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NHKのゲーム番組「ゲームゲノム」とは? 「ゲーム」×「教養」という異色の組み合わせによってゲームを知っている人にも知らない人にも刺さるド真ん中ストレートな番組だった。総合ディレクターの平元氏にその狙いを聞く

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僕たちは自分たちの好きなことを伝えるときの表現方法を間違えてきた

──ちょっと今回聞きたかったことなんですけど、いま僕は45歳で、僕や僕の少し上の世代は小説や漫画・アニメが原体験としてあるのが当たり前だったんです。いまの世代の人たちはそれがゲームになっていて、ゲームが原体験になっている世代をどういうふうに捉えていますか?

平元氏:
 世の中にあるそこの意識をこの番組で明確にしたいと思ってるんです。というのも、まさにいま40代以下の人たちはゲームネイティブ世代だと思っていて。子どものころからゲームが身近な存在で、小説や漫画・アニメ、音楽、はたまたスポーツとかでもいいと思うんですけど、夢中になれるものや影響を受けるもののひとつに「ゲーム」が組み込まれていた世代。それが別にいいとか悪いとかはなくて、ただそういう存在として確実にあると。

 ただその中で誤解を恐れずに言うと、僕たちは自分たちの好きなことを伝えるときの表現方法を間違えてきたと思っているんです。10年前、20年前はアニメも漫画も「サブカルチャー」というくくりでした。その中にゲームも入っていて、それを好きな人たちは「オタク」と呼ばれてきた。個人的には「サブカル」も「オタク」も、コミュニティによってはクリティカルな言葉や概念だとは思っていますが、偏見として使われる場面を見てきたのも事実で。

 そういう時期はどんな文化にもあると思うんですけど、「ゲームゲノム」では自分たちで「サブ」と呼ばないようにしています。ほかの人たちがゲームを「サブカルでしょ」とか、ゲーマーを「オタクでしょ」と言っていても僕はまったく気にしないんですが、自分たちで「このゲームって素晴らしいよね」と言うときに「サブ」という言葉で皮肉めいたスタンスは絶対にとらない。「ゲームゲノム」の番組を通して、ゲームはメインカルチャーであることに気づいてほしいと思っています。

──そこの切り替わりというか境目ってなんだろうと思うんです。たとえば、20年前の『エヴァンゲリオン』は大ヒットしたけどサブカルチャーのくくりだった。それがここ5年ぐらいだと、たとえばジャンプの広告が渋谷に入って、アニメや漫画もトップアーティストと同列のような扱いになっている。
 いまや当たり前のようにポップカルチャーとして扱われていますよね。これってなにか決定的な切り替わりの瞬間があったのでしょうか。逆に言えば、ゲームがまだそのポジションにないのは、何が足りないんだろう?と。

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(画像は新世紀エヴァンゲリオン | バンダイチャンネルより)

平元氏:
 これは極めて個人的な推察ではあるんですが、実は足りているけど業界の方向性が違うのではないかと。20年前とか30年前となにが違うんだろうと考えると、おもしろさという意味ではなにも変わらなかったはずなんです。
 おそらく市場規模が拡大したことで売る側も買う側も選択肢が広がるようになり、かつ、いまは体験の感想を簡単に発信できる環境がある。昔はそれがなかったから、「現象」として切り取られたものがマスメディアに流れていて、まさに『エヴァンゲリオン』だったり『FF』『ドラクエ』もその象徴になったんではないでしょうか。

 いまはそれがいい意味でフラットになってきているように感じます。

──「ゲームゲノム」みたいな番組がNHKで当たり前に放送されるような世界……まさにその「当たり前」を目指すということなのでしょうか?

平元氏:
 そうですね。「ゲームは文化」という僕らには当たり前のことだからこそ、我々はひとつひとつ「ここがおもしろい」とか「ここが奥深い」と届けていきたいです。もちろん「わからない」という視聴者はいると思いますし、「そこじゃないのに」という視聴者もいるかもしれません。

 そういう反応も真摯に受け止めようと思います。ただ、そういうボールを普通に投げられることが当たり前になったらいいというか、僕がいまこうして話していますけど、こういうことすらも普通のことになればこんなにうれしいことはないです。

 たとえば歌番組とか映画番組だったらいくらでもやっていて、わざわざ「こんな番組やります」ってならないじゃないですか。そういうことなのかな、と思ったり。

──既存の音楽番組や映画番組に比べると「ゲームゲノム」はまだ特殊なものとしてゴーサインが出ている感じがあるということなんですか?

平元氏:
 そうですね。これはいま言っていたことと逆のことでありがたかったという話になってしまうんですけど、僕より少し上の世代の上司たちは「ゲームゲノム」の企画に対して「斬新」という捉え方でした。だからこそゴーサインが出たところもあります。

 個人的には、「ゲームゲノム」というタイトルや教養番組という肩書きやコンセプトはさておき、NHKであれば10年前や20年前に近しい番組をやっていてもおかしくないという感覚があって。いままで企画が出ていなくてラッキーだったと思いますし、先に出ていたら僕はすごく悔しい思いをしていたと思います。

クリエイターに作品の意図を聞くことは野暮なことでもある

──パイロット版では小島監督をお呼びして、レギュラー放送の第1回目では上田さんをお呼びしていますが、クリエイターの話を聞くことでどういう効果をもたらそうと考えていらっしゃるのでしょう?

平元氏:
 クリエイターの方には、番組が掲げたテーマについても齟齬がないか確認の取材をさせていただきたいということはもちろん、ご出演いただくことも続けていきたいと思っています。ただ、ゲームが好きな人は知っているかもしれませんが、そうじゃない人にとってゲームクリエイターが遠い存在であることは間違いありません。

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 しかし、作品に込められたメッセージや番組が掲げたテーマを紐解くうえで、ゲームシステムやゲームデザインみたいなことをクリティカルに聞けるのは開発者ご本人だと思うんです。少なくとも取材はさせていただくし、その魅力を伝えることが番組の狙いでもあります。

 ただ、たとえば海外の作品を扱ったときに日本にお呼びしてクロストークをしてもらうことはあまり現実的ではないので、リモートで取材をさせていただいたりすることも演出としてあり得ます。そのクリエイターがどういう形で番組の中で登場して、どういう目線で番組に出演していただけるかも各回ごとに少し違っていたりするので、そこもひとつの見どころとしてご覧いただければ。

 一方でクリエイターに作品の意図を聞くことは野暮なことでもあると僕は強く自覚しています。ゲームは基本的に遊んでナンボというか、エンターテインメントとして楽しむものであって、そこに込められた意味はプレイヤーがそれぞれ感じ取ればいいものですから。クリエイターの皆さんに取材をしても基本的に「プレイヤーの人が自由に感じてくれたらそれでいい」と、全員おっしゃっています。

 そのうえで「ゲームゲノム」が目指していることに共感してくださるクリエイターの方もたくさんいるので、「ちょっと野暮なことかもしれないが、必ずそれを越えて作品の魅力もきっちり伝える面白い教養番組にする」ということはクリエイターのみなさんに伝えてご参加いただいています。

──ゲームクリエイターにフォーカスすることはもともとの方針としてあったんですか?

平元氏:
 実は人にフォーカスするというのは結果論だと思っていて。「ゲームゲノム」において絶対に曲げてはいけないことは「ゲームを真ん中に置く」というコンセプトです。ゲームを通して伝えたいことがあるということを真ん中に置いて番組制作をしていたら、クリエイターがあまりにも魅力的だった、という驚きも感じてほしくて。

 MCの本田翼さんやゲストの方々のプレイした感想や疑問にクリエイターの方が回答するというクロストークが番組の「伝えるべき作品を真ん中に置いている」という意味なので、クリエイターの方を主軸に置かないということは明確に決めています。ただ、番組が進むほどその作品のおもしろさがわかってくるので、その作品を作ったクリエイターの魅力に気づいてもらう、というのは読後感として狙ってはいます。

──平元さんにとってゲームクリエイターと直接会って話すというのは「ゲームゲノム」が初めてだったんですか?

平元氏:
 はい、パイロット版での小島監督が初めてでした。

──それってどういう感覚でしたか?

平元氏:
 僕はディレクターの仕事で取材がいちばん難しい、というか恥ずかしながら未だに得意ではなくて…。ましてやその取材相手が自分が尊敬している小島監督ですから、緊張しました。しかもそのときは「まだ存在していない番組に出てください」という出演交渉の場でもあったので、受けていただけるかというところも含めてとにかく緊張してしまい……。テレビディレクターとしてもいちゲーマーとしても、ものすごく緊張する取材でした(笑)。

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──比較は難しいとは思うんですけど、ゲームクリエイターの考え方や視点で「こう違う」とか「こう捉えるんだ」みたいなものはありましたか?

平元氏:
 監督の言葉のひとつひとつに感動があったのは前提として…むしろ共感してもらえた部分があったことがうれしくて。小島監督がいろんなところでおっしゃっていることではありますが、「とにかく新しいことをやりたい」と取材のときもおっしゃっていました。ゲーム産業が成長している中で「斬新なもの・自分にしか作れないものを作らないとクリエイターとしては意味がない」と。

 だからこそ「ゲームゲノム」の企画に対して「新しい」と言っていただけたんです。テレビの取材をずっと断ってこられた中で、NHKとしての新しい挑戦に「乗りたい」とおっしゃってくださったのがすごく印象的でした。小島監督はユーモアのある方なので「第2回目とか第3回目のオファーだったら断っていたかもしれない」という冗談もあったりして(笑)。

一同:
 (笑)。

ゲームがほかのメディアと圧倒的に違う点はコントローラーの存在

──ゲームのメッセージ性を紐解こうとすると、どうしても世界設定やシナリオに寄りがちになると思うんです。それをゲームデザインとして捉えるというのは、当たり前でありながらけっこう難しい。これまでなかなかやってこなかった感じがしているんですけど、番組を作りながらゲームデザインの切り口で紐解いたときにハッとしたエピソードなどはありますか?

平元氏:
 そこはパイロット版を企画したときからすでに僕の中にあって、プロデューサーにも共感してもらえた部分でもあるんですけど、「シナリオに固執しない」ということはすごく大事にしています。もちろん、シナリオが“ゲームゲノム”にたどり着くために必要な要素だったら入れるんですが。

 ゲームがほかのメディアと圧倒的に違う点は「インタラクティブ性」。その象徴が、コントローラーの存在だと思います。ボタンを押したらその反応が返ってきて、自分にフィードバックされる。だから、「自分でコントローラーを持つことでしか得られない体験がある」ということも各回で伝えるようにしています。

 ゲームシステムを紐解くことで「プレイ体験からどういう感情が湧き起こったのか」というところがゲームゲノムという言葉のひとつの要素になっているのでそこを伝えなければという気持ちはずっと変わっていません。そこはいちばん最初の企画書にも書きました。

 『デス・ストランディング』がまさにそうで、シナリオについては1%ぐらいしか話をしてないんですけど番組として成立はしていると思っていますし、そこが目指しているひとつの方向性でもあります。

──とはいえ、ゲームが持つ体験性というものは「実際に自分が体験して得る感動」ですし、伝え方が難しいのではないでしょうか?

平元氏:
 正直なところ、ゲームは自分で遊ばないとその真価がわからないと思うので、伝えることに限界があるとは思っています。ただそれでもギリギリのところまで魅力は伝えたい。そのためにスタジオではVTRを見ながらトークをするだけでなく、ゲームで遊ぶ部屋も作ってそこでのリアクションを入れる工夫をしています。それは「ゲームって遊ぶものだよね」ということを忘れてほしくないからです。

 たとえば冒頭にゲーム実況をたっぷり入れることもできなくはないですが、そうすると番組のコンセプトとどんどん離れてしまうし、あえてその方向性は取っていません。がっつり実況を入れなくても伝わる番組にしたい。ゲームというコンテンツは「伝わる可能性」を秘めていると思っています。

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──せっかくなので、平元さんの考える「ゲームの持つ体験性」の魅力を聞いてみたいです。たとえば『デス・ストランディング』はメインストーリーもしっかりありますが、あれって荷物を運ぶゲームじゃないですか。遠くのシェルターとかに点在して人が住んでいて、荷物を運ぶとハイテンションで「ありがとう」と言ってくる。すると、「この人はなんでこんなにテンション高いんだろう」とか思ってしまうんですけど、よくよく考えるとコロナ禍になって人になかなか会えないときにたまに会うとめちゃくちゃうれしい。そういうところがちゃんと表現されている。

 遠い道を歩いて自分が苦労して運んだ荷物に対して、ハイテンションで「ありがとう」と言われるあの感じは映画では表現できないと思うんです。ゲームのシステムなんだけども、ストーリーの感動とはちょっと違う。そこをちょっとしたシナリオや台詞で表現しているところが小島監督の解像度の高さなのではないかと。そういう「ゲームならではの体験」を受け取る瞬間っておのおのあると思うんです。

平元氏:
 僕が『デス・ストランディング』で強烈に「新しい体験をしている」と感じたのは荷物を運んでいる瞬間でした。もちろん僕も届けた先でお礼を言われたときはグッとくるものがありましたが、運んでいる瞬間の体験が印象的で。

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 僕もオープンワールドゲームはこれまでもたくさんやってきたんですけど、移動のときって馬だったりファストトラベルだったりいろいろ便利なシステムがあるじゃないですか。オープンワールドが当たり前になっている潮流の中で、「いかにストレスなく移動をするか」をどのゲームも意識していると思います。スピード感の向上だけでなく、例えばどんどん見える背景が変わっていくとか、サブクエストをたくさん用意して寄り道させるとか、いろんな工夫がされている。

 でも『デス・ストランディング』はそれだけではない。移動すること自体にプレイ体験としての意味があって、かつ「配達」「繋ぐ」といったテーマが前提にありながら、メインストーリーが成立しているからすごい。その前提があったうえで荷物を運んでいるときの気持ちというのは、ゲームでしか得られないものだと思います。「ゲームゲノム」でも、そこが伝わるといいなと思いました。

 そもそもこのオープンワールドを苦労して移動するということに、プレイ体験としての意味を持たせる。つまりしんどいんだけど、しんどいことに意味があるという。

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(画像はDEATH STRANDING | ゲームタイトル | PlayStationより)

──小島監督がどこかでおっしゃっていたんですけど、『デス・ストランディング』はオープンワールドゲームの流行に対するアンチテーゼであると。広大な世界を楽しむはずなのに、トレンドのゲームではやたらスキップできてしまうから、ショートカットして遊ぶゲームになってしまっている。
 そこをド直球に世界をちゃんと歩くゲームとして向き合ったというのは、やっぱりなかなかできることではないですよね。

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編集長
電ファミニコゲーマー編集長、およびニコニコニュース編集長。 元々は、ゲーム情報サイト「4Gamer.net」の副編集長として、ゲーム業界を中心にした記事の執筆や、同サイトの設計、企画立案などサイトの運営全般に携わる。4Gamer時代は、対談企画「ゲーマーはもっと経営者を目指すべき!」などの人気コーナーを担当。本サイトの方でも、主に「ゲームの企画書」など、いわゆる読み物系やインタビューものを担当している。
Twitter:@TAITAI999
編集
幼少期からホラーゲームが好き。RPGは登場人物への感情移入が激しく的外れな考察をしがちで、レベル上げも怠るため終盤に苦しくなるタイプ。自著『デブからの脱却』(KADOKAWA)発売中
Twitter:@MarieYanamoto
デスク
電ファミニコゲーマーのデスク。主に企画記事を担当。 ローグライクやシミュレーションなど中毒性のあるゲーム、世界観の濃いゲームが好き。特に『風来のシレン2』と『Civlization IV』には1000時間超を費やしました。最も影響を受けたゲームは『夜明けの口笛吹き』。
Twitter:@ex1stent1a

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