて(笑)。
永野氏:
昔は露骨にシュンプリやられたら、「もういいやって」ってそのまま後ろ下がってリングアウトして、次のラウンドを待つ、みたいなのがあったじゃん。
──そういえば、おふたりは大会にも出られていたんですか?
永野氏:
俺だけ出たんだよね。
いのまた氏:
私は予選止まり。でも地元のひばりが丘の大会に出ようと思ったことがあって……。そうしたら大会当日に友達から電話がかかってきて、「早く来たほうがいいですよ」と言われたから「いまから出ようと思っていたんだ」と返事しようとしたら、「女子、誰もエントリーしていないから、いま来ればそのまま優勝ですよ」って。でも「それは嫌だ」って断った(笑)。
一同:
(爆笑)
ブンブン丸氏:
シュンプリとかが代表的ですけど、当時はそういう“情報の差”のようなものがすごく出ていて。そういう情報に気が付いて、対策が分かるまでは10連勝20連勝されちゃうゲームだったんですよ。
永野氏:
本当にそうだもんね。あと面白かったのが、「てめえこの野郎」とか言いながら対戦しているときに、後ろで解説だけをやっている人たちがいたり(笑)。「すごいなこの人たち、解説してくれているよ」みたいな(笑)。そういう人、当時はいっぱいいたよね。
いのまた氏:
遊べばいいのに、と(笑)。
永野氏:
「入ってくればいいじゃん」って、一応アイコンタクトするんだけど。
ブンブン丸氏:
混んでいる時間はやらないんだけど、代わりにギャラリーの人たちに解説をするという(笑)。
永野氏:
まあ当時100円を連コインすることはなかなかできないから、様子を見る意味合いもあったんだろうね。我々はそこそこ稼いでいたから、いくらでも連コインができたんだけど。
いのまた氏:
我ながら「馬鹿かな?」って思うぐらい注ぎ込んだよね(笑)。
ブンブン丸氏:
ジャブジャブ使うか、負けないかのどっちかみたいな。勝っていれば1日何百円ぐらいで済むんですけどね。
永野氏:
上手い人は300円ぐらいで十分遊べたけど。
ブンブン丸氏:
「今日も5時間くらい遊んだわ」とか。
永野氏:
20連勝ぐらいできれば、ずっと遊んでいられるもんね。
ブンブン丸氏:
20連勝して、30連勝して、飯に行って、また30連勝して、30連勝して、「お疲れさまでした」って(笑)。
いのまた氏:
最高で何連勝ぐらいしたの?
ブンブン丸氏:
150連勝ですね。
いのまた氏:
すごいね。
──150連勝って何時間ですか?
ブンブン丸氏:
3時間ちょいですね。
永野氏:
15連勝以上続けると、だんだん頭がハイになってきて、完全に作業になるんだよね。我に返るとすごく疲れていて、「もうそろそろ抜けたいんですけど」みたいになる(笑)。
筐体を買うも再びゲーセンへ
──そして話しは冒頭に戻りますが、最終的に筐体を買ってしまったと。
いのまた氏:
もうハマり過ぎて仕事にならないんで、家でやれば少しはマシかもしれないと思って(笑)。
永野氏:
みんなそうだよね。だって中目黒のゲーセンに行けるのが22時。閉店が23時だから、1時間遊べるか遊べないかぐらい。それしか遊べないと、ストレスが溜まって仕方がないから。
いのまた氏:
朝起きて11時くらいからゲーセンに行くじゃないですか。午前中遊んで、昼間に帰ってきて少し仕事するけど眠くなっちゃう。だから「家に筐体があったら効率がよくなるかなと」思ったんですよ。
ブンブン丸氏:
空いた時間でプレイできるなら、ということですよね。でも今度は「対戦相手がほしい」となるんですよね。
いのまた氏:
そうそう。それでどうにもならなくて……(笑)。
永野氏:
ひとりでやっていても飽きるんだよね。
いのまた氏:
だから結局ゲーセンに行って、謎の新戦法を覚えて帰ってきてから家で練習するとか(笑)。
──結局ゲーセンへ(笑)。
永野氏:
家でできるものがCPU対戦で、技が自由自在に出るようになってからはもう「う~ん」みたいになってくる。
ブンブン丸氏:
「外でやりたい」となりますからね。
永野氏:
まあ筐体ってけっこうな値段するけど、とはいえ「1万回インカムすれば元取れるね」って。いのまたが36500回ぐらいで、俺が18000回ぐらいのインカム。だからとりあえず元は取っているんですよ(笑)。
ブンブン丸氏:
そんなにやったんですか(笑)。
永野氏:
僕がいのまたの家に行ったときに「じゃあちょっと見てやるよ」と言ってシステム画面を見たら、36500って数字が出てて「インカムすげー」って(笑)。
いのまた氏:
覚えてない(笑)。でも橋本(正枝)さん【※】も随分と家にたむろしてたんで、その影響もあるかも。
※橋本さん
漫画家、イラストレーターの橋本正枝氏。いのまた氏とは古くからの友人で、過去にいのまた氏、永野氏、橋本氏が『鉄拳3』の対戦イベントに参加したこともある。
ブンブン丸氏:
ふたりでずっとやっていましたもんね。
永野氏:
あ、そうなんだ。
いのまた氏:
勝ち負けよりも私達はビジュアルだったんですよ。ほら、リプレイのときに画面がグルグル回るでしょう。「この技をこのときにこういうタイミングでかけると、カメラがこういう風に動くから、それやって」って(笑)。
ブンブン丸氏:
毎回これやるとこうなるとか、リプレイって再現性ありましたもんね。
永野氏:
ボタン押しっぱなしでそうなるんだっけ?
ブンブン丸氏:
そうですね。あとスローもあったりして。僕はそれで『バーチャ』の写真集を作りましたよ。
──永野先生は『バーチャファイターグラフィックス“MODEL2”』【※】の解説をやられていましたよね。
いのまた氏:
やっていたような気がする。
永野氏:
そうだっけ?
──本の帯にも名前が掲載されていますし、コメントも載っていますね。
永野氏:
ほんとだ。そうそう『バーチャファイターグラフィックス“MODEL2』といえば、momoko DOLLと『ファイブスター物語』でコラボをして“momoko CHRISTINE-V”【※】ができたのは、有井君(伸孝)【※】のおかげなんだよ。ペットワークスのドール事業部の真鍋さんが元セガの人で、有井君がつなげてくれてね。こんなところで未だにつながりがあるんだなあと。
※有井伸孝
『バーチャファイターグラフィックス“MODEL2”』美術担当。『バーチャロン』のパブリシティデザインを務めたグラフィックデザイナー。
※momoko CHRISTINE-V
ペットワークス・ドール事業部からデビューした1/6スケールのファッションブランド。
いのまた氏:
懐かしいな。
永野氏:
未だにあのときの写真は飾ってるよ。
目を掛けた小学生が、後のちび太だった
──ゲーセンってコミュニティというか交流の場だったと思うんですが、よく遊ばれるメンバーにはどういう方がいらっしゃったんでしょうか。
いのまた氏:
漫画家の人とか、ゲーセンで知り合った人たちだよね。
永野氏:
知り合ったといえば、荻窪で遊んでいたら小っちゃいガキがちょこちょこ寄ってきて。「兄ちゃんたち強いな。いつもどこにいるの?」と言ってきたんですよ(笑)。それで「俺ら皆バラバラなんだけど、この全員が集まるのはだいたいスポット21周辺だよ。新宿にあるんだけど」と言ったら「今度行く」って。
そうしたら後日、本当に「スポット21」に来て……そいつが後の「ちび太」【※】なんですよ。当時は小学生だから「6時過ぎてゲーセンってヤバいだろう」と、俺と川村万が保護者になってね(笑)。
※ちび太
“バーチャ神”と呼ばれる有名プレイヤー。10代前半から『バーチャ』界で名を轟かせ、10年以上ものあいだトッププレイヤーとして活躍している。
──そんなエピソードがあったんですね。
永野氏:
わざわざやってきたちび太に「偉いな、ちゃんと挨拶するんだ。小学生なのに」ってほめてあげたなあ。
羽田さん【※】がボコボコにしていましたけど(笑)。
※羽田さん
羽田隆之氏。『バーチャファイター』の元“鉄人”、新宿ジャッキー。
元ファミ通編集者でもある。“地名+ゲームキャラクター名”のリングネームは新宿ジャッキーから始まったとも言われている。
ブンブン丸氏:
可愛かったですからね(笑)。
『バーチャ2』を久々にプレイ
──さて、じつは本日『バーチャ2』を用意してきまして。
(対談の部屋にプロジェクターを設置し、プレイステーション3版『バーチャファイター2』(バージョン2.1)を立ち上げて映し出す)
ブンブン丸氏:
せっかくなんで触ります?
永野氏:
すげー! でも忘れていますね。もう20年ぐらい触ってないから。
ブンブン丸氏:
懐かしい感じでやりますか。
いのまた氏:
懐かしい感じで。初心者的な。
永野氏:
「動かねえー」とか言って。
いのまた氏:
「あれ? あれ?」とか言いながら。
実は1回ダウンロードして、ちょっとだけやってみようと思ったんだけど、ブランクがすごかった(笑)。
永野氏:
俺なんか、何にもやってないよ。
いのまた氏:
「斜めに入らない……どうしたんだろう」って。すごく悲しい思いをしました。
──そういえばブンブンさんはおふたりにとって先生的な役回りだったんでしょうか。
ブンブン丸氏:
というか、普通にみんなで遊んでいましたよね。ただファミ通組も来ていたんで、対戦してアドバイスとかもしつつ。
永野氏:
よくいのまたの隣りにブンブンが座って、「はい独歩(独歩頂膝。アキラの技)」とかやっていたよね(笑)。当時ってあまり出せる人がいなかったんですけど、「1/30フレームとか出ないだろ普通!」って言いながら参考にしていました。
で、そのとき思ったのが、実際に横に座ってやってもらうということがすごく重要ってこと。
ブンブン丸氏:
成功例を一回見せて「あとは(練習して)」って感じですよね。
永野氏:
結局、コマンドの入れかたやレバーの持ちかたって、人によってそれぞれ違うから、実際に動きを見てみないとわからないんだよね。
あと、隣でプレイしてるから、たとえば「なんでキャンセル入れるの?」と質問したら、すぐに説明してくれて「なるほど」みたいな。
ブンブン丸氏:
そんなこともやっていましたね。
──……っと、よし準備ができました。
永野氏:
うわ……懐かしい。すごいよ、画面が4対3だよこれ。
ブンブン丸氏:
そういう時代のゲームですから(笑)。
いのまた氏:
可愛い。やっぱり可愛いよ。
──いのまた先生はやはりジャッキーを選択されるんですね。
いのまた氏:
はい、そうです(笑)。
永野氏:
この人はジャッキーしか使ってない(笑)。
ブンブン丸氏:
ずっとジャッキーですよね。
──最初からですか?
いのまた氏:
最初からです。
永野氏:
俺がパイを使っていたのは、ブンブン丸のウルフとか新宿ジャッキーとか、すでにみんな有名人がいたんだけど、パイ使いで有名は人がいなかったから「パイ弱いの? いいじゃん! やってやろうじゃん」みたいな。
ブンブン丸氏:
実際、パイはキツいですけどね……。
永野氏:
本当に弱いよね(笑)。
──『ファイブスター物語』の扉でご自身の『バーチャ2』対戦成績を書いていたことがありましたよね。
永野氏:
これは超初期ですね、本当に。負けまくっていたときです。
ブンブン丸氏:
(扉を見ながら)あー、これか。懐かしいな。まあ勝てないですね、普通にやっていると。
──ではせっかくなので、対戦をお願いしてもいいでしょうか。
※1P側が永野氏で2P側がいのまた氏。数回練習した後、数年ぶりに真剣勝負をして頂いた
いのまた氏:
全然ダメですね(笑)。「ジャッキーすまん」みたいな(笑)。
永野氏:
『バーチャ2』を久々に触ると全然動かないんですよね。懐かしすぎて駄目だわ。
いのまた氏:
もう難しい。
永野氏:
やっぱり動きがつながってないから、もうトホホだね。
いのまた氏:
心で思ったのと動きが全然違うんだけど……。
ブンブン丸氏:
これが自然に動くまで練習してたわけですよね。
永野氏:
基本、接近はしゃがみダッシュだけど……いまやるとできねえ(笑)。5回に1回ぐらいしか入んない。
ブンブン丸氏:
あの頃は、それがやれるようになるまで、みんなでやりましたよね。
永野氏:
やったやった。でもあの頃の感覚って、けっこう指が覚えているもんだね。
いのまた氏:
でもたぶん、昔はもっと反応早かったですよ。恥ずかしい(笑)。
ブンブン丸氏:
懐かしすぎますね。
『バーチャ』がなければ『ブレンパワード』は生まれなかった。
──そろそろ時間もなくなってきそうなので、締めの話をさせてください。40周年記念ということですが、改めて『バーチャ』を含めた40年間を振り返っていかがでしょうか。
いのまた氏:
その都度描くものは違うんですけど、ずっと描いていたら40年経ってしまったっという感じですね。まあでも、この40という数字は嫌なんだけど(笑)。
永野氏:
本当だよね。
ブンブン丸氏:
長く続くのはいいことじゃないですか。
いのまた氏:
そうですね。ありがとうございます。
──その中で『バーチャ』をやっていた頃は、どういった時間でしたか?
いのまた氏:
なんかちょっと特殊な1年間。正確には1年じゃないんですけどね(笑)。でも私は『バーチャ3』が出てから急速に失速していっちゃって。だからやっぱり『バーチャ2』はすごく楽しかったのかなあと。
永野氏:
『バーチャ2』の後にいろいろ出たからね。『鉄拳』とかもそうで。
ブンブン丸氏:
当時の盛り上がりはかなり特殊でしたからね。みんなやっていましたから。
永野氏:
いまみたいなSNSなんてなくて、情報も共有できなかったから、ゲーセンで話すしかなかった。だからこそみんな顔見知りになったりとかね。
ブンブン丸氏:
人に会いたくてゲーセンに行くみたいなところ、けっこうありましたからね。
永野氏:
そういう意味では、セガに感謝だよね。
いのまた氏:
そうだね(笑)。
永野氏:
いままでとは違う(人脈の)広がりが出てきたというかね。その代わり「廃人? はい、その通りです!」というくらいの廃人がたくさんいたけど(笑)。でも本当に夢中になったな……。「あの時代に30歳過ぎたヤツがこんなに夢中になるのかよ!」ってビックリするぐらい夢中になった。でもやっぱり、あのときのムーブメントってのはプレイしてた人じゃないと覚えてないよね。どれだけすごかったか……。
いまって、スマホゲーが流行っても、結局はガチャ課金じゃないですか。それはコミュニケーションであるかもしれないけど、俺が夢中になったあの──「認められるのは上手いヤツだけ」という世界でのコミュニケーションとは全然違う。
ブンブン丸氏:
我々のは“弱肉強食のサバンナ”という感じでしたよね(笑)。
永野氏:
ある程度できないと“認めてもらえない”というすごい世界だから(笑)。
──いま思うとすごいですよね。
永野氏:
でも、今回対談して改めて思ったのは、『バーチャ』がなかったら、こんなにいのまたと接近することもなかったし、きっと『ブレンパワード』も生まれなかっただろうってこと。
──そこまでいっちゃいますか。
永野氏:
いきますね。いのまたとゲームしてなきゃ、ここまで親しくなかった。
いのまた氏:
(笑)。
永野氏:
だから、ゲーム業界の方々にも感謝しています。
──今日お話を伺ってすぐに当時の話が出てきたので、思い出が深く残っていらっしゃると感じました。
いのまた氏:
そうですね……なんかでも、あのとき一緒にプレイしていた人たちっていうのは……。
永野氏:
同じ釜の飯を食ったというか……。
──戦友的な感じですかね。
永野氏:
うん。本当に戦友。だって「仲がいいか」といったらそうじゃない。相手のプレイを通してその人を知っているわけで、仲がいいわけじゃない。その人の性格とか、たとえば学生とか社会人とか、そういうのは一切関係ないですよ。ゲーセンという場所では、弱かったら小学生にだってタメ口きかれちゃうもんね(笑)。
──それでは最後に、今後の目標などをお聞きしたいと思います。
いのまた氏:
やることはずっと変わらないです。
ブンブン丸氏:
ゲームしながらイラストを描く、と。
いのまた氏:
そうそう。
永野氏:
俺も同じですね。ゲームして、仕事して、ゲームして。だから特にコンシューマーで面白いゲームを作ってほしいんだよね。俺たちは課金ゲー、スマホゲーをやらないタイプの人たちなんで。
いのまた氏:
だからとりあえずは『モンハン』を再開してみようかな。
──いいゲームがないと、その“ずっと変わらない”が変わってしまいますもんね。
いのまた氏:
それもありますし、趣味がなくなっちゃったら嫌じゃないですか。なかったらなかったでいいのかもしれないですけど。
ブンブン丸氏:
純粋なんですよね。
永野氏:
でも趣味って、そういうものだから。しかもいまのゲーム──特にオンラインゲームって、俺らが高校生とか大学生のときに麻雀やっていたような人たちが、大勢やっているようなものでさ。40代・50代・60代のゴルフであるとか、麻雀であるとか、パチンコであるとか、競馬であるとか、そういう余暇の楽しみ・趣味レベルでやっている人が多いんですよ。
──そこまで浸透したってことですね。
永野氏:
そうです。だからそういうのも含めて、開発メーカーには頼むから頑張ってくれと。日本のゲーム、何だかんだ言われていますけど、「2017年後半には、あんな凄まじいゲームが連発で出せたじゃん!」と。
いのまた氏:
本当にそうだよね。そしてまた一緒にゲームしたい。
永野氏:
おっいいね! またやろう。
──それはいいですね! 本日はありがとうございました。(了)
本企画は、冒頭でお伝えした通り「いのまたむつみ展」との連動企画であり、いのまたむつみ氏というデザイナーの知られざる日常に迫る──というものだったのだが、語られたのは“『バーチャファイター』に魅了された90年代の熱い息づかい”だったように思える。
「『あの時代に30歳過ぎたやつがこんなに夢中になるのかよ!』ってビックリするぐらい夢中になった」と永野氏は当時を振り返っていたが、あのときをリアルタイムで体験した方にとっては、大きくうなずける言葉ではないだろうか。
ゲームは“エンターテイメント作品”であると同時に“コミュニケーションツール”としての側面もあるが、対談中にもあるように、当時はインターネットやSNSがまだ普及していない時代。コミュニケーションツールとしての使われ方は、いまのようなネット中心ではなく、リアルが中心だった。
そんな時代に、いのまた氏と永野氏が『バーチャファイター』というゲームに惹き寄せられなければ、ふたりの関係はここまで強く、そして深くはなかったかもしれない。なにより『バーチャ』なくして『ブレンパワード』は生まれなかっただろう。
そう、ふたりを巡り合わせた運命には、我々が大好きな“ゲーム”という存在が絡んでいた──改めてここで語られた事実に、ゲームファンとして誇らしい気持ちになるのは私だけだろうか。
2018年で画業40周年を迎えたいのまた氏だが、今後もゲームという趣味とともに──“ずっと変わらず”歩んでいくのだろう。そんな彼女の活躍をこの先も楽しみにしていきたい。
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ワシントンD.C.の中心部に広大な敷地を持つ、スミソニアン博物館。そこには、世界で最初に動力飛行を実現したライト兄弟の飛行機、アポロ16号が持ち帰った月の石、あるいは持ち主が不幸になることで知られる「呪いのダイヤモンド」 まで、実に様々な人類の「宝」たちが収蔵されている。
そこに1998年、日本人が開発した“とあるゲーム”が収蔵された。その名は──「バーチャファイター」。そして、この開発者こそが『アウトラン』や『スペースハリアー』などの「体感ゲーム」でセガを世界的企業に押し上げ、現在も欧米の開発者から高い評価を受ける、鈴木裕氏である。