バンドをクビになり、すがるような想いで編集者の道へ
──ここからもう少し新福さん自身について、そしてなぜブシロードワークスに在籍することになったのかについて伺って行ければと思います。幼少期の頃のお話は最初にお伺いしましたが、その後、作る側に回ろうみたいな感覚はいつごろ出てきたんですか?
新福氏:
大学生のときに音楽にかぶれまして、同人誌やCDを出したりして、いわゆる「モノをつくる」という行為はやるようになりました。2006年くらいのことです。
──同人誌というのは、どういったものだったんでしょうか。
新福氏:
それこそ二次創作も一次創作もやりましたね。下手くそなりに漫画になっていない漫画を描いてました(笑)。友人と編集と作家みたいな分担で同人誌を作って、即売会に出たこともありましたね。
──編集と作家、というのは友達が作家で自分は編集ですか?
新福氏:
そうですね。スケジュール管理から内容打ち合わせまで真似事みたいなものですが。編集の面白さみたいなものは、ここで少し掴んだんじゃないかと思っています。
──同人誌とバンドだと、結構振れ幅がありますね。
新福氏:
僕以降の年代だとそこは振れ幅感じないかもしれないです。僕は1987年生まれで今年36歳なんですが、僕らの世代って丁度オタクと一般人が混ざり始めた時代なのかな。振り返ると、オタクカルチャーに触れていない子でも、大学生になるとアニメ自体を特に忌避感なく見ていたりして。類は友を呼ぶという事かもしれないですが(笑)。なので、ライブハウスでも同世代が集まると、音楽の話とアニメ・漫画の話が自然に区別なく出てくる環境で。ふたつが離れている感じはしなかったですね。僕自体もあまり区別をせずにやっていました。
──なるほど。では音楽の道に進む可能性もあったんですか?
新福氏:
むしろ、その頃は音楽の道に進みたいと思っていました。ところが、バンドを「お前、才能ないからやめて就職した方がいい」とクビになりまして(笑)。実際、才能無かったわけでそれ自体には感謝してるんですけれど、当時は「急に言われても」と。それで就職しなきゃなとなったんですけど、ろくに大学いかず遊んでいる奴が簡単に就職できるはずもなく……。ただ、集英社さんだけは良いところまで残してくれたんですよね。
それだけがきっかけでもないんですが、誰にも必要とされてないんだったら自分の好きなことでもやるかと。で「あぁ漫画に人生を賭けるのも面白そうだな」となり、編集者の道に入り込んだ感じですね。
──ただ、集英社さんに就職されたわけではないんですよね?
新福氏:
勿論、適当に生きてきただけの奴が、受かる訳もなく(笑)。無職のまま、無事大学卒業して。少ししてからかな、縁あって医療系出版社に入り、2年間くらいお仕事をさせてもらいました。
──なぜ医療系の出版社に入ったのですか?
新福氏:
漫画の編集者って、入り口がすごく狭い業界だったんですよね。基本は経験者の中途採用か、新卒採用。後は編プロさんにアルバイトで入るか。さらに当時はいわゆる就職氷河期だったので、特に狭き門だったように記憶しています。そこに何とか潜り込もうと思ったら「編集経験があります」って言えれば面接までは行けるなという考えで。
──ということは、最初から漫画編集者になりたいという目標があったんですね。
新福氏:
そうですね。ただ、バンドをクビになったことがある種の挫折になっていて、まっすぐに熱い想いや情熱を持って漫画編集者になりたいと思っていたというよりは、捻くれてすがるような思いでやっていた……というほうが正しいかもしれません。だから「俺はできるぞ」みたいなものはないですね。その感覚はずっとそうです。
漫画は必需品ではないが、ないと生きていけないという人たちのために作らなくてはならない
──そしてマッグガーデンに移られたと。当時マッグガーデン以外に受けた出版社はありましたか
新福氏:
他は募集もなかったですから、勉強したいと即決しました。なにより、先ほど少しお話した飯田さんが社長なので、編集方針みたいなものはなんとなく“知っているぞ”という感覚もありましたから。
マッグガーデンでは作家引き継ぎしない、自分で一から立ち上げろ。というスパルタな会社だったので、2年くらいは雑用しながら連載会議の壁に立ち向かう日々で……特にこれといった成果もなく。
そうこうしているうちに「お前そろそろ契約期間切れるよ」と言われクビが寒くなってきたなと思っていたタイミングで『魔法使いの嫁』などの連載が決まりました。
──実際に漫画の編集になってみて、最初にぶち当たった壁だとか悩みみたいなものはありましたか?
新福氏:
基本的に漫画は連載会議を通過しないと連載できないんですが、そこに通らないというのが壁ではありましたね。何度も落ちると、段々と何をどうすればいいのか分からなくなってくるんですよ。何度も会議に付き合ってもらった作家さんから「もうやれないです」と言われることもあり、やはりその時はショックと申し訳なさと…という感じでした。今もその時の申し訳なさがどこにも行けずに残っているような感覚があります。
あと壁らしい壁は、やっぱり雑誌が潰れたことですかね……。作品が売れてもタイミングによっては簡単に潰れるし、自分の居る場所って大したことないというか、薄氷の上に立っているようなもんだな、と解るようになりました。
──逆に、手応えを得たタイミングはいかがでしょうか。
新福氏:
むしろ手応え欲しいですね。ずっと手応えがない(笑)。
──(笑)。でもそれこそ『魔法使いの嫁』のようにヒット作は突き抜けてるわけじゃないですか。そこで得られた感覚とか、あるいは作家さんとのやり取りで学んだことはあるのではないでしょうか。
新福氏:
得られた感覚や学びは、勿論あります。作家さんの実力と今の自分の実力を考えて、どういったことができるか、どこまで詰められるか、みたいなバランスは見えるようになったかと思います。
ほか得られたことといえば、やはり誰のために漫画をつくるのかということでしょうか。漫画はあくまでも娯楽であり、生活必需品ではないんですよね。しかし、これがないと生きていけない、生き残れない人たちがいて。僕はその為に仕事をするべきだ、そしてその継続こそが大事なのだというふうに思うようにはなりました。
──なぜその考えに至ったんですか?
新福氏:
自分がもともとそういう人間なんですよ。人生なんてデフォがクソゲーだしつまらないなと思っていた。だから何か作っていたかったんだろうと思います。劣等生だったので「あんなこといいな できたらいいな」という夢想で命が繋がった感覚があるんですよね。物語があったから生きてこられた。
これにはヤマザキさん(『魔法使いの嫁』著者のヤマザキコレ氏)も「ですよね」と強く共感してくれて、まほよめが出来上がっていった。この二人で作ったものがきちんと世の中に評価されたときに「この感覚は大事なものなんだ」という思いが強化された……ということはあったと思います。
そのうえで誰かの命綱になってる以上は、「良い状態で作品を続けなければいけない」という責任みたいなものを二人とも真剣に考えるようになったような気がします。
……もっといい話ができればいいんですが、結局は毎日を必死にやってる感じです。
──なるほど。そしてマッグガーデンには長いこと在籍されたわけですが、やはりここは自分の居場所になりそうだ、というフォーカスした感覚があったのでしょうか。
新福氏:
どうでしょう…自分には合っていたのかなとは思いますが、10年の在籍も個人的には5年くらいの体感でした。映像が2回も走ると、小さい会社だとやることも多くて。
マッグガーデンが作っている作品というのも、非常に中性的なものじゃないですか。だからこそ表現できる幅もあるし、少年漫画みたいな少女漫画を作っても読者が読んでくれるし喜んでくれる。それが僕にとってはすごくしっくりきた、ということはあります。
例えば少女漫画誌にいけば、『魔法使いの嫁』は絶対に恋愛をメインに書かされるだろうと。でもマッグガーデンやその読者さんの元に居る限りでは「物語を重視しなさい」という方針だったので、恋愛だけが人生のすべてじゃないし、結婚の先にもいろんな冒険があるよね、という形で制作を進められた。10年近く居て居心地が良かったのは、この方針がしっくりきたからだと思っています。
ヤマザキさん自体も、カラーがはっきり決まり切っているメジャーな雑誌は苦手で、というのを聞いたことはありますね。求められるものがはっきりしてきているなかで、恋愛を求められてもそんなに恋愛を書きたいわけじゃない。かといって、ファンタジー漫画で王道を描けとなるとバトルを描けって言われる……。「じゃあ私みたいな漫画はどこに行けば評価してもらえるのか?」という思いはずっとあったみたいです。なので、二人ともに結果的には良い場所だった、と思っていますね。
出版というビジネスの本質は林業や農業に近い
──そこからなぜブシロードワークスの立ち上げに参加することになったのでしょうか。
新福氏:
数年前からマッグの従業員と兼業で、リンガ・フランカという会社(マッグガーデンの親会社であるIGポートの子会社)もやっていました。これは幾つかの出版社さんと一つの配信プラットフォームを作ろうと当初立ち上げた会社で、「マンガドア」という漫画の配信サービスを展開していました。
この会社が途中から、ブシロードとのジョイントベンチャーのような形の資本関係になっていたんですが、創業5年で中途半端な利益しか出ない状態でして。大きな勝ちはみえない状態で続けるのは良くない、引き際だなという判断をしました。そこで会社を清算することになり株主であるブシロードに相談にいきまして。その後、木谷社長からブシロードワークスのお話を頂いたという流れですね。
──なるほど、そういう流れだったんですね。
新福氏:
ええ。仕事の内容的には、自分がやりたいことと一致していたので、そこは面白そうな仕事だと思いました。次に考えたことが、引き受けたとして上手く行くかどうか。
異業種から出版を始めてうまくいく例というのはどちらかといえば少ない。上手くいかせるためには何が必要でどういう条件だったらできるのか、そういう自分なりの方法論を考えてみたんです。そちらをお話したうえで、自分の中にある仮説検証をできるのも他にはない貴重な機会だなと考え、熟慮の結果、謹んでお請けした次第です。
──異業種から上手くいかないのはなぜだと思いますか?
新福氏:
出版業界人内では一定答えは出ているような気もしますが、出版というビジネスの本質は林業とか農業に近しい性質だと理解されておらず、見誤った急成長のシナリオに嵌められてしまいがちなことが一番の原因ではないかと思っています。
元々狩猟的にビジネスを作ってきたひとたちが、急に畑を耕すことって難しいじゃないですか。土もただの土としか認識していない。土や種籾こそが大事なのに。多分そのあたりのギャップが大きくて失敗していくのではと。畑や土壌なんて関係ない、目の前に狩るべき生物が飛び出してくるからそれをタイミングよく掴むんだろという感覚だと、思惑と結果がズレていってしまうんだろうなと個人的には思います。
──それは出版社に限らず、エンタメ全体がそういう側面を持っていますよね。
新福氏:
そうです。あとは、編集者がどう作品に関与しているかを理解できていないというのもあるかもしれませんね。「単に声掛けて書いてもらうだけ。作家さんに才能と実力は必要だけど編集者には特に何もいらない、とにかく動いて営業してこい」という感じで、営業に見立ててたり。それもまた失敗の理由の一つかなと。実際は「みる眼」だったり「コーチング」だったり「寄り添う力」だったりと必要なものがたくさんあるはずなんですが。
──この辺は新福さんに今更言うまでもないのですが、編集者の重要性って知れば知るほど痛感するじゃないですか。場合によっては作家さんと同等かそれ以上の才覚が必要とされるというか……。
新福氏:
そうですね、僕は必要とする作家さんもまだ多いと思っています。それこそ編集も1人でも大きく優れた人間がいれば、会社が一定成り立つんですよね。だから100人雇って1人成り立ってくれればいいと。これもまた理解できないんだろうなと思います。
──それこそ講談社の森田さん(『週刊少年マガジン』旧編集長・森田浩章氏)のように、優秀な編集が一人いれば作家が100人育つ。いかに一人の編集を捕まえることが重要か、ですね。
新福氏:
森田さんの仰るところ、よく解ります。作家さんに対しても編集者に対しても、1人を作るために多額の投資を続ける必要があるのが出版事業なのかもしれません。事業継続している版元にとって、そこは違和感はないのかなと。なぜならば、その結果、リターンがあったという成功体験が各社には連綿とあるので。ただ、これを数字でみてみると、絶対にわからないんですよ。そこには反映されないので。
──狂気の話でいうと、とある香港の投資会社の方々が資金の再投資率の話をされていて。例えば、映画産業だと儲けたお金の9割を再投資するらしいんですが、一方でゲーム産業は6割程度しか再投資していない。それだけゲームは未成熟だという話なんですが、映画産業は映画だけで回るし、外からの資金を呼び込めているけど、ゲームは流出の方が多いと。でも、これぐらいのマインドがないと狂気には付き合えないし、3年儲からなかったらやめるとなってしまう。このような違いはどう思われますか?
新福氏:
映画とゲームは門外漢なので返答が難しいのですが、畑を続ける人とそうでない人の違いは、そこにどれくらいの時間を見るのかであろうとは思います。先も申し上げた通り、短期でお金を稼ぐのであればもっと良いビジネスがあるので。畑を耕すひと、森を作るひとは10年20年、或いは50年を見ている。今日食べるに困って50年を見ているから狂気染みてくる…ということはあるかもしれませんね(笑)
我々としても先を走る皆様に並ぶ為に作品を送り出す、恐れず覚悟を持ってしっかりやりきる。これが積み重なっていった先にしか作品つくりのDNAは残らないなと個人的に思います。
──そういう意味では、事業規模を反映しづらいということ一点も関係があると思います。例えば、作品を作るにあたり一気に展開するような考え方は理屈上では正しいけども、大体は上手くいかない。この上手くいかない理由は何だと思いますか?
新福氏:
事業規模や資本力を以て、業界を変革していくというやり方が出版においてなぜ上手くいかないか……これは僕も教えてほしいくらいですが(笑)、漫画にとって資本があることが強みに繋がりにくいからなのかもしれませんね。ビジネスモデルとしての部分と、ステークホルダーの意識や実利部分とで。
まずビジネスモデル的な部分でいえば、例えば映画やゲームだと、基本的にはチームで作っていて、あるところで開発費とクオリティは比例関係にあるのだろうと考えます。勿論、キーマンの才覚は必須だと思いますが、ここで重要なのはキーマンだけで短期間に作ることはほぼ不可能ということです。
一方で、漫画は(負担も含めてですが)一人の才覚と力で制作できるところが大きい。極端な話、10万の原稿と7,000円の原稿で競争しても後者の方が読者に支持されたりすることがよくある。投下資本によって大きく勝負が変わらないので、若い個人の才覚や時代を掴む力が大事ですし、そこでお金がなくても勝負ができる。これが漫画や小説の良い要素であり、参入が非常に難しい要素でもあるのかもと考えたことはありますね。
次にステークホルダーの意識と実利ですが、情緒の面でいえば、作家さん方にとって作品は自分の子供と同じくらい大事なものです。その大事な子供を一部でもお金で売り渡したりすることは難しい。現状システム的にその判断をする必要がなければ、そちらに流れることは難しいでしょう。また漫画はストック型のビジネスになりつつあるので、継続性がある会社のほうに預かって貰っていたほうが実利がある。そんな状態でその場だけ景気よく入っても「で、あなたは私の子供を何年預かってくれますか?」という目にはなるだろうなと。
──そういう意味では、作家の才能が何よりも重要ですよね。
新福氏:
そうですね。才能がどうやったら集まるのかと考えると、大切なのは看板だと思っています。そしておそらくその看板は、個人のことではないのだろうと。
──それでいうと、最近KAMITSUBAKI STUDIOのTHINKRに若い作曲家が集まっているらしいんですよ。その理由をお伺いしたんですが、「いろいろな経緯があってたまたま自分たちがキャンバスになった」というお話をされていたんです。自分たちがキャンバスになったから、ここに絵を描きに来ようと思える人たちが生まれたと。新福さんは「看板」という言葉で仰られましたが、キャンバスであるか否か=才能が集まるかどうか、というひとつの捉え方なのでしょうか。
新福氏:
ここなら面白い仕事ができそうとか、信頼して自分の作品を預けられそうとか、そういう感覚がごちゃ混ぜになったときに、僕が言っている看板やキャンバスという表現があるのかなと思いますね。
──なぜそれが編集者にならないのか分からないのですが、なぜだと思いますか?
新福氏:
編集者個人がどんなに優秀でも、相性というものがありますし、何より時間的制約からは逃れ得ないですから(笑)。この相性というのは、同じ時代に大人になっていったという同年代性も多分に含まれます。優秀な人間であるよりも同年代性があり、思想的に共感出来る人間のほうが上手くいくことも多分にしてある。そういった事を考えるに大事なのは、その時々で優秀な人間が残していく“ミーム”の堆積なんじゃないかなと。その積もったミームを僕は「看板」と呼んでいるのだろうという気がします。
──なるほど。ブシロードワークスさんが目指す方向や新福さんの考え方がかなり理解できたと思います。
新福氏:
ありがとうございます。今回のお話に共感いただけた方も違う方も、弊社に興味を持って貰えればとても嬉しいですし、出来ることなら我が家にいらして頂ければと思います。
特に『ジャンプ』は解るが分からないんだよな〜〜〜という方は、話しましょう(笑)。
──(笑)。本日はありがとうございました。