記憶に残る作品と残らない作品の違いはなんだろう。ゲームにしてもアニメにしても映画にしても、これだけ作品が溢れる中で、記憶に残ることは決して簡単ではない。どんなにヒットした作品も、時とともに忘れ去られてしまう作品が多いのではないだろうか。
しかしながら長く愛されている作品はたしかに存在する。たとえば、マーベルの『スパイダーマン』だ。原作が登場したのは1960年代。それからいまもなおその人気は衰えず、映画やゲーム、ひいてはテーマパークのアトラクションになるほど、あらゆる世代の記憶に残る作品となっている。
それは、『スパイダーマン』に影響を受けた人々が「自分たちの手で作っていきたい」と新しい時代に向けて、新しい『スパイダーマン』を作り続けているからだ。その情熱によってコンテンツは生き残り、受け継がれていく。
そして日本でも「『スパイダーマン』を自分の手で作りたい」と思った人々と同じように、数々の旧スクウェアの名作RPGの感動を自らの手で作りもう一度味わいたい、と思った男がいた。
その情熱はすさまじく、『聖剣伝説3』に関わったクリエイターやゲーム業界のレジェンドたちを集結させ、ついにはほんとうにひとつのゲームを作り上げてしまったのだ。
それが、先日フリューから発売された完全新作アクションRPG『聖塔神記 トリニティトリガー』(以下、『トリニティトリガー』)である。
世界観ビジュアルは『聖剣伝説3』や『クロノ・クロス』の結城信輝氏。音楽は『聖剣伝説2』や『聖剣伝説3』の菊田裕樹氏。キャラクターデザインは『ゼノブレイド』や『パズル&ドラゴンズ』の風間雷太氏。シナリオは『オクトパストラベラー』の久保田悠羅氏が務めている。
今回電ファミは、『トリニティトリガー』のディレクターを務める礒部たくみ氏同席のもと『聖剣伝説3』以来のタッグとなった結城信輝氏と菊田裕樹氏のおふたりを取材して、自らの作品で育ってきたクリエーターが作る現代のゲームに対する思いをうかがった。
聞き手/豊田恵吾
文/柳本マリエ
編集/実存
カメラマン/佐々木秀二
『聖剣伝説』に影響を受けたディレクターのまっすぐな情熱が届く
──『トリニティトリガー』はゲーマーでしたらだれもが驚くクリエイターが集結しています。結城さん、菊田さんにはフリューさんからどのようなお声がけがあったのでしょうか?
結城氏:
僕の場合は突然メールでご連絡がありました。前に『クロノ・クロス』や『聖剣伝説』のリメイクで開発の方とお話をさせていただいたときに、アニメ業界からゲーム業界にちょっと戻る感覚があったんですね。そういう感覚があった中で、新しいゲームを作りたいという内容だったので「とりあえずお話を聞かせてください」という形でうかがいました。
ただ僕は『聖剣伝説』にしても『クロノ・クロス』にしてもゲームシステムの開発には関わっていないですし、イラストレーターとしてやらせていただいている立場でしたし、ゲーム業界としてもイラストレーターとしてももう旬ではないと思っていたので、新しいゲームを作るのであれば、いまの世代の人たちが推してるイラストレーターさんや絵師さんにお願いするほうがいいという話をさせていただきました。
そしたら「僕たちが子どものころに遊んだゲームを目指している」という話を聞かされて、そういう切り口であれば旬を過ぎていても力になれることはあるかもしれないと思ったんです。
──ディレクターの礒部さんの説明が素晴らしかったんですね。菊田さんはどういう経緯だったのでしょうか?
菊田氏:
僕も突然ラブコールが来るっていう(笑)。ゲーム業界は新しいものを作っていく一方で、昔の作品を「どうやって受け継いでいくか」みたいな動きがよくあるんです。昔の作品に対して愛情を持ってくれている人たちが、「自分たちで作っていきたい」と思う気持ちは僕もすごくよくわかるんですね。
僕自身、30年前に自分が作ったゲームで遊んでくれていた人たちと一緒に仕事をする機会が増えてきました。自分が一生懸命に作ったものからなにかを受け取った人たちが愛情を持って「大事にしていこう」と思ってくれている喜びがすごくあって。こうして受け継がれていくものだと思うし、だからそういう意味で「旬」はないんですよ。
結城氏:
なるほど、そうですね。
菊田氏:
受け継がれていっちゃうから。
結城氏:
そういわれるとアニメ業界の方がゲーム業界より歴史が長いかもしれませんね。僕も先人たちが作ったものに憧れてアニメ業界に入っていますし、僕たちを楽しませてくれたスーパークリエイターたちの後を追って入って、一緒に仕事をさせてもらいましたから。
僕が携わっている『宇宙戦艦ヤマト』(以下、『ヤマト』)のリメイクにしてもオリジナルの人たちはほとんど他界して鬼籍に入ってしまった人が多いんですけれど、そのマインドをいかに受け継いでいくか、自分たちがどう咀嚼して作っていくかが重要だと思っているので。
僕らはそうやって受け継がれていくところを経験していますがゲーム業界の方々はそれをいま味わっている感じがしますね。
菊田氏:
やっぱり『ヤマト』を制作されているじゃないですか。それはきっと単なるリメイクとはちょっと違うでしょう。新しい時代に向けて自分たちが作っていく魂みたいなものがきっとあると思うんですよね。
結城氏:
そうですね。やっぱり自分たちが衝撃を受けたタイトルが風化していくのは寂しいですから。『ヤマト』でいうと、科学的な知見も当時より進んでいると思いますし、そういうのを新たに散りばめて、いまのセンスで新しく紹介する意味はあると思っています。
菊田氏:
アニメにしろゲームにしろ、情熱だと思うんですよね。それは映画でも同じだと思います。
マーベルもその歴史を考えたら本当に遺物化石みたいなコンテンツじゃないですか。『スパイダーマン』なんて何回リブートされたかわからないくらいだし。でもそれをいま、この瞬間に自分たちのコンテンツとしてやっていきたいという情熱。そこが本質にあるのかなと思います。
──ディレクターの礒部さんからのラブコールは、どういうお願いだったんでしょうか?
菊田氏:
もうとにかく「『聖剣伝説』の面白さを今のユーザーに伝えたい、あの頃の想い出を呼び起こしたい!」っていう(笑)。「自分たちが子どものころに感じたものを自分たちも作っていきたい」と。そういうまっすぐな情熱って届くんですよね。
──結城さんと菊田さんが一緒に制作をやられるのは『聖剣伝説3』以来だとうかがいました。おふたりの出会いや、制作を進めるうえで印象に残っている当時のエピソードはありますか?
結城氏:
僕は『聖剣伝説3』のゲーム画面の開発には携わっていないですし、一緒の作品でタッグを組んでいても下手したら完成に近いものを見せられてようやく「こうなったのか」と出会うことが多いです。
菊田さんと違って僕はゲーム業界に対して門外漢でしたし、「アニメ業界のちょっとイラストも描けるアニメーター」ぐらいの感じで仕事をさせてもらっている気分でした。小さいドットのキャラクターに「絵をつけてください」という流れで。僕が見たときはドットのキャラクターもシステムもある程度完成している状態だったんです。
音楽に関しても言い方が悪いかもしれないですが、開発中のデモ画面を見せていただいても「電子音がピコピコ鳴っているな」という感じしか受けませんでした。そんな僕が菊田さんを意識したのは自分で完成したゲームをプレイしたときで、RPG自体が初プレイでしたがとても感銘を受けました。僕が好きな菊田さんはちょっと寂しげで。
菊田氏:
(笑)。
結城氏:
僕は『聖剣伝説3』って、とてもかわいらしいイメージだったんです。実際にゲームをプレイしてみるとすごく寂しげなところや恐ろしげなところに放り出された感じでした。山とかで風が吹いていて、そこに流れる音楽がすごく寂しい。そこをこうやって移動していると、とにかくすごく寂しいんですよ。
──哀愁が(笑)。
結城氏:
そうそう(笑)。衝撃でしたね。「ゲームの音楽のちから」というものを思い知らされました(笑)。
──一方で音楽ですと、世界観ビジュアルなどからイメージを膨らませたりするところもあるかと思うのですが。
菊田氏:
ゲームの開発ってちっともシステマティックではないというか。特に昔のスーファミの開発なんて、わけのわからない混沌みたいなところから、ものができてくるんですよ。それも2年くらいかけて。
アニメの世界は基本的に決まっていたりするじゃないですか。シナリオができて、世界設定ができて、作画に入ってみたいな。
結城氏:
できあがっていく段階がありますよね。
菊田氏:
それが、ゲームの世界ではないんです。『聖剣伝説3』のころなんかは、一番わけのわからない時期で。だって制作チームが一斉に集まって「じゃあなにを作りましょう」みたいなところから始まる。だれひとり、なにができるかわからないんですよ。僕も最初の段階からチームと一緒に仕事を始めるんだけれど、なにもすることがない(笑)。
だから最初はただみんなで一緒にごはんを食べるっていう。毎日お昼ごはんを食べに行ってみんなを見ていると、なんとなく、だんだん、作るものが見えてきたり。みんなのブースを回って雑談をしていくと、彼らのパソコンのモニターに映っているものが少しずつ増えていくんですよ。本当になにもないところからものがちょっとずつ組み上がっていくのをずっと見ているっていうのが半年ぐらいある(笑)。
──それは長いですね(笑)。
菊田氏:
ゲーム1本に2年ですからね、だから、ゲームの開発ってぜんぜんシステマティックではない。ちょっと面白いのは、さっきアニメの話をされましたけれども、アニメの音楽って基本的にドラマの音楽じゃないですか。
結城氏:
たしかに。映画とかでもそうですよね。
菊田氏:
でも、ゲームの音楽はドラマの音楽ではなくて、その「世界」のもの。
結城氏:
なるほど。
菊田氏:
たとえば、さっきおっしゃった寂しい山であったり、町中であったり、村であったり、「そのキャラクターが立っているその世界の音楽」を作らなきゃいけない。なぜなら、プレーヤーもそこに立つから。だから目的が少し違いますよね。その場所にプレーヤーが立ったり、歩いたり、走ったりしたときに「その世界の空気」を心の中に作ってもらえるようにしないといけない。
──菊田さんはスクウェアに入社されて最初からサウンド担当だったのでしょうか?
菊田氏:
役目的にそうですね。僕の面接をしてくれたのは植松(伸夫)さんですから。植松さんとプログレの話をして(笑)。
──そうだったんですね。ではスクウェアで師匠と呼べるような方だと植松さんですか?
菊田氏:
そうですね。大将ですけれども(笑)。
仕事をしていると、僕らはストーリーを作るのではなくて「世界」を作っているということがだんだんわかってきました。実際にチームのみんなの仕事ぶりや画面を見ていても、世界を作っていってるんですよ。小さいドットのキャラクターだし、背景もチップだし、いろいろなものを作っていくんだけど、結局は「プレイヤーが立つ世界」を作るんだなと。じゃあ僕はその世界を表現する音楽を作るのが仕事なんだということがわかってくる。
ゲームというのは「こんなやついないよ」と突っ込んでいく必要がある
──『聖剣伝説3』のときに依頼された内容として、ビジュアルにしても楽曲にしても「こういう形で作ってほしい」みたいなテーマやコンセプトはあったのでしょうか? 菊田さんのお話を聞く限り、音楽はなにもなかったんだろうなと(笑)。
菊田氏:
正直なかったですね。
──「ファンタジー」ぐらいの情報ですか?
菊田氏:
なんの手がかりもないので、ファンタジーかどうかもわからなかったです(笑)。
建築みたいなものかもしれませんね。よくわからないけど「土台」があるんですよ。それが立った結果、教会になるのか、お寺になるのか、ビルになるのか、土台だけではわからないじゃないですか。ちみちみ組み上がっていくのをずっと見ていたという感じです。結城先生のところにお話が行ったときは、わりかし組み上がってからのことだと思います。
結城氏:
そうですね。ある程度のシステムやシナリオはできていました。ドットの世界に「プレイヤーが想像しやすいビジュアルをつけてほしい」と。そこは「天野さんや鳥山さんがやっていたことをやってください」というような依頼でしたね。
僕が少し前にやっていた『ロードス島戦記』というアニメがあって、ディレクターの石井(浩一)さんがビジュアルについて「よかった」と言ってくれたんです。僕はそのころ自分で漫画の連載もしていたので、漫画のキャラクターの絵柄と『ロードス島戦記』のムードを意識しながら『聖剣伝説3』を制作しました。
ただ、僕の中でゲームというものを理解しきれていない部分があって……。
『聖剣伝説3』はキャラクターが光属性や闇属性に進化していくところがおもしろいゲームなんですよ。進化したビジュアルはすべて僕が考えたんですけど、光属性と闇属性をそれぞれ2種類ずつ要求されました。
「光属性が強いもの」、「光属性がそんなに強くないもの」、「闇属性が強いもの」、「闇属性がそんなに強くないもの」という4パターンを要求されたんですが、4つの役職の差異がわからないので「僕にデザインできるのは光と闇ぐらいないので勘弁してください」っていう(笑)。
──(笑)。
結城氏:
同じ属性の中での優劣を要求されたときに「ゲームはそういうことを要求されるような世界なんだ」と、驚きました。いまだったら自分でもいろんなゲームをやっていますし「光と言いながらちょっとノーマルで進化した装備にしてみよう」みたいな考え方ができるんだけど、当時は「光なのか闇なのか、どちらに属するのか」という部分しか理解できなかったですね。『ロードス島戦記』は違いがはっきりしているのでよけいに。
そういう僕なりの感覚でやらせてもらったのが『聖剣伝説3』なんです。当時の限界でした。いまだったら多少違う捉え方ができるんじゃないかと思いますけど、いまのほうがいいというわけでもないですからね。
菊田氏:
ゲームの世界観の捉え方みたいな部分って馴染みにくいですよね。
結城氏:
アニメはまず世界観がしっかりあるうえで、いかにドラマを作っていけるかが大事なので。まずそこをやらなきゃいけないというのを『ロードス島戦記』の制作陣ともよく話し合ってました。なので僕は『聖剣伝説3』のときもそういう部分を強く意識していたんです。
でも、そのあとで『クロノ・クロス』【※】をやったときに「このごった煮みたいな世界はなんだ!?」とびっくりしましたけど(笑)。
※『クロノ・クロス』
1991年にスクウェア(現スクウェア・エニックス)が発売したロールプレイングゲーム。プロデューサーは田中弘道氏、ディレクターは加藤正人氏が務める。
──(笑)。
結城氏:
なんでこんなごった煮なのに成り立ってしまうのか、とすごく驚いてしまって。でも、「ゲームにはこういう懐の深いアプローチがあるんだな」と思いました。僕は格闘ゲームも大好きなんですけど、たとえば安田(朗)さんの『ストリートファイター』のキャラクターってエキセントリックで「こんなヤツどこにもいないよ」と思うじゃないですか(笑)。
もちろんそれが魅力でもあるし、ゲームというのは「非日常としてそういう部分に突っ込んでいく必要」があるんだというのを『クロノ・クロス』のときに感じて。「僕がここについて行かねば!」という使命感みたいなものがありましたね。
なので『ロードス島戦記』とか『聖剣伝説3』のときに大事にしたものはいったん白紙にして、『クロノ・クロス』のときはディレクターの加藤(正人)さんのセンスについて行ってみようとやらせてもらったんです。
その結果として凝ったデザインというよりはごった煮で。(笑)でも、それを見たファンの人たちは「こっちが好き」、「あっちが好き」と勝手に自分たちで好き嫌いを判断しながらお気に入りを見つけてくれるような手応えがあったので、しっかり加藤さんについて行ってよかったなと思いました(笑)。
菊田氏:
アニメの世界だと歴史的なものだったり、僕らが日常で持っている世界を大事にするところがあると思うんですけど、ゲームの世界ってちょっとぶっ壊れてて変わった人がいっぱいいるじゃないですか(笑)。
それは、「その人の世界」なんですよね。さっきの『クロノ・クロス』だったら加藤さんだし、『聖剣伝説』だったら田中(弘道)さんだったりするけど、その人が持っている不思議な世界みたいなものがドーンと出てきてて、その人がごった煮が好きな場合はごった煮の世界にもなるし、繊細な世界が好きだったら繊細な世界になる。その人が持っている個性みたいなのがものすごく色濃く出ると思います。だから今回の世界は、ディレクターの礒部さんの個性が世界としてすごく色濃く出ている。
その人の持っている個性を100%引き出して、一番いい形でビジュアルなり音楽なり、いろいろな形にしていくことが僕らの仕事なんだと思います。
──礒部さんのような若い世代の方がディレクターを務め、おふたりの作品を楽しんでいるからこその今回のお声がけだったり、「一緒に作りたい」という情熱や愛情を受けて一緒にやる形になったと思いますけれども、そこに対して感慨深さや感じたことなど、実際に礒部さんとお仕事してみていかがでしたでしょうか?
結城氏:
自分たちが作ってきたものを見てくれていた世代のディレクターさんと仕事ができるということは、とてもありがたい話だと思います。自分たちが作ったものを正しく評価してくれてる人がいるのは心強いですから。
──礒部さんからなにか具体的なリクエストはあったんですか?
結城氏:
やっぱりあれですよ、「『聖剣伝説』をやってください」と(笑)。
とはいえ、あの当時からいろんな作品を経ていまここにいて、戻ってあれをやれと言われるとそれはそれで厳しいので、僕なりにそれを咀嚼した形でやってみるという感じで描きました。
──『聖剣伝説3』のときはあの当時の結城さんの作られたビジュアルであって、いまそれを作ろうと思っても、いまのその年齢での経験や考えが違うということですよね。「明るいイメージ」とか「暗いイメージ」とか、そういったところも含めて自由に作る形だったのでしょうか?
結城氏:
僕の肩書きは「世界観ビジュアル」と語られていますが、僕が見たときにはもうすでに「大きな剣が刺さっている世界」というイメージは決まっていましたしキャラクターデザインもある程度は方向性が決まってましたね。
「レトロ感」という言い方が正しいかはわからないですが、ある程度決まっている断片的なイメージを組み合わせて、自分なりのレトロ感を吐き出すという感じでした。やっぱり若い方たちのセンスは僕たちが昔作ったものと違っていて時代を経て垢抜けているので、その垢抜けたパーツを使ってレトロなものを作るのはなかなか難しかったですが、でもちょっとおもしろいと思いましたね。
──ここまでお話を聞いて思ったんですけど、結城さんも菊田さんも若い世代の方々を認めていらっしゃると感じました。若い世代が入ってきたときって、上の世代からの圧力でコミュニティの居心地が悪くなったりするようなことってよくあると思うんですが、その点でおふたりはすごく寛容ですよね。それは自然発生的にそういう考えになったのでしょうか? なにかきっかけみたいなものがありましたか?
結城氏:
そんなに意識したことない気がします。
菊田氏:
歳のこととか考えないですからね。
結城氏:
僕は若いころからアニメ業界にいましたけど、その時代から上の世代が若い芽を潰すようなことはまったくなかったです。
──押し付けみたいなのもなかったんですね。
結城氏:
なかったと思うんですね。「やりたいんだったらガンガンやれ」みたいな感じでしたから。世代が入れ子になってもやっぱりすごいものを描く人はすごいし、そういうものだと思っていました。良くも悪くも実力主義の世界に生きてるせいか、年功序列みたいなことはまったく感じないですね。
菊田氏:
特にアニメの世界はハッキリしてますよね。やっぱりいいものはみんないいって言うし。
結城氏:
そこがすべてですからね。だから、自分がそれをできなくなったらもうそれまでだと思っています。キャリアを積み上げてもそれが肩書き化するわけでもないし、常に若いクリエーターと同じスタートラインに立っていると思っていて。だから若い人たちが「やりたい」という気持ちを持っているなら「ガンガンやって」と思います。
──このインタビューが載ったらいっぱいオファーが集まるかもしれないですね。「結城先生は話がわかるぞ」って(笑)。
菊田氏:
そういう機会があればあるだけうれしいじゃないですか。僕らは常にものを作りたい人なわけですし、そのためのチャンスがあればあるだけいいですよね。
「これは好き」「あれは嫌い」という取捨選択を繰り返していくことが作家性を作る
菊田氏:
結城先生は「オリジナリティ」みたいなものってどのように考えていますか?
結城氏:
アニメーターになったときは自分にオリジナリティがあるとは思っていなかったですね。ただ、ある時期からオリジナルのものを描かなければいけない仕事が増えてきて、そのとき自分でかなり模索したんです。
自分が好きだった先輩のスーパーアニメーターや漫画家さんたちの作ってきたものを自分なりに受け止めて、そういう方たちがいる業界の末席に身を置くとなると、恥ずかしくない自分にならなければいけないという義務感というか。
菊田さんの言うオリジナリティとはまた違うかもしれませんが、自分がいままで見てきたものや志向性、積み上げてきたものを「これが結城信輝です」というような形でお出しできる、自分の中で「折詰にして出せる」というのが、作家性なのかなと思っています。
菊田氏:
それはすごくよくわかるし、同感です。「本当の意味でのオリジナリティなんてあるの?」と思います。僕は音楽という立場ですけど、実は僕が影響を受けているものって、僕が見てきたTVアニメの劇伴なんですよ。
子どものころからたくさんアニメを見てきて、冨田勲先生や宇野誠一郎先生や、いろんな方々の作られたBGMをずっと聴いて育ってきているじゃないですか。数え上げれば本当に多くの先人たちが素晴らしい仕事を残しておられますけど、それはあくまで音楽の歴史の中で受け継がれてきた伝統の結果であって、必ずしもその人たちのオリジナリティだけで作ったものではないんですよね。
その作品の世界をどうやったら表現できるのかと工夫して、それまで蓄積したものを集めて、自分なりに考えて作っていったもの。それを僕の世代が受け取って、またつぎの世代に受け継がれていく。
オリジナリティというのはそのための道具みたいなもので、僕が本来すべきことは、ゲームの世界を作る人たちが表現したいものを翻訳していくみたいな感じ。その世界の漠然としたイメージを翻訳して、音楽という形式に錬成していくんです。
それが僕の仕事なんじゃないかと思っているし、過去のアニメの作品を作っていた人たちも、そういう形で翻訳してひとつの世界をみんなで作っていったんじゃないかな。「ひとつの世界をみんなで」というのがすごく大事だと思うんです。
みんなが歩み寄ってひとつの世界を作ろうとしないと、どこかでバラバラになっちゃうじゃないですか。たとえば自分の個性がそこに出たとしても、できた世界がどこかちぐはぐだったら意味がない。だから、みんなでひとつの世界を作っていく前提の中で、そこに自分の才能や経験やセンスみたいなものを入れ込んでいくのが、僕らの仕事で。
そういう意味でいうと、30年前にやる仕事もいまやる仕事も変わらないですよ。30年前は30年前の自分の持っているもので翻訳していくし、いまだったらいまのセンスといまの経験で翻訳していくし、その結果としてできあがったものを聴いてもらって、気に入ってもらえたらすごく嬉しい。そういう仕事なのかと思っております。
結城氏:
やっぱり僕らの仕事はなにかしらオーダーする人がいて成り立つ仕事なので、オーダーされたことに応えられるように「作家としての引き出し」を持っていることが重要だと感じます。
──引き出しの中に、いろいろなものを常に入れるようにしていらっしゃるのでしょうか?
結城氏:
引き出しの中になければ、意識してなにか作らなくてはいけないし、あればそこの引き出しの中からどういう組み合わせがいいか選択しなければいけないし。
なにかのインタビューで寺田克也さん【※】が、日々の生活で「これは好き」「あれは嫌い」という取捨選択を繰り返していくことが作家性を作る……とおっしゃっていました。
菊田氏:
その言葉、すごくいいですね。
※寺田克也氏
漫画家・イラストレーター。ゲームやアニメのキャラクターデザインも務める。
結城氏:
さすが寺田さんだなと(笑)。実際、日々の中で好き嫌いを判断して、好きだったらとりあえずそれを自分の中に入れておけばいい。あとで考えたときに「こういうものが好きだと思ったけどちょっと違うな」と思ってもそれはそれでよくて。
僕のオリジナリティではないのかもしれないけど、当時の僕が「それがいい」と思ったものですから、いろいろなものを組み合わせて表現できたら、作家としていいんじゃないかと思います。
菊田氏:
たとえばここに人がいて、その人がただ立っているだけでは「個性」ではないと思うんですよ。子どもでもそうだけど「これは好き」「これは嫌い」みたいなことを言い続けていくことによって個性が出てくるんじゃないですかね。
そういった個性が複雑になっていった結果、その人のオリジナリティというものになっていくのであって、最初はもともとなにもないと思うんですよ。僕らなんかは好き嫌いを厳密にしつこく捉えていくから、作家性みたいなところに行きつくのかなって。
──結城さんはいままでアニメもゲームも手がけられて、現代ものもあればファンタジーものもあり、ジャンルもまちまちだと思うんですね。結城さんご自身が「こっちの方が得意」のような、得意不得意みたいなものがあったらお聞かせいただきたいです。
菊田氏:
ファンタジーは好きだったんじゃないですか?
結城氏:
ファンタジーについては「自分がよりそこに深く関わりたい」という気持ちはあるんですけど、得意だと思ったことはないですね。そういえば、時代劇を人から勧められることはよくあります。
菊田氏:
あっ、いいですね。
結城氏:
でも時代劇に関してはむしろ苦手意識があって。西洋的なファンタジー作品は好きでよく見ますし、海外に行っても普通の人が行かない甲冑ばっかり置いてあるところでずっと甲冑ばっかり見てたりするんだけど、時代劇の場合は普通に見ちゃうんです。観察してこなかったというか。
菊田氏:
違和感がなさ過ぎるからですかね。
結城氏:
最近たまたまですが帯の締め方とかも気になったことがあったんです。出てくるキャラクターの帯の締め方がみんな違っていて。普通になにげなく見てたけど「帯の締め方ひとつにこんなにあるんだ!」と。
その帯の締め方はこの個人のキャラクターの表れなのか、それともそういう風俗なのか、疑問に思うところがたしかにあって。時代劇が好きな人は、そういうところに早くから着目していたはずで、だからこそそういう蓄積をいっぱい持っていて、やっている人が多いんじゃないかな?と思うんです。
──結城さんの描かれた『ブランディッシュ』【※】のパッケージを見て、僕は本当にひと目惚れで手に取って買ってしまいました。新規のタイトルでシリーズものではないのにビジュアルがストライクで。いかにおもしろさを伝えるかというところはすごく難しかったと思いますけれども。
※『ブランディッシュ』
1991年に日本ファルコムが開発・発売したアクションRPG。
結城氏:
あのときも「ゲーム業界ってそうなの?」と驚いたのですが、「主人公の顔を見せないでくれ」と言われたんですよ。たしかに主人公視点のRPGだから主人公の顔は出てこないんですよね。でも、普通アニメや漫画だったら主人公のビジュアルって一番重要なところでしょう? なのに「顔を確定させたくないからなるべく見せないでほしい」と。
──見る側はすごくワクワクさせられました。この世界でどういう体験ができるのか、想像を掻き立てるパッケージビジュアルだったので。
結城氏:
とはいえ主人公を描かないわけにもいかないから描くんだけど、なるべく影にしてわからないように描きました(笑)。その分ドラゴンや女性キャラクターを大きく使って仕上げたり。そういうセオリーみたいなものはあの時点でありましたね。
──あれはゲームで初めてのお仕事ですか?
結城氏:
そうですね。『聖剣伝説3』は『ブランディッシュ』よりもあとなので。しばらくはPCゲームのソフトが多かったかな。
イカれた人だけが飛び込んで成り立っていた怪しい業界
──昔はネットもなければ離れている方との繋がりも薄く、オタクがオタクであるためには、自分で知識を詰め込まないといけなかったと思います。本を読んだり、コミュニティで情報交換しながら知識を高め合ったり、そうやってより洗練されたものになっていったように思うんですね。
ただ、発信できる環境がなかったので、クリエイターとして出てくる人はひと握りだったように思います。いまは離れた方ともリアルタイムにやり取りができる時代になったので、発信も比較的自由にできる。表現者になろうと思ったら、いつでもできる。こういった時代の移り変わりによる「作家性」をどう捉えていらっしゃるのでしょうか?
たとえば昔であれば絵を描いたら出版社に持ち込みでもしないと無理だったのが、いまであればTwitterやYouTubeで発信すれば、いつでも「絵師」や「イラストレーター」を名乗れる時代になったと思います。そこは、よい部分もあれば悪い部分もあるとは思うんですけれども。
結城氏:
やっぱり菊田さんもさっきおっしゃったように僕らは情報が少ない時代だったから、限られた情報に食いつかないといけなかったんですよね。そこには情熱が必要じゃないですか。そういう情熱は、はたから見ると度が過ぎているかもしれませんが、情熱を持った人たちだけがなにかに飛び込むのではないかと。
昔のアニメ業界は本当に怪しげな業界という感じでしたが、それでもその業界にダイブする。並の判断力だとみんなやらないですよね(笑)。
──(笑)。
結城氏:
昔はだいたいの人たちは皆ちゃんと定職を持って、アニメや漫画は趣味として見るだけだったのを、それが先ほど言われた様に今はSNSを使って非常に手軽に業界に入っていけるようになった。僕らの時代は、悪い言い方をすればイカれた人だけが飛び込んで成り立っていたという(笑)。
そこで成功するしないは置いておくとして、僕らの時代ではまずそこで踏み絵みたいなものがあって。いまの世代の人たちは簡単に入れはするけど、気軽な気持ちで入って何かを成し遂げるというのは意外と難しいかもなと思います。僕らの場合は、ハードルが高かったからこそ、そこにもう退路はないわけで。
──前に進むしかないわけですよね。
結城氏:
そうですね。ハードルが低ければ手軽に業界に入っていけるけど、すぐに引き返すこともできる。そうすると壁にぶつかったりとかしたときに、舵を切っちゃうんじゃないかな。舵を切らずに突き進むある種のイカれた精神力でいるのも大事だと思います。
菊田氏:
そのイカれた人の代表格が庵野(秀明)さんだと思う(笑)。
結城氏:
そうかも(笑)。
菊田氏:
僕は大学の漫研で自主制作アニメを作っていたんですけど、庵野さんはあの当時から光っていたじゃないですか。それを貫いた結果、紫綬褒章をもらっちゃうわけですから。
結城氏:
庵野さんにしても宮崎さんにしても、そういう突き抜けた方たちはたぶん一般社会ではなかなか折り合わないんじゃないかな(笑)。
──NHKで庵野さんを追いかける番組がありましたけど、スタッフの方々が本当に参っていました(笑)。
結城氏:
イカれた情熱で作り上げたものが評価されることで、その人そのものが評価されるというのはいいことだと思います。
『ガンダム』がずっと記憶に残っているのは『ガンダム』の商品を売り続けているから
──おふたりが作った作品というのは時を経ても強い思い出として記憶に残っていると思います。一方で世の中には記憶に残らない作品も数多くありますが、「記憶に残る作品」と「記憶に残らない作品」の違いを感じる部分はあったりするのでしょうか?
菊田氏:
それはすごく大きなテーマですよ。
結城氏:
僕は、文化として続いていくことによって蓄積されていくものだと思うし、作品の数が多くなれば記憶から消えていくのは当然だと思います。先ほど「記憶に残る」と言われましたけど、僕はそうじゃないと思っていて、記憶に残る作品は「残る努力」をしていると思うんですよ。
もちろんエポックメイキングであったということはプラスの要因で働くと思いますよ。僕が『ヤマト』のリブートに関わっているのもやっぱりすごくエポックだったからですし。あれによってアニメブームが始まったと言っても過言ではないと思います。ただ僕が業界で若い人たちを見てきた感じだと、『ヤマト』に対して「なんかランキングがあると出てくるよね」とか「歌は甲子園でやっているよね」とか、だんだんそんな感じになってきて、大昔のレジェンドとして歴史の勉強みたいなタイトルになってしまっていて。
だけど、反面『ガンダム』って今やコンビニにシャアの商品が置いてあったりしていて、あれはサンライズやバンダイが『ガンダム』の商品を売り続けているからですよね。僕はそこが一番大事だと思います。
内容の質や好む好まないに関わらず、タイトルとしてずっと発信を続けることによって違う世代のファンをつかんでいくという姿勢というか。じつは僕も昔、『ヤマト』に対してもそうでしたが「リメイクとかリブートって昔のタイトルを使ってお金を稼ぎたいだけでしょ」という偏見がすごくあったんです。
でも、『ヤマト』をやる前に竹宮惠子さん原作の『地球へ…』【※】というアニメのリメイクに関わったんです。僕は学生時代原作の『地球へ…』が大好きだったので、それをアニメ化すると聞いたときは「絶対やりたい」と言って参加させてもらったんです。
※『地球へ…』
『月刊マンガ少年』に1977年1月号から1980年5月号にかけて連載された竹宮惠子氏によるSF漫画。
そのときに僕の感覚で「竹宮さんの絵はアニメならこうだ」というイメージでパイロットフィルムを作ったんですけど、それを見た当時のアニプレックスの上層部から「これだと売れないから絵を変えてくれ」と言われて。「もうちょっと今風にならないか」と。“今風”って(笑)。
──(笑)。
結城氏:
それでなんとか試行錯誤して作ったら、放送の時間帯もよかったこともあるんですが、いまの女の子たちに意外とツボに入ったらしくて。Amazonで売れ筋のランキングで『銀魂』とかのビッグタイトルが並ぶ中で10位以内に入ったりと、たとえ昔の作品でもそれなりに考えて作ればちゃんとも見てくれる人はいるんだなと。
なにしろ僕が中学生のころに見た大昔の作品でしたし、アニプレさんからは非常に辛い反応をいただいて、自分で悩んで表現したものが、結果いまの若い人にこれだけ響く。少なくとも竹宮さんの原作に出逢いさせしなかったであろう若い世代の人たちを、いまの僕たちでぐっと寄せてあげることができるんだと思ったんです。
じつは、当初『ヤマト』に関わるつもりはなかったんですけど、『地球へ…』でのこの経験と、監督の出渕(裕)さんに「これは俺たちの大きな宿題なんだ」と言われて参加することにしました。
そのときに思ったのは、歴史に埋もれた作品でも考えてちゃんと作れば若い世代の人たちの目を引き戻すことができる。そうすれば、歴史の勉強みたいなものではなくリアルなものとして受け取ってもらえる。そこにリメイクやリブートの意義があるんじゃないかなと思います。
菊田氏:
僕らにとっての『ヤマト』って戦後そのものですよね。昭和三十年代、戦後といえる最後の風景を見てきた世代だから、当然それと重ね合わせて『ヤマト』も見ている。これは思想がどうとかそういうことではなく、社会がそうだった。僕らは、自分たちが生きているその時代を背負って見ていたし、だからこそそこにあるさまざまなメッセージを受け取って『ヤマト』という作品を僕らなりに受け止めていたんですよね。
でも、それをいまの時代でそういうふうに見てくれというのは不可能じゃないですか。あまりにも遠いし、その背景みたいなものが抜け落ちていますから。『ガンダム』だって、語られはしませんけど、ベトナム戦争やカンボジアの内戦が社会に与えた影響が背景にあった。
いろいろな社会性を背負ってコンテンツが生まれてきているんだけど、でもそれは必ずどこかで抜け落ちていくし、理解されないものになっていくから、いまの世代の人たちが最初の『ヤマト』なり『ガンダム』なりを見たってわからないですよね。前提条件としての社会性がいまの時代では見えないから。
だからコンテンツって時代の子だと思うんですね。その時代性を背負っていないと正しくは理解できない。大河ドラマだってそうです。
そのコンテンツとしてのシーンだけをいまに生かして、いまの人たちがいまの形で作っていくことしかないのかなと思います。アメコミもいろんなものが抜け落ちた結果、いまの人たちがいまの形で作っていくじゃないですか。それは僕らからすれば「へぇ」と言うしかないですけど、でもたぶんそういうことを繰り返して受け継がれていくものなんじゃないかと思います。
その中で、背負った時代性みたいなものが色濃ければ濃いほど、その力みたいなものはどこかしら残っていくのかな。
結城氏:
やっぱりその時代性というか芯の部分をいかに残せるかというところが『ヤマト』のリブートのキモではありました。なにからなにまで一緒だと別にいま作る必要もないですし。その時代性を知っているからこそ削るべきところは断腸の思いでも削り芯の部分をいかに残して、それを「いまの世代の人たちでも受け入れられるコンテンツとして成り立たせるか」というところが勝負かなと。
たとえどんな名作で過去にエポックだった作品でも、次代が積み重なるほど作品数も積み重なっていくから、時代のうねりにどんどん埋もれていきますよね。それこそテレビアニメができて10年経たずに僕らは『マジンガーZ』【※】とか小学生のころに見ていましたが、当時はまだTVアニメ自体の作品数が数えるほどしかなくて。いま10年の間にどれだけの作品があるのかっていう。
※『マジンガーZ』
1972年から放送された永井豪氏原作のロボットアクションアニメ。
菊田氏:
とてつもないですよね。
結城氏:
進化の系統図みたいに大きくなっているので、その中で作品が埋もれていくのはやむを得ないと思っているんですよ。埋もれたあとで、だれかがそれをまた再発見して紹介することで再燃することは当然あるとは思いますが。
近年だとたとえば『けいおん!』は時代を代表する作品だったと思います。ただ、次々に新しいものが作られていく中でいつまでも『けいおん!』ではないですし、時代と共に人気作品は移り埋もれていくのは当然でしょう。
これだけ作品が溢れる中でなかなか昔の作品を顧みて見てもらえるわけではないんだけど、でもやらなければ本当に埋もれて消えていくだけなので。
古いガンダムファンは『機動戦士ガンダムSEED』を悪く言う人もいたけど、僕はあの作品があることで確実に新しいファンを獲得したと思っています。いまのスタイルや作画技術を使って若い世代の人たちも見やすいし、ある意味初代の焼き直しでもあるし。
『ヤマト』と5年ぐらいしか変わらない『ガンダム』がコンビニに並んでるのもすごい。まさかマクドナルドのCMにシャア少佐が出てくるとはね(笑)。
菊田氏:
やっぱそのくらいに強い呪いがあるんじゃないんですかね。