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日本のゲーム業界を支える「ゲームデベロッパー」の現状、そして未来。激変する環境にどう対応していくべきなのか? ゲーム会社の社長二人に聞いてみた

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 数々の大作ゲームソフトの発売元として大々的に看板を掲げているゲームメーカーの名前は、多くの人が知っているだろう。だが一方で、そうした「パブリッシャー」からの依頼を受けて実際にゲームを制作している、「デベロッパー」と呼ばれる企業の存在を意識している人は、それほど多くないかもしれない。
 だが、個性的で魅力あるゲームが世に出るためには、パブリッシャー内部の開発スタジオに制作協力するといった形態も含めて、優秀なデベロッパーの存在が不可欠だ。

 そんな日本のゲームを支えるデベロッパーである株式会社マトリックス株式会社スタジオアートディンクの2社が、2020年9月に業務提携を結んだ。そこで電ファミニコゲーマーでは、2社の代表取締役社長であるお2人にお話を伺った。

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左から 矢島良一氏、大堀康祐氏

 マトリックスは社員数が100人を超える大規模なデベロッパーであり、家庭用ゲーム機やスマートフォンに向けて、26年間で150タイトル以上ものゲームソフトを手がけている。その内容も、『ドラゴンクエスト』『ファイナルファンタジー』といった人気シリーズのスマートフォン向け移植から、D3パブリッシャーの『オメガラビリンス』まで、じつに幅広い。ちなみに、株式会社マトリックスの代表取締役社長である大堀康祐社長は、高校生の時に伝説的なミニコミ誌「ゼビウス1000万点への解法」を自ら作り上げた、元祖ゲーマーと言える人物だ。

 スタジオアートディンクは、代表取締役社長である矢島良一氏のもと、2018年にアートディンクから独立し、現在は開発受託だけでなくパブリッシング業務にも乗り出している。『ガンダムバトルクロニクル』『マクロスエースフロンティア』といったアクションゲームの企画開発や、日本ファルコムの『軌跡』シリーズのコンシューマ移植など、その仕事ぶりはゲーマーからも高く評価されている。

 インタビューの中で語られるように、マトリックスとスタジオアートディンクは会社の規模や設立経緯も異なれば、社長の経歴も大きく異なっているのだが、いったいなぜこの2社が、同じデベロッパー同士で業務提携を結ぶことになったのか。
 そこにはパブリッシャーとデベロッパーの関係も含めて、ゲーム開発を巡る環境が近年、大きく変化してきている点がある。デベロッパーという視点から、ふだん我々ゲーマーがあまり意識することのない、ゲーム業界のもうひとつの側面が見えてくるはずだ。

聞き手/TAITAI
文/伊藤誠之介
編集/実存
カメラマン/佐々木秀二


ソフト流通からアートディンクに入社して、開発を請け負う会社の社長に

──矢島さんはどういう形でゲーム業界に入られたのですか?

矢島氏:
 僕はもともとソフトバンクの出版部門にいたんです。『Beep』【※】という雑誌に広告担当として入ったのが、ゲームとの最初の関わりですね。
 そのうち、出版から本社の流通に移って。ソフトバンクの流通【※2】は、ゲームからビジネスソフトにだんだん変わってくるんですけど、僕のころはまだゲームが中心だったんです。J&P渋谷店というけっこう大きなパソコンソフトの販売店があって、そこにゲームメーカーの人がよく集まっていたので、いろんな話をしていましたね。

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矢島良一氏

※1 『Beep』
1984年に創刊されたゲーム情報誌。当初はゲーム総合誌だったが、リニューアルによる改名を経て『BEEP!メガドライブ』『SEGA SATURN MAGAZINE』『ドリマガ』と、セガハード専門誌へと変化していった。

※2 ソフトバンクの流通
1980年代から1990年代にかけて、ソフトバンクはゲームやビジネスソフトといったパソコン用パッケージソフトの流通が主力業務だった。

──ソフトバンクがパソコンゲームの流通をやっていたのは、今から30年以上前の話ですよね?

矢島氏:
 そうですね。当時は同じ機種の同じタイトルでも、5インチ2DDとかいろんなフロッピーディスクの種類があって、覚えるのがけっこう大変でしたね。

──ということはおふたりとも、クリエイター的なところとはちょっと違う分野から入ってこられたわけですね。

大堀氏:
 僕は単純にゲーム小僧ですよ(笑)。プレイヤーからですね。

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大堀康祐氏

矢島氏:
 逆に僕は、仕事としてゲームに関わりだして。

──矢島さんはご自身でもよくゲームを遊ばれるのですか?

矢島氏:
 そんなにはやらないんですけど、パズルゲームとかは面白いなぁとハマっていた、という感じですね。PC-9801で『ロードランナー』をやったり、あとは『テトリス』かな。
 当時、ソフトバンクの商品部に『テトリス』の売り込みがあったんです。商品部の端っこでやっているのを見て「地味なゲームだなぁ」と思っていたんですけど、いざ自分がやってみたらハマってしまって。目をつぶっても四角いのが落ちてくる時期がありましたね(笑)。

──そこからどうしてゲームの開発会社に入って、社長までやるようになったのでしょう?

矢島氏:
 僕はソフトバンクを辞めた後に、広告代理店に就職して、そこでアートディンクの担当をやっていたんです。それで「ソフトバンクにいたんだし、ウチに来てよ」と言われて、入社したんですね。

 最初はアートディンクの営業推進部で営業と広告を見て。その後、「制作部というのを作るから」ということで、制作のほうに移ったんです。だから、ゲームを作ること以外はやってきた感じですね。

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──そこからスタジオアートディンクの社長になったのは?

矢島氏:
 アートディンクが受託の仕事を始めるときに、「アートディンクという名前があるとシミュレーションゲームのイメージが強いし、なかなか受託と結びつかないから」ということで、私が別会社でやっていくことになったんです。

──受託開発をやるにあたって、仕事を切り分けるために別会社化したと。ここまでは分かるんですが、本体から分かれて独立することになったのはなぜなんですか?

矢島氏:
 「本体と別れて独立」と言うのは少しニュアンスが違いますね。元々別の会社でスタートしていて、スタジオアートディンク自体の成長が、受託を引き受けるというその役割以上の機能を果たす力をある程度備えてきたからじゃないですかね。人も揃ってきて、次の段階になったからと、僕は思っています。

──矢島さんご自身の目指すところというか、やりたいことはどういったものなのでしょうか?

矢島氏:
 自分はモノ作りの人間ではないので、「この業界で、ゲームを出して売れるのが楽しい」という感じですかね。売れたり、評価されたり、喜ばれたりというのが楽しいというか。

──営業や広告の方からすれば、ソフト会社の制作部の人たちって、言い方がよくないですけど、ちょっとひねくれた方が多いじゃないですか(笑)。

矢島氏:
 そうですね。自分も、昔は「この人たちとは会話できない」と思っていました(笑)。何を考えているか分からないし、普通にしゃべっていても怒り出しそうだし。
 でも実際にコミュニケーションを取るようになったら、口ベタなだけというか、あまりコミュニケーションが得意な人たちじゃないんだね、というのが分かってきて。

 ひとりで悩んじゃう人が本当に多いんですよ。横で見ているこっちからすると、すぐそばの別の人が知っているんだから、その人に聞けばいいじゃん、って思うんですけど、それができないんです。だから代わりに、こっちがスイッチを押していってあげればいいと、そこに気がついたんですね。
 「この人が知ってるよ。聞いてみれば?」「あっ、そうなんですか」って、そうやって上手く動き出す。それが面白いのかもしれないですね。

──モノを作る人って、作り手じゃない人に対してちょっと厳しくなるところがあると思うんです。それに対してはどんなふうに対処されたんですか?

矢島氏:
 アートディンク時代は、社長や副社長がプログラマーで、僕のようによく分かっていない人間が質問しても、ちゃんと教えてくれるというか、よく説明してくれるんですよね。そういう姿を見ていて、開発の人たちも年齢的に僕よりも若い人が多かったので、マウントを取りに来るような人もほとんどいなかったですね。

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デベロッパーがパブリッシャーになるには、会社の規模によってはリスクも大きい

──スタジオアートディンクはなぜ、パブリッシングに乗り出そうと思われたのでしょうか。先ほど矢島さんからお聞きした経緯からすると、「いずれはパブリッシャーになろう」ということを目指して立ち上げられた会社ではないわけですよね?

矢島氏:
 そういう意味では、今は第二創業なんですよね。受託開発の会社としてやってきた第一創業期が終わって、第二創業で何をやっていくかというときに、「パブリッシングをやっていこう」というのがひとつあったと。

 逆にいま受託に関しては、人数がそれほどいるわけではないので、直接受けて仕事ができるというわけではないんです。今回の業務提携もそこらへんから出てきたものですね。1社だけでは受託の仕事ができないので、他の会社に協力してもらう。そういう関係を今、作っているところです。

──大堀さんも会社としては、いずれはパブリッシャーになりたいと考えているのでしょうか?

大堀氏:
 それは当然ありますよね。スタッフに対しても、もうちょっと制約のないモノ作りができるような会社にしてあげたいという希望はあります。

 でもそのためには、ある程度の原資も貯めなくちゃいけないですし、スキルアップもしなくちゃいけないですし、ブランドも作らなくちゃいけないなと思っているし。なかなかそのチャンスには巡り会えていないですね。

──ゲームの流通も昔とは変わってきていて、デベロッパーが自分でゲームを発売する敷居もかなり下がってきていると思いますが、そこはどうお考えでしょうか。

大堀氏:
 おっしゃるとおりです。

 マトリックスは今期が27期で、今の場所には17年ぐらいいるんですけど、ここに社屋を移す前から「将来はメーカーになりたい」と言ってきました。今から15年前というと、ちょうどゲームがダウンロードで普通に買えるようになったタイミングでした。その時点から「パブリッシャーになりたい」というのは、ずっと言ってきたんですね。

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 ただ、僕はちょっと失敗してしまっていて。今はインディーズも含めて、小規模なゲームを少額投資で作れるじゃないですか。ところが僕は、その前に会社規模をかなり拡充しちゃったんですね。だから、大きくなった会社を維持するために回し続けなくちゃいけないという問題が発生していて。
 なので、もし今パブリッシングをやるのであれば、別ブランドを作って別会社を作ってやるという形じゃないと、正直言ってリスクが大きいんですよ。

──なるほど。そうした問題があるのですね。

大堀氏:
 あともうひとつ、パブリッシャーになるというのは、他のパブリッシャーの競争相手になることなんです。そうなると、他のパブリッシャーに受託しに行くと「おたく、パブリッシャーでしょ」って言われちゃうじゃないですか。
 現にそういうふうな苦労をしてきた会社さんを、何社も見てきているので。そういうことも考えると、全社をそっちに丸振りしてパブリッシャーに行くのは、丁半博打に近いリスクがあるので、それはちょっと回避せざるを得ないですね。

──ゲーム会社を作ったからには、やっぱりオリジナルで作りたいし、パブリッシャーになってみたいし、自由に作りたいよねというのは、誰もが考えていると思うんです。とはいえ、いろんな問題や解決すべき課題があるはずで。ほかにも、何かそういった課題はありますか?

大堀氏:
 これを言っちゃうとあまり良くないのかもしれないけど、僕の場合は自分がクリエイターとしてゲームを作りたいというよりも、「ゲーム業界にすごくお世話になった恩返しをしたい」という気持ちが強いんですね。

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 僕が高校生の頃、ナムコの開発者さんと引き合わせてもらったりすると、みなさん社会人ですから、小遣いしかもらってない高校生に対してご飯を奢ってくれたりするわけですよ。そのときに「ありがとうございます。いつかお返しします」とお礼を言うとですね、みなさん爽やかに言われるのが、「僕らも先輩たちに同じことをしてもらったから、君も次世代の人たちにしてあげればいいんだよ」と。それがすごく心に刺さっていて。

 なので、制限のない形でモノ作りをしたいという思いももちろんありますが、その一方でゲームの仕事をちゃんとできる場所を作りたい、そういうことで業界貢献をしていきたいという気持ちもあるんです。だから学校の就職説明会とかもけっこう積極的に行っていますし、リメイクや移植といった受託のお仕事も含めて、いろんな形でゲーム業界に貢献はできていると思っています。
 なので「何がなんでもオリジナルじゃないと絶対にダメ」という考え方は、今はないですね。ひとつの選択肢として、自社のクリエイターさんたちに制限のない形でやってもらえる環境を作りたい、というのはありますけど、絶対にメーカーにならないとダメというふうには思っていないです。

──大堀さんとしては、ゲーム業界に貢献し続けたい気持ちのほうが大きいわけですか?

大堀氏:
 業界の先輩方には本当に良くしてもらったので、自分としてはそれをお返ししていきたいという気持ちがかなり強いですね。なので、昔のゲームを保存する仕事【※】もやったりだとか、「バンダイナムコ知新」をお手伝いさせてもらったりというのも、そういうところから来ています。

 だって、ゲームを遊んでいるだけで「不良」と言われるのは、本当に悔しかったんですから。今の若い人にはぜんぜん通じないでしょうけど……(笑)。

※昔のゲームを保存する仕事
大堀氏は2016年にゲーム文化保存研究所(IGCC)を設立し、同研究所の所長としてゲームの歴史の調査と、資料の保存を行っている。

──僕はいま44歳なんですけど、「ゲームセンターは不良のたまり場」みたいなイメージの記憶が残っているのは、僕の世代がギリギリぐらいだと思うんです。薄暗い店内に灰皿が置いてある、みたいな。僕より若い世代になると、アミューズメント施設という明るいイメージになっていますよね。

大堀氏:
 今はだいぶ健全なイメージですよね。

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パブリッシャーのプロデューサーに「スタジオアートディンクを見習え」と怒られた

──大堀さんと矢島さんは、どのような形で出会われたのですか?

大堀氏:
 もともと面識はありましたよ。GCNCという、元ゲームアーツの宮路洋一社長(現・ジークゲームズ代表取締役社長)がかなり昔に立ち上げられた、ゲーム開発会社の社長会があるんですが、矢島さんとはその会で何度もやり取りをさせてもらっていました。

矢島氏:
 僕のほうはJCGA(日本コンピューターゲーム協会)という、PCゲームの黎明期にパブリッシャーをしていた企業の社長会からスタートした会に所属しているんですけど、そことも連携しているんですよね?

大堀氏:
 そうですね。お互いに社長会をやっているのなら、連携してお互いに訪問し合わない? という話があって。

矢島氏:
 それで声をかけられてGCNCにも行って。大堀さんはGCNCのリーダー格ですよね。

大堀氏:
 いやいや、僕は宮路さんから「お前、幹事をやれ」と言われて、幹事をやっているだけですよ(笑)。

矢島氏:
 GCNCはどちらかというと受託をしている会社さんが集まっていて、JCGAのほうはパブリッシャーがけっこういる会なんです。でもそれぞれ人数を集めて、パワフルに活動されているので。

──ちなみにGCNCは、どんな活動をされているのですか?

大堀氏:
 せっかく社長会をやるのなら、遊んでいる社長会じゃなくて、学びを主軸にしようと。だから必ず「働き方改革にどうやって適応していくのか」みたいなことを話す勉強会があるんです。

矢島氏:
 あとは新しい技術もそうですね。「VRどうなの?」とか、いろいろやっていましたね。

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大堀氏:
 評価制度にしても働き方改革にしても、ウチらの業界に合った形がいちばん良いと思っているので、そういった他にはなかなか聞けないような知見をシェアしているんです。でも今はコロナがあったので、なかなか集まる機会がないですよね。

矢島氏:
 2020年の1月が最後でしたね。

──そこでお知り合いになって、今回の業務提携にまで至るやり取りというのは、どういうものだったのですか?

大堀氏:
 その前に、これはなかなか言いにくいんですけど、某パブリッシャーの名物プロデューサーの方に「大堀さぁ、そんな企画じゃダメだよ。スタジオアートディンクさんぐらいやらないとダメだよ」と言われたんですよ(笑)。
 それで矢島さんのところに、直球で聞きに行ったんです。「いったいどれぐらいのことをやっているんですか?」って(笑)。

──「スタジオアートディンクさんぐらいやらないとダメ」というのは、具体的にはどういうところだったんですか?

矢島氏:
 どういうところだったんですか?(笑)

大堀氏:
 「企画提案がハンパない」とか「フィードバックが早い」とか、相当言われましたよ。まぁ、向こうとしてはこちらにハッパをかけてくれたんだと思いますけどね。

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矢島氏:
 スタジオアートディンクはアートディンクのメンバーが中心だったので、企画を考えたりアイデアを考えたりする時も、「言われたことをそのままやるんじゃないよ」というのが基本的にありましたからね。
 それが上手くいく時もあれば、上手くいかない時もありましたけど、まぁ、上手くいったところが印象に残っていたんでしょうね。でも同じプロデューサーの方には、我々もけっこう言われましたけどね。

大堀氏:
 けど、ああいう人がいてくれて嬉しかったですよ。言われた時はシンドイですけど、競争じゃないですか、なんでも。

 昔は、日本はハードを出している国だという優位性がありましたけど、今はUnityとかで誰でもゲーム作れるようになって敷居が下がっている中で、ウチらはちゃんと切磋琢磨しないと残れないですから。

矢島氏:
 世界が相手になっちゃったからね。

──そこから今回の業務提携の話になったのはどういう経緯だったんでしょう?

大堀氏:
 こちらからのがぶり寄りですね。「もうちょっと他の会社の良いところを勉強しなさい」と言われて、本当に学ばせていただいたことが大きいですよ。

矢島氏:
 我々としても受託開発をやっていたんですけど、ラインがほとんどいっぱいになってきて、話が来ても受けられない状況になったんです。そこで協力会社がもう少し増えると、受託の受け口も増えるのかなと。そんな時にちょうど、声をかけていただいたので。

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 2019年の夏ごろに具体的な話が出て、12月ぐらいに決めたんですね。それで今日に至ったと。

大堀氏:
 昔のゲーム開発は小規模なもので、しかも売れたらどんなものでも100万本なんて当たり前みたいなころもありましたけど、今はどれだけお金をかけてもなかなか売れない。開発の規模も当然肥大化してきて、技術革新もスゴくて。そうなると、単体で戦うのは難しくなっているなというのが、正直あるんです。

 自前で描画ルーチンを書くのは当たり前、自分でツールを作るのは当たり前という時代から、今はUnityだとかUnreal Engineだとかも出てきて。だから特化するところは特化して、補完するところはお互いに補完し合えばいいという発想に切り替わってきましたよね。ウチもスマホの初期の頃は、自社で描画エンジンを書いたりしてましたけど、今はそういう時代じゃないじゃないですか。

 もちろん自社で全部の仕事を、リスクを背負ってやっていくのもアリだし、派遣とかそういうところで社員を集めて作るのもアリですけど、それよりは得意なところを持たれている会社さん同士で組んで作るほうが、成功率も上がりますし、お互いにこの業界で戦いやすくなりますよね。

矢島氏:
 クライアントさんのほうも、昔は「外に出さないで1社だけでやってくれ」というのがありましたけど、今は「一緒にやっていいですか?」と聞いたら「別に構いませんよ」というふうに変わってきていますから。
 全体的な傾向として、1社でやる時代ではなくなってきている感じですよね。だとしたら、グラフィックはグラフィックの良い会社さんにお願いするとか、強いところと組んでやりましょうと。

大堀氏:
 今はすごいインディーズのゲームが、普通に出てきているじゃないですか。中には本業を持っている人が趣味で作ったゲームみたいなものもあって、そういうものはコスト感とかを度外視して作られているわけですよ。今はそことも競争になっちゃうわけで。

 そういう意味では、今までの状況にあぐらをかいているような制作は、改めるべきだと思います。パブリッシャーさんも昔ほどゲームが売れなくなってきて、コスト感を強く持たれているので、お互いに利益が出る構造にしていかないといけない。ちゃんとやれる態勢を作るためには、自社単体で動くよりも、一緒にやってくれる会社さんがいると嬉しいですよね。

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