3D対戦格闘ゲームのパイオニアとして、1993年に第1作が登場したセガの『バーチャファイター』シリーズは、その後のゲームを大きく変えることとなった。『バーチャ』の持つ革新性やその意義については、電ファミニコゲーマーでもこれまでに何度も記事として採り上げてきた。
そして2021年6月、『Virtua Fighter esports』がPS4とアーケードでリリースされたことにより、『バーチャ』は約11年ぶりにゲームの表舞台へと復帰した。「esports」の名前を冠しているとおり、同作は早くもオンラインで、世界中から多くのプレイヤーを集めている。
『バーチャ』がこれまで歩んできた歴史を振り返った時に、どうしても忘れることのできない人々がいる。それはセガから「鉄人」の称号を授与された、6名の強豪プレイヤーたちだ。
新宿ジャッキー、池袋サラ、ブンブン丸(ウルフ)、柏ジェフリー、K.K.雪風(舜帝)、キャサ夫(影丸)の6名は、公式・非公式を問わず『バーチャ』の各種大会で活躍しただけでなく、さまざまなイベントで日本全国のゲームセンターを訪れていた。さらにはTV番組にも出演するなど、まさにスターとして扱われていた。その意味で「鉄人」たちは、日本におけるプロゲーマーの元祖と言っても過言ではないだろう。
そんな鉄人たちは今、「esports」の名を冠する新作『バーチャ』の登場を、いったいどのように見ているのだろうか? 今回は6名の鉄人のうち池袋サラ氏(@ikesarah)、ブンブン丸氏(@BUNBUN_fam)、キャサ夫氏(@kyasao_dnkg)の3名にお集まりいただいての座談会を開催した。そこでは1990年代中盤の「鉄人」時代の思い出から、『バーチャ』やゲームセンターの現状についての意見まで、さまざまな話題が語られている。
これまで30年近くの時間を『バーチャ』と共に歩んできた3名だけに、時には厳しい意見が飛び出す場面もあったが、それもまた彼らが『バーチャ』に対して、今なお真剣に向き合っている証しでもある。彼ら「鉄人」たちが歩んできた道のりは、日本のesportsの原点でもあるのだ。
聞き手/豊田恵吾
文/伊藤誠之介
編集/クリモトコウダイ
撮影/増田雄介
※取材に際し、写真撮影時以外はマスク着用、換気とパーテーションの設置等、感染症対策を徹底したうえで実施しています。
「100人組手」で全国のゲームセンターを巡ったメンバーが「鉄人」に選ばれた
──今回の主旨を説明しますと、『Virtua Fighter esports』(以下『VFes』)の配信がスタートして、アーケードでも稼働が始まりました。そこでセガさんにご協力をいただいて、『バーチャ』の鉄人のみなさんによる座談会を開催して、昔の思い出から『VFes』まで、ざっくばらんに語っていただこうと思います。
本来であれば、セガさんから公認された鉄人6名全員をお呼びしたかったんですけど、今回は3名のみなさんにお集まりいただきました。ちなみに、新宿ジャッキーさんは辞退されました。
キャサ夫:
羽田さん(※新宿ジャッキー氏の本名)は、「自分が出るよりも今ゲームをやってる人が出るべきだ」っていう人だから。
──K.K.雪風さんはご多忙ということで。そして柏ジェフリーさんは、連絡先が分かりませんでした。
キャサ夫:
柏は連絡先不明なんだ(笑)。
池袋サラ:
最近、連絡取ってる?
キャサ夫:
柏でしょ? 2、3年取ってない。
池袋サラ:
ひょっとしたら『VFes』をやってるかも。
ブンブン丸:
やってないでしょ。そもそも『バーチャファイター5』(以下『VF5』)もやってなかったよ。
──今回の座談会では、シリーズ1作目の『バーチャファイター』(以下『VF1』)から『バーチャファイター2』(以下『VF2』)にかけてのあの時代が、いかにスゴかったのかを皆さんに語ってもらえればと。特に若い世代には新鮮な話だと思いますので。
キャサ夫:
知らないままで良かったんじゃないかな(笑)。
──でも当時の盛り上がりを知っているゲーマーからすると、今のesportsの盛り上がりの原点というか、「『バーチャ』の鉄人」から学ぶべきことがあると思うんです。そしてその実体験を伝えるなら、皆さんに語ってもらうしかないと。
まずはそもそもの話なんですが、「鉄人」というのはどのように生まれたんでしょうか。セガさんのほうから強いプレイヤーに声がかかった形ですか?
池袋サラ:
あれはセガだよね。
ブンブン丸:
最初に「鉄人」って聞いた時は「マジで何考えてんだろう、超ダセェ」と思って(笑)。
──ということは、みなさんに声をかけられた時点ですでに「鉄人」という呼び名だったんですか?
池袋サラ:
そう。
ブンブン丸:
まず先に、「100人組手」というイベントがあったんですよ。極真空手に100人連続で戦うというのがあって、『バーチャ』でもそれを真似て、強いプレイヤーが一般のお客さん100人と連続で戦うイベントを、ゲームセンターでやろうと。それを何カ所かでやったところで、100人組手を担当したプレイヤーを、セガが有名プレイヤーみたいな形で公認しようと考えたんです。
池袋サラ:
それと『料理の鉄人』【※】だよね。
※『料理の鉄人』
1993年~1999年にフジテレビで放送された料理バラエティ番組。挑戦者の料理人を「鉄人」と呼ばれるレギュラーの料理人が迎え撃ち、毎回料理対決が繰り広げられる。日本国内で人気を博しただけでなく海外にも輸出されて、アメリカなどでも同様の番組が制作された。
ブンブン丸:
それで「鉄人」と呼ぶことにしましょう、みたいな。
キャサ夫:
鉄人の話が来たのはどういうタイミングだったか、覚えてる?
ブンブン丸:
100人組手をちょっとやってから、鉄人の話だったような。
池袋サラ:
100人組手はセガの直営店が先だっけ? それとも地方が先だっけ?
ブンブン丸:
セガが先ですね。その後に他の店舗も始めて、俺らも他の店舗から声がかかるようにもなったり。
「100人組手」の巡業で、日本全国47都道府県を制覇した!?
──だいたい2人1組で、どこかに行っていた形なんですか?
キャサ夫:
オレと吉嶺さん(※池袋サラ氏の本名)はここで。もう1組、ブンブンと羽田さん(新宿ジャッキー)はこっちで、みたいなのもありましたよ。同日で会場はぜんぜん違う、みたいな
──いちばん遠いところだと、どこまで行ったんですか?
キャサ夫:
47都道府県、全部行きましたよ。
池袋サラ:
僕は羽田さん(新宿ジャッキー)と札幌のすすきのに行って。沖縄は誰と行ったんだっけ。
ブンブン丸:
沖縄はオレも2回ぐらい行ってる。でも『バーチャ』だけだと、行ってない県もあるかも。
オレは『三国志大戦』の時にやっぱり全国のゲーセンを回る仕事をして、その時はセガの人がチェックしていて「ブンブン、これで47都道府県全部踏破した」って言われたから。
キャサ夫:
ていうか、当時セガ直営のゲーセンが日本全国に約800店舗あったんだけど、鉄人たちはほぼほぼ全部に行ってますから(笑)。
池袋サラ:
土曜日は鹿児島で、日曜日は沖縄とかもあったね。
キャサ夫:
そうそうそう。金曜日2店舗、土曜日2店舗、日曜日2店舗とか。
ブンブン丸:
いちばんヤバかったのは『バーチャファイター4』(以下『VF4』)の時に、土曜日に仙台と青森に行って、日曜日が北海道で。北海道は千歳空港で降りて、札幌を経由して旭川に行って、旭川でイベントをやって、戻ってきて札幌でイベントをやって、みたいな。
札幌って毎回、イベントを夜にやるんですよ。夜の9時ぐらいにイベントが終わって、その後に「やりましょう!」とか言って、すすきので朝までゲーセン。
キャサ夫:
当時、すすきののゲーセンは、朝まで営業していたから。
ブンブン丸:
それが終わるのが朝6時ぐらいで、「ホテルは別にいらなかったね」っていう(笑)。
キャサ夫:
ホテルはシャワーだけ浴びて終わり、とかね。若かったから、なんでもありだったんですよ。あの頃にYouTubeで番組を作っていたら、めちゃ楽しかっただろうね。
池袋サラ:
そういえば「8時間耐久」とかもやったね(笑)。途中でメシ食いながらやってたわ。
キャサ夫:
でも8時間なんて、ふだんから普通にゲーセンにいるじゃん(笑)。
柏ジェフリーは100人組手で百戦全勝!
──自分は当時、レポート記事の読者として見ていましたけど、100人組手って鉄人たちの勝率が凄まじかったですよね。
キャサ夫:
100勝したのは柏だけだと思うんですよね。あいつは100勝を2回ぐらいしていて。で、オレが静岡で99勝。
池袋サラ:
まぁ、相手は初心者ばっかりでしたから。
ブンブン丸:
初心者も多いけど、ヤバイのも何人かいて。
池袋サラ:
あとは女の子には勝っちゃいけない、みたいな(笑)。
キャサ夫:
100人組手だから対戦の枠が100人で、たいていは100人以上お客さんがいるんだけど、たまに100人未満のところもあるんですよ。そうすると強いヤツが2周目に入ってきたりして、うっとうしい(笑)。
オレが99勝した時は、セガのプロモーション担当者さんが「キャサ夫は『バーチャ』のキャラを全員使えるよね」って言い出して、10人対戦したら別のキャラに変えるっていうレギュレーションでやったんですよ。それで99勝1敗だったんだけど、負けたのがカゲなの(笑)。
ブンブン丸:
本キャラで負けてる(笑)。
キャサ夫:
でもその時は、お客さんからのクレームがスゴくて。「キャサ夫のカゲと対戦したくて来たのに、なんで違うキャラなんだ」って。そういうレギュレーションだと、事前に告知していなかったから。
ブンブン丸:
そうじゃないよね、やっぱり。
キャサ夫:
だからそのレギュレーションは2、3回しかやってないと思う。
──そういえば鉄人の6名はそれぞれ持ちキャラがバラバラですけど、それはたまたまなんですか?
池袋サラ:
たまたまですね。ただやっぱり、僕はサラを使っていて、他にサラで強いヤツが出てきても、イベントとかに呼ばれるのは僕でしたから。
キャサ夫:
たしかに、六本木サラは呼ばれてませんからね(笑)。
ブンブン丸:
そのへんはやっぱり、メディアの露出のしやすさとかもあったと思いますけどね。羽田さん(新宿ジャッキー)とオレはファミ通の関係者だし、キャサ夫と雪風さんは『ゲーメスト』【※】の関係者だし。吉嶺さん(池袋サラ)や柏は違うけど、そこはもう関係ができあがっているから。
※『ゲーメスト』
新声社が1986年~1999年に発行していた、アーケードゲーム専門雑誌。当初は全国のゲームセンターから集計した人気ゲームのハイスコアが目玉企画で、多くのスコアラーが誌上で競い合っていた。『ストリートファイターII』の登場以降は対戦格闘ゲームの攻略記事が人気となり、格ゲーブームを牽引する役割を担ったほか、読者投稿ページからは多くの人気漫画家やイラストレーターが誕生している。『ゲーメスト』の人気によって、新声社はキャラクターグッズショップ「マルゲ屋」を展開するなど多角経営に乗り出したが、1999年に同社が倒産したことで『ゲーメスト』も休刊となった。
キャサ夫:
たしかにキャラはかぶってないよね。なぜかアキラがいないけど(笑)。
池袋サラ:
同キャラがなかなか出てこれないっていうのもあるよね。
有名プレイヤーの中から「鉄人」が認定された舞台裏とは
──それで1995年に開催された「『VF2』全国大会・マキシマムバトル」の前夜祭で、6名を「鉄人」とする認定式が行われたわけですが。でもここまでのお話だと、その前にみなさんが鉄人に選ばれるというのは、なんとなく決まっていたのですか?
キャサ夫:
それまではけっこう、なぁなぁでやっていたんですよ。ここにいる3人と、柏と羽田さん(新宿ジャッキー)は、大会とかにも出ていろいろやっていて。それでK.K.雪風は、ゲーメストで『バーチャ』のメインライターだった。だからゲームにすごく貢献していて、「じゃあその6人で」となったんです。
100人組手の時点でも、一応「鉄人」って呼ばれていたんですけど、「鉄人ってなんだ?」みたいな感じで。それで2回目の『VF2』全国大会の時に、「鉄人」認定の盾を授与されたんです。
ブンブン丸:
だから鉄人っていうのがちゃんと決められる前は、他のプレイヤーもけっこう組手をやってたんですよ。たとえばゲーメスト側で組手をやる時には、キャサ夫と一緒に別のプレイヤーも組手に参加したりして。
キャサ夫:
そうそう。猛牛ってアキラ使いとか、まさ兄とか。
しかもゲーメストにはセガの地方巡業とはまた別に、「マルゲ屋」という物販のお店があって。「マルゲ屋宅配便」というゲーメスト誌上の企画でイベントをやっていたんです。
ブンブン丸:
『ストII』とかの格闘ゲームでもイベントをやっていたから、『バーチャ』もその流れに組み込まれて地方でイベントをやる、というのがゲーメストであって。
──新宿ジャッキーこと羽田さんは、もともとファミ通の編集者で。
ブンブン丸:
そう。
──ブンブン丸さんは、鉄人からファミ通の編集者になったんですか?
ブンブン丸:
いや、オレの場合は『バーチャ』をやってて新宿で仲良くなった羽田さん(新宿ジャッキー)に紹介されて、ファミ通に入ったんです。鉄人になるのはその後。
池袋サラ:
キャサ夫はなんで鉄人になったの?
キャサ夫:
『VF2』の大会で優勝したから。
ブンブン丸:
優勝する前から、すでになってたんじゃないの?
キャサ夫:
なってない、なってない。組手も優勝した後だよ。じゃないと「あんた誰?」みたいな話になるから(笑)。