『銀河英雄伝説』(以下、『銀英伝』)という作品をご存じだろうか。
『スター・ウォーズ』初期三部作に世界が湧いていた1980年代、綺羅星のごとく現れたスペースオペラ小説の傑作である。何万隻にもおよぶ宇宙艦隊が、いくつもの恒星間を飛び回り激戦を繰り広げる圧倒的スケール。それぞれの艦隊の司令官や勢力の長のみならず、部下や家族にいたるまで見事にキャラ立てされた登場人物たち。
そしてなによりも、戦場でいかに戦うかに焦点を当てた「戦術」と、何のための戦争をどのように起こすかを司る「戦略」の違いを克明に描き出し、一種シミュレーションゲーム的な面白さまで兼ね備えた、まさに“伝説”と呼ぶにふさわしい作品が『銀英伝』だ。1982年に第1巻が刊行されて以来、全10巻の累計発行部数は2022年の段階で1500万部に及ぶと言われる。
そんな『銀英伝』を題材として制作された戦略シミュレーションゲーム『銀河英雄伝説 Die Neue Saga』(以下、『ノイサガ』)がこのたびAimingより配信される予定だ。
作中でプレイヤーは「銀河帝国」と「自由惑星同盟」というふたつの勢力にわかれ宇宙の覇権をめぐって争い、原作さながらの壮大なゲームプレイを楽しむことができる。
ゲームは10週間のシーズンを通して軍勢の勝敗を争う。
1シーズンは2週間ごとの「スプリット」にわかれており、スプリットごとにPvP形式の「会戦」が行われ、その結果をもとにしてゲームオリジナルのストーリーが展開されていく。
プレイヤーはまさに新たな『銀英伝』世界の登場人物となって、体験できるというわけだ。
そんな『ノイサガ』だが、リリースに先駆けてクローズドβテスト(CBT)が2023年12月27日から2024年2月28日にかけて募集される。
募集人数は6000名までとなっているので、興味のある方は早めにご応募を。詳細は下記のとおりとなっている。
【クローズドβテスト概要】
募集期間:2023/12/27(水)12:00~2024/2/28(水)17:59
実施期間:2024年3月予定
対象:スマートフォン(iOS/Android)
募集人数:計6,000名(各OS 3,000名ずつ)
クローズドβテスト詳細URL:https://www.gineiden-neuesaga.com/cbt※募集期間、実施期間は予告なく変動することがございます。あらかじめご了承ください。
さて今回電ファミでは、『ノイサガ』CBT募集開始を記念して、原作者である田中芳樹氏のお話をお聞きできる機会に恵まれた。なにを隠そう、電ファミ編集部は編集長・副編集長ともに『銀英伝』直撃世代。これ幸いとばかりに取材へ同行させていただいた。
40年以上の時を超え、複数にわたるアニメ化やコミカライズなど今もなお愛され続ける『銀英伝』の色褪せない魅力。その根源はいったい何なのだろうか?
聞き手は、『ノイサガ』のプロデューサーである小田知典氏。司会進行は、2018年より公開され先日めでたく「続編」の制作が決まったアニメ『銀河英雄伝説 Die Neue These』(以下、『ノイエ銀英伝』)シリーズのエグゼクティブプロデューサー郡司幹雄氏が務める。
『銀英伝』における栄光の過去・華々しい現在・輝く未来。それぞれの担い手がそろい踏みしたと言っても過言ではない本対談は、作品の内容をディープに掘り進めるだけでなく、作品の土台となった現実世界の出来事にまで深く切り込む、極めて興味深い内容となった。ぜひ最後まで楽しんでいただきたい。
なお、今回の対談はYouTube動画でも公開している。ぜひそちらもご覧いただければ幸いだ。
司会進行/郡司幹雄(Production I.G)
撮影/佐々木秀二
編集/電ファミニコゲーマー編集部
※この記事には『銀河英雄伝説』ならびに『銀河英雄伝説』関連作品のネタバレが含まれています。あらかじめご注意ください。
※この記事は『銀河英雄伝説 Die Neue Saga』の魅力をもっと知ってもらいたいAimingさんと電ファミ編集部のタイアップ企画です。
小田氏と『銀英伝』との出会い。塾をサボり一週間で全10巻を読破した高校時代
──本日はアニメ『ノイエ銀英伝』ではまだ描かれていない部分も踏み込んで、ネタバレありでいろいろとお話をうかがいたいと思います。よろしくお願いします。
小田知典氏(以下、小田氏):
よろしくお願いします。
田中芳樹先生(以下、田中氏):
こちらこそ、よろしくお願いします。
──まず、小田さんと『銀英伝』の出会いについて聞かせてください。
小田氏:
僕が『銀英伝』を初めて読んだのは高校2年生の時でした。塾に向かう途中、立ち寄った本屋で徳間書店版の文庫シリーズが盛大に陳列されていたんです。『銀英伝』の名前だけは過去に聞いたことがあったので、1巻を購入して読んでみたらこれが面白くて。
そのまま塾にも行かず、夜まで読み続けてしまったというのが僕と『銀英伝』の出会いでした。
田中氏:
(笑)。
──あまりの面白さに、塾をサボってしまったわけですか。
小田氏:
サボってしまいました。その後も一週間ほどは学校の勉強もほとんど手につかず、10巻までぶっ続けで読ませていただきました(笑)。
田中氏:
それは……先生方には申し訳のないことをしてしまいましたね。
小田氏:
(笑)。
──小田さんは『銀英伝』のどこに魅力を感じましたか?
小田氏:
やはりなんといっても、キャラクターの造形ですね。『銀英伝』はいろんなキャラクターが出てきますが、その誰もがしっかりと気持ちを描かれていて、共感を呼ぶんです。高校生の当時は年齢の近さもあって、ユリアン・ミンツ【※1】に感情移入しながら読んでいました。
その後も何度となく読み返しましたが、30代になってから読むと、今度はカール・グスタフ・ケンプ【※2】の子どもへの感情であったり、ミッターマイヤーやロイエンタールに先を越されても自分は戦わなければ、という気持ちにグッときました。
多彩なキャラクターがみんな魅力的で、ほんとうに素晴らしい作品だなと思っています。
田中氏:
どうもありがとうございます。
──田中先生、小田さんをはじめ数多くの方の人生に影響を与えている『銀英伝』ですが、ご自身で作品の魅力を考えた時、どこになると思いますか?
田中氏:
『銀英伝』は、あんまり頭で考えた作品ではないんですよ。わりと自然に出てきたものをそのまま書きつつ、途中で数字的・状況的にわからない部分やヘンだなと思う部分を調べるというやり方だったんです。
だから「先生、『銀英伝』のおもしろいところを選んでください」と言われても、「そんなのわからないよ」と答えるのが常でした(笑)。実のところ、出版社の方から「売れてるよ」と教えてもらったときも嬉しいけど「なんでだろう?」と思ったのが正直なところです。
──あれだけの作品が自然に出てくるというのはすごいですね。
小田氏:
それは、これまでに読まれた歴史書などから、歴史上の人物や出来事に関する知識が蓄積されていった結果という感じなんでしょうか?
田中氏:
そうだと思います。歴史ものは昔から好きで、ずっと読んできました。小学生の頃に偕成社の浅野晃という昔の作家さんが書いた『少年少女世界史物語』全8巻を読んで、夢中になりましてね。歴史に関するものを片っ端から読んでいくなかで、『三国志』に出会ったのが運の尽きというやつです。
小田氏:
ああ……(笑)。
田中氏:
学生時代にも、大変失礼な話なんですが「理系科目なんてどうだっていいや」という感じで、ずっと歴史ばかりやっていました。今にして思えば、そうやって頭の中に歴史の話が入るだけ入って、あふれ出てくるという時期にいただいたお話だったので、『銀英伝』にそのはけ口を求めたんでしょうね。
人間の性格は「対比」によって描かれる。田中芳樹流キャラクター造形術
──『銀英伝』の多彩なキャラクターたちに関して、田中先生におうかがいします。まずラインハルト・フォン・ローエングラムとヤン・ウェンリー、『銀英伝』のなかでも主人公と言っていいだろうふたりについて。
ラインハルトは極めて有能な専制君主ですが、完全無欠という人間ではありませんよね。ヤンも平和という理想を抱いて行動するわけですが、「実は戦争を忌避しながらも、作戦や戦略のことを考えている時が一番活き活きしている」という描写があったりします。
どちらも非常に複雑な人格として描かれていますが、このような一面的でないキャラクター造形というのはどのように形作られていったものなのでしょうか。
田中氏:
登場人物のことを考えるとき、誰かひとりについてアレコレと考えて決めていくということはあまりしないですね。だいたいはふたり用意して、それぞれの違いを広げていくことになります。
乱暴なたとえで申し訳ないですけど、誰かから100発殴られて仕返しをするとなったとき、100発ちょうど殴り返す人と、おまけをつけて殴り返す人と、99発でやめる人。これだけで3つの人間の典型ができますよね。さらにこっちは女好きで、こっちは女嫌いで……と、まあこういう感じで、キャラクターを対比させて作っていきます。
無人島で暮らす姿を想像しても、ひとりしかいないと「気が短い」とか「あきらめが早い」とか、そういう要素はなかなか書けません。かの『ロビンソン・クルーソー』でも、最初はひとりですけど途中からフライデーという召使いみたいなキャラクターが出てきますよね。しかも、そのフライデーが主人公のロビンソンより有能だったりするわけです。
やはり、他人と対比して「AはBよりも気が長い」とか、「CはDよりも優しい」だとか、そういう具合に対比していかないと、人間の性格を描くというのは難しい。
小田氏:
ということは、『銀英伝』に登場するたくさんのキャラクターたちというのも、先生が仰ったような形で少しずつずらしながら形作っていったんでしょうか。
田中氏:
そうですね。ヤンとラインハルトがまずそうですし、ミッターマイヤーとロイエンタールもそうです。
田中氏:
キャラクター作りの考え方でもう少し話すと、実は私プロ野球が好きでして。野球チームを考えて、その特徴を作品の中に反映するということもできますよね。たとえば俊敏なキャラクターがいて、これはショートが適任だろうと。肩が強くて体も大きいから、キャッチャーだとか。こうやって典型的なものを並べて、そこからちょっとずらすとまた新しいキャラクターができます。
「図体が大きくて、一見すると動きが鈍そうなのに、ショートを守っている」とか。「小柄で俊敏なキャッチャー」とか。そういう感じで、ひとつ考えると派生する形で次のキャラクターもできてくるわけですね。
小田氏:
ヤンファミリーというかヤン艦隊の面々とか、あるいはラインハルトの部下にビュッテンフェルトがいてミュラーがいて……という集団の造形はそういうイメージで形成されていったんですね。
田中氏:
はい。そうです。
──田中先生の作られたキャラクターは、メインを張って活躍するキャラクターだけでなく、一時的に登場する脇役にいたるまで非常に魅力的に描かれていますよね。このサブキャラクターへの考え方もお伺いできますか。
田中氏:
私は偉人伝みたいなものを読んでいても、題材となった偉人その人よりも周囲にいる人たちに興味がいったりするんです。たとえば、野口英世。一時期は国民的英雄で、お札にもなったりしてますけど、この方にお金を貸して踏み倒された人がいたり(笑)。
そういう人が、なぜお金を貸したのか。返してもらえないとわかった時、もう絶交するのか、それとも見放せずに留まるのか。人物のひとつの動きが周りの人たちにどんな反応を呼び起こすのかによって、周囲の人間の性格も判明していくわけです。
……理屈をつけるならこういう感じですかね(笑)。
一同:
(笑)。
田中氏:
あと、対比という話でいうと小説『ドン・キホーテ』のドン・キホーテとサンチョ・パンサの対比も見事ですよね。私は、この対比が世界で一番優れてるんじゃないかと思っています。
ドン・キホーテは、自分を遍歴の騎士だと思い込んでしまった老人です。従士のサンチョ・パンサは最初のうちドン・キホーテを馬鹿にしていて、給料のためだけについていくんですね。でも、ドン・キホーテがちょっとおかしいというのは、それは彼の心が純粋であることの現れなんだなと徐々に理解していく。
やがて、最後の最後、ドン・キホーテが死に瀕したとき。サンチョ・パンサはいつの間にかドン・キホーテのことが好きになっていて、「旦那様、しっかりしてください」と言うんです。これが、非常に強く印象に残っています。
小田氏:
ちょっとズレるかもしれないんですが、『銀英伝』でも貴族が明らかに間違っていることをするのに周りがそれに従う、という展開がありますがそういうものに近いところはあるんでしょうか?
田中氏:
そうですね、キャラクターの描き方という最初の話に戻るなら、そこで大きくふたつに別れるんじゃないかと思います。つまり、「リアリスト」と「ロマンチスト」ですね。
リアリストは、主君を見放すわけです。これはダメだなと。ロマンチストは、それでもついていく。『三国志』でたとえるなら、司馬懿(しばい)【※】がリアリストで、諸葛亮がロマンチストと言えるかもしれません。
「この皇帝はダメだ」と分かった時、ロマンチストは先帝との約束を守って、あくまでも皇帝を支えようとする。リアリストは「コイツはダメだ、ダメなやつについていけば、俺も世の中もダメになる」と見切りをつけ、離れていく。
こういう例は『三国志』に限らず、歴史や小説のなかにたくさんあります。そういったものを片っ端から汲み上げて、頭のなかでぐちゃぐちゃにかき混ぜると、文章になって出てくる。そういう感じですね。
※司馬懿(しばい)
魏の武将。司馬仲達とも呼ばれ、「死せる孔明生ける仲達を走らす」のエピソードで知られる。のちの西晋の礎を築いた。
「蒙を啓いてやらねばならない」「卿らに問う」……おもわずハマってしまう?特徴的な言い回しの魅力
──私は、ハイドリッヒ・ラング【※】が実は愛妻家で、福祉施設に寄付をおこなっていたというエピソードがすごく好きです。この人間の二面性、根っからの善人もいないし、完全な悪人もいないという描写が『銀英伝』には詰まっていると思います。こういったサブキャラクターの魅力に関して、小田さんはどう思われますか?
※ハイドリッヒ・ラング
銀河帝国に所属。帝国における「秘密警察」の長を担い、ロイエンタールを陥れようと企んだ。
小田氏:
小ネタみたいなものが凄く多いですよね。テオドール・フォン・リュッケが「ぼく」と言ってから「小官」と言い直す、そういう細かいネタでキャラクター性を表現していたりするのが、『銀英伝』のキャラクター描写の面白いところだなと感服しています。
田中氏:
やっぱりキャラクターを作っていくと楽しいです。なんのかんの締め切りには苦しみましたけど、自分が楽しんで書けたから、読者の方にも喜んでいただけたのかなと思いますね。
──『銀英伝』の小ネタの魅力というのはすごくて。たとえば、「イゼルローンフォートレス」という『銀英伝』とタイアップしているレストランでは「ドーソンに小言を言われないようまるごと揚げたじゃがいも」というメニューがあるんです(笑)。作中ではちょっとしたセリフなんですけども、メニューのひとつになってしまうほどの印象深さがあるというか。
小田氏:
特徴的なセリフがすごく多いですよね。普通だと目の前の人に話しかけるところを、第三者へ対して話しているような語り口にしていたり。
田中氏:
あまり深入りはしなかったんですが、演劇的なテクニックが混じっているんですよ。フランスの劇作家エドモン・ロスタンが書いた『シラノ・ド・ベルジュラック』という戯曲を読むと、「登場人物のセリフなんだけども、実質的には観客へ向けて言っている」ようなセリフがよく出てくるんです。
あるいは、何かを言いかけて途中で口をつぐむことで、見ている人にその続きを想像させる……そういった手法を、戯曲へ触れるうちに自然と覚えていったんでしょうね。
小田氏:
なるほど。『銀英伝』を読んでいると、シェイクスピアの戯曲のような雰囲気を随所に感じていたのですが、そうした演出によるものだったのですね。
田中氏:
シェイクスピアと言われるとあまりにも巨大すぎるんですけども(笑)。
──あと、これは小田さんもそうだったんではないかなと思うんですが、『銀英伝』はセリフの言い回しがかっこよくて、学生時代にはハマってしまいました。
小田氏:
そうですね! 「蒙(もう)を啓(ひら)いてやらねばならない」とか(笑)。
──「卿らに問う」とか(笑)。
小田氏:
「ビッテンフェルトの言や良し」(笑)。カッコいいですよね。
田中氏:
ビッテンフェルトと言うと、あの人に女性のファンがつくとは、私は思っていなかったんですよ。でもけっこうビッテンフェルトが好きだと言ってくださる人がいますね。
小田氏:
田中先生が女性に好かれないと思われたのは、下品な言葉遣いをしたりするからでしょうか?
田中氏:
要するに、彼は「猪武者」ですから。
──「勝利の女神は下着をちらつかせているぞ」とか言いますからね。でもビッテンフェルトはかっこよかったですよ。艦隊を黒く塗装して「黒色槍騎兵艦隊(シュワルツ・ランツェンレイター)」の異名がついているところも、なんかかっこいいなと思いながら読んでいました。この二つ名がまたいいですよね。「金銀妖瞳(ヘテロクロミア)」のロイエンタールとか。
田中氏:
その辺も、いままで読んできた歴史や物語から学んできたんでしょうね。書いてみて反応をうかがうと、やっぱり二つ名というのはウケるんだなと。あと、「七元帥」みたいな人数を指定したもの。これも相当ウケますね。
『アルスラーン戦記』という作品を書いた時も、十六翼将というのを出したんですが、「最後のひとりがいったい誰か?」という局面でものすごく反響がありました。『三国志』でも蜀ひいきの人は五虎大将軍【※】がお気に入りですし(笑)。
※五虎大将軍
蜀の武将の中でも特に重用された関羽、張飛、馬超、黄忠、趙雲の5人を指す言葉。
──言われてみると確かに戦国時代の話でも、賤ヶ岳の七本槍とか武田二十四将とか、覚えている方が多かったように思います。
小田氏:
(笑)。
田中氏:
作りやすさだけでなく、読者の反響の面を考えても、やっぱりひとりで単独行動させるよりはチームを作った方が良いですね。チームを編成すると、このキャラのファンもあのキャラのファンも一緒に応援してくれたりしますし。
「銀河帝国は、自由惑星同盟は、善か悪か?」容易くは断じれぬ世界の複雑さと、“多数決”への苦い思い出
──『銀英伝』の世界観の大きな特徴として、「善悪二元論ではない」というものが挙げられます。
私が子どものころに触れて来たエンタメは、「民主主義が正しくて専制政治が間違っている」という、ある種のステレオタイプ的なものが多かったのですが、『銀英伝』を読んだ時どうも帝国で専制政治を行うラインハルトの方が正しい政治をしていて、逆に民主主義の同盟の方が腐敗しているという構造になっていると気付いて、大変驚いた記憶があります。
『ノイエ銀英伝』の制作にあたっても、最初の脚本会議で「この作品は善悪二元論ではない」「どちらが正しいかという戦いではない」という話をして、進めていきました。私は、『銀英伝』のこの特徴は作品の非常に大きな魅力になっていると思います。小田さんは、読んでいてどう思われましたか?
小田氏:
僕も、その点がすごく興味深いと思っています。古代ギリシャの哲学者アリストテレスは、専制政治と民主政治は繰り返していくという話をしています。専制政治では暴君が現れ、革命によって暴君が打倒され、民主政治が始まり、腐敗し、やがてまた強いリーダーが生まれて専制政治になると。
たしか、『銀英伝』のなかでも「最悪の専制政治から最良の民主政治が起きる可能性がある」というような言われ方をしていたかと思います。その専制政治と民主政治、ふたつの国を並び立たせながら物語を展開することで、ふたつの政治体制の対比が描かれているのかなと感じました。
田中氏:
私、子どものころからひねくれていまして。
一同:
(笑)。
田中氏:
さきほども軽く触れましたが、私はプロ野球に興味があったんです。その興味を持ったきっかけというのが、テレビで放映を見ていると、みんな巨人を応援していることなんですよ。うちの父もそうでした。
だから「なんでみんな巨人を応援するの? 中日や広島はいつも悪く言われているけど」と聞いたんですが、「それは巨人だからだ」としか答えてもらえない。
なんとも不思議に思いました。巨人1チームだけで野球はできないはずで、相手チームがいる以上はそっちのファンだっているわけです。日本シリーズが始まっても、セ・リーグの代表と言えば巨人という時代でしたから、クラスメイトなんかもみんなセ・リーグを、巨人を応援するわけです。
「なんで巨人を応援するんだ?」って聞いたら、「決まっているだろう」と言われて。「ふーん」と言って、自分だけ南海ホークスを応援してましたね(笑)。
──なるほど(笑)。
田中氏:
それと、多数決というものに対するイヤな思い出があるんです。中学生のころだったんですが、吃音のある生徒に票を集めて、わざとクラス代表に選んだ連中がいたんですよ。でも、そういう連中はその生徒が苦労していても、上手くいかないことがあっても、まったく責任を感じなかったんです。
「クラスの代表として選ばれたんだから、ちゃんとやれよ」と丸投げして、自分達が彼を選んだんだという責任感がない。こういうのを見て、「多数決だからって正しいとは限らないよな」とか、「これでは堕落するな」みたいなことは中学生のころから思っていました。
──『銀英伝』のなかで、ヤン・ウェンリーと父親であるヤン・タイロンの問答として、「なぜルドルフが皇帝になったのか」と問われて「民衆が楽をしたかったからさ」と返す場面があります。私にとっては、そのやりとりが小説全編を通じて一番衝撃的でした。
たしかに、私たちの暮らす民主政体というものは投票で代表や政治家を選ぶわけですが、票を投じた後は全部政治家に任せっぱなしで、責任を感じないで生きていることもあるわけですよね。
しかもこの問題は現代社会でもいまだに解決されず、残り続けている課題です。すごいことをエンタメでやっているなと、本当に驚きました。
田中氏:
投票するだけマシですよ。この間の統一地方選挙【※】でも、投票率20%台というような地域がいくつもありました。投票すらいかず、文句だけ付ける。それはないだろうと思いますね。
※統一地方選挙
全国の自治体の長や地方議会の議員選挙を、全国的に期日を合わせておこなうもの。直近では2023年4月9日と4月23日、二回に分けて実施された。
──たしかに、そうかもしれません。小田さんはこの辺、塾をサボってお読みになったわけですが(笑)。
小田氏:
ええ(笑)。でも塾をサボってでも、読んでおいてよかったなと思っています。こういった考えに若いうちから触れられたので。
田中氏:
塾の先生方になんといってお詫びすればよいやら(笑)。
──もうひとつ、『銀英伝』のなかで印象的だったのは、「後世の歴史家の視点が登場する」ということです。後にこの人物がどのように評価・判断されているか。私が大学で歴史学部に入って一番最初に習ったのが、「今の価値観で過去の人を裁いてはいけない」ということでした。
今は悪いと言われている人でも、100年後には違う評価を受けているかもしれない。逆もまたしかりと。こういった、ある種俯瞰した見方をエンタメのなかでやっているのを読んで、これもまたすごいなと思いました。
田中氏:
たしかに、現代の価値観で2000年前の専制国家を非としたり、というのはやや無責任かもしれませんね。しかし一方で、普遍性というものはあると私は思います。
専制君主を評価する場合でも、むやみに戦争をしたりやたらと贅沢をしたりしている人よりは、自分は質素に暮らして民を豊かにする人の方が歴史のなかでも評価されています。これは、普遍的な価値観だと思うんです。
ですから、一方的な批判については用心するとしても、現代の目から見てこれはヘンだろう、と思うようなところは書いておいた方がいいと思います。
──なるほど。たしかに、民衆を虐殺するとかそういったことは肯定できないですよね。
小田氏:
たとえばヤン・ウェンリーも、読者からすると英雄に見えるわけですけど、一方で帝国と同盟の戦争を長引かせた【※】という評価もされていたりします。
そういった、大きな流れのなかでその人が果たした役割はなんだったのか、という部分は表面的な言動だけでは評価しきれないですよね。
田中氏:
そうですね。物事を判断するためには一定の時間が必要で、それが歴史というものの存在する意味だと思います。