“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門

“ゲームらしさ”をもっと深く語りたい!そんなあなたのためのゲームスタディーズ入門

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ゲームはハックするもの? ゲームメカニクスへの目覚め

──今回はおふたりが影響を受けたゲームもお聞きしたいんです。『ハーフリアル』の冒頭で、著者のイェスパー・ユールが「三目並べ」【※】の話をするじゃないですか。友達と何度も対戦して、最初は楽しかったのに勝利法がわかってしまった途端に、楽しくなくなっちゃった、という。そこに彼がゲーム研究を志した原体験を感じられるというか。

※三目並べ……3かける3の格子に交互に「○」と「×」を書き込み、先に3つ並べたほうが勝ちとなる。先手でも後手でも最善手を打つと必ず引き分けになってしまう。ちなみに、Googleで「三目並べ」「マルバツゲーム」などで検索するとその場で遊ぶことができる。
(画像は「三目並べ」のGoogle検索結果)

吉田氏:
 原体験の話からすると、私はじつはゲームが下手で、すぐにゲームをハックしちゃう人間なんですよ(笑)。PC-88の時代からゲームをやっていましたが、その頃はゲームのデータはフロッピーディスクに書き込まれていたので、わりと簡単にハックできてしまうんですね。
 ファミコンも持っていましたが、ファミコンはハックができない(笑)。だから自分で中身をいじってしまう、というのがゲームとの最初の接し方だったんですね。

──ハックしていたのはおいくつぐらいだったんでしょうか?

吉田氏:
 13歳頃ですね。実家に帰ると昔のノートが膨大に残っていて、機械語の16進法データが全部手書きされていて、「ここの数値を01に変えたらアイテムがこれになる」とか書かれている(笑)。

一同:
 (笑)。

松永氏:
 完全に自分で調べていたんですか?

吉田氏:
 そうです。まだインターネットもなかったし、雑誌に多少手がかりはありましたが、ハックしている友達もほかにいなかったので。
 まわりのみんなはゲームがうまいから、ハックしないんですよね(笑)。

松永氏:
 嬉しいんですか、それ(笑)。

吉田氏:
 アイテムやステータスのコンプリートもすぐできちゃうんですよ。だから、ハックして嬉しいかどうかというのは私が最初に直面したシリアスな問題で、「オレは何のためにゲームをやっているのか?」と(笑)。
 でもそういうふうにプログラムの全貌を確かめることが、私にとってはゲームの快楽のひとつなんです。プログラマーとの知恵比べというか。それが私のゲームの原体験です。
 でも恥ずかしいですね。インチキから入っているわけだし(笑)。

松永氏:
 けっこう哲学的な問題ですね。普通はそこまで自由になんでもできたらつまんないから、ある程度は自分で縛りを設けると思うんですよ。

吉田氏:
 それと同時にハックはゲームを深く理解することにもつながっていて、仕組みがわかると、実際にプレイしていたら出てこないアイテムとかも出せる。
 そうすると「オレは普通にプレイする人よりも、このゲームのことを分かってる」という満足感を得られるんだけど、ちゃんとしたプレイはできない(笑)。そこが研究者気質につながっているのかもしれません。

──ブラックボックスを開けてみたいんですね。

松永氏:
 それを聞いていて思ったのは、僕もいまゲームの授業をしているんですけど、ゲームの基本的な仕組みをわかっている学生とそうではない学生がいるんですよね。
 ブラックボックスをそのまま開けなくても、プログラミングに多少なじんでいたらある程度の仕組みはわかるじゃないですか。

 でも逆にプログラミングへの意識がなければ本当に魔法みたいなもので、プレイヤーとして画面に見えるものしか見ていないから、中身がどうなっているのかを想像もしないし、気にしない。それでゲームに対する見方が違っていて、「ゲームメカニクス」という概念自体を理解しない人がけっこういる。
 昔のゲーム、とくにPCゲームは「機械感」がストレートにあったというか、データにアクセスしやすかったし、プレイヤーもその存在を意識してたわけじゃないですか。
 いまの若い人たちからすると、その感覚はだいぶ違うのかなという気はしています。

吉田氏:
 ファミコンでもバグで遊んじゃうようなことが昔はありましたね。

──自分はゲームボーイ世代ですが、初代『ポケモン』でバグを出して遊んだことはありますね。

吉田氏:
 でも「できるだけ機械感がないものを」という方向性は、ゲームが目指してきたものですよね。

松永氏:
 作り手や売り手としてはそうですよね。昔は機械も素朴で、プレイヤーに直に見えたりしていたのが、どんどん機械の部分は見えないようにして、その代わりにフィクションで意味づけをしようとする。
 初期のゲーム経験がある身からすると、ゲームのゲームらしさのひとつは、まさにそういう機械的なものが変に出ちゃっているところにあると思うので、機械らしさを消しすぎる方向に行くのはちょっと違うのではという気はしています。世代の問題かもしれないですけど。

──松永先生のゲームの原体験はどうなんでしょう?

松永氏:
 僕はハックとかはしてないですけど(笑)、90年代のゲームをリアルタイムにやっていた世代です。JRPGの全盛時代ですが、当時のスクウェアのゲームが好きで、『ファイナルファンタジー』シリーズとか『ロマンシングサ・ガ』シリーズとかをずっとやっていました。

 自分のゲーム観に影響が大きかったタイトルを挙げると、十代前半ぐらいに出会った『NetHack』【※】というゲームですね。いわゆるローグライクの初期の作品です。ビジュアルがシンプルで、プレーヤーが「@」で猫が「f」で表示されるようなやつなんですけど、それがとにかく面白かった。
 当時のグラフィックで言えば『クロノトリガー』とかのほうが圧倒的にリッチなんですけど、僕は『NetHack』にすごく魅力を感じたんですね。その経験はけっこう大きくて、「ビデオゲームはグラフィックじゃない」という考え方にもつながっている。

※NetHack……『Rogue(ローグ)』を継承する形で1987年に発表されたダンジョン探索RPG。マップがランダム生成される『ローグ』をベースにペット、商店、モンスターの死体を食べるなど、後に『不思議のダンジョン』シリーズにも取り入れられた要素が追加されており、ジョークやパロディも多数仕込まれている。近年も更新が続いており、日本語版もプレイ可能。
(画像はSteam:NetHack: Legacyより)

吉田氏:
 『NetHack』は私もやりました。ローグライクは独特ですよね。プレイヤーの側もダンジョンのマップやアイテムの出現が自動生成だとわかってるから、どう自動生成されるかを予測するようになるし、ゲームメカニクスに自覚的になるタイプのゲームですよね。
 『トルネコの大冒険 不思議のダンジョン』【※】みたいなローグライクのバリエーションはどうですか?

※トルネコの大冒険 不思議のダンジョン
1993年にチュンソフトからスーパーファミコンで発売された、ダンジョン探索型のRPG。1980年に発表された『ローグ』を下敷きに『ドラゴンクエスト』シリーズで馴染みのキャラクターを配した、いわゆる“ローグライクRPG”の一種。中断は可能だがやり直しの利かないゲーム性をはじめ、ランダム生成されるダンジョンや、キャラクター(トルネコ)の死亡によるアイテムやレベルの消失など、繰り返しのプレイを想定した構造であり、キャッチコピーがそのまま「1000回遊べるRPG」であった。

松永氏:
 『NetHack』のあとで『トルネコの大冒険』もやって、クソだなと思って(笑)。

──ええっ!?

松永氏:
 ぬるすぎじゃないですか。できることも少ないし、僕の当時の美意識からするとビジュアルもちょっとダサく感じたんですよ。「アスキー文字にしろよ」っていう(笑)。

──『ローグ』原理主義者なんですね(笑)。

松永氏:
 『NetHack』はすぐ死ぬので、とにかくピリピリするんですよね。ローグライクはだいたい全部そうですけど、リソースがランダムで出てくるから基本的にプレイヤーは守りに入る。でも放っておくとお腹が減って餓死するので、リスクを冒して食べ物を確保しないといけない。
 そのトレードオフにすごく緊張感がある。

 これはアクションゲームのピリピリ感とも違うし、クリアが前提のJRPGのぬるいプレイとも違う。アクション性はないんだけれども、すごくチャレンジングな緊張感がある。
 それが好きで「これこそゲームだ」という感覚はいまだにあって、難度高めのチャレンジングなゲームはいまも好きですね。僕は吉田さんと違ってゲームがわりと上手いほうなので(笑)。

一同:
 (笑)。

松永氏:
 最近の好きなゲームを聞かれたときの答えは決まっていて、『ホットライン・マイアミ2』です。『ホットライン・マイアミ』シリーズも難度は高いので、そういうのが性に合うんでしょうね。

(画像はSteam:Hotline Miami 2: Wrong Numberより)

「先生、『ファイナルファンタジー』は何からやればいいんですか?」

吉田氏:
 そういえばちょうどこの間、学生から「『ファイナルファンタジー』は何からやればいいですか?」という質問を受けて(笑)。

松永氏:
 『FF1』からに決まってるけどね(笑)。

(画像はVC ファイナルファンタジーより)

吉田氏:
 でもこういう質問は、ほかのカルチャーにはあまりない、珍しいものかなと思ったんですよ。長く続いているゲームの最新作をいまからやる人って、マンガの『こち亀』を90巻から読むみたいな話になるわけですよ(笑)。

 通し番号がついたシリーズで、長い歴史があるものに途中から参入するプレイヤーがどう対処すべきかは、ゲームの通し番号をどう考えるのかという問題もふくめて、ちょっと面白い問題だなと。

松永氏:
 「『サザエさん』は何話から観ればいいのか?」とかね。難しいですね。

吉田氏:
 割り切って観ればいいと思うんですけどね。

松永氏:
 「何からやればいいのか」という問い方がそもそもおかしいと思いますけどね。

──その学生さんはシリーズを網羅する前提なんですかね?

吉田氏:
 いや、わからない。「初代から」という答えを期待していたかもしれないし。

松永氏:
 『FF7』とかを期待してたんじゃないですか(笑)。

(画像はFINAL FANTASY VII for SP | SQUARE ENIXより)

吉田氏:
 でも確かに『FF7』はシリーズに入るにあたってはいいですよね。

──たしかに「『ファイナルファンタジー』は何からやるべきか?」は難題かもしれませんね。

松永氏:
 いや、『FF1』からだよ(笑)。

──『FF1』の革命的なオープニングを見てほしいという気持ちはわかります(笑)。

松永氏:
 『FF1』からというのも実は微妙で、昔の作品がいかに革命的だったのか、すごかったのかを理解するためには、「当時のほかのゲームがいかにクソゲーだったか」を理解しないと、そのすごさがわからないんですよ。あるいは同時代の名作との対比とか。
 だから『FF1』を単発でやってもピンとこなくて、究極的にその作品の良さを理解するためには『ドラクエ2』『ドラクエ3』みたいな同時代の名作やその他のクソゲーもやってもらわないといけない。

(画像はドラゴンクエストIII そして伝説へ… | 公式PlayStation™Store 日本より)

 ただそうやって作品の「良さ」を理解したいのでなければ、自分がたまたま出会ったものからスタートすればいいと思うんですよね。「何からスタートすべきか」みたいな考え方をせずに。
 「べき」が気になるなら、いま言ったみたいに初代からやるべきだし、その初代を知るためにさらに同時代のものやそれ以前のもやるべきだし……ということで、最終的にはシェイクスピアとかホメロスから始めるべき、ということになると思います(笑)。

 真面目に言うと、自由でいいと思いますよ。どこからスタートするかで見方が変わっていくと思うんですけど、それはそれで文化の多様性だし。

吉田氏:
 ただゲームスタディーズについて言うと、全体を俯瞰する視点や姿勢が学生には欠けているんですよね。
 私から見ると、ゲームをそこそこやっているような人でも「ゲームのことはわからないので」とか「この分野しかやらないので」とか簡単に言ってしまって……。

松永氏:
 そういうこと言う人いますね(笑)。

吉田氏:
 もっと自信を持って、自分の足場からちょっと上に出て俯瞰してもいいはずなんですけどね。ゲームをある程度知った上で、自分のゲーム経験を全体のなかに位置づけることって、我々ゲーム研究者が歴史とジャンルと理論みたいなものを提供すれば、あとは本人がちょっと努力するだけでできると思うんで。

 研究者もふくめて、個々のゲームプレイヤーは基本的に自分がプレイしたことのあるゲームしか知らないわけで、その他は「知識」として知っているだけです。それは誰にとっても当然のことです。
 「自分が好きなゲームのことしか知らないので」というのは、学生にとっては防御的な反応かもしれないけど、もうちょっとゲームについて俯瞰的なことを確信を持って言えるところまで行ってほしい。それはゲームスタディーズがお役に立てる場面のひとつかなと思います。

ゲームの文化的ステータス、上げるべきか否か?

松永氏:
 カルチャーとしてのゲームのインパクトってかなり大きいですよね。だからこそ実際の影響の大きさと研究の広がりとの差が大きい。
 ゲームが最先端の技術を扱っているのはそのとおりですけど、それだけじゃなくて社会全体の文化のなかの位置付けの大きさみたいなものを考えたら、人文学系でやる人が増えてもいいと思うんですけどね。

──とはいえ、ゲームの文化的なステータスがそのインパクトの大きさと見合っているかと言うと、小説や映画に比べればまだまだこれからのように感じますが、そこはどうなんでしょう?

吉田氏:
 そこは自分でも気をつけようと思っています。ゲームの研究をするうえで、なるべく芸術の話はしたくないなと考えています。
 というのも、20世紀のある時点から、芸術の定義は完全に社会的ステータスの問題にすり替わってしまい、ステータスというのは、要は政治の話ですから、面倒くさいんですよね。
 美術館という制度や美術品のマーケットも関わってきますし。重要な問題だなとは思いますが、自分としてはあまり近づきたくないなと。

 こういう仕事をしていると公的機関の文化芸術政策とも関係が生じます。そこに研究者として介入している人も大勢いますが、私個人としてはそれをやりたくないので「芸術についてはよくわかりません……」と言いながらゲーム研究をしているところがあるんですよね。
 だからたとえば「ゲームは芸術です」と言うのは可能なんでしょうけど、それを自分の仕事としてはやりたくないので、そういうオファーがあったら基本的に断ろうと思っています。

松永氏:
 逆に僕は全部引き受けようと思ってます(笑)。というのは、やろうとしていることは一緒で、結局はレトリック(言いまわし)の違いなんですよ。

 僕の場合は「芸術の概念を広げる」というやり方で、ゲームの研究を正当化しようとしているので。

吉田氏:
 ステータスという要素は抜きで使っているんですよね。

松永氏:
 高尚さみたいな意味でのステータスは抜きですね。僕はいわゆるアートの世界が基本的に嫌いでして、「アート=芸術」みたいなのはクソだと思ってますし(笑)。
 だからそのイコールを壊すことで、ゲームの地位を上げるという方向性なんです。
 それに対して、吉田さんはたぶん「アート=芸術」という枠組み自体を無視する、という戦略をとっている。

 僕の立場からすると、「ゲームはいろんなカルチャーのなかでも重要な部類なので扱います」というレトリックにしたいんですよ。
 「現代のカルチャーならパチンコやLINEスタンプも重要じゃないんですか?」と聞かれたときに、「いや、ゲームはとくに重要なんで選別してます」という言い方をしたい。そしてその部類を便宜的に「芸術」と呼ぶということです。

──「ゲームは芸術だ」と言うと、「高尚な芸術だからすごいんだ」みたいな言い方に聞こえてしまうわけですね。そうじゃなくて、文化としてのゲームそれ自体の重要性を推すと。

吉田氏:
 私はゲームの文化的重要性を認めることにはまったく留保はないんですけど、そのロジックとしてアートの方面とつなげるのは危険だろうと思っているんです。
 もちろんアートを全体としてディスっているような話に聞こえたら困りますけれども(笑)。

松永氏:
 僕が「芸術」というのを無視できないというは出自のせいもあるのかなと思っています。
 芸大でアートの世界のうざさを近距離で見ていたので、それに対するアンチ意識が強烈にあって。「ほんとに何なん?」って思ってたんですよ(笑)。

──アートに対するお怒りが……(笑)。

松永氏:
 僕はアートから距離を置いてるのに、「ゲームは芸術だ!」とか言ってるのでアート側の人間に見られかねないというポジションなんですよね。甚だ不本意なんですけど(笑)。

 文化には重要度の違いがあるという考え自体が危険なことはもちろん自覚しているんですが、「どんな文化にも等しく価値がある」みたいなやり方でゲームを擁護したくないんです。
 美学やアートの人たちに対して「ゲームも洗練されたカルチャーだ」とか「そちらの方がカルチャーとして不健全なんじゃないか」と言いたいわけなので。
 一方で、ゲーマーから「こいつ高尚だな」とは思われたくない。そのバランスが難しいんですよ。

吉田氏:
 実際に高尚でもないから難しいんですよ。すごくよくわかる。

松永氏:
 さらに「研究者です」という感じで行くと「アカデミックな奴が」みたいな反感もあるかもしれないし(笑)。

──ここまで読んでいただいた方には、おふたりのゲームに対するスタンスはきちんと伝わっているかと思います(笑)。

吉田氏:
 「ゲーム研究はいまどうなっているか」ぐらいのことは話せたと思います。

松永氏:
 もっと『メタルギア』の話とかすればよかったですね(笑)。

ただいま仲間募集中──だからゲームについてもっと変なことを考えよう

──ゲームスタディーズは電ファミの読者の方にはおすすめの分野と言えそうでしょうか。

松永氏:
 面白いと思います。まだ人が全然いないので、真面目にやれば領域によっては第一人者にもなれますよ。ゲームについての卒論は昔からぽつぽつあったんですけど、知っているかぎりではほとんどがグダグダだったんですよね。
 ただ、それは先行研究にアクセスするための情報がなかっただけだと思っています。とりあえずその状況は変えたいですね。単にゲームを扱えばいいというんじゃなくて、研究として成り立っていることが重要なので。

吉田氏:
 ゲームについての卒論は増えているようですね。それに対して多くの教員が困っているという話を聞きます。自分の専門ではないからといって、学生に「ゲームの卒論はダメ」とは言えませんから。「ゲームがわからないのにゲームの卒論指導をしないといけない」という悩みをよく聞くんですよね。
 とくにその悩みを抱えているのは社会学系の教員のようで、「ゲーム研究の教科書を作ってほしい」という声をちらほら聞きます。最近、社会学系の分野でゲーム研究の関連本が増えていることには、そういう構造も関係しているのかもしれませんね。

 「先生のところでゲーム研究をやりたいです」と私に言ってくる学生を見ると、「ゲームが好き」なのか「ゲーム研究が好き」なのか、本人も区別できていないケースがけっこうあります。でもこちらとしては素養や適性が、なんとなくわかるんですよね。ゲームにあまり詳しくなくても独特な視点を持っていればいい研究ができるし、逆にゲームにいくら詳しくても研究は無理だろう、という学生もいます。本人たちはその区別がついていない。
 アドバイスはいくらでもできますが、本当のことを言えば、ゲームのことしか知らない人よりも、ほかの分野のこともたくさん知っている人の方がゲーム研究に向いていると思いますね。

松永氏:
 結局基礎になる学問が大事で、さっき美学について言ったことと反対に聞こえるかもしれないですが、昔ながらの学問も勉強するべきなんですよ。
 アリストテレスから読まなくてもいいけど、たとえば物語論のように理論的なベースは、ゲーム研究以外の分野のほうが当然リッチです。

 なので、それを基礎にしてゲーム研究を始めた方が圧倒的に強キャラになれますから。「巨人の肩からニューゲーム」という感じで(笑)。

──ゲームが好きなだけではゲーム会社への就職は難しい、みたいな話ですね。

吉田氏:
 とはいえ、作っている側も遊んでいる側も、大半の人が接しているのは今のゲームなわけで、今日話題に出たような昔のゲームを面白がったり、それについて考えたりしてる人ってあまりいないと思うんですよ。

 だから「そういうのもありなんだ」というのが読者に対するひとつのメッセージになるんじゃないですかね。ゲームについて歴史的に考えたり、技術的に考えたり、批判的に考えたり、要は変なことでもいいので、自由にいろいろと考えてみると面白いよ、といいたいんですよ。
 知的に面白いことはたくさん転がっているのに、実際に取り組んでいる人は少ないということで、我々としても“仲間募集中”という感じですね。

──興味があってもどう表現すればいいのか、どこに参加すればいいかわからないという人もいるかと思います。今回おふたりに伺ったお話が、ゲームについていろいろ考えるその第一歩になってくれればと思いますね。

松永氏:
 いろんな人に来てほしい一方で、ちゃんと研究できる人も増えてほしい。やっぱり研究を本当にするなら土台をしっかりしないといけなくて、そこのハードルはある程度高いと思ってるんですよ。

 僕自身の振る舞いとして、たとえば言葉遣いがあやふやな人に喧嘩を売るとか、ぬるいことを言っている人をディスるみたいなのをやっているように見えることはあると思うんですけど、そういう振る舞いをするのは議論をグダグダにしたくないからなんですよね。

──「始まりっぱなし状態」は何とかしたいと。

松永氏:
 ただ、どうするのが一番生産的なのかというのは難しくて。
 グダグダなまま流行らせておくのもそれはそれで微妙だけど、かといって潰してしまうと何も生み出さないし、人も増えないので。そこにもアンビバレントな気持ちがあります。

吉田氏:
 さっきも言ったことですが、過去の蓄積を共有して確認するという、研究のもっとも基本的な部分はやってほしいなと思います。「始まりっぱなし」になるのは、それが実際にできてないからなのですが、ハードルはそんなに高くないと思うんですよね。
 情報へのアクセシビリティさえ確保しておけば、日本語で書かれているものもたくさんありますし、アカデミズム外の人でも参入できるはずなので、そういうところから一歩ずつ積み重ねていく。

 そうするとすでに「始まっていた」ことがわかって、いまさらまたゼロから始めてはいけないことがわかると思います(笑)。

──そういう意味では松永先生の『ビデオゲームの美学』には参考文献表もありますし、ゲームスタディーズの入門書みたいになるんじゃないでしょうか?

松永氏:
 その本はでも中身がむずいんですよ。

吉田氏:
 博士論文をベースにした本だからしょうがないんですよ。

松永氏:
 もうちょっとマシなものを書けるように頑張りたいと思います。ちなみにいま翻訳している本は、GDCとかでやっている作り手向けの理論をもっと噛み砕いたみたいな内容なので、読みやすいかもしれません。

吉田氏:
 松永さんが今回翻訳した『プレイ・マターズ』は「Playful Thinking」というシリーズものの第1作目なんですが、このシリーズ自体が読みやすさという意味ではすごくいいんですよね。
 コンパクトだし、わかりやすい英語で書かれているから、いろんな国の人とアイデアや議論を共有できるし、現在のゲームスタディーズのあり方を示しているひとつの姿だと思います。

松永氏:
 明らかに海外の方が研究が進んでいるので、日本にそれを紹介するだけで議論が進む感じがありますね。自分で文章を書くよりは翻訳をした方が生産的な気がしていて、それでわりと翻訳の仕事をしているんですけど。
 ただ『プレイ・マターズ』はなかなか癖のある文章なので大変でした。最初のほうを訳していた段階で「次の章からまともになるかな」と思ってたら、最後までそんな感じだった(笑)。

──『プレイ・マターズ』ではビデオゲームそのものよりも、もっと広く遊び心や遊びの概念を考えていますよね。でも読んでいて思ったのが、「ゲームのことを知りたいな」と思ってこれを読むと、わりと痛い目に遭うんじゃないかと(笑)。

吉田氏:
 上手い言い方ですね。きっと痛い目に遭います(笑)。

松永氏:
 むしろ「ゲームじゃない観点から遊びを考えよう」という本ですね。だからいかにもビデオゲームみたいな作品はほとんど出ていなくて。

──ビデオゲームで一番大きく扱っているのが、『のびのびBOY』ですもんね。

松永氏:
 なぜかそれだけ画像をふたつも載せてますね(笑)。

(画像はのびのびBOY | プレイステーション® オフィシャルサイトより)

──ゲームスタディーズに興味を持った読者に対して最初の一冊になりますか?

松永氏:
 いやー、おすすめできないですね(笑)。『ハーフリアル』がバランス的に一番いいと思います。

──じゃあ最初に読むなら『ハーフリアル』ですね(笑)。吉田先生の著書もいずれは拝読できればと思います。

吉田氏:
 はい、がんばります。ちょっとコンパクトな入門書を出すところから始めようかなと思っているところで、今日のような話をもう少し体系的に書ければいいなと思っています。

──本日はありがとうございました。(了)


 「マリオはなんで死んでも復活するの?」

 以前、友人にそう聞かれたことがある。
 おそらく、ゲーマーであれば「だってゲームだから」と答えるだろう。しかし、その友人は非ゲーマーなので、その答えでは納得がいかないのだ。

 そこから「そもそも1人目のマリオと2人目のマリオは同一人物なの?」といった哲学的な問いに発展されると、答えに窮してしまうだろう。

 しかし、イェスパー・ユールの『ハーフリアル』を読んだとき、この疑問は鮮やかに解決された。
 ユール曰く、我々はゲームを「ルール」と「フィクション」の両面から理解している。そして、ルールで説明できない部分はフィクションを、フィクションで説明できない部分はルールを使って理解しているのだと。

 マリオの例で言えば、「死んでも復活する」ことについては、「マリオは不死者である」とか、「マリオが死ぬたびに魔法の力で生き返っている」といったようなフィクションによる説明はない。だから、マリオの死については、「“残機”が1つしかないとゲームが難しくなりすぎてしまうから、プレイヤーには3回のチャンスが与えられている」という「ゲームのルール」として理解している。
 逆に、『スーパーマリオブラザーズ』は8−4面のクッパを倒せばゲームクリアとなるが、このゲームの目的をルールだけで説明しようとすると、「1−1から8−4まで進んでラスボスを倒す」という非常に味気ないものになる。だから、我々は「囚われたピーチ姫を助けるためにクッパ城を目指す」という「フィクション」からマリオの目的を理解している。

 ほんの一例だが、ゲームスタディーズはこのように巧みに仕上げられた概念を用いて理論的に説明することで、我々のゲームに対する理解を深めてくれる。
 
 吉田氏と松永氏のお話からも、ゲームを「文学」や「物語」、「メディア」や「遊び」などのゲームとは異なる枠組みにおいて語るのではなく、ゲームをゲームとして、ビデオゲームに固有の現象として研究しよう、という気勢を感じられる。

 とはいえ、ゲームスタディーズは今でも日本では「始まりっぱなし」の状態だという。しかしそれは逆に言えば、今から始めても第一人者になれる領域だということでもある。興味があれば、手初めに吉田氏の論文や松永氏の著書、本稿で触れられた研究にあたってみるのもいいかもしれない。

 その意味でも、本稿がゲームスタディーズへの入門的な記事となれれば幸いだ。
 また、2020年6月には吉田氏・松永氏の両名が関わられたゲーム研究入門書『デジタルゲーム研究入門 レポート作成から論文執筆まで』がミネルヴァ書房より刊行予定。より具体的な方法を知りたい方はぜひチェックしていただきたい。

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インタビュアー・編集
ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a
インタビュアー
みけこ
美と愛を求めるライター。以前はミュージカルを作っていた。
構成
1978年生、三重県出身。2004年よりライターとして活動。アニメ、ゲーム、eスポーツ、映画関連の雑誌やニュースサイトで執筆を行い、中東や北欧など海外における日本文化事情についても取材を重ねる。
Twitter:@ngctmhr

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