新しいものが生まれて、それをみんなで楽しむうちに、みんなの遊び場っぽくなる
三浦氏:
それにしても、これまでとは違うファンタジー作品を今から作るとなると、いったいどういうものになるのか楽しみですね。
橋野氏:
たぶん「それはファンタジーではない」と言われてしまうものになると思うんですけどね、きっと。
トールキンさんが過去の民話や伝承を集めて、今のドワーフやエルフのベースになっているものを作ったと思うんですけど。でもそれは、我々が取り組むべきものではないかなと。
三浦氏:
ここまで世の中に浸透していると、なかなかその常識を変えるのは大変ですよね。
橋野氏:
そうなんですけどね。僕がこれまで作り手としてファンタジーにあまり興味を示さなかったのは、エルフとかドワーフとかいう、決まった役者が揃っているところに対する疎外感みたいなものもあって。
三浦氏:
僕らの年代だと、エルフやドワーフは、じつは近代になってトールキンによって作られたというのは、普通に知っていますよね。それが今ではその存在自体が完全に一般常識になって、若い子たちは昔話に出てくるものだと思っていますよね。
橋野氏:
水野良先生も「変える必要はないよ」とおっしゃっていましたから。
【『ロードス島戦記』水野良×『ペルソナ5』橋野桂:対談】 ゴブリンを倒していた若者が最終的に世界を救う話は、ファンタジーならではの“純化”である【新生・王道ファンタジーを求めて①】
三浦氏:
水野先生のせいですよ(笑)。当たり前にしちゃったのは水野先生ですよね。
副島氏:
特にエルフですよね。ドワーフのほうは昔のディズニーの映画にも出てきたりしますけど。今の若い子たちって、エルフってどういうものだと思って見ているんでしょうね。
──特別な美少女のキャラクターだと思っているんじゃないですか。
三浦氏:
でもエルフ自体は20世紀になって発想されたものだけど、それに対してみんながつけたイメージは、本当にそれらしいものになっているじゃないですか。自然の調停者みたいなイメージを、みんな漠然と共通して持っていて。すごくもっともらしい魂が、仏が作られてから入ったんだと思います。
ドワーフもたぶん、トールキンが発想した当時の炭鉱で働いていた子どもたちをイメージしていると思うんです。それが今のドワーフの、地面の底でキンコンカンコンやっている、ちょうどいいところに落ち着いているので。
だから、それらしい風体のものを作ると、後付けでちょうどいい魂が入るというのは、すごくあることだと思います。
『アイドルマスター』の同人誌を見ていても、公式の設定はちょっとしかないのに、よくここまで人間っぽくしたなぁと思いますから(笑)。
橋野氏:
ドワーフについて僕は詳しくないのでわかりませんけど、もし仮にトールキンさんがそれを種族として扱おうとしたところには、さっき先生が言われたガッツに持たせる剣の大きさの設定にも通じる、戦略的な意味づけみたいなものがあったと思うんです。
でも今はそれがまったく失われて、ドワーフとはこういうもので、大剣はこういうもので、みたいになってしまうと、創作が人に伝わる部分のパワーは減っているはずだと、自分としては思いたいんですよ。
三浦氏:
それはたぶん、パイオニア的な欲求が強いんですね。
橋野氏:
どうなんでしょう。でもパイオニア的な欲求はあまりないんです。ちゃんと意味があるものは意味あるものとしてつなげたいというところでしょうか。
三浦氏:
なるほど。では作家ですね。
何かが生まれて、それをみんなが楽しむうちに形だけになって、みんなの遊び場っぽくなるというのは、何事もそういう流れがあるので。そうではなくて、何か新しいものを始めたいという欲求、いちばん最初の魂が通っているものを作りたいという欲求は、すごくよく分かります。僕自身も作家なので。
橋野氏:
そういう遊び場ができると、きっと僕はそこにいられなくなっちゃうんですよ、なじめなくて(笑)。
三浦氏:
作ってさようならという(笑)。それもわかります。でも今の時代でそれをイチから作ろうと思うと……。
今の時代、新しいものを作るのは不可能に近いので。とにかく組み合わせで新しく見える色取りにするのがいちばん現実的だよという話を、僕はよく若い子たちにするんです。
エンターテインメントの本質は“セックス&バイオレンス”だ
──抽象的な質問になるんですけど、自分の中にあるものを削り出していくときの感覚は、具体的にどういうものですか?
三浦氏:
最初のアイデア自体は、ごくごく普通だと思うんですよね。さっきの話で言えば、組み合わせでこんなのをやってみるとか。あとは誰かが言ってたんですけど、昔すごく流行っていたもので、今は忘れられているものを引っ張り出してきて今やるとウケるぜ、という話を聞いたことがあって。
たとえばアイドル物がウケてるのって、そういうところがあるじゃないですか。一時期はぜんぜんなかったのに。
そういう元の発想自体は別に特殊なものじゃないんですけど、そのディティールを細かくしていく際に、いっぱい出たアイデアの中から取捨選択をしているかな。
さっきもお話ししましたけど、自分のやり方だと結局、選んだものの意味の本質ってなんだろう、という方向に向かっちゃいますね。選んだものを彩り鮮やかにして、ほかのいろんなものを組み合わせるという方向に行くんじゃなくて。
堀り進んで行く方向にしないと、さっき言った本質のいろんなギアが噛み合うような形にはならないので。
また雑談になっちゃいますけど、有名なお寿司屋さんの店長さんが、「日本の料理はそうやって深めていくものだ」と言っていましたね。海外はいろんな食材を組み合わせてハーモニーで作るんですけど、そのお寿司屋さんが言っていたのは、「魚に面と向かって、一個のネタをどれだけ美味しく食べていただくか、ずっと掘り下げていくんだ」と。
副島氏:
素材探求ですよね。
橋野氏:
今度、お寿司屋さんに行こう(笑)。そういう目でお寿司を見たことがなかったので。
三浦氏:
削って削って削り抜いて、本質まで迫っていくと、僕はセックス&バイオレンスだと思いますよ、つまるところ。それをいかに良い包装紙に包んだり、いまどきの包装紙に包んだりとかして、提供するものだと思うんです。
人間が動物である以上、本能のそこを突かないとエンターテインメントにはならない気がするんですよ。知的なエンターテイメントもありますけどね、人間は考えますから。でもやっぱり本能って強いから。
副島氏:
ゲームってあんまりセックスとバイオレンスを使えないんですよね(笑)。
三浦氏:
そこを上手くオブラートに包んで(笑)。
たとえば『カードキャプターさくら』【※】ってあるじゃないですか。あれは親が子どもに見せても恥ずかしくない立派なエンターテインメントだと思うんですけど。
でも穿ったオタクから見れば、同性愛も入っているし、ロリコンが喜ぶあざとい要素もいっぱい入っていて、それにやられちゃった人が山のようにいるじゃないですか。ああいう形がいちばん理想の形だと思うんです。
副島氏:
理想の形ですか(笑)。
三浦氏:
作家の中の正直な欲望を、いかにカッコ良い装丁で出すかということだと思うんですけどね。それを言ったら僕も、いろいろ中身がバレちゃいますけど(笑)。
──鳥嶋さんもそこは言いきってましたよね、セックス&バイオレンスだって。「今はそれを健全なものとしてやろうとするからつまらん」と。
三浦氏:
今はやっちゃいけないことが増えているんですけど、そういうときこそ何か、新しいものを始める腕の見せどころかもしれないですね。
日本のアダルト文化も、モザイクじゃないですか。モザイクがあっても見ている側を熱くさせるために、みんな四苦八苦していて。
日本人はそういうものをかいくぐるのが、江戸時代から上手いですから。江戸時代って何かが流行ると、すぐ禁止令ができちゃうので(笑)。
橋野氏:
モザイクをかけるほうが、エロスがあるんですかね?
三浦氏:
江戸時代は本当にそうだったみたいなので。やっちゃいけないことがあるせいで、新しい表現が生まれるという。
なぜだかわからないですけど、爆発的に広がるものっていつも、最初はエロからですよね。ビデオもそうでしたし、インターネットもたぶんそうだったんでしょうけど。
やっぱりエネルギーが違うんでしょうね、エロは。
──本能に訴えるものの力強さというか。たぶんそれって、先ほど三浦先生が言われた、剣を振るうときの気持ち良さみたいなものと、根っこが同じなんでしょうね。
三浦氏:
そうですね。ゲームでそれをどうやって表現するのかは、マンガ以上に倫理コードのハードルが高そうですけど。『ベルセルク』のゲームでも「血はちょっと勘弁してください」という話がありましたから。
副島氏:
でもお話を伺って、『ベルセルク』の魅力を無意識に感じていたところが、ものすごく腑に落ちた感じがしていて。
実はうちの奥さんも『ベルセルク』を大好きで。「『ベルセルク』を読んでいると元気が出る」って言うんですね(笑)。
自分はデザイナーなので、緻密に書かれた絵であったり、表現とか設定とかを楽しむほうに行きがちなんですけど。家内はガッツががんばっているのを何回も繰り返し読んで、「読むたびにエネルギーをもらえる」と言っているんです。今回お話を伺って、その感想が腑に落ちた気がします。
三浦氏:
今は逆に、感情に根ざしてそこを起点に作るというもの自体、あまり見なくなってきているので、一回りして新しいのかもしれませんね。でもゲームだと、どうなるんだろう?
副島氏:
ゲーム制作の現場で、ひとりだけがほとばしっていても……(笑)。でも結局、創作は誰か個人のところからスタートすると思うので。
三浦氏:
プロデューサーがひとりいて、その人のそういう感情みたいなものを共有してくれ、というふうにやるべきなのか。それともピクサーみたいに、いろんな人が話し合う機会をバンバン設けてやるべきなのか、どっちがいいのか分からないですけど。
副島氏:
アトラスはそんなに分業が進んでいる感じではなくて、ひとつの背景をひとりのデザイナーが作っていたりするので、そうなると個人の気持ちがこもっていると思うんですね。あんまり分業が細かすぎると、そのぶん薄くなっちゃいますよね。難しいですね。
橋野氏:
例えばですが子ども向けの作品って、わりと意識を集めなくても、次の世代に何を見せるのかという意思統一みたいなものが、なんとなくできると思うんですよ。特に子どもがいたりすれば、自分の子どもにそれを見せていいのかどうかって考えますから。
三浦氏:
倫理というものがものすごく、考えるときの基準になりますよね。
橋野氏:
それに対して大人向けのものだと、どういう感動を与えたいのかというのを、みんなで握る必要があるんだと思います。
大人向けのものはやっぱり、どういうふうに生きていくのがいちばん気持ちがいいかとか、そういったことを考えなくてはいけなくて。そういう方向を表現するのにいちばん近いのが、じつは現代劇ではなくてファンタジーなのかなという気がして、今回は始めたんですけど。
そういえば、三浦先生は現代劇には興味がなくて、ファンタジー一筋のように見えるのですが?
三浦氏:
自分の作っているものだと、どうしても現代からは遠のきがちですね。
大半の時間を椅子に座って集中していると、良くも悪くも現実の人間関係の時間とかがあんまり取れなくなってしまうので、過去の記憶でやらざるを得なくなってくるじゃないですか。
今も友達はいますけど、そんなにしょっちゅう会えるわけじゃないので。
そうなるとなかなか、現実からネタを拾っていくのが難しいですね。
ふだんの人間関係や日常生活からネタを拾うタイプの漫画家さんもいっぱいいるんですけど。そういう方々は僕みたいに、絵に異常に凝る時間は取れないと思いますよ。
1日24時間しかありませんからね。だから、どのスタイルになるかですよね。自分はどうしても絵が好きだというところが大きかったので、自然にこっちの流れになっちゃったんですけど。
たぶんひとつの作品が終わった後に、次の作品を始める前にすごく長期の休養を取って、その間にいろいろとネタがたまるようなことをやればいいんでしょうけど。いかんせん、連載と連載の間がいつまで経ってもやってこないので(笑)。
ゲームハードが変わると、作品の土台になる技術が変わってしまう
──先ほどから三浦先生が言われる“お行儀の悪さ”と、マンガの面白さって、けっこうリンクしているんじゃないかと思うんです。今は“お行儀の悪さ”の幅が狭まっているというか、お行儀よくしないといけない圧力みたいなものが、会社だけじゃなくて読者やユーザーの側からもあって、それがクリエイティブの表現の面白さを損ねていないかな、という感覚があるんですけど。
三浦氏:
それはすごくあると思いますけど、どうにも抗いようがないですから(笑)。
橋野氏:
マンガでもそういうことは多いですか?
三浦氏:
言葉狩りはいっぱいありますし、表現も厳しいですね。中途半端に売れている作品ほど引っかかりますよね。みんなの目について注意されちゃうので。
新人の漫画家が、端っこのほうですごいスプラッタなことをやって、あまり注目されていないうちに売れちゃうと、そこをスッと抜けられるんですよ。『進撃の巨人』【※】がまさにそうだったので。
あまり人の目に触れていなければ、とりあえずOKになるという。漫画業界はいまだにちょっと野蛮なところがありますから。
橋野氏:
アトラスも、もともとゲーム業界のなかでは野蛮なところだったので(笑)。ファンタジーだったらまだ野蛮でいられるかなと。
三浦氏:
そこもいろいろ言い訳にできますよね。ファンタジーだから、これは人間じゃないからって。
橋野氏:
恐怖や不安と戦っている主人公を描いていると、日頃のそういう恐怖みたいなものに先生ご自身も抗わなければいけない、みたいなプレッシャーはないですか?
ご自身が描いている主人公が戦っているから、自分も戦わなきゃいけないみたいな。
『ペルソナ』のときはあったんですよ。“偉い奴らをぶっ倒せ!”みたいなゲームを作っている自分たちが、偉いヤツらにへいこらするわけにはいかない、みたいな(笑)。
副島氏:
そんなの考えたことないですよ(笑)。
三浦氏:
それはちょっとわかります。このキャラクターを取り扱っている以上、ここを曲げたら嘘になるというところが出てきちゃいますよね。アバターに引っ張られているのかもしれないですけど。
橋野氏:
普通は無難におとなしくするところを、作品性の後押しで、ここはやるべきだと思ったりするとか?
三浦氏:
意識はしていないですけど、たぶんあると思います。作っている人がなんとなく感じられる作品のほうが、長くついてくれるファンができる気がするので。ゲームもきっと、そういうところがあるんでしょうね。
──お行儀の悪さで言うと、人間って見ちゃいけないものほど見たいという感覚があると思うんです。たとえば『ベルセルク』だと、モンスターの造形が女性器を連想させたりとか。ああいうものは意図的にやられているんですよね?
三浦氏:
さっきのセックス&バイオレンスの話につながっちゃうのかもしれないですけど。生殖器の話に限定してしまうと、やっぱり人間がいちばんビビッドに反応する部分なので、それは効果が大きいですね。
特にキャスカの夢のシーン【※】だと、キャスカはそういう目に遭っちゃった人ですから、夢に出てくるのにはもってこいなモチーフなので。
さっきのファルネーゼが馬に襲われる場面も、馬というのはよく男根のメタファーとして描かれますし、ああいうシーンに出すにはちょうどいい魔物でしたし。性的なこととおっかないことが混じるようなシーンでは、そういうデザインをちゃんと使うようにしようと、無意識ですけどなっていますね。
──そのへんは無意識なんですか?
三浦氏:
たぶん無意識だと思います。永井豪さんの漫画を読みすぎているので(笑)。
自分が食べて育ったものは出ますよね。でも、ゲームでそんなことをやった日には大変ですよね。
副島氏:
アトラスも昔はやってましたから。人間じゃないんでって。
──なにしろマーラって悪魔がいますから(笑)。
三浦氏:
そういえばそうですね(笑)。
橋野氏:
でも、この10年でかなり厳しくなりましたね。最近は「発売できません」って言われますから。
副島氏:
そう言われると、チャレンジしようという気が起きなくなりますよね。
三浦氏:
本当に世知辛い世の中ですね。それを上手くすり抜けて、何かを感じさせないといけないのかな。
橋野氏:
なのでさっき、その方法のヒントを知りたかったんです。倫理基準に問題なく実現できるセックス&バイオレンスを(笑)。
──ゲームやアニメに比べると、マンガは表現の自由さを守っていますよね。
三浦氏:
アニメやゲームはあっという間にネットにも上がるし、それこそ世界の果てまで届いてしまう印象があるので。それに比べてマンガは、売れていないときには本当に数千冊ぐらいしか世の中に出回りませんから。
橋野氏:
ゲームはハードが変わると、性能が変わっちゃうんですよ。でもマンガのフォーマットはずっと同じですよね。
三浦氏:
いくら印刷が良くなっても同じものなので。
橋野氏:
それは先ほどのお話にあった、寿司職人が寿司を極めるのに似ていると思うんです。でもゲームの場合は、土台となる技術が数年ごとに変わってしまうので。今度はこの技術、今度はこのツールみたいに変わるので、極まっている感じがあんまりしなくて。
そういう意味では面白いんですけどね。毎回毎回、ガラガラポンみたいな感じになるので。
新規参入のチャンスは常にあるんだけど、一方で技術が継承されていかないというか。
三浦氏:
そうなると、何が継承されていくんでしょうね。キャラクターが継承されていくのかな。
橋野氏:
シリーズ物がずっと継承されていくというか、安全牌のビジネスモデルが継承されやすくなっているというか。それでちょっと作品が弱くなっちゃうという場合もあるんでしょうけど。
三浦氏:
昔のゲーム機ですごく流行ったものは、どこに行っちゃうのかなって思うんです。それこそシミュレーションRPGとかは、最新のゲーム機ではそんなにないでしょうけど、たとえばスマホのゲームになって生き残ったりするんですか?
──それで言うと『ペルソナ』というのは、古き良きRPGのファンだった人や、その面白さの現代版を期待している人が、ファンとしてついている気がしますね。
橋野氏:
三浦先生の作品に影響されて、漫画家を目指している人もいらっしゃると思うんですけど。たとえば、ゲームの場合は『ペルソナ』を好きな人が、そのタイトルに携わるために入社を希望されることもあります。
継承という意味では、好きな方が続けていってくれるのは大事なことだと思うのですが、それだけでいいのかな?と思うことはあります。
副島氏:
ありがたいことですよ(笑)。
橋野氏:
でもきっと、『ベルセルク』に憧れて先生のもとに来る漫画家さんもいらっしゃいますよね?
三浦氏:
僕のスタッフでそれはないんですけど、たまに「ファンです」という漫画家になりたての人に出会ったりはしますね。でもマンガは個人でやるものだから、僕の影響そのままという感じにはまったく見えないですね。
橋野氏:
ゲームはひとりで作れないので、マンガとは違う行儀の良さというのは、そういうところからも出てくるでしょうね。
──ひとりの狂気だけでは走りきれないということですか?
橋野氏:
たとえば『女神転生』はこういうものだ、『ペルソナ』はこういうものだ、みたいなものを開発チームの全員が共通で持ち始めちゃうと、良かれ悪かれはありますが、なかなかそこから外れられないというのがあると思うんです。これがひとりの作家さんだったら、衝動で変えようと思えば変えられるのでしょうけど。
三浦氏:
キリストが死んだ後のキリスト教の話みたいですよね。『ペルソナ』はずっと生き残って、それに対していろんな人がいろんな解釈をしていって。それでキリスト本人は、もういいから次のものをやりますと(笑)。
──でも『ペルソナ』自体、『女神転生』というものがあって、その違う解釈として『ペルソナ』シリーズが出てきたわけですから。さらに『ペルソナ3』という橋野さんが作った作品も、『ペルソナ2』とはぜんぜん違う新解釈になっていて。そういう感じで発展していくんでしょうかね?
副島氏:
いずれ『ペルソナ異聞録』みたいな、また新しいものが出てくると。
橋野氏:
三浦先生は読者の反応を作品に活かしているのでしょうか?
三浦氏:
ファンレターとかはちゃんと読ませていただいているんですけど、それ自体を意識して反映させるというわけではないですね、千差万別過ぎて。とてもモチベーションにはなるんですけど。
今の『ベルセルク』に関しては、やることが決まっていて、それを一個一個クリアしていくというような段階に入っちゃっているので。なのでむしろ、自分の今の思いとかをそのまま乗っけられるものが、逆にひとつほしいぐらいです。
──ゲームの仕事をやってみたいと思ったことはありましたか?
三浦氏:
『ベルセルク』のゲーム【※】が作られたときに少し参加させてもらって。あのときはキャラクターのデザインと、最初のゲームではシナリオも自分で書いたんですよ。それはそれですごく楽しかったですけどね。でも今は時間が……(笑)。
結局、マンガの延長に近いことしかできないんです。ストーリーとキャラデザぐらいですから。
ストーリーのあるゲームというものには手を出せるかもしれませんけど、次から次へと進化していくゲームの新しい形には、自分が対応できるかどうか分からないですね。
海外から見た『ペルソナ』は、ちょっとヘンなゲームだと思われている
三浦氏:
おふたりが今作られている新作のターゲットは、どちらになるんですか? やはり日本の若い子向けになるんですか、それとも世界を視野に入れているんですか?
橋野氏:
そこはあんまり意識していなくて。ちょっと変わっていれば日本でも世界でも面白がってくれる人がいるのかな、みたいな感覚なんですよ。この人たちはこれが好きだから、みたいに決めつけて考えすぎるのもよくないので。
三浦氏:
韓国や中国は欧米の文化でウケるものを計算に入れて、映画とかいろんなものを作っているじゃないですか。でも日本のエンターテインメントでは、そっちに向かっているものって、ほとんどない気がするんですよ。
橋野氏:
日本でもそういうゲームを作っていた時期があったはずです。でもなかなか上手くいかないケースもあって、試行錯誤も多かったと思いますね。
──今はどちらかというと、日本のクリエイターはヘンに世界のマーケットを意識せずに、自分たちが作りたいものをちゃんと作り切ろう、みたいな感じになっていて、そうやって作られたものが海外でも当たり始めている状況ですね。
そうやってヒットした作品のひとつが『ペルソナ』シリーズだったりするので。『ペルソナ』は日本が舞台で、日本の高校生が主人公で、それで世界で270万本ぐらい売れていますから。
三浦氏:
『ペルソナ』が海外で売れた理由は、ビジュアルのデザインなんですか? それともゲームの内容なんですか?
副島氏:
どうなんでしょう(笑)。
橋野氏:
見た目を褒めてもらえることもあるし、中身を褒めてもらえることもありますね。
三浦氏:
海外の『ペルソナ』を遊んでいる人たちはゲームマニアなんですか? それとも一般の人とまで言えるほどなんですか?
橋野氏:
日本で言うと洋ゲーファンみたいな感じじゃないですかねぇ。もちろん、今はあまり洋ゲーという括り方がされなくなってきていると思いますが。
日本のゲームが好きな人たちは海外にも昔からいらっしゃるんですけど、最近は一般のゲームプレイヤーにも日本のゲームをやってもらえるようになって、それで少し数字が良くなってきているというのもあると思います。
三浦氏:
そうなんですね。
副島氏:
絵を描いている身としてなんとなく感じるのは、ゲームというより、アニメーションやマンガの輸出が昔より進んでいる感じがするんです。『セーラームーン』や『ドラゴンボール』あたりから。
そういったものを欧米の人たちが普通に目にして、向こうでも馴染みがあるようになってきたので、日本人向けに作ったゲームもある程度許容されるようになったのかな、という感じがするんですね。
──逆説的ですけど、アニメーションやマンガが広く輸出されて、みんながそれになじんだ結果、日本人向けに作った作品を、海外でもそのまま受け入れる層が増えたという感じですね。
副島氏:
『ペルソナ』の翻訳を見ていると面白いんですよ。「Senpai」とか「○○Chan」とか、日本語の発音のままで翻訳されているんです。日本のアニメやライトノベルが好きな人なら「先輩」という言葉は知っているし、該当する英語もないから、ということらしいんですけど。
三浦氏:
たとえばNetflixで配信されている海外のドラマとか、日本人向けにぜんぜんアレンジされていないじゃないですか。それでも楽しく見ている人が日本でも大勢いるから、それと同じことなんですかね?
橋野氏:
たぶん、向こうのゲームと同じような感覚で日本のゲームもやっているというよりは、もっとヘンなものだと思われている気がします。少なくとも『ペルソナ』に関しては(笑)。学校で全員が制服を着ていて、放課後は一緒に街で遊ぶみたいな学校生活とかも含めて。
グラフィックも、海外のCGを真似しようとしても負けてしまうだけなので、違うところで勝負しようと。UIもスタイリッシュに動かそう、こっちなら自分たちでも動かせるから、みたいにやっていたら、向こうの人から見ると「なんでここがこんなに動くの? ヘンなゲームだなぁ」と、結果的にそれがユニークに映ると。
海外に追従しないことが逆にユニークに映って、それが向こうの人に受け入れられる、みたいな感じなのかなと思うんですね。
三浦氏:
なるほど。それを聞くと、自分たちが正しいと思うことをやり通すしかないですよね。
副島氏:
我々が西洋ファンタジーのファンで、やっと趣味の西洋ファンタジーを作るぞ、となったら、向こうでは箸にも棒にも引っかからないものになってしまうのが目に見えているので。
橋野氏:
ただの追従じゃなくて、自分たちのアイデンティティを持った上で、海外を意識するというのが重要なんじゃないかなと。
三浦氏:
どうやって生き残るか、みんな考えていますよね。生き残らなきゃというのを考えないといけない、今の日本の状況が困りますけど。
副島氏:
『ベルセルク』も海外に輸出されていると思うんですけど、そこで何か気づいたことってありますか?
三浦氏:
逆に今のお話を聞いて、『ベルセルク』はその条件に当てはまっているのかどうか、よく分からないんですよ。完全に洋物ですし(笑)。
だから僕自身も海外版が出たときに、どう受け取られているんだろうか? というのはよく思っていました。
海外の人が作った忍者映画みたいな感じで受け取られているんじゃなかろうか、と思って描いているんですけど、向こうのファンで『ベルセルク』のタトゥーを入れちゃっている人とかもけっこういますし。
そこまで入れ込むということは、キワモノではなくてちゃんと届いてるのかなと。
僕が推測したのは、日本人って歴史が好きじゃないですか。戦国武将の話とか。
海外はもしかしたら歴史好きが少ないんじゃないかな? って。学のある人じゃないと、自分のところの歴史とかも、そんなにしっかり知らないんじゃないの、っていう。
『アルプスの少女ハイジ』が、スイスで自国製のアニメだと勘違いされていたという話があるじゃないですか。ああいうパターンなんじゃないかなと。
副島氏:
そのあたりの感覚が、自分はちょっと怖いんですよ。たとえば日本人だと、戦国時代の兜と平安時代の兜と江戸時代の兜って、一目見ただけでだいたい分かるじゃないですか。西洋の甲冑も、向こうの人にそれぐらいの違いが分かるのだとすると、デザインする側としては相当に気を遣わないといけないという恐怖感があって。
でも今のお話を聞いて、ちょっと安心しました。安心してはいけないんですけど(笑)。
三浦氏:
ディズニーの映画を見ていても、そのへんはけっこういい加減だったりするので。
副島氏:
あれはアメリカだからなのかな、とも思うんです。
三浦氏:
あぁ、そうかもしれないですね。
副島氏:
このあいだインターネットで海外の反応を日本語に翻訳しているページを見たら、ヨーロッパの兜の系譜が描かれた図について、議論をしている外国の方たちがたくさんいて。「ウチの国の**世紀のこの兜がいちばんカッコイイ」とか、そんなことを言われたら、もう僕らがデザインできないなと(笑)。
三浦氏:
すごい知識のあるマニア層と、ぜんぜん気にしない人たちとに分かれていて、マニアな人たちは人数的にはそんなに多くない気がするんですよ。ただ最近はインターネットがあるせいで、あっという間にツッコむ人たちもいるとは思います。だから『ベルセルク』の場合は、ただただ偶然的に助かったんじゃないかなと思いますね。
“セックス&バイオレンス”の一段下に、パーソナルな本当のことが隠れている
──そろそろお時間ということで、まとめのコメントを伺いましょうか。
橋野氏:
ファンタジーのゲームを作るということで、1年くらい前に作家の水野良先生とお話をさせていただいたときは、まだシナリオができていなかったので、本当にここで何かを得て、参考にしようという感じだったんですけど(笑)。
今はシナリオが固まっているので、三浦先生のお話を伺っていても、自分たちが間違えていないだろうかと不安で。今ここで新たな気づきがあっても、もう取り返しがつかないんですよ(笑)。
でも作家の方とお会いすると、今回は特に感じたんですけど、やっぱり意味づけとか筋の通し方の部分ですよね。いろんなパーツをひとつにつなげていくことの大切さが、『ベルセルク』を読み返しても思ったし、それについて直接お話も聞けたので。
そこは間違えずに取り組めているんじゃないかなと、私事ながら思っています。
あとは、どうしても僕は「セックス&バイオレンスですよ」って言葉が印象的で(笑)。三浦先生がこれだけ言っているのはきっと、逆にそれだけじゃないという思いがあるはずなんです。
三浦氏:
セックス&バイオレンスって、要するに味付けの部分ですよね。お客さんはその味付けで「美味しい」と言ってくれるんですけど、旨味とか味わいの部分というのが、そのもう一段下にあると思います。
今回は話に出なかったですけど、鷹の団時代の人間関係【※】って、僕の実際の経験をアレンジして出てきているものですから。それ自体にまったく嘘はなくて、本当にあったことの脚色版みたいなものなので。
本能に根ざしている、誰にでも反応してもらえるセックス&バイオレンスでお客さんを呼び込んで、それで読んでもらったら、作者のパーソナルに根づいた本当のことが入っていますよ、という。
片方ずつでも成り立つとは思うんですよ。私小説みたいなものもあるし、本当にただの娯楽としてのものもあるので。でもそのふたつが合体していると、よりパワーが出るんじゃないかと思います。
※鷹の団時代の人間関係
鷹の団を率いるグリフィスと出会ったガッツは、圧倒的なカリスマを持つ彼に対する憧れと、その裏返しであるコンプレックスの狭間で苦悩する。三浦氏は鳥嶋和彦氏との対談で、ガッツとグリフィスの複雑な関係が、高校時代からの友人である漫画家の森恒二氏と自分の関係をモデルにしていると語っている。
橋野氏:
1年以上前に新作の制作を始めたときに、「ファンタジーは大変だよ」と周りがみんな言うんですよ。
ということは今までに経験したことがないような、世界の隅から隅まで完璧に構築する、みたいなものが待っているんじゃないかと、1年以上前は思っていたんですけど。
でも、そんなことはできるわけもなくて。しかもゲーム開発は人数もたくさんいるので、そんなものを全員で共有化できませんしね。
だから今、先生のおっしゃっていた軸みたいなものを、わりと愚直に、全員で共有できるものは共有しつつ入れていけば、それはひとつのカオスなのかもしれないけど、カオスなりに筋の通ったものになるのかなと思います。
そのあたりはこの対談のシリーズで、だんだんほどけてきた感じですね。
三浦氏:
でも『ペルソナ』を見ていて思うんですけど……。
橋野氏:
違うことを言われそうでイヤだなぁ。いつものパターンだ(笑)。
三浦氏:
『ペルソナ』って、キャラクターひとりひとりのトラウマを解消する話じゃないですか。ひとりひとりのスタッフの方が個々のキャラクターを担当して、そのスタッフさんたち自身のトラウマの部分がキャラクターに入っていれば、それこそスゴいことになりますよね。
橋野氏:
筋が通るというか、いい意味でカオスというか。
──副島さんはいかがでしょう?
橋野氏:
ファン臭がスゴかった。こんなにハキハキと、楽しそうに。ふだんの取材だとこうじゃないのに(笑)。
副島氏:
ファン臭はなるべく出さないようにしていたんですけど(笑)。
自分が好きな作品だからこそ、それがどういったモチベーションで作られているだとか、どこを大事にしてそこから掘り下げてみたといった、いろんなお話を聞かせていただいて。それをゲームのデザインに活かしたいなと思います。
ただ、同じような文法ではいかないでしょうから、今日のお話をどう活かすのか、方法を持ち帰っていろいろ精査したいと思います。
三浦氏:
たまにこうやってインタビューを受けると、自分のなかの整理整頓になりますね。いつもひとりでジーっと座っていると、ボヤけていくので。初心に帰るのに良い席でした。
橋野氏&副島氏:
今日はありがとうございました。
三浦氏:
こちらこそありがとうございました、楽しかったです。(了)
当たり前のことではあるがすべてのフィクション、特にコミックやアニメ、ゲームのようにあらゆる事象が(たとえCGであっても)人間の手で作り出される作品は、どの描写にも必ず制作者の意図がなんらかの形で託されているはずだ。
三浦建太郎氏は、その点に真摯に向き合い、バトルシーンでの肉体の動きからモブキャラクターのデザインに至るまで、作品の隅々に作者の意図を行き渡らせることにより、『ベルセルク』という大河ファンタジーの世界を築き上げている事実が、今回の鼎談で語られている。
それは同じクリエイターである橋野氏や副島氏にとっても、共感するところが多かったのではないだろうか。
ファンタジー企画という点で今回の鼎談の内容に改めて注目するならば、特に興味深いのは、異世界を描くファンタジーだからこそ求められるリアリティとは何か、そしてそれをファンタジーになじみのない受け手にまでどう伝えるか、という話題だ。
三浦氏は受け手を「ライドさせる」、生物の本能に訴える「セックス&バイオレンス」といった刺激的な言葉で、鮮やかに語ってくれている。
そういった点を追求した上で、先行するコミック・映画や身体感覚の気持ち良さといった三浦氏独自の感性が加わって誕生したのが『ベルセルク』であり、その結果として日本に広く定着したのが、ダーク・ファンタジーというジャンルなのである。
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【『ロードス島戦記』水野良×『ペルソナ5』橋野桂:対談】 ゴブリンを倒していた若者が最終的に世界を救う話は、ファンタジーならではの“純化”である【新生・王道ファンタジーを求めて①】「真なる幻想世界(=ファンタジー)への回帰」を目指して「PROJECT Re FANTASY(プロジェクト リファンタジー)」を立ち上げた橋野桂氏が、日本の国産ファンタジーの原点を探るべく、ファンタジー界のレジェンド『ロードス島戦記』で日本ならではのゲームファンタジーの基礎を築き上げた水野氏を迎えて、日本のファンタジーRPGの過去、現在、そして未来を語り合った。