『週刊少年ジャンプ』の元編集長で、『ドラゴンボール』『ウイングマン』など、数多くの大ヒット作を担当編集として手がけてきた鳥嶋和彦氏。
『Dr.スランプ』に登場する「Dr.マシリト」のモデルとしても知られる鳥嶋氏は、『ドラゴンクエスト』『クロノ・トリガー』といった人気ゲームにもさまざまな形で関わるなど、ゲーム業界との関係も深く、この電ファミニコゲーマーにもこれまで何度もご登場いただいた。
そして今回、電ファミニコゲーマーでは、鳥嶋氏を中心とした対談企画の連載がスタートする。しかも本サイト上で記事が掲載されるのに加えて、Amazonのオーディオブック「Audible」で対談時の実際の音声が配信されるという、二段構えの豪華な企画となっている。
この企画の内容は、『ジャンプ』のライバルである少年週刊漫画誌をはじめ、各出版社で活躍した漫画編集者をお迎えして、人気作が誕生した過程や漫画編集の裏側、そして漫画家と編集者の関係といった漫画編集者に関するエピソードを、鳥嶋氏と語り合うというものだ。
今回の企画が成立した背景には、これまでの取材などを通じて鳥嶋氏が表明してきた、ある種の「想い」が存在している。それは、ネットを中心とした一部で「漫画編集者不要論」が唱えられる状況で、「漫画編集者が果たしている仕事の役割が、世間にあまり伝わっていないのではないか」というものだ。
そこで今回は連載企画のプレリュードとして、電ファミニコゲーマー編集長の平信一(TAITAI)が、「漫画編集者とは何か?」について、鳥嶋氏に直接質問することとなった。その回答は、さすがに数々の人気作を生み出してきた鳥嶋氏だけあって、漫画論、編集者論、さらには仕事論として、非常に聴き応えのあるものとなっている。
そして、今回の記事を通じて明かされる鳥嶋氏の問題意識は、今後、各出版社の漫画編集者を迎えて語り合う上で、重要なテーマとなるはずだ。
今回の記事はオンラインのリモート取材で行われたが、その音声はAmazon Audibleで聴くことができる。なお記事化に際しては、音声から文意を変えない範囲で、省略や語尾の調整などの編集が行われている点にご留意いただきたい。
漫画編集者の仕事の中身を、世間一般の人にもっと知ってもらいたい
──今回、Amazon Audibleさんで、鳥嶋さんを軸にした連載企画の第1回目になります。そもそもどういう趣旨でこの連載をやっていくのか、という話をまず最初にしたほうが、この後に続く回の対談が分かりやすくなるのかなと。そこで、鳥嶋さんにどういう問題意識があって、「だからこういう人たちにこれから話を聞いていきます」というのを、最初に説明できるといいなと思っています。
まずそもそも、これで初めて聴く方も多いと思うので、鳥嶋さんと私の自己紹介を軽くしておいたほうがいいのかなと。
鳥嶋氏:
じゃあ僕は、自分の自己紹介をすればいいのかな。
鳥嶋和彦です。僕は今68歳なので、今を去ること45年前、1976年に集英社に入社しました。
志望は『月刊プレイボーイ』か美術書か小説をやりたいってことで、集英社に無事入れたんですが、なんとそこで配属されたのが漫画雑誌で。
僕は漫画をそれまでほとんど読んだことがなくて、おまけに『週刊少年ジャンプ』という雑誌があることも知らなくて。そこに配属されたということが、僕にとってはものすごくショックだったんです。
で、配属された後、当然ですけど『少年ジャンプ』のバックナンバーを読んだら、ぜんぜんおもしろいと思えなくて(笑)。
おまけに業務日誌を毎日書くんですが、先輩に「『ジャンプ』の漫画のタイトルをおもしろい順に書いて」と言われて書いたら、読者アンケートが翌日出てきまして、僕の書いた順位とほぼ真逆の順位になっている。「これではとてもやっていけないな」と思いながら、編集部にもなじめない、漫画も分からないってことで、非常に苦労した毎日でした。
──鳥嶋さんでも、そんな苦しい下積み時代があったんですね。
鳥嶋氏:
それである時、小学館の資料室にいろんな漫画があると聞いて、そこで漫画を読み始めました。そうしたら漫画にもいろんな漫画があって、たまたま僕がおもしろくないと思っている漫画だけが『ジャンプ』に載っていたと気づいたんです。
他の雑誌を見ればおもしろい漫画があるってところから、だんだんと漫画になじみ始めて。そこから漫画をイチから研究していって、まぁなんとか編集部でそれなりの実績を上げて生きていけることになったと。それが僕の出だしですね。
その後、鳥山明さんに会って『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』を担当したり、桂正和に会って『ウイングマン』『電影少女』をやったり、『DRAGON QUEST -ダイの大冒険-』の稲田浩司に会ってそれに関わったりして、『ジャンプ』の副編集長になったんです。
ただその当時、僕自身はそうは思っていなかったんですが、僕は編集長やその上の部長とどうも折り合いが悪くて。向こうは僕を編集長にする意思がないってことで、そのまま編集部にいてもロクなことがないだろうから、『Vジャンプ』という雑誌を構想して立ち上げて、『ジャンプ』編集部を出たんです。
『Vジャンプ』を創刊した理由としては、いずれは漫画とアニメとゲームがひとつのモニターに映る時代が来るだろうから、そのための準備をして次の世代に備えようということでした。
──Vジャンプは、漫画誌の中でもいち早くゲームに着目した雑誌でしたよね。『クロノ・トリガー』などがここから生まれて来たという意味でも、意義深いなと感じています。
鳥嶋氏:
そうやって『Vジャンプ』で3年ほど楽しい日々を過ごしていたんですが、ある日会社のお偉いさんから呼ばれまして、「『ジャンプ』の部数が急激に落ちている」と。それで「『少年ジャンプ』の編集長をやれ」と言われて、やむを得ず戻って。
いろいろ苦労したあげく『ワンピース』や『NARUTO -ナルト-』が出てきて、ようやく一段落してやれやれというところで、集英社の雑誌全体を見るという役割になりました。
その後、会社の中の雑誌をいろいろ改革しようと思ったんですが、これは僕の歴史の必然のなせる技なのか、その時の社長と意見が食い違ったみたいで、白泉社に来ることになりました。
白泉社はずっと赤字だった会社だったんですが、これをなんとか黒字転換させまして、今は6期連続黒字です。で、今は社長の座を降りて、白泉社の相談役をやっていると。長く経歴を話しましたが、ざっとそんな感じです。
──ありがとうございます。
鳥嶋氏:
この対談をやるにあたって平君といろいろ話をした中で、ネットで「編集者不要論」という議論がよく起きると聞いたんです。今の世の中なら、漫画を作って配信すれば出版社に持ち込まなくても世に出せると。
であれば、出版社にいる編集者ははたして必要なのか。単に自分たちの原稿を受け取って配信するだけなら、宅配の人と一緒じゃないか。それなのにワンクッション入ってお金を一部取られるのなら、もういらないよ、こんなの。……という意見ですね。
ただその論は、編集者という人間がどういう仕事をして、どういうふうに漫画に関わって、編集者が関わる・関わらないで何が違ってくるのかという知識が、世間一般の人たちにあまりにも知られていないことにも原因があるんじゃないか、という思いもありまして。
『サンデー』『マガジン』が創刊されたのがちょうど60年前ですが、その間に主だった漫画雑誌をやってきた腕のある編集者、仕事をやってきた編集者が、作家に相対して何を考え何をしてきたのか。
それぞれの人と話をしながらそれを明らかにしていって、編集者の仕事の仕方や、編集者の考え方を知ってほしいというのが、この企画を始める動機ですね。
──この対談を聴いている人には説明するまでもないかもしれないですが、鳥嶋和彦さんというのは元『週刊少年ジャンプ』の編集長で、『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』といった日本を代表する漫画・アニメコンテンツを作家さんと一緒に作った、おそらくは日本でいちばん有名な漫画編集者だろうと思っています。
僕のほうも軽く自己紹介すると、僕は平信一、ネットでの通名はTAITAIと申しまして、ゲームメディアの編集者を20年ぐらいやっています。だから漫画とか小説を作る編集者というよりは、ニュース記事や批評を書いたり取材をしたりといった、どちらかというとジャーナリストとしての編集者の側面が強いんですけど。
僕がカドカワにいた時に、当時カドカワの会長だった佐藤辰男さんという『ロードス島戦記』やカドカワのいろんなゲーム雑誌を立ち上げた方がいて。その佐藤さんの紹介を通じて鳥嶋さんと出会いました。
僕はジャーナリスト的な編集者なんですけど、漫画や小説の編集者など「コンテンツを作る編集者ってどういう人なんだろう」ということに、もともとたいへん興味を持ってまして。そういう好奇心を持って鳥嶋さんに会いに行って、お話を伺ったところたいへん面白い話を聞かせていただきまして。それをきっかけにいろいろとやり取りをさせていただくようになった、という関係性です。
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ネット時代を迎えた出版社の価値は、編集者にこそある
──鳥嶋さんの問題意識をもうちょっと分かりやすくまとめましょう。
出版社が雑誌というある種のプラットフォームありきのビジネスモデルを採っていた中で、ネットの発達によって雑誌が衰退し、「漫画を雑誌で展開して単行本にする」というモデルが崩れてきた。
「ネット発でいきなり人気になる漫画が出てくる」というケースが次々と起きていく中で、出版社のプラットフォーム的な役割を除いた時に残るものって、はたしてなんだろう?ということです。
鳥嶋さんが感じてらっしゃるところで言うと、「出版社の本質はむしろ、プラットフォーム的役割にあるのではなくて、じつは編集者にこそ出版社の価値があって、そこをちゃんと議論して見つめ直すべきじゃないか」というようなお話を都度都度いただいていて。そういう話をこれからやっていけるといいんだろうなと思っています。
鳥嶋氏:
じつは平君が今言った一言に、僕の結論も出ていると思うけど(笑)。
単純にビジネス構造のモデルと数字の推移でいくと、出版社は長いこと雑誌だけで黒字が出せていた。ところが雑誌が売れなくなって原価がかかる中で、雑誌の赤字をどういうふうに埋めるかってことで、「単行本をどう売るか」というのが、出版社の大きな戦略モデルになったんだよね。
その中で、「単行本を売るにはアニメ化が有効だ」ということがわかってきた。アニメ化すると作品の知名度が格段に増えるので、アニメ化をすることで原作漫画も知ってもらい、単行本を売る。それが長いこと、ネットが出てくるまでの出版ビジネスの成功モデルだったんだね。
ただ、「単行本を売る」という戦略は、漫画雑誌の足元を切り崩すことでもあった。読者は「好きな漫画の単行本さえ買ってしまえば、他は読まなくてもいいや」となっちゃうからね。出版社はそこにちゃんと気づいていなかった。
さらに、そこにネットが出てきてデジタルで漫画が読めることになったのも大打撃。体力のない出版社だとか、雑誌を持たない出版社はわりと早くデジタルに入っていったんだけど、大手はAmazonの存在もあったりして、自分たちのビジネスモデルを簡単に崩したくないという事情もあって、様子見しつつゆっくり対応していったんだけど、ここ最近で一気にデジタルの波が来て。
特にスマホが普及してからは流れが急になって、もうデジタルで漫画を見てもらうようにしないと、とても黒字を確保できなくなった。
で、今はもう単行本の赤字をネットの漫画事業で埋めている状況なんだよね。たぶんどの出版社でもそうだと思うんだけど、紙の漫画とデジタルの漫画の売り上げはもう逆転してしいて。だいたい4:6、紙の売り上げが4割でデジタルの売り上げが6割という状況になっている。
とはいえ、今はコロナの巣ごもり需要のおかげで、漫画を持っている出版社はどこも前年比で10〜20%ほど売り上げが上がっていて、とりあえずそれで一息ついているんだけど。
でも、これはたまたま世界情勢の影響でなんとかなっているだけで、根本的な問題は何も解決してないんだよね。
ただ、平君が言ったように今の漫画雑誌に何か役割があるとすれば、それはたったひとつ。
作家は雑誌で作品を書いて連載することにモチベーションがあるから、そこで作品が育つ、作家が育つ。その一点だけは、漫画雑誌はまだ何とか役割を果たしている。そういうことですよね。
──そうですね。それで、今回の連載にも通じるもうちょっと大きな問題意識で言うと、それこそ『ドラゴンボール』や『名探偵コナン』のような30年近く前の作品が今なお現役で巨大なIPに成長しているじゃないですか。
一方で、こうした作品が向こう30年さらに続くかどうかというのは分からない話だし、今後のために出版社やコンテンツ業界は新しいIPを作っていかなきゃいけないですよね。
でも漫画雑誌が衰退したいま、30年前と同じようなやり方で新しいIPを作るのも難しくなってしまったと思うんです。先ほどお話に出たように、以前はアニメ化による認知拡大で単行本の売上を伸ばして利益を回収できていたけど、最近はそこもかなり複雑化していて、アニメはアニメで配信権やソフト化権などで利益を回収しないといけなくなった。
単行本の売上にしても、『鬼滅の刃』や『ワンピース』のような一部の大ヒット作を除けば、それだけではやっぱり厳しいし、グッズ化やゲーム化などのマルチなビジネス展開も考えなければならない。
そうすると漫画の編集者が、昔は漫画を作って売るだけでよかったのに、鳥嶋さんの成功事例【※】も踏まえて、はじめから映像化やゲーム化、さらにはネットでのプロモーション方法や話題の仕掛け方も見据えて編集者が動く必要が出てきたんじゃないかと。
要するに、編集者の役割もどんどんと拡大してきていて、なんだかよく分かんなくなってきている(笑)っていうのもあるのかな、という気がしています。
※鳥嶋さんの成功事例
鳥嶋氏は、『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』のアニメ化やゲーム化に原作の担当編集者として積極的に関与したほか、『ドラゴンクエスト』シリーズの誕生にも関わるなど、漫画のメディアミックスや、その際のビジネスモデルを自ら開拓していった実績がある。
鳥嶋氏:
それは僕の罪もあるのかもしれないけど(笑)。
ただ、僕からひとつ言えることがあるとすれば、「単純明快に誰にでも分かっておもしろさが伝わる作品」を作らないことには、アニメ化したりネットで戦略を仕掛けたりしても意味がないんですよ。
どう売るかということについては、まず素材が良くないと。料理で言うと、素材の良くないものを調理したって、たかが知れてるんだよね。やっぱり良い素材のもの、おもしろい作品を作ったら、それをどう知ってもらうかという戦略も上手くつながっていくんだけど。
作家が苦労して作った作品がおもしろく仕上がれば、編集者には「これをなんとか知ってもらいたい」というパッションが出てくるから。「なんとかこの作品を知ってほしい、見てほしい」という気持ちから、いろんなことを考えて動いていける。
逆に、このパッション抜きであらかじめシステム化しちゃうと、ものすごく辛い仕事になってくると思うんだよね。どうしても「最初から多面展開のタイムテーブルがあって、その進捗を逐一チェックしながら仕事をする」みたいなイメージになっちゃう。
これは僕が集英社にいた時からそうだったんだけど、『少年ジャンプ』にも漫画担当とメディア担当と、ひとつのタイトルにふたりの担当がいるんだよね。
この状況は当時の編集長に「おかしいんじゃないか」って言ったんだけど、「こうしないと現場が疲弊して破綻してしまう」って言われてね、僕は結局それを黙認したんだけど。でもそれは、じつは疲弊しているんじゃなくて、担当編集の能力とパッションの問題じゃないかと、僕は思ってる。
──とはいえ、今は漫画の編集者もどっちかといえばチーム化される方向になっているんですよね?
鳥嶋氏:
いや、それは出版社次第じゃないかな。たとえば、今もそうかはちょっと分かんないんだけど、講談社の『モーニング』って雑誌は編集部員と同じ人数だけ、銀杏社という編集プロダクションが入っていて、単純に集英社の編集部の2倍のリソースを持っていた。だから、集英社もそれを見習って編集者の数を増やしてくれないかって時期もあったね。
ただその後いろいろあって、今は講談社もまた人数を減らす方向になってたんじゃないかな。生え抜きの編集が育たないとか、作家に対するチャンネルが多くなりすぎて作家が戸惑うとか、いろんな問題も出てきて。だからそれぞれの出版社でも、試行錯誤してるところだね。
漫画編集者はディレクターであり、マネージャーであり、プロデューサーである
──これから「編集者とは?」というテーマを話していくにあたって、そもそも鳥嶋さんが考える「編集者の役割」というものを、一回整理させてもらえたらと思います。
鳥嶋氏:
「編集者の仕事ってなんだろう?」と考えた時に、大きく3つの役割があると思うんですよ。
ひとつは「ディレクター」。これは目の前の作家が作ってきた絵コンテや作品をおもしろいかどうか判断して、“打ち合わせ”をすること。これがみんなの思う編集者のイメージにいちばん近いんじゃないかな。
ふたつ目が「マネージャー」、つまりマネージメントすること。これはどういうことかというと、作家の健康管理や税金周りの手続き、アシスタントや住居の手配とか。いわゆる芸能マネージャーの仕事ですよね。
3つ目が「プロデューサー」。ここがいちばん編集者のレベルを左右する、難しい役割なんだけどね。
これは、作家は今描いてる作品だけに集中させるアウトプットだけになって疲弊していくから、日頃からインプットさせて作家を枯れさせないようする、というのが一番大きい仕事。次の作品を見据えながらこの作家をどうマネージメントして、3年後、5年後という長いスパンで見据えて、作家をどんなクリエイターとして育てていくかというプロデュースをする。
『ジャンプ』でもじつは、ひとつの作品で上手くいったけど、2つ目、3つ目も当たったっていう人は、じつはあんまりいないんでね。
よく「『ジャンプ』は作家を消費する」って言い方をよくされるけど、それは意図的にそうしてるわけじゃなくて、ひとえに編集の力不足だと思うんだよね。目の前の作品を一生懸命やりつつ、次を見据えながら作家をどういうふうに育てていくか、という発想を持てばそうはならないはずで。
──その3つの役割で言うと、僕としては「ディレクター」というのが新鮮というか、意外に聞こえました。どちらかといえば、マネージャーやプロデューサー的な役割のほうが、みんなのイメージに近いような気がしていて。
鳥嶋氏:
あっ、そうなんだ。
──ディレクターってつまり、「編集者がまずおもしろさを判断して、作品の品質に関与する」ってことですよね。
でも、巷で言われている編集者不要論って「おもしろいコンテンツを作っているのはあくまで作家なんだから、編集者なんて要らないじゃん」ってことだと思うんですよ。それに対して、「編集者が作品のおもしろさにどう関与しているのか、あるいはどう貢献しているのか」というのは、多くの人にはあまり見えていないことなのかなと。
鳥嶋氏:
なるほどね。その点から見れば、「編集者なんていらない」というのは、分かるところもあるんですよ。分かりやすい言い方をすると、「たくさん売る必要がない」とか「たくさんの人に自分の表現を伝えたい」と作家が思わないのであれば、たしかに編集者はいらないかもしれない。
一方でそうでない場合、編集者がなぜ必要かというと「読者と作家の間ですれ違いが起きるから」なんだよね。
たとえば読者が「こういうものを見たいんだけど、これじゃあ絵もヘタだし話も分かりにくい」と思う。一方で、作家は「僕が描きたいものはコレで、読者にすり寄ると自分のテイストが薄くなる」と思う。読者が読みたいものと、作家が描きたいものがすれ違うわけだよね。
ここを上手くつないでマッチングさせてあげるのが編集者の大きな役割のひとつで、これがすごく大事だと思う。編集者は読者のことをよく知っているし、作家のこともよく知っているから、すれ違いをうまくマッチングさせるのにいちばん向いているとも言える。
このマッチングが上手くいけば、たくさんの人に読んでもらえることになって、作家も自分の作品をたくさんの人に伝えることができるようになる。
よく僕は例えとして「カルピスの原液はそのままじゃ飲めないけど、薄めたり炭酸で割ったりすればたくさん飲めるようになる」って言うんだけど。僕は、この作業をやるのが編集者の仕事だと思うんだよね。
──たしかに。
鳥嶋氏:
ディレクターの役割──漫画編集者がディレクションするというのは、僕の言葉で日本語に直せば「打ち合わせ」することなんだよね。この打ち合わせには3つの段階があって。
最初にまず大事なのは、これがいちばん大事なんだけど「判断」なの。何を判断するかというと、「おもしろいか」どうか、そして「ちゃんと分かるのか」どうか。
これを編集者が判断できるかどうかがいちばん大事。なぜかというと、編集者は作家にとっての“最初の読者”だから。最初の読者の声を、ちゃんと作家に届けなきゃいけない。この判断がまず大事で、ここでイエス・ノーをはっきり言えないと、この後のいろんな流れが上手くいかない。
次に大事なのが、判断があった時にその理由を「分析」しなきゃいけない。どうしておもしろくないのか、どうして分かりやすくないのか、どうして伝わらないのか。その原因を分析するのが2番目。
そして3番目に「提案」しなきゃいけない。じゃあ、どうしたらおもしろくなるのか、どうしたら分かるようになるのか。ここまでやって、判断・分析・提案があって、初めて「打ち合わせ」になる。これが作家との打ち合わせの内容なんですよ。
日本の漫画の特色は「コマ割」と「絵とセリフのバランス」にある
──漫画を作る時に、最初に下描きのネーム(絵コンテ)があって。その段階で「分かりづらい」というのがあった時に、たとえばコマの配置を換えるだとか、話の順番を変えるみたいな修正は、どこまで編集者が指示を出したりするものなんですか? それとも提案だけして、あくまで作家さんが修正するんですか?
鳥嶋氏:
これにはじつは作家によって段階があって。だから僕は、作家と知り合う時は新人で若いほうがいいと思うんだけど。
漫画ってみんな、見よう見まねで描いてくるわけだよね。「コマを割る」というのが日本の漫画の特色で、これは手塚治虫さんが始めたコマ割の原則があるんだけど、その話はちょっと置いといて。
で、作家が新人で来た時にはまず、「コマを割るとはどういうことか」という説明をちゃんとするんですよ。漫画が文章だとすれば、コマを割るというのは“文法”だよね。
みなさんが文章を書く時に、文法を知らなくても文章は書けると思うんです。でも、たとえば「“てにをは”をしっかり使い分けましょう」とか、「冒頭はこういうふうに書いたら伝わりやすいですよ」とか、「5W1Hをどうこうしましょう」とか、「文章は短めにして主語と述語をはっきりさせましょう」とかそういう技術を知っていたほうが、よりレベルの高い品質の文章を書けるようになる。
漫画のコマ割は、文章でいえばこういう文法にあたるにもかかわらず、ちゃんと説明されることはあまり少なくて。
このコマ割を新人の時に説明すると、作家も「あっ、そうなのか!」と気づくんだよね。自分たちが見よう見まねで描いていたものの原理原則がわかって、良いものの再現ができるようになるし、自分で描いていて品質チェックもできるわけ。これがやっぱりものすごく大事なんですよ。
ところがこれが新人じゃなくて、ある程度経験則でずっと描いてきて、ヨソの編集部でいろいろやったりしてきた人が来ちゃうと、その自分のやり方が身についちゃっていて、僕がそういうことを言っても頭に入っていかない。
なんとか順応しようとしても、今までの自分の経験則が邪魔をする。それでなかなか上手くいかないということがあるんだよね。
──音声やテキストではなかなか説明しづらいことですけど、僕も鳥嶋さんから漫画のコマの割り方の話を聞いたり、鳥嶋さんの紹介で現役の編集者の方と会って話を聞いたりして、コマの扱いやフキダシの扱いの理屈を知ると、たしかに「コレひとつで漫画の読みやすさがぜんぜん違う」ということを、ものすごく実感したんです。
その話を聞いた後に他の漫画を読み直すと、人気のない作品はやっぱりそこができていない。『ジャンプ』の作品やベテランの作家さんの作品は、コマ割みたいな“文法”をものすごく丁寧にやっているんだなというのを、改めて実感したんです。
鳥嶋氏:
さっき言いかけたことで言うと、日本の漫画の特色はコマ割にあるんだけど、これって手塚治虫さんが発明・発見したものなんだよね。
手塚さんはディズニーのアニメーションが好きで、たしか『バンビ』だったかな、それが日本のアニメーションと格段のレベルの違いで滑らかに動く。
それを劇場に何回も何回も観に行って、「これを自分の漫画に採り入れることができないか」と研究して始めたのが、日本の漫画のコマ割で。
だから「コマを割る」ということは、「時間や場所が動く」ということなんだよね。それで、目でどういうふうに追わせて動きを見せるか、という描き方が日本の漫画の特色になっている。
フランスにはバンドデシネ(bande dessinee)という漫画があり、アメリカにはアメリカンコミックという漫画があって、もちろんそれぞれコマで割られているんだけど、手塚さんみたいに「動きを表現する」という意図で文法レベルにまで完成した事例はまだないんだよね。
だから日本の漫画は読みやすいし、動きを表現するのに特化して優れている。今でもフランスやアメリカの漫画は、若い世代は違ってきているみたいだけど、動きがなくて読みにくいんだよね。「動きを表現する」とか「読みやすさ」という点では、ちょうどハリウッド映画と、それ以外の国の映画ぐらいのレベルの違いがある。
──一方で、最近ではスマホに最適化された「ウェブトゥーン」のような縦スクロールの漫画が流行ってきていて、ワールドワイドではそれが主流になりつつある。それに対して、日本の漫画の編集者や作家さんがそこにうまく乗れない理由というのも、さっきのコマ割の技法を知ると理解もできるし納得もいく。
要は、日本の漫画のコマ割理論の良さというのは、見開きという形式で動きやアクションをすごく表現しやすいフォーマットである、ということ。
一方で縦スクロールの漫画は、以前鳥嶋さんもおっしゃってましたけど、時間の「間」みたいなものを表現するのには適したフォーマットなんだけど、その代わり、『ドラゴンボール』みたいなアクションだとか空間の広がりを表現するのには向かない。だからウェブトゥーンで流行っている漫画は恋愛モノやミステリーなど、「間」を重視したジャンルが多くなる。
鳥嶋氏:
そうそう。だからウェブトゥーンだとアクション漫画がなかなか出てこないんだよね。
──コマ割の技法ひとつを取っても漫画の見方は変わりますよね。フキダシの位置がちゃんと考えられたものだと、よく言われる綺麗なS字型になっている。目線の移動の迷いがなく作られていて、ススッと読んでいけるだとか。
あとはセリフと絵のバランスですよね。漫画というのは結局、絵とセリフで表現していくものなので、鳥嶋さんはよく「セリフで表現しまくるものはダメだ」とおっしゃっていて(笑)。
鳥嶋氏:
(笑)。僕がよく言うのは、人物が蕩々と演説口調で喋る「“青年の主張”みたいな漫画はダメだよ」ということですよ。
漫画って、コマの中にあるのは絵と、フキダシの中のセリフだけなんですよね。で、これって全部しゃべり言葉なんですよ。だから基本的には人物がおしゃべりすることによって、ドラマが進んでいく。これが漫画なんですよ。
これはある専門学校で言ったんだけど、「コマ割とセリフと絵、この中でなくても漫画が成立するものは何か」と。
みんな「絵はなくちゃいけない」と思っているだろうけど、じつは漫画の設計書である絵コンテには、絵はほぼ入っていない。コマを割ってセリフがあって、あとは「人物A」「人物B」みたいなのが簡単に入っているだけ。ということは、コマとセリフがあれば漫画のストーリーはチェックできるんです。
じゃあ絵には何の役割があるんだというと、「セリフの補助」なんだよね。たとえば「あっ!」と言っているセリフがあったとして、これをそっと言っているのか、大きな声で言っているのか、誰に向かって言っているのかは、絵で表すわけだね。
ということは、絵とフキダシの中のセリフは、一体化した記号なんですね。これをどういうふうに表現して見せていくのかというのが漫画だから。
そういう意味で言うと、漫画の原理原則を考えて、「漫画は何なのか」ということを考えて、「どういうふうにして漫画はここまで来たのかということ」を考えれば、読者視点でどう見えるかというのは分かるはずなんだよね。ここを編集者がちゃんと分かっていれば、作家にも説得力をもって伝えることができる。
今日の議論のポイントにも思うんだけど、こんなふうに「漫画とは何か」が分かっていない編集者が多いのも問題のひとつだよね。
漫画を分析できないから、最初の打ち合わせが「判断」で止まっちゃう。「おもしろい・おもしろくない」というのは、これは申し訳ないけど、気が利いた読者ならできるわけですよ。ということは、その先の「分析」と「提案」ができなければ、お金をもらうプロの意味がないわけ。
「じゃあ、現役の編集者が果たしてそれをちゃんとやっているか?」というと、僕なんかはよく『ジャンプ』の新連載の第1回目を見ると、「あぁ……」って思うことがあるよね。「なんでこうやっちゃうかなぁ」って。
読者の目から見て、何がどこで起きているか分からない。誰が主人公なの? この主人公ってどういう人? 何をする人? これを第1回目で読者にプレゼンしないといけないのに、それができていない。
こういうことがすごく多いんですよ。だから1話目を見るとたいてい、この連載が続くか続かないか、分かっちゃうよね。