KADOKAWAの元社長・佐藤辰男氏が自ら小説家としてデビューする。そんなニュースに思わず耳を疑った方も多いのではないだろうか。だがこれは紛れも無い事実であり、そのデビュー作『怠惰な俺が謎のJCと出会って副業を株式上場させちゃった話』はついに12月21日(水)に発売された。
佐藤氏はパソコン誌の黎明期において雑誌「コンプティーク」の創刊を手がけ、ライトノベルの一大潮流となったメディアワークス社や電撃ブランドの創立にも携わってきた。まさに現代のライトノベル文化シーンを作り上げた、キーパーソンのひとりと言える人物だ。
2018年にカドカワグループの役員を退任し、コーエーテクモホールディングスの社外取締役に就任……と思いきや、突如として小説家デビュー。そのうえ、作品にはコーエーテクモホールディングスの襟川恵子・陽一夫妻、フロム・ソフトウェアの宮崎英高氏、そして元白泉社顧問であり「少年ジャンプ」にて『Dr.スランプ』や『ドラゴンボール』などの名作を送り出してきた伝説の編集者・鳥嶋和彦氏からの推薦文が寄せられるという豪華ぶりである。
しかしなぜ、長年出版業界に務めてきた佐藤氏がいきなり小説を自ら書くことを選んだのか? そしてなぜライトノベルの作風なのか? そうした疑問を解消すべく、電ファミニコゲーマー編集部ではあの『ロードス島戦記』の作者であり、佐藤氏とも親交がある水野良氏との対談の場を用意させていただいた。
『怠惰な俺が謎のJCと出会って副業を株式上場させちゃった話』にて編集を務められた三木一馬氏、工藤裕一氏も交えた4名での対談は、出版業界のこれまでと今、そしてこれからを考えさせられる非常に奥深い内容となっている。佐藤氏が作品に込めた思いはもちろん、先輩作家という立場から寄せられた水野氏の感想も語られているため、ぜひ最後まで目を通していただければ幸いだ。
KADOKAWA得意のメディアミックス戦略の原点とも言える『ロードス島戦記』
──佐藤辰男さんが『怠惰な俺が謎のJCと出会って副業を株式上場させちゃった話』にて小説家デビューを飾るにあたり、今回『ロードス島戦記』の水野良さんとの対談の場をご用意させていただきました。みなさん、本日はよろしくお願いいたします。
佐藤辰男氏(以下、佐藤氏):
よろしくお願いします。
水野良氏(以下、水野氏):
はい、よろしくお願いいたします。
三木一馬氏(以下、三木氏):
『怠惰な俺が謎のJCと出会って副業を株式上場させちゃった話』のディレクションに関わらせていただきました。本日は同席させていただいております。
工藤裕一氏(以下、工藤氏):
同じく『怠惰な俺が謎のJCと出会って副業を株式上場させちゃった話』の編集を担当しました。本日はよろしくお願いいたします。
──以前、佐藤さんは水野さんとご一緒に『ロードス島戦記』の舞台か何かをご覧になったことがあるとお聞きしました。
水野氏:
そうですね。そのとき僕がいろいろと悩んでいることをお話しさせていただいたのですが、佐藤さんは「作家さんって大変なんだなぁ、俺には分からないなぁ」みたいなことを仰っていたんです。
その佐藤さんが作家としてデビューされたわけですが……『怠惰な俺が……』、書かれてみていかがでしたか? 苦しかったですか?
佐藤氏:
えーっとね。全然苦しくなかった(笑)。
作家の苦しみが分かるとか、分からないとかいうレベルでさえないというか。まず締切もないし、何より『ロードス島戦記』でデビューしたころの水野さんみたいな人生のかけ方はできないんですよ。僕はもう70歳ですから。
当時の水野さんはまだ20代でしたよね? サラリーマンをおやりになっていたのをやめてまで、この世界に入られた覚悟は相当なものだったんじゃないでしょうか。
水野さんは『ロードス島戦記』でいきなり大ヒットを飛ばして、その後も継続的にRPGから作品を生み出す手法を続けていましたけど、同時にSFの世界に入ったりと、いろいろ苦悩を経験されたと思います。でも僕は70歳で書き始めている人間なのでまったくもってそういう切迫した思いはないんですね。
しかも締切も無いものだから、実に楽しく書くことができました。昔、川端康成が、誰かに「先生の作品は何であんなに繊細ですばらしいんですか?」と聞かれて「僕は、作品を手元に置いていくらでも直すようにしているからあんな風な作品が出来たんです」みたいに答えていて。手元に置いていくらでも直せるんだったら俺にもできるかな、締め切りもないことだし、と。そんなふうにして70歳の処女作が生まれました(笑)。
水野氏:
締め切りがないのに書けるというところが素晴らしいです。僕なんかは締切がないと、なかなか書けません。楽しんで書かれたのだろうな、というのは作品からもすごく伝わってきました。
──佐藤さんが作家デビューすると聞いたとき、水野さんはどんな感想を抱かれましたか?
水野氏:
「は?」という感じでしたね。「佐藤さん、なにをはじめたんやろ?」と(笑)。セカンドキャリアとして作家を目指すというのは決して珍しいことではないと思うのですが、これまで嫌というほど出版に関わって、僕以上に地獄を見られてきた佐藤さんがなぜわざわざ作家業を選ぶのだろう、と疑問には思いました(笑)。
佐藤氏:
僕は内館牧子さんの『終わった人』(講談社)という小説を読んで、この小説の主人公みたいにはなりたくないな、と衝撃を受けたんです。その小説は銀行に勤めた東大出のエリートが引退するシーンから始まるんですが、要するにひとつ目の人生が終わって、しかも出世しきれなかったという挫折感もあって、昼間から酒を飲んだり、借金を作ったりとだんだんダメになっていってしまう主人公の話なんですね。
内館牧子さんってすごくビビッドに時代を写し取る作家さんで、2年くらいにわたって僕と同じような立場と年代の人を取材して『終わった人』を書いているんです。だからものすごく身につまされるんですよね(笑)。それが、KADOKAWAを辞めても仕事を続けようと思ったきっかけになっています。
あと角川歴彦さんからお声掛けいただいた社史の仕事も一因としてありました。あれも国会図書館へ通って出版月報や年鑑とかを調べて書いたりと、およそ3年ほど時間をかけさせてもらって進めて。なおかつ出版業界の苦境の時代の話も書けたので、書き終わったときにはとても満足感があったんですけど、同時にまだ書いてみたい、という欲望もあったんです。
水野氏:
社史では僕の『ロードス島戦記』のことを大きく取り上げていただいてありがとうございました。本当に嬉しかったです。
佐藤氏:
そうそう。あれはKADOKAWAの次のステージのきっかけになった作品だから、そういう部分を書けと盛んに言われてましてね。作品の土壌として雑誌『コンプティーク』があり、そこからデビューして「誌上ライブ」というタイトルで連載が始まって、それが小説になっていくという。
で、今のKADOKAWAまで受け継がれている「映画化によって文庫が売れる」メディアミックスの次世代の大元になった。その原点に『ロードス島戦記』がある、という思いが強いみたいです。
水野氏:
『ロードス島戦記』は本当にいろいろなメディアで展開していただきました。KADOKAWAさんのメディアミックス戦略の先駆けになったとしたら嬉しいですね。
佐藤氏:
今振り返ってみると、当時はファミコンが生まれ、『ドラゴンクエスト』が生まれ、時代が『ロードス島戦記』を求めていたという感じがしますね。
あと水野さんの小説の作り方として、「まず世界を作る」というのがあるじゃないですか。その世界の中で文化や風土、経済、歴史などといったものを全部作って、そこからシナリオが生まれてくる。あれは小説家の皆さんの間ではポピュラーな作り方なんでしょうか?
水野氏:
いや、少数派みたいですね。この前、Twitterでは「そんな作り方したらダメ」みたいなことが思いっきり書かれていて(笑)。『指輪物語』や『DUNE』など世界設定がしっかりしている作品では、設定のほうが先に作られていると思うのですが。
佐藤氏:
でも小説って、手法としてそういうやり方を使っていなくても、どこか世界を創造したり、世界に意味を持たせたり、あるいは新しい自分を書いている内に発見するようなことってありますよね。僕も今回、自分で書いてみてはじめてそれに気づいた。
水野氏:
僕も長く作家を続けている内に、自分の中でモヤモヤとしていた感情が小説を書くことによって言語化されて整理されていくような経験はありますね。
読み物系コンテンツの充実で「コンプティーク」は新たなプラットフォームになった
水野氏:
それで『ロードス島戦記』が掲載された『コンプティーク』という雑誌なんですが、僕が参加する前というか、佐藤さんがメディアワークスを立ち上げられた経緯のようなものをお伺いしてみたいなと。恐らく『怠惰な俺が……』にも関係している部分があるかと思いますので。
佐藤氏:
きっかけというのは、ある人が角川歴彦さんを紹介してくれたことに始まります。KADOKAWAが新しくパソコン雑誌を作りたいと言っている、と。「君はファミコンやパソコンゲームを記者として7年も追いかけてきたわけだから、ちょっと企画書を書いてみてよ」と言われたので、ゲーム攻略を中心とした企画書を書いて持っていったんですね。そうしたら「いいね、やろうよ」とすぐOKの返事をしてくれました。
実はもともと角川さん的には『Oh! PC』とか『マイコンBASICマガジン』とか『月刊ASCII』とか、カタログ誌的なものを想定していたみたいなんです。なのにゲーム攻略という全然違う類のものを持ち込んで、しかもそれが即決で通ってしまったという(笑)。
ただKADOKAWAに直接入れるわけにはいかないから、といってコンプティークという会社に入社して準備を始めたんです。そこから1年くらいの準備を経て創刊しちゃいました。
水野氏:
準備期間はかなり短かったのですね。もちろん、創刊後に雑誌としての方向性は変化していったと思うんですが。
佐藤氏:
最初はむちゃくちゃ売れなかったですよ。当時すでにパソコンゲームを扱う『LOGiN』をはじめ、50誌くらいの競合する雑誌がありましたからね。それでみんなで違う方向を模索する中で生まれたひとつが『ロードス島戦記』の企画だったんです。
そのほかにも麻宮騎亜さんのマンガ『神星記ヴァグランツ』とか、松枝蔵人さんの小説『聖エルザクルセイダーズ』とか、いろいろな試みが取り入れられていた時代でしたね。そうした読み物的コンテンツが人気を獲得して、『コンプティーク』ならではのカラーになっていったんです。
水野氏:
それで他雑誌との差別化に成功して、新しいコンテンツのプラットフォームになることができたという感じでしたね。当時は実売で30万部くらいでしたっけ? 今考えたら奇跡ですよ。それほどの雑誌に載せていただいたありがたみ、というのは今になってものすごく実感するところです。
佐藤氏:
連載スタート時にはまだ全然その部数には達していなかったと思いますが、『ロードス島戦記』のような作品が雑誌から生まれる幸福な時代でした。
社史を書いていると、こうした黄金時代の話もたくさん書けるんですが、それが終わるとだんだん悲しい時代の話を書かなくてはいけなくなってしまって……やっぱり辛かったですね。
最初に少子高齢化によって雑誌の売れ行きが悪くなり、さらにインターネットの発展で情報が無料で手に入るようになってしまうわけです。それまで雑誌の重要なコンテンツだったゲームの攻略なんかもインターネット上でやり取りされてしまうので、無料で情報が手に入ってしまう。
水野氏:
しかも即時的というか、情報を掲載するまでのスピードが違いすぎますしね。
佐藤氏:
そしてスマホゲームやSNSといった新しい娯楽がデジタルの世界に次々と現れてきて、それらにどうやって対抗するか、というのが2000年代のテーマでした。そんな現実を見てきたからこそ、時代の流れにやられる一方ではなく、「のんきに出版業界に入っていく若者をテーマにしたら面白いんじゃないか?」 というアイデアから生まれたのが『怠惰な俺が謎のJCと出会って副業を株式上場させちゃった話』の怠惰な主人公「アオヤマ」君です。
佐藤氏だからこその“ドラマ”を描けるよう小説の形を選んだ
水野氏:
その『怠惰な俺が……』を読ませていただいて……儀礼的には「面白かったです!」というのが筋なんですが、率直な感想としては「なんじゃこりゃ?」という感じでしたね。
言葉にしにくいのですが、「ビジネス書として読みはじめて、小説として読み終えた」というのが、いちばん近いのかな、と。
それで佐藤さんが来られる前に編集者の方々と少しお話したのですが、目指すものとして挙げられた名前が『もしドラ』や『ビリギャル』だったのですよね。自己啓発書でありながら小説である、そういう作品を狙っているとうかがったのですが?
佐藤氏:
最初はビジネス書としてスタートしたんですよ。もともとはIPO(上場)を目指すビジネス書を書くんだ、という弁護士さんがいて、しかも「若い人のために小説形式で書きたい」と仰っていたんですね。それでお手つだいのような雰囲気で簡単な校正のようなことをしていました。
そうしていたら「もっと嚙み砕いたものを書いてみたいな」となりまして。それで書き始めたというのが誕生の経緯です。特に4章から5章にかけてはかなり真面目な動機でハウツー的な部分に力を入れていました。その上で三木さんに持ち込んだら小説的なアドバイスをずいぶん受けることができて、その新鮮な指導のお陰でそちら側がどんどん膨らんでいってしまった(笑)。
水野氏:
佐藤さんは長く編集者として出版物に向き合ってこられたわけじゃないですか。メインは雑誌の編集で、小説の編集をどのくらいされたかというのはちょっと存じ上げないのですが、編集長という立場に立つ以上はすべての作品に間接的には関わっていたと思うのですね。それが今回、作家という立場に……言うなれば“逆転”したわけで、これまでの編集としての経歴というのは役に立ったのでしょうか?
佐藤氏:
そうですね……おっしゃる通り僕の編集経歴って新聞記者と雑誌が主で、書籍の編集ってほとんどやっていないんですよ。それこそ水野さんが連載しているのは間近で見ていましたし、電撃文庫の小説賞の審査員も長くやったので小説はかなり読み込んでこそいるものの、直接誰かを担当したような経験はありませんでした。
それでここにもいる三木さんと工藤さんのふたりに指導していただきながら進めていって。なんだか、あらためて「本の編集者が作家を育てていく」というプロセスを初めて知ったような感触でした。ものすごく新鮮だったし、嬉しかったですね。
水野氏:
なるほど。担当編集者と作家のやり取りという部分はご存知なかったのですね。それを今回は作家として体験する形になったと。
三木氏:
ちょっと補足させていただきますと、さきほど佐藤さんからもお伺いしたように4章や5章のハウツー部分を書きたいというお話があったんですが、僕はそのご提案をそのまま出したら単なる経済書になってしまうんじゃないかなと。それならばすでにプロフェッショナルの方が出している経済書がたくさんあるんですよね。
でも僕は佐藤さんとメディアワークス時代からずっとお付き合いさせていただいていて。それで電撃小説大賞の選考委員をやっているときも、人一倍創作や物語、作家さんに愛と情熱を持たれていた方だったので、「そこを読ませるためにも、ドラマを作らないといけないですよ」というお話をさせていただきました。
佐藤氏:
そんな感じです。結果としてドラマがすごく盛り上がって、エンタメのウェイトが増えて本懐までなかなかたどりつかなくなってしまった(笑)。
水野氏:
なるほど、4章、5章は普通にビジネス書でしたね。3章までは小説ふうでしたが、余分な情報は削ぎ取っているという印象は受けました。その後に4章、5章がありましたので、これはビジネス書として読めばいいのかな……? と、捉え方に戸惑った部分はあります。
あと佐藤さんご自身が会社を立ち上げられた実体験もお有りですし、ある種の回顧録的な意味もあるのかなと思いましたね。僕自身、佐藤さんのことはある程度知っていますし、周りにいらっしゃった方というのもそれなりに知っているから、このキャラクターには誰かモデルがいるのかな、なんてあれこれ想像しながら読みました。
まあ、主人公のアオヤマくんに関しては佐藤さんご本人以外ありえないなと感じたんですが(笑)。
佐藤氏:
バレた?(笑)。
水野氏:
あのMっぷりは佐藤さん以外ありえないです。
佐藤氏:
ちょっと、やめてそれ(笑)。
水野氏:
ぶっちゃければ、どちらとしても読めると思いますし、どう捉えるかは読者次第だなと感じましたね。個人的には4章、5章のビジネスパートはクリティカルに参考になりましたし。僕は今、とある会社の監査役をやっていますので。
佐藤氏:
あのあたりはそうですね、メディアワークスを作るときに角川書店から分かれて立ち上げたじゃないですか。その際、作家の皆さんには大いに迷惑をおかけしてしまって、申し訳なかったなという思いは今でもあるんです。ただ同時に角川書店から離れて、みんなでお金を出し合って上場しよう、という志もあったんですね。結果としてはまたKADOKAWAと一緒になったんですけど。
水野氏:
立ち上げの時の経緯は僕も知っていますし、横で見ていたのですけど、急にあれだけの規模の会社って作れるのだなと感心しました。雑誌の創刊にくわえて電撃文庫も立ち上げてらっしゃいましたよね。
佐藤氏:
はい。今までみんながやっていた仕事を「ダメだ」って言ってしまうと事きれちゃうじゃないですか。あの当時はみんなギリギリで生きていたから「君はやらなくていいよ」と言ってしまうとそのまま沈没してしまうような危機感がありました。会社が変わっても、次の仕事をやってもらう環境をつくるのが最大のテーマだったので、もう、今までやっていたことは全部やるって言っていたんですね。
雑誌で言えば『マル勝ファミコン』は『電撃ファミコン』に、『マル勝PCエンジン』は『電撃PCエンジン』に、という具合にね。アドベンチャーゲームの雑誌はアドベンチャーゲームの雑誌として、マンガ雑誌はマンガ雑誌として、全部継続してやるよ、というのがみんなの支えだったんです。だからやらざるを得なかった。
もっと少ない人数でいちから立ち上げられれば、それはそれでひとつの選択肢としてあったのかもしれませんけどね。規模が大きいまま継続すると決めてしまっていたので。一番大変だったのはやっぱりお金を集めるところでした。本来ならば5人や10人で小さな出版社から始めよう、って今持っているお金にあわせてスタートするべきだったんですが……。
水野氏:
いきなり70人でのスタートだったのですよね。ただ、メディアワークスさんが設立時に目指したことを実現するには、それくらいのスタッフがいないとできなかったことですしね。多数の雑誌で一気にスタートするためにはそれに応じたスタッフも要るし、お金もかかるという。
佐藤氏:
その通りです。「みんなついて来てね!」と言ってしまったので……「やっぱりいらない」とは言えなかった(笑)。
水野氏:
それは言っちゃダメですね(笑)。あの当時、「集めたお金がみるみる溶けていくのは怖いよ」とお話しされていたのはよく覚えています。僕はローリスクで作品だけを提供していた立場だったから、そうだろうなあとは思いつつ知らないふりをしていました。作品が売れることで応援できたらいいなあ、とは考えていましたが。
佐藤氏:
いやいや、本当にありがたかったですよ。
水野氏:
一応『クリスタニア』のTRPGリプレイを「電撃王」さんで掲載していただいていて、その小説を初期のラインナップに送り出せたかな、と。たしか1巻が30万部ぐらいだったので、無理をして刷っていただいていたのじゃないかと、すこし不安でした。
『ロードス島戦記』とか角川書店でやっていた既存のタイトルは残すけど、新規タイトルについては労力やエネルギーをかけてメディアワークスさんで頑張りたいな……と思ってはいたのですけど。
佐藤氏:
水野さんにも大変なご苦労をおかけしました。角川書店で当時やっていたものは新しい会社にもっていくわけにはいかないと、それでも新しい作品を提供してくださったわけですから。単純計算でお仕事も2倍になってしまって申し訳なかった(笑)。
水野氏:
2倍ほどは頑張れませんでしたが(笑)。ただ、間に立つしんどさは、やはりありましたね。あのころの僕はそれなりに影響力があったので、現場レベルでは双方のケンカが激しくならないように気を遣いました。