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自分たちを信じなければ何もなし得ない──ファンキー宇宙人トージャム&アールとともに激動の米ゲーム業界を生きてきたベテランインディーデザイナーが語る変わったもの、変わらないもの【インタビュー:グレッグ・ジョンソン】

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『トージャム』を復活させたのは、人が人と遊んだ記憶

──いまのスタジオである、HumaNatureのスタートの経緯は?

グレッグ氏:
 スタジオは2006年に設立したんだけども、『ToeJam & Earl: Back in the Groove』をやり始めたのは2015年で、結構な間隔がある。そもそもの最初はコナミの出資でニンテンドーDSのゲームを作ろうというところから始まったんだ。
 のちに『Doki Doki Universe』になるDeko Deko-MailとDeko-Deko Quizのさらに前身となる、『What’ Your Type』という実際にはリリースされなかったゲームだった。

 これは性格診断のような要素のあるゲームで、AIキャラクターたちが過ごしている世界に入っていき、その中でした行動や選択によって性格を分類するというものだった。スタジオの中を見てのとおり、僕は日本の文化が好きなんだけど、このゲームは日本の市場でうまくいくんじゃないかという思いもあった。それは僕の夢でもあったんだ。

※『Back in the Groove』日本語ローカライズ発表のときに筆者が撮ってもらった日本語メッセージ映像。インタビューの収録時、氏はベイエリア在住だったが、現在はハワイに拠点を移している。

──『Doki Doki Universe』を経て、あらためて『トージャム』のゲームに挑むことになった経緯は? パッケージでフルプライスのゲームを出す以外にダウンロードの市場ができたり、いろいろ環境が変わったわけですが。

グレッグ氏:
 そういったことも関係しているね。より安い小さなゲームを出せるようになり、AAAじゃなくても良くなった。あとはクラウドファンディングで開発費を集められればパブリッシャーが要らないとか。それまで何度か『トージャム』の新作の資金を得るためにパブリッシャーを回ったりもしたんだけど、どこも「いやー、あれは終わったでしょ」という感じだった。だからクラウドファンディングと、ある種のレトロムーブメントが来ていたことも重要な要素だったと思う。

 『Doki Doki Universe』が終わったあと、僕はとても疲れていて、家族と一緒にフランスや沖縄に旅行したんだ。沖縄は本当に暑かったけどすごく良かったね。それでまた何かやろうという気分になった。

 『トージャム』の新作を求める声はそのときもあったから、「じゃあKickstarterでテストをしてみよう」と考えたんだ。十分に成功できたらそれは待っている人が十分にいるということで、そうでなかったら終わったと言ったパブリッシャーの人たちが正しくて、もう『トージャム』のゲームを作っても仕方がないってことだ。

 どっちなのかはやってみないと本当にわからなかったけど、結果としてラストでギリギリクリアーすることができた。終盤に僕の友だちたちのおかげでいいPRができたのが効いたかな。

※グレッグ氏をはじめ、Toys for Bobのふたりやティム・シェーファー氏ら大御所たちがバカをやっているkickstarter告知ビデオ。

 それからフォーラムやメールやFacebookでファンとよりコミュニケーションするようになり、『トージャム&アール』がどれだけの人に意味のあるものなのかに気付くにつれ、モチベーションがどんどん高まっていった。それまでは知らなかったんだ。

 というのも、言ってしまえばただのゲームでしかないからさ。ところが当時のほかのゲームとは全然違っていて、協力的で、明るくて、誰でも遊べて、それが家族や友だちや兄弟などの人々を繋げていたんだ、ということに気が付けたのはすばらしかった。
 ファンは『トージャム&アール』というゲームそのものだけじゃなく、みんなと遊んだことを記憶していてくれたんだ。いろんな思い出を聞いたよ。亡くなってしまった人との泣かせる話とかもね。

 「多くの人に向けてものを作るということは、自分が想像し得ない形でも人々の人生に影響を与えられる」というのはいい教訓だ。それだけに責任を持ってやらなきゃいけないということを思い起こさせてくれた。

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 ゲーム業界にはいろいろな議論があると思う。「ゲームの中の暴力」とかね。
 ゲーム開発者として反暴力の立場を取るのはあまり一般的ではない。「やりたいようにやれますよ! 自由に暴れてください!」って言うほうがかっこいいしさ。ただなんだろう、それはある種の可能性を殺しているようにも思える。

 ゲームの中の暴力は文脈があるなら別に問題ない。僕は『World of Tanks』(2010)をよく遊ぶし、『Age of Empires』(1997)も好きだった。
 異なる文明が激突すれば戦いにもなるさ。それが「やだな」ってわけじゃないんだ。文脈があるからね。『ソウルキャリバー』とか『デッド・オア・アライブ』もよく遊んでいた。格闘技も好きだし、これらのゲームはいろいろなスタイルを投影して、美しくパワフルに描いていると思う。

 だからこれは、そこに込められたスピリットの話だ。いまは心の中の暗いところに連れて行くようなものが多いよね。
 そういったゲームは、ポジティブさとか、インスピレーションとか、愛とか、光とか笑いといった僕が大事にしている物を世界に届けない。

 男性中心的な業界だからなんじゃないかと思うこともある。僕らはテストステロンやアドレナリンといった成分の化学反応で動いているからさ(笑)。
 だから女性の開発者が増えるのは歓迎だ。もっと人間的で、より幅広いやりかたで世界と関わるような、もっとポジティブなものが増えるといいと思う。

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──最新作『ToeJam & Earl: Back in the Groove』が最初のゲームと似た構成なのはそういったファンからの反応も理由ですか?

グレッグ氏:
 1作目の本当の続編を届けられなかったことが大きいね。2本目も3本目もスタイルが違っていて、ファンは最初の『トージャム&アール』の経験を再び得たいと思っていた。「初代のスピリットをもう一度届ける」のを究極のゴールとするのが最初にした約束だった。

──最初の『トージャム&アール』の資料を見せてもらったときに、いまのゲームのように読めてすごく面白かったんです。「暴力を中心にしない」とか、「ローカルなCo-opプレイで一緒に遊べる」とか、「マップがランダム生成で何度も遊べる」とか、いまのインディーのある種の先取りじゃないですか。しかもこれは1991年で。

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グレッグ氏:
 言われてみると確かにそうだね。そういった要素はまだあまり存在しないか、あるいは一般的ではなかった。インディーの時代が来て、みんなが再び実験的になったのが大きいと思う。

 それから、『ToeJam & Earl: Back in the Groove』の話をしているうちに『トージャム&アール』の話になってくるというのはいいね。それは目指したことのひとつだから。
 「The Proof is in the Pudding」(論より証拠)という言い回しがあるけども、クローズドβテストをやったときにも「これは『1』みたいだ」って聞いた。でもコアなファンじゃない人もそう言っているのを聞いたときに、「僕らはうまくやったのかもな」と思ったんだ。

──もうひとつ、初代と『ToeJam & Earl: Back in the Groove』の共通する面白い部分として、異星人の視点から地球が描かれるということが挙げられると思います。
 そしてこのゲームでは、異星人は地球人を攻撃しません……トマトを投げつけますけれど。普通はエイリアンが地球人を攻撃しますよね。このゲームでは地球人がエイリアンを攻撃してくる。

グレッグ氏:
 視点を変えてみると見えてくるものがあると思うんだ。それで、自分のキャリアと作ってきたゲームを振り返ったとき、「あ、同じことをやってきたんだな」って気付いたことがあるんだよね。同じようなテーマを中心に据えてきたんだなと。

 それは最初のほうで話したような、僕らがどのように思考し、我々はなんなのかと大学で学んできたことや、『Star Flight』、『Star Flight2』なんかとも繋がってくる。

 ネタバレになるけども、このゲームには大きなストーリーがあって、最後で「人間が悪者だ」というのがわかる。人類を救うために燃料を燃やして宇宙を飛び回っていたけど、その燃料は人類のずっと前からいたケイ素生物だったというのが判明する。
 これまで砕いてきた岩や燃料として燃やしてきたそれらは、単に人類からするとめちゃくちゃ動きが遅いだけで、彼らは自分たちを守ろうとしていたんだというのがわかるんだ。

 そして離れたところから俯瞰すると、『トージャム&アール』も『Doki Doki Universe』も同じなんだよね。プレイヤーはアウトサイダー、あるいは人間性を探し求めるロボットだったり。
 たぶんそれは実際作っているときには気付いていない、パワフルなものなんだと思う。

 いま作ろうと思って開発を始めているゲームも、詳しくは話せないけどそういう部分がある。だからまあ、こういったテーマにとらわれているんだと思う。「僕たちはなんなのか、別の視点から見返す」ということに。

※2019年5月末には“ファンキーテレソン”と題した長時間イベントが配信され、本当に本作のファンだというマコーレー・カルキン(『ホーム・アローン』ほか)や、プロレスラーのケニー・オメガなどが登場。どこまでマジなのか冗談なのかがわからないファンキーな内容が繰り広げられた。その一部始終はYouTubeでも公開されている。

インディーに必要なのはきっとうまくいくんだという本当に前向きな態度

──ところでゲーム中でキャベツが酷い扱いですが……なんでキャベツが嫌いなんですか?

グレッグ氏:
 いや、キャベツは好きだよ! あれは腐ったキャベツね。でも『トージャム&アール』で「どうしてこれを入れたんですか」ということはよく聞かれるんだ。なんでワイズマンはニンジンのスーツを着ているのかとか。サンタとプレゼントとか、腐ったキャベツとか。

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日本語版『トージャム&アール』の取扱説明書

 でもとくに理由はないよ! 単にそう思いついて面白いと思ったからで。食事については、当時バクバク食べてたものが入ってるんだ。
 前は食生活が結構ひどかったから、肉ばっかり食べたりしていた。アイスクリームもよく食べていたね。それで人が食べたいものをゲームでも食べたいだろうと思ったから、自分がよく食べていたものが『トージャム&アール』でもいい食べ物として入っていて、「うーん、これはな」っていうのが悪い食べ物として入っているんだ。

 いまはもっとヘルシーな食生活になってるから、オーガニックフードがすごくいいものとして入ってるんだよ(笑)。まあ大きな理由はないよ。

──ゲーム開発者として、80年代や90年代といまの違いはなんだと思いますか? たとえば開発のやりかたとか、アップデートとか。

グレッグ氏:
 それは大きな質問だね。すぐに思い付いたものだと、いま言ってくれたものが確かにあると思う。80年代や90年代なら、ゲームを作って出荷したらもう終わりだ。それはもう変えられないし、フィードバックを得ることすら厳しかった。自分のゲームが良かったのか悪かったのか、書かれているのは雑誌ぐらいだよね。それもショップに行くしかなかった。

 時代は変わり、あらゆる情報がオンラインで流通するようになり、アップデートやダウンロードコンテンツやパッチの機会ができた。完成しただけじゃ開発は完全には終わっていない。
 それはよくも悪くもある。あらゆることにいい面と悪い面があるようにね。

 開発者としては、パーフェクトじゃなくてもいいというのはナイスだ。でも昔の「完了」が本当に完了を意味していて次に移れたのも良かった。
 いまは終わりが来ない。サポートはある程度やり続けないといけない。

 開発そのものについてだと、開発ツールはとても進化したよね。UnityやUnreal Engineを誰もが使えるようになった。
 おかしいのは、1988年に、もし同じ質問を「2018年にこんな感じになっていた。どう思いますか?」って聞かれたら、「うわー、それは開発がめちゃくちゃ早く楽になるだろうなぁ!」って言ったろうね。「いまは1年かかるけど、2018年なら1ヵ月で1本作れそうだ!」って。

 でもそれは大きな間違い。ゲーム作りは依然として大変だ。
 ツールはよくなったけど期待値も上がった。インフレみたいなもんだよ。もっとお金を稼げると思ったら、もっとお金もかかるようになり、大変なのは変わらない。ゲーム作りは大変で、疲れて、なんだったらより厳しくなってもいる。なぜならより複雑になって、ハードルは高く、やらなきゃいけないことは増えたから。

 昔はもっとシンプルだったからね。当時が大変だったのは「ゲームをどう作ればいいか」が誰もよくわかっていなかったし、ツールもなかったから。
 『トージャム&アール』を作ったとき、プロジェクトの終盤はコンパイルするのに1時間かかっていた。バグ修正をひとつするたびに、それがうまくいったのか確認するのに1時間待たなきゃいけなかった。「これじゃ駄目だね、ほかを試してみよう」のひと言でもう一回やり直しだ。

 それは簡単ではなかったけど、ある意味いまよりは楽だったとも言える。いまはいくつもの選択肢、いくつものツール、いくつもの期待があって、よりゴールにたどり着くのが難しくなった迷路のようだ。
 昔の制約は、ある部分ではよく働くこともあり、どのみちシンプルにせざるを得なかったからさ。

 「未来がどうなるか」と考えたことがそのまま実現するとしたらおかしいよね。「いまから30年後、2048年にゲーム開発はどうなっていると思いますか」って聞かれたとして、答えが間違っていることだけはわかるよ。

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2002年のインタビュー記事。左がグレッグ氏

──では逆に違いではなく、同じ部分があるとすればそれはなんでしょう? たとえば考えかたとか……。

グレッグ氏:
 それはあまり変わっていない……いや、これは難しい質問だな。自分の中ではそこまで変わってないと言えるんだけど、自分のことしか知らないからさ。
 自分としては1990年代もいまも同じようなテーマで、ただその時々に変わるツールで、インタラクティブなストーリーや、キャラクターとの感情的な繋がりといった同じコンセプトを追ってきたわけだけど。

 かといってゲーム開発者の多くが、こういったやりかたをするわけではあまりない。彼らは彼らのやりたいものを作るわけだけど、それはライフタイルの違いもあると思う。
 正直に言って、市場に合わせることで得られるお金や生活も大事だしね。言い換えると、僕はそこまで稼ごうとしてなかったか、単に金儲けが下手なわけだけども(苦笑)。

 それはともかく、自分以外の人についての「変わっていないもの」を答えるのはとても難しいよ。設計とかチームで働くことについてならば同じだと思うけどね。
 開発環境で起こる数々の問題とか、のしかかってくるプレッシャー、チャレンジの明確化と乗り越える過程、ほかの人からの異なるアイデアとどう向き合うか、あとそれぞれのエゴとか……そう変わってない。それが変わることはないだろうと思う。

 モバイルやマルチプレイやVRやAR、インディーの勃興によって、表現のより幅広い機会が得られるようになっていて、ニッチなものでもやっていける道は増えたと思うけど、ただゲーム業界は混雑しすぎてもいる。

 ひとつ大きな違いがあるとすれば、それは人が増えすぎたことによって、より製品の比重が大きくなって、“人”は軽くなってきてしまったこと。かつてはパブリッシャーと関係を築いたらクリエイティブパワーとして尊重してくれて、80年代や90年代ならゲームが完成したら「次は何を作ろうとしてるの?」というのが最初の質問だった。

 いまはそういうことは起こらないね。いくつもの人、いくつものツールがあって、誰もが製作途中のデモを持ってるから、パブリッシャーや投資家はまずはこっち、次はあっちと飛び付いていくだけだ。

 まあそれは理解できる。理解できるんだけど、その副作用として、人から製品中心にフォーカスが移っていると思うんだ。
 それは開発者として長期の関係を築くことを格段に難しくして、かつてよりも開発をより不安定にしていると感じている。出したゲームが1本で何億も稼いでくれれば別だけど、それは一部のケースだからね。

──では、インディーとしてサバイブするためのアドバイスはありますか? 30年以上やってこられたわけですが。

グレッグ氏:
 ははは、確かに35年ぐらいは生き延びてきたね。でも何か言えるかな? 自分自身ずっと、いつもギリギリ切り抜けてきただけだったりするから。ああ、でも思い付いたぞ。

 それは、信じることだ。信じることなしには何も成し得ない。
 「きっとうまくいくんだ」という本当に前向きな態度だ。どうなるかわからなくて、無理に思えても、「なんとかなるさ」と信じることだ。

 それができないならインディーゲーム開発者としてやっていくのはオススメしない。なぜなら「こりゃうまくいかないよ」って感じるときが何度もやってくるからね。
 僕は本当にたくさんの人たちが去っていくのを見てきた。

 でも、もしその態度を保つことができるなら、キミは答えを見つけ出す力を得るはずだ。同時に、そう感じるためのエナジーがないこともあるだろう。
 だから自分の周りにそう信じられる人を持つのも重要だね。そういう人が周りにいるのは、時に頭のいい人や能力のある人よりも大事なんだよ。

 会社はこういったことをあまり理解しない。単にスキルで雇ったりすると思うんだけど。
 でもいまの業界の状況を見るに、人柄やそういった資質は少なくともスキルと同じぐらい大事だと思うね。それが僕が言えることだと思う。(了)


楽しかったというプレイヤーの想い出がゲームを蘇らせる

 いかがだったろうか? 日本で「『トージャム&アール』の~」と言って伝わる人は相当のマニアだろうが、じつはグレッグ氏は、北米のゲーム開発者として知る人ぞ知る隠れた大物。筆者も取材していて、途中で続々と飛び出してきた名前に思わず面食らった次第(なんせ雑談中に「シュウちゃん」と気さくに呼ぶ相手が誰かと思ったら、SIEワールドワイドスタジオの吉田修平氏だったりする)。

 なお同氏は現在ハワイにHumaNatureの拠点を移した後、新作としては本文中に登場した『Star Flight』の続編『Star Flight 3』のほかいくつかのプロジェクトに取り掛かっている。

 それにしても、ソニックの代わりにトージャムたちがセガの顔になっていたかもしれないとなれば、運命の妙という奴はなかなかファンキーなものだ。ともすれば『トージャム&アール』がいまごろ実写映画になっていたわけで、だったらそれがどんなことになっていたのか、恐る恐る見てみたくもある(もっともそういう話になっていないかもしれないが)。

 話を戻そう。結果だけを見てしまえば、トージャムとアールはソニックにはなれなかった。それでも彼らに込められた人間への興味やウキウキとした気分は人々に伝染し、ゲーム体験がそれぞれの記憶に残り、それが結果的に何年も後にシリーズを蘇らせることになった。そして決して商業的に成功したとは言えない日本でも、遊んだ人に「ファンキー」という未知(の感性)との遭遇を焼き付けた。

 ゲーム作りを乗り切る秘訣は「信じること」だとジョンソン氏は言う。ゲームによって人を楽しませ、よりよい何かや新たな可能性を人にもたらす。それは日本でも海外でも変わらないんじゃないだろうか。

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グレッグ氏の車のナンバーは、TOE JAM1だった

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